プロが教えるわが家の防犯対策術!

たとえば、新しいことを始めて自分を成長させようとか、
好きなことをしようとするときに、人身事故などがあった日は気持ちが落ち込んで、自分が幸せになることが悪いような気持ちになります。
そして紙に記録を残そうとしたり、新しいものを買うと、それを見るたびに、その記録を書いた日に亡くなった人を思い出して、「この人が亡くなったことを知っていて、自分は好きなことをしてたんだな」と思ってしまいます。亡くなった人を深く傷つけた気持ちになり、それがずっと消えないのです。

自分が直接相手に悪いことをしたわけではないけれど、人が亡くなったというニュースを聞いただけで、その日は喪中の人のように行動を制限して我慢してしまいます。そうしないと、罪悪感が生まれるからです。

しかしこれでは生活が思うようにいかないし、進歩も成長もありません。
人を傷つけるつもりで好きなことをしている訳では決してなく、
我慢するのも何かおかしいと自分でもどこかで思いますが、事故や自殺で亡くなった情報を読むと、その日は頭から離れなくなります。
だから読まない、見ないようにしているのですが、どうしても目に入ってしまうこともあるのです。
特に、自殺未遂や悪意で人を亡くした経験はありません。
理屈でみればおかしいのですが、気持ちはなくならず、さっぱり理由もわかりません。ただ、関係しているかわかりませんが、依存に関するトラウマはあります。
何か解決のヒントとなることを書いていただければ幸いです。

A 回答 (4件)

こんにちは。

お気持ちよく分かります。なぜ世の中に悲しみのニュースや映画やドラマでも人が亡くなったりする場面があったり、バイオレンスな作品があるのか?私が感じていることは、人は悲しみによって繋がりを深く感じるからです。これは、あなた個人的な過去の体験やトラウマなど個人的な意識にもよりますが、多くの日本人にとって、もっと言えば地球に暮らしている人類にとって共通の感情であるため、集合的な意識によっても私達は悲しみを無意識的にも意識的にも日々求めて繋がりを感じようとしてしまう傾向があります。
これを「自己憐憫」と呼びます。つまり、外部の事を個人的に捉えて自分が哀れに感じてしまう気持ちです。テレビを見て、「かわいそうだ」と感じるということは、あなたの中にかわいそうに感じてしまう源泉があるということになります。

解決のヒントとして、世の中を個人的に捉える事をストップすることです。ある出来事が起こってどのように反応するかは、その人の責任であって、あなたの責任ではありません。もしそれをあなたが責任を負ってしまうと、あなたはあなたの人生ではなく他人の人生を歩むことになります。

あなたはこの地球に生まれてきた以上、あなたにはあなたにしか表現できないことがあるということになります。ということは、他者も他者にしかできない事もあるということになります。大きな視点で見ると、例えば、事故に会われた方も病気になってしまった人も、このような事を書くと傲慢に感じられるかもしれませんが、その人が選択した結果です。私達は出来事をどのように反応するかに対して自由があります。

あなたは過去に対するトラウマがあることを認識されています。これは素晴らしいことです。私もその依存に関するトラウマが自己憐憫と関係があるように感じます。焦ることは無いので、まずはそのトラウマとゆっくりと対峙してリリースしていくことをおすすめしたいと思います。それと、あなたの体が恐怖を感じているように私は感じます。体をゆったりとリラックスさせてあげることも解決のヒントになります。意識的に呼吸を使うエクササイズ、例えばヨガや太極拳、ピラティスやストレッチ、水泳などを定期的に行うこともおすすめしたいと思います。

以上ですが、何かの参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

丁寧で思いやりのある回答をありがとうございます。
的確な部分が多く、大変、ヒントになりました。気持ちも昨日よりいくらかすっきりしました。これから自分なりに取り組むうちにまた新しい想いも出てくると思います。

>人は悲しみによって繋がりを深く感じるからです
たしかに愛情は千差万別で、感じ方はそれぞれですが、悲しみは共通に
感じやすいような気がしました。

個人的に、バイオレンスな作品は、作る側や観る側のかくされた悲しみ
や怒りを昇華しているのかな、と思っていました。
繋がりと言われてはっとしました、たしかにそういわれればそうですね。

依存は「一緒に不幸になること」で、相手をかわいそうだと思い、
自分も「相手と近い状態になることが思いやり」という価値観が染み付いているようでした。
出来事を、自分のトラウマと、無意識に結び付けていることがわかりました。ありがとうございます。トラウマに流されず、一度切り離して
とらえるようにします。その方がきっと、自分と相手の両方の人生を尊重していることになるかもしれません。
関係ないとか、相手を思いやらないのではなく、おっしゃるように大きな視点で、もっと冷静にとらえられたらいいなと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2009/09/15 14:05

>何か解決のヒントとなることを書いていただければ幸いです。



というお言葉に甘えるがごとく、以下は素人たる私の全くの思い付きです。
そんなバカなことは無いと、一笑に付していただいても全然構いませんし、
せいぜい「そんなこともあるかも知れないな」位に軽く受け止めて下さい。
あまり深刻に思い込まないようにしていただきたいな、と思うのです。
ひょっとすると解決のヒントのようなことになり、少しでもお力になれるかも知れない、
という程度のものです。

依存的性格ができあがる原因で、比較的多いと云われているカタチは、
親御さんなどが、自分の気分で子供を受け入れたり受け入れなかったりすることによるものだ、と。
良いことをしたからこそ褒められたとか、悪いことをしたからこそ叱られたとか、
云わばそんな「正当な必然性」無くして、親の気分次第で褒められたり叱られたりする。
否褒められる・叱られるに留まらず、受け入れられたり、受け入れられなかったりする。
これは時に、決定的に深刻なことです。子供にとっては時に、死ぬか生きるかです。
すると子供は、「自分の運命は自分では決められない。自分より大きな力を持った人がそれを決めるんだ」
と思い込んでしまうのだ、と…。

勿論人生、何もかも自分の力だけで自由にできるものではありません。
しかし基本は自分です。ところがその基本が「自分」でなく、回りにいる「力の強い人」になってしまう
傾向を強くするのが、依存的性格であろう、と。

それで、「死」というものは、これは「自分ではどうにもならないもの」です。

よってまず、貴方様はご自身の依存的性格のトラウマについて、これを苦しいと感じている心がある。
その根源は「自分の力ではどうにもならない」ということです。

なので「死」という、同じ「自分ではどうにもならないもの」を前にすると、
依存の根源にある苦しみと同期して、心が痛むのではないか、と。

だとしたら貴方様はやはり、ご自分の人生はご自分のものなんだ、という認識を深めていかねばなりません。
「自分の人生は自分のもの」というのは、一面怖いものです。何故なら自分で責任を持たなくてはいけないから。
しかし、自分で責任を持つからこそ、自分に所有権のある「自分の人生」なのだと思うのです。
所有権があるということは、実は人間にとって概して、恐怖よりも喜びの方が大きいものです。
その喜びを感じる小さな経験を積み重ねていくことも、一つの解決への道だと思うのです。
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この回答へのお礼

あまり深刻にならないためのご配慮がわかります、ありがとうございます。
>自分ではどうにもならないものを前にすると、
依存の根源にある苦しみと同期して、心が痛むのではないか、と。

まさにそうです。今思えば、亡くなった人にかかわらず、自分でどうにもできないことはほとんどすべてやりきれない同じ思いになります。
>依存の根源にある苦しみと同期して、心が痛むのではないか
根源が同じ、これですね。

最後の5行のお言葉はすばらしいです。ありがとうございます。
自分の人生に対する責任は、たしかに怖い面もありますが、それ以上に充実します。
そして、のしかかってくる依存も、「どうにもならないのではないか」とどこかで思っていたと思います。しかし、自分の人生です。
解決していこうと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/15 14:36

身内が亡くなったのなら、そういうことがあります。


実際に私は身内を亡くし、自分だけが生きているという罪悪感があります。
質問者様の場合、第三者に対しての感情ですから、感情移入しすぎるのではないでしょうか。
まずは、記録として紙に残すことを止めたらいかがでしょう。
記録は、それを見たら思い出し辛くなるもの、です。
辛くなるものをわざわざ残す必要はないと思います。

>人が亡くなったというニュースを聞いただけで、その日は喪中の人のように行動を制限して我慢してしまいます。そうしないと、罪悪感が生まれるからです。

お気持ちはお察しします。
前述したように、私も常にそういう気持ちと闘い、葛藤していますから。
私は亡くなった身内に対して罪悪感があるとき、逆に考えるようにしています。
そのように考えても、亡くなった人は決して喜ばない。
だから、自分は自分なりに精一杯生きるんだ、と。
それが、生きたくても生きられなかった人、亡くなった人への供養になるのではないでしょうか。
死んだ人を生き返らせることは不可能ですから、せめて供養してあげようと思います。
そうは言っても、私自身、そう簡単に気持ちを切り替えることができません。
少しでも参考になればよいのですが、お役に立てなかったらすみません。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
>感情移入しすぎるのではないでしょうか。
そうですね、罪悪感というのは、相手を思いやっているというより、あくまで自分の問題なんですね。
>実際に私は身内を亡くし、自分だけが生きているという罪悪感があります。
でも亡くなった方は、回答者さんが生きているだけでも嬉しいときっと
思ってらっしゃるのではないかと思います。私も何度となく命を落としそうになったことがあり、そういう時にはきっとそう思だろうと感じました。
>記録として紙に残すことを止めたらいかがでしょう。
事情で、記録を書かざるを得ないときがあるので、個人的な思いだけで
止めることに、躊躇していました。でも、無理することはないですね。

亡くなった人は、生きている人はもっと幸せになってほしいと思っている、というご意見に賛成です。私も、理屈ではそう自分に言い聞かせて
きました。私は、トラウマというめがねを通して見ていたため、強い反応になってしまい、恐れや行動にまで現れました。
トラウマに流されず、亡くなった人と一緒に喜べるような生活にしたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2009/09/15 14:28

 愛されることに一生懸命で,愛することを忘れていませんか?


最近,身内や仲間が亡くなって,自分がもっと何かしてあげられたのではないかといった後悔のような不安を感じていたし,この場では伝えられない辛い気持ちや憤りのようなものもまだ確かに残っています。ただ,これを思い出すことこそ罪悪のような気もして,考えないようにしています。
 どこかでいい人になろうとしている自分に気づいたからです。行動しなければ所詮偽善に過ぎないし,自分は神様ではない。だから人に迷惑をかけないようにしっかり生きる。できれば少しだけ人の力になりたい。それが精一杯です。どうにもならないことはどうしようもない。
 こんな言葉であなたの問題が解決するはずがありませんよね。もし病的とご心配ならば,すぐ具体的な治療を考えてみてはいかがでしょう。素人の助言はむしろ危険だとも聞きます。心療内科でも処方は一様ではないようです。薬だけでカウンセリングを避ける病院は避けるのが良さそうです。
 日常生活に支障がないのでしたら,小説にしてみるのはどうでしょう。「葛藤」は多くの問題小説のテーマです。妄想であってもそれを誰にでも共感できる形で描写する表現力があれば,自己分析にもなり,社会的病理解析にも通じるはずです。最近の本だったか?映画だったか?亡くなった人の人生を追跡するようなテーマがあったと記憶しています。調べようと思っているうちに忘れてしまっていました。
 誰もが数え切れないほどの悩みを抱えています。一つでも解決すればいいですね。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
>身内や仲間が亡くなって,自分がもっと何かしてあげられたのではないかといった後悔のような不安を感じていた

それはあったと思います。私自身は、愛されることの方が気持ちが落ち着くのですが、身近な人がなくなると、後悔の気持ちは少なからず出てきます。
>どこかでいい人になろうとしている自分に気づいたからです。
これもあります。
>できれば少しだけ人の力になりたい。それが精一杯です。
でも、助けられる側からすると、その気持ちだけでも十分嬉しいのではないかと思います。もし私が亡くなった場合、自分の生活に支障をきたして、全く関係ない人が悲しむのは嫌です。しかし、そう理屈でわかっていても、この症状は消えませんでした。今は、明るい道ができています。表現することも大切ですね。言葉にできると、自然と手放されていくことはあります。
>こんな言葉であなたの問題が解決するはずがありませんよね。
回答者さんが、ここにこう書いてくれただけでも、私は感謝しています。解決しようという力になります。ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/15 14:13

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