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一般的に「和をもって尊し」をはじめとして理解されている、彼の17条の憲法。

「儒はこれ五常の宗、五倫の源なり。五常は身を修めて道を理め、五倫は身を立てて、世を建つるものにして人として之を学ばざれば、則ち禽獣の消息に落ち、永く君子の威儀を失わん。其の学ぶ所は、人の和を先にすべし。 」


日本には「和」がなかった?
だから、太子は「和」を説いたのでしょうか?
回答よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

蛇足の参考程度に



神道には教えがありません。神道の政治は本来的には徳治政治ですね。
アマテラス、ヒミコ以来の日本の徳治政治は「和」を尊んできたのではないでしょうか。法律がなければ「和」と儒教精神でないと治めることは難しい
ですね。ヤマトの国の当て字に「大和」を使っていることからしても妥当なように考えます。
#6のpandapapaさんのご指摘のように、
国として確立するために仏法を教えとする教えによる政治が必要になった。
そこで憲法が必要になり、憲法の第一条は、日本人にとっての「和」の精神が盛り込まれたと考えられますね。つまり「和の精神」は過去から面々とヤマトの国の基本理念であったこいうことですね。
物部、曽我氏の戦いは旧勢力と新しい国づくりの考えの「いわゆる明治維新と同等のもの」相克ではなかったかと考えられます。
憲法は、当時の巨大な隣国の中国との外交を考えると道徳的なものではありませんね。国家としての憲法だと考えられます。明治維新でもそうでしたね。同じような変革があったと考えることが出来ますね。

参考程度に
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井沢元彦の『逆説の日本史』小学館(単行本で9巻室町時代くらいまで出ています。

文庫本もあります。)をお読みになることをお勧めします。2巻に聖徳太子の項がありますが、十七条憲法や「和」については1巻の86ページから109ページを参照されるといいでしょう。
今までの既存の歴史認識と異なり、くせのある論ですが、一読されると日本の歴史についても認識を新たにされると思います。

他の方が回答されているように、聖徳太子があの時点で「和」を説いた背景には物部氏と蘇我氏の争い、叔父である崇峻天皇の暗殺など、多くの戦乱が背景にあると思われます。ただ、井沢氏が指摘しているように、日本人にとっての「和」の意味が十七条憲法に凝縮されているのでは。なぜなら、聖徳太子は熱心な仏教徒でありながら、この憲法の第1条は、仏教のことではなく、また、天皇でもなく、「和」なのですから。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/browse/-/ …
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当時.宗教も政治も科学も芸術も同じようなものです。


極端に言えば.政治の一分野として宗教がありました(東大寺かいだんいん参照)。
宗教を使って.民衆を納めていた地代です。

当時の時代背景は2番の方が記載しているので省略。
この戦乱を押さえ.聖徳太子による独裁政治体制を確保するのが.聖徳太子の仕事でした。
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こんにちは。


この時代については推測の域を超える事は難しいのではと思います。

皇位継承の複雑さ・・用明天皇から崇峻天皇、推古天皇となぜか聖徳太子が皇位継承の対象外だったり(用明天皇の息子にも関らず・・・結果的に推古天皇の皇太子にはなったのですが・・)、蘇我氏の台頭などが関係あるのではないでしょうか。

聖徳太子は宗教家としても名高い人物でもあるので、和を説く事は不思議な事でも無い様な気もします。(その割に四天王を刻み物部氏を滅亡させる片棒を担いでいる一面もあったようですが・・・)
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 No.1の方の回答への疑問



 この世に誰もタバコを吸う人がいなかったとします。そういう状況で、禁煙席や禁煙室などを設定するでしょうか?甚だ疑問です。歴史学的に見れば、逆説的に捉えて正解だと思います。即ち、No.2の方が述べておられる通りでしょう。

 なお、もう一つ加えるなら、加羅(任那)の回復も意識されていたと思います。この当時の朝廷は、まだ全国の完全制覇をなしえていないので、鉄鉱石の供給が必要でした。そのためには、何としてでも加羅(任那)の回復は不可欠な条件であったからです。高句麗や新羅との戦いは、国内の秩序が乱れていては不利なので、「和をもって尊し」と説いたと推察されます。
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「十七条憲法」制定前の状況を見ると蘇我氏と物部氏の対立から勃発した「物部戦争」、「祟峻天皇暗殺」など「和」とは全くかけ離れた対立と混乱の状況を呈していました。


故に太子は憲法に「和をもって尊し」と説いたのではないでしょうか。
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和があったからこそ、和を説いたときいたことがあります

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この回答へのお礼

うむぅ。
できればもう少し詳しくお願いします。

この憲法(?)は、法規というよりもどちらかというと道徳的
なものだとは聞いたことがあります。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/13 21:43

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