アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

僕は16歳の男子高校生です。このサイトの別のジャンルでいつも学んでいましたが、今日は、僕自身のことでの相談です。よろしくお願いします。

家族は父母と僕の3人でした。父が先月、3年間の病気の後で他界しました。癌でした。とても悲しいです。父は子供の時からいつも僕をかわいがってくれたし、勉強も教えてくれました。本当に大好きな父でした。
未だ、父が死んだのを信じられません。

母は仕事をしていなかったので、いつも家にて、美しく優しい主婦でした。父とも仲良しでした。
父が発病してから半年くらいから、仕事に就くことになり、ほとんど毎日出かけました。父の話ではこれからも経済的には心配はないので、お金のために母は働く必要はないけれど、気がまぎれるので働いたらよいと言っていました。
母も僕も毎日夜に父の病院に会いに行っていましたが、母は次第に忙しくなって、面会時間中に来れない日が多くなりました。仕方ないと思いました。
でも、ある夜、勉強が終わって寝る前に母にお休みを言いに行こうとしたら、寝室から母の電話している声が聞こえました。聞いたらいけないと思いながら耳に会話が飛び込んできました。相手は父ではなく、知らない男の名前だと分かりました。母の話し声がとても女の人らしい変な声でした。気まずいので、一度部屋に帰り、後でもう一度母の寝室にきたらもう会話が終わっていて、少し上気した顔で母がお休みと言いました。
そんなことが、よくあるようになりました。そうして、母が一段とおしゃれをして出て行き、帰りも遅くなりましたし、父のところには週末にしか行かなくなりましたし、行った時にはなんとなくよそよそしい感じでした。きっと仕事が忙しいと思いました。
でも、僕は母がすっかり変わったと思いましたが、理由は分かりませんでした。
そんな状況の中で、父が亡くなりました。母は余り悲しそうな感じはありませんでした。
父の葬儀の前に親戚が集まりましたが、その時、父のお兄さんが、静かに、母に対して、分かっていると思うが、あなたは葬儀にでる資格はないと厳しい表情で言いました。母は青ざめて出て行き、それきり帰ってきません。僕は親戚の人たちに母を呼び戻して欲しいと頼みましたが、皆で母はもうお前の母でなくなった。お父さんにも、僕にも人間として絶対にしてはいけないことをしたから、と言いました。何のこと分かりませんでしたが、一人のおばさんが、お母さんはあなたたちを捨てて、別の男の人のところへ行ってしまったから、あきらめようね。と言われました。それを聞いて、母のこのところの変化や夜の会話が分かりましたが、急に気持ちが悪くなり、恥ずかしい状態になりました。
悲しい葬儀の後、叔父の家で当分は過ごす事になりましたが、母も居ないし、寂しくてどうしようもありません。それ以上に、母のしたことを思うと、不潔さや父に対するひどい仕打ちにめまいがします。
夜も飛び起きますし、歩いても大声で叫びます。父のためにも、なんとか落ち着こうと思います。
どう言う心を持ったらよいでしょうか。どうか、教えてください。

A 回答 (19件中1~10件)

Dear kentaさん



昨晩書いたメッセージはなんだか簡素化しすぎてしまったので、
少し補足させて下さい。

>医学・医師の道を決めた僕にとっては、個人的な領域の心の葛藤のレベルより、むしろ人
>類、地球に対して何をさせてもらうのかを考えることから進めた方が合っているように思
>います。
私は、個人的な心の葛藤も、人類に対しての役割も、同じレベルで大切だととらえています。
世界で起こっている事象は、頭で考えると複雑な事情が絡まりあい、
いっけん難解に感じることでも、掘り下げて根源を見据えると、
個人的な感情に基づいている、と感じます。
さまざまな立場の、さまざまな人間の感情が、世界を動かしているのです。

だからこそ、個人的な心の葛藤を大切にし、自分自身の心と向き合い、
なにより自分自身を大切にする人こそが、
本当の意味で自分以外の人たちを大切にできる人だと私は感じます。
自己犠牲的な意識があると、本質からそれ、どこか自己満足に陥りがちになり、
気が付かないうちに、相手と対等ではなくなってしまいます。

人を人として理解するのは、国境を越えようが越えまいが、変わりません。
人を理解するのには、自分を通じて理解するほかないと私は思います。
そのために感情が必要です。嬉しいから、とか、悔しいから、とか。
そういうシンプルな感情が発端で、頭で考え構築された世界がある、というか。
目の前の人の心に共感し、その人のことを自分のこととして感じられるかどうか。
NGOや医学に携わる人には、なによりも必要な要素ではないでしょうか。
「つらさ」を本気で理解したことがなかったら、
目の前の相手のつらさに対し、本気で涙することはできません。

>こう言う領域からは、個々人の心象についての直接的なものは得られないかもしれません
>が、狭い考えや、了見、感情から一度、自分を解き放ち、何をしているのか、何の意味が
>感じられるかをつかむのには良いと思います。
賛成です。
そうやって視野を広げることでみえてくるものが多くあります。
私は、そのために、先程おすすめしたような方々の視点を通じて、
日本で生活しているだけでは見えてこない世界で実際に起こっていること、
そこで人々が感じていること、
それらをそのまま感じてみることをおすすめしたい、と考えました。

「今の自分がこうだから」と「今」に焦点を当て現状について考え込むより、
「未来にこういう自分になるために『今』なにをするか」という視点で考えた方が、
よりポジティブで意味のある向かい合い方だと感じます。

「世界の人たちと共にある自分」を将来的に想定されているのなら、
その「未来の自分像」を明確に描くための材料になる気がします。

>>また、相田みつをさんや、茨木のり子さんの詩も好きです。
人の「心」を知るために、自分の「心」を知る。
彼らの詩は、人間の感情を美化するのでもなく、つらいものはつらい、ダメなものはダメ、
美しいものは美しい、豊かなものは豊か、それが当たり前なのだと、
つまりは、自分は自分のままでいいのだと、教えてくれる気がします。
私自身、自分の弱さを受け入れられたとき、世界が広がったように感じます。

豊かな感受性を育んで下さい。

この回答への補足

smartiala様

こんばんは、kentaです。メールを差し上げてから、天気が良いので散歩に出かけました。行き先を考えないで歩き始めましたが、急にポスターで見た阿修羅像を見たくなりましたので、歩いて東博へ行ってきました。平日で空いていたのでゆっくりと阿修羅に対面できました。
そのうちに、何故かいろいろなことが思い出されましたが、阿修羅を見ていたら涙が溢れてきて居る僕と一緒に涙を流してくれているように感じました。でも、ふと気づくと静かに微笑んでいます。これはなんなのでしょうか。何故かその前では素直に自分らしくなれます。阿修羅のことは詳しくは知りませんが、人の心と共に居てくれるような救いがあるように思いました。本当に素敵な阿修羅です。
宗教、宗派を超えたなにか「人らしさ」が感じられます。

こんな気持ちをいつも持てたたらいいなあ、と考えながら帰宅しました。こんな医師ならきっと万人を救うのでしょうね。
そう言う心のあり方に近づきたいです。
興福寺でよく対面しますが、今日はまったく別の阿修羅でした。

教えていただいた相田みつおさんの「生きていてよかった、にんげんだもの、いのちーいちばん大切なもの」と茨木のりこさんの「自分の感性くらい、言葉のさやげ」などをアマゾンで取ってみようと思います。

お忙しいのに、お甘えして拙いことをお書きしてごめんなさい。
でも、また教えていただければ本当にうれしいです。

長い中断で、本当に失礼しましたが、僕のことを未だ覚えていて下さることを祈っています。

kenta

補足日時:2009/04/15 21:11
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この回答へのお礼

sartiala様

こんにちは、昨夜は中途半端なメイルで失礼しました。
ここで教えていただいた「自分に向き合う」、「人ともに感じ、思う」と言うことはきっと大切なことなのだと思いますが、いつの日かそのようになることを目指していきたいと思います。それはきっと日々の生活の中で体得していくものでしょうね。

最近、僕の心をとらえた本があります。S・リンポチェ(チベットからベトナム、パリへ亡命した僧で宗教哲学者)の「チベットの死者の書」、E・カスタネードの「無限の本質」、E・サイ-ドの「世界の多様性」などですが、人は人のために何をしたらよいのかについて深い心の領域で語っていて、共鳴できます。決して押し付け的な思想ではなく、精神性の高い吐露はすごいです。
僕は性格のためか、どうしてもこのような方向にひかれます。
今日は休校だったので、父の主治医に会いました。休診日ということでゆっくり話をしてくれました。僕の医師への道の志をとても喜んでくれました。
その時、彼が言った「難しい手術に父と一緒に心を合わせて挑戦させてもらったことに感謝と誇りを持って、父に感謝、尊敬をしている。ただし、救えなかったのとは医師としての消えない責である」
とい言う言葉を聞いた時、医者は患者と共にあることを強く感じました。この方は世界でも有名な医師であるのは、この姿勢があるからだと思いました。

なんだかまとまりのない書き方になりました。ごめんなさい。
これから、陽光を楽しみに行ってきます。
kenta

お礼日時:2009/04/15 15:14

Dear kentaさん



返信が遅れてしまって、本当にごめんなさい。
ずっと気になっていたのですが、どうしても時間をとることができませんでした。

その後、時間が経ち、また状況は進んでいるのだと推測します。
(もう遅いかもしれませんが)お母様の離籍については、
私は、あなたの気持ち発の答え、そのままでよいと思います。
つまり、「今は自分では答えが分からない。だから、このまま保留にし、
自分の中で納得のいく答えをみつけたときに向き合おうと思う」ということ。
私はただ、焦って答えがみえていないまま決めてしまう、ということだけは、
後悔を残す可能性があるのでしてほしくないと願います。

書籍に関して。

>医学・医師の道を決めた僕にとっては、個人的な領域の心の葛藤のレベルより、むしろ人
>類、地球に対して何をさせてもらうのかを考えることから進めた方が合っているように思
>います。

>こう言う領域からは、個々人の心象についての直接的なものは得られないかもしれません
>が、狭い考えや、了見、感情から一度、自分を解き放ち、何をしているのか、何の意味が
>感じられるかをつかむのには良いと思います。

お父様とは異なる角度かもしれませんが、あなたの求めに対する、私なりの回答です。

私は、思想的な物事に対して答えを求める時に、直接的なテーマで本を読むことがほとんどありません。
私自身の話になりますが、私は、国籍や年齢、宗教を問わず、
多くの人々と向かい合い語り合う中で、さまざまな物事に対する答えをみつけてきました。
そこにはなんらかの共通性があり、理とは普遍的なものであると常々感じています。

読書としては、近年は、純粋な人の心を介して世界を感じることを好んでいます。

大石芳野さん、長倉洋海さん、星野道夫さんなど・・
また、相田みつをさんや、茨木のり子さんの詩も好きです。
頭を一切介さず、人間の本質から発された言葉は、まっすぐ心に入り込んできます。

さて・・
>この3日はとても平和で日本の文化を静かに感じる時間でした。気持も少し和らいだよう
>にも感じますが、夜寝ていて、まだ、恐怖感に襲われて飛び起きることもあります。

フランスの女医さんは、まだ日本にいらっしゃるのでしょうか?
休み期間が終わり、いつもの日常に戻った時、
また心の状態に変化があるかもしれません。

その都度、考えましょう。
ゆっくり、向かい合いましょう。

この回答への補足

smartiala様
先ほどは失礼しました。その後頂いたお言葉を読みながら、ルール違反の理由でお返事やお聞きしたいことがかけなくて悔しい時間でした。その前に、お忙しいのにお時間をお取りいただき、本当に有難うございます。アドバイスを頂いて僕なりに考えました。

その後の状況を申し上げます。
戸籍にはさわらないことにしました。母の方は分かりません。その後は、何も言ってきませんし、僕の方からも連絡しません。でも、あとで申し上げるように、フランスへ行くことは、挨拶として伝えて行くことにしたいと思います。
このように、叔父の養子にはなりませんが、保護者として日本を出るまでお願いすることになりました。叔父夫婦とは時間を見つけては会話をしています。特に、叔母がいろいろなことを話してくれますし、心がとてもやわらかく、透明になりました。
そうして、7月からフランスへ行き、9月からパリで高校に転向することが正式に決まりました。大学は予定通り、医専コースへ進みますが、1,2年ほどは幅広く学び、その後、本格的に医を学びます。楽しみです。
フランスの女医さんは桜の終わりとともに、フランスへ戻りました。いろいろなことを学びました。これから学ぶ医の道はもとより、人生の意味とか愛などについて、話し合えてとてもうれしかったです。
smatiala様と同じ視点、視野で話してくれたのはびっくりでしたし、うれしかたです。

パリでは、当面は彼女の家で生活します。彼女は今年の3月からパリの大学で2年間の予定で仕事に戻ります。ただし、事変になれば、出動することになりますが、その場合には、僕をパリの彼女の妹さんと暮らす手はずを整えてくれました。2人とも医者で叔母の親友です。
僕は叔母さんに聞いていませんが、女医さんと相談して、僕の精神の安定や成長について母代わりとして頼んでいるのではないかと感じます。

7月までの短い期間ですが、日本の文化を出来る限り感じて行きたいと思います。
今回は、短い間に驚くことが沢山起きて、いろいろ感じて、考えて、悩んできましたためでしょうか、少し疲れた感じがします。
今夜は、少し勉強してから、モーツアルトを聴いてやすみます。
交信が再開できて本当にうれしいです。お礼に欄を大事に使って、交信させていただいてよろしいですか。
有難うございました。

補足日時:2009/04/14 21:03
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この回答へのお礼

smartial様

kentaです。遅くなりました、本当にごめんなさい。先日来、僕のルール違反と言うことで、お礼が書けませんでしたが、今、サイトから再開許可が出ました。これから授業なので、今夜帰宅してからお書きします。
お詫びです。

お礼日時:2009/04/14 14:25

Dear kentaさん



おじいさま、おばあさまに関する質問ページも、すべて読みました。
hanako54さんがおっしゃっていたこと、私もその通りだと思います。
あなたがそう判断し、おじいさま、おばあさまと素直なお気持ちで接することができたことを、
心からよかったと思いました。

「お二人に会ってきてよかった、これからもおじいさん達を大事にしなさい」と
おっしゃって下さる叔父さま、叔母さまでよかったとも、心から思いました。

また、さまざまな手続きにおいて、双方の親族が関わられるようなので、それなら安心です。
あなたは、とても気持ちのいいご親族に囲まれていらっしゃるのですね。
それは、あなたが思っている何百倍も、幸運で幸福なことですよ。
それを踏まえて、より本質的に状況がみえましたので、筆を取りました。

文中から、ふと感じるのは・・

あなたは、今回の一件で、「家族」というものが、
根底からみえなくなってしまったのではないでしょうか。

>別れた親の親と付き合うべきか
「別れた親の親」という表現について。戸籍でのつながりや、
どちらの血統かなどの区切りで、「家族」の線を結んだり切ったりする(≒頭)のではありません。
おじいさま、おばあさまとお会いになった今なら、そのおふたりを「祖父母」とみられる(≒心)のではないでしょうか?
「家族」について、「概念(≒頭)」でみるのはやめましょう。

>僕はこれからもおじいさんとおばあさんの孫でいることをお願いしたら、
「お願い」する必要なんてありません。祖父母にとって、孫って、
どうしようもないくらいにかわいくてしかたがない存在なのですから。
とはいえ、あなたはきっと、そのことを、これまで愛されて過ごしてきたから頭では分かっていて、
ただ一方で「家族」がみえなくなってしまったから、心で自信がもてなくて、
無意識に「お願い」してしまったのではないかな、なんて想像しました。
でも大丈夫。そこに、「愛」をみつけられたでしょう?
そんな素敵な材料を、自分の中で「信じる強さ」に変えていって下さい。

養子縁組、お母様の離籍について。(あくまで個人的考えです)

私は、戸籍上は親子という形態を残しておいて、その判断は大人になったあなたが、
あなたの心で決められるのがいいと思います。
ただ、離籍をしないといっても、そこに今から一緒に住むとか、関係修復に努める、という必要はまったくありません。
お母様のされたことが原因な以上、一緒に生活していたら、思い出すたびに傷がえぐられるような感覚に陥ることでしょう。
なぜか。それは、あなたの中に刻まれた心の傷が、うずくからです。
これからのあなたに必要なのは、お母様との問題を考えないでいい世界に身をおいて、
夢のために具体的な目標を立て、そこに向かって全力で突き進むことです。
そうしていくうちに時が経ち、意識せずとも時が自然とあなたを大人にしてくれます。
その頃には、その傷との付き合い方を覚え、それがあるからこそ気づけたこと、
育まれたもの、出逢えた人や物事を得ています。
そうして、ご自身の中で向かい合う準備ができたときに、もしあなたが「したい」と思ったなら、
お母様との今後の戸籍上の関係性について、あらためて考えればいいのです。
その時がくるまで、その結論を「保留」にするために、離籍を今選ばない、というのが私の意見です。
そのために、お母様には有無を言わさず、「籍はとりあえず残しておくが、
保護者としての権限は叔父夫婦に委ねたい」とだけ伝えたらいかがでしょう。

ただ、心で「家族」を求めているあなただからこそ、私は、その後に「自分は夢を見つけ、
これからそこに全力を注ぐので、どうか遠くから見守っていてほしい。」との
一言を付け加えてほしいと願います。
理由は、あなたの未来に、光を注ぎたいからです。
私は、この世界で形容する言葉をみつけられないほど大切な人を、自分で捨てたことがあります。
それは「それほど必要な存在だったから」でした。
自分の世界に、その人をおいておくことがつらすぎたのです。
結果、それをしたことによる後悔は、これもまた、いまだ形容する言葉を見つけられません。
そこから学んだこと。「自分から可能性をすべて放棄することだけはしてはならない」でした。
自分自身で殺した可能性は、後々、自分の首を絞めます。
心がやわらかく戻っても、時は戻らないですから。

ただ、今のあなたの視点で、戸籍についての結論をお母様に委ねられるのであれば、
あなたの幸せのために「離籍」を選ばれる可能性もあると思います。
どのような結論であろうと、お母様は「あなたがどうしたいのか」を基準に考えられるのではないでしょうか。

>家族の幸せがほしいです。それはこれから自分で作る他にはないのでしょうね。
>甘える対象としての家族像はもう無いのでしょうね。なんだか、急に無くなって寂しいで
>す。でも、おじいさんとおばあさんに甘えさせてもらいます。変でしょうか?
あなたに、気付いてほしいことがあります。それは、あなたは非常に幸せな人である、ということです。
私は、自分の夢や目標、人生について、そこまで理解してもらえる人は家族にいません。
どちらかというと私の場合は、否定される側にいます。
昨年、ひとりの叔母が初めて理解し、応援の言葉をくれました。
私は嬉しくてしかたがなかった。そういうものです。
別に私が不幸、というわけではなく、けっこう世間ではそれが普通だったりします。

ご自身が発した「家族の幸せ」の言葉の意味を、もう少し掘り下げて向かい合ってみたらどうでしょう。
「家族」といったのは、温かかった両親と過ごしたあの時間にもう2度と息子として戻ることができない、ということ。
そして、それはもう戻らなくなってしまった。
だったら、「幸せ」は次の家族ができるまでないのでしょうか?そんなことはありません。
あなたに愛を注いで下さる親族一人ひとりは、血のつながった「家族」です。
そして、あなたは普通なら築くことが非常に難しく、
多くの人がもっていない「自分を理解し、愛情を注いでくれる関係」をすでに築いている。
これは、奇跡に近いほど幸福なことですよ。
大切なのは、「気づき」です。その幸運さを自覚した上で、自分の中で、あらたに「家族」を作るのです。
いっぱい甘えて、たくさん語って、愛情溢れる関係を育んで下さい。

そうして時が経ち、あなたの成長を見守って下さった「家族」にあなたが新しく「家族」になると決めた人を紹介する日を迎えて下さい。
お父様はそのすべてを「家族」として見守り続けて下さいますし、
誰より喜んで下さいます。

>聖性の空間をお好きですか。僕は宗教を問わず、好きです。
私も大好きです。人が「祈る」という行為そのものに、宗教や国境など種類の違いはなく、
通ずるものがありますから。
私は、どの国でも、必ず、宗教的空間で、ひとりで長い時間、その場所で過ごします。
そして、出逢った人たちと語ることも大好きです。

この回答への補足

samartiala様
・・・・続きます

医学・医師の道を決めた僕にとっては、個人的な領域の心の葛藤のレベルより、むしろ人類、地球に対して何をさせてもらうのかを考えることから進めた方が合っているように思います。

本が好きなので、本屋さんで家族関係の本を求め、読みましたが、残念ですが、日本の著作の多くが、家族に関する歴史観や哲学の希薄なものが多く、社会学者の感情的と思える狭い視野(上野千鶴子さんのようなジェンダーフリー論の主張など)で書かれていて面白くありませんでした。
むしろ、宗教や哲学の領域からの方が人間の存在の意味とか心の価値や意味を学べています。5百万年の時間の中で、作られてきた人間そのものを46億年の太陽系の宇宙の歴史の中で考えると、余り些細な事象にとらわれすぎないで、宇宙における本質に迫れそうに思います。そこからいかに人間を愛するかをい見つけていきたいと思います。
最近、"科学への旅(The Universe in a Single Atom) Dalai Lama"と"科学を捨て、神秘へと向かう理性 ジョン・ホーガン"の2冊を強い関心をもって読んでいます。ダライ・ラマのほうは邦訳が余り好くないです。
こう言う領域からは、個々人の心象についての直接的なものは得られないかもしれませんが、狭い考えや、了見、感情から一度、自分を解き放ち、何をしているのか、何の意味が感じられるかをつかむのには良いと思います。父とは、こう言うテーマで本を読み、意見を述べ合っていました。でも家族についてはありませんでした。余りにも日常の心の港として私たちを受け入れてくれていましたので。
今の僕には、こう言うことが適していると思います。
そうして、皮膚で甘えられる祖父母や叔父さん達とのストレートな心の交流、時には甘えを通して、心の再構築や広がりを進めていきたいと思います。

方の力を抜いて、無理に思わず、人を疑わない、人を嫌わない、人を好きになる心の状態に近付ける日を待ちます。
smartiala様のお言葉は、心に深く滲みています。ありがとうございます。
大変申し訳ありませんが、なにか、よい本をご紹介いただけますか。
甘えるばかりですみません。よろしくお願いします。
一休みしてから、2人のマダムをエスコートして、能に行ってきます。
ありがとうございました。

相変わらず、下手な日本語で失礼します。
kneta

補足日時:2009/03/28 13:02
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この回答へのお礼

smartiala様

おはようございます。ご丁寧にお教えいただいて、ありがとうございます。本当にうれしいです。お礼が遅れてごめんなさい。
3日ほど、叔母と友人の女医さんの3人で金沢と永平寺へ行ってきて、今、家に戻りました。そのため、お礼が遅くなりました。
この3日はとても平和で日本の文化を静かに感じる時間でした。気持も少し和らいだようにも感じますが、夜寝ていて、まだ、恐怖感に襲われて飛び起きることもあります。

お書きいただいたことを噛みしめながら、読んでいます。ここにお書きいただいたことはとても大切なんだと感じます、まだ、正確にわかりませんが、感じます。感じるので、それを大切にします。
先日も書きましたように、籍のことには関心が薄らぎました。それは社会的なシステム上の便宜であり、家族さえ、そうだと思うようになりました。まして、結婚は尚更だと思います。
そう言う社会の構造的な制度などに拘ることは、人間の本質と係わりない所へ入ってしまいそうなので、今の僕は、僕として大切なもの、真であるもの、愛するものだけを求め、信じていきます。

母に手紙を書いて、筆が止まりました。それはやはり、母との関係についての迷いがあるからだと思います。先日も書きましたが、僕の方は、養子にならなくても構わないし、母が置籍してもかまわないし、再婚などで離籍してもかまわないこと、ただし、生活の便宜上、叔父たちに保護者になってもらうことなどを書き、後は、母の選択に任せることを考えていました。
しかし、smartiala様が”お母様には有無を言わさず、「籍はとりあえず残しておくが、保護者としての権限は叔父夫婦に委ねたい」”、”「自分は夢を見つけ、これからそこに全力を注ぐので、どうか遠くから見守っていてほしい。」”とお書きいただいたことを考えます。確かに、自分の将来の可能性を破棄することは慎みたいと思います。

僕は家族と言うものを今、僕なりに考えています。ステレオタイプな家族像はあまり意味もなく、崩壊するものだと知りました。それは個人の心の絆の構造だと思いますが、別な見方もしてみようと思います。おのような時に、父の病床で一緒に読んだ”エマニュエル・トッドの世界の多様性”をもう一度、読みなおして、家族について幅広い視野で考えてみようと思います・・・・・・長いので、補完の欄に続けます。

お礼日時:2009/03/28 11:46

読み直してみて、ひとつ追記をさせて下さい。



「養子縁組」について。

「新しい『家族』がほしい。
その新しい『家族』を基盤に、今後の人生を送りたい。」

それがあなたの心の底からの声で迷いが一切ないなのであれば、
素直に従ってもいいのかも、とも思いました。

あと、もうひとつ。
人はいずれ、愛する人と出逢ったとき、
自然な感情で、自分の「家族」を作ります。
あなたが完全に求めない、ということがない以上は、
一生独りで生き続けることの方が、逆に難しいくらいです。

つまり、あなたの未来に、あなたの「家族」が待っているのです。

それらを踏まえて。

さっき書いた内容も含め、「正解」はありません。
あなた自身の心の声に、耳を傾けることだけが、すべてです。

後悔だけはしないように。
ほんの少しでも疑問点や迷い、腑に落ちない違和感があれば、
その直感を信じることも大切です。

今、焦る必要はない、ということだけは覚えておいて下さいね。
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この回答へのお礼

smartiala様
こんばんは、kentaです。いろいろと教えていただき有難うございます。友達にも先生にも相談できないし、叔父さん夫婦にもちょっと相談しにくい面もあるので、ここでの相談になりましたが、smartiala様をはじめ皆様に本当に助けられました。うれしいです。

今日の午後、お礼を差し上げた後で、叔父の家のそばの大学の構内を散歩してきました。大きなキャンパスで緑が多く、車も居ないのでとても快適な散歩を楽しめます。僕の家からも近いので、よく訪ねています。
散歩しながら、やはり、これからのことで頭がいっぱいでした。これからの数年のための保護者の必要性については、叔父夫婦が代理を出来るとのことです。したがって、無理に養子になる必要は無いと思います。
母が離籍することで、大きな心痛を引き起こすようなら、離籍しないで居てもらえばよいと思います。また、叔父夫婦の養子になることが、大きな苦痛につながるなら、養子にならなくてもいいです。それをかんがえて、代理の保護者で居てもらうことをお願いします。
ただし、母と一緒に暮らすことはできませんし、家族としての関係はもてません。何であれ、母子と言う証は消せないとは思いますが。
ただし、母が相手の男性と結婚する場合には、その家族に入らず、親無き子となり、叔父さんたちのところへ引き取られるのでしょう。
後は、母の選択に委ねます。母は先日、会って話したときに、僕の気持ちは聞いて分かったと思いますが、上記のことを整理の上、手紙にして伝えようかと思っています。無論、その前に叔父さん夫婦、おじいさん達とも話し合って、納得してからにしたいと思います。
このようにするのは、どんなものでしょうか。
母には、自分で選んだ道を歩んでもらうのが、良いと思いますし、そう思ったから、父の遺産相続の時に、弁護士さんや叔父さんと相談して、母に対して配慮したつもりです。
これから、どう言う時間の流れや状況の変化がやってくるのかも分かりません。人生経験の浅い僕なので、将来の夢に向かって、走って行くことしかかんがえられません。
そうして豊かな人格が形成された時、新しい状況になるのかもしれないと思いつつ、日々過ごそうと思います。
先程のお礼で、お名前の前に余計な文字が着きましてごめんなさい。コピペしたときに余計なものを拾いました。チェックが甘かったです。

お礼日時:2009/03/23 23:48

Dear kentaさん



あなたの中のやわらかな変化を文中からも感じ、ほっとしています。

>先見、偏見を交えないで、透明な心で人に接することが大切なのですね。
>“人を信じる勇気”
言葉足らずでした。私の伝えたかった「信じる勇気」は、「自分自身」を信じる勇気です。
残念ながら、出逢う人や物事全てが、いい人、いい事であることはありません。
だから、さまざまな経験を経て、人や物事の本質を見抜く目を自分の中で養って下さい。
ただ無駄に疑うことはせず、いい人、いい事はどんどん吸収していって下さい。
私自身、言葉を大切に考えるからこそ相手の言葉も同じ重さとしてとらえ、
結果として嘘を真に受け続け、傷ついたこともあります。
もちろん状況的には嘘を重ねた相手が悪かったのですが、
私は、それを見抜けなかった自分がまだまだだったな、と思います。

その嘘が発覚した瞬間から下痢と嘔吐をし続け、体温が下がり震えが止まらず、
身体がなにも受け付けなくなり、ふらふらになった時期もあります。
けれど、すべて過去です。
周りの人たちの愛情で私は回復し、人を信じることができる、
という自分の好きな部分を失わずに済みました。
それどころか、その好きな部分が現在形で、私の人生に多くの笑顔や幸せを運んでくれています。

あなたの場合、その年齢でそれほどの資産をもってしまうのです。
人より早く判断力を身につけ、管理していかなくてはなりません。
この先、どのような話があったとしても、「資産」に関わるものであれば、
手に職をつける年齢まで、とか線引きを決めて、
それまでは一切動かさない、というような保護策を自身で講じた方がいいのではないでしょうか。

>2軒のお寺へフランスの女医さんを案内して行って来ました。
個人的に、とてもうらやましいです(笑)
種類を問わず、宗教的空間は、人の心を深く見つめる場所ですから、
私は大好きです。お坊さんとお話できたなんて、素敵!

>思い出の家は、僕が見るたびに悲しい思いをさせると言う事で、壊して土地を処分するそうです。
>でも、今までの全てが消えます、寂しいです。
泣いてしまいました。本当に悲しいですね、寂しいですね・・
正しい答えなんてないので、もし私があなただったら、と考えてみました。
まだ家があって、入れるのであれば、私は入り、一部屋一部屋を周り、一人で泣き続けます。
ただ溢れてくるだけ泣き続けます。
家がなくなったらもう二度と感じられない、においや色があると思うから、それを自分の中に刻み込みます。
そして、家を出るとき、心からの「ありがとう」を込めて、キスをします。
意味なんてないかもしれないけれど、自分の中の「卒業式」というか、
そういうものが、10年後の自分にとって必要だと思うからです。

さて・・

なんだか、いろいろなことが、めまぐるしいほど進んでいますね。
その一つひとつに対して、この速度で結論を出さなければならないなんて・・

過去を振り返り嘆くより、輝く未来に目を向け進んでいかれるよう、
早々に状況を整えた方がいい、という周囲の考えは理解できます。

それを受けてあなたは、目の前で起きていること、尋ねられること一つひとつに対し、
一生懸命向き合って、答えを出そうと頑張っているのでしょうね。それも分かります。

ただ、なんだかすべてが、今あなたの周りにいる「大人」の判断によって、ただ進められてしまっている気がして・・

私には、法律のことや戸籍のことは詳しく分かりません。
けれど・・お母様の籍を抜く・・ごめんなさい、私にとっては、なんだかとてつもなくショックな発想でした。

>いつも家にて、美しく優しい主婦でした。
>僕は育つ過程で、母や叔母達などの女性から限りなく愛され
お父様とお母様がご結婚され、あなたという命を宿した。
そのときの喜びは、どれほどのものだったでしょう。
お母様もまたその瞬間に母となりゼロから親としてスタートしました。
そしてあなたを限りなく愛し、16年という時を過ごしてきたのです。
今、このような状況になってしまったけれど、それでもお母様の中にある母としてのあなたへの愛は、
変わらず現在形でお母様の中にあると、あなたは息子ですから、感じ取っておいででしょう。

息子を忘れ、自由と感じる母親であれば、しかたないかもしれない。
けれど、息子のあなたと生きるためなら、別離を選ぶ勇気をもてた母なのです。
そんなお母様が、ご自身の行動により息子を傷つけ、親としての信頼を失った。
それは母親として、すでに死刑に値する苦しみなのではないでしょうか?

自分の行いを後悔し、自らを責め続ける一生を送られることでしょう。
そんな中、籍を抜かれて「他人」となる。
「ひどい母親」として自分を責めることも許されなくなってしまう。
生んだ時のことを身体で、感覚で覚えているまま「母親」でなくなる。
こんなこといいたくないですが、私も苦しいですが、微々たる可能性とはいえ、
考える材料としてもった上で結論を出してほしいから言葉にさせて下さい。
ショックでお母様が自殺されても、あなたは後悔しませんか?

あなたが苦しいのも、お母様が苦しまれているのも、「親子」だからです。
基盤に「計り知れない愛」があるからです。親子の問題は、誰がなんといおうと、親と子の問題です。

あなたが叔父様夫婦をそこまで深く信頼し愛情をもっているのは、
幼い頃から温かな年月を過ごし、確かな絆が育まれてきたからでしょう。
それは、お二人の人柄と深い愛情があってこそだと思いますので、信じるに足ると思います。

ただ、「養子」については・・あなたは「親」がほしいのですか?
お父様が死去され、お母様と疎遠になる。だから、叔父様と叔母様に、「親」になってほしいのでしょうか?

この速度で、戸籍や養子の話について答えを出すのは、私は早すぎると思います。
本当に幼い年齢の子どもであればやむをえないと思いますが、16歳であれば、
時間をかければ、あなた自身でベストな答えをみつけられる年齢です。
その「時間」は一週間などではなくて、「数年」です。
大人になる経験を積んでいき、それを元に自身が納得しきって出した答えこそが、本当に必要なものなのではないでしょうか。

「守られるため」に今急いで養子縁組を結ばなくても、極端かもしれませんが、
叔父夫婦がご高齢になった頃、お世話になった愛情への恩返しとして、
今度は「守るため」に息子となり、お世話をしたって十分に間に合うのです。

私の親戚でも、離婚した人がいます。
そうすると、両家の親戚は、それぞれ感情的になってしまい、視点が完全に一方向になりがちです。
今のあなたは、お父様のご親戚の方のご意見、ご判断しか入らない環境にあるようです。
お母様のご親戚とは、ご連絡は取られているのでしょうか?

「家族」はまず、あなたと、お父様と、お母様です。
本当ならお父様と話し合いたいですよね、なのに、できない。
その問題を作られたのはお母様だから、お母様にも相談できない。
「家族」で考えるべきところ、自分が考えるしかない。
考えるだけで涙が出ます。
そんなに難しいこと、いくつになったって難しいです。だけど・・

戸籍を抜いたり入れたりして、「家族」をつくる。
それは、とてつもなく大きな問題です。
時間が必要だと、私は思います。

最後になりますが・・

>悲しいときには何時も、詩を読んだり、音楽を聴いたりします。
悲しいときには、自分が一番したいことを、自分のためにしてあげて下さい。
詩を読む、音楽を聴く・・とても素敵です。心が求める栄養を、そのまま与えてあげるのです。
>こう言うのは、物事を深く掘り下げないで逃げるようにも感じますが、どうお考えですか。
そんなことは、絶対にありません。
ただ向き合おうと自分を追い詰め、心を壊すことこそ、大問題です。

>今は、大好きなG.Mahlarの交響曲2番(復活)を今、聴いています。
私はクラシックは詳しくありませんが、探して、聴いてみようかな。
時には、優しくして下さる人たちのことですら一人で考え、
結論を出さなければならないことに、つらく苦しむこともあるでしょう。
けれど、その音楽が、あなたの部屋以外でもたしかに流れる瞬間があるのです。
あなたは一人ではないですから。

この回答への補足

​smartiala様

遅くなりましてごめんなさい。今、叔母とフランスの女医さんと3人での長いお昼御飯が終りました。
叔母さんたちはこれから出かけるそうです。

母との関係については、おっしゃるように、時間をかけてみようかと思います。でも、僕自身が納得できる心の状況がやってくるかどうかを待ってみることです。一生、来ないかも知れませんが、それでも仕方のない運命だと思います。形ばかりの和解などはあり得ません。母がどう思おうと勝手ですし、これは僕自身のこ人間性と心の問題だから、形はどうでもよいことになります。戸籍上の親子であれ、どうであれ、心が戻らなければ本当の母子に戻りません。
そのような気持ちで、叔父夫婦、祖父母たちと親しい弁護士さんを交えて相談させてもらおうと思います。
僕には、ご指摘のような籍を入れる、抜くと言うことの重要性がわかっていないようなので、考えます。

でも、今は、母に対する嫌悪感、不潔感、憤りで突如頭に光が走ります。今までの正反対のことが母に対して起きています。
昨日、僕の物を取りに家に立ち寄りましたが、母の寝室の前を通った時、残っていた母の微かな匂いで急に戻しそうになりました。

3月21日に、​http://okwave.jp/qa4813885.htmlで、”別れた親の親とつき合うべきか”の質問をしました。それは、おじいさんたちから会いたいと言われて、会いたいけれど、母のことがあり、会うことが不安で辛かったので、質問しました。こんなことでの質問は幼稚すぎるかもしれませんが、今、人との関係にはとてもナイーヴになってしまい、怖いです。
回答いただいたhanako55さんへのお礼の欄に書きましたように、おじいさんたちと会って、これからもおじさんとおばあさんでいてくれるようにお願いし、2人とも喜んでくれましたし、僕も、何か、大きくて重い黒いものが心から落ちた様に感じています。
おばあさんに抱きしめられて大きな声で泣きましたし、おじいさんがずっと頭をなでてくれて、心が段々に膨らんで柔らかくなるのを感じました。うれしかったです。あまりにも幼稚でしょうか。恥ずかしいです。
よろしければ、その欄をご覧いただけますか。

おじいさんたちは僕が叔父さんたちの養子になるのは良いと言ってくれました。
そうして、叔父さんたちに、今回のことをきちんとするために、近いうちに会うそうです。その時に、僕も同席して、遺産相続の手続きや管理の仕方についても相談するそうです。
叔父さんの話では、危なくないように、本人確定条項付きのスイスの資産管理の仕組みに託すことを専門家と相談していると言っていました。昨夜、叔父さんにおじいさの話を伝えたとき、それなら、一緒にご相談すると言っていました。叔父さんは、科学者であるおじいさんを非常に尊敬しています。
でも、そんな遺産など関係なく、家族の幸せがほしいです。それはこれから自分で作る他にはないのでしょうね。
甘える対象としての家族像はもう無いのでしょうね。なんだか、急に無くなって寂しいです。でも、おじいさんとおばあさんに甘えさせてもらいます。変でしょうか?


smartialaさんも聖性の空間をお好きですか。僕は宗教を問わず、好きです。自分に元も静かに飾りなく向き合えるからです。僕は仏教徒ではありませんが、仏教の持つ広く、深く柔軟な心の体系は他に類を見ないと思い、尊敬しています。
先日、父が親しくしていた禅宗のお寺で老僧と通訳がてら、お話していたら、僕の眼をじっと見ていて、黙って筆をとり、良寛さんの”我に来て、遊べや親のない雀”と書き、本堂の阿弥陀如来に合掌してくれました。僕は、ただただ涙をしながら座っていました。

そうして、smartialaさんの言うように、僕は決して独りではないと確信しました。
教えていただいて気がつき、ほんとにうれしいです。
有難うございました。
風も弱まったので、大学のキャンパスを歩いてきます。
とても気持ちが柔らかく、明るい陽光を感じます。

補足日時:2009/03/23 15:04
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この回答へのお礼

smartiala様

こんにちは、また、とても大切な意味のメールをいただきましてありがとうございます。何度もお気にかけていただいて申し訳ありません。ありがとうございます。しかも、こんなに遅い時刻に、Dear Kentaで。

いただいた文章を何度も読み返しました。母子の絆とは何かを思い、考えることでしょうか、だんだん答えが遠のいていきます。
母に対する理性的・生理的嫌悪感と親子の深層心理上の絆が今、僕の中で葛藤しています。それは日に日に強くなっています。
今朝から、アドバイスをお読みしていると、ますますそれが大きな渦になってきました。

叔父さんたちが僕を養子にするのは、現実に起きる未成年の間の保護者の必要性と子供のいない叔父さん夫婦の後継者としての立場も持ってほしいと言うのが主な理由です。無論、僕を心から可愛がっていてくれていますが。
決して、僕を母と切り離したいと言うのではありまあせん。母の父に対する非人間的な行為が許せないことはありますが、それより、すでにかなりの範囲に広がってしまった母の不倫の事実のために、僕に悪い影響与えることを心配したためだと言います。また、僕が母との絶縁を強く望んでいることも考慮してくれた結果です。
でも、僕がその母との関係をやり直したいなら、構わないと叔父さんたちは言います。でも、今はとてもそれは考えられません。
まだ、日本の高校には席を置いていますので、形式でも保護者は必要ですが、渡航するにせよ、VISAなどの関係で、戸籍などははっきりさせる必要があります。
僕は、仮に母と一緒に住むとなったとしても、母がしていたことを常に思い出してしまって、耐えられえなくなると思います。綺麗で品のある優しい母しか僕には受け入れらええません。
母がどうしてもと言うなら、母子の縁は切りませんが、一緒に暮らすことはありません。遠くで見ていてもらいたいとおもいます。
あまり形式にはこだわりませんが、どう言う形をとればよいのか叔父さんや弁護士さんたちに相談します。
後で、お書きしますが昨日、母の祖父母に会いました。この問題をお爺さんにももう一度、聞いてみたいと思います。
ごめんなさい、お昼になったので、少し後で、お書きします。
kenta


http://okwave.jp/qa4813885.html

お礼日時:2009/03/23 12:44

たびたびごめんなさい。


一言だけ追記させてください。

>「女性だから」と世界のすべてをみる癖は、つけないよう気をつけた方がいいと思います。
「女性」とか「男性」とか、性別を意識せず、出逢った目の前の人、一人ひとりを、「人」としてとらえていけばいいと思います。

あなたの日常で、たまたま「愛」に対して、傷つけることをしたのがお母様、つまり「女性」でした。
けれど、同じように、「愛」に対して、傷つけることをする「男性」もいます。

フランスにお住まいの経験があるなら、「フランス人だから」「日本人だから」とひとくくりにできない感覚がわかると思います。同じです。

ただ、「女性」は、あなたの目にした、お母様の言動を思い起こさせる、きっとそれこそが根底の原因なのでしょう。

少しずつ、少しずつで大丈夫。
これからの将来、あなたが出逢う人たちが、あなたに必要な要素を、きちんと運んでくれますから。
「信じる勇気」を持ち続けること。
必要なのは、それだけです。

この回答への補足

前のお礼欄の続きです

叔父たちは弁護士さんを交えて、本日の午後、僕の今後のこと、父の事後の処理などについて母と話し合ったとのことです。
特に僕の意向で決めることについて、あらかじめ聞き、改めて弁護士さんと進め方を相談するそうです。
一つは、母と暮らすことについてですが、僕はそれをしないことを言いました。母は既にあきらめたそうです。
僕は、叔父夫婦の家で住むことになりました。叔父夫婦には子供が無く、すぐにも養子にしたいのですが、母が籍を抜くまで待って欲しいとのことなので、当面は見送るそうです。僕も小さい時から叔父の家で過ごすことが多く、親と同じように感じていますので、好意に甘えます。
戸籍は当面は続けることにしました。これから、保護者としての母の必要性はないし、何かあっても、叔父夫婦が代理人となることを母に納得させるとのことです。

母は、近く、籍を抜くそうです。戸籍のことは良くは分かりませんが、既に僕の気持ちは母からは離れていますので、そうなっても構いません。母も自分の道を歩むためにはその方がよいのでしょう。母は自分で生きていくそうです。
父は生前に遺産分与について、母との共有資産は別として、父の個人資産は全て僕に与える内容の遺書を残したそうですが、その額はとても大きなものでした。それに関して、叔父が僕にどうするのかと聞きましたので、母が一人で生きていくのは大変だと思うので、当面は困らない程のお金を分けて欲しいとお願いしました。そう言う気持ちになりました。
これで決めて、僕の将来のために僕の口座にお金を預けて置くそうです。これから僕の生活費等は実質的な養子として、すべて叔父さん達がお世話してくれるそうです。
思い出の家は、僕が見るたびに悲しい思いをさせると言う事で、壊して土地を処分するそうです。
叔父さんに全てをお任せし、お願いしました。でも、今までの全てが消えます、寂しいです。

こんな新しい形になることへの不安もありますが、おかしいでしょうか。
一番気になるのが、叔母さんで、大好きで遠慮も無いのですが母のように思えるのでしょうか。
年齢は母より大分若く、非常に美しく素敵な人です。
叔父さんは父と似ているし、よく遊んでくれましたからなんとなく分かります。

叔父夫婦がフランスの女医さんに僕の将来について相談するそうです。そのことで、場合によっては、今年の9月から、フランスの高校移ることも問わないかといわれましたが、僕はそれも良いと思います。

お礼ともご報告ともつかない文章になりましてごめんなさい。
有難うございました。

補足日時:2009/03/19 23:25
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この回答へのお礼

んばんは、夕方から2軒のお寺へフランスの女医さんを案内して行って来ました。とても静かで、不安のない時間でした。お坊さんと話していて、素直になれたような気がします。

このメールで教えていただいていることは、今、とても大切なことだと思っています。先見、偏見を交えないで、透明な心で人に接することが大切なのですね。
本や詩を読む時には、内容そのものを読むのと同じですね。分かりました、いや、分かるようにしていこうと思います。
smartialla様が言われる“人を信じる勇気”のことを、女医さんも居ていました。信じたいです、今まで疑うことの罪をいつも教えられ、そう信じていましたので、最も身近な母を信じられなくなったことに未だ心が混乱しています。
早く、素直に信じられる心に戻りたいです。

悲しいときには何時も、詩を読んだり、音楽を聴いたりします。今は、大好きなG.Mahlarの交響曲2番(復活)を今、聴いています。でも、こう言うのは、物事を深く掘り下げないで逃げるようにも感じますが、どうお考えですか。
最近、どうしても辛いことから逃げ出そうとする自分に気がつくものですから心配です。

帰宅してから、叔父さん夫婦から話があり、考え込んでいますが、出来ましたらどう考えるのが良いのか教えていただけますか。お礼の補完の欄にお書きしますので、よろしくお願いします。
何でも感でもお願いしてごめんなさい。

お礼日時:2009/03/19 23:31

smartiallaです。


ごめんなさい、IDを忘れてしまってどうやってもログインできなかったので、
もうひとつアカウントを取りました。
返答が遅くなって本当にごめんなさい。

京都と奈良で、とてもよい時間を過ごされたようで、
私もなんだかほっとしました。

あなたにまず大事にしてほしいこと。
それは、何事も「決めつけない」ということです。
「こうすべきだから」と頭で考え、心をそれに沿わせる、
という癖を、つけないようにしてほしいのです。
もちろん、夢や目標に向かって進むために自分を律するのに、そのスタンスは不可欠です。
ただ、この問題は、それとはまったく異なります。
夢や目標に向かう自分の、すべての基盤の部分の話です。
すべてに、影響させてしまいます。

>嫌悪感、不潔感、怒りに襲われ、目眩がします。
目の前の現実を、すべて柔らかく受け入れる必要はないと思います。

お母様への言い知れない数々のお気持ち、それは、通常ならけしてもつことのなかった感情です。
実の母に対してそのような感情をもってしまうほど、
あなたはおつらい経験をされたのですから、それは、自然な感情です。

>大人になるまで学び、知り、いつかは和らぐ、或いは理解ができるのでしょうか。
無責任な回答はできません。
でも、私は将来、必ず変化が起きると思います。
人は、経験を考える材料とし、物事を判断していきます。
それは、あなたが今お若いから、というだけではなく、
人はいくつになっても、自分が新たな経験をしたことで、
過去に対してさまざまな気づきを得、今後につなげていきます。
それが自然なことなのです。

>女性がとても怖くなりました。
今、女性を怖く感じるなら、その気持ちをそのまま受け入れればいいと思います。
今、無理して恋愛をする必要はないのですから。
ただ、覚えておいてほしいことがあります。
恋愛は、目の前に相手がいて、特別な感情を抱き、
その人と一緒にいたい、と思うところから始まります。
そういう相手と出逢った時には、「女性だから」という位置付け(≒頭)ではなく、
「その人」に対して感じること、したいこと(≒心)、
それを基準にその時にまた、考えればいいのです。

「女性だから」と世界のすべてをみる癖は、つけないよう気をつけた方がいいと思います。
それはけして難しいことではなくて、例えば、フランスの女医さんからあなたが感じたこと、
この掲示板の女性のかけて下さったお言葉、
そういう「女性から生まれる温かさ」に気づく、それだけでよいのです。
目を向けないようかたくなに心をそむけ続ける、ということだけはしてはいけません。

>むしろ、僕を生み出し、16歳まで育ててくれたことに感謝する。
この言葉を言えた、あなたはえらいです。本当にえらい。
たとえその後にどんな言葉を投げかけたとしても、です。
「生まれてこなければよかった」というような自己否定につながらなくて、本当によかった。

>時計の針は戻せません。
その通りです。でも、時計の針は進み続けます。

>僕も、涙を止めることはできませんでしたが、それはなぜなのか自分でもわかりませんでした。
それは、あなた自身の、心の声です。心の、叫びです。
きっと、ふとした時に、その声が、自分の胸に届く時がきます。
私もそういう経験をしました。驚くほど突然、それはやってきました。

今、難しく考えても効果はないので、気長に待ちましょう。
時は必ずやってきます。

返信はこの辺りにして、ここからは個人的な考えをつづります。

あなたが、このタイミングでフランスの女医さんと出逢えたこと。そこには、必ず意味があります。
あなたが、この掲示板で、多くの優しい方からの温かい言葉をいただいたこと。そこにもまた、意味があります。
悲しいことがあって、100人中100人が、すぐにこういった幸運に恵まれるとは限りません。
あなたにはきっと、それを引き寄せる力があるのでしょう。
それはけして偶発的な、という意味合いだけでなく、同時に、そのまっすぐな人柄が、
まわりの人たちの心に届き、動きを起こさせているのです。

「かたくなな状態にしないで」と言った理由は、「頭」のみが結論付ける癖がつくと、
「頭」にがんじがらめになるからです。
そうすると、感受性が鈍り、優しい人の声や、新しく必要な情報に、気がつくことができなくなります。
その人柄を、どうか大切にして下さい。言い換えると、あなたの「心」を大切にしてあげて下さい。

>国境なき医師団
その方、素晴らしいですね。実は私も、先日「福祉関係」とだけお伝えしましたが、
NGOを立ち上げ、海外と行き来しながら活動しています。
人は、必要な情報と引き合うようにできています。
私もまた、ある国との不思議な縁で、この仕事をライフワークとすることに迷いはありませんでした。
あなたにとって、その最初のステップが、「フランス」だったのかもしれません。
夏にフランスに行くのなら、それまでにすべきことがいくつも出てくることでしょう。
うん、やっぱり、いいタイミング!

いつでも、どんなお気持ちでも、伝えて下さい。待っています。

この回答への補足

お礼の続きです。
ごめんなさい、書いた時には余りにも激していて、本当は“母が信じられなくなりました”と言うところ、母のした女性姿の印象が強すぎて、あのようになりました。
確かに、女性全般に対する愚かな思い込みに成ってしまいました。
短い間でも、こんなに多くの女性の方から気持ちを助けていただいているのに、恥ずかしいです。逆に、僕は育つ過程で、母や叔母達などの女性から限りなく愛され、女性に憧れ、極めて身近に感じていたからかではないでしょうか。
それなのに、母のことを女性全部に置き換えるという恥ずかしいことをしました。子供でした。

考えましたら、おっしゃるように豊かな感性を持たないと、いろいろなことを受け止めなれないことが理解できました。大事なことが形式的な思考や判断で自分の前を通り過ぎていくと思います。自分の気持ちに素直に生きていきます。
人を信じなさい、愛しなさいと言った女医さんもきっと同じことを言ってくれたのかもしれません。
そう言うことに気づかせてくて有難うございます。本で何度も読んで知識として知っていても、自分の体験の中で、そのようなお言葉を頂いて、初めて、納得できたように思います。
心ですね。

smartiala様はNGOを立ち上げ、マネージしていらっしゃるのですか。素敵ですね。僕も、シュバイツアー博士を尊敬して、何時かはそう言う活動に関わりたいともいます。
早く医師になって何かしたいです。

今日は、フランスの女医さんを今まで上野の国立博物館や美術館に案内してきました。
これから、都内のお寺に案内します。帰りましたら、次に頂いたメールへの御礼も含めてお書きします。うるさくして申し訳ありません。

有難うございました。

補足日時:2009/03/19 16:11
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この回答へのお礼

こんにちは、kentaです。お忙しいところ、アカウントの取り直しまでして頂いてお便りいただき、ありがとうございました。
いろいろとお教えいただき、励ましていただいた上に。お心使いいただきまして申し訳ありません。
見ず知らずの僕のために、このようにご親切にしていただけることは本当に驚きですし、うれしいいです。今は、父母も居なくなり、誰にも訴えることもできないのに、頂くメールが僕の心をやわらかくしてくれます。
今になって、幸せなことに僕は一人ぼっちじゃないことに気がつきました。smartiala様をはじめ多くの聞いてくれる人、答えてくれる人、教えてくれる人、微笑んでくれる人がここにいることに気がつきました。こんなことは普通では考えられません。確かに情報時代の賜物のひとつなのかもしれませんが、そう言うお気持ちを持っていただけることに深く感謝します。うれしいです。今まで、うれしくて泣いてしまいました。やっと一人じゃないって感じました。

お言葉にありましたように、理性や大脳で考える前に、自分の感性に聞いてみることが大事なことをすっかり忘れていました。と言うよりはその心の部分が壊れかけていました。そのことに気づかせていただき、本当にありがとうございました。この2,3日今まで頂いたお言葉や女医さんとの会話の中で、次第に戻ってきているように思います。そのためでしょうか、涙が自然に出てくるようになっています。女医さんも泣いていいのよと言ってくれています。
少しずつですが、氷が解けるようにわだかまりが離れていっています。

補足に続きます

お礼日時:2009/03/19 16:08

あなたの書かれた質問内容と、皆さんの温かいお言葉に対する心のこもったお礼文を拝読し、涙しました。


その上で、少し違った角度から、お話させて下さい。

私は、状況と向き合い、理解し、前に進もうというあなたのまっすぐな心に心から素晴らしいと思います。
けれど、一方で、とても心配になりました。

長くなるので割愛しますが、私も幼い頃から家庭環境の問題と学校での問題を抱え、
心休まる環境がなく、12-17歳頃まで、心が崩壊していました。

当時の私は、思考部分と感情部分とを、無意識に切り離していました。
つらいことがあって心がつらいと感じると耐えられなくなるため、思考部分が状況を分析し、
原因を理論的に結論付けることで自身を納得させるよう、自然と心が作用していったのです。
その結果、私の心はずっと深いところに沈んでしまい、「心を感じる」ことができず、
いつも理論的に理解することで「分かった気になって」生活していました。

幸いなことに、その後の人生で友人や尊敬できる多くの人たちと出会うことができ、
また、恋愛を経て自分の心と向き合うきっかけができたことで、赤ちゃんのようにゼロからスタートし、
感情を自分の中で感じ、認める作業を続け、今では、心がひとつになることができました。

>心理学を勉強していないので、自分の心の分析が十分にできません。
>これからは、寂しさと悲しさに耐える大人の精神を育てる必要があることは分かっています。
どうか、分析するのではなく、ただ「耐える」のでもなく、悲しい時は悲しいと感じる自分の心を受け止め、
そのまま感じ、たくさん泣いて下さい。
「わからない」ときには、「ああ、今、自分はいろんなことがありすぎげ、わからなくなっちゃってるんだなぁ」って、そのまま感じてあげて下さい。
そして、自分が傷ついているんだ、とか、素直な自分の状況を、誰より自分が理解してあげて下さい。

>涙が止まらないのは、はっきりは分かりませんが、母の存在を心の中から消したいことに、どこかで深い悲しみや戸惑いがのこっているためかもしれません。
お母様のされたことは、他の方のおっしゃられているように社会的に非難される要素がたくさんあると、私も思います。
ただ、その上でお伝えしたいのは、それに対する答えを、あなたには、今すぐに出し切らないでほしい、ということです。
今現在、感じていることを、現在の結論として位置づけるのはいいと思います。先に進むために、気持ちの整理は必要ですから。
ただ、完全に決めきって心の奥底にしまい込んで二度と変えない、というかたくなな状態にはしないでいただきたいのです。
16歳という年齢では、人が愛し合い、結婚を決め、子どもが生まれ父と母になり・・そのような過程を、まだ経験されてはいません。
ご自身が大人になり、一つひとつを経験し、さまざまな自分や相手の中の強さや弱さを知っていきながら、
それに対する心のとらえかたを、みつけていったらいいのだと思います。

私自身は、自らの家庭環境から、自分が自殺するか、家族を殺したいと長年思っていました。
けれど今は、父と母を、それぞれに愛しく感じられるようになりました。あの頃みえなかったさまざまな父や母の心が、
自分が大人になるにつれ理解でき、やっとそう思えるようになったのです。
けれど、現在形で問題を抱え続けており、家族の中でも未だに許せない人もいます。

自分の中でキレイな答えを出せばいい、とは思いません。
ただ、自身の中で納得しきった答えを、人生の中でみつけていってほしい、と思います。

余談ですが、私は、福祉関係の仕事に就いています。
自分に限らず、成長期につらい経験をした人がこの世界には多くいて、
そういう人ほど患者さんに、本当に親身になって向かい合っているのをみています。
同世代に今、ご自身が抱えている悩みを話すのは難しく、そういう問題を抱えていない友人たちをうらやましく思うかもしれません。
けれど、家庭の問題は表面化しづらいだけで、実際は、想像よりはるかに多くの人たちが問題を抱えていたのだということも、
私は大人になる過程で気がつきました。

長文になってしまって、しかもまとまりがなく、ごめんなさい。
どうか、肩の力の抜き方を覚えながら、前を向いて、自分を信じて歩んでいって下さい。

この回答への補足

(続きです)

実は、先日、突然に母であった人が僕を叔父の家に訪ねてきました。叔父さんたちがどうするかと聞きいてくれましたので、僕は会うことにして、2人で会いました。
母は、ずっと泣いて謝っていましたが、僕は、謝る相手は父と神である。僕はもはや16歳、所詮は自分で生きていくべき立場なので、謝って貰うことはない。むしろ、僕を生み出し、16歳まで育ててくれたことに感謝する。
夫婦の間のことは僕には分からないので、今回のことについては言うべき立場にない。
ただし、残念なのは、父母と信じていたが、死の床にある父に接し、支えることなく、他の男のところへ行ってしまったことは、人間として到底理解できないし、その時点で、人としての母とは思わないことにした。
父の残した無念の言葉を思えば、新しい人生を呪いこそすれ、祝うことはできないが、人間として最低限の挨拶“元気でお過ごしください”を言って別れようとしました。
母は、泣き崩れ、今から、相手と別れるので、許して欲しい、親子に戻って一緒に暮らして欲しいと縋りつきましたが、僕の心は変わりませんでした。時計の針は戻せません。
僕も、涙を止めることはできませんでしたが、それはなぜなのか自分でもわかりませんでした。母は、その相手とは父に隠れて長い間の関係だったと言いました。どうでもいいですが。
しかし、これで、気持ちに整理がつきました。その後で京都へ出かけました。

今は、心と頭が医の道に進むことに焦点が合っています。気持がすごく穏やかです。
一緒に旅行した女医さんはフランスの医大の先生であると同時に、国境なき医師団のメンバーで、話を聞いて益々医の道への決意が固まりました。うれしいです。この女医さんに自立して美しく、輝く精神を見て、少し女性に対する考えを考えなおしています。
いろいろと話しをしていましたが、父の仕事の関係でフランスで生まれ育ち、今の学校でもフランス語ですので、言葉の問題も無いと判断してくれ、又、僕の信じるところを聞いてくれた後で、フランスで医大に入ることを薦められましたので、叔父たちとこれから相談します。いずれにしても、今年の夏休みは彼女のところで過ごすことになりそうです。

smartialla様、励まし、教えていただきまして大変ありがとうございました。本当にうれしいですし、お言葉が心にしみました。
今は、このような気持ちでいますが、よいものでしょうか。未だ自信が持てません。この気持ちについてのご感想をお聞かせいただけるでしょうか。
これからもよろしくお願いします。
KENATA

補足日時:2009/03/17 17:19
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この回答へのお礼

今日は、とてもご親切なメールをいただきましてありがとうございます。うれしいです。
春休に入り、先週末から、日本に来ている叔母の親友のフランスの女医さんを京都と奈良に案内して、先ほど帰宅しましたので、パソコンを今あけてメールを拝見しました。お返事が遅くなってごめんなさい。叔父夫婦が僕の気晴らしになればと計画してくれました。
でも女性なので、はじめは緊張しましたが、話が楽しくて気持ちが柔らかくなりました。

ご回答いただいたことを噛み締めながら、自分なりにどう受け止めようかとかんがえています。人生経験の浅い僕ですから、急いで人格形成や精神構造形成に関することを急いではならないとおっしゃることは深く受け止めました。
それに、ご自身の僕と同じくらいのお歳からのご経験を出されて、お話しいただいたことを何度も何度も読み返しています。確かにそうだと思う反面、目の前の現実をすべて柔らかく受け入れることも又、難しいのが実際の姿です。自分の心に自然に従いたいと思うと、母であった人への言い知れない嫌悪感、不潔感、怒りに襲われ、目眩がします。大人になるまで学び、知り、いつかは和らぐ、或いは理解ができるのでしょうか。
それ以上に、いけないと思いつつ、僕が限りなく憧れ、思慕し、敬愛していた女性そのものが心の中から消えていきつつあります。女性がとても怖くなりました。結婚して、家庭を作り、子供を育てるという人類が500万年続けてきた血のリレーの役割を担うべきとは思いますが、それが気持ちとして難しいので、僕は医師として人の命を支える者として生きることが幸せのように思います。
旅行中、女医さんとよく話し合いました。とてもよかったと思います。たまたま、父の仕事の関係で、フランスで生まれ、育ったので、言葉は大丈夫でした。
彼女もsmartiallaさんと同じ趣旨のことを話してくれました。そうして、よい医師になるには人を好きになりなさい。好きになって裏切られてもよい。それを受け入れられる人になりなさい。人間関係の問題を恐れないで。と言ってくれました。
そうして、自分の気持ちに素直になるようにとも言いました。(続きます)

お礼日時:2009/03/17 16:59

すいませんDISNEY21です。



「息抜き」です。決して「生き抜き」ではありませんので・・。
そんなことしたら大変!!
大変な誤字でした。

ゴメンナサイ<m(__)m>
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
今、叔父の家に帰宅しました。
お忙しいのに、ご丁寧な訂正メールまでいただき申し訳ありません。

でも、”息抜き”をして、しなやかに”生き抜いて”いくことを、連想させていただけました。皆さんのアドバイスや励ましのメールで勇気づけられています。とってもうれしいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/09 16:22

16歳という歳で本当にお辛い思いをされましたね。


ただでさえ心の底から敬愛していたお父様を失った悲しみで一杯なところにお母様までが・・。心中察するに余りあります。

私事ですが質問者様と同じ16歳の時に実母が病気で亡くなりました。
亡くした当時は、毎晩決まった時間(母が亡くなった時間、夜中に亡くなったので)に目が覚めて元気だった頃の母の姿や楽しかったさまざまな事を思い出しては枕を涙で濡らしていた日々でした。

小3の頃から実父の仕事が傾き経済的にも大変な日々が続いていたので大学進学は諦めて高卒で就職しました。本当は大学に行きたかった。周りには両親が健在で経済的にも恵まれている友達が大多数でとりあえず親が言うから大学へ行く・・なんて子がほとんどでした。
そんな状況の中、私はどうしてもそういう子達には負けたくなくて母亡き後、家事をしながら勉強をして・・・常に学年上位の成績に留まっていました。今思えばあの”負けたくない!!"っていう我武者羅な気持ちが私を奮い立たせてくれたんだと思います。
お陰でその当時、大学生が就職したい企業ナンバーワンの所に就職出来ました。きっとその当時の私には有名企業云々・・とかの「欲」が全く無かったので合格できたんだと思います。
社会人になってからは私より高学歴の人がほとんどだったのでそこでまた”負けたくない!!”根性が頭を擡げて・・の繰り返しでね。(笑)

現在は結婚して自営業の主人の仕事を手伝いながらの日々を送っています。(大学生の息子がいます)

母が亡くなってから今年で丸30年。
それはそれは筆舌し難いいろんな事がありました。
割合に例えるとしたら嬉しいことが3で辛いことが7って感じかな?!
数字だけを見たらとてつもなく暗く感じちゃうけど・・でもね、
辛いことが多くて人として学ぶことがめちゃくちゃ一杯だったからこそ
嬉しいことが他の人が感じるものより何倍も何十倍も嬉しくって有難くって幸せに感じたんだと思う。これって凄いことじゃない?!
平坦な道のりを歩んできた人には中々体験できない凄いことだよ。

これから先の人生は本当に山あり谷ありの連続だけど谷には谷の理由と学びが有ります。質問者様のように聡明な方でしたらきっといくつもの谷を乗り越えて素晴らしい道のりを築いて行けると思います。
そう信じ心の底から応援しています。

最後に・・お母様へのお気持ち、私にも肉親に対する同じような気持ちを抱えているのでちょっぴりかも知れませんが分かります。
でもね、ここまできちんとしっかりとした人に育てて下さったのは勿論、敬愛するお父様のお力は大だとは思いますが、お母様の存在も不可欠だったことだけは心の奥底の隅っこに残してあげていて下さいね。

強い信念、そして周りへの感謝の気持ちを持って人生の駒を前に進めていって下さい。そうそう、たまには生き抜きも必要ですよ。
これ私のこれまでに得た教訓です。(笑)

末筆になりましたが、お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

頑張れ!!!

長文、失礼致しました。
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この回答へのお礼

最新の回答から順によんでいますので、NO.11のお便りに、先にお礼を書いてしまいました。ごめんなさい。

本当に、ありがとうございます。学校から帰ってきて、このサイトを読んで、心を休め、勇気づけています。
お読みしていて、涙が止まりません。私よりずっと辛いことを経験され、乗り越えてこられた深いお気持ちに触れさせていただいたからでしょぅか。それと、その後のご自分の成長の姿勢と結果に強く感銘を受けました。僕も目指す”医の道に進み、人の命のために自分の命を捧げたいと思います。昨夜、叔父さん達と進路の相談をしまして、皆で応援してくれることになりました。父は、僕の勉強などのための経済的な環境を整えて逝ったそうです。感謝とともに決意を新たにしました。

それと、涙が止まらないのは、はっきりは分かりませんが、母の存在を心の中から消したいことに、どこかで深い悲しみや戸惑いがのこっているためかもしれません。心理学を勉強していないので、自分の心の分析が十分にできません。
このような葛藤を通して、きっと自然な自分になっていくように感じますが、今は、とても人間としての母の存在を認めることができません。
でも、心のどこかで、母と言う存在(自分の母ではなくて一般的な母として)に近寄りたいと思う気持ちが、disney21様のお話のイメージにつながったためかもしれんせん。

しかし、これからは、寂しさと悲しさに耐える大人の精神を育てる必要があることは分かっています。苦しくても頑張ってまいります。その心が挫けそうになったら、このサイトにお訪ねして、叱っていただければと思います。
身勝手なお願いで、ご迷惑でしょうが、よろしくお願いします。

お礼を書いているうちうに、心が少し明るくなりました。今夜は勉強が終わったら、父と一緒に読んでいた詩集、特に、リルケを読んで、父を偲びたいと思います。
終りになりましたが、父へのご弔意に深くお礼を申し上げます。僕は日本語があまり、得意ではありませんので、上手に表現できませんが、いただいたお気持ちに心からお礼申し上げます。
有難うございました。

お礼日時:2009/03/09 16:59

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