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中学2年生の子供から、定義と定理ってどう違うの?
と、聞かれあちこちひっくり返して探し説明しようとしましたが、うまく説明できず、わかってもらえませんでした。
どなたか解りやすく教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

「定義」が、単なる言い替えや、都合の良い言葉、という風に解釈されてしまうとまずいかな、と思いまして、補足します。


「定義」というのは「自然現象の発見」に近いものです。
 ある特定の性質に気が付いて、それに名前を付けてやる(つまり定義を与える)。そして他の性質との関係を調べていく。いつもその性質が成り立つのか、どんな条件ならそういう性質が成り立つのか、どんな例外があるのか、などを調べていきます。これは数学という研究活動の最も本質的なところであり、そして一番面白いところでもあります。
 ヒルベルトの形式主義はあくまでも、間違いを一切排除するための正式な書法ということであって、実際の数学者の頭のなかでは遙かにダイナミックな、自由な活動が行われている(多くの数学者の自伝等から分かります)。
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この回答へのお礼

とどめの一発と言いますと言葉が悪いのですが、キチンと納得する説明と言いますか?数学音痴の私どもに、解りやすい説明をありがとうございました。

解りやすいと言うことを基準にポイントを差し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2001/02/28 00:14

もうほとんど言うことはなさそうですが,若干の蛇足を。



自分のいた中学校では,数学の幾何分野は手作りの教科書を使っていて,そこでは定理と名のつくものは全て証明をしましたので,「定理は証明しなくてはいけないもの」「定義は約束ごと」という区別が感覚的になんとなく分かりました。
一方,文部省検定済みの教科書のほうでは感覚的に自明な定理(三角形の合同など)は証明していませんでした。これは,指導要領で「公理主義は高校(当時は数学IIB)で扱うので,中学ではさらっと」という方針があったためのようです。
中学生むけの参考書(兼問題集)で,かなり公理主義をしっかり押し出しているものを1冊あげておきます。
小林善一編「中学平面幾何」(昇龍堂Aクラス選書)
(なお,問題集として見た場合,取り上げられている問題のレベルは,ごく基礎的なものから難関校の受験レベルまでかなり幅広いです。)

また,数学基礎論について分かりやすく(といっても中学生には難しいと思いますが)書かれているものとして,
寺坂英孝編「現代数学小事典」(講談社ブルーバックス)
をあげておきます。ただ私は数学については門外漢ですので,専門家の眼から見てどう評価されるかは分かりませんが…。
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この回答へのお礼

単純明快と言いますか、母はよくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/28 00:05

stomachmanさんの回答でばっちりだと思います。


 でも、このまま終わってしまいそうなので、ほとんど、自問自答になってしまいますが、勝手に書かせていただきます。
 私が中学校のころ感じていたことは、定義は確かに教科書に書いてあるんです。でも、その定義が果たして一般的なものなのか、教科書を読む上での約束ごとなのか分からず、なにが出発点なのか分かりませんでした。なんか理科の教科書は世の中の本当のことを書いているようですが、数学は約束事をかいているようで、なんとも心もとない感じがしました。

 いまの私がその頃の私に説明するとすると、
証明はストーリーの完結した物語(短編小説?)のようなもので結末が定理で定義が登場人物のキャラクター、そしてストーリーが証明といったところでしょうか。その心は、登場人物のキャラクターは常識的な場合もあるし、そうでなく設定することも可能で、ただし、物語を面白くするためには、物語の結末にふさわし登場人物をちゃんと設定しなくてはならない。しかも、登場人物の本当の姿をきちんと浮かびあがらせるのは物語のストーリーで、結末が登場人物たちの織り成す世界をより深くするといったところでしょうか?(つまり、全部がいっぺんに決まって初めてまともな物語になるわけです。)(だから、本当に楽しい数学はひとりひとりの心の中にあるものだぁ!)
って勝手に浸ってますが、実際のアドバイスとしては、勉強の上では、「教科書にある定義に従って、ある他のことを導くことを覚えましょう。定理はその導いた内容の結果の部分のことです。これはどういうことかというと、定義をしっかり知っていないと、あるほかのこと、つまり定理を導くことができないということです。だから、まず、教科書に定義として何が書いてあるかよく見てみよう。つまり、遡って何が書いてあったか見てみましょう。書いてあった内容を組み合わせて定理を説明できれば、ここでの勉強はバッチリです。」というのかなぁ。でも、それじゃ私の問題意識の出発点の部分の答えになっていないような気もしますし。

なんか、数学的に考えることと断絶があるような気がするのです。単に論理的に考える訓練だ!パズルゲームだ!と言いきってしまえばそれでいいんでしょうけど。私が大学に入ったころ(いまから、15年くらい前)書店には燦然とブルバキの教科書(訳本)が全巻セットでおいてありました。基本的な定義から数学全体を論理的に構成しようという試みの(すごい)本ですが、いまでは見当たらなくなりました。ひとは、論理的にのみ「数学をする」わけではないということの一端のような気もします。
ぐだぐだ書きましたが、私的には「定義は都合よくするもの」、従って、ここでの「定義」も結論(「定理」)を主張しやすいように、都合よくこのこのように定義したいと思います。
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この回答へのお礼

なんだか、とっても具体的で楽しい解説で、よくわからなくてもなるほどと思った次第です。
息子は、理解できたようで、納得していましたし、パズルゲームと言う言葉に、触発されたのか、証明問題に夢中になり始めました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2001/02/28 00:00

stomachmanさんの答え:完璧すぎです。

流石!
ところで私の説明2つ誤りがありました。

1)「公理主義」-->「形式主義」
2)「D.Hilbelt」->「D.Hilbert」

お恥ずかしい限りです。
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この回答へのお礼

ご丁寧に訂正メッセージありがとうございました。

お礼日時:2001/02/27 23:53

定義と定理。

結構、説明が難しいですね。
以下は中学生向けにはハッキリ難しすぎると思いますが、多少ともご参考になりましょうか。

●「定義」とは、新しい「用語」を使い始める時に、その意味をハッキリ定めたもの。たとえば『偶数』という用語を、『2で割り切れるような自然数を偶数という。』と「定義」する。以後、『偶数』という言葉は『2で割り切れるような自然数』を短く言っただけだな、と思って読めばよろしい。
 既に「定義」してある言葉だけを使って新しい言葉の読みかえ方を書いたのが「定義」です。だから『偶数とはたとえばXXのようなもの』じゃダメ。
 従って、厳密な事を言えば『2』『割り切れる』『自然数』が既に「定義」してあって初めて『2で割り切れるような自然数を偶数という。』ということが「定義」できるんです。中学・高校では、『2』『割り切れる』『自然数』の「定義」は何か、という非常に基礎の部分までは勉強しませんが、実は「数学基礎論」という専門分野できちんと「定義」されています。

●本格的に「定理」というのを説明するのもなかなか大変です。
 まず数学には「対象」というものがある。これは中学でやる代数では普通の「数」ですし、幾何だと「点」「直線」などが「対象」です。厳密に言えば、単にそういう名前があるだけであって、「数」だから数字で表せるとか、「点」だから面積がないとか、そういう余計なことはまだここでは考えてはいけない。言葉のイメージに釣られちゃダメなんです。「対象」は「無定義用語」と呼ばれることもある。というのも、「対象」は言いかえようがない基本的な用語だからです。

 次に「公理」というものを幾つか決めてある。「公理」は「対象」に関する基本的な性質のことで、これは証明なしで正しいと認める。これで初めて「対象」の意味が決まります。つまり「対象」は初めは単なる名前だけだったのが、幾つか「公理」を並べることで、その具体的な性質が決まる。数学では、「公理」で決めた性質だけを使う。勝手に性質を付け加えちゃいけません。
 とは言っても、中学・高校では「公理」は何と何か、なんていう非常に基礎の部分まではふつう勉強しませんね。

 さらに「推論規則」というものが幾つか決めてある。「推論規則」は幾つかの「公理」を組み合わせて新しい性質を導き出すやり方の事です。(推論規則にも「三段論法」とか、「数学的帰納法」とか、「背理法」とか、名前がついています。)
 そうやって導き出された性質、これが「定理」です。つまり『(公理と推論規則が正しいと言う前提のもとで)対象に関してXXという性質が成り立つ』ということを表すのが「定理」です。
「推論規則」はいくつかの「定理」から別の「定理」を導き出すのにも使って良い。
 「定理」を導き出す過程を書いたのが「証明」です。「公理」か「定理」だけから「推論規則」だけを使って新しい「定理」を導き出す。これ以外に一切余計なものが混ざってはいけない。

 こうして、いろいろな「定理」が次々と別の「定理」を生みだします。たとえば
定理:『n×nが2で割り切れる自然数ならば、nも2で割り切れる自然数である。』
これじゃ長ったらしいですよね。そこで
定義:『2で割り切れるような自然数を偶数という。』
によって新しい用語『偶数』を決めて、さっきの「定理」を
定理:『n×nが偶数ならば、nも偶数である。』
と短く言えるようにする。
(なお、「定理」の中には「補題」「系」などと呼ばれるものもありますが、「定理」と同じ意味です。)

●こういう考え方が、ユークリッドに始まる公理主義。なんだかがんじがらめのようですが、ヒルベルトの形式主義ではもっとうるさい。使う言葉も日本語や英語ではなく、正式には「一階述語論理」という言語を使います。(大抵の)現代の数学はこの形式主義に則っています。

●ついでに。「対象」「公理」「推論規則」を決めれば、「定理」が沢山出てくる。これら「定理」全部をまとめて「(数学)理論」と言います。つまりスジから言えば(「対象」は単なる名前に過ぎませんから)「公理」「推論規則」を前提として、何が言えるか、を研究するのが数学ってことになります。
 しかし実際の所は逆に、たとえば「いろんな図形をまとめて扱えるように「公理」を定めたい。どういう「公理」を並べればよいか?」という研究が必要で、これが「数学基礎論」です。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなって申し訳有りませんでした。
本当に難しいですね。
私自身がちゃんと理解してから教えたかったのですが。
余計解らなくなってしまい、しばらく考え込んでいました。

ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/27 23:45

おや、明らかに間違えておりましたか、どうも失礼いたしました!(笑)


“自信なし”にしてあったとおり、門外漢なのですが、
お答えしようとするあまり、自信ないことまで手を広げるもんじゃないですね(笑)
ではご参考になさらないように、あらためてお願いします。
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この回答へのお礼

ご苦労様です。私にも似たような経験があります。
ただ、breezeさんの答えで納得していた私たちですから、明日キチンと改めて
解釈したいとおもいます。
なぜなら、テスト週間が近いので・・・・。中2の後期は追い込みなのに、こんなところで迷っていてどうするんだーっ!と、母は焦っているのです。

お礼日時:2001/02/22 23:30

昔、定義と定理の違いをこう習いました。


定理とは証明が可能なもの。
定義とはそういう物と定めたもの。つまり、証明不可能なものです。
三角形は3本の直線で囲まれた図形となっていますが、これを証明しろと言ってもできませんよね。そういうものが定義です。
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DESTINYさんの答えがほぼ完璧で、これ以上は蛇足かとも思いましたが、breezeさんの明らかに誤った説明に質問者が反応されているようなので、補足します。



中学生~高校生レベルではDESTINYさんの答えをそのまま信用してください。

大学生レベルなら、「公理」の考え方をもっと柔軟にしないといけないでしょう。
現代数学はD.Hilbeltの唱えた「公理主義」の影響を多いに受けています。「あらかじめわかっていること」とのことですが、常識や直感を一旦完全に捨て去ることを要求されます。幾何学で使われる「点」とは、「机」という事物を表わしていてもよいのです。鉛筆で突いた黒い「点」のイメージを一旦捨てなくてはなりません。

結論から言うと、「公理」とは単なる約束ごと、取り決め、前提です。ただ、空虚な取り決めをしても何の成果も生まないので、ある意味で「役に立つ」取り決めが必要になってくるわけです。数学上の「憲法」みたいなものですが、人の役に立たない憲法は意味がないですよね?そして「憲法」にもアメリカ憲法とか、日本国憲法とかそれぞれの国に別のものが存在しますよね?
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この回答へのお礼

数学上の憲法と言う表現は、私としましてはとても解りやすいです。
明日、息子に見せて反応を見たいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2001/02/22 23:21

 ごめんなさい。

私も中学生のころ良くわからなかったです。
ですから、ぜんぜん回答ではなく、息子さんへもっと粘ってほし~い!という要望です(私も知りた~い)。

 中学校だと幾何の証明を習うのだと思いますが、議論の出発点(定義)に対して証明しようとしている内容(定理)が感覚的にあたりまえ過ぎて、その差がよくわからないのです。たとえば、1の定義?が与えられて、2の定義が与えられて1+1=2という式を証明しなさいといったとき、2とは1が二つあることです、とう定義だとすると、1+1=2って定理なの?定義なの?と思ってしまうのです。また、この式から逆に1とは2を二つに分けたものである、とも言えますよね。そうすると、定義と定理っていったいなんだぁ!!と疑問に思ったものです。
 数学が複雑になってくると、これが一番根っこの概念だからこれを定義にしようとかいうのは分かる気がします。でも、ほとんど等式で結ばれているとき定義と定理ってどう違うのでしょうか?
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この回答へのお礼

そうなんです。母も息子の粘りを期待していて、解らないことを一緒に解りたいと思う気持ちで、お母さんも勉強しようかなぁと、言ってしまいました。

説明できなくなって、おまえのお母さんはおまえのお母さんでこれは絶対変わらない事実だから定理だ!!と言ってしまって、アホなことを言ってしまった・・と、後悔しています。

お礼日時:2001/02/22 23:11

定理とは公理から論理的に導き出される法則です。


例 ピタゴラスの定理
  直角三角形において、二つの底辺の長さの二乗の和は斜辺の長さの二乗と同じである

補足で
公理は「その世界で」あらかじめわかっていることで、疑問の余地のないこと。
例 ユークリッド幾何学の公理
  平行線は交わらない
  
定義とは問題解決をするときに、複数の解がでないように
、前提条件を定めることです。
例 図形Aはa、bを底辺とし、cを斜辺とする直角三角形と定義する。
「定義」は普通は上のように使われますが、他にも色々なレベルで規定されます。breezeさんのおっしゃる三角形の定義というレベルもあります。
また、広い意味の幾何学の中で、ユークリッド幾何学の公理「平行線は交わらない」を否定して、「平行線は交わる」と定義すると、それは「非ユークリッド幾何学」の公理となり、そこから、「ピタゴラスの定理」と相反する定理を導き出すこともできます。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。息子は寝てしまいましたが、後で見せようと思います。
母としましては何となく解りました。ただ、中学2年生の息子には、少し難しい説明のように思います。もう少し解りやすく教えてください。

お礼日時:2001/02/22 22:57

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