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英語は文法を捨てて、耳から聞いて自然になれよう!とよく英語についての本に書いてあったりします。しかし、中学校などではまず文法から学びますよね。私もなぜ、文法から学んでいるのか分かるようで分かりません。というのは文法を知れば、英文を読む時にこれが主語で動詞だと分かりやすくなったり意味が分かりやすくなったりする。一方で英語は何を言っているのかを聞き取ることが最重要で、ましてや会話や聞き取りなんかは文法で考えると全くできなくなったりする。
こんなようなことから私は英語を勉強するさいに、イマイチ文法は文法で学んだ方がいいのか、それとも英語耳になれさせて文法なんか全くやらなくていいのか困っているところです。
やはりこれから英語をやるさい、文法は思いっきり捨てていいものですか?それとも文法は文法で学んだ方がよろしいですか?
それから中学校のように文法から学んで良い点もあったら教えてください。

A 回答 (18件中1~10件)

No6です。


>リスニングを聞いても「主語が・・・でwhoは関係代名詞だ」とつい考えてしまうためどんな内容を言っていたのか
>ほとんど聞き取れてない状態があったのです。
>そんな状態があってでも文法から入っていたほうがいいのでしょうか?

文法は必要だと思いますがもちろん文法を全ての英語学習に
優先するまでの必要性はないと思います。
いろんなタイプがいます。理詰めでやったほうがいいタイプ
感覚的なタイプ。自分がどのタイプなのか見極めることも
大事です。

質問者さんの状態はまだ文法が身についていない状態です。
文法が身についてるとはいちいち文法を意識しなくてもできるようになることを指します。
これにはどうしてもしばらく時間がかかります。
地道な努力が必要です。

昔英語を勉強した人が大人になってからなんとなく英語を読んだら読めるということがあります。
このとき高校時代の難しい英文法の「知識」などはどこかに忘れたかもしれないけど
英文法のエッセンスはその人に染み付いてるということになります。
英文法を身につけるとはそういうことです。

この回答への補足

他の回答者さんとあなたの回答者さん含めて
「本当に本当にありがとうございます。自分に今までやったことを自信もって練習すれば必ず英語はできるようになる!」正直まさにこれですね。英語のやり方がどうのこうのあまり意識しない方が無難だと感じました。改めて私は英語を今後とも勉強します。今日やっと自分に英語に対する自信が1段階ついたのです。リスニングの時はどんな内容を言っているのかを重視して、文法の時は書く時などに重視すれば良いこと。
それから、なんのために英語をやっているのか最も大事なことだと分かりました。むしろ理由あって英語をやっていることを忘れずに頑張ります。私からの長い長いお礼でした。本当にありがとうございました。
以下は本来私が質問していた内容と違いますが暇があって余裕があれば
です。
「電子辞書より普通の辞書のほうが絶対良い」という時はありますか?
私は電子辞書のほうが軽くてすごく便利で、一つの単語に対していろんな言葉の意味も例文も載っていて、英英辞書や和英辞書も一つの電子辞書に入っているのでやはりふつうの辞書より絶対どんなときでも良いと
思います。しかし、電子辞書より普通の辞書が「・・・な時は絶対良い」というのがあったらお願いします。
最後に、本当に英語をどうやったらできるのかほとんど分かってきましたので今後ともかんばっていきます!

補足日時:2009/11/12 21:54
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>「電子辞書より普通の辞書のほうが絶対良い」という時はありますか?



#7&15で回答した者ですが、上記補足を拝見しました。「普通」とはいわゆる「紙版」を指すのだと解釈して回答します。「紙版の辞書のほうが絶対に良い」と言う人は何人も知っています。それぞれ具体的な理由をお持ちです。しかし、それらの理由を聞いても、私は一度も紙のほうがいいと思ったことはありません。

ただ、電子辞書が普及しだしたのは私が30歳代に入ってからの話で、それまで私はずっと紙版を当然のように使って育ったわけです。で、今、たまに久しぶりに紙版を使ってみると、つくづく感じるのですが、紙版は「あいうえお」や「ABC」の順番の感覚を非常に刺激します。

つまり、英和辞書にせよ、和英にせよ、英英にせよ、和和にせよ、とある単語を引くにあたって「この単語は『け』で始まるから、だいたい辞書の前半のこのへんだな」と検討をつけてページを開いたり、「この単語の頭はhaで始まっているから、今見ているhiのページよりも手前だな」ということをやるわけですが、そのたびに、脳の中の普段使わないところが刺激を受けているのを感じるのです。これが何の役に立つのかはわかりませんが、少なくとも電子で代用できるものではないし、慣れれば慣れるほど感覚が研ぎ澄まされるものでもあります。

あとは、紙版は電池切れの心配がないから、僻地への長期旅行に便利とかね。
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No.9 です.



>そもそも英語を学ぶのに日本語にやくすとかよく分からないのです。

たいへんよいご認識ですね.
日本の英語教育は,大多数が英語を話せない日本人教師によって続けられて来ました.ですから,教えるときはできるだけ日本語で教えようとしました.その結果が,「日本語で英語を教える」ということで,さらにすべての英語は日本語に「訳」し,文法用語を覚えることに重点を置いて来たのです.

文科省はその弊害に気がついて,英語で英語を教えることを始めようとしています.しかし,すでに時遅く,そんな教え方ができる(英語が話せる)教師がほとんどいないという問題があるのです.また現在の教師達は強く反対しています.どうしたらよいとお思いですか?
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#7で回答した者ですが、#14欄の補足を拝見しました。

「英語を日本語に訳すことで英語をやるには効率の良いものなのか」とのことですが、これは「英語をやる」の定義によります。ただ、中高生に和訳偏重型の授業をするのは賛成しかねます。

イタリア語通訳の田丸公美子さんが「パーネ・アモーレ―イタリア語通訳奮闘記」の中で、著者が高校で受けていた英語の授業について書いています。広島にあるキリスト教系の厳しいその高校では、外国人シスターが生徒をすごい速さで順番に指していっては英語の質問をしていき、間髪いれずに答えられないと罰があったのだそうです。そうすると生徒たちは訳している暇がないので、英語を英語として聞き、また自分の言いたい答えを最初から英語で考える、という訓練になったのだと著者は書いています。

この授業形態が理想的かどうかは別のお話です。生徒によっては、この厳しい授業に気後れしてしまうかもしれません。ただ、「訳すくせ」が付いてしまうのは決してプラスではないという証拠にはなると思います。

ただ、英語を英語としてしか捉えないのは大事なことではありますが、英語を別の言語に訳すという技術とは別物です。なので、将来、英語教師を目指す人が、英文法を説明する能力を養う必要があるのと同様、将来、翻訳や通訳を目指す人は、英語を母国語に訳す訓練をある程度は積んでおく必要があります。なので、義務教育期間には、訳す練習も多少は必要です。でも、訳すことにばかり捉われるのはよくありません。

実際、難関大学と呼ばれる大学の入試の英語長文問題では、「訳しなさい」という問題の比重はそれほど多くはありません。あるとしても、せいぜい数センテンスや数単語で、膨大な量の長文自体を全文訳せなどとは要求されないし、そもそも訳していると全問を解いている余裕がなくなってしまいます。
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 母国語ではない英語を学ぶ日本人と英文法との関係については、NO.6の方が述べられている通りだと思います。



 すなわち、文法を軽視したり敵視したりするのではなく、かといって過度に重要視したりするのでもなく、上手に利用することが日本人が取るべき対応だと思います。

 よく中学1年で学ぶ「This is a pen.」のような英文は実際に使う場面がないという批判を見聞きしますが、学校教育とはそのような即効性があるものではありません。今学んでいるのは将来役立つ土台を築くためのものです。

 「This must be just what I've been dreaming of since I was a little child.」というような英文を理解したり自分で言えるようになるための最初の一歩が「This is a pne.」という英文であることを理解しなければ、英語の上級者になるための多くのハードルを乗り越えることはできないでしょう。

 さもなければ、ちょっとした日常会話程度の英語ができるようになっただけで自分は英語が得意だなどと勘違いしてしまうことになってしまいかねません。

 ご質問者の問題は、ご自身が現在対応できていないと言われているリスニングへの対応です。その原因は、おそらく文法を学んでいることにあるのではなく、リスニングへの慣れにあるのではないでしょうか。

 長文を読むときにもありがちなことなのですが、細かい単語などに気を取られていると全体の趣旨を見逃してしまうことがリスニングにおいてもありがちです。その問題を解決するポイントは、分からない部分(聞き取れなかった部分)にこだわらずに、先の内容を追いかけることです。

 すべてを完全に理解できなくても、ポイントとなるキー・ワードを組み合わせていけば、全体の趣旨は理解できることがあるものです。私たちが、普段の生活の中でニュースや雑談を聞く際にもすべてを正確に把握しているわけではありません。

 ただ、リスニングの場合には単語同士の音のつながりや、英語特有ののリズムに慣れていなければ理解に苦しむことも多いでしょう。その問題を解決してくれるのは、英語の音に数多く接して慣れるしかありません。

 学問的にはリエゾンという音のつながりや英語の強弱アクセントについての知識も役立つことでしょう。しかし、本当に役立つのは実際の音に触れることです。

 現在では、一昔前とは異なって数多くのリスニング教材や英語で放送されるTV番組があります。その気になれば、自分の今のレベルにあった英語に触れることは比較的容易です。

 ご自身が今行っている学習には自信を持って下さい。英語を母国語としない外国人の学習者にとっては、文法の学習は欠かせないものです。今行っている何かをやめるのではなく、そこにもう一つか二つほど新たに何かをプラスしてご自分の能力を高める努力をされることが、今お悩みになっているリスニング能力を高めることにつながるのではないかと思います。

 どうぞ、頑張って下さい。ご参考になれば・・・。
 

この回答への補足

文法については満足に理解できました。本当に他の回答者さんと同様ありがとうございます。以下も暇があればお考えください。
今度は英語を日本語に訳すことで英語をやるには効率の良いものなのか
どうかです。個人的には英語と日本語はいっしょにやるとまず良くない
と思うのです。日本語は日本語で、英語は英語で。でも中学校や高校では「日本語に訳しなさい!」とか英語の授業なのに日本語に強調をおいている部分もあるのです。そもそも英語を学ぶのに日本語にやくすとか
よく分からないのです。

補足日時:2009/11/12 07:33
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No4です。



リスニングに関する補足・お礼を読ませていただきました。
文法を一生懸命学んで、それがリスニングの時邪魔になるということは
「知識」として文法を学んだのであって、「使える」段階まで
身にしみついていないのですよ。
「知っていること」と「それが使えること」は違うのです。

例えば There is an apple on the table. とか
もっと簡単な I love you. とか文法を考えなくても一瞬で聞き取れますよね。
それらの簡単な文章は頭で考える段階ではなく、身体にしみついてるからわかるんです。
単語をちょっと入れ替えても理解できますよね。
There is an apple on the table. が There is a banana on the table.
になったって、I love you. が I want you. になってもわかります。
何故わかるかというと、知ってる単語であることと、これらの文の法則=文法がわかっているからです。

文法を知っているからと言って会話が出来る、聞き取れるわけでもありません。
英語は日本語を母語とする人にとっては外国語です。
外国語の学習には文法は知らないより知っていた方が応用が利くし、効率的です。
日本語を聞く・話すのにいちいち文法を考えなくて済むのは、たくさんの例文を
もう既に知っていて自然と頭や耳や口が動くからです。
英語も同じ。文法も含めて繰り返し勉強することで文法を考えずに済むようになってきます。
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No.3です。


他の方への補足を拝見しましたが、リスニング練習しようとすると文法が引っ掛かって困るんですね?
でしたらとりあえず文法を脇に置いておいて、音に慣れることに集中してみたら良いと思います。

No.7でucokさんがおっしゃっているように、世の中には、
「耳から聞いて自然に慣れる方法に向いている人と、文法から固めるやり方が向いている人とがいる」ようです。
自分に向いているほうをやったらいいんじゃないでしょうか。

私は前者の「自然に慣れる」タイプです。
もし、「まず最初に5文型を覚えてからでないとリスニング練習したらダメ」なんて言われたら(実際にはそんなことを言われた経験はありませんが)、自分は挫折していたでしょう。

リスニングだとか長文読解は、文法的解釈をするのが目的でなくて、
「全体としては何を言っているのかな?」と内容理解するのが大切です。
パーツの判別ではなく、「話の内容を理解すること」に意識を向けたら良いと思います。

ただ、あまり文法を放っておくと学校のテストで困りますので、
ソコソコはお勉強的なこともやったほうが良いです。
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#8です。



>これは文法から「・・・が主語でwhoは関係代名詞」だの勝手に考えてしまうためです。
こういう悩みを持っているのは5130coileさんだけじゃないですよ。
文法から学ぶと言うよりも、英語は文字から入るのが大きな原因です。
文字から入ると スクリプトばかり意識していまい耳から聞こえた英語のスペルを頭の中で再現し、これを和訳しようとします。文法だけが原因じゃありません。それに、リスニングの題材が少し高度でありませんか? 小学生が覚えるように身の回りの簡単なことを耳で聞いて覚える練習をするといいです、
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 これがとてもいい質問だという証拠は、大変すぐれた回答が多数寄せられていることで分かります。


 #2さんの現実的なコメントは特にすぐれていると思いますし#3さんの黒でも白でもないという見方は、非常に大切だと思います。

 私は身近にネイティブの子どもが英語を身につけるのを毎日見たのですが自分で文法を作っているのに気がつきました。例えば bring の過去型ですが、はじめは ed を付けて bringed という形を作りました、ところがまわりの大人が思ったような反応を示さない、ではこれかな、と sing の類推でしょうか brung というのを作った。でも思わしくない、ついに brought にたどり着く、その過程を見て小さい子でも試行錯誤でネイティブになるのだな、と思いました。だからネイティブにも文法はあるのです。

 ここで言いたかったのは耳英語と英文法のほかに、日本では英語教育の副産物が出来たことです。例えば、ここにThe students in this class are not allowed to wear earrings ( ) their ears 「このクラスの生徒は耳の()にイヤリングをすることは許されていない」の括弧内に何か入れよ、という問題があります。私は毎日イヤリングをしているアメリカ人女性に聞いてみました。「そりゃ無理よ」と言うのです。第一、ピアスなら in、クリッポンなら on とイヤリングで前置詞が違う、第二に、括弧の先は要らない、なくて十分意味が通じる、と言うのです。考えればもっともな話です。

 ということは実際に必要のないことを、問題集のために作り、学習者がおよそ文法とも耳英語とも無関係な「勉強]を強いられている実態があることです。

 #2さんの結びの言葉は大切だと思います。「とにかく,何のために英語を勉強するかです。」
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こういう話題は多くの人が関心を持ちます.理由は,日本の英語教育に多くの問題があり,日本人の英語習得の障害になっていることが認識されているからです.


使う機会がないという言い方がありますが,そうではありません.日本が世界に向かって働きかけようとしたら,英語は絶対に必要なのです.ビジネスでも政治でも,芸術の分野でも,いくらでもあります.
必要が無いというのは保守的で消極的な考えで,たしかにそうした内向き縮小性向の人はそれでもよいでしょう.

外国語を学ぶためにその言語の文法を学ぶことは,その言語を効率的に学ぶための有効な手段です.
しかし,手段であることを忘れて,文法学習が目的になってしまうと,本来の言語習得がおろそかになり,文法が趣味の領域になったり,数学のように振り回して,文法用語をひけらかして優越感に浸る人が出てきます.まるで,文法用語を多く知っていることで言語をマスターしたと錯覚しているようです.

また,文法第一に考えると,会話を学ぶのに大きな支障をきたします.なぜなら,文法は数学的で間違いを拒否します.日本人の会話力が伸びないのは,間違いを恐れるからです.また,離せない教師ほど,文法に逃げ込み,自らを縛るだけではなく,若い人々の会話学習の足を引っ張ったりします.

日本の英語教育が受験のためだと思い込む人もこっけいです.文科省はとっくに日本の教育の欠陥を認識し,今までも各種の方策を実施しています.英語で英語を教えるということや,小学校から英語を教えるなどを始めています.
すでに受験英語も変わってきていますから,受験が目的だなどと開き直っていると,そのうちに足元をすくわれるでしょう.

もっとも,文科省の改革に反対し,自分たちの古い体質を守ろうとする従来からの文法第一主義者が大勢いて,なかなか改革が進まない状況があります.新しい施策だと彼らは職を失う恐れを感じているからです.
この際,自民党から民主党に政権交代した変革のタイミングに合わせて,英語教育も大転換すべきでしょう.
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