プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんばんは。 相談お願いします。

私は、大学一年生で、今、弓道部に入っています。

しかし、高校時代に選手争いに疲れ、入部する気はありませんでした。

大学で仲良くなった友人の勧めで仮入部に行き、部活の雰囲気(体育会ですが、所謂、市営の道場みたいな感じです。初心者もいます。)が良く、もう一回、大会の選手を目指さなくとも、趣味で弓道を続けようと思いました。また、そう思い、今まで続けてきました。

ですが、自分とおんなじ高校からやっている経験者の多くは選手を目指そうと頑張っています。

そんな同輩や先輩方を見ると、自分が甘えているようにしか見えず、中途半端に見えてしまいます。

また、そんな中途半端な自分が部活にいて良いのか悩んでしまいます。

自分を高める為に努力をするのは分かります。でも、どうしても、他人を抜くための努力と感じてしまいます。言い換えて終えば、他人をのしあがっていくための努力と感じます。

でも、社会に出れば、他人と比べられ、必然と競争しなくちゃいけません。それこそ、他人を蹴り落としてまで…

正直、今の状況がツラいです。

自分自身がよくわかるはずなのに本当の自分の気持ちが何処にいるのか、解らずにいます。


支離滅裂ですが、お願いします。

A 回答 (6件)

私は弓道については何も知らないのですが、剣道なども含めて日本の武道というのは勝つことが目的ではなく、その武道を通じて自らの人間性を高めることが目標ではありませんでしたっけ。

以前なにかでテレビで見たことがありますが、確か的に当てればいいなんてものじゃなかったですよね。

自らの人間性を高めるためにやることであれば、それは初心者がいるようなところだろうとなんだろうと自らの心がけ次第で向上することができるでしょう。それこそ社会に出て他人との競争を強いられるのであれば、そのような競争の場であっても自分を見失わないための修業として弓道はまさにうってつけであると思いますがどうでしょうか。勝負でありながら、勝負の垣根を越えた自分自身への鍛錬、それこそが「道(どう)」ではありませんか。
勝ち負けにこだわって弓道やっている奴に何かいわれたらこういいかえしてやればいいんです、「ただ的に当てて勝ち負けだけやりたいならアーチェリーでもやってろ。俺は弓を通じて自らの道を探すのだ。それが弓道だ」

五輪書でも読みなさい。どの道でも究めた達人の言葉には学ぶべきことがたくさんありますよ。
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この回答へのお礼

ご指摘ありがとうございます。 やはり自分の弱さですね

お礼日時:2009/08/24 23:05

部として活動するのなら


部の方針に従えないのなら辞めるしかないでしょう。
弓道として続けたいなら趣味として続けることは誰にも迷惑はかけません。
社会に出れば誰かと比べられるのはありますが
それよりも自分の色をいい方向に出すことのほうが重要だと思います。
○○さんは仕事は早いけど時々抜けてる。
それに比べ
△△さんは仕事は遅いけどいい仕事する。
どちらも人の色です。
他の人にない素晴らしい色を出すことができればそれでよいのではありませんか?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

高校は二年生の秋から選手に選ばれました。それまでは、控えもさえ選ばれませんでした。 自分で言うのも難なんですが、所謂、遅咲きでした。

やはり、人には各々のスピードがあります。 一気に才能を開花させたり、自分みたいな人間がいたり…

お礼日時:2009/08/24 22:43

弓道でもなんでもそうですが、日本では何らかの試合(勝敗のあるゲーム)があるとそれに勝つ事が最優先という考えがほとんどです。

そのためにつらく苦しい練習をするのも良いでしょう。しかし、趣味は好きな事を楽しくすることがはじめにあるはずです。勝利も楽しいですがそれは楽しさの一つにすぎません。勝敗など関係なく、その行為そのものが楽しいという考えがでてきてもいいでしょう。ロールプレイングゲームなどはまさに楽しむ事目的で勝敗は結果です。
幸い、弓はチーム競技ではありません。わたしがチーム競技が嫌いなのは勝利至上主義にほとんどなってしまうからです。
つねに、マイペースでたんたんとすすめる方が独立意識も高まり、結果として他者とは違う観点で評価されると思います。
人は人、自分は自分。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分は他人を気にしすぎなのでしょうか?

高校の顧問の先生には、他人の為に弓を引いていると言われました。

お礼日時:2009/08/24 22:46

色々なスタンスで、弓道をする人が居ていいのではないでしょうか。



みんなより甘えていて、練習をさぼるとか、迷惑を掛けることがあるなら話は別ですが、そうでないなら、そのままでいいと思います。

選手になりたくてがんばるのもすばらしい。

自分を磨くためにするのも、これまたすばらしい。

他人を抜くか、抜かないかは、人が決めることですよね。先生とか、監督とか、、、よくわかりませんが。

そこまでは、個の個に対する戦いではないのですか?

回りがどう生きているか、それに合わせる必要がありますか?

社会に出ても同じこと。

他人を蹴落とそうとして、営業なり、仕事をがんばるのではなく、がんばったら、結果がそうなることもあった・・・ではないでしょうか。

いま、あなたが思っていることが、自分を磨くことです。弓道やってて、弓道の技ではなく、それを続けるための悩みや、回りとの悩み・・・そういうもの、ひとつずつがあっても、自分がブレルことなく、弓道ができたら素敵ですね。

ひとつの事を続けるってことは、修行かな。

自分って、わかるようで、わからないものですよ。

他人のことはよくわかっても、わが振りが見えないって、よくありがちです。

自分の、一番に感じた想いを大事にすることです。

弓道しよう・・・、そう決めた自分の、そのときの思いを思い出しましょう。
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この回答へのお礼

自分自身で独断するのが苦手なんです。 どうしても他人の意向を聞いてしまいます。

そのせいなんでしょうか? 他人ばっかり考えてしまうんです。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2009/08/24 22:49

>自分を高める為に努力をするのは分かります。


と、おっしゃっていますが具体的にはどのような事をさすのでしょうか?

文面からですと、自分を高める=他人を抜く→ご自身の成長=他人より弓道の腕前が上達する事と、捉えられているように感じます。
それに対する努力と比べるならば甘いと感じてしまうでしょうし、中途半端に見えるでしょう。

まず、あなた自身を受け入れて、弓道を行うにあたってどうしたいのですか。
楽しむこと?上達すること?それ以外の何かですか?
自身を受け入れて、どうしたいか決まれば、おのずと次の行動もわかるでしょう。

後これは、別の問題ですが、
>社会に出れば、他人と比べられ、必然と競争しなくちゃいけません。
当たり前です。人間の根本的な性質です。
>それこそ、他人を蹴り落としてまで…
それは、あなたの人間性の問題です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分を高める為に努力が必要。←これは何もしないで得るものなんてない意味です。

やはり、自分は自分なんですね

お礼日時:2009/08/24 23:00

「争い」という考え方は違うんじゃないかなぁと思いました。


争いって何かを奪い合う事だと思います。だけどアスリートは
今の自分をこえるために努力をしているだけであって、相手から何かを奪うために努力をするわけじゃないと思うんです。
大学受験だって就職活動だってライバルを蹴落として合格(内定)を手に入れたのではなく、自分自身の力を大学や会社に認めてもらう作業。落ちた人は、合格したあなたが蹴落としたんじゃなくて、大学(会社)に力を認めてもらえなかっただけです。蹴落とすってのは、あえて相手に不利な状況をもちかける事ですよね。
きっと今も他の選手は自分の力を日々磨いているわけで、それを見ていて、羨ましいなと思えたなら、あなたも自分の力を日々磨きつづければいい。そこから他の選手の力が自分より優れていれば羨ましく思うし、自分の力の方が優れていれば他から羨ましく思われる。
お互いもっと自分の力を磨こうとする。それは争いではないです。趣味でするにしても選手を目指しても、他人を気にするような邪気をふっとばして的だけをみつめられれば、あなたの居場所がそこにあるんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

自分自身がちゃんとすれば苦しむ事もなかったんですよね…

お礼日時:2009/08/24 23:03

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