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いつからか?
なぜか?
毎回?
何故、国を政府を国土を問答無用に貶め辱めるんだろうか?
何故、文化や風土を愛し、矜持を持たないのだろうか?
評価や批判は業績、対応に対し、是々非々で行うものと思うんだが・・・。
何故、我が国の一部マスコミや評論家、野党は己の見識や代替案、建策提言抜きのネガティブキャンペーンなんだろうか?
皆様の見解や私見をご指導、お教え願えたらと思います。

私は
色んな立場や利害、価値観の差異はあろうが、誰がなっても・・・。
多少の好き嫌いや主義主張の言動の中でNO-1ではない場合も、私たちが民主主義の英知であり、原則である多数決システムに、間接的とはいえども、拠って選んだ少なくても国のリーダーであり行政の長であり、国益や主権、外交や安保の鼎であると思う。
それを、野党やマスコミが酒席での会社&上司批判や便所の落書きのように、あるいはブラックユーモアーの時事漫才のネタのごとく、政権の誕生前後から、レッテルを貼り、軽視し、揶揄したり貶めることは、少しでも暮らしを良くしよう、国際的な信頼を守り立てようと苦心、行動している多くの国民に対し無礼であり、ミスリードではないだろうか?

批判する彼らが今日までの国家形成、国益にどれだけ参画し貢献してきたのかと疑問に思う。
是々非々、正すべき指摘すべきはもちろんだが、はじめに否定ありき、それのみで、果たしてよりよき議論や政策創りに、現下の諸問題の解決に、世論喚起、国民合意に資する賢明な対応だろうか?

政権交代が全てに優先し、唯一の処方箋だろうか?
2大政党といえども、米英と民主主義の成立の歴史も政党&人材&政権綱領や政策の熟成&器量も違うのでは?

多様な価値観や歴史観を持つ我々の願いを代議するリーダーであり選出方法である。
それを資質や客観的なデーター、見識を放擲して、はなから批判と皮肉と政権ネダリだけでは、不毛な足の引っ張り合い、トランプやマージャンでの無制限なカード・パイの交換を要求するに似てる。
冷静な分析、精査と綱領・政策・ビジョンの堂々たる切磋琢磨、競争と国民への説明、選挙での信託にて、世論と国策への合意形成を得てその任に当たってもらいたい。

現状の野党、一部マスコミや評論家は、甘い蜜に群がるありの如く、本質を本分を品格を忘れた、傍観者やアジテーターばかりが増大する風潮が危惧される。
キャッチコピーをいたずらに刺激的表現にして奇を衒う。
面白がり話題になり、知名度を上げる事が主眼であるかの商業主義、便乗迎合に走りすぎだと思います。
天に唾し、自ら政府・国論を必要以上に混迷させ、対外信頼を損ね、結果的には、構造改革、政界再編、政治不信の払拭、国創りや国益増進を妨げる事ではないでしょうか・・・。

私は、しっかり、叱咤激励し、立場立場でサポートし、難局に立ち向かわせ、その仕事、成果、ビジョンをチェックの上で評価をして次回の選挙にて真価・信を問えば、健全な民主主義と遵法の中からは大勢翼賛や独裁体制は生まれず、国民世論のおもむく所へ政党、政権、政策は合意形成され収斂していくと思う。

A 回答 (17件中1~10件)

政権与党に正義の信念があるなら野党の根拠のない批判を無視して堂々と国の舵を執ればよろしいだけです。


失策と不祥事と不透明な派閥抗争で盤石であったはずの権力基盤を自ら損ない、野党からの批判に正面から向き合えないような体たらくでは、民意を失うのは国家古来のしきたりどおりと言って差し支えないと思われます。

国と政府と国土は自ずと一体ではありません。
政権と国家の同一性を無条件で主張する国はまさに独裁国家であり、政府が国と国土を損ねないように監視するのが民の務めです。
国の文化や風土を愛し矜持を持つからこそ政権の腐敗を看過できません。
「評価や批判は業績、対応に対し、是々非々で・・」とは実にごもっともなご意見ですが、従前の失策に十分な改善を示さず将来の可能性を信ぜよとなれば衆愚政治もこれに極まるというものです。

「政権交替が全てに優先するのであろうか?」これまたもっともな疑問ですが、「政権安定が全てに優先するのか?」と問い返されるのも多様な価値観ゆえんのことでしょう。
野党の反論を十把一絡げに「無対案・無政策」と定義する視座はこれもまたマスコミ的なアジテーターと異ならず、とも見えますがいかが?

もはやセンセーショナリズムは左派の占有物にあらず、混迷せる政権の内実もまた然り、というのが私の見解です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご意見に賛同いたします。

>「政権交替が全てに優先するのであろうか?」これまたもっともな疑問ですが、「政権安定が全てに優先するのか?」と問い返されるのも多様な価値観ゆえんのことでしょう。
野党の反論を十把一絡げに「無対案・無政策」と定義する視座はこれもまたマスコミ的なアジテーターと異ならず、とも見えますがいかが?

私見ですが、政権交替も政権安定も前提条件があり、その熟成度の高さを予見としなければ実効性において無意味と思います。

◇政権可能な政策・綱領・ビジョン・人材で拮抗する2大政党が存在し有権者からの委託に応え、国益に資する言動を期する。

◇情報開示や意見・行動の自由・民意の反映が担保された中での多数決(少数意見の尊重後の審判)にて民主主義が正しく機能している。

◇政党の政策や行動が党内手続きを経た上ではブレない。または個々に見識と自己責任で党議拘束に縛られない良識ある賛否、意見を以って職責を遂行する。

◇党利党略や私利私欲に走らず、国家・国民・国際社会に貢献する姿勢、視野、視点で、是々非々の行動するなら→現下のネジレや多党化も多大なリットがあり、活かすべきである。
逆に言うならば、そんな政党・政治家・マスコミならば、いくら揉めても、批判しあっても、チェックとより良き解への共同作業であり、アプローチ、審査、熟成だと思いたい。
是非、そうあってほしいと願うが・・・。

多くの犠牲と血と汗で勝ち取った厳しさ、歴史を経た民主主義でなく、敗戦によって与えられた権利・自由は大いに享受しながら、義務や責任、公共心、モラルを軽視するかの風潮、論調、政党には、こんな平和ボケ、幸福な社会はないと感謝しながらも、それゆえのぬるま湯、緊張感の欠如、社会全体の他力本願と総評論家的な現況は杞憂であれ、続かないと祈る気持ちと、今後も変わるのは期待薄と思う心持が同時に共存している。

お礼日時:2008/09/26 08:13

#14,16の者です。


おそらく不毛な論戦に入りかけてるようなので、これを最後にするつもりです。


いくつか評価(?)挙げておられますが(私自身、一応それらのお話は耳にしたことはあります)。

「で?、 だから?」 です。

誰が誰の言い分を採用して、どう判断しようが全くの自由です。

それらほとんど全て「一面」ですよね。
もっとはっきり言えば、誰かの言ったはなしで、そっち側から発言された内容であり、
そちら側に属していない側からは、ほとんど間逆に近い内容が出てもいます。
(被害国からの謝意に日本国名が入らず外務省はじめ一部の方々の落胆のあった事実は知っているが、それで『小沢氏が名指しで国際社会から嘲笑された』などとの事実は公的には当然、一般に聞いたこともありません)
ちなみに、その種の話でしたら他に、竹下内閣官房副長官時代に二年にわたり頓挫していた日米通商交渉で、強攻策に徹していたワシントン随一のタフネゴシ相手に引くことなく譲歩を引き出し彼が解決に導いた事実、それを経て官僚上層部から未だ小沢シンパの少なからず存在することもご存知ですよね。

それぞれの陣営側から、それぞれに即した都合のよい内容に歪曲されて発せられることはあるでしょう。
でも、それを耳に入れる者は両方聞いたうえで、自らの見識と理性に照らしてどちらに正当性を見出せるか見極め判断するでしょう。

だから『見解の相違』と呼ぶんでしょう。

誰が誰の言い分を採用して、どう判断しようが全くの自由です。
ですが、其れを公的な事実かのように公共の場に持ち出されても、あまり説得力があるとは思えません。

要は、質問者さんは明らかに、小沢氏とは相容れない側の発言を採用されたということでしょうか(その書き込んでる内容に共通した傾向からすると)。
私は、私なりの見識と理性に基づいて「それと異なる側の発言」に信頼を抱き採用している、ということです。
それだけの事、です。

また、少なくとも私が前々回挙げた彼の功績は、日本政治史に正式に記録されている公的事実です。
政権交代を起こしやすい小選挙区制度導入も、政治家が自らの言葉で発言するよう官僚の務める政府委員制度の廃止も、行政府における政治家側機能強化の副大臣・政務官制導入も、英国議会に倣い行政府の長と野党政党党首の直接対話のクエスチョンタイムの日本版制度導入も、参議院議員の定数削減実現も、各々個人の思想・信条・政治観に関わらず、「彼が主導して実現した、という歴然たる事実」です。
(加えて、まぁ小沢氏の国替えは最終的にどうなるか分からなから何とも言えないが、小泉氏が家業を4代目に継がせることは事実でしょう、実現するか分かんないけど。 それから質問者さん同様に確証は得ていないけど、某記事によると「自民党を出たら苦労するだけ、党が勝たなくてはダメだ、何が何でも勝とう」と、《日本》のことより自民党が大事、との了見の狭さを端的に露呈する発言されてるようですね)

他にも、代表再選時での政権構想(次期正式マニフェストに入るでしょう)にて提言された与党議員100人以上(おそらく150-200以内)の行政府入りなど、
また、’55年体制時の、政府・与党の責任所在曖昧システム、表面敵対ウラにて相互利益の自社体制国対政治からの脱却なども、
含めすべて、憲法の定める本来の議院内閣制制度への、そしてお手本とする議院内閣制の母国・英国型議院内閣制民主主義制度への転換がそこにあるからに他なりません。

*もちろん、これらの支持不支持・賛否に関しては各々個人の自由です。 
 もりとん、公式に記録されている失策もあるのは承知していますが、それは各々が許容できる範囲かどうかですね。

ま、要するに情緒的なところが本音で、「オレは嫌いだ、性に合わん」でしょ?

ま、要するに情緒的なところが本音で、「オレは嫌いだ、性に合わん」でしょ?
だいたい、幕末の志士や明治の元勲含め日本や世界の歴史上の人物はそんなに高潔で完全無欠であったのですかね、
甚だ疑問です(ましてや主権者自身の未熟さは棚に上げて、その帰結である政治家だけに完璧さを求めるなんて・・・)


それから、私の教養がないのか読解力が足りないのなのかもしれませんが、
>「取れなかったから反古はない!」
この意味がよくわからないのですが・・。
まさかですが、
よもや「《取れなかった》→政権与党でない(=過半数のない=国民が契約成立先として選ばなかった)」のに、
「野党政党にマニフェスト(政権の公約)の約束守れ」、といった意味ではありませんよね?
違うのであれば謝ります、申し訳ございません。

が、もしその通りであるのなら、やはり「マニフェストの正しい意味と意義」をご理解されおられないのでしょうか。
一つお聞きしますが、(少なくとも優越院たる衆にて)過半数のない政党(=野党)が、、(少なくとも優越院たる衆にて)過半数の有る政党(=与党)の真っ向から反対する政策を実現することは実質的に可能ですか?(議員立法でもまず不可能です)
また出来ると仮に仮にするのなら、国政選挙にて分けられた少数派勢力の政策が次々と実現してゆくことが可能になります。
となると、やはり多数派の政策も当然に同時に実現するか、もしくは物理的もしくは論理的破綻からか多数派勢力の政策はほとんど実現しない、というどちらかになりますが・・・??(選挙で選んだ多数派なのに、少数派と同等か、もしくはそれ以下しか政策実現力が無い?)
政権政党だから与党なのに、野党の「政権公約」が実現するのですか???
んじゃあ、
《何のため国民は政策吟味して選挙で投票して、多数派(与党=行政権限&立法権限の事実上実行力を持つ権力政党)と、少数派(主として政府の監視と限定された立法権限のみの野党政党)を分けてるんですか?》(人気投票じゃあるまいし、「政策」に共感するから選んだんでしょうに)

前回記述したつもりだが・・・、
「約束破りも違反も無い!」
『契約成立していない(=多数を持たない政党=野党)んだから政権政策実現(マニフェスト実現)できるわけがないでしょ』
(仮に、学者でも評論家でも野党政党でも、仮に100%完璧で完成された政策を提示しても、国会にて過半数の議決を得なければ100年経っても其れは実現はしないからです、またそれでいいのです、民主主義国家の選挙による結果ですから)

それより何より優先すべきは、「契約し続けてきた実権を与る政党こそ」が、その契約内容に則した政策を実現できているか、そちらを検証することこそが遥かに重要です(言うまでもなく、彼らの実現した施策とは、実社会に執行されるからです)。
だってそもそも、マニフェスト実行実現率が高水準で履行されてる、そんな優れた政府与党を、私たちの国の政権から下ろす必要などまるで全く無いじゃないですか。

質問者さんは、出来る範囲でも現政権が前回選挙時に公式に提示したマニフェストの達成評価を検証されましたか?

もし私の勘違いであれば申し訳ございません。


>マニフェストは政権とらねば不実行、財源は示せず節約で?

おそらく、まだ「マニフェストの意味と意義」をご理解いただけてないのかなぁ・・・
(私のような愚民にはあれが精一杯なんですが・・、残念です)
それから不思議なんですけど、
日ごろ官僚をケチョンケチョンに誰も彼もダメと決め付けて非難してるくせに、彼らの出す数字は鵜呑みできるほど信頼性を持てるんですね一部の頑なな国民は。
矛盾してないませんか?
なぜ彼らが正確な数字を出してると言い切れちゃうのですか?
道路財源だってほんの数日で5,6兆円変更できるくらいいい加減なのに、「中身の詳細」はほとんどまるで公開されていないのに、詳細どころか中身そのものを数年前まで財務省は「公表する義務はない」と勇んでおりましたが(「ぜいきん」ですよ)。
なぜ? 「私たちの税金の使い道の詳細データが公開されていない」のに、何で「出てくる数字は素直に受け入れられる」の?
出されたそれで現与党だってコケにされてるのに、何でそれを最重要に手を付けると公言してる民主にその機会を与えることを拒むのですか?(言うまでもなく、議院内閣制民主主義では「与党政党」でないということ、その時点で、「法を整備し」「執行権限で実行すること」は限りなく不可能ですよね)

昨年の参院選で現野党が過半数を得なければ、少なくとも《12兆円の私たちの税金》が「いまだ、何事もなく、知らされずに、《天下り団体に》、この先も使われ続けてゆくだけ」なのに、それでもなぜ?国民が選挙で選んだ、自分たちの代表者の提言には不信に思い、隠し続ける公僕の小刻みに出すデータには絶大の信頼が抱けるのですか?

「とにかくサイフ開けなきゃ」では。
現政権は誰に頭変わろうが絶対にそれはやらないのは間違いないのでは(相互利権癒着関係上、お互いの徹底追求はあり得ないでしょ。「する」ということは、お互いの利益が無くなるということですから・・自民→官僚非協力→与党陥落、官僚→天下りなど税金の横取り制度廃止)。
やると公言してる民主が出来るかどうかは国民の意識次第で、
「とにかくサイフ開けなきゃ」では。

政権政党の交代とは、国家のマネージメントグループの総取っ代えのはずですよね(実務を与る30万人あまりの役人に現法制上変化はないので、実務上大きな支障はありません)。

*誤解されぬよう、私は「さあ民主が政権取れば、お宝ばんばん出てきて全て解決!」と短絡的な妄信をしているわけではありません。
「閉じてるサイフなんだから、とにかく開けなきゃ」


もし私の、素っ頓狂な勘違いであれば申し訳ございません。


最後に、
>大連立構想:民主党に政権担当能力は未だ無い。
これもよく嬉しそうに引用する方多いのですが、
「~~~と言われています(未だ一般には見られていることがあるのも拭えない)」
でしたよね (人様の発言は正確に^^ 全然意味変わっちゃうんで)
「参院勝ったからと傲慢になるな、自覚して足元を見ろ!」ってことでしょ。
彼の発言の賛否は議論になってもいいが、文言捻じ曲げるのはイケマセン!


長々と失礼いたしました。
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この回答へのお礼

親切なご説明と見解を賜りありがとうございました。

正当性
*大統領制、首相公選制でない我が国、当該内閣が組閣後に選挙の洗礼を以って国民の信を得てないと言うは為にする理屈。

*本来、衆議院も任期&任務をまっとうすべき、政争の具解散は本末転倒。
選ばれた首相、内閣は、権限委譲と代議制度上正統=正当。

*直接選挙【国民投票】は国土の広さ・人口・膨大な手間と時間、法制度上も難しい→国民の信(審判=首相公選・国民投票)を得ていない=正当性に疑念は、現実的でない。

*正統性のある議会で承認の首相、内閣は正当→不具合・不祥事があれば、交代更迭を、与野党・マスコミ・国民世論が求め実現が憲政の常道。

小選挙区
*局地的で、全国、国際的な見識、活動、ビジョンが出にくく→どぶ板、世襲、特定団体(宗教・組合)、利益誘導が多くなる。

*削減→選挙区は100【100名】比例区100【100名】、65歳定年、連続同一選挙区3期まで


マニフェスト
狭義で政権奪取後「与党」の責任約束。
政権選択選挙=マニフェスト選挙→政権選択の座標軸。
政府・与党に現実【成果・実績】、将来責任【国益・安寧と国際信頼増進】の任務と権限が委ねられ、その交代を国民に選択、審判を迫る契約メニュー。

*政権担当能力を示し、政権奪取時には実効有らしめるのがチャレンジャー資格【野党第一党】。

*政権担当能力は、抽象的選挙公約でない、チャンピオン【政権政党】を引き摺り下ろす、凌駕する政策、国民支持、実行力の担保が求められる。

民主党と小沢氏
*結党10年の紆余曲折と未整備は期待値、しがらみの無さでもある。
その対極の小沢氏、小沢政治手法を臓器移植は、期待支持した民主党ではない小沢党と思う。

*民主党の良心、人材、気概は何故、簡単に乗っ取られ、あたら有為な清新気鋭がスポイルされているのか?
何故、自民【田中派】の脱藩者が牛耳る老害、密室談合運営が顕著になったのか?

*政策が政局・政争・強圧運営、国会対策の駆け引きばかりで歪んでいる→消費税・国際貢献・ばら撒き公約・大連合・代表選。

私の首相候補(勝手連的な支持と推奨)
平沼赳夫

お礼日時:2008/10/04 01:59

まだ開いてられるようなので再びお邪魔します。


前回とかなり重複するかもしれませんが、どうかご容赦いただきたく存じます


>「正統性」:大切な要素だと思うが、憲法、議院内閣制・代議員制度・自民党総裁選規定に沿った資格要件を満たし正統な選出方法で選ばれた首相だと思います。
>充分ご承知かと思いますが、民主国のリーダーには正統性のあることを前提としてその権力の行使に正当性が生まれるはずです。

これは申し訳ないです。
前回の回答の「正統性」と「正当性」を逆に用いていたようです(「国民からの信任」=正当性)。
仰るとおりです、前回も述べたが「形式としては則しています(正統性)」。
ゴメンナサイ、訂正します。
「民主国のリーダーには正当性のあることを前提として、その権力の行使に値する正統性にお墨付きが生まれるはずです」
よって、「正当性」が見出せない、自分たちの選んだリーダーとして任することに道理を見出せない、ということです。

>その内閣【チーム】の政見構想・政策・言動や実績が、仕事振りやビジョンが国民審判として顕在化するのが支持率であり選挙での議席&票数だと思います。

その通りだと思います。

でも、それで得た3年前の議席数での権力行使と、その後に生まれた3人目の党首の権力行使には、疑問なく正当性を見出せますか?
少なくとも、彼のリーダーシップを根拠に得た議席でないのは間違いありませんよね。
もちろん憲法上も法令規定上にも逸脱してはいません。
でも、道理として疑念は抱きませんか?
そして、道義的にも心理的にも国民はこれを受け入れられますか。
「さあ新しいお殿様だ、みなで支えよう!」と。 無条件に?

>何故、国を政府を国土を問答無用に貶め辱めるんだろうか?

そもそも、「国を政府を国土」を『問答無用』に誰が「貶め辱め」てるんですか?
そちらに挙げた「我が国の一部マスコミや評論家、野党」ですか?
そりゃ一部いるかもしれませんが、本当にごく一部でしょう「問答無用に貶め辱め」てる方々は。
ごく一部なら多勢に影響ありませんよ、放っておきましょ。
たかが一メディアの会ったこともない他人の一意見を鵜呑みにし行動を決める人は(私もかなり懸念を抱いていますが)いつの時代も少なからず存在するものでしょう。少々大袈裟ではないでしょうか?
まぁ確かに、ごく最近の衆院選でも総理の会見一つでその内容・予想される弊害の推測も吟味もなく、それら完全度外視で、「覚悟を感じた!」それだけで投票行動先を情緒的に決めた方々もそれなりに存在したようですから、無視はできませんけどね^^。

私から見れば、未だ記者クラブ制度など世界中の民主国で我が国と韓国くらいにしかない閉鎖的談合組織のほうが遥かに問題ではないですか?
内閣総理大臣の二人続けての任期1年足らず不可解な辞任表明会見にアレで納得できますか?

質問者さんの言われるとおり「色んな立場や利害、価値観の差異はあろうが、誰がなっても・・・。」
そうです誰であろうとも批判は付きまとうのです、言論の自由のある民主国であれば(しかもごく一部でしょ「問答無用」の方は)。
同時に業績は歴史的な栄誉となるでしょう、最高権力者ですからね。
充分ご承知かと思うが、言論・報道の自由や、それを前提とするメディアの政府権力監視・批判、次の政権を目論む野党政党の政権監視・批判・反対等の徹底的なチェック機能、と同時に支持不支持に関わらずの主権者(国民)による注視と行動、これらは民主主義が健全に機能するために(=国民全体の利益のため)不可欠な形態でしょう(個人的には、まるで機能していないと認識しております)。

だけども、
前回回答したように、この一年間の政権政党の選出したリーダーの、この機能不全とも見れる惨状はまるで意味が違いますよね。
だから、
「私たちが民主主義の英知であり、原則である多数決システムに、間接的とはいえども、拠って選んだ少なくても国のリーダーであり行政の長であり」、との認識を道義的な意味からも心情的にも許容できないのです。
まさに「正統性(形式として)」はOKでも、
これまでの当事者責任者としての失策の積み重ねや、その対応や総括なしのままでの行動に「正当性がない(筋が通らない)」との思考を拒否できないのです(理由は前回記述したとおりです、自民党絶対支持者さんは別でしょうが)。

はっきり言えば、(自民党絶対支持者さんを除けば)数々の山積問題失策や対応の不備らそれと同様それ以上に、
自ら大多数で選出したリーダーの二人続けての職場放り出しのあとに、そのまま同じメンバーによる3人目のリーダー選びなど単純に受け入れられないし、
それを平然と繰り返す組織全体自体に政権担当能力勢力として確信的な疑念を抱いているのです。
だから「選挙にて「国民の判断を仰げ」です→その結果は個人的賛否に反しようが、そらが「民意」です(私個人は「否」ですが、反しても「民意ならば」受け入れざるを負えません)

従来の自民党支持者の方でさえ、国民放り出し「政策論議」という2週間あまりに及ぶ全国行脚の後に選出された彼が、まさか「政策」が判断基準に置かれて選ばれたなどとは(他候補が選ばれなかったとは)誰一人思っていないでしょ?
何を念頭に置いて彼が選ばれたかは、誰より当人が一番自覚していて「なんとしても小沢民主党に勝たなければならない、それが使命だ」との、選出後はじめの会見でそれが発せられたことからも、それ(選挙)こそが最重要課題だと公言してるわけです(野党政党が政権奪取が最重要なのは当然です)。

これらには、ご納得できず受け付けられない、というのでしたら、
それはもう#12さんの回答の通り、ご自身の好み・嗜好の問題で、それをもって民主主義という大義名分を大上段に振りかざし十把一絡げに非難されても・・、申し訳ないが少々的が外れてるのではないでしょうか。
正直申して、質問者さんとって自民党は特別なのでしょう。

だって、
「現実に、この難局に当たって航路を決め、舵取りを委ねたのに」、って
そんなの『委ねていない』からです(理由は上記に示したとおりです)。
質問者さんは特段の疑念なく、そこにたどり着く、これはいわゆる無党派の国民の位置ではありません。
無意識かそうじゃないか知る由もないが、「自民党だから」なのでしょう。
>今の一部マスコミ・野党の器量の品格の不足、卑しさは己の優越感と売名に終始し血迷ってるミスジャッジとミスリードの権化、何処の誰の為の言動かと、私には思え、葛藤し、憂うばかりである。
私の知る限り、15年前のたかが11ヶ月の自民下野時代のほうが遥かに醜かったはずです。
一言でいえば質問者さんは「自民党応援団」なのでしょう(少なくとも欧米先進民主国の国民は失策続きの対応処置不全の政権には下りてもらうことを望みます、特別な支持者でない限りは)。
*ちなみに私はどこをも特別扱いする気はありません、ごく一般の「日本」人ですから、あえて特別扱いするなら日本国・日本人側に立ちます。
仮に選挙後民主政権が樹立して仮にある程度順調に事を進め仮にそれなりの成果結果を残したとしても(当然応援はするでしょう)、
その後に立て続けに失策・問題発覚し、対処対応も不適切続きで、問題の根幹部から目を逸らし、するフリだけはメディアを活用し喧伝し、自らは棚に挙げ力のない時の野党政党へのっ責任転換には熱心で、まして参院選で大敗したにも拘らず、なんの総括もせずだから何の抜本的解決策も提示しないにも拘らず相変わらずたかが野党を攻撃し続け、だからといってどちらに主張が正当か主権者からの判断も仰がず、また同じ政党内の同じメンバーから同じ手法で同じ大多数の支持のベストと称する首相を選出していたら(もちろん、ある程度は見守ります、が)、
「ふざけんな!」です(「アンタらの初期の功績に感謝しそれは消えないが、それとこの惨状は全くの別問題だ)。
「この国は民主国だから、オマエらの代わりは我々が選ぶ」です(実務を与る30万人あまりの役人に現法制上変化はないので、実務上大きな支障はありません)。

>政権交代が全てに優先し、唯一の処方箋だろうか?
2大政党といえども、米英と民主主義の成立の歴史も政党&人材&政権綱領や政策の熟成&器量も違うのでは?

仰るとおり米英とそれだけ異なるから「たかが政権政党の交代(可能な情勢まで)」に半世紀以上も掛かるのでしょう(15年前の一時の八党派連立は例外です)。
だから政権交代に意味が無いとは結論できないし、同政党内の擬似政権交代で事足りるともなりませんでしょ。
それからよく分からないんですが、総選挙において国民の信を問うことが、なぜ政権交代にしか結び付けられないのですか。
もちろん私自身は政権政党の交代を強く望んでします、これは正直に述べておきます。
でも総理(与党側)のみの権限に委ねられる「解散総選挙」とは、自陣の好ましいタイミングで自らに信任を獲得しやすいという有利な施策でもあるはずです。
言うまでもなく、選挙には絶対優位など無いし巷間の情勢など何の実質的意味は持ちません、何だかんだ言っても半世紀以上に渡り世界中の民主国でもっとも強固で完成された一党優位体制国家運営を成し遂げたあの自民党ですよ(中国共産党が将来の民主化体制のお手本としてるようですから)。
これも前回書きましたが、#6さんの言うとおりで、堂々と勝ちを狙い戦えばいい、仮にそれで負けたとしたらそれも国民の選択です。

>政策課題の財源税源の体系&使途や優先順位、プライオリティの問題であり外交・安保は国の専権部分が大きく、政権を超えた継続性が望ましい分野だと思う。
他方、福祉・年金・教育・農業・道路問題等は重要性が低いのではなく、規制や保護と自由競争・自己責任、民間&地方への財源・権限委譲の問題を課題別に精査し処方措置、国民の合意形成が定まっておらず、論議を深め方向付けをしなければと思うのです。

基本的に異論はありませんよ、もっともです。
でも、それを担う与党政権が、現与党にあるとは到底思えないのです。
既述してますように、彼らがその任を担う「正当性」を見出せないからで、仮に彼らがやることになるとしても、それは選挙にて国民から現政権への信任を得てからです。

>勝負事であれば、勝者と敗者が出来るであろう。

その通りです、「彼が勝負して」、「勝者となって」『正当性は生まれ、はじめて国民は一丸となれる』のでは。
多くの国民は「手続き上の暫定首相」としか認識できないのです、彼に、リーダーとして最高権力行使に「値する根拠」が見当たらないからです。
民主国のリーダーは、「国民の正当な意思が唯一の根拠」であるはずだからで、
これが「正統性」も「正当性」も得ていることに他ならず、制度上「正当性が必ずしも見出せないこと」はあり得るが、
「それに懸念を抱く国民が多数見られる情勢は正常とはいえない」。
これを是正する手立てが、わが国の制度上「総理大臣の権限行使による解散総選挙である」と確信するしだいです。



>著書・講演・答弁・対談から、感情論・容姿言動・性向・清新さ・大局観・出処進退への対応も含めた清新さ・リーダーシップをどう見るか、で、どう評価するかでしょうね。

無論、全てその上での評価です(「清新さ」の意味がもう一つ・・だが)。 
また私は、彼が望むべく理想のリーダー像の要件を全て備えてるだなんて微塵も思っていません。
もちろん有るに越したことはないが、無いもの求めても意味がないし「容姿言動・性向・清新さ」なんて、
「あえて言いますが」、《現状、どうでもいいこと》 です。

>私はデビュー以来の足跡、言動、成果を目撃・体験して来た中で
細川政権の誕生、選挙制度の改革までを評価し、その時を以ってピークだったと思う。

それこそ見解の相違で、私はそうは思っていないということです。
そもそも前回記述したことも含め、これは与党時代のものです。
「政権与党」とは出来るからで、だから実績として結果に残るのです。
そして彼のした事は、終始一貫「日本の民主主義が機能するための施策」です。
逆にいえば「野党」とはそういうもので、「野党」の権力など高が知れていてので出来ることなど微々たる物です(当然ですよね、選挙結果で過半数あるほうが政権を担えて、過半数ないから野党なんだから)。

>民主党の政権奪取は、優秀・有為な人材の活躍で、脱小沢、卒業小沢的政治手法からだと思います。

まるほど、まさに見解の相違ですね。

あえて言いますが、
私は善し悪しはあれ、小沢氏でなければ出来ないとさえ思っています(最近つとに思います)。
100年以上掛けてこのグチャグチャに絡み合い隅々まで行き渡ったこの仕組みを変えるのは、それこそ十数年ごとの政権交代の常態化されている、その意識が社会一般に浸透している成熟した先進民主国同様の手法ではまず不可能だと思います。
彼はよく「最後の戦い、最後のチャンス」と発言しているが、それが自身についてのみならず日本国の民主主義の定着についてもそれを言及していることに、はじめは私も少なからず違和感を持っていました。
でも今は、まさに的を得た発言だと確信に近く思っています。
相手はあの自民党+完成された官僚行政機構が半世紀以上にわたり築き上げた、現在の日本社会です(それでいて、立憲主義的憲法は存在するし、民主的手続きも機能しているから輪を掛けてややこしい)。
そこでの無視できない少なくない国民は、一政党内の擬似政権交代のイメージしか想像想定できないからか、
「たかが」政権交代の意味も意義も知らないので、政権交代の「本当の出来ること」も知らないのです。
ごく当たり前にある「民主国の政権交代」事業を、「封建制時代の明治維新」クラス並みの大作業としなければならないわけです(事実、それに相当するとは思うが、現実には「ありふれた」「民主国内の選挙による政権交代」です)

非常に優秀だが反面、まだ認識が甘くそれ故覚悟の浅い、権力の何たるかを実質的には知らない民主党の若手・一部中堅クラスが、環境の整い成熟した先進民主国同様の手法のみで、この自民党官僚行政国家機構と当たり前の仕組みを経験と認識の無い少なくない国民を相手にそれができるわけがない。
とさえ私は思います。


やはり見解の相違でしょうか。

たぶん思想観が違うのでしょうね。
質問者さんはまさに新自由主義者で、私はどちらかというと欧州社民に近くブレアの第三の道方向を望みます。
私も国は国家レベルの案件のみに専念すべくよりスリムになるべきと思いますが、悪いが小泉改革のどこが小さな政府ですか?
今現状この国はどう考えても大きな政府ですよ、たしかに社会保障・年金や食に対する国家の安全保障は明らかに政府の役割として「小さい」ですけどね(そここそが国家の最低限の役割・責務だろう、と)。
まさに「自民党をぶっ潰す」と言ってその実《経世会支配をぶっ潰す》に他ならず、自民官僚行政統治システムは安泰で、最後には政治屋家業一家らしく「愛息に地盤看板カバンを譲り渡す」という『自民党政治そのもの』で最後っ屁して去る方と、
この話題以前から自ら率いる政党政策として同一選挙区からの親族立候補禁止を掲げ、自らも退路を断ち(そこが自陣で埋まればご子息に引継ぎ用もなく)ただ一点、日本国の民主主義への思いを最重要視して行動に進む方と、
どう判断するかは自由ですが、国民のほうが試されてるような気がします。




最後に大変失礼ですが、「マニフェスト」の意味と意義は正しく認識されていますか。
「マニフェスト」とは『政権与党と国民との政権公約』です。
政党と有権者のお約束ではなく、文字通り『政権与党になったとき国民と契約が成立する』もので、
「具体的な施策を、いつまで期限を、どれだけの財源で、実行実現することを明示し、次の選挙時にその達成項目を検証し、未達成項目について、なぜ出来ないのか、どの過程まで出来てるのか、何が障害なのか、いつまでなら出来るのか、これらの詳細説明理通を問い質し、それら全部で評価し次の投票行動の判断とする」仕組みです。
無論、これは万能薬でもこれで全てが丸く収まるとも思っているわけではありません。
でも、意味ありませんか?
まだ日本に導入されて5,6年だと思いますが、これがこれまでまるで機能していないとの認識をされるのであれば、
それはその対象者である政権与党政党がそうであったのであり、それを許してきたメディア・知識人の怠慢であり、国民にも一端の責任はあるでしょう。
#3さんでのお礼分見る限りでは、どうも認識の欠如と偏見があるように見受けられます。



長文大変失礼いたしました。
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この回答へのお礼

詳細な解説や示唆を賜り、ありがとうございます。
字数と表現力の範囲で【順不同】御礼と答えを述べてみます。
◇リーダーの資格要件と評価
リーダーの資格要件は、実行力、与件としては、折衝力・人望・組織力・変化への柔軟性が求められる。
評価は、その時点での成果、支持率、選挙結果に現れ、後世の歴史の中で帰結すると思う。

◇見解の相違
成る程と賛同、共感も、テーマー別に優先順位や評価ウエートの違いから、解に対する査定は相違。
然も、苦渋の選択→心中で51%対49%と拮抗も、結果は51%の方が対外的に個人の評価・見解となる。
問題意識、対策、現状分析において差異は少ないと思うが、その先の手段・順序・目標が相違点。→誰に、何時まで、何から、財源、方法は法案・選挙・採決etc。

◇小沢考【リーダー資質】
「本人評価」
*金丸事件(東京佐川、新党立ち上げの金塊隠し)の対応:逃げまくり、お茶を入れるだけしか能無し、裏切り隠遁
*羽田政権:自分はリーダー、トップに成れない相応しくない。
*大連立構想:民主党に政権担当能力は未だ無い。

「客観?傍証的評価」
*ミスリード、ミスジャッジ、旧来手法
日米通商:史上最大のイエスマンでアメリカ言いなり折衝
湾岸戦争:国際貢献、国連中心主義、普通の国が持論だったが、何も動かず示せずオロオロ、優柔不断で被害国の感謝も無く世界の嘲笑を招く。
結果、橋本氏の助言決断を得ねば、駄々っ子ぶりとパニック状態に止まっていた。

*独断、密室側近、国対中心は古色蒼然&陰湿
都知事選へ磯村氏担ぎ出し、海部・ミッチー・真紀子誰でも昨日のライバルでも(自分、自党に適材なし?)、新進や自自連立&解消、突然の国民福祉税、持論の消費税10%・国連軍構想等の封印、何度もの辞任・謝罪は何故か?
また、イギリスに学ぶ、クエスチョンタイム・シャドーキャビネットを提唱しながら、党首討論忌避、明日の内閣の軽視、マニフェストは政権とらねば不実行、財源は示せず節約で?は言行不一致、巧言令色人薄し。

◇マニフェスト【政権公約】
具体的な数値・期限・責任と評価の明確化が守られ、定着して行く事を期待。
但し、政権交代【チャレンジャー】を目指し、国民に問うなら選挙公約、実現実行可能な工程表にして欲しい。取れなかったから反古はない!

お礼日時:2008/09/30 11:07

 たぶん心配しなくても大丈夫です。

批判が渦巻いていると言うことは、それはそれで健全な状態ですから。

 これまでも内閣発足と同時に政権に対する不満や批判の声はありました。今に限ったことではありません。今回どうも様子が違うと感じるのは、細川内閣以来の政権交代の可能性を多くのヒトが見ているからでしょう。だからいつにもまして関心は高まるし、声は大きくなるし、辛らつになるのでしょう。多くのヒトが右へならえだったり、あきらめからの無関心だったりするよりは、よほど健全だと思います。この国はそのどちらも経験していますし。

 多くのヒトは、この国をおとしめたい、はずかしめたいと思って政権を批判しているわけではないでしょう。この国を長い間おとしめ、はずかしめてきた自民党型政治に対する怒り、と言うような意味合いもあるのではないでしょうか。それを認めるなら、批判は質問者が思っているのとは逆の指向性を持っているとも言えます。仮にただ煽るだけだったり、文句を言ってストレス発散したいだけのヒトが政権批判したとしても、それはそれで甘んじましょう。ただのグチですから。代案ないなら批判するなとか、志し低いヤツが批判するなとか、ネガティブな批判するなとか、批判への批判もあるでしょうけどいいじゃないですか、ただのグチなんですから。

 野党やマスコミや評論家やジャーナリストは常に権力を監視して、批判し続けて欲しいと思います。それは彼らの大きな存在理由のひとつですから。もちろん是々非々でかまいませんし、みんなが同じ方を向いている必要もありません。中には聞くに堪えない論調もあると思いますが、玉石混淆であればこそ、石には石の、玉には玉の役割があるものです。また彼ら自身もそれぞれが権力を持ち、権力構造に組み入れられています。ですから内省や自己批判、お互いが批判し合うことも必要でしょう。そうしていろいろな意見や主義主張が混在している姿は健全だと思います。それはこの国のヒトが望み目指し獲得してきた自由と言うもののひとつの現れです。

 権力を批判する者、否定する者に資格を問う必要はありません。自分でやってみろとか、お前に何がわかると言う主張がありますが、それは不毛な問いかけです。それぞれがそれぞれの立場で政治に関心を持って、思うまま感じたままを表せばいいと思います。それが新聞の社説や、テレビのコメンテーターや、街頭演説の受け売りでもいいです。そう言ったたくさんの意思が伝わって、渾然となって世論は形作られて行きます。著名な政治評論家の意見と、酔ったオヤジのグチに本質的な差はありません。それを聞く者がいて、解釈されることで初めて差が生まれます。

 今の世相は質問者が理想とする風潮とは違うかもしれませんが、それはそれでこの国の文化であり風土です。少し内向きで後ろ向きっぽいと感じるかもしれませんが、そんなシャイな国民性に質問者も矜持を持ってやって欲しいと思います。

 余談ですが、質問者の文章は少し硬いと感じます。難しい漢字や言い回しを減らして書いてみてはいかがでしょうか。また自身の主張を展開せんとするあまり、少し論点が散漫な部分があるように見受けられます。回答より回答へのお礼の方が長いのはそのひとつの現れでしょうか。配慮いただければ幸いです。

 一読すればわかるように、拙文には大した主張はありません。現状を追認しているだけです。質問者が危惧するところの本質と本分と品格を忘れた傍観者の意見かもしれません。ですから回答は三行半程度でお願いします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
良く分る推論・分析・比喩引用で、お教え頂き感謝申し上げます。

>多くのヒトが右へならえだったり、あきらめからの無関心だったりするよりは、よほど健全だと思います。

>内省や自己批判、お互いが批判し合うことも必要でしょう。そうしていろいろな意見や主義主張が混在している姿は健全だと思います。

>質問者の文章は少し硬いと感じます。難しい漢字や言い回しを減らして書いてみてはいかがでしょうか。また自身の主張を展開せんとするあまり、少し論点が散漫な部分があるように見受けられます。

               ↓
ご指摘・アドバイス賜りました幾つかの点は→自覚・自省・自戒しているところですが・・・
我が主張を押し付ける積もりは毛頭ございませんが、伝えたい要素が余りに多く、作成時に止めども無くこみ上げる熱情【嘆き・怒り・憂い】に対し、それを簡潔に表現するに論点整理・文書力・推敲の力不足でしょう。
(一方で、個性&老害?と、何処かに文体&文節への好み、語彙・語意の微妙なニュアンスを大切にしたい思い、こだわりが出る)

お礼日時:2008/09/29 18:47

なぁ~んとなく全体的に解りました(質問者さん幅広くて難しいんで^^)




私はですね、結局「正統性」に納得がいかないのです。

充分ご承知かと思いますが、民主国のリーダーには正統性のあることを前提としてその権力の行使に正当性が生まれるはずです。
「絶対正しいことなんてない、国民の多数が支持したリーダーであるが故に、その行動に納得できる」ということではないですか。

今の政権政党は「少なくとも先の参議院通常選挙にて国民から不信任を受けた」のです。
これは、どう言いつくろうが間違いのない事実です。
('05年郵政選挙が小選挙区制度による獲得表と大きく乖離した大差の生じたこと、公明組織票の上乗せ無しでは実質負けてさえもいたこと、これらの疑念が払拭されなかろうが、それでも小泉自民党が歴史的大勝をした事実自体は否定しようがないことと同じことです)

もちろん、だとすぐに信頼を取り戻すために総選挙を早期実施しなければいけないルールもないし、解散権は事実上総理の専権事項(性格には「内閣」)であり強制的な行使を要請できようもありません。
だが彼は「自分と野党党首、どちらを選ぶか」と自ら選択要件を設定し迫り、結果「負けた」にもかかわらず、続投を宣言し職に留まりました(これは当人の覚悟の上での決意決断ですから構いません)。
でも、それから一月足らずで、国会召集直後の辞任です(私に言わせれば、続行時の覚悟と決意に見合わない上、職責の大きさにも相当しないこじ付け理由での「職場放棄」です)

で、その彼を大多数の意思で選んだ与党議員の、まるで同じように大多数の与党議員で前総理を時間使い選出しました。
国民に不信任を受けた総理大臣の次に、信任を受けていない総理大臣が生まれたわけです。
これは、まぁ手続き上許されているし、前述同様変わったからすぐ解散権行使で信を問わなければいけない決まりはないし、それ自体総理自身にしか決める権利のない権限です。
だけれども、現在のこの山積した未曾有ともいえる問題に着手するためには、議院内閣制議会制民主主義制度での最高権力を持つ内閣総理大臣の強烈なリーダーシップが必須です。
そしてこのリーダーシップの権限行使の根拠は「国民からの信任」(=正統性)であり、これは強大な求心力となります。

まぁ、一応何もまだ仕事はしていないということで、一定の猶予期間を得たわけです。
ご承知のように、彼は自らに正当性があると信じることもできす、これを避け続けました。
#6さんの仰るとおり、自らに理があるのなら与党政党の権限のもと、粛々と実行実現し結果を示し、国民に信を問えば済むのにです。
(3分の2を失おうが、参議院勢力に変化がなかろうが、政権政党の持てる権力のもと取れる唯一の打開策であるはずです)
で満一年後のデジャヴゥ会見での、再びの「職責の大きさにも相当しないこじ付け理由での『職場放棄』」です(「野党の反対云々??」という彼の理由が正当なら、世界中の民主国のリーダーは仕事ができません、独裁国家を目指さなければなりません)

で、またデジァヴゥです。
その彼を大多数の意思で選んだ与党議員の、まるで同じように大多数の与党議員で前総理を時間使い、
また『さらに国民の意思と遠い論理』で新たな「国民のリーダー」が生まれたわけです。


さぁ、我らがリーダーを国民一丸となり支えていこう、となりますか?
彼は王様でも徳川の将軍様でもありません。
彼が彼の信念のもと、抱く理念に基づいてこの国を導いてゆくつもりなら、
まず、国民から信任を得ることこそが最優先前提条件と、主権者が抱くことは不自然ですか?


ちなみに、私は基本的に小沢一郎氏の政治理念に共感を抱いております(彼の欠点も承知した上ですし根幹にブレが無いのであれば、自分を省みず人にだけ完璧を求める愚行は慎みたい所存です)。
質問者さんが挙げたのは、私から見ればそれこそ重箱の隅の感情論で、
本質的な、終始一貫変わらない政治行政理念や、政権政党の大幹部時の政権交代の起き易い「小選挙区制度」の導入や自自連立条件の「議員定数削減実現」や国会における政治家答弁のための「政府委員の廃止」などなど彼の実績、また「政権政党権力の本質を知っている、その胆力(おそらくこの本質を本当に理解してるのは、小沢氏と、私は嫌いだが小泉氏くらいのでしょう)」など考慮に入れられていないようです。
そして今、まだまだまだ不完全ながらも、国民の意思によって時の政権の選択のできる道を開きました。
これは明治以来150年余にわたり続いた官僚行政統治機構からの大変換でもあり、我が国の憲法の定める国民主権民主主義へのほんの入り口と確信しています。
これらの支持不支持は個人の自由に他なりませんので、たんなる見解の相違としか言いようがありません。

長々と失礼いたしました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
卓見や人物評についてのお考え、価値基準を興味深く読ませて頂きました。

感性、価値観、原体験等の違いや、理屈抜きの好悪(ウマが合う合わない)で、同じ対象事象に対しても、見方や見え方、重要性やツボが±評価評点が結果的には異なるのでしょうね・・・。

私自身でさえ、深層心理や心の内では、例え51%と49%の葛藤や悩ましい事柄でも、帰結点や賛否、好悪や順位では一方が支持・賛成・上位になり、他方は不支持・反対・下位に定まり、それが個人としての意見・評価という事に成るのでしょうね・・・。
               ↓
~私見~
「正統性」:大切な要素だと思うが、憲法、議院内閣制・代議員制度・自民党総裁選規定に沿った資格要件を満たし正統な選出方法で選ばれた首相だと思います。

その内閣【チーム】の政見構想・政策・言動や実績が、仕事振りやビジョンが国民審判として顕在化するのが支持率であり選挙での議席&票数だと思います。

「小沢一郎」:人物評は
【誰と比べ】相対評価と【首相・リーダーとしての】絶対評価
出自や政治活動歴・指導力・歴史観・組織論・職務遂行能力・資質や器量・国際感覚・プレゼン&コーチング能力・政治手法etcの総合力で、国の進路やグランドデザインを過去現在未来を信託出来るか?

著書・講演・答弁・対談から、感情論・容姿言動・性向・清新さ・大局観・出処進退への対応も含めた清新さ・リーダーシップをどう見るか、で、どう評価するかでしょうね。
私はデビュー以来の足跡、言動、成果を目撃・体験して来た中で
細川政権の誕生、選挙制度の改革までを評価し、その時を以ってピークだったと思う。
民主党の政権奪取は、優秀・有為な人材の活躍で、脱小沢、卒業小沢的政治手法からだと思います。

お礼日時:2008/09/27 21:19

ANo.9です。


 日本人は基本的に民主主義に向いていないと思います。これは私の私見ですのでご批判無用ですが、たとえば給食費を払わない親、政治的信念の伝わってこない政治家、人気投票と選挙を錯覚している国民(いい例がどこぞの写真集を出した若い女性市議に投票した人たち)、それをあおる無能でエリート意識プンプンの政治記者。つまりいつまでたっても良い総理大臣など望むべくもないと思います。日本は戦後教育を間違っていました。民主主義の本質を教えてこなかったツケが回ってきています。このままでは、日本は経済は二流、政治は三流の三等国になっていくでしょう。やっぱり戦わずに手に入れたものは有り難味がないのでしょうか。
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この回答へのお礼

ご意見、情報・アドバイスを賜りありがとうございます。

「啓発され、共感の感想が演説調になって恐縮です」
本当に投票率の低さ、政党の国民国益を離れた党利党略、政官業の癒着や不祥事、官業の非効率さ、政治家のモラルや情報交流の低さ拙さに怒りさえ覚える。

領土【北方4島・竹島・尖閣諸島】や主権【東シナ海油田開発・拉致事件・米軍基地や米兵事件】、内政干渉【歴史教科書・靖国神社】への外交折衝の軟弱さ、風土&文化への誇り、愛国心や国際貢献への説明・説得能力の無さ、無関心、事なかれ主義、口先だけの国民向けの抗議してますポーズ、相手の配慮善意頼みetcに、怒りや嘆かわしさ、無責任さ時間浪費へのつのる焦燥感は日々枚挙に暇が無く、強まるばかりである。

それでも、心を打つ和ませるニュース、人間愛を再確認する出来事、ほのぼのとした明るい話題も日常に多くある事を願いたい。
また、人間、日本人、日本国、捨てたものじゃないぞ!との事柄も捜せばきっとあると信じたいものです。

様々な難問、課題、厳しい現実、リスクが次々と現れ襲うだろうが
逃げず、阿ず、諦めずに誇り・矜持・優しさを持ち続け、優しさと勇気と気概で闘い跳ね飛ばして行きたいものです。


日本&日本人よ、もっともっと怒れ、主張し、行動せよ!
政府よ、国民国益の信託に応えろ!
領土・主権・安全安寧希望を、国民の生命財産、暮しを守り増進するのが大義であり使命であり負託に応える事であろう。

恫喝侵食されている事には、戦争以外のあらゆる方法、手段で(外交・国際裁判所&国連への提訴、ODA凍結・経済制裁)断固たる怒り抗議折衝を具体的に行動せよ!と言いたい。
国民世論に情報開示と説明責任にて世論の醸成を果たし、そのオーソライズに則り責務を果たしてもらいたい。

同時に、我々国民も一丸となってのバックアップ、サポートが折衝の最大パワーだと思う。
国論の合意形成、問題の共有と強い信念・覚悟を、言葉で情報発信で行動で発揮しなければ、望ましい改善解決には、道は開けず至らないだろう。

共に闘い、抗議し、恫喝や嫌がらせに耐えねば、事態の好転、進展は期し難いと思う。
政治・行政・暮しをより良い→国体・社会・暮らしへ、自らも同じ運命共同体「日本丸」の一員、共有者として、生涯担ぎ手、微力ながらも出来うる限りの参画、行動、問題提起の波動者足らんと心に誓うものです。

お礼日時:2008/09/27 16:37

#7ですけど。



結局、あなた 偏った考え方でいるだけでしょ?

小泉さんを批判する国民、小渕さんを評価する国民
色々居ますよね?

あなたのように外交と民営化をすればOKという人と
福祉を蔑ろにして けしからんという人と居ますよね?

結局 あなたの好みに合うか合わないかってだけでしょ?
判断基準は。

結局のところ麻生さんについてはどう思ってんですか?
どこを見ても そこに触れてませんが?
表題からすると「あたたかく見守ろう」って事でしょうか?
内閣の支持率は新聞各社のたかが千人かそこらの統計ですから評価に値しないでしょうが
段々と下がっているのは事実で正直 自民党は限界なんじゃないですか?
っていう意味で
「我が国のリーダー誕生を揶揄貶めるの」ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご指摘賜った点は自らを写す鏡、客観的なアドバイスとして有り難く傾聴、自覚し、自省と自戒に活用させていただきたく存じます。

小渕首相は誕生時には外観と喋り方から、なんとなく頼りなく最大派閥の棚ぼた首相と誤解し見ていました。
冷めたピザと海外からも冷笑、揶揄されての船出であった。
その意味では国益、国威の増進に必ずしも不本意ではあろうが適材人材とはいえなかった。
ところが、温厚実直な人柄からか徐々に、日にち薬の如く、知らず知らずの内に、人心を掴み、信頼と人気を高めて行かれたのは、癒し効果、その時代に天の配剤とも言える賛否は別とした経済政策で、景気と国民マインドを好転させた功績は大である。
好人物、国内的には評価出来る首相であった。

政策課題の財源税源の体系&使途や優先順位、プライオリティの問題であり外交・安保は国の専権部分が大きく、政権を超えた継続性が望ましい分野だと思う。
他方、福祉・年金・教育・農業・道路問題等は重要性が低いのではなく、規制や保護と自由競争・自己責任、民間&地方への財源・権限委譲の問題を課題別に精査し処方措置、国民の合意形成が定まっておらず、論議を深め方向付けをしなければと思うのです。

勿論、個々に各人物に私見、見方、好悪、評価はありますが・・・今はダイナミックな発想やみずみずしい発言を、揶揄し揚げ足取り、スポイルして、問題解決へ参画し責任を共有する声が少ないと思うのです。

野次、ブラックジョーク、茶化しばかりでは良き成長も成果も期し難く、叱咤激励、開発育成に繋がらず→恰も子供が無いものネダリ、オモチャにすぐに飽きて次から次ととっかえひっかえて宥めるシーンが目に浮かぶのです。
そんな神輿の担ぎ手が観客が、盛下げ、混乱やケガを誘発するのを懸念し、目標への参加者,支援者,共有意識の希薄を憂い、悲憤慨嘆している次第です。

尚、麻生氏への独断と偏見の私見は従前の項で拙文ながら述べております。

重ねて、的確なるアドバイスに対し御礼を申し上げます。

お礼日時:2008/09/26 22:44

国土交通相、誤解を招く発言連発。


リーダーの失言がかすんでしまいそう。

今まで黙って着いて行った結果色々な問題がでてきて政治不信を起こしているんじゃないかな。
怒り心頭で振り上げた拳は何に対する怒りなのかな?
批判も咎めもせずリーダーについて行くべきなんじゃ?
というのは感性的なだけで思考できない体育会系の選手かその応援団のようで説得力はないな。
国が、地域が、ひいては自分の暮らしがよくなるようにと応援していたつもりが
いつの間にか事故米を食べさせられていたりで自分の首を絞めてしまっている世の中にされたら
おバカだろう?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご指摘の考察や問題提起はごもっともな意見だと思います。

中山国土交通相の発言をご紹介、引用されていますが・・・
確かに軽率の謗りと見識を疑う事柄だとの指弾が喧伝されております。
利害や立場、その発言の真意や論旨の中の必要性を再現することも忖度も出来ませんが・・・
何ら擁護、代行しての弁解の任や気持ちはありませんが・・・

◇ゴネ得
(空港の土地収用、工事の促進に対する、公共の利益と地権者個人の権利や利益の問題)
公共利益、ハブ空港の役割、安全運行の立場からは、一面を突いた発言だとは思うが、役職の意識、ストリーの展開上の必然性や反響への配慮、表現の工夫に欠けている、まして即刻の撤回は見苦しく人物&見識の幼稚さすら感じる。
堂々と意図する所、見解を説明しろ、述べろ!

◇日教組や学力テスト
(一事、一例を以って全体を決め付け、烙印は短慮、暴論。大分教育委員会の不祥事で同一視は暴走、発言の一部を歪曲誇張も適切な判断を阻害する)
己の役職や言葉の意味、責務の認識を疑う。
さらに、事例の引用や比喩の必要性&適切さにおいても思慮に欠けた暴論である。

しかし、抹殺するだけでは困る。
十分な見識と情報、客観的なデーター、時系列&事実に基づく検証やシュミレーション分析を持たずに、安易に一理有ると頷くのはどうかな~ぁとは我ながら思うが・・・

大阪府の橋本知事と府教育委員会とのバトルにも見られるが・・・
言い放し、メンツ争い、揚げ足取りに隠された問題の真因、傾向も窺えるのではと、私は勝手に一部同感、そんな見方も出来ると推量しております。
発言の背景、真意、そして問題点の提起を受け止めて、是非・評価・対応策を模索して欲しいものである。

本質は学力向上、教育システムの見直しなのだろうが、軽率とはいえ言葉狩り、揚げ足取り、安易な糊塗や撤回で無かった事にと終わらせては問題の解決にもステージアップにも資する事、議論の進展には繋がらない。

お礼日時:2008/09/26 21:53

徳川家康って人は部下からも部外者からも民衆からも馬鹿にされてたそうだな。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

我が国の歴史上の人物においてのリーダー像、人物評をご紹介賜り有難うございます。

>徳川家康って人は部下からも部外者からも民衆からも馬鹿にされてたそうだな。

               ↓
あくまでも山岡荘八や吉川英治の小説の世界からのイメージですが
徳川家康は、今川&織田の人質から辛酸と苦労を重ね、天下を掌握し
徳川300年の基礎を築いた人物ではあるが、個人的には好きではありません。
一見、狡猾・人心掌握に長けた・交渉上手なやり手に思えますが、存外に近親や部外者・民衆からは本質や人品を読みとり、見切られていたのかもしれませんね?

私の場合は、家康より少し地味ですが、西郷隆盛、上杉膺山や楠正成、劉備玄徳の言動、生き様に共感を覚え好ましく思います。

徳川家康だけでなく、歴史上、古今東西のリーダー:上に立つものは人望、胆力、英知、行動力の秀逸さと情と非情のバランス、スピード、メリハリが不可欠と改めて思いました。

お礼日時:2008/09/26 21:15

 なんせ二人続けて投げ出すし、次もボンボンだし、その前の強行採決総理は責任追及される前に引退するし、捕まった総理もいたし、金塊隠したのもいたし、国会で馬鹿やろーで解散したのもいたし、密室で決まっちまったのも居たし。

指3本で辞めたのもいたし、誰か尊敬できる総理って居たの?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の気持ちは矛盾しているが、自省自戒を含め・・・

問題提起は野党・マスコミ・自分自身を含めての有権者の対応
◇支持or不支持や選出の経緯は別として、現実に、この難局に当たって航路を決め、舵取りを委ねたのに、その民主主義の原則や大義を無視し、批判と反対のみにスポットを当て、そのセンセショナリズム、エスカレートに存在感、切り口、受けを求めているようにしか思えない。
今の一部マスコミ・野党の器量の品格の不足、卑しさは己の優越感と売名に終始し血迷ってるミスジャッジとミスリードの権化、何処の誰の為の言動かと、私には思え、葛藤し、憂うばかりである。

内向き【減点主義】だけでない、時局に国際社会の喫緊の課題に、時機を逃さぬ叶った、ポジティブな正々堂々の政策、議論、提言による切磋琢磨を望む。
「オール与党、唯々諾々、安定と言う美名のぬるま湯を決して臨むものではありません!」

その切磋琢磨、政策論争と実績状況を踏まえ、国民への説明責任と国際社会での信威の増進を果たしながら→国民世論の評価と合意形成が図られ、政策・ビジョンによる競争の帰趨と結実として→真の政界再編、政権の帰趨、newリーダー誕生を切望する次第です。

お礼日時:2008/09/26 20:14

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