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なぜ清や朝鮮は、できなかったのですか。

A 回答 (10件)

欧州国家自体が覇権闘争をしていて、最初の侵略者であるスペインから最後の覇者イギリスに到るまでに、あからさまな侵略・占領・植民地化というパターンが徐々に洗練されて行きました。


アフリカ・南米・インド・中国の差は欧州白人が勢力を伸ばす時間の差であり、位置の差でもあります。
中国に辿り着いた時点では各国の牽制もあり、彼らも相手と国交という形のスタイルを採らざるを得ず、裏から政権転覆を図って属国化を図る事になりました。
日本に於いてはそういった状況があって、国内が纏まっていたので近代化が実現出来たと思います。
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これまでの回答者の皆さんがたいていのポイントを出しておられますので、付け加えるに、当然ナがらやはり改新期に輩出したいわゆる明治の元勲たちを中心とする政治家、実務家たちが賢明だったからだと思います。

それに既得権益をむしろ積極的に返上した多くの地方大名、侍階級も。彼らの品格が良く、先を読んでいたことで国内の混乱が最小限に収まったということも大きかったと思います。
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#4です。



>不平等条約で大量の財貨が流出しながら、それでもなお投資していくだけの資金があったわけです。

日本には、西洋の近代生産体制を確立する以前に、流出した財貨を取り戻すだけの産業が在りました。それは絹の輸出です。明治のころ日本の絹に匹敵する高級な絹を生産できる国は、イタリアだけで、ミラノ近辺から生産されていました。ところが日本にとって幸運だったことには、丁度日本が絹を輸出し始めた頃、イタリアのカイコがウイルスによる病気で壊滅してしまったのです。したがって、絹の生産は日本が独壇場となり、流出した財貨をどんどん取り戻せました。

歴史を振り返ってみると、日本はどうも他人の不幸で国が救われたと言うことを繰り返して来たようです。他の例では、朝鮮戦争の勃発による朝鮮半島の不幸が、戦後壊滅状態になっていた日本を救っております。
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この回答へのお礼

そうなんですか。ナイスタイミングですね。

お礼日時:2008/12/15 22:21

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1800024.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4174250.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2780414.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3595414.html
類似の質問を集めてみました。不要かもしれませんが。

いろいろな答えがあると思いますが、あまりに具体化しすぎると他の条件を排斥することになり、本質からぶれる可能性があります。

ですから、曖昧に。
近代化の理由は
・国内に近代化を受け入れる土壌があった。
・国内外に近代化を邪魔する勢力がなかった、あるいは邪魔を排除できた。
最も抽象化するとこの二点に絞られます。

日本にはこの二点が早い段階で揃い、中華や朝鮮は少なくともどちらか一方が欠けていたといえます。

う~ん。なんとも曖昧な答えになったなぁ。。。
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何気に馬鹿にならないのが国内に大量に流通していた財貨です。


(金銀銅)
中世には世界有数の貴金属を産出し、それが明治までほとんど流出することなく流通していました。
普通の小国は不平等条約や隷属化で、十年二十年で富を吸い上げられてしまいます。
逆に言うととるものがなくなるからプランテーションするわけですよね。不平等条約で大量の財貨が流出しながら、それでもなお投資していくだけの資金があったわけです。
幕末から日露戦争が終わるまでは赤字一辺倒の貿収支、他の後進国で持ちこたえられる国は無かったでしょう。

ちなみに金銀は江戸時代、銅は大正期にほとんどとり尽くしました。
まあ鉱脈があったにしても、日本の人件費では割に合いませんが。
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日本人は正しさよりも賢さを選ぶ。


正義?何それ。おいしいの?

中韓の正義っぷりは良くご存知だと思いますが。
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ここ2千年ほどの歴史の中で、安定期に中央集権制度ではなくて封建制度を採用していたのは西欧と日本だけでした。

他のアジアの国ばかりでなく、この二つの地域を除いて世界中の国が中央集権国家だったのです。

封建制度とは、国民は豪族とか大名とか呼ばれる者に直接属し、その豪族を取り仕切る王の王とか将軍と呼ばれる者がいる制度です。ですから、国民は王の王に直接属していません。これは、国にたった一人の王と、それに直接属する国民からなる中央集権制度とは随分違う制度です。中央集権制度では、全てがたった一人の王の物なので、国民には私有財産と言う概念が定着出来ません。一方、封建制度では、少なくとも豪族や大名には自分の物であると主張出来る物があるため、私有財産の概念が定着し易いのです。この私有財産の概念は資本主義の発展をもたらすという意味で、国家の近代化になくてはならない概念です。ですから、どこの国でも私有財産の概念が重要だと気付くと、必ず憲法の中にそれを成文化します。たしか中国も10年ほど前に私有財産を憲法の中に成文化しましたね。聞く所によると、人類の歴史の中で、この概念を最初に憲法に成文化したのは、鎌倉時代の「貞永式目」だそうで、この概念を「本領安堵」という言葉で表現しています。西欧がこの概念に気付くのは日本より数百年後のことです。

また、封建制度では各豪族の所有している領土が、ゆるい独立国を形成しているので、その独立国家の間の商取引や外交の駆け引きが高度に発達できます。これは中央集権国家では難しいです。

したがって日本は、西欧がやって来る前に既に高度に資本主義制度と、工業技術を発達させていました。他の国では、銀行機関の各制度や、大砲、紡績機などの技術を西欧から初めて教わったのですが、日本では西欧に留学した連中は、何も新しい物を教わったわけではなく、日本人が既に知っている制度や技術を翻訳することを学んだだけでした。すなわち、日本語ではこう呼んでいる物があちらではああ呼んでいるということを学んだだけです。

意外に忘れられていることに、明治初期には所謂学生ばかりでなく、多くの時計師と呼ばれる和時計の日本職人が欧米に留学しています。時計を自ら設計して作ることが出来る連中には、大砲も、紡績機も同じ要領で設計もでき、作ることもできたわけです。

ですから、過去に封建制度を採用していたお陰で、西欧と日本だけがいち早く近代化できたのです。
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この回答へのお礼

興味深く読ませてもらいました。
やっぱりご先祖様の技術力が役立っていたのですね。
それと封建制度が近代化に貢献しているとは意外でした!!
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/03 15:28

識字率が高かったこともあるとおもいます。

幕末にきた外人が、お触れの札の文字を子供も大人もおばあさんもよんで、ワイワイやっているのみて、教育水準の高さに唖然としたそうです。読み書きそろばん、はできるようにするシステムがあったことが大きいとおもいます(寺子屋等)。

あと、外国人を文明人として、キチンと応対したのもあります。尊皇攘夷の争いはありましたが、幕府・政府のレベルでは、相手をバカにしていなかった。アフリカの某国は、王がフランス大使の事をバカにしてハリセンで横っ面たたいて、植民地となりました。清国は外国人にひざをついて礼をしろといって、これが対立の発端となります。半島は問答無用で攻撃です。

また、衛生管理がよかったこともあるとおもいます。疫病が流行りにくいのは事実でした。日清戦争の時に従軍したロイターの記者が、日本兵はみな歯ブラシもっている、と驚いていたそうです。

あと、地方の各藩がおのおの土地に根ざした生産物を持っていて、それが受け継がれ資産となっていたのもあるでしょう。流通が発達し出すと、これらが利益を生んでいくわけです。中国はこれには広すぎ、半島は特産品をひろげる思想がありませんでした。

それと、何だかんだ言っても、日本人が好奇心旺盛で、新しいものを一概に否定しなかった面を持っていたこともあるでしょう。有名な写真で、チョンマゲに軍服着た官軍のお侍が、笑いながらビール酌み交わしているものがあります。この一枚は、かなり多くのことを物語っているのではないでしょうか?
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島国の、単一に近い、民族国家という要因は大きいと、まったく同感です。

加えて、

重労働の農作業を、力を合わせて行う農耕共同体によって、人々が緊密に結びつき、
まわりの人と同じに、との要因が強く働き、教育・生産性の向上がすばやく浸透した。

武士道によって社会の秩序・規範・精神の支柱が明確だった。
たしかペリーの黒舟は、平穏な秩序・親切な人情・美しい町並みと自然に驚嘆し、
また死を恐れずに、主君・藩のため戦う武士を見て「こんな連中と戦争すれば、とんでもない事になる」と
植民地として侵略する戦争を、あきらめたそうです。
アヘン戦争をしかけられた清は、日本よりはるかに強大だったのに、です。
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この回答へのお礼

確かに一つの民族としてまとまっていることは、力になりますね。
異なる民族間で内戦やって無茶苦茶になっている国のこと考えるとそう思えてきます。

お礼日時:2008/12/26 19:09

小さな島国だったからです。



清のように巨大すぎて統治するのが困難でもなく(特に情報伝達について)、朝鮮のように大国に隣り合っていて常に脅威があるわけでもなかったわけです。

だから、イギリスも近代化が早かった…と私は考えています。
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この回答へのお礼

確かに中国広すぎますね。
今でも地方と都市の格差は、かなりあると聞きます。

お礼日時:2008/12/26 19:30

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