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ちょっと難しい質問なのですが、ご容赦ください。

音楽と言うのは、それを聞く人とは無関係に、あるい一定の波長の集合が時間的推移で変動する、一言で言えば物理的現象です。
で、これは聴覚のある人ならば誰にでも到達し知覚されるものです。

問題はこの後なのですが、この知覚が共通しているのに、それに感銘、あるいは感動できる人と、全くできない無関心である人とに別れるのは、いったいどういうわけなのか?と言うことです。

もちろんひとによって、あるジャンルの音楽ある曲に感動でき、他の人にはできない、でも他の人はまた違った曲に感動できるが・・・という個人差はあります。でも、知覚している内容は同じわけです。なぜ、同じものを知覚しているのに、なぜある人の感受性には響いて、他の人には響かないのか?

当たり前のようですが、実に摩訶不思議です。

例えば、あるフュージョンの分厚い和性と複雑なリズムに感動する人がいるとしましょう。同じものを知覚している他の人は「何この変な曲」という印象しか持たない。

これは文学とはちょっと違いませんでしょうか?文学はその内容に到達できないひとはやはり無理だろうと言うのがあります。が、音楽は到達してるのです。脳内では同じ知覚を完成しているのです。それなのに、なぜ個人によって印象差があるのか?

そういう素朴な疑問について示唆していただきたいです。

A 回答 (12件中1~10件)

>音楽と言うのは、それを聞く人とは無関係に、あるい一定の波長の集合が時間的推移で変動する物理的現象です。



全く その通りだと思います!!
但し 上記の「音楽」の定義を、「音」と言い換えても成立すると思います。
鳥のさえずりも 電車や踏切の騒音も 貴婦人の衣ずれも
笑い声も 泣き声も 「音」です。

笑い声 泣き声も いろいろあって、
カンラカラカラ!クスクス!ウフフ!
(爆笑 クスリ笑い 苦笑い 照れ隠しの笑い)
ギャーギャー!シクシク!アーンアーン!
(泣き叫ぶ 忍び泣き すすり泣き?)
それぞれ「音」は違います。

これらを耳にした時、
* あゝ笑っているな 泣いているな と 音としてしか受け取れない人
* すごく面白がっているな 痛がっているな と 単純に感じる人
* 人生の皮肉に遭遇して思わず苦笑しているな
  耐え切れない悲嘆の涙に暮れているな と背景まで察して同情する人

同じ音を聞いても 受止め方は多様です。
個人の性格、人生経験等で
音の「裏側」の意味をどの程度理解でき どれ程感情的に同調できるかで
音楽に感動する人、しない人、
又は どんなジャンルで感銘を受けるか の違いが出てくるような
そんな気がします!

歌は 歌詞があるので、容易に感動を受け取れますが
楽器のみの曲は、音の裏に潜む微妙な感情を理解するために
演奏する側 聴く側双方に
ある程度の共通な推理能力的基礎訓練が必要ではないでしょうか。
その共通言語の発信受信の幅が広い人ほど 感動が深い!と思います!
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
すばらしいご高察ですとても感銘いたしました。
背景を推理する能力、あるいは言い換えれば、イマジネーションの豊かさと言うのが大事なのですね。本当にそのとおりだと思います。

お礼日時:2009/10/30 08:16

25年以上程昔、渡辺 香津美のレコードを買った時、ガイドを読んだら同じような事を書いてました


彼は『昔から隣り合った音階がおりなす不協和音とか、きたない「和音」といえない音階の組み合わせに惹かれた』と書いてあったと思います
心理学では適度な変化、刺激、ストレスは、興味を維持できる、生きていく活力を生み出してくれると習いました
天才型とまじめ型にわけると
MCでは北野たけしが天才型、関口宏がまじめ型というイメージがあります
北野たけしや木梨のりたけは何が出てくるかわからないのに対して関口さんはあたりまえすぎてつまんない・・・といったところでしょうか
最近では盲目の天才ピアニストの母親がテレビで
「うちの子は赤ちゃんの時、モーツァルトを聞かせると、足をピクピク動かして喜んだ」と言ってました
私は、不協和音より、TAKE FIVEのような変調(5拍子)や、 To Be or Not to Beのように真似しようと思っても刻めないリズムに惹かれます
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私も変拍子にはとても惹かれます。それは凝った和声と同じような、脳に刺激を与える類のものですからね。

お礼日時:2009/10/30 23:33

>埋もれていたものの発見



「埋めてしまったものの再発見」が適切です。

人は何処から来たのかを忘れています。
動物の帰巣本能に似ています。
内なる声が囁き、招いているのです。

物事を凝視するのを止めて、
一旦つき放して、
大きな視野でみると、
答えは自ずと現れます。

音楽と人の反応の関係への疑問ではなくて、
何故にそのような疑問を抱いたかの方が大切です。
自分でも気がつかない動機が必ずあります。

結局はご自身の存在への疑問なのです。

ツァイトガイスト 時代の精神 日本語字幕 (2時間)
http://video.google.com/videoplay?docid=-3788207 …

フラワー・オブ・ライフ―古代神聖幾何学の秘密
http://books.livedoor.com/item/369222

AMORC
http://www.amorc.or.jp/

ホ・オポノポノ
http://blog.hooponopono-asia.org/
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回答番号:No.4です。



<追伸です>

物理的現象は人が認知できる範囲での事です。
物理的現象を作りだしているのはエネルギーです。
(量子物理学で発見されています)
ですから、物理的な面だけで説明しようとすること自体が
解明を遠ざけてしまいます。

潜在意識という言葉は
誰しもが聞いたことがあるでしょう。
でも、その正体は知らないのが事実。
一部の方々を除き、
まったく不可解な世界です。

「潜在意識」は非常に広意義な表現です。
敢て何かと問われれば、
自動的に行われている全ての事象ともいえます。
顕在意識では想像も認知もできない巨大なプログラム。
人智が及ばない神の成せる技でもありましょう。

ユングの「シンクロニシティ」に関する書物を
お読みになれば、広義の意味をご理解いただけると思います。


分野ごとにメスが入れられています。

宇宙はエネルギーであり、振動であり、
様々な周波数で構成されています。
と物理学は唱えています。
一方で、物理学と相反するとされてきた、
形而上学では物理学が発見した上記の真理を、
はるか昔から唱えています。

いろんな解釈で溢れています。
でも結論には至っていません。

未だに「不立文字」の世界です。

歴史的には、
その探求者は宗教家、瞑想家、錬金術師、
霊能力者、達人だったかもしれません。

ちなみに
錬金術師は金属を金に換える実験家と言われますが、
実際は、精神が物質に与える影響を研究している、今での物理学者です。
宗教家は医術、政治、建築、総合科学者でした。
霊能力、瞑想家は、今ではスピリチャル分野です。

いずれ、知っている人は知っています。
言葉や論理などの人為を超えた存在です。
しかし、それはいつも身近に充満していて、
宇宙全体に浸透しています。

探求者同志であれば、
ある程度共通した語彙で意見交換もできるでしょう。

知らない人は、自分で体得するか、
探求者に耳を傾けるしかないのです。

とは言え、
潜在意識の謎解きは
近年になって特に進んでいます。
最終的には潜在意識を
活用する道が開けるものと思いますし、
期待もしています。

DNAの解析がその一つです。
太古から受け継いだ遺伝情報に
子孫の後天性が加えられ
変化しつつも、記録の宝庫と言われます。
DNAの物質的情報は、
不可視のアカシックレコードと密接に関連しています。

医学界はDNAを操作することで、
遺伝性の病気を治せるともいいます。
身体だけでなくて、精神病克服の可能性も示唆しています。


もう30年も前になると記憶していますが
「量子物理学と意識の役割」という本が出版されました。

世界各国から物理学、医学、心理学、宗教家、形而上学者など、
専門家が集まったディスカッションをまとめた本です。
このような他分野かつ相容れないかもしれない分野の
総合的な意見交換はかつて無かったものとされています。
潜在意識の探求が積極的には始まった歴史的会合と評価されました。

一致した意見は
「人の意識が物質に影響を及ぼしている」でした。


そして現在に至り、
近代物理量子学は
「意識が宇宙に存在している」
「意識がなければ宇宙は存在しない」
という結論に達しています。
ホーキンス博士も同様の事を述べられています。
そして、更に実験精度を高めるために、
世界各国が協力して巨大な実験システムを建造中です。

神の意識という「片付け方」から、
一つは人の顕在意識が介在し、
もうひとつは潜在意識が作用しているのは
間違い無いという確信が見え隠れしてきています。


音楽への反応が個々に異り、
時間経過(経験、変化)とともに変化する。
この件に関しても、
解明の一歩手前に来ているように感じています。

活用としては、
音楽療法はヨーロッパで医療行為として認められています。
日本はある団体が普及に努めています。
友人が勉強して、主に介護施設で活用しています。
昔の音楽を使うと元気になり、
楽器を演奏させると活発になるようです。
本人も本当の理由は知らないそうですが、
結果として、フードバックで体得中だそうです。
確かに効果はあると頑張っています。
課題は、効果の持続性だそうです。

友人の精神医は潜在意識を研究して、
その一部を治療に実践しています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

潜在意識の重要性は、宇宙のダークマターのように決定的なものだと感じています。また、それを意識のほうから操ることこそが、もっとも崇高で高度な精神性なのでは?と感じています。一種の「禅」かもしれません。そのとき、なにかしら埋もれていたものの発見があるのではないでしょうか。

お礼日時:2009/10/30 08:23

質問と直接つながらないかもしれませんが。


音楽を聴く時、音の動きや演奏のしかたが「次どうなる」という期待や予想がその通りになって嬉しくなったり、期待を軽く裏切られて「おっ」と思ったり、期待を大きく裏切られて「つまらない」と感じたりしますね。
どんな期待や予想をするのかというのは、それまでどんな音楽をどれくらい聴いたか、あるいはどれくらいじっくり聴いたかという経験と、音楽表現や楽器などについてどれくらい知っているかという知識によって違いますね。
経験と知識と参考URLにあるような性格が関係あるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「期待」と言うのが重要なポイントです。ジャズやポピュラーは、よく「はぐらかし」効果と言うのを使いますからね。それによって「おっ、やられた!」という心理的緊張とか興奮を惹起させますね。それこそが芸術の本質ともいえます。
その「期待」を楽しむ素養として、経験知識が必要になってくるのでしょうね。また、それを蓄積していく受容力があるのかどうか。

お礼日時:2009/10/30 08:21

音楽は、脳の発達、自我意識の発達と、関係あります。

脳が、自我が、発達すると、脳を刺激する音楽が好きになります。そして脳を強く、複雑に刺激する音を求めて、どんどんエスカレートします。複雑で強いリズム、雑音の様な不協和音、難しい、長い歌詞、これらは、自我の欲求なので、自我が強くなります。そして情緒がある音楽を、理解出来なくなります。他方、脳の発達していない、無我の動物や赤ちゃん、子供は、リズムが単純で、調和音で、間や母音を強調した、脳が休む、情緒がある音楽を好みます。だから海で、雅楽やモーツアルトを演奏すると、魚が集まって来ます。胎教や音楽療法に応用されてます。昔の日本人は、生活に、間や情緒を入れて、脳を休ませる工夫をしていました。娯楽も、脳を休ませて、間が多くて、情緒がある、様式化、非現実化、ワンパターン化した、脳が休んで、情緒がある娯楽が好まれました。だから人の音楽の好みは、自我意識に支配されています。脳の自我と情緒は、対立していて、両立しません。脳が思考する時は、脳が情緒を排除するので、心がストレスになります。脳が休むと、人と情緒が交流するので、心が癒されます。だから情緒音楽を理解するためには、脳を休める必要があります。幸い日本には、脳を休める方法がたくさんあります。日本の伝統文化は、脳を休めて、自然の情緒、心の癒しを目的にしています。座禅、雅楽、演歌、民謡、能、文楽、歌舞伎、狂言、落語、日舞、茶道、華道、日本画、浮世絵、水墨画、和歌、俳句、など
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
脳の発展によって、それをフルに稼動させるような音楽を好むようになると言うパターンがあるようですね。もっともこれだけでは疲れてしまうので、例に挙げていただいたような、伝統的東洋的な音楽、情緒を大事にした音楽もまた、バランスをとるうえで必要になると思います。

お礼日時:2009/10/30 08:18

音楽は、脳を刺激して、自己表現、自己主張を強調する、論理思考音楽と、脳を休めて、心を癒す、情緒思考音楽に、分類できます。

脳を刺激する音楽は、ジャズやロックの様に、リズム、不協和音、雑音を強調して、脳を刺激します。フォークなどは、長い歌詞、難しい言葉で、脳を刺激します。しかし情緒はありません。これを脳を刺激して、頭で感動して、頭で理解する、論理思考音楽といいます。これに対して、脳を休めて、情緒で心を癒す音楽は、リズム、アクセント、不協和音、が弱く、歌詞が短く、しかし母音を過剰に伸ばし、間が多いので、この時、脳が休み、脳波がアルファ波になるので、情緒で心が癒されます。これを情緒に感動して癒され、心で理解する情緒思考音楽といいます。情緒音楽は、日本の伝統音楽やモーツアルトがあります。音楽の心理的な影響についてですが、脳を刺激する音楽が好きな人は、刺激が薬物の様な快感になっていますが、これには、情緒が無いので、心の癒しでは無く、頭の癒しです。そして脳を休める音楽を、退屈に感じて、理解出来ません。これに対して脳を休める音楽は、情緒が溢れて心を癒します。情緒は、人を癒し、人を育で、社会を調和に導きます。だから音楽療法や胎教に応用されてます。問題は、現代の日本は、外国の論理思考文化になってしまい、脳を刺激する音楽が主流になって、情緒音楽を難しい、退屈だといって、理解出来ないので、敬遠されてる事です。情緒音楽、伝統音楽は、人を癒し、社会を調和に導きます。日本人は、伝統音楽を体験して、情緒に目覚める事が、日本を救い、世界を救い、新しい心の時代の手本になれます。雅楽、能、文楽、歌舞伎、義太夫節、浪曲、演歌、民謡、長唄、端唄、など
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
頭で理解する音楽と、情緒で理解する音楽。その傾向はありますね。
もともとの性質なのか、どうも「情緒」と言うものにかける傾向が私にはあります。そこで、頭をエキサイトさせる方向に共感したのか?という気もします。日本独自あるいは東洋独自の音楽はいいですよね。なにか日本人の感性から失われた「情緒」を取り戻すのにはもってこいだともいます。

お礼日時:2009/10/29 09:54

音楽の構築の仕方によって、理解できる段階というものが存在すると思います。


よく似た議論が学問への興味の傾向にもあります。

たとえば理科に対する興味ですが、

最も興味を持ちやすいのは、身近でかつ動きのある動物を扱う学問、
次に、同じ生物でも動きのない植物、
次に、目に見えない微生物、
最後に鉱物などの無生物

と興味というものは推移するそうです。
動物一辺倒の人は植物なんてあまり興味ないし、そこに転がっている石がどうやって出来たかなんてどうでもいいことでしょう。

同様にその考え方を音楽に当てはめた場合、

まずは幼稚園等で習うような、メロディーだけで成立可能な童謡や民謡、
次にテレビやラジオで耳に入りやすい、コード+メロディーから成るポップス、
次にそれよりも限定的な形式であるロックや演歌、
最後に、コード進行だけでなく対旋律や各音の動き方の細部に至るまで芸術の域にまで高めたクラシックやジャズ

ということになるんでしょうね。

そこから言えることは、音楽の知識がある程度蓄積されないと、次の段階のジャンルには行きにくいということでしょう。また、次の段階に行った場合、前の段階のものは興味を失うか興味を持ち続けるかは人によって違うということです。

ジャンルだけでなく和音に関しても同じでしょう。まずは初歩的な
I → V7 → I (童謡)
のような初歩的な進行の曲が最も理解しやすくて興味を持ち、次に V7以外のいろんな7thや9th等々、複雑な和音(ポップスやロック)に興味が出てきて、最後にはその各音の繋ぎ方にまで完璧(クラシック)でないと満足がいかなくなってくるわけです。

結論
・童謡のような音楽しか理解できない幼稚園児にクラシックやジャズを聞かせても全然面白くないし、分厚い和声や複雑なリズムなんてさっぱり分からない。大人も同様で、途中段階で理解を止めている人は、上の段階の曲は面白くない(退屈)。
逆に上の段階に行った人は、下の段階の音楽が物足りなくなって興味を失う場合がある。

・上の段階の音楽が理解できる人は、下の段階の音楽も当然理解できる。ただし好きかどうかは好みの問題。

・上の段階に行かない人は、行こうとして興味がわかずやめた人と、まだ行こうともしていない人がいる。


ということは、たとえば
クラシックが好きだがロックは嫌いという人は、趣味の問題としてロックが嫌い。
ロックが好きでクラシックが嫌いという人は、趣味が合わない人と食わず嫌いの人がいる。

という可能性が高いのでしょう。


「趣味の問題」という言い回しを何度か使いましたが、これは生物学・進化学において生物には当然あるものです。生物というのは、あらゆる環境変化に適応できるよう、あらゆる面でばらつきというものが必ずあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
とても示唆に富んでいるご解説で、大変勉強になります。

「理解」というのが問題の核心のようですね。
より、感覚的なものばかりでなく、頭脳のイマジネーションの協調作業へと変わって行くから。と言うことはあると思います。
動物の関心の例はとてもわかりやすいし納得します。

ただそれを音楽に当てはめる場合。果たして、複雑で巧妙な音形を擁しているジャズクラシックその他の音楽が、「頭脳」の介在を必要とするのかです。私の場合ですが、小学校低学年(特別に音楽教育は受けていません)くらいから、複雑なポピュラー、クラシックジャズなどを、特別な美しさあるいは高揚性を持った音楽、抗いがたい美しさを持った音楽として認識しました。そして、世に名曲と言われているものが、かなり退屈で完成度の低いものに思われたのです。その感受性は何だったのだろうかと。

もちろん、おっしゃるような、音楽の構成的段階はあって、最後にいわゆる凝った音楽の段階があります。そこでの趣向性を発揮しているのは、かなり音楽に入れ込んでいる人と言う傾向があります。つまりそれなりに敷居は高い。が、それは本当に段階的発展の結果なのだろうか?なかには、最初から単純で平易な音楽を嫌悪する完成と言うのも、世の中にそうまばらではないのではないか?と言う疑念があります。特にコード進行なんて顕著です。I→V7→Iに、最初から嫌悪する感性があるかもしれない。最初からVIm7→II♭7→IIIm6に最も感性を一致する場合があるかもしれない。つまり、「段階」と言うのが存在するのかどうもわからない(自身の体験からしても)のです。

しかし、世の傾向として、童謡しか理解できない人はジャスクラシックに共感を示さないと言う例がありますからね。曲の高度さによる理解度と言うのも考えざるを得ないところです。

生物の多様さと言う面で、発展段階や感性の違いがあるのは宿命ですね。

お礼日時:2009/10/29 09:52

まったく同感です。


私も同じ疑問を持っていました。
本当に不思議だなと思っていました。

私はジャズが好きです。
ご承知の通り、ジャズは非常にタイプが多い音楽です。
そのジャズの中でも好き嫌いがあります。

でも、好みの問題で片付けるよりも、
もっと深い何かがあるのでは、と思っていました。


私が勉強した中から、
できるだけ分かりやすいように書きます。
完全さに欠けてはいますが、
メカニズム的には充分かと思います。


私たちは
音楽以外にも沢山の音に囲まれています。

風はそれ自体は音ではありませんが、
風、すなわち空気の移動が、木々を揺れ動かして音を出します。
しかしその音も耳に届くまでは音では無くて、
空気の振動に過ぎません。

空気の振動が鼓膜を震わせて、
その鼓膜の振動が電気に変わります。
発電と同じ原理です。
エネルギーの形態変換ですね。

実は電気信号も振動なのだそうです。
振動ということでは、風も木々も音楽も同じです。

振動(電気)が脳内の特定の細胞を共振させた結果、
音として認識するのだそうです。

音楽も音ですが、
風よりも複雑な振動なので、
共振する脳細胞も多岐にわたり、
情感や記憶、イメージを司る細胞も共鳴させるそうです。
それらの多くは右脳にあって、
更に脳の一番深いところにある本能の細胞も活動させます。

「悲しい音楽」を聴くと悲しくなりますけど、
それは逆で、
音には感情が無いけれども、
悲しい感情の細胞が反応するので、
「悲しくい音楽」として認識します。

音叉をご存じと思いますが、
2個用意して、
一方を鳴らすと、もう片方が共鳴します。

音楽を聞くと、
その周波数に共鳴する特定の脳細胞が共鳴します。
この時に人によって、共鳴する細胞が異なるので、
同じ音楽を聴いても、人によって反応が異なります。

人はそれぞれに、
生まれ育った環境にある音、音楽、情景、
出来事などを潜在意識に記憶しています。
一人ひとりが異なる記憶を蓄えています。

どの細胞が共鳴するかによって、
「音楽の好き嫌い」という結果になります。

潜在意識は私たちが意図しなくても、
音楽に対して自動的に反応します。


このような原理を積極的に活用した音楽もあります。
瞑想音楽は心霊中枢の細胞を共鳴させます。
サブミナルCDには、人の耳に聞こえない高周波が録音されています。
その高周波帯に「楽しい、楽しい、~」と録音すれば、
聞いた人は楽しくなってきます。

ちょっと変わったところでは、
映画のフイルムの一コマだけに「コーラ」の映像を入れておきます。
この「コーラ」は人の目では認識できませんが、潜在意識が反応します。
その映画を見た人はコーラが飲みたくてどうしようも無くなるそうです。
これは実際にあった話で、映画館のコーラがバカ売れしたそうです。
悪用されれば大変なことになるので、
この手法は世界的に禁止されています。


文学も、音楽と基本的には同じです。
文字は目の一番奥(後頭部)で電気に変えられて、
脳はその文字が何であるかを決めようとします。
文字には感情が無いので、左脳の言語中枢が語彙を判断し、
次に語彙に係わる感情や記憶を呼び起こします。
更に感情や記憶から言語中枢に信号が渡り、
語彙が発展します。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
潜在意識がかかわってくるのは同意です。
でも、潜在意識って言うのは本当につかみどころがなくて、扱いにくい。つぶさに検証できないので、どうしても納得ししづらいものです。

私の場合、子供時代から複雑な響きが好きで、そういうものをはじめて聞いたときの感動はとてもすさまじいものです。なんという美しさ、なんというダイナミズム。とても抗えるものではない。

その感動を生む原動力はなんだったのか?複雑さを希求する潜在意識だったのだろうか?その複雑さの希求とは、日常性からの脱出願望だったのだろうか?果たして子供の自分にそんな崇高な意識があったのだろうか?そう考えると、どうも納得しがたいものがありまして。

回答者さんのおっしゃる潜在意識的なものが常にキーになっていると言うのは、問題の根底にあると思いますよ。それがどういうねじれ方で現実にかかわってるのかなんじゃないでしょうかね。

お礼日時:2009/10/29 09:40

私は学生時代はハードロックやヘヴィーメタルを聞いていました


それからジャズやフィヨルド、UK、スカパン、R&Bと聞いていましたが、最近テレビで神尾真由子のヴァイオリンを聞いて感動したりします

音楽を言葉に代えるとわかりやすいと思います
せつなさ、はかなさ、情熱、欲情、安定、変化

学生時代は毎日もっと面白いことないかなぁと変化を求め、激しい音楽を好み、家庭を持つと安定を望み、緩やかな音楽にほっとさせられたりします

激しい音楽は誰が聴いても激しい音楽ですが、安定を求める人には不快に聞こえ、変化を求める者には心地よく、興味をそそられるのだと思います
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
たしかに、人間性の基部にかかわってくるのでしょうね。私はもともと安定が嫌いだったのかもしれません。

お礼日時:2009/10/29 09:35

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