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多くの人は学校を出て、一定の年齢になると社会で働きます。人はなぜ働くのでしょうか。食べるため、という人もいるでしょう。夢の実現、生き甲斐のために働くという人もいるでしょう。しかし、自分のやりたい仕事がなくて、なおかつ金銭的に豊かであれば人は働かなくていいのでしょうか。働くことの意味はどこにあるのでしょう?

A 回答 (6件)

<個人レベル>


 ・生活費を賄うため
 ・仕事自体が面白かったり、仕事を通じて社会貢献するため
<社会レベル>
 ・自分の住む(制度的に自分を守ってくれる)市町村・県・国というシステムを維持するため

個人レベルだけみれば、働くかどうかは個人の勝手です。
社会レベルでみれば、つつがなく生活できるための領地・国土があってこその個人の自由であり安全であり暮らしですから、それを維持するために税金を払ったり、労働の一部を担って社会の仕組みの維持に貢献するのは義務といえるのではないでしょうか。
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人それぞれです。



本当に遊んで暮らせるだけの財産があり、やりたいことが無いなら働かずに遊んで暮らすのも良いと思います。
ただ、これが親が稼いでくれるからレベルじゃ、親が死んだ後に困ることになるので働かないといけなくなりますね。
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やりたい事もなく、財産があって経済的に問題がなければ働かなくてもいいと思います。


法律では勤労の義務が課されていますが、税収を得るために決めてあるに過ぎません。
然しながら、実際に働かないで居ると嫉妬・妬み・嫉みから様々な陰口を叩かれるでしょう。
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働いて代金をいただくには、人の役に立てなくてはいけないな、と思います。

(お金を得るためだけであれば、役に立たなくてもいいでしょうが)
労働は個人が売ることのできる資源だと昔習いました。
自分の売っているものが人の目に止まり、買ってもらえる、
その行為によって得られる満足感が、労働にはあるのではないでしょうか。
私は労働の理由を、金銭的な理由より、人に関わること、を上位の動機として考えています。誰の役にも立たない人生、考えにくいです。
人の役に立っていれば生きることができるのではないでしょうか。金銭的にも精神的にも。
また、人は常に「飽きる」ということを繰り返していく生き物ではないですか?夏休みが長すぎると飽きるように。「働かない」こと自体の満足度が高いとは思いません。
「働くこと」自体に意味を持たせるのはナンセンスかと。
「働く」「働かない」「子どもを育てている」「子どもを育てていない」
「勉強する」「勉強しない」「やる気がある」「やる気がない」「走る」「歩く」「寝る」「起きる」そうした行動の起伏で人生は綴られているように思えます。状況は人それぞれ。
もし質問者様のいうように、一生働かなくていい、と思える人というのは、生まれてから今まで「労働」という言葉を聞いたことのない人ではないでしょうか。
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普通は主に生活費を稼ぐためですが、働くことにはそれ以上の意味があると思います。

働くというより、生きるという方がいいのかも知れません。その時代の社会状況によって選ぶ、また選べる職業も違うわけですが、いつの時代もお金持ちは無理に働く必要はないですね。でもあなたの言われていることは、お金があるなしの問題ではないようです。そのような疑問を持たれてしまったあなたの場合、生きる喜びになる仕事を探してみられる必要があると思います。それから必ずしも金銭目的であるものが仕事ではないと私は思います。幸せなら、空腹も我慢できるでしょう?ホームレスになっても不幸せとは限りません。非現実的だと非難されそうですが。
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義務だからですけど。

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