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今論文を書いていて、文系と理系が分離・かみ合っていないことによっておこっている害を探しています。

文系官僚の科学に対する無知から起こってしまった薬害エイズ、クローン技術に対する法整備の遅れなど、大きな問題は結構あがります。

しかし、身近な例がなかなか思い浮かびません><

文系の人は理系の知識が無くて困ったこと、理系の人は文系の知識が無くて困ったことありませんか?

よろしくお願いします!

A 回答 (6件)

事業仕分けを担当した某大臣の「なぜ科学技術は世界一でなくてはならないのか? 2位ではなぜいけないのか?」という発言が、文理の行き違いを端的に示しています。



1位か2位か、勝ったか負けたか、というような発想が、極めて理系的です。

人文社会系では、そんな発想は出て来ません。
シェークスピアと紫式部、どっちが偉い?なんて競走してみても、意味が無いでしょう。

一般に、国や社会の発展の初期、つまりまだ途上国のうちは、国策で理系が優先されます。
工業化や技術革新により、まず国を経済的、物質的に豊かにすることが求められるからです。
先進諸国に「追いつき、追い越せ」ということになりますので、2位よりは1位を、と焦ります。

でも、「衣食足って礼節を知る」とは、よく言ったものです。

ひとたび成熟した先進国になると、既に物質的には十分豊かですから、こんどは社会制度や文化など、文系の発展へと軸足が移ります。
研究や教育の面でも、理系一辺倒から、徐々に文系の重要性をも認識するようになります。

現代の日本は、まさにこの転換点にあります。

これまでの日本の研究教育予算は、圧倒的に理系優位。
「世界一」でないとダメ、というのは、実はこうした旧来の保守的な発想。

今後は、人文社会系の発展が相対的に重要になるでしょう。
日本人の多くが、事業仕分け大臣と同じように「別に2位だっていいじゃないか」と落ち着いて思える「大人」になった時、日本という国もまた、成熟した大人の先進国の仲間入りが出来ようというものです。
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 思考というもので表現します。


(文系思考)
事件や問題が起きる→事件や問題の情報を集める→事件や問題の原因を見つける→事件や問題を改善する。
 つまり、事後処理型です。

(理系思考)
問題提示→基礎実験→応用実験→製品化への試作→実用化
 つまり、研究者自体が独自の問いの切り口を見つけ出し、その物質や器具の製造をする。つまり、開発していくノウハウを考える。そのため、先行研究は実験の難しさしか論文に書かれていないこともあり、独自に応用して研究する。
 つまり、開発型です。

 そのため、文系では事後処理に頭が言ってしまいます。そのため、失敗というのをいちいち考えます。取引先の関係が悪くなり製品が売れなくなったら困る。だから、人間関係を気にしながら生きる。
 逆に、理系は技術開発です。そのため、失敗しても今後に生かして改良していけばいい。何回でも繰り返して、製品化する。そういうので、技術者同士の人間関係や開発チームとの関係のみです。
 つまり、外部の人と話す方が多いか、内部の人同士で話すかです。営業は外・事務は内といいますが、理系とは全然違います。開発職は、基礎研究から応用研究まで段階的にし、同じことの繰り返しではありません。違う研究を毎回するわけです。3年から5年間、それ以上の年月で実験をし製品化します。
 つまり、文系は同じことの繰り返しで違う訳です。
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 文理の溝に関する問題を考えます。


環境問題
 環境は文理融合が不可欠な分野といわれます。理系では地球科学や生態学や動物行動学や進化生物学や生物分類学や植生学や昆虫学や環境化学や分析化学という理学的な見方があります。また、工学では自動車工学や電気機械工学という自動車やエアコンやパソコンや冷蔵庫などの省エネ技術。建築学で環境と建築で屋上緑化や太陽光パネルや自然換気を取り入れや日照時間と光の確保や床下暖房など住環境を考える。そのような、環境技術面の問題になる。
 つまり、理工学で言えば環境計測やライフラインという電気・ガス・水道の問題で、特に電機は火力発電から原子力発電や自然エネルギー(風力発電・水力発電・太陽光発電・地熱発電)などに転換している。そのため、技術面では十分な対策があると思われる。
 環境は公害対策技術から始まった。そして、自然環境の保護や保全では里山再生や棚田の再生など多くの事がされている。また、荒廃した里山環境の再生は各地で起きている。森林には天然林と人工林に分かれる。人工林とはスギ林やヒノキ林など林業的な使い方、それと過去の里山がある。里山とは薪や肥料や木の実の収穫などに使われた。しかし、戦後に竹林にされ竹の子を収穫したり竹細工などが行われたが、その後放棄され森林が荒廃した。その環境を再生する事は大切なのである。
 以上、理系的な環境である。
 文系から見た環境は何か。環境法・環境経済論・環境政策・国際協力・市民運動論である。環境法は公害対策法から環境基本法になった。環境法体制は環境基本法・循環型社会形成推進基本法・廃棄物処理法・家電リサイクル法・自動車リサイクル法・建設リサイクル法等の各種リサイクル法・水質汚濁防止法・悪臭防止法・騒音防止法・大気汚染防止法・地下水汚染防止法・土壌汚染防止法・種の保存法・外来生物法など多くある。環境の法的規制は罰則があるが、法律の改正が難しく時代背景に合わないことも起こり得る。そのため、政令や省令を改正して解釈を変えても難しい可能性がある。つまり、環境法の特性は罰則が設けられ規制できる点だ。しかし、一度決まると定義や対象を変更するのは容易ではない。
 環境経済論とは経済的手法である。デポジット制にしたり環境税を設ける。つまり、デポジットは詰め替えで現在ではリターナブル瓶などである。環境税は環境負荷が大きい製品に税金を掛ける。
 しかし、環境経済はそんなものではない。リサイクルで再生紙やペットボトルからカバンにするなどある。しかし、それも順番がある。再利用・再生利用・熱回収の順番がある。再利用は詰め替え。再生利用はいったん分解し作り直す・熱回収は最終処分場で燃やしてその熱を回収する。つまり、私たちのいうリサイクルは再生利用の事である。だから、まずは断る事から始めて、次にペットボトルの詰め替えがいい。
 リサイクルは良いことか。だって、リサイクルは元の材料を使わずに今ある廃棄物から生み出すために環境にいい。それと、リサイクルは資源の埋蔵しているものを掘らないで済み将来の子孫が困らないようにできる。そんな、甘い考えは捨てた方がいい。まず原材料の鉱石や重金属は発展途上国から採掘され輸入される。そのため、日本が買わなくても他の国が買えば途上国の鉱山は掘り起こされ資源の埋蔵量が減る。また、鉱石の採掘で足尾鉱山中毒事件のように鉱石の毒で死亡したり生涯を持つ人が増える。しかし、日本だけでそれを阻止できない。そのため、ある意味偽善があるのがリサイクルだ。
 さらに、リサイクルはエネルギーが元から作るより倍かかる。環境に悪いといわれる原材料からそのまま製造するとエネルギーは削減できる。リサイクルし廃品から原材料に戻すにはエネルギーが掛り、そこから製造するから倍のエネルギーが掛る。そのため、リサイクルは環境に悪い。
 尚、誤解のないように補足したい。現在の環境配慮の見方は京都議定書の二酸化炭素削減が基本である。そのため、二酸化炭素を減らす、日本は90年比で6%削減です。EUは8%。そんな時代で、環境は二酸化炭素削減に思われてしまいます。
 本当は他の物質も言えるのですが(笑)。
 環境政策はもう全部言ってしまいましたので省きます。
 国際協力について。日本は京都議定書の京都メカニズムで海外の森林再生や自然発電の推進などの技術移転をしています。
 その他、非営利団体が海外協力支援をしています。ツバルやアフリカなどの支援。そして震災国への医師や看護師の派遣をする医師団などです。
 私は医師団の活動は震災救援で必要だと思います。しかし、他の団体は世界にしか目がなく、日本の環境には関心がありません。日本にも環境問題が起きていますし。それが偽善です。
 市民団体論では、市民が立ち上がるのが重要と説きます。しかし、専門的知識がないのに、嘘を説く人も大勢います。しかも、嘘をいう市民運動家は一部ですが、悪質なものがあります。それ以外に的外れも。
 私は日本の環境問題は起きていないと確信する市民運動家の話を言います。
http://www.tuvalu-overview.tv/
 その団体は、ツバルがオーストラリアやアメリカなどの先進国による地球温暖化で海抜が上昇し塩害や沈没がいわれていますが、それは全くの事実です。しかし、その平和ボケの日本人はツバルが可哀想で支援します。そこにトリックがあります。日本は本当に環境問題がないという姿勢です。例えば、日本の外来種の問題で駆除と在来種の保護、里山の再生など多くの課題が未だに日本にあります。
 その目的や目標はNPOの設立の趣旨で問題ないとしましょう。しかし、ツバルの塩害や沈没を止めるにはどうすればいいか考えて下さい。マングローブを植えたら沈没しないし塩害も起きない。といえますね。
 でも、マングローブって、どういう効果があるの。マングローブは河口から海までに生えており、その特徴は海水の塩を取り除き根から茎そして葉に送ることはできる。そのため、マングローブは特殊な環境でも生活でき、沖縄でもマングローブ林があるのだ。マングローブは水温が高い方を好み15度以上が望ましく、寒さに耐性がない。そのため東南アジアに多く生息する。しかしながら、エビの養殖でマングローブ林は伐採された。マングローブ林の生態系はマングローブの落葉が栄養になりカニなどが住んでいる。
 という事は、海水をマングローブに飲んでもらえばいいわけだ。簡単に言えば海水をマングローブが真水にして吸収する。そうしたら、海水が減る。それも甘い考えなのである。地球温暖化は水の量が増えるのが問題ではない。地球の温度が高くなると水の量が増えるなんて、そんなの考えるのは小学生だけ。実際は、地球の温度が上昇し、そこで海水が沸騰して水位が上がる。つまり、コンロで、水入れたヤカンに熱を加えるのとおなじ。だから、水を減らすのは根本的な解決ではない。地球温暖化の原因の二酸化炭素の削減、メタンの廃止、オゾン層の再生が必要だ。
 つまり、文系と理系の見方は違う。
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論文とは卒業論文のことでしょうか?


NO2の方の指摘にもありましたが、薬害問題の主張を見る限り、まだまだ社会経験が少ない方なのかなと思います。

一般的に大学文系卒の人間は、多かれ少なかれ困っている人が多いと思いますよ。 
例えば、商社だって鉄鋼や資材部門に配属された文系人間は、先ず最初に大学時代に習わなかった鉄鋼の概略知識を勉強します。

大手メーカーに入社した文系人間も人事や経理部門に配属される人間なんてほんのわずかです。
営業や製品管理や営業商品企画に配属されたら、自社製品の勉強せざるをえません。さらに必要でしたら成型やプレスや金型などの生産技術の知識も必要になります。さらに電子や回路の知識も必要になってきます(あくまで広く浅くですが)。芋づるしきにどんどん学ぶ知識が必要となります。
当然、取引先は○○電気の営業マンが文系か理系の人間かなんて考えてくれませんから。

製薬・化学会社等に配属された文系人間も同様です。私大卒の人なんか
高校時に選択もしなかった化学を勉強することとなります。

文系の皆さん、就職してから、もっと勉強しておけばよかったと思っている人は多いと思いますよ。
身近のところでは、ヤマダ電機やヨドバシカメラの店頭の人間も、マニュアルの語り口しかせず、技術面ではまったくの素人軍団です。

理系の人でもしかり。専門知識外のことは勉強です。
会社を代表する社長や専務常務になれば、商工会議所などの会合で金利引き上げや為替差損の話や労働基準法の問題などがでてきます。
私は専門は電子回路だから、為替や労働基準法はわかりませんでは会社代表として恥をかくだけです。
皆さん、入社後も専門外も含めて、勉強勉強の毎日です。


という身近な話では、あなたのお役にたてそうにないので、
日本が世界と戦えるグローバル的戦略の問題として、文理の合体がうまくできていない現状です。 技術を開発するのは理系ですが、それを各国に売り込んでいくのは文系の仕事です。
そこには莫大な資金を必要となりますのでメガバンク等の融資も当てにしなければいけません。

技術屋さんは、良い構想があっても、それを実現するための資金面は素人ですし将来工程の組み立てがへたですし、事務屋さんは技術の知識がないので科学者の言いなりになる傾向があります。もっともっとスムーズに事業を運べないかなと思っています。

環境ビジネス(空気や水の供給)についても、日本は技術力があるのに、アメリカ大手資本にそのビジネスをさらわれてしまいそうですし、
電気自動車の開発や売り込みもインドなんかに負けてしまう気がします。

こういった文理の融合をはかり、グローバル競争に勝っていくことこそが急務だと思います。
この問題こそが現在の文理のかみあわせがうまくいっていない典型的な例だと思いますがいかがでしょうか。
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厚生労働省には、技官や医官もいますよ。


それに、薬害エイズで責任を問われた人物には、官僚の他に審議会に参加していた大学医学部の教授もいましたよね。
文系の官僚ばかりが政策決定に関与しているわけではありません。

文系・理系分離問題ということでいえば、高校のカリキュラムと大学の学部で学ぶ事柄の関連性をチェックする作業から始めるべきです。経済学は本当に高校の文科系のカリキュラムで対応できない分野もあるし、心理学なんて理系でも良いのに文学部にありますよね。数学についても、文系の場合は統計を用いるべき分野が多いのに、高校では統計の勉強がおろそかですよね。

一般論を言えば、具体的な事例が「文系と理系が分離・かみ合っていない」という結論だけが先に出てしまうのは、論文を書く際の態度として如何なものかと思います。論文とは実証的に書くべきものです。ある程度の経験や事例から、仮説をたてて実証するというパターンもありですが、当然仮説が必ずしも正しいとは限りませんよね。
それに一言で「噛みあってない」と言わず、どの程度噛みあっていて、噛み合っていないのかについても客観的に評価する必要があります。
また、精密な分析をするには、より関心を明確化して、論点を拡散させないことも大切です。もし、そういうことが自分出来ないのなら、論文を書くのを断念するのが正義だと思います。
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文系は専門知識がないからわずかしら専門家になれません。

法学部を出てもほとんど司法試験を受けません。それに対して理系はどこかくわしく専門性を持っています。ただしほかの分野の専門は詳しくありません。だから理系同士もかみ合わないと言ってよいでしょう。でも薬害エイズ、クローン技術に対する法整備の遅れなどは文系と理系の分離・かみあいとは関係ないと思います。
身近な例はたくさんあると思いますが?
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