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「青年」という作品のなかで、イブセンの「世間的自己」と「出世間的自己」が少し語られているが、森鴎外において「出世間的自己」というものはどのように反映しているか、教えていただきたい。そして、それは「利他的個人主義」にどのような関連がありますか。なお、この作品を通して森鴎外の思想とは何か、読書のガイドをお願いいたします。

A 回答 (1件)

『青年』にそんな部分があったということは全然記憶になかったので、もう一度読み直してみました。



主人公の小泉純一が、あきらかに夏目漱石をモデルにした「平田拊石」の講演を聞きに行く。
その講演に「世間的自己・出世間的自己」が出てくるわけですね。

若干事実関係を整理しておくと、『青年』にみられるように、漱石はイプセンについての講演はしていませんが、『創作家の態度』という講演の中でイプセンに触れています。
触れてはいますが、その内容は作家を主義によって分類することの弊害を述べた部分で、例にモーパッサンやイプセンの名前をあげているに過ぎません。
おそらくこれは漱石の実際の講演をもとにした、というより、鴎外が拊石の名を借りて、自分の意見を述べた部分と見ることができるでしょう。

イプセンは、明治20年代、鴎外や逍遙の手によって紹介され、30年代には当時の知識人の間で大変に流行しました。
とくに鴎外が『牧師』として翻訳した『ブラン』は、その中のせりふ「一切か、しからざれば、無」が当時、多くの共感を得たといいます。

イプセンの流行の背景には、個人主義の流行がありました。
個人主義というと、当然、夏目漱石の『私の個人主義』を思いだすのですが、あえて漱石が「私の」をつけたように、当時の「個人主義思想」の中心は、漱石のそれではなく、むしろ知識人青年のオピニオンリーダーとしてあった高山樗牛の「美的生活論」でした。

「美的生活は、人性本然の要求を滿足する所に存するを以て、生活其れ自らに於て既に絶對の價値を有す。理も枉ぐべからず、智も搖かすべからず、天下の威武を擧げて是れに臨むも如何ともすべからざる也」(『美的生活を論ず』)

樗牛は「善といい不善というもの畢竟人間知見の名目に過ぎずして、人性本来の価値としては殆ど言うに足らざるものに非る乎」として「ニーチェ主義者」を標榜するのですが、こうした解釈がニーチェ本来の思想とほど遠いものであったことはいうまでもありません。

おそらく鴎外もこうした当時の青年層の熱狂と中途半端な理解を苦々しく思っていたにちがいない。
それが「拊石」の口を借りて

「日本人は色々な主義、色々なイスムを輸入して来て、それを弄んで目をしばだたいている。何もかも日本人の手に入っては小さいおもちゃになるのであるから、元が恐ろしい物であったからと云って、剛がるには当らない」(『青年』以下引用はとくにふれない限り同じ)
となって現れたのだと思います。

この部分はやはり漱石の
「近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。彼らは自分の自我をあくまで尊重するような事を云いながら、他人の自我に至っては毫も認めていないのです」(『私の個人主義』)と呼応しているようにも思います。

こうした時代背景を頭に入れておいて、「拊石」の講演をさらに見ていきます。

「拊石は先ず、次第にあらゆる習慣の縛を脱して、個人を個人として生活させようとする思想が、イブセンの生涯の作の上に、所謂赤い糸になって一貫していることを言った」
これが「世間的自己」である。
ただそれだけでなく、「出世間的自己」があるという。それは「始終向上して行こうとする」自己です。そのために、自由を求めるのだと。

「イブセンのブラントは理想を求める。その求めるものの為めに、妻をも子をも犠牲にして顧みない。そして自分も滅びる。…大真面目で向上の一路を示している。悉皆か絶無か。この理想はブラントという主人公の理想であるが、それが自己より出でたるもの、自己の意志より出でたるものだという所に、イブセンの求めるものの内容が限られている。とにかく道は自己の行く為めに、自己の開く道である。倫理は自己の遵奉する為めに、自己の構成する倫理である。宗教は自己の信仰する為めに、自己の建立する宗教である。一言で云えば、Autonomieである。それを公式にして見せることは、イブセンにも出来なんだであろう。とにかくイブセンは求める人であります。現代人であります。新しい人であります」

イプセンの『ブラン』は未見のため内容に触れることができないのですが、少なくとも鴎外は、あらゆるしがらみを捨て、みずからの理想に生きようとした「ブラント」に、個人主義の理想を見たことがわかります。

『青年』の中で「出世間的自己」はこれ以降展開されてはいませんし、ほかの作品の中でこの思想がさらに展開されているということもないと思います。

一方、「利他的個人主義」というのは後半、拊石のところに出入りしているらしい大村という医学生の言葉を借りて出てきます。

個人主義には利己主義と利他主義がある。
利己主義は人を倒して自分が大きくなろうという思想である。

「利他的個人主義はそうではない。我という城廓を堅く守って、一歩も仮借しないでいて、人生のあらゆる事物を領略する。君には忠義を尽す。しかし国民としての我は、昔何もかもごちゃごちゃにしていた時代の所謂臣妾ではない。親には孝行を尽す。しかし人の子としての我は、昔子を売ることも殺すことも出来た時代の奴隷ではない。忠義も孝行も、我の領略し得た人生の価値に過ぎない。日常の生活一切も、我の領略して行く人生の価値である。そんならその我というものを棄てることが出来るか。犠牲にすることが出来るか。それも慥に出来る。恋愛生活の最大の肯定が情死になるように、忠義生活の最大の肯定が戦死にもなる。生が万有を領略してしまえば、個人は死ぬる。個人主義が万有主義になる。遁世主義で生を否定して死ぬるのとは違う」

「ブラント」の個人主義が理想であるなら、現実に生きる上での「実践」の指針がここにあると見ることはできないでしょうか。
あらゆることを見極めて、世間的には義務を尽くしつつも、自分自身の「城」は決して明け渡さない。

こうした鴎外の思想は短編『沈黙の塔』や『あそび』、あるいはまた『かのように』などに見て取ることができるかと思います。

鴎外の思想に対して、加藤秀一はこのように書いています。
「鴎外は宗教と哲学に対しては、聡明な相対主義の立場をとり、自己の立場を体系化するには至らなかった。しかしその文学には見事に独創的な結論をあたえ、そうすることで単に広くではなく、また実に深くその時代を証言したのである」(『日本文学史序説』ちくま学芸文庫)

利他的個人主義も、それを体系化したというよりも、鴎外の作品において、そして何よりも、鴎外自身の生き方において、具体的に展開していったのだと理解することができると思います。

以上おもな典拠は伊藤整『日本文壇史3』(講談社文芸文庫)、『森鴎外全集3』(ちくま文庫)あたりです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございました。
いろいろとご説明を頂き、まず「世間的自己・出世間的自己」への言及背景を把握できました。イブセンの『ブラン』のなかで、鴎外があるゆるしがらみを捨て、みずからの理想に生きようとした「ブラント」に個人主義の理想を見たというご解釈は、大変示唆を富んでいるものです。鴎外が現実に生きる上での「実践」の指針は何かを解明するため、是非この作品も読んでみたいと思います。
また、当時の個人主義思想に関しても、漱石の「私の個人主義」というより、むしろ高山樗牛の「美的生活論」のほうが主潮であったということ、整理できました。
教えてGooのネットで初めての体験ですが、初心者のような私にもたくさんのことを教えていただき、感激いたしました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/08/28 15:37

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