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こんにちは。このサイトの質問を見ていてつくずく感じるんですが、
英語を上達させたいという人が多いんですが、その中でも 英語が手段と言うより 英語そのものが目的になっている人を多く見かけます。幾つかパターンを挙げてみます。

(1)TOEICや英検の資格が目的の為、折角 級やスコアを取得しても普段、英語に接する機会が少ない。結局、日本で出版された英語の教科書や参考書以外の英語に多く触れていない。

(2)英語をペラペラ話せるようになる為に、英語圏の国に留学しようと思っているが、英語を使って何をしたいかという具体的な目標がない。

(3)英語のレベルを上げようとして、さほど興味もない英字新聞を無理して読んでる。

(4)日本語もおぼつかない小さな子どもに高価な英語の教材を与えている親御さんが多い。

私の考えですが、日本人は英語が話せることに何か幻想を抱いている人も多いように感じます。↓の質問の最後の回答が参考になります。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4519127.html

やっぱり、日本人には愛国心が低いことも関係しているんでしょうか?

A 回答 (14件中1~10件)

はじめてこちらを利用させて頂いています。


投稿件数が多く目立っていたのでついつい読んでしまいましたけど、読んだついでに回答させて下さい。

あれもこれも回答していては収拾がつかなくなるので4)の場合で答えます。

<(4)日本語もおぼつかない小さな子どもに高価な英語の教材を与えている親御さんが多い。

と書かれていますがだからどうしたのですか???
中途半端に書かれているので、悪いのですか?問題があるのですか?と逆に質問させて頂くと同時に、私は、良いことだと思いますよ。

高価と書かれているので高価に問題があるようにも取れますが、もしおぼつかない子供のことで書かれるなら高価という言葉は必要ないですね。どちらを質問にされているのかが意味不明ですが、僕が感じたことを書きます。

1)言葉は音ですから、やはり小さな頃から耳にさせることは良いことです
音楽を子供の頃から聞かせるのも良いことだということは周知の事実ですよね

2)質問の内容をこういう見方もしてみます。
「親に英語を覚えさせる目的がないのに子供におしつける」
これは良いかどうかは答えはないでしょうね。音楽・バレー・スケートなど2歳・3歳の頃からやらせる親御さんがいますがそれも良いことでしょう。
卓球で有名な愛ちゃんは泣きながらでもやってましたが今では立派な選手になっています。
皆が皆そうなるわけではありませんが、だからといって何もさせずに安定した公務員を目指させるというのも夢のない話になってしまいます。
だから、幼い頃から英語を覚えさせるのには問題はないと思いますね。
それが結局子供にとって良い結果になることは間違いないでしょう。
英語を覚えさせて悪いことにはなりませんからね。

3)これで何かを聞きたいなんて思ってはいないと思いますが、高価につい一応答えます。
各家庭のふところ次第と親の愛情ですから口を挟むことは無意味です

しかし、この手の質問の回答はどこでも似たようなもので難しい言葉を並べることで余計に分からなくなってしまうことが多いですね。
ここは専門家同士が話す場でないからです。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>中途半端に書かれているので、悪いのですか?問題があるのですか?
別に悪いとは一言も言っていませんが。ただ、私には不思議に思えるだけです。単純に疑問に思うことに何か問題があるんですか?

>高価と書かれているので高価に問題があるようにも取れますが、もしおぼつかない子供のことで書かれるなら高価という言葉は必要ないですね。
なぜ、最後の項目だけに反応するんですか? 私は一番引っかかる順に書いていますので、最初の3つの項目は無視して欲しくないんですが。
それに、必要ないというのなら、最後の「しかし、この手の質問の回答はどこでも似たようなもので難しい言葉を並べることで余計に分からなくなってしまうことが多いですね。ここは専門家同士が話す場でないからです。」という文自体が必要ないのでは?私はただ単に質問をして、専門家も含めて意見を聞きたいだけなんですが。

>と逆に質問させて頂くと同時に、私は、良いことだと思いますよ。
それなら、自分のお子さんに大いにさせたらいいんじゃないですか?
事実、安易に“高価”な(あっ、またGl_Albaさんに叱られる)教材を子供に与えても失敗する事例が非常に多いものでして..... まあ、Gl_Albaさんなら うまく行くかもしれませんが..... 先ほども書いたように この問題点は4つの項目では一番重要度が低いのですが、丁度それに関する質問がありましたので、こちらを参考してください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4718382.html

>音楽・バレー・スケートなど2歳・3歳の頃からやらせる親御さんがいますがそれも良いことでしょう。
分かっているじゃないですか。英語の場合、それらと違って、小さい時から始めれば 苦労しないで英語を覚えられるのだと安易に考えている親御さんが多いように感じます。

>卓球で有名な愛ちゃんは泣きながらでもやってましたが今では立派な選手になっています。
愛ちゃんとは同郷です。そして、中国に縁があるのも私と共通しています。

>各家庭のふところ次第と親の愛情ですから口を挟むことは無意味です
私はただ、首を傾げているだけです。

補足日時:2009/02/16 02:44
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>>そういう意味では、(1)~(3)も、「お勉強は好きだけど、実際に英語を使うガッツはない」という性格が現われているのかもしれません。


>ここでの「ガッツ」とはどのように解釈したらいいでしょうか? courageというよりmotiveの意味で捉えていいんでしょうか?

#5欄にいただいた上記補足を拝見しました。両方ですね。加えて言えば、結局は、そこまで欲がないのかもしれません。実際に知人に、「これだけ英語ができるのだから、もう少し踏み込んで営業すれば、夢を実現できるのに」と言いたくなる相手が何人かいますが、夢と称するキャリアなどを実現できなくても、留学は楽しんだし、英語を使う仕事は少しかじったしと、今のままで幸せなのかもしれません。まあ、(1)~(3)については、私はよくわかっていないのですが。
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こんにちは!



 おっしゃっていることは、よく理解できます。

 1)~4)に列挙されているのは、英語学習が自己目的化し、「見栄」だけで勉強している実例になっています。それについては疑いがないような気がします。

 江戸時代に蘭学が行われるようになる前までは、学問といったら漢学のことで、それが出来るか出来ないかは、はっきりとした人間の階層差を形成していたでしょう。今はそれが横文字に移行したのだというふうに理解しています。かつてそうした階級差のためだけに漢学を勉強した人たちがいたように、今は西洋語、特に英語が、そうしたものの一つの指標になっているので、何に役立てようとするあてもないのに英語を学習するということが行われても不思議ではありません。

 もう1つは、それと深く関わりますが、学校のカリキュラムと受験システムで、これは他の回答者の方も書いておられますが、集団を、何点とか偏差値とかレベルとかで階層化されるのにわれわれが過敏に反応するような条件反射が体内化しているところがありますね。明らかに病的です。

 このサイトでも、やはりそれをひけらかす人も見られますように、"snobbery" の1つの形になっています。「英語がペラペラになりたい」という憧れは多くの人が共有していると思いますが、その底には、上に書いたような事情があるはずです。今に始ったことではないでしょう。日本はずっとそのようにしてきたわけですから。

 しかし私はこうも考えます。一体に、自分一人だけで孤独な営為を継続するのは難しいですね。例えば、バスク語を勉強するというのは、なかなか骨です。しかしこれだけ英語に対する、たとえ悪しきにせよ社会的な熱があれば、勉強の環境としては恵まれたところが出てきます。NHKでは受信料さえ払っていれば英語講座が受けられますし、テキストも驚くほど安いです。そうであれば、名を挙げておられる福沢諭吉や夏目漱石のような青年がいたとしたら、どんどん勉強できますね。ということは snobs は、そうした人たちを支えている応援団、後援者集団だというふうに...厚い層があってこそサッカーの名選手が生まれるわけで、われわれはそうした下積みの社会層を形成しているというふうに...

 そしてまた、もう一つ考えなければならないのは、現実に英語を使う状況にさらされる人の数が、江戸時代のエリ-トで中国語を使う必要にさらされている人の数とはもうまるで違ってきているということです。日常生活や仕事において日本語だけでやっていける人の比率ははあいかわらず9割以上でしょうが、そうではない人も間違いなく増えてきています。もしこれが8割に減じ、2割程度の人が日常何らかの形で英語にさらされるようになれば、大きな変化が生じます。個人的には世界はそっちの方向に向かっているとほぼ確信しています。英語が見栄ではない時代が遠からず来るでしょう。
 また、たとえ最初の動機が snobberyであっても、いついかなる時にその知識が役に立つかもしれないことも考慮して然るべきです。英語に対する考えは、日本社会全体でも大きな波(変動)を経験してきましたが、個人レベルでもそれがあると思います。それを認めると、現在見栄でやっている人も、将来成長して脱皮し、その考えを変える可能性もあります。変えたときに、これまで見栄で得たものは、真の価値を持つことになる...snobbery は蛹のような幼年形態だったことになります。

 第三に認めなければならないのは、何の役に立つわけでもないのに、どういうわけか英語学習が楽しいという人たちが相当な数いるという事実です。その人たちの動機は、見栄とは言いがたく、純粋なところがあります。(私もそういう面を持っています。)もちろん意地悪く見れば、いろいろなことが考えられるでしょうが、多分そうした意地悪い目では見えないものがあるように思っています。ちょうど、旨いと思って食べている食品には、その人の意識化できない滋養が含まれているであろうと想像して悪くはないであろうように...

 第四に、愛国心の問題ですが、日本固有の文化とか、日本人独特のものとかということ自体がやや幻想めいたところがあり、注意が必要だと思います。日本語自体、西洋語の血がもう内在化されていて、近代から見ても大きく変質しています。この間ある生物学者の書いたとても読みやすい本を読んでいて、ふとこれは英語のこなれた日本語訳のようだと思ったことがあります。発想自体がかなり西洋化してきている面があります。
 しかし一方で、確かに日本語や日本文化の中には古層が保存されている面もあり、そこは恰も、言語自体、文化自体が有機物のように、新陳代謝を行っているような気味があります。けっして英語のポチにはならない何かを守っていますね。そうした大きな知恵を信じることも、愛国心というのではないかもしれませんが、生態学的には自然な身の処し方だと思います。英語を勉強することが、自分をポチにすることには必ずしもならぬように、英語を捨てて伝統を墨守することが、日本語のためにいいかどうか、われわれの浅知恵では決められないように思います。

 書いていくときりのないテーマですので、ここらで打ちきります。下手な鉄砲を四発打ちました(!)が、何かご参考になることがあれば幸いです!

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>1)~4)に列挙されているのは、英語学習が自己目的化し、「見栄」だけで勉強している実例になっています。
そうなんです。PrinAppleさんのように英語が手段でなくても、自分の信念がある人はそれはそれでいいと思うんですが、「見栄」を張ってもつまらないというのが私の考えです。

>もう1つは、それと深く関わりますが、学校のカリキュラムと受験システムで、これは他の回答者の方も書いておられますが、集団を、何点とか偏差値とかレベルとかで階層化されるのにわれわれが過敏に反応するような条件反射が体内化しているところがありますね。明らかに病的です。
しかし、なぜか ベクトルが英語だけに向かっていますね。

>第三に認めなければならないのは、何の役に立つわけでもないのに、どういうわけか英語学習が楽しいという人たちが相当な数いるという事実です。
そういう人たちを私は別に否定しません。

補足日時:2009/02/15 10:48
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要するに、日本人は愛国心が低いから英語そのもが目的になって入るのでしょうか?ということに(も)なりますけど、日本人に愛国心がないというのは誰に聞かれたのでしょうか?


私はまったくそうは思いません。
何を根拠に愛国心がないと言われているのか分かりませんが、たとえば大阪の人達がお笑いを愛することで、特に自分達の言葉を誇りにしているように思えます。
それぞれの生まれた故郷の言葉を嫌だと思う人はそうはいないはずです。
そしてたとえ英語に憧れたからといってそれは愛国心がないということにはなるはずもありません。

東北の方が東京の標準語に憧れるように、標準語が喋れるようになったところで自分の生まれた土地を愛することがなくなるでしょうか?

とうことで、1)~4)に書かれたことは英語が出来る人が出来ない人に”目的もないのになにをやってるんだろうな~”という見方にしか思えないです。

だから私はそんなものは関係ない!どんな形であれ一生懸命することは何かに必ずプラスになるものだから議論する余地もないと言っているのです

何かを始めることは無駄足を踏むこともあります、遠回りをする人もいるでしょ。しかし、いろんな壁にぶつかってベストな道を見つけられた時にはその人にとって大きな進歩になるでしょう。

ここで書かれたことは<見た目だけ>でそう書く人もいるでしょが、それぞれの人が自分なりに努力していることであり、たとえ英語が上手な人から見て”なんでだろ~”と思うことでもそれが良い結果につながる事もあります。何が良くてて何が悪いとうのは1)~4)についてはまったく論外です。

(また、悪いとは言ってませんと言われそうでだけど)

多くの人が1)~4)をしていることは疑問を持つ必要もないと思うし、英語が出来る人のエゴなんではないでしょうか?

反論ではありません。少し詳しく書いてみただけです。

先ほど回答を頂きましたが、それについては↑のように長くなったので省略します。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>それぞれの生まれた故郷の言葉を嫌だと思う人はそうはいないはずです。
私は東北の仙台に住んでいますが、地元の方言を野暮くさいと思っているんですね。ここが大阪の人と大きく違います。方言を恥じる人が多く、最初は首都圏の人と話す時は方言を出さないように過剰に意識していたんでしょうけど、今では故郷の人同士でも標準語で話すのが普通になりました。

>そしてたとえ英語に憧れたからといってそれは愛国心がないということにはなるはずもありません。
私は中国人やロシア人に知り合いがおりますが、彼らは自分の国を誇りにしています。そして、ただ英語が話せればカッコいいという漠然とした理由で英語を学習する人はあまりいないようです。


>東北の方が東京の標準語に憧れるように、標準語が喋れるようになったところで自分の生まれた土地を愛することがなくなるでしょうか?
自分の生まれた土地を愛さなくなることはありませんが、これも大阪の人と大きく違うんですが、山形や岩手よりも都会だという優越感はあるものの 東京志向が強く、大阪のように自分たちの土地を誇りにするというような心理が希薄です。

>とうことで、1)~4)に書かれたことは英語が出来る人が出来ない人に”目的もないのになにをやってるんだろうな~”という見方にしか思えないです。
英語そのものが目的なだけでしょ。PrinAppleさんはPrinAppleさんでいいんじゃないですか。確固たる信念があるようですから。しかし、その信念さえないような人が多いように感じます。

>多くの人が1)~4)をしていることは疑問を持つ必要もないと思うし、
私が何に疑問を持つの自由のはずですし、それに対して PrinAppleさんがとやかく言う必要はないのではないでしょうか?

お礼日時:2009/02/15 10:43

bono catさんの挙げられた1~4)は多くの人が気付いている日本の状況を簡潔にまとめたものですね。


その上で、日本人の幻想かな?という感想と、愛国心が低いから?という疑問をお持ちと思います。

幻想と言えば幻想です。日本では日本語が有れば生活には困らないですし、世界中の情報も入手できるのですから。
これに多少の英語情報が上積みされても情報の取捨選択能力が無ければ邪魔なだけです。
ただ、学校課題として与えられ、選別化に使われ、できるに越したことがなければ、と言うことで誰もができればな~と思います。
最近は社会も「変」で表される時代、人並みにできればこの「変」について行けなくなるという恐れもあります。
(日本で人並み=英語全くできないレベルですが。)できない人ほど英語教育を強調し、程々できる人は誇示し、できる人は静かに優越感に浸ります。
丁髷をザンバラ髪にするように物理的に簡単に行える事とは違うのに、国民皆英の幻想交響曲状態です。明治維新の頃、日本人はできるだけ
混血化すべしとか英語を喋るべしと言った当時の高官を嗤えません。

愛国心の問題ではありません。流浪の民ほどよその言葉を早く覚えます。レベルはポン引きさん程度でも。
自負心が弱いから幻想を抱くのかと思います。何か認められたい。殺し文句「国際的、国際人」に弱い。
それで、訴えたいものが無い、中身が無いのに、無いものを伝える手段に憧れる。手段が有れば中身が有るように勘違いする。
私の意見では、日本で一番の国際人の例は「職人技を持つ大工さん」です。アルファベットすら知らなくても、その能力を
技=中身を通して万国の人に伝える事ができるからです。
今の英語騒動は中身の無い過剰包装の様なものです。How do you do?で始まって、その後自分の何を伝えるのですか?

そんな想いを持って、ご質問を拝見させていただきました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>これに多少の英語情報が上積みされても情報の取捨選択能力が無ければ邪魔なだけです。
そうですね。英語情報は日本語情報よりもはるかに多いですが、
それだけに無駄な情報の比率も日本語情報より高いように思えます。
しかし、日本語情報では得られない情報も多いわけですね。

>できない人ほど英語教育を強調し、程々できる人は誇示し、できる人は静かに優越感に浸ります。
鋭いところを突いていますね。

お礼日時:2009/02/15 10:04

こんにちは。

 #4の再入場です。 鋭い指摘に久しぶりに手応えを感じました。 良くお出来になる方ですね。 

> 常にフランスはひねくれ者、中国は頑固者、ロシアは悪者、アラブはテロ国家群、というような視点で世界を見る構図は英語が読めても変わらないと思います。

私はODAの仕事でマルチと言って、いろいろな国籍の人たちと一緒に(日本人はひとり)仕事もして来ました。 英語で仕事をする時には、誰も何がしかのハンディを負っています。 しかし、決してステレオタイプのフィルターを掛けることはしません。 一緒に仕事をやる時は成果を挙げることが第一の目的です。 相手の良いところを引き出すことが求められます。 お互いを理解し合うことが求められます。 

> 知りたい情報が日本語では限界があるからです。

仰る通りです。 日本語の情報には限りがあります。 現在、インターネット網を通じて流れている情報のうち、約70%は英語で書かれたものです。 このことは多分ご存知と思います。 

英語で検索すれば良質の情報を豊富に入手出来ます。 これも言わずもがなでしたね。 或る程度以上の速読能力(一分間に約200語程度読める力)を身につけて英語で書かれた情報に気軽にアクセスして下さい。 必ず出来ます。 
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この回答へのお礼

再度回答ありがとうございます。

>私はODAの仕事でマルチと言って、いろいろな国籍の人たちと一緒に(日本人はひとり)仕事もして来ました。 
話をはぐらかされたようですが、話を元に戻すと、アメリカのメディアを読むと常にアメリカが正しいんです。イギリスのメディアも基本的に同調的です。

>現在、インターネット網を通じて流れている情報のうち、約70%は英語で書かれたものです。 このことは多分ご存知と思います。 
今は、50%を切っていますが、それでもネットで使われている言語では英語が断トツで多いですね。

> 或る程度以上の速読能力(一分間に約200語程度読める力)を身につけて英語で書かれた情報に気軽にアクセスして下さい。
英語でも読みやすいものでしたら、この位のスピードで読めますが、日本語だったら最低1000語は読めますので、歴然とした差を感じます。

お礼日時:2009/02/15 09:55

幻想ではなくすべてが現実だと思います。


英語だけではなく文字本来の目的は人に伝えるために出来たものですが、今では日常使うこともしないのに受験のため出世のためとか違う目的で使われるようにもなってきました。
現実がそうである限り英語の目的というもは人それぞれで、英語を使うことをしなくともそれが受験であろうと出世であろうとそれが目的であるのだから勉強している人に疑問を投げかけるようなことは必要ないと思います。
勉強というものは自己啓発・能力だけを高めるものではありません。
たとえそれが何かの目的のためではなくても勉強するということはすべてつながるものです。
決していかなる理由であろうともがんばる人に水をさすようなことを言う必要はないと私は思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>幻想ではなくすべてが現実だと思います。
「幻想」をどのような意味で解釈されたか存じませんが、#6さんと#10さんが詳しく書かれております。つまり、英語が出来るということを過大評価していると思うんです。

>英語を使うことをしなくともそれが受験であろうと出世であろうとそれが目的であるのだから勉強している人に疑問を投げかけるようなことは必要ないと思います。
どうしてですか? 私は別にそれが間違っているとは言っていませんが。

>勉強というものは自己啓発・能力だけを高めるものではありません。
別にそんなことを言っているつもりはありませんが。

>決していかなる理由であろうともがんばる人に水をさすようなことを言う必要はないと私は思います。
同じように、決していかなる理由があろうとも質問者の揚げ足を取る必要はないと私は思います。

お礼日時:2009/02/15 02:28

リンク先の例では(1)(2)は、有用ではありません。



質問は一般人としての日本人の英語熱心を問うているなら、先の(1)(2)は、職業などで一流のものがあり、それは語学や会話とは直接リンクしないため、単純に成功例に英語不要論をむすびつけた、誤解を招く書き方です。

しかし(3)には質問への答え(というか手段の例)が書いてあります。

>(3)モグさん(53歳)・・・髪の毛が薄くなってきている。タイのバンコクの繁華街で巧みな英語で外人に声をかけ、売春宿の斡旋をしている。日本語もまずまず操れる。

ここにはやはり生きるために英語、および日本語を操っているよい例が書かれています。
このため、その先の回答の最初にいっていることと矛盾します。

本来多くの日本人も、このような言葉の用いられ方、すなわち言葉は生きるための手段やツールであることを、頭ではわかっているのですが、しかし小中高の日本の学校教育のスタイルや、文法ありきの英語教育環境に育ちそれに慣れてしまっているので、それを崩せなくなっているのだと思います。

日本で日本語だけで暮らすと覚悟を決めている人には、外国語は本来どうでもいいことです。きっと、その人は日本が永遠に今の形のまま、安定度したまま存続するという視観や人生観があるのでしょう。
しかし、逆にその日本は(外国諸国も含めてですが)今の経済や世界情勢の中では、安定は決して望めないと考えている人もいます。その場合、モグさんのように生きるために言葉が大切と考えている人は多いと思います。

日本人の大半は現在パラダイス鎖国的な生き方をしていますが、同時に大半が日本そのものへの不安、仕事を失う不安、同世代の中で落ちこぼれる不安などを(たぶん意識はしていないが)もっていると思います(アンケートはこれらを数字で顕著に示すことがある)。

このため自分の外側の世界(外国だけではなく他の仕事などのチャンスも含め)、とつながるためには、やはり言葉が大切とどこかで感じているのだと思います。
しかし学校時代に叩き込まれたことは(歴史教育もそうですが)、簡単にはくつがえせないし、違う道があることにも本人たちは気がつかないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>質問は一般人としての日本人の英語熱心を問うているなら、先の(1)(2)は、職業などで一流のものがあり、それは語学や会話とは直接リンクしないため、単純に成功例に英語不要論をむすびつけた、誤解を招く書き方です。
jayoosanさんがどのように解釈されたかは存じませんが、私はそのリンクの回答では英語が話せることをそんなにカッコいいと幻想を抱くことを皮肉っているのだと思います。英語不要論とは直接関係はないような気がします。ピエールさんにしてもカルロスさんにしても 折角 世界の檜舞台で活躍しているのですから、仕事上 英語が必須ではないにしても、英語が流暢に話せればメリットは大きいはずです。

一つ言えるのは、日本ではモグさんのように英語が話せなければ飯を食っていけないという切実な状況にある人は少ないことです。

お礼日時:2009/02/15 09:48

こんにちは。


私も日本人の英語学習に関しては日ごろから疑問に思うところが多々あります。
まず、「英語自体が目的になっていて、あとに続くものが無い」という人達ですが、これは日本人の英語学習者でもかなりの割合だと思います、質問の(1)や(2)、(3)なんかそのままこういうタイプだと思うのですが、「英語が出来れば人生が変わる!」のような考え方は日本の英会話産業業界のPRの成果でしょう、留学業界も含めてですが、なんだか英語が神通力の一種かのような持ち上げ様です、「留学すれば未来が変わる!君も輝ける国際仕事人になれる!」みたいな抽象的な謳い文句、良く耳にしませんか?たまに性質の悪い謳い文句や広告を見聞きしますが、言葉は悪いのですが、ああいうのは殆ど詐欺に近いのではないでしょうか。
勿論英語が使えればとても便利ですが、、、結局道具のひとつですので、使う人間が自分を鍛えなければ意味無いですよね。ちなみに仕事で海外に送られ、現地での生活と仕事に英語が必要だからと、英語を学んだ人に数人心辺りがありますが、その方達はあまり英語が流ちょうとかそういう事を気にしません、それが目的ではなく、あくまで仕事と生活を助ける道具だからです。第一、海外で円滑に仕事をしていくには、言葉以上に大切なものがあるからでしょう。
しかし、目的も無く勉強している人こそが英語の能力に拘る傾向があります。それは恐らく、それ以外の自分に今いち誇れる部分が無いからなのでしょうが、、、英語力がどんなにあっても本人が人づきあいが嫌いだったり人との会話が苦手だったりしたら全く意味ありませんよね、このあたりを無視している学習者や教育熱心な両親が多すぎる気がします。
ただ、愛国心云々は特に関係ないと思います、先ほど述べた通り、どちらかと言うと日本の話せない英語教育や業界のPRの結果じゃないでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

鋭いご指摘ですね。広告に乗せられやすいのは日本人の国民性でしょうか。

>ただ、愛国心云々は特に関係ないと思います
#11のお礼をご覧ください。

お礼日時:2009/02/15 09:34

(4)に関しては、親御さん自身が「英語で苦労した(と少なくとも感じている)」という場合が多い印象が、子育て経験を通じて感じています。

要するに、自分が、学校の英語の授業で苦労した。受験で苦労した。ビジネスで、海外旅行で苦労した。だから、子供には苦労させたくないので、早めに英語を叩き込む。

では、数学や社会では苦労しなかったのか。そういうわけではないようですが、なにせ、どんな道を歩もうとも、日本の「システム」では英語が付いて回ります。つまり、文系に進もうが理系に進もうが、必ず英語の授業はあるし、高校以上の入試には必ず英語がある。結局、どんなに頭がよくても、英語のテストで点数が取れなければ、高等教育が受けららない、と少なくとも多くの人々は思い込んでいるのです。

で、申しましたように、現実世界で英語が必要というよりは、英語が必要だと彼らが「思い込んで」いて、その英語ができない彼らはコンプレックスをいだいているわけです。たぶん、この「苦労させたくない」というのには、本人が意識しているかどうかは別として「自分が味わった、いやな感情を味わわせたくない」という思いが多分に含まれているのだと思うのです。(4)のようなケースに限って、親は英語ができなかったりしますからね。

で、愛国心とは、あまり関係ないと思います。愛国心が関係あるなら、右翼はみんな(1)~(4)に当てはまらないでしょうが、実際には右翼にもそういう傾向はあります。どちらかというと、シャイな国民性かもしれないと思っています。そういう意味では、(1)~(3)も、「お勉強は好きだけど、実際に英語を使うガッツはない」という性格が現われているのかもしれません。

ただ、日本は広く、英語を使える能力があっても、使う機会になかなか恵まれないのもまた事実です。ご存知のように、国際都市ともいわれる日本の市に住む私は英語が堪能ですが、実際に英語をしゃべる機会を得るのは年に1~2回といったところですよ。外国人も最近は日本語ができますしね。

一方で、外国語に対する憧れというものは、人間なら誰にでも多かれ少なかれ、あるものなのではないでしょうか。日本ではたまたま、英語が手軽に学べて、しかも使いでがあるという先入観がありますが、他の語学もそれなりに人気があります。鎖国時代にも、使う機会が大してない蘭学に人気がありました。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

>要するに、自分が、学校の英語の授業で苦労した。受験で苦労した。ビジネスで、海外旅行で苦労した。だから、子供には苦労させたくないので、早めに英語を叩き込む。
私もそもそもここが間違っていると思います。私の場合は小学生の頃、国語が得意でした。そして、中学、高校と英語も得意でした。英語で苦労する人の半分は国語力も弱い傾向にあるようです。ですから、小学生のうちから英語を学習すれば、中学校のうちは余裕で英語を乗り切れても、国語力が弱ければ高校に入ると英語で脱落する人も少なくありません。勿論、国語力と英語力が単純な比例関係にあるわけではありませんが、ここでは割愛します。

>つまり、文系に進もうが理系に進もうが、必ず英語の授業はあるし、高校以上の入試には必ず英語がある。
私の場合はレアケースですが、センター試験の外国語は中国語を選択しました。しかし、外国語は選択教科とはいっても、殆ど全ての人は選択という観念はなく、英語という教科に捉えていると思います。まあ、このように考えて間違いはありませんが。

>で、愛国心とは、あまり関係ないと思います。
私も少し短絡的に考えたと思いますが、そのことについては#11のお礼で書きます。

>そういう意味では、(1)~(3)も、「お勉強は好きだけど、実際に英語を使うガッツはない」という性格が現われているのかもしれません。
ここでの「ガッツ」とはどのように解釈したらいいでしょうか? courageというよりmotiveの意味で捉えていいんでしょうか?

>ご存知のように、国際都市ともいわれる日本の市に住む私は英語が堪能ですが、実際に英語をしゃべる機会を得るのは年に1~2回といったところですよ。
そうなんすか。私はもっと頻繁にありますが、英語で会話するのは疲れます。

>鎖国時代にも、使う機会が大してない蘭学に人気がありました。
今では色んな外国語を学習する人も多いですが、オランダ語に限っては当時の方が学習者が多かったでしょうね。

補足日時:2009/02/15 09:27
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