プロが教えるわが家の防犯対策術!

平日の方が安くて空いているからという理由だけで学校を休ませてディズニーランドやUSJに行く親御さんに質問です。
自分の子供が何かの理由(ゲームをしたい、友達と遊びたい等)で学校を休みたいと言ってきたらどうしますか?

A 回答 (22件中1~10件)

#3です。


えーと、先ほどの回答に記しているのですが。休みたいといえば休ませると。
一応理由は聞きます。ゲームであろうがTVであろうが、それで嘘でないならさせます。友達と遊ぶは駄目です。よそのお子さんまで責任もてません。違う理由がありそうなら心配します。
学校には、風邪気味とか嘘は言いません、かえって面倒になりますから。今日は行きたがりませんで大丈夫ですよ。

3人子供がいますが、3人とも小学校のときはそういうサボりをしてますね。理由はいろいろです。
下に赤ちゃんがいたときは、赤ちゃんの面倒が見たいとか、これは嘘だろうと思ってましたが、お母さんを独占している赤ちゃんに嫉妬してでしょう。気の済むようにさせたほうがいいから休みましたよ。結局自分がいないときに、特別かわいがっているわけでもないと納得したみたいです。
上の子が病気で休んだ後は、下の子がそう言う症状で休みましたし、
TVのチャンネル争いに負けてばかりの子が学校休んでTVを思う存分見たかったらしく休みましたし。。。一日したら満足して次の日は行きます。
子供って、まだ半分赤ちゃんですから、自分の感情をうまく納得させられないときがあります。そういう時、正論を言っても仕方がないのではないでしょうか。
度々そういうことがあるなら心配でしょうが、「本人の納得」が一番大切だと思ってます。

前に記したように、中学高校以後はありません。進路も自分で決めてます。特に問題の子はいません。

無理して説得せずに、様子を見ることも大切なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
すみません私が見落としていました。でも驚きました。そんなに簡単に休ませてしまうんですね。私が子供のころには考えられませんでしたが。
>>中学高校以後はありません。進路も自分で決めてます。特に問題の子はいません。<<

あなたのそのような教育方針で問題なく育っていることが驚きであり非常に興味があります。私の子供だったら間違いなく問題児になると思います。
何か秘訣というかどのようなポリシーをもって育てているのかできるだけ詳しく知りたいです。
もしよろしかったら教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。

お礼日時:2008/11/21 23:23

>あなたの家庭は親子でもめたことがないんですね。


>さぞご立派なお子様にお育てになったようで敬服いたします。

違うのですが・・・
個別事象の話ではなく、そこまでの関係性の重要性を言っています。
親子に限らず、知人同士でも、喧嘩やもめ事があってもそれまでの人間関係やお互いの考え方があれば、そこで解決点を見いだせるということです。

質問者様は、同じ事象が起きれば万人にとって同じかのように考えているのかも知れません。しかし、そうではありません。お互いに信頼関係がある関係と敵対関係の関係では、同じ事象が発生しても受け取り方が全く異なります。

仮に相手が約束の時間に来なくても、それまでの長い日数で信頼関係があれば「きっと何かあったに違いない」と思われます。一方、信頼関係がないどころか敵対しているくらいだと「あいつ、俺のこと軽視していやがる」などと思われます。

それと同じで、「家族イベントで学校を休む」「親子間で意見が対立する」「親が意見を変える」となっても、それまでにその子をどう育ててきたか、そこまでに築いてきた親子の関係によって、大きく状況は異なるということを言っています。

それまでに良好な関係を築けていなければ、いきなり取り繕おうとしても無理でしょう。どんなに理論武装したって無駄です。理屈で相手を論破しても従うものではありません。(えらい教育研究者や学者の子供が立派に育つとは限らない)
ですから、たとえ、多少の矛盾(?)があっても、対立があってもそれを理性と感情のある人間として解決できるようにすべきということです。


とある事象が発生した時の解決策は、その時に完全にマッチするような1対1対応の関係ではありません。同じ事象が別の家族に発生しても受け止め方は全く違います。そこで、その事象が起こるまでに確立された関係性や人間性が重要だということなのですが。

この回答への補足

くどいようですが、話が堂々巡りになってしまいますので、どうか回答はご遠慮ください。

補足日時:2008/12/11 16:00
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この回答へのお礼

質問した当初は「休ませない」を前提に考えていましたのでmuturabosi様のように「休ませる」と回答をいただいた時に正直びっくりしましたが、ご意見を伺って「こんな育て方もあるんだ」と考えさせられました。
一方、「休ませない」と回答された方はいくら突っ込んで聞いてみても休ませる基準がないうえに考え方に一貫性がなく、明らかに多くの親が自分たちの都合で子供を振り回していることがわかりました。これでは今の日本が荒れて、しかも経済的に衰退するのもうなずけます。
今後は規律正しい教育界が出来ることを願うばかりです。

多くの回答ありがとうございました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

お礼日時:2008/12/23 15:00

国民が受け入れてくれない話について書きます。



格差社会とか、階級社会とかについてどういう印象をお持ちですか?ということなのですが、

結論を言ってしまうと、一億総中流社会の終焉ということなのです。
日本がやってきた公教育というのは、簡単に言えば「一億総」というものなのです。
そのために、子供の時から、ある程度足並みそろえて、粒を揃える教育です。しかも落第がないので、無理やり揃ったことになってます。
この背景に「努力すれば、誰でも出来る」という信仰と「結果平等」を求める下地が準備されます。
確かに、中進国が底上げするには一番いい方法だと思います。明治以来それは成功したんだと思います。
戦後に限っても、ソコソコ粒の揃った若い人を産業界に送り出し、高卒の工場労働者でもそれなりに暮らしていける月給取りを産みだしました。(かつては、日給制が多く月給取りは少なかった)

日本が先進国になってしまったこと、東西体制が崩壊したこと、後進国の追い上げがきついこと、等々で、そういう人材が大量に必要とされなくなった。
そういう産業は後進国、中進国にシフトしていってます。
産業界も再構築を迫られて、それが様々な問題を引き起こしてます。勝ち組負け組みなど言われてますが、セーフティネットとか上手く機能してませんし、小泉改革は恨み節の人も多いようです。
でも、春闘方式のように足並みそろえてはもう出来ない、そんなことしていたら世界で負けます。
そういう時代にあった教育がまだ提示されていないのです。いや、ゆとり教育で方向的には後退すらしました。

現実の教育を見ると、
教科で説明すると、クラスで、平均点の子にレベルを合わせるわけには行かない。それでは下3割の子がハードルが高すぎる。大体、その下の3割2割レベルを下限としているわけです。
先に書いたようにソコソコ粒を揃えてという教育ですね。
公教育(義務教育)は強制であり、全ての子が対象になっているだけに、そうならざるを得ない。レベル的にも高いものは出来ません。
小学校でも3年くらいまではそれでいいかもしれませんが、5,6年でそういうやり方は先々中学高校でレベルを上げていくとき、かなり不利です。
特に中学でそのレベルでは悲惨です。高校でいきなりレベルが上がってついていけない子が出てくるのはそういう下地があるからです。

私は別に英才教育をせよといっているわけではないのですが、どうしても「みんな一緒」は無理があると思うのです。
野球を一生懸命やれば、誰でもイチローになれものではない、毎日バイオリンを6時間弾けば諏訪内さんになれるものではない。皆、認めているのです。
ところが、落第にせよ、レベル別の学習にせよ、ものすごい抵抗があるわけです。勉強に限っては認めたくない。どころか、支援学級を薦められても普通学級に行かせたがる。
長らく、みんな一緒で結果平等に近いものに慣れてきていますから。また、子供のうちから勝ち組負け組のレッテルが貼られそうで、どこの家庭もネジを巻くようになってそれも弊害が大きそうです。

でもねぇ、みんなが大学行く必要があるんでしょうか、みんなが勉強が好きなわけじゃない、、、向いている人向いてない人もあるはずです。
ヨーロッパでは、例えば、ドイツなど階層社会ですよね。職業学校に行って労働者階級、ギムナジウムに進んで社会の上層部で活躍が期待される人と分かれます。
いえ、アメリカだって中身を見れば階層社会です。アイビーリーグなんか勉強だけでは入れません。
日本だってついこの前までそうでした、世界を見ると、やはり多いです。そして、案外この階層社会というのは安定しているのです。
しつけや価値観もその階層の中で培われます。
公教育でのレベルを教科で話しましたが、しつけ、ルール、道徳も同じことです。公教育では最低しか強制できない。階層であろうがムラであろうが宗教であろうが、「社会」のほうがルールはきつくなります。

そういう点では、家業のある家の方が教育には成功しているような気がします。
上のほうでは、恐れ多いですが、皇室から歌舞伎役者、政治家、医者、法曹関係、学者、、、、○○一家といっていいようなお家は独特の家風がありますし、独特の倫理観があります。
子供の時からそういう社会で育つと何かしらのしつけが出来やすいようです。

公教育で出来ることは、最低ラインの少し上しか出来ないもの、そういうものだと思ってます。だからそれで不足だと思えば親がプログラムするしかありません。
これは、他の人も判っているから中学受験が加熱するんでしょうね、今の日本では、親がプログラムするのが面倒なら、私立校に任せるというのが普通です。
ただ、これも困った親御さんがいて、受験勝者→社会的勝者 と勘違いして教育パパが尻を叩くから、勉強しか出来ない馬鹿を作ってしまってますけど。
イギリスのパブリックスクールは勉強だけのがり勉を育ててない、勿論、勉強もかなりさせますけど、日本みたいなセンター試験のような1点を争う試験ではないので方向性がかなり違います。
欧米どころかインドあたりにも負けそうな日本の教育って、かなりやばいことは確かですよ。

話がTDLからかなり、離れたところに来てしまいました。
今日本はモデルなき国家、ビジョンなき国家です。教育もです。
かつては、西洋に追いつけ追い越せ、アメリカのような豊かな国とかに憧れていた。
教育も、かつては偉人伝というものがよく読まれていた、豊田さんとか松下さんとか、野口博士、シュバイツァー、クララ、、、
今の時代、子供たちのヒーローはお笑い芸人かスポーツ選手です。いけないわけじゃないけど、そういうのって下層階級の憧れだったものですよ。
ただ、現実、今、輝いている若者はスポーツ系が多いですね、藍、さくら、遼クン、真央、、、皆、学校の外の世界です、碌に学校も行ってません。
学校行かなくても人は育つのです。出来もしないのにしつけようなどせずに、社会に任せて勉強だけを教える場のほうがよほどいいのじゃないかしらと思ってしまいます。
そういうわけで、地方には適当な私立校もないですし、自前で 
ポリシー→ビジョン→大まかなプログラム→具体的な目標 を組み立てて学校教育を「利用」したわけです。勿論キッチリ計画できたわけではないですし、各々の子で少しずつ変えてます。ただ、基本的なことは譲ってません。
私の方針>>学校 というのは、公教育では質が悪いからです。その目的のためには場合によっては、学校を休ませてという選択肢もあり、ということです。

追記
私は専門家でも何でもありません、ごく一般の市民です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど教育システムが古くなったしまったということですね。私は元に戻すべきだと思っていましたが、ご意見を読んでいるとどうやら逆のようですね。確かに格差社会の問題が叫ばれている昨今では多くの国民に受け入れられないかもしれませんが、グローバル経済においては致し方ないのは理解できます。今までの私の考え方が如何に狭い世界での考え方であったかを痛感し、すごく勉強になりました。

ご存知の通り今の日本は教育関係の他にあらゆる不祥事が噴出しており国家崩壊の危機に瀕しているようにも見えますが、所謂「官僚主導政治」がこのようにしてしまったのでしょうね。(元はと言えば国民自身が政治に関心がないからですが)
早いとこ解散して次の政権に期待するしかないでしょうが、正直言って教育システムよりも先に手をつけないこと(財政赤字、年金問題等)がありすぎてどうなることやら・・・・心配です。

お礼日時:2008/12/10 14:24

>では お子様が中学生になって同じことを言ってきたらどうしますか?


>中学生にもなったら口もうまくなります。「だって小学校の頃TDLに行くために
>学校休んだでしょ?」って言ってくる可能性がないともいえません。「家庭のルール」
>では納得しないと思いますが。反抗期の子供は手ごわいですよ。

先にも申し上げましたが、そう言わせないように育てるものです。そう言ってしまうように育ててしまったとしたらそれは親の教育の失敗です。

質問者様が言われているのは、「子供が人種差別車で無差別大量殺人犯になってしまったらどうしますか?」と言われているのと近い話です。そうなってからどうするかという問題ではなく、そう育ててしまった親の問題でしょう。

相手が中学生や高校生で口がうまくなろうとちゃんとルールを教えて育てていけば、そこは問題ではありません。




そして、疑問なのですが、どうしてこのケースにだけ極端に「説得」にこだわるのでしょう?いちいち子供を全部理屈で説得するのですか?そうであれば、人を殺していけないなどというのは説明できないと思うのですが・・・これだけの哲学者や科学者が数千年かかっても人を殺していけないということを論理的に絶対的なものとして説明できた人は1人もいません。理屈で説明しようとするのは無理です。
質問者様は自分の子供に人を殺してはいけないということさえも教えることを放棄するということになるのでしょうか!?


また、そもそも学校を休んではいけないという質問者の考え方自体が、まったくもって論理的な話ではありませんので、TDLに行った行かないはほとんど問題ではありません。
「だって、別にいかなくてもいいじゃん」と言われれば終わりです。



・子供は「ルール」では納得しない
・でも学校に行くというルールは守れ

矛盾していませんか?
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この回答へのお礼

仮の話だと言ってるのに・・・
あなたの家庭は親子でもめたことがないんですね。
さぞご立派なお子様にお育てになったようで敬服いたします。
いろいろ意見もおありでしょうが、話が堂々巡りになりそうなのでもう回答いただかなくて結構です。
今までの多くの回答感謝いたします。

お礼日時:2008/12/09 12:26

>まさに強制、洗脳?ちょっと考え方を変えなければいけませんね


考えなしに強制すると子供の反発や恨みをかいますから。。。
どういう考えで、何のためにするのかを親自身が明確にしておかないと、骨折り損のくたびれもうけ。

2に関連することなのですが、かつての社会には通過儀礼というものが所々で用意されていました。
大人になっていく過程で、上の段に上ると何らかの「洗礼」を浴びるシステム。
今の時代、そういうものがないのですよ。あったにしてもそういう「文化」が上手く機能しないで、いじめや差別にしかならなかったりする。
社会が変わってしまったのです。人を育てる社会やムラがなくなったのです。
学校がそういうことが出来るかというと、なかなか難しい問題があって出来ないのですよ。
学校にも、そういうものが少々はあったのですが、人権とかうるさい方や日教組とかがつぶしましてね(笑)。
親が仕掛けるしかないのですよ。そういう考えで、自由にさせることと、強制的にでもさせることと、考えて組み立てこそ、教育なのです。


さて、2なのですが、
確かに、規律の回復は大切なことだと思います。学校に限らず、集団や組織はある程度の規律が保たれていなければ、機能不全に陥ります。
ただね、何のための組織なのか、何のための教育なのか、その辺りをキチンと押さえて間違えない目標がないと、規律のための規律になってしまうのです。
こまごました校則をたくさんこしらえて、取り締まる場、それって、教育以前です。
それと、学校にたくさんのものを期待しすぎる現状があります。
差別の無い社会、命の大切さを学ぶ、思いやりを育む、、、まぁ、こういうのはスローガンですが、何かことが起きると、そういうことが出来てないからだと責められる。
更に、具体的なプログラムもわんさか押し寄せてますよ。
男女共同参画やら、性教育、同和教育、薬物乱用ストップ、金銭教育(キャッチセールス対策)、職場体験も増えてますし、何でもかんでもですよ。まるで萬屋です。
教育の目的ってなんでしょうね。
親にとっては、いい子だけですが、その時代の潮流に洗われます。

かつて、明治の初め、義務教育が発足した時、国のスローガンは富国強兵でした。教育もその目的にかなう人材育成でした。
要するに、明治政府=国VS幕藩体制=ムラ社会。中央集権国家の国民としての組み替えが眼目。それなりのメリットあり。
貧民の倅でも、尋常小学校から徴兵を経て、将官の道が開けたのです。

戦後、経済力で世界を目指した。勉強していい学校→いい会社。企業戦士&専業主婦で経済戦争に立ち向かう。
この時代は、高専や女子大が人気でした。よりよい暮らしに向けて、国民の気持ちも一致していた高度成長期前後です。

そして、今。
日本は何を目指しているのか、どんな人材を育成すべきなのか、そのための初等教育の眼目は。。。
高度経済成長時のスローガンでは耐えられません。少子高齢化、グローバル社会、、、
ムラ社会の子育て環境は壊滅しました。高度成長期の公的教育システムも今は実利を運べない。。あっという間に神通力を失った。
社会が変わったのですよ。だから、以前に書いたように値打ちが無くなった。。。

あらまほしき国家、あらまほしき国民、あらまほしき公教育、それらが1つのコンセプトを作れない今、教育にあらまほしきを望むのは酷です。
理念なき教育、そこに次々持ち込まれる課題、それを処理するのに追われている象徴が、モンスターペアレントです。


モンペについて、擁護しておきます。
元々、子供の養育に親はそんなに頑張っていたわけではないのですよ。
かつて、ムラ社会の頃は、ムラのおきての元に子供も親も属してました。親の裁量などほとんどありません。
親は、子供を飢え死にさせないだけで充分だったわけです。あとは社会のルールが子供を育ててました。
8-10歳まで食べさせたら、丁稚小僧を始め、どこかに奉公に行かせたのです。
大工の棟梁に預けたら、腕だけではなくその社会のおきてもキッチリ仕込まれて、大工になり、大人にもなります。
女中奉公に出すと料理裁縫下働きから始めて、人間関係の機知までしっかり学び、嫁入り先まで確保できます。
昔は、他人様に仕込んでもらっていたのです。親が教育していたわけではないのです。
勿論、親が教育していたところもあります、多かれ少なかれ、裕福な余裕のある階級です。

富国強兵や企業戦士がスローガンにならなくなった社会。
全体を包括する国民のスローガンを作れなくなった社会。
昔と違うんですよ、子供を取り巻く社会が。で、その時代要請にあわなくなっている→値打ちがなくなってきている。

方策はあるのですよ。でも、国民がそれを受け入れてくれない、多分。。。
しょうがなく場当たり的教育しか出来ない今の現状。。。

私の場合、そういう諸々のことを踏まえて、自分の子供の教育を考えました。
理念なき教育は耐え難いのです。主軸が無くてどうして末梢まで考えられるのでしょう。
学校教育<<私の教育方針 です。 公教育はその中に組み込んだ、「有力な機関」そういう意識でした。
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この回答へのお礼

大変詳しいご説明ありがとうございます。
かなり今の教育に批判的なようで。おっしゃることは私にも理解できます。今の教育システムがまさに「グチャグチャ」になっているんですね。何が正しくて何が間違っているのか・・・考えさせられます。
私も2人の子供がいますので、いろんなことが耳に入ってきます。
以前では考えられないこと(母親同士のいさかいや無理な要求等)まで先生方は処理されているようで、本当に気の毒になります。まるで学校を普通のサービス業と勘違いしているのではと思ってしまいます。先にも書きましたが、少しでも学校がよくなるように先生方に協力しなければならないと思い、自分達からできることを考えた時にこの問題(平日休ませて・・・)が出てきました。
でもそんなこと以前に直さなければならない問題があるようですね。
私はあなたのようにそこまで考えていませんでので、回答を読んで自分の子供の教育を見直さなければならないと思いました。

ところでかなり深いところまでご存知のようですが、教育関係の専門家の方ですか?とても一般人の意見と思えないので。

>>方策はあるのですよ。でも、国民がそれを受け入れてくれない、多分。。。<<

これが気になりました。ひょっとして徴兵制度?よろしければ教えてください。よろしくお願いします。

お礼日時:2008/12/09 11:57

今晩は。



始めに、お詫び?お断りをします。
>2万円の天体望遠鏡をやっとの思いで親に買ってもらい
私の子供時代もそうですよ。あの頃はそれで楽しめたのです。でも、今は、空の状態も悪いですし、情報量が多い時代ですので、初心者用では、中々、虜にならないのです。決して、うちにお金が有り余っているわけではないのです。

種明かしをしますと、私の道楽でもあるのです。また、顕微鏡その他も、夫の商売道具、勤務先で個人使用の分まで買ってもらえないので、自費で購入してます。数年たったものを私や子供にお古で廻して新しい物を買いたいのですよ。
うちは研究職系なので、本や用品にはかなりつぎ込むほうです。その他の暮らしぶりは質素です。
余談ばかりになりますが、友人と雑談していると、相当我が家は貯金がある、貯め込んでいる風に思われて苦笑します。年収の割りにかなり質素なので、貯金が趣味と思われてしまってます。
質問者様に経済格差を思わせるような書き込み方で、失礼しました。


さて、1なのですが、
我慢はしていい我慢と、しなくてもいい我慢とあるように思うのですが。理不尽な我慢は家庭内ではなかったと思います。(子供に言わせれば、あったになるでしょうけど)
我慢より、辛抱強く、継続すること、やり遂げることに力を入れてました。
やりかけたことは、途中で投げない、初期の目的まではする、どんな形であれ、それなりの終了形を作るということです。
いわゆる習い事系やスポーツなどです。
ここまでのレベル、ここまでの年数、決めてから、若しくはある程度たってから目標を設定して続けるように促しました。
子供のことですから、途中でやめたがる時が必ず来ます。根比べですよ。親も結果を早く求めない主義ですから、ともかく続けなさいの一辺倒です。

ピアノの例を話します。
中学2年まではコンクールに出る、高校1年までは発表会に出る、がめあてでした。
小さい時は喜んでします、が、段々グズグズ言い始めます。コンクールが負担なのです。相当練習が必要ですから。
でも、それも大きな目的でさせているのですから、根気比べですよ。全然やらないのを待つしかないのです。親が諦めたら子供はしません。五月蝿くは言わないけど、親は諦めていないと知ると、ついにはじめます。
最後は連日必死になってやりますよ。年によっては気分が乗ってどんどんします。入賞が目的ではないのですが、大きな会場で、人前で実力を発揮させる経験と思ってさせているので、スルーは絶対させないのです。
どういうわけか、本番が一番よかったのじゃない?という経験をつむと、本番に強い子になります。受験もきっとこれで乗り切ったのだと思ってます。緊張する場面でも地力を出せる、いざとなると必死になって間に合わせる、そういう力を目当てにさせたわけです。
続けないと、そういう醍醐味は味わえません。
中学高校の部活では、そういう下地があるから、先輩後輩友達関係むつかしいことがあっても、「ともかく続けたい子=達成感を味わった子」になってます。中学では遅いですよ。

それと、お決まりの行事を作ってました。登山やスキーなどです。
特に、スキーを嫌がりましたね、どの子も。寒い、冷たい、疲れる、三重苦らしいです。でも、泣こうが喚こうが、スクールに入れて一冬数回はさせました。
登山も、途中で嫌だといって帰るわけに行かないのです。そういう強制的なこともいくつかさせてます。

自由に伸び伸び育てた、うーん、ある部分はそうかもしれないけれど、子供たちはそう思ってない。いろんなことをさせてくれるけど、決して自由ではない、親の仕掛けの範囲です。

ついでに、
教育やしつけは、一種の洗脳ですし、強制ですよ。
それを、そうと気づかれないように仕掛けること。そして、その中で自信をつけたり、楽しいことを発見する。そういうものだと思ってます。
洗脳でも、強制でもないレベルは「学問」です。子供にはまだそのレベルは無理です、学問の前提の基礎をつけるときですから。

2に関しては、長くなりそうなので、また後日にします。
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この回答へのお礼

ご返事ありがとうございます。
結構質素なんですね。オーケストラやオペラなんて言葉が出てきたのでてっきり高級住宅街に住む高級官僚?って想像してました(笑)。
まあ質素なら私も負けていませんが(笑)

さて「我慢」ですが、ご意見拝見していて基本的には私と同じ考え方で安心しました。やはり中途半端で投げ出すようなことはよくないですからね。やはり親子で根競べですよね。これでしたら我慢強くなれると思います。

そして驚いたのが、子供が嫌がるスキー、登山に無理やり連れて行ったことです。てっきり子供の好きなようにさせてばかりいたのかと思っていました。私だったら一回連れて行って嫌がるようならたぶん2度と連れて行きません。その辺が私と大きく違うところですね。でもこれでは苦しみから生まれる「達成感」が味わえませんからね。まさに強制、洗脳?ちょっと考え方を変えなければいけませんね。
大変参考になりました。
次回の回答を楽しみにお待ちしています。

お礼日時:2008/12/04 14:18

>お子様が「明日はミッキーの誕生日だから学校休んで友達と行きたい」と


>言って来たらどうしますか?

No8の最初で【ゲームはNOですね。】と答えているのですが・・・で、繰り返しになりますが休ませません。


>小さな矛盾が積もり積もっていずれ親に対して不信感を持つ
>ようになるかもしれません。
>そこらへんはどうお考えでしょうか?

そうしたら、質問者様が上のように矛盾が積もる→不信感と言われました。


>間違っている可能性のあることを子供に刷り込んで育てる・・・これって正しい教育ですか?
>普通は矛盾していることを自分の子供に刷り込むことはしませんけどねえ・・・

また、間違っている可能性のあることや矛盾することを子どもに刷り込むことが正しくないと言われました。


>ルールがなくても守らなければいけないことがあると教えるのは親の役目です。

それなのに、矛盾してたり間違っている可能性がある世の常識とやらは教えて、原則的に従わせる、とも言われています。


回答者という立場なので質問するのはふさわしくないのですが、どうしても聞きたいのはこの点です。
「矛盾したり間違った可能性があるものを教えるなといいつつ、間違った可能性があるもの(世の常識など)を教えて原則的に従わせるべき」という理屈はどこからくるのでしょうか・・・



私は間違っている可能性があるかもしれないものを教え込みますから、説得もしませんし休ませもしません。「(間違っているかもしれないけど)ルール」でそれに従ってもらうだけです。そのルールを知っての上で、その発言をするかどうかは子どもの自由です。ただ、親としては家庭のルールに従ってもらいます。


>私が聞きたかったのは子供というのはえてして学校をサボりたがるものですよねえ。

これを読んで思いましたが、質問者も勘違いされているような気がします。質問者様はどうも子どもが【絶対に】そのような発言をする前提でいるようですが、そんなことはありません。人間の属性としてサボりたいという属性はありますが、ちゃんと育った子は学校をサボりたいというようなことは言いません。
サボりたいという本能を持っているということとそれを言葉に出すには大きな隔たりがあります。
そもそも、正当な理由無く学校を休みたいと言うような子に育てなければ、サボりたいという発言はありませんし、仮に間違って言ってしまったとしても親が説得する必要なく拒否できるでしょう。



>2つのURLに対する感想を頂いてないのですが・・・

URLまで回答義務があるとは思えないのですが・・・一応2つのURLの感想です。


http://www.aba.ne.jp/~sugita/167j.htm

大したことは言っていませんね。
昔からある主体間の干渉が分かりやすくおきているということですね。私が言っている主体間のフィードバックというものですね。
それが他の影響が小さくなって、この2主体の利害関係が分かりやすくなっているケースというだけでしょう。
各主体が自分の意思とルールを持って活動しています。その結果、相手からのフィードバックを考慮した上でこれが一番と思われる選択を選びます。学校と親だけでなく、担任教師と親、親の間の関係、近所からの評判、これらを全て総合した結果で最善と思われる行動を取ります。本来ならここに近隣社会や他の親という要素が加わって議論されるべきではありますが。


http://news.ameba.jp/domestic/2007/11/8927.html

こういうバカ親がいるからいけない。

子供が単に面倒だから『休みたい』と言い・・・なんてすでに教育失敗ですね。
自己の立場や他主体との力関係・人間関係を考えたときにこう「ありたい」ではなく、こう「あるべき」が分からない親ですね。これがわかっていれば、「眠いと学校」「面倒くさいと学校」を天秤にかけてどうすれば良いかがわかります。
他者のフィードバックが無い状態で育ってしまったのでしょう。ですから、学校や周りの社会も情けない。ちゃんと毅然とした態度で臨めば良いだけなのに、それを許容してしまっている。自らの主体としてのにルールを明確にアピールしてぶつけ合ってこその社会観という空気の情勢なのに、それができていません。まあ、そもそも学校以前に彼らが育った環境でフィードバックが少なかったのでしょうから、学校だけに求めるのは酷ですが。
ですから私が重ね重ね言っているのは、お互いがお互いの価値観に基づいてフィードバックをすることです。それによって妥協点やその状況での秩序が見つかります。
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この回答へのお礼

何だか話がややこしくなってきましたが、結局家庭のルールに従ってもらうってことでよろしいですね。
では お子様が中学生になって同じことを言ってきたらどうしますか?
中学生にもなったら口もうまくなります。「だって小学校の頃TDLに行くために学校休んだでしょ?」って言ってくる可能性がないともいえません。「家庭のルール」では納得しないと思いますが。反抗期の子供は手ごわいですよ。

追伸
今頃言うのは大変恐縮ですが、あなたの言い回しが頭の悪い私には理解できない部分が沢山あります。もう少し簡単にお願いします。
私の文章を読んでいただければ大体のレベルがわかるはずですが・・・

お礼日時:2008/12/03 14:36

連投でスイマセン。

字数制限にかかってしまいました。

(つづき)
質問者さんの望んでいる答えとは違うと思います。
子供がだらしないのは、親がだらしないからです。しっかりした親が、年に1度、TDLに学校休ませて連れて行っても問題児にはなりません。
一番問題の親は、TDLどころか、全然子供を見てない親です。真夜中近いというのに、渋谷のセンター街にいる子供たちの親です。

勿論そういうことが出来る家庭ばかりないことは知ってます。ですから、子供には口止めをさせてます。やましいからではありません。恥ずかしいことでもありません。でも言わないでいることも学ばなければ。
私は一連の哲学を持って子供を育てましたので、それは子供なりに浸透してます。子供が子供の都合で休みたければ休ませたのもそれです。単に目的もなくズル休みをする子には育ててないのです。
しし座流星群が見たいから、昼寝をしておきたいから休みたかった子。アゲハの孵化を朝方まで見ていて、学校行けなかった子。。。。

質問者さんも子供さんが何を望んでいるのか、空いている日に行きたがるのは誰なのか、親としてどのルールをどう伝えるのか、ただ、規律を守ること→よき社会人、よき社会、という図式が簡単に成り立つわけではないことも少しお考えになったほうがいいと思います。

蛇足ですが、質問者さんは男性ですね?
奥様はどうおっしゃてるのでしょうね。一度くらい空いてる日に行って堪能したいわと言われているのなら、試してみてはいかがですか。一家で堪能した思い出というのも、20年位したらいい思い出話になりますよ。
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この回答へのお礼

気が重いなか回答をいただきありがとうございます。
 
今までのあなたの回答を拝見していると考え方に一貫性が感じられて私も納得してしまう部分があります。そして実にすばらしい教育をされていて読んでてと久しぶりに感動しました。
こんな育て方もあるんですね。
ただ、ちょっと生活水準が私のような貧乏者と違うような・・・とても私には真似できません。

ちょっと疑問に思ったことが2つあります。

1 あなたの教育法だと「我慢」に弱い子になりませんか?常に子供の気持ちを尊重し見守ることは重要だと思いますが、子供に限らず人間って必ず「楽なほうに」行きたくなります。それでついつい楽なほうを選んでしまう=我慢を知らない=上下関係の強い日本社会に順応できないという構図です。
私は子供の頃親の言いつけに理不尽と思いつつそれに従って育てられたので自分では我慢強いと思います。
ちなみに親になった今では自分の子供には理不尽な育て方はしていません。

2 確かに今の学校は昔に比べて????な部分が沢山あります。こんな学校だったら少しくらい休んだってどうってことはないって言う気持ちは理解できます。
でもそれを全員が同じ行動をしてしまったらいったい学校はどうなってしまうのでしょうか?やはりここは原点に帰り、悪いところは見直し、質の高い学校にしなければならないと考えています。しかし今のお上をあてにできませんから私たちでできることからはじめなければならないと思います。(無理かもしれませんが)
イギリスの事例はおそらく国レベルで危機感を持ち政策を採ったのではないでしょうか?
当初の質問とは直接関係ありませんがご意見いただければ幸いです。

また ここで教えていただいても限界がありますので、できれば参考になる書物やサイトがあれば教えていただきたいです。尊敬する人物でもかまいません。よろしくお願いします。

追伸
私は男です。妻も同じ考えです。私は子育ての専門家でもなく、あなたのように優秀ではありませんので(皮肉ではなく本心です)今後も休ませて遊びに行くことはありません。サボり癖がついたらこれを修正できる自信がないので。
余談ですが、私が子供の頃に2万円の天体望遠鏡をやっとの思いで親に買ってもらい、月を見て感動しそれ以来天文オタクになりました。数十万円の望遠鏡でなくても感動するほど単純だった私です(笑)

お礼日時:2008/12/03 14:01

#10です。


しばらく留守をしてましたので、遅くなりました。
ところで、お返事するのが、気が重いのです。

#3で、気軽に休ませてしまう、それでも特に問題がない。と答えました。
>どのようなポリシーをもって育てているのかできるだけ詳しく知りたいです
ということだったので、こういう教育方針の親もいるということで、親が一貫した教育方針を固めて、学校で出来ないことを考えてさせている、そういう話ならいくらでもお話してもいいかと思ったのですが、

#10の参考WEBや他の方のお礼補足を見ていると、
気軽に休ませる→学校軽視→学級崩壊→規範を守らない子供たち→日本は一体どうなるのだ
という一連の懸念をお持ちで、その話題がしたくて、質問のトピを立てられたようなので、気持ちが重いのです。
前回にも記しましたが、ここは議論の場ではないのです。あくまで質問の場です。
そういう懸念をお持ちなら、
「気軽に休ませる親が増えているらしい→学校軽視→学級崩壊→規範を守らない子供たち」になっているのではないか?それともそれとは別の問題があるのだろうか、教えてください。
なら、それなりのお答えがきたのではないでしょうか。

せっかくですから、簡単に、私見を記しますが、
確かにそういう傾向はあるのでしょう。でも、学校をズル休みさせなかったら、学校は規律ある良き場所に再生されるといえるか、はなはだ疑問です。
生活態度からしてやる気のない子供が、体だけ学校に縛り付けたからといって教育効果はあるのでしょうか。
学校軽視の一番の根本は、学校に魅力がない、値打ちがなくなってしまっているからというのが私の見方です。

大昔、明治の初め、義務教育を導入した時、多くの親が行かせたがらなかった。家で取って使えます、弁当まで作ってやらないといけない、教科書も勝手やらないといけない。。
子供たちは行きたかった。学校は、知らない世界を垣間見せてくれる場、広い世界を知る場、新しい知識を教えてくれる場だった。
ずっと時代が下がって、戦後、民主主義とか、暴力はいけないとかを教えてくれる場。頑張って勉強すれば貧しさから抜け出してくれることを教えてくれる場。
私が子供時代は、一般家庭で、顕微鏡やらステレオやらピアノやらムービーなどある家は数えるほどだった。学校から、映画に行ったりもしてました。映画すら連れて行ってもらえない子にとっては学校は素敵な場所です。
今はどうですか。PC一つでも家のほうがバージョンがよかったり、自由に使えます。
これは、子ども会などでも一緒なのです。子供会の行事、どこかに行くのは昔は、みんなが楽しみにしてました。今は違います。ゲーム大会の方が人気があります。
行楽地には親といってます。集団で大騒ぎは滅多にできないので、盛り上がります。

だからといって、学校をレジャーランドにせよという話ではありません。
公平に平等に、一人もおちこぼれを出さずに、一人ひとりの個性を大切に。。。そんなできるわけないことを掲げて血道を上げているのが今の学校です。
ゆとり教育と平等を薦めていた時期、うちの子の小学校の運動会は、かけっこに順位をつけないという校長でした。子供たちはブーブー言ってましたよ。運動会すら魅力がなくなった。
通知表は、よくできました、できました、がんばりましょうの3段階で、よく出来ましたを一人に2つまでしかつけない不文律とか、頑張りましょうも1つに出来るだけ抑える方針とか。
遠足は社会教育を兼ねて、修学旅行は平和教育です。誰がわくわく学校を喜んでいきますか。

親としては、せめて、勉強だけでもしっかり見てほしい。
また、集団という場で競争、勝ち負けはあるのは当たり前なのだから、その中で自分の位置を知ることや、勝ち負けに関与しない協力や仲間造り、この2つを両立させて自分の居所を見つけることを身に付けてほしい。
この2つすら、なかなか機能していないのです。
せめて、落第制度でも取り入れて、0点でも卒業できる、登校拒否でテストすら受けなくても卒業できるという、教育機関としてはありえないようなシステムをどうにかしないと「値打ち」はつきませんよ。


長くなりますので、後は、私の教育方針(見方によっては学校軽視ですが、それでも問題はなかった)の補足を記しておきます。

前回記したように、
本人が自分を好きになれるように、自分を肯定できるように。それには口で言うだけでは駄目なのです。
体験や、感動が必要です。

ここで、数日留守をしていた訳を記しますと、
実は東京、代々木で行われていた、NHK杯フィギュアを観戦に行っていたのです。
報道等でご存知かもしれませんが、浅田さんの見事な復調、中野さんの見事な追い上げ、鈴木さんの鮮烈デビュー。3日間、感動の嵐でした、いいものを見てきました。
子供がいたら、きっと連れて行ったと思います。ツマンナイ教育公務員の先生の授業より、余程、人間の強さが学べます。
私は出来るだけ、本物に触れさせたかった。いいものを見ることは大切なことです。本物にしか感動はありません。

子供向けというものは出来るだけ排除しました。子供だからこの程度は偽者で育てることです。
学校を休ませて、海外の一流オーケストラを聞きに都会まで出かけることもしました。地方にいれば待っていてもやってこないのです。夏休みや春休みや連休に都合よくないのです。あってもチケットが取れません。
オペラも行きたかったのですが、これは機会が上手く取れませんでした。
そんなことは大人になってから自分で行けばいい。。。多分、教師はそういうでしょう。でも、行けますか?
地方から大学に出て、そこまで余裕があるでしょうか、社会人になって自活がやっとの若い子にチケットが買えますか?

食事などでも、そういう方針は貫いてます。ファミレスというところには行かない。一家揃っての外食は年に2度だけでした。夏休みの最後の日と、ピアノの発表会の日です。
市内の一番いいレストランでフルコース、冬は料亭クラスでコース料理です。我が家の経済では毎月は無理ですから。

星に興味を示した子には数十万クラスの望遠鏡を使わせました。小学生には過ぎるかもしれませんが、見えない望遠鏡では失望するだけです。→今、大学で物理学をやってます。
虫や花に興味のある子には30万クラスの顕微鏡を使わせました。→今、大学でモルモットを相手に免疫学をしてます。
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>例えば「明日はミッキーの誕生日だから休んで友達と行きたい」とか、


>「ゲームソフトを買うのに休まないと買えないから学校休んでいいでしょ?」等‥
>これなら言ってくる可能性はありますよねえ。
>で、どうやって説得しますか?それとも休ませますか?

ですので、それが親の権限で決め込むということではないですか。合理性の外での話です。

質問者様自身も「世の常識」を教えるとか「原則的」であるといったように教え込むのですよね。「説得」やら「矛盾」やらと論理性にこだわりながらも、「世の常識」や「原則」などといった論理からでなく発生したものにこだわる点がそれこそ矛盾していて謎なのです。

世の常識などというものは論理的には破たんして説明つかないもので、それを教え込むというのは、「ゲームソフトのために学校を休むのはダメ!!」というのと同じです。

「学校に行く」というルールや原則は、「どうして学校に行かないといけないの?」という質問に耐えうるものではありません。親が子供に学校に行く権利を与える義務はあっても子供は学校に行く義務はありません。「人に迷惑になる」と言っても、「どうして、迷惑をかけていけないの?」となります。「自分の勉強のため」と言っても、「一日くらい構わない」と言われれば終わりです。「自分がやられたら困る、クラスに迷惑がかかる」と言っても、「迷惑をかけてはいけないという合理的根拠がない」と言われれば終わります。
学校に行くというルールは制定できても、それはあくまでそう決まっているからというだけの話で、合理性とは無縁の世界です。

世の常識なるものも「郷に入れば郷に従え」ではありませんが、明確・合理的なな絶対的ルールがあるのではなく、慣習的にその時々の各主体それぞれのルールを持ち寄った結果の落ち着くべき点で落ち着いているという空気感にすぎません。ですから、時代や地域などその集団によって世の常識と言われるものの中身は異なります。(個別に各家庭のルール、各学校のルールはありますが、それは合理的かつ共通的な原則ではない)

結局、親が教えられることなどは合理的に説得などできないものなのに、
TDLやゲームの問題だけは合理的説得を求めようというのかが・・・疑問です。

「学校に行くこと」同様に「ダメなものはダメ。いいものはいい。」そういうルールで教えて、あとの整合性は子供が体験の中で学ぶものかと思うのです。
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この回答へのお礼

いろいろ工夫して理解していただけるように努力したつもりですが・・・どうしてこのような回答が帰ってくるのか疑問です。
これは「仮の話」ですから・・・
それでは質問を1つに絞りましょう。
お子様が「明日はミッキーの誕生日だから学校休んで友達と行きたい」と言って来たらどうしますか?
自論は結構です。休ませるのか休ませないのかだけでもお答え願います。答えていただかないと話が前に進みません。
念のため言っておきますが、あくまで仮の話ですので・・・

それと 2つのURLに対する感想を頂いてないのですが・・・

お礼日時:2008/12/01 09:23

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