お正月にソクラテスの考え方のダイジェスト版みたいな本を読みました。
高校時代に習った古文の書かれた平安時代などの信仰の在り方や今なお息づく神道などから古代ギリシャの精霊信仰は容易に理解できます。
現代日本の信仰の受け皿の主流は仏教ですが、観念の研究をイデア界と同一の観念世界からもたらされた事柄と理解すれば、知の探究や哲学は信仰などとも一致するのではないかとも考えました。
今回の質問は流れとして前回の
神仏に慈悲を願い、取りすがる事は信仰の自由の範囲内で完結するのか その4
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5575674.html
これに続きます。
知を愛すると言いますね。
私が私である生きる実感が哲学とも聞きます。
なのに取りすがる態度を見せるのは、行き場の無い考え方ではないか。
それから、信仰を表ざたにしないのが主流の日本で宗教におぼれる少数派はあくまでも肩身が狭いでしょうが、誤解を解こうとする回答をいただいていません。
これらを題材としてお考えをお寄せください。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
Hidocchiです。> 作法のようなものとしてとりすがりでは無いでしょう。それが出来なくで、神に対して信仰のストライキを起こすぞと、脅かしながら交渉に及ぶのがとりすがりではないか。
現在におけます、農作物の豊作祈願・祭りは確かに慣習化したものかと思います。ですが、一昔までは、飢饉なるものが起こり、多くの犠牲者が生じたとされています(昭和の東北大飢饉でも、多数の身売り、欠食児童が続出したといわれています)。つまり、生命の危機等にまでおよぶものにつきましては、例外かと思うのです。以下に、キリスト教の「主の祈り」を載せております。これは、唯一、イエス・キリストその人が「祈るときは……(中略)こう祈りなさい」と言って弟子たちに与えたとされる祈祷文です。
マタイによる福音書 / 6章 9節から13節(共通口語訳)
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン
1世紀頃のガリラヤ地方では、慢性的な食料不足があったようでございます。その証拠に、当時の遺骨調査からも、栄養不足のため、当時の骨の中はスカスカなのだそうです。つまり、かような生命・さらには信仰の危機にまで影響を及ぼすような状況下におきましては、「主の祈り」のような「わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。」との祈りも許されると思うのです。また、未だ1世紀頃では、キリスト教は異端扱いされていました。その中で信仰を守り続けていく上では、共同生活・活動なるものが必要であったことが推察されます。そこで、信仰が絶えささないためにも、「わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。」と祈ることも、例外的に許されてもいいと思うのです。もし、信仰がなくなれば、その時点でその宗教は消滅し、2度と復活しないことは、歴史的事実かと考えられるからでございます(実際、仏教の誕生の地インドでは、もはや大乗仏教は信仰されてはおりません。唯一、日本とチベットのみが、大乗仏教を継いでいるのが事実かと存じます。ですが、そのチベット仏教すらも危機に瀕している状況でございます)。
以上まとめますと、現在の日本のような(もちろん将来はわかりませんが)、食料に恵まれた状況において、神仏に“取りすがる”ことは、大欲(貪欲)として、ある味“罪”に類するものと思われます。
ですが、信仰心、または信仰を守り続けていこうとする人たちの生命、これらにまで危機的な影響を及ぼすものにつきましては、例外的に認めてもいいと思っている次第でございます。
> 知性がかくのごとくあるならば、取りすがる態度を見せるのは、思考の閉塞に結びつくのではないか。
知の探求・哲学は、自らの意志と力で志向するものかと考えております。従いまして、“取りすがる”行為は、思考の停滞をもたらすものと解しております。
愚見お聞きいただければ、幸いでございます。
ご回答ありがとうございます。
事をとりすがりに関する批判に限定しないで、信仰心を表ざたにしない立場から、「祈る行為」については了解できました。折れます。
ただし、厳密かつ心情を厳しく見れば、故事は今や信行心のストライキにすぎないのではないかと考えます。
ここで蒸し返しますが、人間同士で和解が成立してお互いに助け合う事が出来れば神に救いを求める事は不要ではないか。そして聞けば聞くほどそれは過去においても取りすがりだったのではないか。世界中の災害の情報が一夜で駆け巡る現在では人間同士の和解とは、要するに互助とはテクノロジーの発達で自然発生していて今やなされており、神に救いを願わなくても人間同士が信じあうに値する事は証明されていると言えるのではないか。そのような互助が自然発生的であった事は人間とはもともとそのような本性を備えていることの証明でもあります。ところがそれを組織存亡にかかわると認めない危険で閉鎖的な祈りは有るでしょう。残念ながら有るでしょう。
No.16
- 回答日時:
とにかく、「おせーて」とか「かまってぇ~」とか言われてもこれ以上対応できませんので。
甘えすぎではないですか。
本心ではそう思っていないのに「両面展開」などと言って、第三者に「おれは正しい、一人の人間が俺を批判しているだけだ」とアピールしているように思うのですが。そのようにアピールすることで、万が一「priちゃんは一人の人間が批判しているだけで、本当は正しいんだ」とか、「ただしいかも」とか「まともな人だ」などと第三者に勘違いされたら、困るのではないでしょうか。 priちゃんも困るでしょう。
力量的にも priちゃんは人を救えないし、それよりも むしろ救われる側の人間だと思うのですが...
とにかく私には救えませんので、家族に甘え、救ってもらってはどうでしょう、あなたの家族にも、あなたがそうなってしまったことに対しての原因と責任があるでしょう。
「救おう」「教えよう」として強く働きかける 人間こそ、救われるべき人間だと気付くことです。
救われたい と思う人間が居なければ いても立っても居られず、絶えずそういった人間を求めてやまないなら
そいつが 真に 救われるべき人間だと言うことですね。
>話は変わるがこんな言葉を哲学してくれ給え。
お断りいたします。
この回答への補足
今回付けたお礼は取り消させてください。
申し訳ない。
ロリコン扱いじゃあ名誉棄損だ。
訂正します。
あんたは何を見ても性欲を主題に妄想をするごく健康的な畜人だ。
No.15
- 回答日時:
めんどくせー奴だなー
ヤプーだかバブーだか知らないが、そんなに甘えたいなら もう一匹のつがいに甘えたらどうだろうか。
だいたい昔のマンガなんかしらねーんだよな、ブラフマンだかなんだかそんな昔の漫画持ち出されても答えよーがねーでしょーよ。
何度でも言うがオレの問題じゃねーんだよな、アマエルのもいい加減にしろっての。
間抜けなのは投稿場所を間違えるあんただろ、恥ずかしくてもうここには来ないと思っていたのだが、どうも強気に出ることでチャラにしようとしているらしいね、しかし恥は恥ですな。
>ちゃんと哲学出来るか。
できねーだろーなー。
自分の体験や観想を元にした思索でなく、単なる観念上のお遊び
つまり「ちゃんと哲学」すると、
「哲学しすぎて死んだ(飼い慣らされた)バカ(家畜) 」
になります。
御自分がもうそうなっていてそれに気付いていないなら 確かにあんたはブラフマンだ、ブラフマンとしてもう死んでますな。
>我とはブラフマンの事だ。一般にブラフマンは神とされているが、そのままでは「我は無し」よって「神のみぞある」だよ。我は神であるなんて早合点の表れが、我は有りかつ神もあるだよ。
なるほどー、新しい汚弟子さんを作って そいつに聞かせてやってください。オレに虚論をのたまうのは勘弁して欲しいね。何度も言うが、ブラフマンなんて見たことも観た事も会ったことも無いんだよね。
「よって」でつながる根拠を示しなさい。何の説明にもなっていないよ。
とにかく
もっと他に適した人がいるでしょーよ、そいつと一緒に地獄に落ちてください。そんなに道連れが欲しいんですか?もしかして「取りすがり」をしていないかい?「教えたい」も取りすがりですよ。
一人で逝ってくださいよ、誰にも迷惑かけずに。
以上。
この回答への補足
ああそうだ、
欲について私の言葉に恨みつらみがあるようだな。
こう語ったな。
>
宗教的な無の観念とは、無い物は無いと悟り、探さない、求めない、ねだらない。
このありもしないものが要するに欲だよ。
取りすがりも欲だ。
むなしいだろうよ。
No.14
- 回答日時:
>ヤプーにはまだしつけが必要のようだな。
質問者はすでに「家畜人」なのだから、もうしつけは必要ないでしょう、社会人として飼いならされたpriちゃんに これ以上の 躾は酷ですな。
>ヤプーは立場からしてこびを売るしかないのだよ。
その通り。しかし、もうオレに媚を売らなくてよろしい。
とにかく、これ以上「哲学しすぎて死んだ(飼い慣らされた)バカ(家畜) 」にならないでくださいねww
あと、オレにかまって欲しければ、
> 「よって」で導かれる結論と、その前の「我は無し」とは直接の関係が無いだろう。何が よって なんだか良く解らないが?
これについての見解を示そうか。
>「我は無し」よって「神のみぞある」
これは何処からの引用か?それとも自分なりの思想か?そうであれば、「よって」で導かれる 我は無し と神のみぞ在る の関連性を示しなさい。
そうしないなら、これ以上の問答は無用となるな。
>カンニングさせてやったんだ、要らぬ事でも言ってみい。
「ぼくを見捨てないでもっと構って欲しい」という、意思の表明であるということだね。
しかし 我 と 神 の関係性をまずはっきりさせないと どーしょーもないと思うんだけどね。
とにかく、「オレの問題じゃない」んだから、自分で考えてくれよ ってことですな。
教えて欲しいなら それなりの礼儀 ってもんがあるでしょ。
知ってて聞いているのなら それは大事にしまっておきなさい。
この回答への補足
バター犬は一応犬なので愛玩性があるが、ヤプーともなれば畜人なのでただの道具だ。
それならば思索を進める道具にもなろうな。
珍獣を飼うだいご味だ。
実に名誉であろう。
ヤプーの享受できる愛はそこにある。
そもそも輪廻に惑わされたり、神に取りすがるようでは、人間で無く、畜人だよ。
お仲間は一見多そうだがそんな間抜けはあんただけだ。
むなしい多数派工作はするなよ。
演出では無く十字架にかけられる喜びを教えてやろう。
そう言えばあれほど言ったのに両面展開しているな。
我とはブラフマンの事だ。
一般にブラフマンは神とされているが、そのままでは「我は無し」よって「神のみぞある」だよ。
我は神であるなんて早合点の表れが、我は有りかつ神もあるだよ。
そんなだから権現様扱いなんだ。
ちゃんと哲学出来るか。
できねーだろーなー。
No.13
- 回答日時:
権現 が何を意味するのか知らないが...
誰かがおだてられて 有頂天 になったということだね。
そいつをここに連れてくれば こっぴどく叱ってやるのだが。
ほっとけば反動で落ちるだろう、それも神の計らいとも言えるか。
まあ、おだてられても有頂天にならなければ 本物 だということだ。
この回答への補足
そう言えば、
「我は無し」よって「神のみぞある」
まだこれについて哲学出来ていないぞ。
カンニングさせてやったんだ、要らぬ事でも言ってみい。
場所柄からして、けんか状態はまずいな。
ヤプーは立場からしてこびを売るしかないのだよ。
まだ締めないで置いてやるから、もっとかまって欲しそうにしろ。
No.12
- 回答日時:
>そもそも私は我は有るを宣言している。
宣言しても無いものは無いがな。
>そうすると煩悩を滅却して自らが判り堂々と我はあると言える。
言うだけだったらサルでも言えるだろうが。
以前も言ったと思うが「我はある」というのは頭で考えるものではない。「観じる」ものなのだよ。
>あんたは要らない知識ばっかりはぎょーさん詰め込んでいるようだな
まだ解っていないようだね。オレほど知識が無い人間はいないだろう。十界論にせよ、質問文の語句を簡単に調べて、それを元に考えて回答しているだけだ。その場その場で最低限必要な分だけの知識を補い、答えているだけなんだよ、お分かりかな?
>せめて家畜人ヤプーの称号を送ろう。
却下とする。オレに会えば どんな人間かわかるだろう、失礼な態度を取ったらタイヘンだと思いますよ。
お前が死んだら 誰に説法をしているか、思い知るだろう。
歯を剥いて
人に噛み付く
お猿かな
相手が人で
あるとも知らずに(字余り)
>「我は無し」よって「神のみぞある」
「よって」で導かれる結論と、その前の「我は無し」とは直接の関係が無いだろう。何が よって なんだか良く解らないが?
所詮猿真似は猿真似、自分のレベルの低さを自覚するべきだな。
オレと会話するのはまだ早いようだが?
No.11
- 回答日時:
我は在る 神も在る ではダメですか?
この回答への補足
いざとなると案外のろまなんだな。
ヒントをあげよう。
そもそも私は我は有るを宣言している。
宗教的な無の観念とは、無い物は無いと悟り、探さない、求めない、ねだらない。
たったそれだけのことを指していて無をはっきりとさせることだよ。
そうすると煩悩を滅却して自らが判り堂々と我はあると言える。
ただしコレには現代にはまだウラワザ的な楽チンコ-スは確立しておらづ、特に神の存在を意識してしまう場合には、
「我は無し」よって「神のみぞある」
この道をくぐり抜けることだ。
非思考とは無意識とも言われる心のふるさとだが、なにせ「無意識」というぐらいだぞ「無」が通行手形だ。
あんたは要らない知識ばっかりはぎょーさん詰め込んでいるようだな、その知識全部が涅槃への入国審査で捨てることになるのか、それとも知識あるゆえに門をくぐることが出来るのか、コレを見物しようと私はもくろんでいるのだよ。
ちゃんと言いつけが聞けるようなら、確かにバター犬はいいすぎだ、せめて家畜人ヤプーの称号を送ろう。名誉に思いたまえ。
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