プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

30代既婚女性です。
幼馴染の友達との関係で相談があります。
彼女は昔から私に対して否定的なことをよく言ってきました。
昔の私は、自分に自信がなく(いまもあまりないですが、)
否定的なことを言われても当然のように感じていました。
わかりやすく言うと主従関係のような感じでした。
年月を経て、少しは対等になってきたのですが、
昔ほどではないですが、相変わらず彼女は否定的な事をいいます。
そのたびにすごく悔しくなって、いつか見返したい、という思いが
強くなっていき、その思いだけでつながっているような気さえします。
彼女の幸せな話も心の中では面白くない自分がいます。
かといって、不幸な話はかわいそうと思えたり、自分の中に2つの感情が同居しているようです。
不健全な関係だと思うのですが、私と母親の関係に似てて(それ故に楽なのか)なかなか断ち切れません。
この関係を断ち切る勇気を下さい。

A 回答 (5件)

御主人様とまたお子様がいるなら、共に過ごす時間を増やして、その友達が立ち入る隙をなくせば、いいのでは無いでしょうか?

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親が子供を愛することって、それでは具体的にどういうことなのか?


それは甘えを受け入れて褒めてあげることです。認めてあげることです。

親が子供を愛すること→甘えを受け入れること→褒めること→認めること

高いところから飛び降りられるようになる。
「お母さん、見て見て」といって飛び降りる。
「わーすごいねー、○○ちゃんすごいねー」と褒めてあげる。
すると子供は満足する。満足すると自分で自分を卒業できる。
少し後になり、高いところから飛び降りても、あんまり意味ないよなー、と感じることができる。
このように健全な親の愛で守られて、子供は健全な愛を取り入れて段階的に成長していく。

…と、大体そのような主旨のことが、加藤さんの本に書いてありました。

高いところから飛び降りるなんて、大人にとってはつまらないことです。
でも褒めてあげる。子供にとっては大変な喜びです。自分の足腰がここまで強くなった。
ヨチヨチ歩きだったのに今はこんなことができるようになった。自分の力の発見。
だから褒めてあげる。本当はつまらないことなのに褒めて欲しいと思うのは、甘えです。
大人だったら、そんなあたりまえのことができたからっていって、いちいち「見てみて」
と訴えるのは甘えです。でも子供だから。甘えを許す。甘えさせてあげる。
で、言葉を変えれば、これは「認めてあげる」という態度でもありますよね。
子供の心を理解する。子供がすごいと思っていることを、認めてあげる。

そしてついでにこれは、子供の自立でもあります。子供は自立に向かうべく、力をつけた。
自立に向かうべく、これだけ足腰が強くなった。だからそういう意味でもこれは親にとって喜びです。
親は子供と一緒に喜ぶべきです。すると子供は自立すること、親から巣立つことが
良いことなんだと感じる。甘えから脱していくことが、自立に向かうことだというのは
そういうことでもあると。

認められなかった→褒められなかった→甘えさせてもらえなかった→愛されなかった
→愛情飢餓。

それで、こんなことが貴方にあてはまるかどうかというのは、
全く私の勝手な推測のようなものです。
その推測に基づき、人様の親を悪者のように言ってしまっております。
大変失礼致しております、お許し下さい。
自分の親がそうだったもので、ついつい言ってしまいます、申し訳ないです。

ただ、もし幾ばくかでもそういうことがあったとしたら、まずそこをご自覚なされば、
何かが見えてくるかも知れない、と。
そしてそれがお友達との問題にどのように反映するか、ということになっていきます。
今以上に心安らかな日々が増えますことをお祈りいたします。
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そういう感じの友達関係って、世によくありますよ。

どこかで張り合ってるみたいな。
金貸せとか起きない限りは、そんなに深刻に捉える必要はないと思いますよ。
まぁそんなことは、なんとなくご存知ですよね、きっと。でも何かが引っかかる。
お母さんのお話も出てきた… ということであれば、やはりそれは愛情飢餓だと思います。

この連休中は、これに関係していることを散々あちこちで言いたい放題言わせていただきました。
だから手前味噌ですが、私の回答過去ログも、少しは参考になるかも知れません。

愛している。すると愛されたいのです、人間は。基本的には。
これだけ愛したからこれだけ愛されたい。ちゃんと心で計算してます、天秤で計ってます。
幼児の頃はさすがに計算はしていないが、でもやはり愛されたい。そして親を愛している。
幼児にとっては、愛されたいというより愛されるのが当然です。愛さない親の方が悪い。
幼児にとっては、愛しているというより愛さなければ生きていけません。命がかかっている。

親を愛している。そして愛されたい。でも愛されなかった。だから憎いのです。
愛しているから愛されたい。でも愛されないから憎い。愛憎の表裏一体です。

いつまでも何十年も親とくっついている人は、まだ幼児の頃の愛の借金を返して欲しいのです。
幼児の頃の愛情飢餓は、その人に一生ついてきます。
愛されたいということは幼児にとっては甘えたいということでもある。
空腹は満たされれば消えます。甘えも同じです。しかし愛されなかった、甘えられなかった、
すると今でも空腹のままです。これは一生涯消えない。
完璧な人間、完璧な親なんていませんから、誰にでもこの空腹感はある。しかし程度問題です。
空腹感の程度によって、酷い場合は精神障害にまで及ぶ。
未だに愛されたいのです。心の底で。だから憎いと思う親に今でもくっついているのです。

親との関係によってつくられたカタチは、簡単に変わるものではありません。
だから友達にも恋人にもそのカタチでもって臨むしかない。
貴方のお母さんのお母さんにも何かがあったから、だから貴方のお母さんも
貴方を愛情飢餓にしてしまう親になってしまった。
だから最後は親を責めることはできない。親は、私が悪いんじゃない、私の親、
アンタからみればお祖母さんが悪いんだよ、そしたらお祖母さんは、その又お祖母さんに
こんな育て方をされたからだよ、とキリがありません。
様々な事情でそうなったそれぞれの人を、結局は許すしかない。
しかしそうすると、自分で自分を許せるようになる。すると優しくなれる。

漫然としたアドバイスですいません。加藤 諦三氏の本にはそういう話が沢山出てきます。
ご一読をお薦めします。
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この回答へのお礼

掘り下げてアドバイスくださりありがとうございます。
根本は母との関係というのは確かです。
結婚前の私の悩みは母のことでした。
結婚してからはあまり会わなくなった分、忘れてたけど
悩みが友達に移行されただけで、根本は同じですね。
そんな否定的な友達に会わなければいいのに、
会ってしまうのは、私自身がその友達から認められたいということですかね?
母に認められたいと思っていたように…

肯定的な友達と一緒だと逆に肩が凝るんです。
居心地が悪いというか。
まずは心の癖を直したいです。

お礼日時:2009/05/10 15:07

>私と母親の関係に似てて


元々いじられキャラだったのに
>少しは対等になってきた
最近知り合った人からはそう扱われないのでしたら、だいぶあなたが変わってきたのですね。
だとしたら昔を知っている友人を一人ぐらい残しておいてもいいんじゃないでしょうか?
人を恨めしく思う部分への嫌悪の改善は、それはそれで考えたほうがいいような気がします(いい案は出ませんが)
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
今は昔程はいじられキャラではありません。
自分でも昔よりは変わった自覚があるのですが、
その分、今まで馬鹿にされ続けたことが悔しいのです。
このエネルギーを違う方向に向けたいのですが…

お礼日時:2009/05/10 14:52

『この関係を断ち切る』というのは、主従関係を断ち切り、改善したいということですよね。


彼女との縁を切りたい、ということではありませんね。

まず、彼女が否定的なことを言った時、あなたがどういう反応をしているかです。
おそらく、思っていることが言えず、ストレスが蓄積していくのだと思います。

ですから、自分の考えをざっくばらんにぶちまけるのがいいと思いますよ。
ただ、言い方に注意しましょう。
けんかになったのでは、お互いにマイナスです。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
彼女が否定的な事を言ったときはあまり言い返せてません。
別れてから言われた事を思い出してもやもやとしてしまいます。
否定的なこと(例えば足が太いよねなど、事実だけどあまり言われたくないことなど)を言われたとき、どうやって返せばいいのでしょうか?
事実なので、そうなんだよねとしかいいようがなく、
あとで悔しい」気持ちになります。

お礼日時:2009/05/10 14:40

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