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宮崎駿作品はナウシカであったりもののけ姫など、ほぼすべてにおいてアニミズムによって成り立っていますよね。

そこで質問です。


宮崎駿作品に現れる多数のアニミズムにはいったいどういった意味合いがあるのでしょうか?


皆さんの意見を聞かせていただきたいです。

A 回答 (9件)

>ポニョは不自然に豚肉とかいうキーワードが出てきましたが



 間違えた、豚肉ではなくて ハム だったっけ

>宮崎駿作品に現れる多数のアニミズムにはいったいどういった意味合いがあるのでしょうか?

 作者の言いたいことがあっても、それが真実であるかどうか とはまた別の問題ですので、どれだけ深く読んで作者の言いたいことを推し測ったとしても、それはもしかしたら単に作者の主張であるに過ぎない、もっと言えば妄想や思い込み であるに過ぎないかもしれないですね
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女性崇拝と老人崇拝から、おばあさん崇拝が出てきますよね。



おばあさんが活躍するアニメというのは、他に例がないのでは。

そして、そのおばあさんが言い伝えを若者に伝えていく。

これが、宮崎アニメの特徴であると思います。

今、おばあさんからの伝承が途絶えているのを、憂えているのかも。

私は、宮崎アニメが、アニミズムとは思っていませんでしたが、
おばあさんとアニミズムに関係がありそうですね。

だって、おばあさんが、最新機器のコンピュータを愛するとは思えませんから。

どうしても、おばあさんは、自然を愛してしまうのでしょう。

でも、なぜ、おばあさんを描くのに、シワを誇張するのでしょう。

技術的なところを見せびらかしたいという気持ちもあると思うのですが。

あのシワを美しく感じる世の中になってほしいという願いもあるのかも。
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 対照的なのは、手塚治虫の作品群ですね、鉄腕アトムとか。



 実際、手塚治虫は宮崎駿を否定していたと聞いています。

 どういった意味合いがあるか。
 単なる印象ですが、自然礼賛、母性礼賛ですかね、彼の風貌を見ても丸くて赤ちゃんみたいで、いかにもって感じですよね。

 命が大切、自然が大切、うーん、そう言っとけば確かに批判されないし間違いはないけど、そればかり主張するのはどうかなあ、最近の唯物的世界観、科学礼賛といったような世界のバランスを取る意味においては確かに良いのかもしれないけど...

 子供のころ図書館で借りて読んだ「火の鳥」は良くも悪くもトラウマですね、ああ、そうかそういう人が見ると安心するのか?

 でもあまりにも 自然礼賛 生命礼賛されても なんか違うなぁと思うんだけどね

 一方で手塚治虫は人間の知性、科学、父性を象徴しているのではないでしょうか

 ポニョは不自然に豚肉とかいうキーワードが出てきましたが、わざとらしいんだよね、確かに言いたいことがあるんだろうけれども、どこまでいっても人間は動物とは違う。それから、二箇所ばかり女性の登場人物が、自分の「不快だという感情を顕にする」と見受けられるシーンが出てくるけど、本能と感情に従う、自然寄りの母性(女性)、それに対して論理と理性、理念に従う父性(男性)の違いのコントラストが描かれてましたね。あの科学者?はシュタイナーに似てると見た瞬間に思ったなあ...
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アミニズムは、自然の心が宇宙の主役だと言う、思想です。

だから脳や人は、自然に従い、合わせるべきで、けっして逆らってはいけないという思想です。仏教の教えで説明すると、この世界は仮の世界で、不調和世界の脳と、調和世界の自然の心が、出会うために作られた世界です。だから人と自然が、対立し、脳の科学が、自然を征服しようとして、自然を破壊したりしています。だけど脳と自然を比較すると、脳は不調和な存在だから、心のストレスの源であり、脳の科学は自然を破壊するし、脳は宇宙の主役では無いので、科学は、限界があり、宇宙を相対的にしか理解出来ません。脳の自我は、対立と争いばかりです。他方自然の心は、調和世界の代表で、情緒は、人の心を癒し、人を育て、人を調和へ導きます。そして宇宙の天地創造の主役なので、宇宙のすべての事を知っています。
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宮崎駿、水木しげる、J・K・ローリング(ハリーポッター)


これらの創作者に共通の概念が魔法使いの世界ですね。
明るい世界も暗い世界もありますが変わった世界ですね。また、魔法使いの世界には賢い魔法使いもいますが、自然霊とよばれる霊もたくさん出てきますね。西洋ではいたずら好きのゴブリン、日本では河童や天狗でしょうか。賢いと魔女、日本では仙人ですか。
すこしくらい世界を水木しげるやJ・K・ローリングが描き、少し明るい世界を宮崎駿が描いていますね。
大枠の分類ではアミニズムの世界で、国によって多少の毛色はことなりますが、その中に魔女やゴブリン、ヌリカベ、河童や天狗、仙人などが暮らしているということでしょう。
そういう人間とは異なる世界の礼賛者の1人が宮崎駿であり、その伝道者なのでしょうね。
つまり、天国や地獄という世界とは違った世界を提示しているということだと思いますね。
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ナウシカは見たことがないのですが、もののけ姫なら見ました。



えっとですね。アシタカが負傷したとき、自然によって癒されたと描かれていますよね。
監督は自然が生命を育むという考えで、一部では正しい。
一方では自然は生命を育むが、片方では滅ぼす。

もののけ姫に登場するタタラ場。
ここには社会で差別された人、排除された人たちが、生きていた。
どういうことをやって生きながらえていたのかというと、自然から砂鉄を取り出し、精製して、農耕具や武器に変えて、自分達を排除した社会と物々交換をしていた。

タタラというのは恐らくターラのことだと思います。
緑のターラ

http://hwbb.gyao.ne.jp/akione-pg/Japanese/1_J.html

ターラへの祈祷文を読めばアニミズム信仰だとわかると思います。
排除された人々すら養うターラ。


でもその公害が実際問題になったのですが、、、、、


で、中世は日本ってものが一つの勢力によって統一されていたわけじゃなく、あちこち勢力があったわけです。

蝦夷というのは、大和朝廷を奉ろわない(服従しない)人々の総称。
アシタカもその末裔という設定。

イノシシとか蜘蛛が出てきますが、これは大和朝廷からみた異民族というか別集団のことだと思います。

言語が違うので、ギリシャ人が異民族の話す言葉を聞いて、動物の吼え声のように聞こえたので、バルバロイと呼んだように、洞穴を住居としている集団を土クモとして迫害したり、イノシシと呼んだりしていた。


で、結局 服従はしないが、ビジネス相手として自分達を排除した人々と交易をした集団がタタラ場の人々。
その中に排除された人々を匿い養うエボシってリーダーがいるわけです。
自然界から搾取しているわけで、搾取するほどに自然が破壊されるわけです。
製鉄所から汚水が川に流れ生命をはぐぐむ水が穢れ、生命が生きていけない状況になっているが、傲慢になり自然の浄化には限界があるのに、それを省みず、自分が神になりかわろうとした。

そんなことして自分の生命を育む自然に牙をむくと、結局自分にそれが還ってくることになる ってのがもののけ姫の物語が言わんとすることだと思います。

従って自然や生命を養うために、ある程度提供はしてくれるが、必要以上に搾取すると、しっぺがえしがくるぞって監督は言っているのではないかと。

例えば森林は山に降った雨を川に流さず、地面に吸収させる役割を持つ。
一旦山に吸収されて、水圧で浄化された清い水となり川に流れてくる。
ところが森林を伐採すると、山は水を保有できず、川は枯れる。
山に降った大雨はせき止める森林が無いことから、土砂になり家を押し倒し、川は氾濫する。

だから自然を破壊しすぎると、結局 我々が生きていけなくなるわけで、自然の恵みをちょっと頂戴させて自然に生かされていると謙虚な心でいなければ、人間はいつか自殺行為により絶滅するって予言みたいなもんじゃないかと。

で、地球のほとんどの水は海にあるわけで、海水を真水に変える技術ができたことから、自然をまた軽視するようになったわけです。
一方で砂漠化する土地にグリーンベルト運動が起こり、砂漠化を止めようとする人々もいる。
自然の力を知っているわけです。


ドッグビルって映画の続編でマンダレイってのがあった。
森林を伐採して、それで薪を作ればいいと伐採したところ、畑が砂だらけになった。
砂が畑に入るのを木が防いでいたわけです。
それを知っていた前に主は、奴隷達に伐採の命令を出さなかったわけです。
伐採して被害にあって初めて自然の力、何故そこに木があるのか、その存在理由を知ったわけです。

ということで、失わないと結局はわからないってこともあるわけですが、予測することは可能。

ですが、現実地すべりが起きて、家が押しつぶされ死者が出てから、原因は伐採のしすぎだったってわかるのが世の常。

警告を聞きはしないもんです。
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宮崎氏のアニミズムですが、「見たまま・感じたまま」そうであろうと思うところのモノになろうかと思われます。



アニミズムとは、根本的なところで、対象に対して投影される「思い・想い」そのものです。

たとえば、幼い頃に真っ黒になっても抱いている熊の人形に対する「思い・想い」に代表されるようなものです。

自身が大切にしているモノを壊されたり、破棄されたりすることで、(思いやりの心に代表されるところの)自身の「こころ」が傷つくという感覚そのものといって過言ではないと思っています。

川を汚すと、龍神様が怒るとか、悲しむとかいった(素朴な)感覚は、自身の心(ないし自分自身)を汚される川に投影することで得られるものです。

「素朴にに受け入れられる」という感覚を重視するならば、年齢層によって、「アニミズム」なのか「お化け」なのかは変化するでしょう。

宮崎作品の多くに含まれているアニミズム的要素は、上記のような素朴な感覚に近いですが、「千と千尋の神隠し」にて最初に出てくる多くのお化けの類は、幼子にとっては、恐怖の対象でしかなく、映画館では、多くの方々が泣き叫ぶ我が子を抱きかかえて、やむなく退出しておられました。
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ほぼ全て、と言うのは無理があるかと。

監督作品10作品のうち半分はアニミズムと無縁のもののように思われます。
と細かいことを言うのはおいといて、残り半分のアニミズム的思想が含まれていると思しき作品群について。
ただポニョについては未見で何とも言えませんので除外します(ポニョはクトゥルーのダゴンだという話もありますが)。

これら作品群におけるアニミズムは日本人がステレオタイプに感じるアニミズムとほぼ同一、もしくはそれらを下敷きにしていると思われます。
(だからこそ日本人の支持も強いのではないかと思われます)
なので日本人のアニミズムについて考えてみます。

アニミズムは自然の恵みに対する敬意、そしてそれと背中合わせに存在する自然の脅威に対する畏怖が思想化したものです。
当然そこにある教えは「人たるものこうあるべし」といった世界宗教にある思想的なものではなく、
「山を荒らすと山の神様が怒って暴れる」といった経験則を抽象化したものです。

人々は追い詰められるからこそ知恵を絞って技術や思想を発展させます。
恵みの少ない乾燥地帯で高度な宗教であるキリスト教などが発祥したのもうなずける話です。
アニミズムに発展性が無いと言えばそれまでですが、逆に言うと
「その思想が存在する地域は思想をさらに発展させる必要もない程度に自然の恵みだけで十分豊かであり、人がことさら有力者に統率されて巨大な共同事業を行ったり大規模に争う必要もない地域である」
とも言えます。

アニミズムは自然の恵みを享受しそれに感謝、また自然の脅威を恐れ敬う思想。
それで良いのではないでしょうか。
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インドでいえば、高等宗教が起こりましたが結局インド人は理解が深まらなかったのとイスラム圏の乱暴な攻撃により坊さんたちは皆殺しにあってしまいました。


ヒンズー教はワンランク下のローカル宗教です。悪いと言うより理解できる人の階梯によって信じるのが親和性のあるところに引っ付く。といったところです。
日本人はとてもアニミズム信仰がすきです。
川がありがたい。。山がありがたい。狐を祭ったり、
悪いわけではありませんが、発展性がありません。

漫画で言うげげげのきたろうです。悪者ではないけど、気持ち悪い。
それが日本人は好きな人がとても多いです。

その上にいくときは、教えがそこになければなりません。
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