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カルマの法則についてです。

質問1
例えば、無償の愛を与える行動を5回すると
それが返ってくるわけですが
これって、だれがカウントしてるのですか?

質問2
また、無償の愛を5回与えて、5回返ってくるまでのプロセスは
どういう仕組みなのでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

 回数を1回2回と数えるのは現世が個に分かれた性質を持っているための考え方であり、霊界ではそういう尺度はありません。

どれだけ込めたかにより、心の揺さぶりを与えた分だけ返ってくることになります。それはバイブレーションの種類と振れの大きさにおいて、等しいという事なんじゃないかと思います。
 カウントも何も自分の深層心理に深く刻まれていることなので、誰もカウントする必要はありません。また、自分の勝手な思いだけでなく、霊界では相手の心まで全て包含したカルマがちゃんと認識されます。自分とつながった霊界では、霊性進化に関わることは人生の細部に渡って記憶されています。
 いつ何時カルマの返済をするかは、霊界の守護霊達との話し合いの結果、ふさわしいタイミングや相手を計画します。計画するのは存命中は睡眠中で、生まれる前は霊界で決めてくる事になります。
 これは本人や高級霊が話し合って決める判断ですが、そのように駆り立てる善のエネルギーが上から降り注いで来ます。これを神とか大霊とか天照大神とかキリストとか大御霊達とか呼んでいます。
 なので、これは神の法則に則った霊界の作用で起こるわけですが、この法則をカルマの法則といいます。

 江原先生は自らの守護霊である昌清霊と通信することにより、自らの教説を霊界から聞き出しています。ところで、霊界の霊といえども、その深いところでは進歩段階によって意見に食い違いがあるのです。例えば霊界の高級霊でも再生説を否定する霊もいましたが、シルバーバーチという霊は肯定しました。再生説を否定するのは境涯が深いところまで至っていないからだと言います。
 ですが、大筋でどの霊も共通したことを述べているので、その部分がスピリチュアリズムとして確立しているという事だと思います。
 江原先生が霊界を感識出来るのはおかしいという話がありますが、ルドルフ・シュタイナーを読むと、霊界を感識する程度の事がおかしいなどと言えなくなります。現世に居ながらにして境域の守護霊に会ったばかりか、とてつもない原因にまで探りが届いたのだから。

 お勧めは、江原先生の著書では
『人は何故生まれ如何に生きるのか』『スピリチュアルメッセージ(昌清霊言)』
対比としては、欧米の霊では
『霊の書』(カーディック)『霊訓』(モーゼス)『シルバーバーチの霊訓』
昌清霊と同じ日本の霊でお勧めなのは
『小桜姫物語』
ですね。

 やはり、日本人としては小桜姫の感覚にとても親近感が湧きますし、昌清霊は現代日本向けの霊言を述べるので有難いです。
 欧米の霊はキリスト教的感覚で大霊のエネルギーを解釈しているので、私には違和感が少しあります。霊の組織のクセとでも言いましょうか。でも噛み砕いてみれば良いと思います。何冊か読めば、もうこのくらいの疑問は湧いてこないと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました m(_ _)m

私が知りたかった内容でしたし、とても興味深く
わかりやすい文章でした。

本まで紹介していただき、ヒントも頂けましたので
わからない事があれば、検索できる状態にあります。

とてもご丁寧にしていただき、ありがとうございました m(_ _)m

お礼日時:2009/08/16 23:05

無償の愛とは、「見返りを求めない」愛です。

故にカウントはしません。これが質問1の答え。

質問2は、「見返りを求めない」愛は、愛の放出量が多いため、更に愛深き霊人(ひと)となります。つまり、霊格が高くなります。
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9番です。


マメ知識です。
童謡「お化けなんてないさ」↓
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND51738/index. …
連呼するフレーズがそのまんまお化けなんてないさの繰り返しです。
要するに幽霊は信じないのがコツ。
「冷蔵庫に入れてかちかちにしちゃお」なんてフレーズも出ますが、これは存在であると仮に規定して検証のとっかかりを作り「無」であると確定しようとすることです。昔はたぶん冷蔵庫じゃなくて棺桶だったでしょうね。
なにせ霊体は「無」ですから本来は意識上に上らないで無意識に行われる脳の機能としてこのように「無」に返す浄化が行われます。子供のころから生得的に身に付き、まっとうな大人はそのことを無意識的に知っているからこのように対処法が童謡にまでなります。霊魂は信じないと明言できる一見無神論者のような大人が健康な現代人です。
霊を信じるというはNO9で書いたとおり、霊体と魂の取引をしたために霊体を浄化する脳機能が失調をきたした病人です。
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タイプと言うか種別では特異な部類に入りますが私はいわゆる霊感があります。


霊体に過敏に反応していた一時期はそりゃー大変でした。

高次元の霊体ののたまう「無償の愛を5回与えて、5回返ってくるまでのプロセス」の内訳は「人間様は5回くらい拝み倒せば、俺様の願いも一つくらい聞いたくれるもんだ」といった幽霊の打ち明け話です。

私は霊を信じないから霊感をもって徐霊できるんです。
たとえば高次元の霊体(高位に行くほどその傾向が強いのですが)に対面して、やんわりと「無を知りなさい」とでも言ってみたとしましょう。日本人にとってこの物言いは、「無を悟り成仏しなさい」といった意味にふつうに理解できますが、霊体にとっては「虚無の奈落に落ちなさい」と解釈されるんです。そんななんで問答無用に入滅を促すんです。
霊体と言うのは要するに存在が不確定で規定されていない状態なんです。解りやすくおとぎ話にすると地上にも天国にとどまれない状態です。
干渉または憑依という形で存在(生命)を脅かします。
無償の愛と言う甘い言葉でまづ餌を投げ、それに食らいつけばおまえの魂は俺のものだという取引を持ちかけます。
この営業の上手なトップセールスマンが高次元の霊体です。
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あれはただのテレビ番組ですよ、視聴率を稼ぐために局が見つけて育てた江原啓之と言う芸人を使って作り上げた数ある中の一番組みに過ぎません。


宗教だの哲学だのと言う高尚なモノでは決してありません。
純粋に楽しめばいいのです。

>これって、だれがカウントしてるのですか?
>無償の愛を5回与えて、5回返ってくるまでのプロセスは
どういう仕組みなのでしょうか?

単なるエンタメ番組にそのような疑問は似合いますか?
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No.5の訂正。



>フランシスコ・ザビエルという宣教師の、「自己犠牲による布教活動」に感動して、今までの活動をしてきたんだよね。

フランシスコ・ザビエルじゃなくて、アッシジのフランチェスコ だったみたいだね。でも、「自己犠牲による布教活動をした人の生き方に感動した」のは、間違いないと思います。。。

質問1
例えば、無償の愛を与える行動を5回すると
それが返ってくるわけですが
これって、だれがカウントしてるのですか?

 返って来ません。だれもカウントしていません。しているとすれば、自分でしょう。

質問2
また、無償の愛を5回与えて、5回返ってくるまでのプロセスは
どういう仕組みなのでしょうか?

 5回与えて、1回返ってくるのではなくて、そのまま「5回」ですか、効率がよろしいようで。
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 んー そうですね、



 例えば質問者が「1足す1は5になりますが、これはどのように数えたらそうなるんですか」と質問したら、

 「いや、質問自体がおかしいよ」と答えますよね、質問が成り立っていないのではないかという回答です。

 ここは書きたいことを書くサイトではありますが、宗教の信者も、霊能者の信者も、無智を振りまいて社会を混乱に貶めるなら、削除されるべきですね。運営スタッフに通告しました。悪しからず。
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この回答へのお礼

ありがとうございました m(_ _)m 争う気はありません。
自粛して頂ければ幸いです m(_ _)m

お礼日時:2009/08/17 17:03

>無償の愛を与える行動を5回するとそれが返ってくるわけですが



 そもそも、「返ってくる」のを考慮に入れた行為振る舞いが、「無償の愛」であるはずがないと思うんだけど...

 例えば、「これをあげるから、それをください」と言って、買い物するのは、無償の愛 ですか?

>無償の愛を5回与えて、5回返ってくるまでのプロセスは
どういう仕組みなのでしょうか?

 もし、3回で返ってきても、「ああ、今回は早かったなあ」と思うし、10回目に偶然良いことが起こったら、「今回は10回も与えなければ返ってこなかった」と思うんでしょう、信者は。

 あるいは、念力で「引き寄せた」つもりになっているだけかも。

 大体、江原サンは、ネットで少し言葉のやり取りをしたことはあるけど、なんか冷たい感じだったよ。

 そもそも、イエスとか釈迦の生き様、教えに共感して、今まで行ってきたような活動をするようになったのではなくて、フランシスコ・ザビエルという宣教師の、「自己犠牲による布教活動」に感動して、今までの活動をしてきたんだよね。

 要は、自己犠牲の精神に酔いしれて、情緒面のみで影響を受けただけであって、イエスの行為振る舞いの意味とか、そういったことは全くわかっていないと思われます。

 もし、彼の能力が本物だったとしても、それが聖によるものか、邪によるものか、怪しいものです。

 それに、愛に、無償の愛 とかそういう種類があるとは知りませんでした。

 「無償の」 と言っている時点で、なんかちがうなあ と思うんですが。

 「返ってくる」のを期待すれば、それはすでに無償の愛 とはいえないだろう。

 しかし、ギブアンドテイクを期待する姿勢を持っているからこそ、循環を繰り返す陰陽の輪の中で、回る存在としての繰り返しがある のだと思えば、それもまた、自由か。

 でも、次の段階に行けるのであれば、行ったほうが良いと思う、中学生も、意思とやる気さえあれば高校に行けるしね。
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この回答へのお礼

 

お礼日時:2009/08/17 01:56

カルマについては日本語では『業』とされます。


解釈のしかたは仏教では人間が本来持っているもの。
現世で自分が犯した罪。
前世で犯した罪が現世で本人に影響している。 きっと江原さんが言ってるのは両方であろうと思います。
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無償の愛を5回与えれば自分に返って来るって、それは無償の愛なのでしょうか? 見返りを期待する心に本当の愛はありますか?



江原さんをお信じになられて貴方自身が良い方向に向かわれるのは,とても良い事だとは思いますが盲目的に彼の言うこと信じ込むのは考え物です。

仏教等の本を読まれたりすると少し違う角度から江原さんの言ってる事が見えて来るかもしれません。

この回答への補足

ありがとうございます m(_ _)m

無償の愛については、問題にしていません。
タイトルにあるように、仕組みが知りたいだけです。

すみませんが、質問内容をご確認の上、ご存じであれば
回答して頂ければうれしいです。

補足日時:2009/08/16 09:40
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