質問

質問者:garcon2000 古典派作品の価値について
困り度:
  • 暇なときにでも
私の感覚なので、聞き流していただいても結構なのですが、どうも昔から「古典派」作品に対する接し方というのがわかりません。世間ではこれこれの名作があって聴くべきである、という評判の古典派作品が多くあるわけですが、それらから受ける印象は、ことごとく退屈凡庸という印象です。それは、骨董的価値しかないのではないか?現代人の音楽的に肥えた耳にはもう通用しないのではないか?という疑念です。対して、名もない近現代作品がそれに比してなんと色彩豊かで叙情的かつ刺激的音楽的なんだろうと思っています。ただし、機能和声内にとどまっている近現代作品に限るのですが(この辺も私の限界を感じています)たいていの近現代曲はすばらしい哲学と手法に満ちているように聞こえてしまいます。
主に、近代的和性や、楽器の技術的更新によるのだと思います。

この感覚というのを、クラシックを聴く者として特殊と割り切っていいのか、一種の普遍的パターンなのか、それとも是非矯正すべきなのか、どうしたものでしょうか?
質問投稿日時:08/12/06 12:42
質問番号:4534020
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回答

良回答20pt

回答者:Ta595 またまたこんにちは。
蛇足な回答かもしれませんが。


私がしつこく回答しているのは,質問者さまがおっしゃっている『価値』とは,単に自分の好き嫌いの話なのか,あるいは,客観的・普遍的なことに言及しようとしているのかがよく分かっていないからです。

で,結局まだよく分からないのですが(汗),もしも価値とは好き嫌いのことなのでしたら,こういうことでしょうか。


「私は感動しないものは好きではない」
「私は古典に感動しない」
「したがって,私は古典は好きではない」


ややこしいこと抜きに,自分はあっさりした古典よりももう少し味付けが濃くて複雑なロマン派や近現代ものが好み,でも現代音楽までいくといや,ということならば,比較的よくあるクラシック愛好家の好みの傾向だと思いますし(私もこれに近い),人の好みなんて,たとえ30年変わらなくても明日いきなり変わるかもしれないものですよ・・・というのが,今までの私の回答の要旨です。

逆に,近現代音楽は色彩豊かで叙情的かつ刺激的だから,装飾過剰で感情過多で落ち着かないように感じて感動できない・好きになれない,という方もいらっしゃるでしょうし,クラシック音楽自体に興味がない人も然り。


一方で,もしももう少し客観的・普遍的な意味で価値というモノを考えてみようと思っていらっしゃるのでしたら,自分の主観的な好き嫌いは切り離して考えた方が良いのでは,とも思います。(非常に難しいことですが)
「古典に客観的な価値があるとは思えない。なぜならば,私の主観によれば感覚的に好きになれんから。」というのでは,いかんともしがたく(笑)

私がここでない知恵を絞って書かずとも(書けないから逃げてます,笑),バッハやモーツアルト(もちろんクープランやスカルラッティやシャルパンティエも)の偉大さはあまねく知られているものと思います。(オマージュ作品の数々は,多くの近現代の作曲家もまた古典に価値を見出していたという例として挙げました。オマージュ作品が聴けるなら古典も聴けるでしょ?という意味ではなく)


価値判断の基準は自分の好き嫌いである,と考えますか?
自分が好きではなくても価値があるものが存在するかもしれない,と考えますか?


・・・というのはいささか極端な問いかけではありますが。


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なお,まったくの余談ながら,#8さま(勝手に引用して申し訳ありません)が挙げたレオンハルト氏やフィッシャー氏は,「古典的な」演奏家だったことをご存知でしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E...
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A3%E...
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:08/12/10 02:26
回答番号:No.15
この回答へのお礼はっきり言って、クラシックのカテで質問する問題じゃなかったかもしれません。むしろ心理学かという気もします。確か以前心理学でも似たようなことを質問したことがあるのですが、ちょっと真理の扉が隙間程度開いたくらいで、ほとんど無為に終わりました(回答者さんたちには感謝しますが)

ですが、ここまで来て、いろいろと感性に関しての考察もさせてもらえるような回答も得られたのでかなり満足しております。

古典の普遍的価値観と「私」自身の価値観感性はどう折り合ったら言いのだろうか?という疑問に対して、「普遍的社会認知的」な「古典作品の価値」というものをかいま知って、あるいはその感性はこう考えたらよろしいのではないかという示唆をちょうだいして、あわせて考えれば何かわかってこないだろうかという意図で質問したところが、かなり有用な回答から知識をえせてもらいました。

>自分はあっさりした古典よりももう少し味付けが濃くて複雑なロマン派や近現代ものが好み,でも現代音楽までいくといや,ということならば,比較的よくあるクラシック愛好家の好みの傾向
>近現代音楽は色彩豊かで叙情的かつ刺激的だから,装飾過剰で感情過多で落ち着かないように感じて感動できない・好きになれない

これらの傾向が同居している市場なのだと思いました。この文章はとても納得できました。

回答

良回答10pt

回答者:sakaif モーツァルトやベートーヴェンのような音楽を聴いても、私も感動するどころか退屈してしまいます。そんな退屈する音楽を世間的に名作とされているものだから崇めろといわれても、私は到底そういう気にはなれません。(むしろ殺意すら覚えます。)
古典派作品は、どれもワンパターンで、ルーティンな量産品の音楽という感じが抜けませんし、ベートーヴェンの曲にいたっては、説教じみていて不快であり、二度と聞きたいと思えません。
そして、こういう音楽を聴く人たちも、頭が硬く、融通がきかないという特性を持っており、自分の価値観が正しいと思い込んでいるように思います。
クラシック音楽というジャンル自体も、死んでしまった作曲家の作品を繰り返し演奏することで金儲けをしており、何の創造性もないジャンルですね。
私たちは、こんなクラシック音楽というものにいつ決別するのでしょうか。

私は、このような進歩のないジャンルから距離をとることをお勧めします。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:08/12/10 00:12
回答番号:No.14
この回答へのお礼そうですか。私もそんな感じですね。ただ、ああいい曲はそれなりにいいじゃないか、と思えることもあります。
ふと、ここまで来て気づいたしいい足りなかったと思ったのは、「ドイツ的感性」というものに対してあまり親和性がなかった、と思われます。それと、古典というものの概念がかなりダブっている。古典でも、イタリア中心のラテン的感性に関しては、かなり違った印象があります。それはもっと親和的になれるのです。つまり、「古典」「ゲルマン的」というものが結びついてしまっている気がします。

この2つが結びついたものは、やはり、ルーティーン的で説教的であるという感じオーバーラップしてしまう。そこで拒否感が起こるのですね。もっとも、それから外れたドイツ的なものも多く存在すると思っています。すべては融合物ですからね、何が支配的であるかという割合の問題です。ドイツ音楽に影響を受けないフランス音楽はあまりないでしょう。

で、私自身も頭固く意固地だと自認しているのですが。違いますかねw
クラシック市場はまさに「死んだ作曲家の作品を繰り返し再現することで金儲け」するところです。何の発展性があるんでしょうね?

でも、決別するのは惜しい。もう今はなしえなくなってしまった秘宝もいっぱい詰まっているからです。それはまばゆいばかりの極上の世界です。
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