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ネットを眺めていまして、韓国の方の主張として日本が明治期に近代化に成功して朝鮮半島がその後塵を拝した理由は、単に西洋文明に接した機会がたまたま日本が早かっただけだ、と言うような主張があり、どうも多くの韓国の方の意見も共通しているように思えるのですが、本当にそうなのでしょうか。
私の漠然とした印象としては、江戸時代に日本が到達した農業生産性の伸長や各地の豪商や豪農といった新興市民勢力の台頭、世界的にも類例を見ない市民文化の発展など多くの現象が、総合的で潜在的な国力を形成し明治期に一気に日本を列強の座に押し上げ、一方では朝鮮は過酷な身分制度に汲々としほとんど社会発展も人口の増加もなく、その差が日朝の差となって現れてその後の併合へとつながっていったと感じます。
坂本龍馬がどうしたのと偏狭なヒロイズムではとうてい理解できない歴史の底流がそこにはあると思うのですが、一方の朝鮮半島の社会発展史というべきものに何の知識もないので判断がつかないところでもあります。
他国への誹謗が質問の目的ではありませんので、事実レベルで近代化の遅れを論点とした日本と朝鮮の歴史の違いというものをお教え頂ければと思います。

A 回答 (6件)

 専門外ですが,儒教かなと考えます。


 なにも,日本人が優れているとかに結びつける気はないのですが,

第1点
 儒教は強く師を尊敬し,乗り越えてはいけないものと捉えがちと
伺いました。
 そこへ,西欧文化がやってきた場合,
師はわからず,
子弟はこれを超えてはならないでは西洋文明は根付きにくいでしょう。

第2点
 庶民の教育水準が挙げられます。
 日本は,寺子屋で文字やそろばんを習い,活用していました。
「沢三伯=高野長英」といった 判じ物さえ町民文化で,皆楽しんで
知識を使っていました。ご存じの事恐縮ですが,沢三伯を解いて
捕縛に至ったのは岡っ引き(=町人)です。金の力で武士株を
売り買いもしており,自分の向上に熱心でした。西洋蒸気船内部を
を見ただけで再現してしまったのも,鉄炮や大砲の炸裂弾の,西洋を
上回る品質での改良を行ったのも庶民の大工や鍛冶です。

 一方韓国は 清廉な士族と両班による中央集権が徹底し,
まして,父系血族関係を重視する社会では日本のような
士族株の売り買いや,そこへ婚家することもかないません。
 これはもう少し調べる必要があるのですが,
農民は,ほとんど小作で恐らくは士族の異動に付随して,
一つのマウル(村)に定住することなく,移動をくり返して
いたようです。向上の途はなく,これでは庶民パワーは引き
出されにくかったでしょう。

 第3点
 江戸の研究が進むと,地方はさておき,江戸の女性は結構
発言権があったようです。このためか,レディーファーストの
文化が日本に入るやいなや,早くから女子大などができ,
ある意味,内側から西洋文化が花開きました。

 韓国では,ほんの10数年前まで男子を産まない嫁の地位
たるやで,そのような参画は困難だったでしょう。
 先の見える女性は先を争って改宗し,米国・カナダなどに嫁いで
行きました。(そこら辺から韓国の主張が米国方面により重く
信じられている理由が派生するのだとか・・・)

 では駄文ご寛恕にて・・・
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識字率が低い、


農地が少ない・農業開発が遅れている、
農業生産性が低い(技術の低さ、気温の低さ、治水灌漑能力の低さ)
鉱工業が未発達、(日本は近世までは金銀始め鉱山開発も盛んでした)
物流、ひいては貨幣経済のおくれ

まあ色々ありますが、朝鮮のほうが根本的に未開で遅れてたんですよ。
とくに文明の発展は、余剰生産能力の高さ(一人の農民が何人の他の職業を雇えるか)、文字の普及(識字率)あたりが大事です。
朝鮮半島は緯度が高く降水量も日本より少なく、出だしから日本より不利です。この辺は物流の発達や貨幣経済の発展といった経済面で響いていきます。
次に識字率が全然違いますね。これは朝鮮がどうこうというより、寺子屋の多かった日本が世界一だったわけで、飛びぬけた日本の特徴です。
最後に、日本は鉱業さかんで、さらに生糸、俵物(昆布干しアワビ等の海産物です。)といった輸出産品を持っていました。
幕末から第一次大戦にかけて莫大な財貨が日本から流出し続けたわけですが、国内にあった豊富な金銀銅、さらには生糸に俵物といった輸出産品が、日本の近代化を最初に賄ったと言えます。

地理的な要因、読み書き算盤を重んじる国民性、封建的時代からもつ国全体の財力、あらゆるものが土台から違うんですよ。朝鮮半島が近代化のスタートで遅れをとったのは事実ですが、日本のような急激な近代化ができる国は限られています。
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日本と協力できれば近代化のチャンスはあったと思いますが・・・


朝鮮と日本の差については質問者様の考えであっていると思います。

明治以後の近代化の遅れですが。
中国は中華思想(中国が世界の中心で離れるほど野蛮)と華夷秩序(世界は中国が支配してこそ秩序が保たれる)による柵封体制(周辺諸国に属国としての礼を求めることにより、存在を認める)でアジアを支配してきました。アヘン戦争でイギリスに敗れ、半植民地状態になっても変わらず、朝鮮はそれを受入れ属国の扱いに疑いも持たず従っていました。(日本は聖徳太子によってそれから脱しています)

日本は朝鮮と中国に一緒に近代化して西欧に対抗しようと持ちかけています。
しかし彼等の反応は、野蛮な西洋の思想にたぶらかされ、古来からの秩序を乱そうとしている、中国の柵封も受けていない東の蛮族の妄言ということでした。

なので日本はこれ以上彼らに関わっていても、無駄だと判断して自国のみで進みます。(福沢諭吉の抜脱亜入欧がこれです)

遅かった以前にその気がなかったということだと思います。
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一つには身分制


日本にももちろんありましたが意外や
ある程度の流動性があったようです。
武家に準じた身分となった町人もいましたし
町人と武家の結婚もありましたし
武家に養子に入った農民(上層ですけど)もいました

朝鮮半島の身分制度はほとんどゆるがないですし
知識や教養といったものもほとんどの時代、両班などの
特権階級が独占していました
養子を取るという考え方もないですよね

また、中央集権の力が大きく日本のように大きな力を
持った地方というものがあまりなかったように思えます

もう一つは中国との朝貢関係
中国を主人とした従属的な外交関係に縛られており
新しい世界観を獲得するのが遅れたのではないでしょうか
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李王朝は、日本より早く西欧文明に接していました。


全ての国家で、近代社会になる前に封建社会を経験していることが前提です。
日本は、江戸時代という封建社会が存在しましたが、朝鮮半島は、李王朝の時代が続いていて、封建社会ではなく王朝社会でした。

これが最大の理由ですが、明治期に日本がロシヤとの干渉地域としての重要性から李王朝に近代化を進めましたが、内部抗争でロシアに付いたりしたので併合ということになった。
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封建制の文明史観 (PHP新書) (新書)


今谷 明 (著)
ご参照ください。
日本で言うところの、一所懸命、この概念があるかどうかでモンゴル帝国という強力な力に対抗できたかどうかを書いています。
一所懸命の概念は、その土地から逃げられないとともに、その土地を最大限に活用するためにものを考えるので「殖産興業」に結びつきやすいのではないでしょうか?これは上記の本には書いてない私の推測です。
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