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人間をみてて思うのは
「人はテンションのために生きてるな」
ということです。

みんな、ある一定のテンションを保つことに集中し、頑張っているとおもいます。
テンション低いなーと思える人でもその人にとっての最低テンションは確保すべく何か行動を起こします。
「おれは、信念と興味に元づいて行動してるよ。」というひともいますが、そういう人はたいてい平均を大きく上回るテンションの持ち主です。
「落ちた」こともないかもしれません。

このように「最適テンション」は個人的なものであると同時に、社会(その人が属する場)が決定している面もあると思います。

「生きるためには仕方なくする。」という時代はおわり、テンションのために生きるなんて時代がくる可能性はありますかね?
ていうかもう来てます?

いろいろ意見が聞きたいです。
私のテンションのために・・・(^_^;)

A 回答 (4件)

「テンション」を一定にするんですか?


ちょっと怖い質問ですね。
最近は人間の帰属意識の多重性というのでしょうか、その帰属毎に、それぞれ求められる人格を演技するのかもしれません。
たとえば職場で、同じテンションで働くということは、人間が機械を演技することになっているのでしょうか。
そういえば、無表情で仕事をしている人、多くなったような気がします、もう来てるかも知れませんね。

機械を演技すると、知らず知らず、見た目も機械に似てきたりして、クワバラ、クワバラ。
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この回答へのお礼

fishbowl66様こんにちわ。
ありがとうございますm( _ _)m

そうそうそれです。
だいたいその場のテンションていうのがあって、それに合わせます。みんなやってますよね、消極的に。
消極だからストレスなんであって、みんなが自覚的積極的に多重人格になれば、案外健康なんじゃないかな?
と、思いまして・・・。
ダメですかねぇ?
自分はそうしてます。まだヘンな目で見られることもありますがそれが常識になれば・・・。
ダメですね(^_^;)

お礼日時:2004/07/26 07:15

>「テンションを合わせる」ことについてもなにか思うことがありましたらお願いします。


共振又は共感という事を考えていたのですが・・・

私の記憶内で振幅が一番大きかったのは母か父でしょうね。 自分の心の源信は、自分以外のところにあったのでしょうね。

この回答への補足

テンションを積極的に合わせることで、「共感」や「共振」「共鳴」が起こりますよね!
「理解」なんかもそうだろうと思います。
良いテンション合わせと、悪いテンション合わせがありそうですね。
あるていど強制が起こるのは仕方ないとして、その場に自分がどう関わるのか?
その結果どうなるのか?
とても興味がそそられます。

補足日時:2004/07/27 20:39
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この回答へのお礼

>私の記憶内で振幅が一番大きかったのは母か父でしょうね。

へえ。僕にはそういう感覚というか記憶がありません。
実際は親からは(遺伝子なんかとは別に)そうとう大きなものを受け取っているにも関わらず、、、ですね。

これは、親が我が子にもつ「関心」の量の差かもしれませんね。
多けりゃいいってもんでもない?質が大事?
わかりません(;´д`)

お礼日時:2004/07/27 07:15

そのテンションというのは、もう少し神秘的な言葉に変換すると「オーラ」や「気」や「生命力」という言葉にもなり得る様なものを対象にしているわけですよね?


それは意識的なテンション(脳内テンション)を保とうとしても、変化の規模は大小様々な形があるでしょうが、人生という長いスタンスで考えれば、常に変化してしまうものではないでしょうか?
その生命力を維持する一定ラインを保っている場所は無意識下にしか存在しないだろうと思います。

僕の意見は、それ自体を一つの量子的に捉え、
人間というのはそのテンションの幅を知る為に生きてるのではなかろうか?ということです。
高いテンションだけでは低いテンションを知る事は出来ず、その逆もありますから、
言い方を代えれば喜びだけでは悲しみを理解できなくなります。

そのテンション幅、プラスの振幅とマイナスの振幅を大きく経験する程に人は深みを増していき、人生はいわばそのテンションの波形であって、波形がマイナスに偏っていてもプラスに偏っていてもテンションの片輪にすぎない。
大きな山あり谷ありの波乱万丈の人生を経験した人というのは、上下の幅を大きく経験してる為、比較的人格者が多いのでは?という様な気がします。
恐らく、その経験した波幅の大きさと人間としての度量の大きさは比例し、
まさにこれが文字通りの人間の格、人格になるのではないかと思われます。
高周波のほうがエネルギーが高いことを考慮すれば、山と谷の周波数も当然関係しているかもしれませんが。

最近の人々がいくら懸命に脳内テンションで行動していようが、
そもそもそれを管理統括しているのが無意識下のテンションであって、人生の中でテンションを一定ラインを保つ事は困難、いや不可能でしょう。
脳内テンションを管理しているつもりの人間は、その時点で既に管理されている側にしか居ないのだ!とゆう意見です。
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この回答へのお礼

そうですね。
一定のテンションを保つなんてほぼ無理です。
上がればいつか必ず下がりますよね。(僕は単にそういう風に出来ていると考えています。人体が。)
でも一定を「保とうとしている」ように見える。それがストレスになろうとも、です。
あきらかに生きる目的になっちゃってる人もいます。

tomozoukun様のお考えは斬新で楽しいんですが、今のところ「推測」ですよね?
宗教は勿論、科学的思考にしても、すべて「ある意味推測でしょ?」といえると思います。
人間は推測にすがり、最低テンションを確保している。
もともと科学も宗教も「地に足が着いていた」というか生活に深く関わる類のもだったろうとおもうとき、今の状況はコジツケやノリなんかがはびこりなんとなく「浮き足立ってる」感じがします。
この「浮き足立ってる」感じが、科学や宗教の世界に限らず、あらゆる生活のレベルに侵入してきているやうなしてきてないような・・・

もちろん飛躍的なことは楽しいですし大きな利益もあると思います。なによりテンションを上げてくれますし。

お礼日時:2004/07/27 07:07

大半は、ひとりよがり。


親が甘やかしたせいか、上司にクってかかるわがままタイプ。 しょうがなく持ち上げてそのまま放っておくので、ひどい管理状態。 責任なし、悪いことはしたもの勝ち。 なんてのもあります。

少子化のせいではないでしょうか。 哲学にならんかったですね。 「はびこる」という言葉を思いだしました。

この回答への補足

この欄を使って補足します。

このテンションは見かけのハイテンションだけではなく、たんに「元気」というかんじの意味です。
「すべての人間」は元気が必要と思います。
生きものの身体も一定のテンション(体温とか)を保っていないと腐りはじめます。
これは、生命維持のためのテンションで、主に他の生命を食べて維持していると思います。
食べる前、食べてるときなどは心のテンションもあがるし(^_^)。

しかし、今はそういうこととはおよそ関係のない「脳内テンション」のようなもののためだけに行動する人間が目立つようになりました。
良い悪いは、一時置いといて、こういう現象についてのご意見をうかがいたいなとおもいました。

あと「テンションを合わせる」ことについてもなにか思うことがありましたらお願いします。

補足日時:2004/07/25 05:59
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この回答へのお礼

ありがとうございますm( _ _)m

いえいえ、質問のほうが哲学っぽくありませんでした・・・。

お礼日時:2004/07/25 05:59

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