プロが教えるわが家の防犯対策術!

皆さんが思っている甲子園名勝負を教えてください。詳しく知っている方は解説よろしくお願いします。

A 回答 (15件中1~10件)

#13の池田-中京戦は、1987年の第69回夏の大会でした。

その8年前と4年前の2度にわたって、中京は池田に敗れていましたが、87年の中京は3度目の正直となる勝利を、池田・蔦監督の最も苦手とするバント戦法でものにしたわけですね。

参考URL:http://www.jctv.ne.jp/~ken24/Koshien_stadium/hig …
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#13の訂正です。


(誤)蔦監督の指示のもと、池田・糸永投手からサヨナラスクイズで中京が勝利・・・
(正)蔦監督の指示のもとで力投する池田・糸永投手からサヨナラスクイズで中京が勝利・・・

細かなミスですが、知らない人がそのまま読むと、あたかも「蔦監督が中京高校の監督である」ような誤解を招くような表現だったものですから・・・もちろん、多くの方がご存じのように、蔦監督は池田高校の監督でした。
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#12は反則でした。

高校野球の「甲子園名勝負を」・・

15年以上前だったと思いますが、池田-中京戦です。
延長戦に入ったこの試合、裏の攻撃の中京高校は、無死1塁からバント、フィルダースチョイスで1・2塁となってまたバント、1死2・3塁から、満塁策をとらなかった「攻めダルマ」蔦監督の指示のもと、池田・糸永投手からサヨナラスクイズで中京が勝利・・・

執拗なまでのバント攻め。「攻めダルマ」「やまびこ打線」の蔦監督も、この時ばかりはバントの大切さを思い知ったと思います。

あえて、皆様がご紹介しないような試合をご紹介しました。皆様の記憶に残っているような「甲子園名勝負」については、参考URL上「別表リストにある厳選200試合」の中に、ひとことずつですが紹介されていますので、これを見れば名勝負の記憶がよみがえる人も多いのではないでしょうか?

参考URL:http://www.bbm-japan.com/wb/entry/koukouyakyu/in …
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「甲子園」名勝負ですよね。

「高校野球」に限定していませんよね(ヘリクツですみません)・・・ならば、今なお「プロ野球公式戦最長試合」として記録にも記憶にも残る、阪神-ヤクルト戦ですね。阪神・八木選手が「サヨナラホームラン」を打ったにもかかわらず、のちに阪神の監督となるヤクルト・野村監督の猛抗議で幻となってしまい、延長15回引き分け・・・午後6時に始まった試合が終わったのは午前0時をはるかに回っていた・・・(金曜日[試合開始時点基準]だったのがせめてもの救いだった)
高校野球で、同様の「ラバー部分でワンバウンドしてスタンドイン」現象があったが、それは「認定ホームラン」になった。プロ野球でも、その後ルールが改定されて、同様のケースはホームランになるとのこと。いったいあれは何だったのか?
今でも「ぬかよろこび」という言葉を聞くたびに、あの八木選手の幻のホームランを思い出します。
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私のなかでの最高の試合は、1993年夏の決勝、楠南VS佐賀商業ですね。


剛打で決勝まで勝ち残ってきたチ‐ムの中で、準決勝までヒットがでず1人かやの外だった選手が決勝戦でうっぷんをはらすように大爆発して、一進一退の攻防を繰り広げていたのですが、9回2死から劇的な満塁ホ‐ムランでけりがついた試合です。もう10年くらいたちますが、今でも鮮明に覚えています。
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この試合のビデオは私の宝物です。今でも時々見ますが、相当画質が劣化して来ました。(因みに箕島高校は私の家から2キロほどの所にあります。母校ではありませんが…。)
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98年の鹿児島実業対横浜戦です。


確かに、杉内投手(現ダイエー)のファンと言う事もありますが、当時の高校ナンバーワン右腕の松坂と高校ナンバーワン左腕の杉内投手が激突し、結局、松坂の圧勝で終わっているもののその前の八戸工大一戦でノーヒットノーランを達成した杉内投手と決勝でノーヒットノーランを達成した松阪投手の2人のノーヒッターが激突しているのです。そして、松坂投手は西武へ、杉内投手は、かねてからの希望だったダイエーに三菱重工長崎を経て入団。まさしく、ライバル球団同士に、入団し、杉内投手自身、達成できなかったものの入団した時は、対西武5勝と勿論、チーム事情もありますが、発言してるあたりかなり松坂投手への意識もありますし、去年は某雑誌に2人の関係が4コマ漫画にされれました。

そう言う意味で、ノーヒットノーラン達成者同士の遭遇、その後の2人の進路を考えると、甲子園の名勝負と言えると思います。
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昭和36年夏の倉敷工 対 報徳学園。


0-0で迎えた延長11回表に6点を上げた倉敷工。ところがそのウラ、報徳学園も6点を奪い返し、12回にサヨナラ勝ち。
土壇場の大逆転は高校野球の醍醐味ですな。

参考URL:http://hotoku.ac.jp/Club/BASEBALL/dentou.html
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第80回大会から・・・。


あの年はPL対横浜の一戦が有名ですが、ここはあえて違う試合を。

私が選ぶのは決勝戦の横浜VS京都成章ですね。
当時京都成章の3年だったのでよく覚えています。
名勝負というよりも一方的な試合でしたが、目の前でノーヒットノーランの試合を見るとは思いませんでした。5回くらいからアルプスも異様な雰囲気になりましたからね。誰も口にはしませんでしたが「まさか・・・」という思いはありました。バットにかすりもしないし、相手はきちんと点を取れるところで取るといった具合でした。9回最後のバッターが三振したとき「終わった・・・」て思いました。別に野球部でもなんでもありませんでしたが凄く楽しめました。そもそも決勝に行くこと自体が信じられなかったので。

同じ高校生の球が何故打てないとか思ってましたが、その後の松坂の活躍ぶりを見れば打てなくて当然かなと思ったりもします。たった2年間で1億円プレーヤーですからね。次に決勝戦でノーヒットノーランするピッチャーが現れるまで俺たちの高校が写り続けるんやろなと思う今日この頃です。
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76年。


原辰徳の東海大相模。Vs小山。
小山はエースがケガか何かで出場できず。マウンドにいたのは、「背番号8」の黒田くん。
結局、「センターの強肩」のもとに完封負け。(東海大相模もエラーで点を失った以外は取られていない)
インタビューで黒田くん。「心臓が飛び出しそうでした。原、津末、本当に怖かった。」いいねえ、高校生らしくて。たしか次の試合で負けていた。(前橋の松本くんもやはり次で負けていた。大勝負のあとは疲れるんですね)

リアルは知らないのですが、伝説になっているのは、あの板東英二さんが徳島商業で延長18回再試合。’58年

倉敷工Vs報徳。延長11回表に6点とって、決まった、と思われた直後6点取り返され、12回裏にサヨナラ負け。゜61年。
以後、倉敷工の監督はTVのゲストに呼ばれるたびに
「最後まで何が起こるかわかりません」
PLの「奇跡の逆転」も、これには及ばないか。
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