プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

現在海外で学生をしていますが、皆さんのアドバイスを頂ければと思い投稿させて頂きました。

経過:以前社会人経験の中で、うつ病で1年以上休職してただ寝るだけの日々を過ごしました。考えに考えた末、以前米国でやり残したと思った研究をする為にGRE等勉強して出願、入学許可を貰いました。会社は退職し米国に昨年夏から来ています。睡眠時間外ほとんど勉強という生活でかなりのストレス下でやってきました。やりたい事なので辛いながらも何とか続けてきましたが、過度に自分を追い込み知らない内に再発してしまいまい、現在ほぼ休職前の状況になっています。

症状:
(1)試験、財政、周囲との関係、成績、指導教官との関係全てが心配で押し潰されそう。不安感がすごく、休職前と同じ。
(2)試験中頭が真っ白になり、数式を写し間違えたりの単純ミスが多く不必要なロスがすごく多い(それ以外の私の頭の悪さも当然あります)。
(3)休日は外にも出ず、何をする気力も無い。(宿題を”しようと”しています)
(4)勉強しても不安でただ解くのに集中し、頭に入らない。
(5)些細な周囲の環境(ノイズ、同居人の問題等)が通常時の数倍のストレスになり、悪いスパイラルになっている。

現状の対策:
(1)日本から持参したデパスで頭痛と不安は対応しています。6錠/日ギリギリまで増えてしまいました。
(2)睡眠は睡眠薬でとっています。それでもテスト前は4時に目が覚めてよくねれません。
(3)研究室で私以外は全て中国留学生。あと私自身他学科からの生徒なので、それがストレスでもありますが、それを彼らには相談できません。
ラボの中は全て中国語でストレスなので、自分だけ外で勉強するようにしています。
(4)在日時は運動をしていましたが、渡米後一切していませんし、する気力と余裕がありません。

既に今学期の成績次第では退学の可能性もあります。それはそれで仕方ない事とは覚悟しています。経験上、通常であれば3ヶ月程度の休養しか手が無いと思いますがそれは出来ません。最悪帰国する事も検討していますが、今できる事をやりたいと思っています。「正常な精神状態に少しでも近づける手段」を何でもいいのでアドバイス等頂ければ幸いです。元々うつ病なのに留学したのが間違い等のご意見は承知していますし現状かなり応えますので、その手の批判的な回答はご遠慮下さい。

宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

再、再度の回答になります。

空虚な時間を、如何に作るか、とお取りになりましたが、的外れですので書いてみます。禅堂の修業を本当には知りませんが、禅堂の修業は鈴木大拙博士の本の中から推察すると、大変忙しく働かされているようです。朝早くから起きだしてスケジュールがびっしりと詰まっているようです。

その中でも、道元禅師の書いたものに、典座教訓というものが有ります。この中に出ていましたが、仏道の修行をしたいという若い道元に、食事の掛かりは(最も)大事な事という風に説教されたという話が有ります。

この事の意味する処は、間髪を入れない動き「自我意識が働いている」暇がないほど忙しい仕事が、悟りを得るためには必要であり、大事な事になる。という意味が有ります。もっと言うならば「言葉のない世界で遊ぶ」という事が大事という事です。食事の掛かりは大変です、秒刻みのタイミングのでの動きも必要になってくるからです。

暇な時間、空虚な時間は、修行の邪魔となります。何時も忙しく働いている、辛い気持をそのままにして如何にしたら、その時々の必要な仕事を見つけて動きの中に入ってゆけるのかが大事な事になります。動きの中には「自我意識が働いていない」と言えるからです。

自我意識が対立と矛盾を起こしている仏性は無意識を支配しているからです。意識に戻ったり、無意識になって働いていたりの繰り返しが人生です。その中でも修行の場となっている禅堂は、師家という師匠の下で。もっぱら悟りを開く修行をする事になります。

無意識から意識に戻る時に「無意識の意識=仏性」と出会う事になります。貴方の場合には、スポーツでも良いと思います。辛い気持ちのままで、何も求めずに、ただスポーツに打ち込める時間を作るのが良いと思います。打ちこめていたなら自我意識は休んでいるはずです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

スポーツに打ち込むよう努力してみます。

お礼日時:2009/03/07 19:27

再度書いてみます。

貴方の不安は自分自身を知らない処から提起されている問題と言えます。是は仕方ない事です、この事は誰も教えてくれないからです。精神科医でさえも精神疾患がどうして起きるのかと言う事を本当の意味で知っている人はほとんどいないと思います。

貴方の不安は、貴方の働き=仏性からの圧迫です、人によっては罪悪感、どこから来るか分からない処の圧迫感、或いは漠然とした不安、その不安にかかわっている事で極端にいえば気が狂うのではないかと思うほどの恐怖感等を感じていると思います。

誰の心も同じ構造になっています、人間の悩みや苦しみや精神疾患と言うものは、その中にいる時は出口のないトンネルに入ったような気がして、抜け出し難くなっています。それは肯定と否定の争いで常に否定=自我意識が勝っているためです。

処が人間の正常な生活を支えるという事は仏性の助けが無いと出来難いと言えます。自我意識だけで眠ろうとする場合が不眠症と言う事になります。自我意識だけで人に対処しようとする事が対人l恐怖と言う事です。自我意識だけで自分の気分をコントトールしようとする事が各種の精神疾患を生み出しています。自我意識だけで体の調子を整えようとする事が自律神経失調症と言う事になります。

この事から抜け出すのに日本には良いものが有ります。一つは森田療法と言うものです、是は神経症と言うものと軽いうつ状態に適応出来るものです、森田療法の学び方が有ります。それは神経症全般について学ぶと言う事が肝心です。貴方の症状だけではなしに、人間はどうしてこうなってしまうのか?と言う事を考えると言う事です。自分の症状を無くしたいという観点から森田療法に取り組むとしたら、神経症は尚更悪くなるかも知れません。

それからさらに突っ込んで精神疾患の完治を求めるなら「禅」というものに取り組むと良いと思います、お釈迦様の教えは「一切皆苦」という状態からの脱出方法と言えるからです。今の貴方は「一切皆苦」という状態になっていると思います。その事から抜け出す方法が「禅」の中に在るからです。

この事を詳しく書いているととても時間が足りなくなってしまいますので、要点だけを書いておきます、実際に貴方が自分で学んでください。

禅は不安になり易い先達がその不安を安心に替えてきたという歴史が有ります。人間の最大の問題は「生死の問題」と言えます。その問題の解決が禅の中に在ります。精神疾患の原因も多かれ少なかれ「生死の問題」と切り離してはは考えられない一面が有ります。或いは人生が何か・自分は何者かという疑問です。この事から精神疾患が説明し難くくなっているという面があると言えます。

貴方の症状の治し方を書いてみます、貴方に顕れている症状は自分自身が起こしています、貴方が意識をして仏性の働きを無視している処から貴方に送っている信号です。貴方が困っているのを助けよう、或いは助けたいというサインです。貴方はその症状を嫌っています、症状を無くしたい、或いは治したいと考えています。是は誤りと言えます。

症状を無くしたい、治したいという「心の働きが」その症状を作っています。その事で返って症状を重くしています、そうして自我意識に固定させています。本当の完治を望むなら、もう症状は相手にしない事です。症状を無くしたいという貴方の心の働きが症状を生み出している原動力になっている事を、しっかり肝に銘じて下さい。

そうして今後症状の事を口にもしない、書きものにもしないという事が完治の第一条件になります。症状を完全に消滅させるためには症状を相手にしても何にもなりません、返って症状を重くしてしまいます。是は心の矛盾です、症状を無くしたいという心が症状を作っています。

そして森田療法、中でも鈴木知順先生の書いたものが良いと思いますが、学ぶ事です。どうして神経症が起きるのかという事をです。

そうして禅も学ぶのです。参考になるものは鈴木大拙博士の書いたものが良いと思います。博士は25歳で見性しています、つまり悟りを開いているという事です。自分の仏性と出会うという体験の事です。その事から、書いたものにも、適切な助言や、アドバイスが込められていると思うからです。

貴方の場合にも自分自身を知ることが出来たなら、精神疾患の完治という事になります。お釈迦様の教え或いは禅というものは自分自身の不安を起こしているものを直接掴め、という事です。是は宗教では有りません。人間の不安や恐怖に対する究極的な精神療法と言えます。

禅問答が解けた時には生死の問題さえも「意識には上がってきません」是は生きて行く時には安楽に生きて行けるという事を意味しています。心が二度と言い争いをしなくなるという事です。二つになった心が又一つになるという意味です。

もっと言うなら、矛盾していた二つの心の、矛盾が解消したという事になります。心に子供の時のような平和が戻ってきたという事です。キリスト教的に言うなら、天国に一番近い存在という幼子に近ずいたという事です。「神に会って罪が許されたという事になります」

辛い気持が続くかも知れませんが、症状を何とかしたいという取り組みでは、この問題は解消しません。今言った二人のおかげで、今は安楽に暮らせるようになった者です。
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この回答へのお礼

回答再度ありがとうございました。

まとめると「空虚」の時間を以下に作るかと理解しました。その方法は私自身が見つけ出し、実行するしかないと思います。私は精神世界に対する理解は未熟ですが、指摘頂いた事項を私なりに検討してみたいと思います。ただ、唯物論に支配された現在の研究環境では難しいのが現状ですが、そんな余裕も無いのも事実です。

私は神や仏の存在は信じていませんが、複雑な自然現象の総称としての神(スピノザの神)は信じています。その流れに逆らわず、平常心を保てる方法が見つけられればと思います。

お礼日時:2009/03/02 18:12

慈悲の冥想で自分のエゴを破ることにチャレンジしてみては如何でしょう。



自分・親しい人々・生きとし生けるもの
私の嫌いな人・私を嫌っている人

に対して

幸せでありますように
悩み苦しみがなくなりますように
願い事が叶えられますように
智慧の人になれますように

と念じていきます。

最初は自分に対してもスムーズに心から念じられない場合もあるでしょうが、徐々に広くできるようになると思います。

何もする時間も無い時に頭の中で念じてみてください。
実験してみてください。幸せでありますように。と。

スマナサーラ長老の書籍などで詳しく語られています。

では、幸福であれノシ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

記載頂いた事項は精神世界に関連する項目と思われますが、私には理解に時間がかかりそうです。武道をやっている時は瞑想をして、自分の心を整えるという事をしていましたので、余裕を作って挑戦してみたいと思います。

お礼日時:2009/03/02 18:06

時間が無いとは思いますが、人生には無駄な事も必要です。

何事も理論立ててゆく事も時には必要かも知れません。ですが貴方の書いたものを拝見した場合に、欠けている事があるような気がします。

貴方の気が休まらない理由を書いてみますので、参考にして下さい。

気が休めているという事は、自我意識が意識をしない状態でいられるという事を意味しています。それは貴方が理論立てて時間を有効に使おうという配慮からと思いますが、貴方には無駄な事と思われている事と必要な事が判っていないという気が致しました。

人間が一番仕事や勉強が出来ている状態は、自我意識が無い状態です。没我、或いは我を忘れているという状態の事です。今の貴方は何時も「自我意識が意識をしている」状態です。この状態の事を鬱や神経症などの精神疾患になった状態と言います。

人間の心は自我意識の他にもう一つあります。それは貴方にも分る筈ですが、自転車に乗っていた場合にもその事が言えます。乗りながら携帯でも話でも景色を楽しむ事も出来ているはずです。貴方が自転車に乗っていながら、貴方の自我意識は自転車を運転していません。

もう一つ例を挙げるとしたなら、車の運転をしたとします、急ブレーキを踏む事を思い出して下さい。フートブレーキを踏む事を自我意識は命令していない事が判りますか?自我意識は「思わず」足が直接働いています。心が意識しなくても体は働いています。

こうい事は挙げ始めたなら限なく在ると思います。貴方を働かせているものは貴方の自我意識だけでは有りません。貴方にはもう一つ貴方を働かせているものが有ります。もっと言うならばその働きにも心が有ります。貴方が鬱の症状がきつくなった時の事を思い出して下さい。貴方は自分の心と争っているのが判ると思います。貴方の自我意識は何時も否定していると思います。

ですが貴方のもう一つの心は肯定していると思います。この肯定と否定の落差を貴方の自我意識は苦しみ、心の圧迫感として受け取っています。それは貴方自身が、自分の肯定している心を無視しているからです。

それは貴方が「不安のために」意識をし続けているからです。不安は自分の自我意識ではどうにもなりません。不安な心はそのままにして置く事です。そうして自我意識が意識をしなくても良い状態に持ってゆく事です。

自我意識が意識をしない状態と言うものは、夢中になって何かに打ち込んでいる事です。我を忘れてやれるものを見つけて「時間が無い」と言う事を言わないで、やってみて下さい。我を忘れられない状態が精神疾患を作っています。我を忘れている間中心が休めています。その繰り返しで普通の精神状態と言うものを思い出して下さい。

人間の心が正常と言う事は意識と無意識が常に密にコミニュケーションが出来ている状態の事です。その時は心が一つに感じられます。不安感は無い状態です、孤独も感じません。心の言い争いが無い状態です。

その反対が不安の時です、この時は(何かを)意識した状態です。何を意識したにせよ、人間が必要以上に意識をした状態が「精神疾患」と言う事が言えます。その意識したものが直接「症状名」になっています。

その事が判るならば精神疾患の完治と言う事になります。人間の苦しみと言うものは意識をするという処に在ります。聖書の要諦も仏教の要諦も同じ事で出来ています。自我意識のみでは幸福になれなくて地獄に入ってしまうという事です。自我意識が自分を働かせているものと手を取り合って生きてると言う事です。

もっと言うならば自我意識「我」を捨てて自分の働きに任せて生きて行く事が本当の幸福につながっているという事になります。その時は至福の時と言えます。自我意識を安楽と言う心で包み込んでくれるからです。もう一つの意識とはキリスト的に言うならば神に当たります。仏教的に言うならば仏性ということになります。

貴方は知らないで神と仲たがいしているという事になります。誰の心にも宿っています。我を張らないで自分自身の働きに任せるという事を学んでください。要請があるならもっと詳しく書いてみる気はあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

確かに私は自分の内面に対して、指摘頂いた様な点の考慮は浅かったと思います。けどアドバイス頂いた事は幾つはわかります。

>人間が一番仕事や勉強が出来ている状態は自我意識が無い状態です。
ご指摘の通りです。現在は楽しんで勉強するという事が出来ていません。心配事と戦いながらですので本当の意味で勉強が出来ていません。

>貴方には無駄な事と思われている事と必要な事が判っていないという気が致しました。
何となく分かります。今は指摘頂いた「自我意識が無い状態」が無い状態です。そのバランスの悪さも感じています。ただそのバランスをとる方法(無駄な時間を過ごす方法)が分からないのが現状です。

>まず夢中になって打ち込んでいる時が必要だという点です。
以前は私はスポーツをしており、練習は苦しかったですがそれをしている時は何もかも忘れられました。今はその様な時間を持つ事はありません。常に何かを心配しています。

以上のアドバイスから自分でできる事は、
(1)無理にでも時間を使って運動をする。
(2)どこか海岸にでも行ってボーっとする。
と思います。ただ、現状の精神状態では心配事が頭から離れません。それともご指摘頂いた「自分の働きに任せて生きていく事」は結果的にここを去る事なのかもしれません。以上が現状での私の理解ですが、再度アドバイス頂ければ嬉しいです。

お礼日時:2009/03/01 08:07

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