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昨日、11年飼っていた猫が亡くなりました。突然の死でした。
来月で12歳になる予定でした。
生後1ヵ月半から飼い始め、一人暮らしの私にとっては家族同然。
本当に本当に可愛がっていました。
朝5時頃、何となくパッと目が覚めました。起床時間はまだ2時間程後だったのですが、何故かその日だけ目が覚めたんです。
ここ1週間、私のベッドの下に入って寝ていた為、普段はどこにいるかなんて確認しないのですが、その日は何故か体を起こしてベッドの下を見ました。そしたら椅子の近くで寝ていた猫。目が半分開いていたので何かおかしい、これはもしかして・・・いやまさか。。。という気持ちで大声で名前を呼びました・・・反応がなく揺すって起こそうとしましたが体はまだ温かかったものの、だらんとしたやわらかい状態になっていました。

とにかく何が起こったのか、一体いつ?どうして?まだ生きてるよね?色々な気持ちが駆け巡り頭はパニック。祖母に電話をするも手が震えてうまく電話がかけられませんでした。

病気だったのか?老衰だったのか?死をどうしても受け入れられません。
5月頃、数回の血便があり、心配だったものの、私の猫は神経質で病院を極端に嫌がる為、餌を変えたら血便がなくなったこともあり、
病院には結局行きませんでした。あの時、先生に診てもらえばよかったと後悔ばかりです。
そして祖母の家に預けた時・自分の部屋でも、たまにトイレ以外で便をするような事も見受けられました。
どうして?全く分かりませんでしたが、これも老衰のうちに入るのでしょうか・・・?
亡くなるまでもきちんと餌(ドライです)・お水もしっかり毎日摂っていました。毎朝トイレ掃除する際もきちんと毎日、便・尿ともしていました。

ただ亡くなる前日、いつもよりかなり遅く帰ってきた私がご飯を食べている時に抱っこをせがんできました。
それはずっと前から毎日当たり前のようにやっていたのですがここんとこそんな時間も余裕もなく、していなかったんです。
そして私は寝る時にいつも一緒に寝たくて、こっちから抱っこしに行くのですが嫌がられます。冬になるといつも私と一緒に寝ていました。
そして昨日も走ってベッドの下へ逃げました。なのでいつもと変わらない、全く変わらない夜だったんです。

何故?どうして?苦しんで亡くなったの?幸せな人生だったの?
沢山聞きたいことがあります。原因はなんだったの?老衰だったの?もっと可愛がってあげればよかった、もっと大好きなかつお節をあげればよかった。寂しがりやな猫だったのでもっと一緒に居てあげたかった・・・涙が止まらず毎日泣いてばかりいます。
やっぱり病気だったのでしょうか。苦しくて私を呼んでいたのでしょうか。どうしても死を受け入れられずにいます。頭がおかしくなりそうです。

A 回答 (18件中1~10件)

こんばんは。

子供の頃から人生のほとんどを猫と暮らしている者です。
何度となく猫との別れも経験しました。
だから今のお気持ちは手に取るようにわかります。

お話の様子から、老衰だったか病気だったかで亡くなったとは思いますが、どうやらそう苦しまずに逝ったようです。
飼い主のあなたの傍で最後まで過ごせて、幸せな猫ちゃんだったと思いますよ。
突然に当たり前に傍にいた者がいなくなってしまう喪失感はなかなか拭えないものですね。
しばらくは仕方ありません。泣きたいだけ泣きましょう。
次第に時が解決してくれます。自分を責めるのはよしましょう。

そうした体験からあなたは身近なものの大切さを学びます。
悲しいけれどいつかは来る大切な家族との別れを疑似体験します。
身近な者の死を受け入れるのは容易なことではありません。
でも、乗り越えるしかないんだよ、と猫は教えてくれています。
今日からの毎日を今まで以上に、悔いのない毎日にできるよう努力しましょう。
猫ちゃんがあなたからもらった愛情のお礼がそれです。
亡くなった猫ちゃんに教えられたぶん、もっとこれからあなたの身近な人を大切にして暮らしていきましょう。
猫ちゃんはちゃんと弔ってあげてくださいね。ちゃんと「さようなら」と言ってあげてください。
そうしないと向こうの世界で幸せになる事ができませんから。
悲しいけれど、少しずつ、受け入れて行きましょう。
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この回答へのお礼

経験者の方からの心強いお言葉に涙がどんどん溢れ、そして胸にとても響きました。ありがとうございます。。。

亡くなった日、ネットであちこち調べ動物病院の先生から、今日回答を頂きました。11歳では早すぎる死だということ、なので老衰ではないだろうと・・・。悲しくなりました。なんらかの病気だった可能性があるとの事でした。ショックでした。だって知りませんでした。私の責任です。私が殺したも同然です。

泣きたいだけ泣いてもいいのですね。良かった・・・
あちこちに面影を探してしまいます。寝ていた場所・ご飯をおいしそうに食べていた場所・ぶきっちょに草を一生懸命食べていた場所・・・鳴いた時のいたずらっこな顔・甘えてすり寄ってきた時の顔・ぐっすり気持ちよさそうに寝ていた顔・・・どうしても忘れられません。どうやったら、会えますか?そんなことばかり考えてしまいます。自分でも分かっています・・・無理だって事・・・
猫は私に乗り越えてね、って言ってくれてるんですね・・・それなら頑張らなきゃ猫も悲しみますね・・・そして身近な人を大切にして、暮らしていく・・・その事は本当に今回感じました。猫が死を持って私に教えてくれたのですね・・・

だけどやっぱり自分を責めてしまいます。もっと、何かやれることがあったはず・・・仕事で忙しい・疲れたなどと猫のこと後回しにしてたんじゃないかって・・・。どうしても受け入れられずにいます。
asebi-0806さんのお言葉はとても胸に残りました。本当にありがとうございました・・・。

お礼日時:2008/08/18 19:56

NO.12です。



次の猫ちゃんのこと、悩まれているようですね。

私も前の猫を亡くしてから早い時期に次の猫ちゃん欲しくなりました。
ただ、購入してまでは…と思う気持ちもあり、次の年の春に生まれてくる子の里親に…(すぐにでも欲しかったのですが、時期的に子猫のシーズンではなかったので…)と思いつつ春を迎えました。
春になったら待ち切れず毎日タウン紙の『仔猫あげます』をチェックしていたのですが、4月や5月ではまだ譲渡には早すぎる時期。「あんまりでてないなぁ」と思っていた頃でした。

ある朝、我が家の元牛小屋だったところの屋根裏から、仔猫が落ちていたのです。幸い怪我もなく元気そうでした。
親が拾いに来るだろうと思う反面、「あの子(亡くなった子)が授けてくれたのかもしれない」という思いもあり、拾ってきたのでした。

あの子が…と思ったわけは、2、3日前冬の間雪で行かれなかったお墓に、お参りに行って「そろそろ猫ちゃん欲しいんだけど」と伝えてきたから。
この縁を逃してはいけないという思いもありました。

質問者様は「前の猫を愛しているのに…」と気になさっているようですが、良くしたもので前の猫と新しい猫への愛情は別のものですよ。
拾ったチビニャンは人工哺乳で育てたこともあり、飼い主バカですが「食べちゃいたいくらいかわいい」です。
でも亡くした猫はそれとは違うもっと深い愛情で愛しています、今でも。

飼ってみるとよくわかります。人間と同じで1匹1匹が全く別のものであることが。
新しい猫が心の支えになって、どんなにかわいくても、亡くなった子の代わりにはならないのです。
前の子は前の子、新しい子は新しい子で愛せますから心配しないでください。

猫ちゃんとの巡り合わせは本当に縁だと思います。
我が家の牛小屋の屋根裏では、毎年のように野良ちゃんが子育てしてましたが、落っこちたのは今の子が初めてです。
ほら、不思議なもの感じませんか。
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この回答へのお礼

chiyokotaさん、経験談をありがとうございましたm(__)m

ここで、沢山の方に優しい言葉をかけてもらい、自分でも前向きになったつもりでいましたが、やはり無理でどうしてもあの子を忘れられずに今日はずっと泣いていました。

あの子を亡くして2週間。心の傷は相当奥深く、今はどんなに可愛い子猫に出会っても、受け入れられる気持ちになれないことが分かりました。なので今の私には猫を飼う資格なんて無く、どうしてもあの子を思い出してしまい、死に顔がいつまで経っても頭から離れず、
里親は今回お断りしました・・・


気持ちがまた不安定になってしまって、もうどうしようもありません。
切ないです。つらいです。夢にも出てきてくれません。
毎日餌をやっても一向に減りません。大好きだったかつおぶしも沢山買っておいてあるのに・・・。
死にたくなります。ダメだって分かってます。
もう一度、あの子を抱きたかったです・・・・・・・・・・

お礼日時:2008/08/31 22:04

No.11 です。



新しい子を迎えること、とても自然なことと思いますよ。

猫にゃんも 嫌がったり。寂しがったりしないと思います。
後ろめたく思う必要も全くない と思います。
おかしくもないし、欠落もしてないですよ。
愛する相手が欲しいのは生き物として まとも。
とってもとても正常だと思います。

それに、猫にゃんの為にもなるでしょう?
だって、ご自身が安定しないと、しっかりと
猫にゃんを想って上げることも出来ないし。

悲しみと辛さに押し流されて、浸かりこんでしまっては。
猫にゃんを、優しい気持ちで思い出す余裕も失ってしまうし。

ソレよりも何よりも、猫にゃんだって、心配ですよ。
自分が居なくなっても、せめて、少しは幸せでいて欲しい。と
願っていると思います。決して飼い主の不幸も悲しみも望んでいないはず。
笑顔と幸せを 願っているはずです。 そうじゃないですか? ね?



実際、気持ちが求められてるんですし。
「ただいま」「おやすみ」を言った後、自分が淋しい空間にいることを実感されるなら。
(それはもう、とっても分かります。なんだか、体感するように実感します。)
それはもう、迎える時期が来ている。ってことじゃないかしら。と、思います。


無理に求めなくても、探し回らなくても。
少なくとも、出逢いを避けなくても良い のではないかしら?
出逢いがあったら、新しいペアとして 暮らされてはどうでしょう?


前に書いた夫の上司のように、嫌でも出会ってしまうコトもありますし(墓前の猫君)
身の回りにも、「もう絶対猫は飼わない絶対っ」と ずーっと言ってるのに。
そのたびに。車になぜか乗っていたり。飼ってる犬の小屋に入っていたり。と
何度も新しい猫を迎えちゃってる人も居ます。
(ちなみに、ウチの子の一頭も、全く予定外に、拾っちゃった子です)


もちろん、出逢いを求めて、自分から探しに出かけていっても 十分良いのでは って思います。
土日がお休みなら、なにか行動を起こされても良いですよー。 ね。


     (=^..^=)   ▽・w・▽


居ない。あの子が居ない。
ドコにも居ない。
もう 会えない。
抱きしめることも、触れることも。
見ることも、見つめ合うことも。
もう、何も出来ない。
あの子はどこにも 居ない。もう居ない。

って、私も感じました。
壮絶な喪失感ですよね。



ただ、私は、彼女を失った時、夜になったら泣いたとしても
昼、仕事以外の点でも、悲しんでいるわけにいかなかったんです。
もう一頭居て。その子が狂いまくっていたので。
それをどうにか支えないと。と、ソッチも手一杯で。
それがかえって、良かったのかしら?


愛した家族を失った時。
生活形態が変わってしまうことで、より喪失感を感じる。とも聞きました。
つまり、ワンコだとしたら、散歩しなくなる。とか。
生活リズムとか、習慣が変わってしまう。しなくなることが有る。
そういうことも、辛いのだそうですね。

私は、散歩にも行ったし。餌の準備やら、手入れやら
躾やら。いろいろ、姉ちゃんの方を亡くしても
有る面では何も変わらない日々でもあったのです。


そう思うと、
次は2匹同時に。と思われたのは、すごーく生活の知恵。
本能的な賢さではないかしら。と、思いました。


私も、もちろん、次もやはり複数で、と思いましたが。
できれば年の違う子を迎えようと。次の子達は、間を4年5年と
開けよう と考えました。そうすれば、事故だの病だのは仕方ないとしても、
それでも癌の発症はやはり年老いてからが多いとも聞くし。少なくとも
1年以内とか 半年以内などと言う、今回のようなことは避けられるのではと。
そんなことを思いました。 もう、続けては嫌だと。それは、強く思いました。



それから。勝手な思いなんですけれど。
猫にゃんの死に、きっと間に合っていると思うのです。
突然目が覚めて。まだ、体が温かくて。だったのですよね?
死にかかったりして助かった人たちが、声は聞こえた。と言いますし。
最期に、猫にゃんは、きっとあなたの声を聞いていると思います。
愛の籠もった。気持ちのこもった、必死の声を聞いていると。

その為に というと変ですけれど。
いつもとは違って、1週間ベッドの下という決まった場所で寝ていたのだろうし。
探さなくて済むよう。間に合うようにしてくれていたんだろうと、思います。


こう書きながら、また泣いちゃってますが。ごめんなさい。
でも、そうだろうなぁと思います。
霊だとか、そういう現象とか信じませんけれど。
でも、動物たちとの関係では、不思議なことは沢山ある。

まだ気配を感じると言われましたけれど。ゴハンの時間になると必ず、
息が聞こえる。と(大型犬で息が荒い子だったんですが)言った飼い主さんも居ます。 トイレタイムになると、嫌な話だけど、トイレの匂いがしてくるのよ~ と
言った人も居ます。 ベッドで一緒に寝てる、重さがあると言った人も。(これは
猫ちゃんです)  情が、科学を超えちゃっても良いじゃないの。と思ってます。



それから、「御飯を食べてるんだから、下りてよー」と言ったことも
それでも下りずに抱っこされて居たんだし。気にしてないと思いますよ。
しかたないなぁ。もう。 って位に思ってますよ。苦笑いして、許してますよ。

病院の件も、ずっと元気だったのですし。これも仕方ないですよ。
うちのも、前日まで、散歩で野山を5kmも自由に走ったりしていて。
年なんだし、制限した方がいいよねえ。好き勝手にさせずに
我慢させようかしら。なんて思うほど、元気いっぱいでした。
でも、逝っちゃったんですから。


人間だって、ドックで異常なしで、元気に海外登山するような人でも
急な病であっと言う間。本当に、まともに家族と会話する間もなかった。
というような方も居ますし。まだまだ、医学も科学も追いつかない部分って
沢山あると思います。

あなたは何も悪くないと思いますよ。
猫にゃんもそう思ってると思いますよ。

どうか、心を開いて。あなたの愛情一杯の心のままに
次の子達と、出会ってください。 ね。


この返事を書くことで、私もどこか癒されました。
時間が無くて、他の方の返事 読めていないのですが。
そのうち、読ませて貰おうと、楽しみにもしています。
いろいろ、ありがとう。
tanzanite7さんも、回答者の方々も、ありがとうございました。


また、出逢いがありますよ。
そして、素適な関係が紡がれていくと思います。
猫にゃんとはまた違った関係でしょうけれど。でも
それはそれで、また別の物語。素適な話になるだろうと思います。


出逢いを恐れず。自分の愛を信じて。大丈夫だと思いますよ。
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この回答へのお礼

yamaisekiさん、再び、ありがとうございましたm(__)m

これが縁なのか、どうなのか、分からないのですが・・・
今日、2匹の里親募集をしている方と会い、子猫を久しぶりに抱っこしました。逃げ回っていましたが・・・(笑)
最初は、メスの姉妹2匹なので、一緒に飼った方が猫も寂しくないのかなと想ったのですが・・・

なんか、踏ん切りがつかなくて。


今まで飼っていた猫にゃんを、まだまだ愛していて、
もう、名前を呼んでも帰ってこないし、甘えてもこないし、
一緒にも寝てくれないのですが・・・。
今日、子猫に会って、自分の中の答えが3択になってしまいました。

・2匹同時に引き取る
・1匹だけ引き取る
・今後はもう飼わない


正直、どれが今の自分にいいのかさっぱり分からなくなってしまいました。
同じ模様の猫はもうごめんだったので、あえて違う模様の野良猫ちゃんと出会いましたが、どの子も可愛くて・・・。
だけど、あの子以上に、愛せるのか?
(きっと、育てることは出来ると想うのですが・・・)
あの子以上の猫なんて、いるのか?
猫を飼い始めたことで、またあの子のことを思い出してしまうのではないか?
あの子がヤキモチを妬かないか?

ペットを失って2週間です。やっぱりまだ早いのかなって思います。
でも、出会ってしまった。自分で里親募集掲示板を見て自ら募集したわけですから、欲しいといえば欲しいのですが・・・。
31日中に結論を連絡しなくてはいけなくなってしまいました。
あの子がいなくなって、一人の寂しさも分かったけど、
一人になって、あの子だけを考える時間も、今は心地よくなってきました。一人が楽なんですよね。
やっぱり、生涯猫を飼わないか。
1匹だけでも引き取るか。
答えが出せないでいます。

全て自分で決めなくてはいけないのですけど・・・。
yamaisekiさんのコメントを読んでいると、不思議と前向きな気持ちになれます。涙も出てしまうんですけど。
あの子の代弁を、聞いているようで・・・。
今度こそ!後悔しないように、猫を一生懸命愛したい気持ちもあって。
今は1匹だけでも迎え入れようかなと想ったり・・・でも、やっぱり
しばらくいいや・・・と思ったり・・・。
皆さんどうしているのでしょうか?
やはり早すぎなのかな・・・。

お礼日時:2008/08/31 02:01

No.11です。

お返事ありがとうございました。
(泣きながら読みました)

とても返信どころではないのでは? と案じていました。お返事いただいて、ちょっとホッとしました。でも、どうか、無理されないでくださいね。
私は、意志で気持ちを持ち上げても、その後ガクッと来てしまって。恥ずかしながらけっこう、落ち込みが長引いてしまいました。(連続の死だったり。病だったりしたせいもあってトリプルパンチだったせいもあるでしょうけれど。)


実は、あの子が逝って、もう5年経っていますが。今でもいくらでも、泣けちゃいます。(他の人は知らないことと思いますけれど・・・) 
二度と笑えないのでは と思いながら長い年月を暮らしてました。(これまた外にはばれてなかったようです。) 
もちろん、今では、笑うこともありますし。普通に暮らしていますけれど。でも、心の底のどこかが、冷たく凍っているように、静かな暗い水面のような悲しみが残っていて。それはもう消えないんでしょうね。きっと。
でも、おかげで、大人になったんだと思うようにしています。(いえもう、実際、若くはなくて、いい年してますけれど。(^^ゞ)


だから、亡くされてすぐ。失ってすぐ、悲しみが溢れてこぼれてどうしようもなくても、もうもう本当に、当たり前 と思います。家族ですもの。愛してたんですもの。
愛していたからこそ、辛いから、自分を責めてしまうんですよね。わかります。
私は替わりに死にたかった という危ないタイプで。^_^;  そこまでいっちゃってる人も居ますから。自分を責めるくらい、正常範囲。ね、ほんとうに、普通のことですよ。まともですよ~。むしろ、愛だと思いますけれど。



でもお返事の中での不思議 に、心が温まりました。ありがとうございます。
ネコちゃんが、いつもと違って抱っこを求めに来たこと。いつもと違う行動を取って、働きかけてきたこと。飼い主さんが思っても、不思議だなって感じるようなことがあったこと。
その、書いていただいたところを読んで、やっぱり とっても通じ合っていた二人なんだと、暖かな気持ちになりつつ、涙がこぼれました。


今は、写真を沢山身の回りに飾って。今、たっぷり我が子に囲まれているとのこと。良かった。 良かったです。
きっと、車も、財布も、事故や盗難から守られますよ。 ね。


それと。病院嫌いとか、○○嫌いや、逆に○○好きというのは。人間だって個性でイロイロありますもの。あまり無理に矯正しても不自然というか。可愛そうですし。やってみても、出来なかったかも知れませんし、何を好きかとかいうことは、その子の個性で、もう運命ですよ。

前にも書きましたけれど、そもそも、病院へ行ってもダメな状態だったのかもしれませんし。突然の死という場合は。 うちの子も、具合悪くなって30分で通院し。2時間シッカリ検査して。それでも・・・ ですから。運命というか。避けられないこともあるんじゃないでしょうか。 

それでももし、ヤッパリ病院好きにしたかったー。と、思われるなら。次の子との出逢いがあった時、出会ってしまった時、生かせばいいですよ。それをまた、猫にゃん?も、「わー偉い。すごいよー」 と喜んでくれると思いますよ。


出逢いって、結構、あるというか。あってしまう というか。

知人も、長年家族として暮らした(本当に家事もした)ネコ君を失い。もうゼッタイゼッタイ猫とは暮らさない。次は犬!!と、犬種まで決めていたのに。
1年ほど経った墓参りの日、彼(愛猫)のお墓の前に、ソックリのネコが居て。「運命だ・・・・」と、(なぜか、少々気落ちしながら)連れて帰ってきました。「これがまた既に爺さんなんだよー」と そこまで似てるか。とブツブツ言いながら。(彼、本人も爺さんですが・・・) 

ともあれ、どうか、ご自身を責めないで。もう、ダイジョブかなとは思いますけれど。猫にゃんも悲しみますよ。自分を失ったことで悲しむのは仕方なくても、責めて欲しくはないと思います。幸せであって欲しいと願ってると、考えてみれば、思われますでしょう?

そして、ご自身も言われているように 素適な関係だったんだと胸を張って、これからも猫にゃんを愛していってくださいね。ずっとこれからも一緒に生きるんですよ。そして、彼方に行ったら、必ず待っていてくれて。また抱っこ~ っていうんでしょうかね。 とにかく、愛したこと、愛されたこと。これは、真実なんですよね。
(私も猫にゃんに 会いたかったです)
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この回答へのお礼

yamaisekさん、泣きながら読んでくださったそうで・・・本当にありがとうございます。

毎日、猫の面影をどこかで探しながら・・・写真を見て、毎日ただいまとおかえりを言うようにしています。寝る時もおやすみ。って言って、その後自分がとても寂しい空間にいるという事を実感します。

猫が居ない。この空間がとてもつらいです。
早く次の猫を・・・って考えてしまいます。

なんだかでも、後ろめたいのです。
猫にゃんを12年間一筋で飼ってきたのに・・・すぐに他の猫?って。
やっぱり私は何かが欠落しているのかな、と思ったり・・・。
未だ気配を感じたりすることもあります。

だけど、そんな気持ちとは裏腹に、今度飼う時は2匹同時に、とか考えてしまっています。
他の猫を飼っても失った猫にゃんとも一緒に生きていけるんですよね。
yamaisekさんのお言葉は、とても私の心に深く入り込みました。
そして涙が止まりませんでした。

またこの手で、猫にゃんを抱きたかったです・・・それだけが心残りです。今度飼う時は、後悔しないように・・・もっともっと愛情を注いであげたいと思います。

そして、私の不思議に思ったこと、の文章に心が温まったとのこと・・・本当に、本当にありがとうございます。
今でもあの時の抱っこをせがんだ時の事は、鮮明に覚えています。
あれが最後の甘えだったんだと、思っています。
「ご飯食べてるんだから、下りてよー」なんて、言わなきゃ良かった、って後悔してます。
(それでも離れてくれませんでしたけど・・・)

本当に沢山の優しいお言葉をかけてくださって、ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/29 23:20

tanzanite7さん、お気持ち少し落ち着かれましたでしょうか。



このページをずっと拝見してきて、それぞれの皆さまの思いの深さに、命を思う気持ちには差がないのだと改めて感じ入っております。

私も何年も猫と暮らしてきて、何度も見送り、また出会い…を繰り返してきています。
去年は半年の間に2歳と4歳の子をそれぞれリンパ腫で送ることになってしまうということもありました。

別れのたびに、もうこんな思いはしたくないと心底思いますが不思議なもので、ちゃんとまた出会ってしまう。

やはり、出会いも別れも、偶然のように見えて必然なのでしょうね。

悲しいときには、悲しいと素直に自分を認めてあげてちゃんと泣いてくださいね。
愛する者のために流した涙は、その子があちらで飲むお水になるのだそうです。
だからいっぱい泣いて、もう飲めないよぉ!って聞こえてきたら、きっとその時に涙が乾くのでしょう。
 
「動物のためにお経をあげたい」こんな思いでお坊さんになられた方がいらっしゃいます。

http://www.hpmix.com/home/sourumeito/T1.htm

今年、サイトの内容に加筆した本も出されておられます。
お坊さんですから仏教の方ですけれど、本を読んで圧巻だったのが、「すべての命が等しく尊いものと悟ったとき、人は無宗教になる」とあったところでした。
アメリカ先住民族の伝承詩である「虹の橋」も登場します。

「悟り」=「差取り」とも書かれていて、人と動物の間に命の重さや存在に差があると考えることの心の狭さにも言及し、ペットロスを理解されないことで更に増してしまう苦しみ、哀しみをどう考えてゆけばよいのかなども。
 
サイトの気の向いたページを開いて、ぽつぽつと読まれてみるのもよいでしょうし、最初から丁寧に読み進まれるのもよいでしょう。
本を手元に置くのもいいかもしれません。

温かいお人柄と、温かな言葉たちが、何かを教えてくれると思います。
私もとても救われました。

大嫌いな病院、辛い抗がん治療、強制給餌…本当にわが子の為だったのか、自分が納得したかっただけではなかったのか…夜になればそれこそ涙が出るばかりで何も手に付かなかった。
きっと乗り越えることなどできないのでしょう。
けれどその子の命を抱いて、その子の思いを抱いて、自分はこれからその子たちの分も一緒に生きてゆくのだと思えるようになりました。

うちには他にも1歳から9歳までの猫たちがいます。
お陰で私は生きていられます。
この子たちの面倒を最後までちゃんと見なければ、先に逝った子たちに叱られてしまいますから。

時がたって、また温もりと一緒に時間を過ごしてゆこう、と思えるようになったら、是非そうなさってください。
温かい手が差し伸べられるのを待っている子たちは今もたくさんいます。
自治体で譲渡会などがあれば、そこからお迎えするのもすばらしいことです。
(自治体での譲渡は、その性格上「期限付きの命」であることがほとんどなのです…)

愛して、愛されて、tanzanite7さんと猫さんは、幸せなときを過ごされましたね。
そのご縁は、きっとまたどこかで出会えるご縁だと思います。

新しい子をお迎えしたら、きっと猫さんは虹の橋のたもとで「ねぇ、ほら!私のお母さんはまた一人幸せにしてくれるの!」って自慢げにおひげをおしっぽをピン!としてくれますよ。
 
最後になりましたが、猫さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
 
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この回答へのお礼

mei3234さん、とてもためになるお話をありがとうございました。
私はようやく落ち着きを取り戻し、猫にゃんとの思い出に浸れるまでになりました。

サイトも拝見させて頂きました。
イノチって、とても尊いものですね。猫だって、人間と全く同じで
何ものにもかえがたいものですね。
自治体での譲渡も視野に入れていこうと思いました。
私が生きているから、幸せになれる猫が一匹でも居てくれたら・・・と今は思い始めました。
まだ日が開いてないのですが、早速調べてみようと思います。
今回は本当にありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2008/08/29 23:11

No.8の者です。

お礼ありがとうございました。
質問者様のお役に少しでも立てるならと思い、また回答させていただきます。

私の昔話を少し。
愛猫を亡くし、半年ほど経った頃で、気持ちも一応は落ち着いていましたが
「また猫を飼おう!」とは正直思っていませんでした。
必ず来る別れに、再びひどく打ちのめされるのではないかと怖かったですし、
亡くなった愛猫以外の子を迎え入れる自分が許せないような気持ちだったからです。
しかし、ペットを飼えない知人が捨て猫を拾ってしまい、どうしたら良いかと相談を受けました。
飼い主が見つかるまで預かってしまえば情が移ってしまうかも…
せっかく落ち着いてきたのに、猫を側に置いてしまったら色々思い出してしまい、
また元の気落ちした状態に戻ってしまうのでは…と色々悩んだのですが、
捨てられていた状態の子猫の話を聞いているうちに、何処からか力が湧いてきて
「私がこの子を何とかしてあげられないで、どうする!」という気持ちに。単純なんです。(笑)
飼い始めてからは、ふとした表情がそっくりで亡くなった愛猫を思い出す事もあり
少し悲しい気持ちにもなりましたが、現・うちの子の個性が「わたしは、わたしだよ!」と
言っているようで、うちの子と過ごす時間と共に、亡くなった愛猫を思い出した時は
悲しいと言うよりはとても愛しい気持ちでいっぱいになるようになりました。不思議ですね。
もう側に居なくても、その対象が増えても、愛する気持ちというものは何処かに消えて
無くならないものなのだなぁ。と実感しました。
現在は、毎日の生活の中に猫が側に居てくれるのが嬉しい。と言うのが率直な気持ちです。

質問者様は温かい手をお持ちです。
亡くなった猫ちゃんとの思い出と一緒にご自身の心を包んで癒されても良いと思いますし、
思い切って、寂しい思いをしている猫ちゃんに手を差し伸べられても良いと思いますよ。

長々綴ってしまいましたが、ご参考になれれば幸いです。
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この回答へのお礼

METR07さん、再度のご投稿をありがとうございました。

皆さんの心温まるお言葉で、なんとなくですが前を向いていけるようになりました。今は、虹の橋にいってしまった猫にゃんを思い出しては、楽しかった事を振り返っています。

猫を失った後に、また猫を迎え入れる方は沢山おられるようですね。
やっぱり猫にも個性がちゃんとあるものなんですね、、。
私も、今後の人生で猫のいない生活が考えられないような気がしてきました・・・
色々調べてみたら、動物収容センターなどに沢山の犬・猫ちゃんがいるそうで・・・今度はそういった猫や、里親探しなどをしてみようかと思います。

今回は本当にありがとうございました。

お礼日時:2008/08/29 23:05

こんばんは。



皆様の回答を読ませていただいて、本当に私の気持ちと同じ、そして
勝手な私の心を慰めていただいているようで、お礼を申しあげたくて、
書いております。

うちのむく、猫♂17歳は、昨日が初七日でした。それまでは、ただ訳が分からない感じで過ごしていました。

具合が悪いのも、年のせいだと思い、医者に連れていっても、同じように言われ、おそらくステロイドだと思いますが、その後は異様な食欲がでましたが、その後あっという間に二日後に亡くなってしまいました。

死後に、腎不全だったといわれました。亡くなる一時間前まで、自力でトイレに行き、固いうんちもしたのに・・・自力で水もがぶがぶ飲んで、これでよくなると思いこんでいました。

今さら、どうなるわけでもないし、今は、直前まで、普通の生活がおくれたと思うようにしています。こうして、パソコンにむかって、書けるようにもなりました。

 ただ、私たちの日常生活になくてはならない猫でしたので、まだまだ、何をしても、溜息がでてしまいます。いないことに、まだ慣れることができないのです。
 こういうことって、友人にも言えませんよね。ペットに興味がない人からは、理解をしてもらえませんから。

 ここで、本当にいろいろな方々の回答に納得し、なによりも慰められました。ありがとうございました。お礼をどうしても、申し上げたかったのです。
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この回答へのお礼

amoamasさん、こんばんは。初めまして。
私同様、たくさんの方が皆さんの励ましや温かいお言葉に幾度となく慰められたと思います。私もその一人です。
本当に、ここに相談してよかったと思いました。
パニックになっている私を、みなさんは責める事なく
沢山の優しい言葉をかけてくださいました。
私もお礼を何度も言いたい気持ちでいっぱいです。

確かに、ペットに興味が無い方には理解してもらえませんよね・・・
猫だって犬だって、家族ですから。ペットロスに関してもまだあまり
理解されていないようで・・・少し寂しいですね。
ですが私もここでかなり癒され、励まされ、前を向いていく気持ちになれました。一時は猫のところへいきたいとさえ思っていたのに・・・
また、捨てられて処分される猫が増えないように、私も努力をしていこうと思うようになりました。
amoamasさんの溜息がなくなるように、私もお祈りしております。

お礼日時:2008/08/26 21:01

猫ちゃんとの突然のお別れ、本当に辛いものですよね。


私も、昨年11月、5年飼った猫を交通事故で亡くしました。
この春、縁あってちびニャンを拾い育てていますが、亡くなった子がいつもいたところに幻影を見るような錯覚に襲われたりします。

あの朝、寒かったこともあるんですが、トイレに起きようとするといつもは待っていてくれるのに、腕枕からどうしても離れませんでした。
午前中、物置で仕事をしていたら、中へ入れろとすごい剣幕でした。
昼ごろ出かけようとすると、2階のベランダにきて中に入れろと催促。いつもはあっさりしていて、お出かけだってわかると自分もどこかに遊びに行ってしまうのに…。

7時頃帰宅してみると、いつも屋根の上でお迎えしてくれるのにいませんでした。「捜してこなきゃねぇ。」と主人と話していた矢先の電話でした。
「通りがったら猫がはねられていたんですが、迷子札にお宅の電話番号が書いてありました。脇に寄せてありますから見てあげてください。」

頭が真っ白になりました。暗くなっていたので、その日は見つけてあげられず、翌朝霜が当たっていた子を連れて帰りました。1日中泣いていました。
「あの時、部屋にいれていけばよかった…。」
今でも後悔しています。チビニャンが来てもやっぱりあの子に代えることはできない。チビはチビ、あの子はあの子です。

ずっと落ち込んでいましたが、ある晩の夢にあの子が出てきました。いつも日向ぼっこしていた場所に、いつものように丸くなって、いつものように私を見上げてくれました。
「もう悲しまないでね、最後のお別れにきたよ。ありがとう。」

死に目に会えなかった私に、そういいに来てくれたようで、その日から泣くのをやめました。

少しづつでも、悲しみは必ず癒えると思います。そう信じています。
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この回答へのお礼

chiyokotaさん、涙が止まりませんでした。
とてもつらいお話を話してくださって、本当にありがとうございます・・・。

死はどんな形であれ、つらく、苦しいものですね・・・
ですがchiyokotaさんの夢に出てきたとのこと・・・私の猫にゃんは虹の橋へいってしまってから、一度も出てきてくれませんが・・・
chiyokotaさんに、感謝の気持ちを伝えたんですね・・・
そして縁あって今の猫を飼っているとのことで・・・やはり、同じ猫でも全く違うものなのでしょうね・・・
私も、少しずつですが前を向いていこうと思いました。
本当にありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2008/08/26 20:57

愛する家族を突然失ったら、狂ったように悲しかったり惑ったりして、当然で当たり前だと思います。


あまりにも、普通のことじゃないでしょうか。情のある人なら、もう、当然だと思います。


私も、にゃんこじゃないですけれど、可愛がって暮らしていた犬を突然死で亡くし。結構、長い期間号泣して暮らしました。だから、気持ちがとっても分かってしまいます。なんかねえ、ほんとに、たまらないんですよね。
私も、忙しくなくなった夜 布団に入ってからドーッと泣きました。(泣かない子だと言われて育ってたのが嘘のよう)

でも、ずーっと可愛がって共に暮らせて、その子も幸せでしたね。
亡くなる前日、抱っこできて、良かったですねえ。ちゃんと、その子が伝えてきて、求めてくれるだけの関係があったことが、素適だなと思いました。抱かれずに別れたくなかったし。そのことで、あなたを悲しませたくなかったのかなあ。悔いを残させたくなかったのかも知れませんね。


病院へ行かなかったことは。仕方ないと思います。だって、病院嫌いの子だったのですから。ね。

連れて行って、暴れたり、怖がったりイロイロしてしまったら、最後で辛い状態だったろうに、なんて可愛そうなことをしただろうと。それはそれで、ご自身を責めてしまうのではないかしら。 
それだけ大事に長い年月を共に暮らした子ですから、何をしても、何をしなくても、恨みもせず。愛してくれていると思いますし。ただただ、自分の居なくなった後のご主人の幸せを願っていると思います。


うちの子は、病院へ行きましたけれど。丁寧に2時間シッカリといろいろ診察してくれましたけれど。で、もっと調べましょうと、大学病院へ精密検査の予約も入れてくれましたけれど。でも、当日の夜、急死してしました。

プロである獣医もビックリの状態です。(本当に、電話口でエツと絶句していました)連れて行っても、ダメな時はダメみたいです。だから、通院しなかったこと、悔いなくてもよろしいのでは、と思います。うちの子は獣医さん大好きで、会えて喜んでいたので。ま、行って、良かったかなと。そう思うようにしています。


でも。私にも、すーっごくすごく大事な存在でしたから。何をしても、何をしてやらなかったとしても。納得はなかなか出来るモノじゃなかったです。

逝ってしまったことは、悲しくてたまらないし。長く、まだ居るような気がして。帰ったら、これ見せてやろう。とか、アレ食べさせようとか。きれいな風景を見ても、連れて行ってやろうとか、ついつい思っちゃってました。
その後で、あ、もう居ないのか。と、我に返るんですけれどね。
異様に理性派 と言われる私ですが。もう、メチャクチャでしたよ。気持ちの上では。



泣いたらその子が成仏できない。と言う人も居ますけれど。
もし、成仏できないとしても、それで飼い主が良いのなら、その子もソレで良いと思ってくれると信じてます。
成仏せずに、側にいられるなら、それはそれで十分喜んでくれると。それだけの信頼も愛もあるもん。と、思っているから。泣こうがわめこうが、私の勝手。と、悲しくてたまらないウチは、泣いてました。

そして、彼女との思い出を、写真を見たり、日記を見たりして想い出し。また日記に書いたりして、偲んでました。


大事な大事な家族を亡くしたのですから。悲しくて、辛くて当たり前ですよ。
どうぞ、悲しみを無理に抑えず。泣いて少しでも悲しみを流したりしてください。
そして、少し落ち着いてきたら、(1年先でも、2年先でも)一緒に暮らした日々を思い出し、その子と居たことの幸せも、思い出してあげてください。

でも、とにかく、それだけ愛せる相手と巡り会って共に暮らせたことは、幸せでしたよね。あなたも、そのニャンコちゃんも。 相思相愛の相手ですね。 あなたが生きてる間はずっと、その子の思い出も生きているのですから。2度目の死は無いんだと思います。


ちょっとずつ、ちょっとずつですけれど、きっと時が癒してくれます。
その子との思い出を大事に。悲しみつつも、どうにか生きていってくださいね。
何もして上げることが出来ないですけれど。一緒に泣いています。
どうか、どうぞ お大事に。 もしよければ、ニャンコちゃん(の写真?)に、あなたを思ってくれてる人が居るよってお伝えください。
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この回答へのお礼

yamaisekiさん、お返事が遅くなってしまいごめんなさい。そしてとても心にしみるお言葉を沢山ありがとうございました。
読んで号泣してしまいました。
今までずっと、自分を責めていました。
一人暮らしで仕事も忙しくあんまりそばにいてあげられなかったし、
一緒に寝たいよ~って追いかけたこともありました・・・笑
病院嫌いなのも私の配慮が足りなくてそうなってしまったのかな?とか、とにかく探せばキリが無いほどに・・・


>亡くなる前日、抱っこできて、良かったですねえ。ちゃんと、その子が伝えてきて、求めてくれるだけの関係があったことが、素適だなと思いました。抱かれずに別れたくなかったし。そのことで、あなたを悲しませたくなかったのかなあ。悔いを残させたくなかったのかも知れませんね。

本当に、今でも不思議なんです・・・私がご飯を食べている時はそばにあんまり来ないんですけど・・・ご飯を食べている最中に乗ってきたので、どうしたの??急に甘えて・・・って思っていたんです。。
私と猫にゃんはステキな関係だったんだ、って胸を張っていきたいと思いました。

もう、わが子を抱くことは出来ないけれど・・・せめて心の中で、ずっと生き続けてくれたらな、って思います。生涯忘れることの無い、大切な思い出になりました。今は写真を沢山プリントして、毎日アルバムを持ち歩いています^^財布にも車にも部屋にも・・・沢山飾りました。
これからも精一杯の愛情を与えていこうと思います。
今回は本当に、ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/26 20:50

こんにちは、ふたたびNo.3のhirohachiです。



お気持ち、本当によく分かります・・・私もうずらがそうゆう存在でしたから。うずらなしなんて、考えられない。そう思っていましたから。

でも、大丈夫、本当に時間が解決してくれます。

私の場合は『死』に対する考え方、つまりは『生き方』までうずらのおかげで変わりました。猫は、明日を心配して生きたりしないし、死ぬ事にたいしても私たち人のようにはジタバタしませんよね。本当に自然に受け入れています。現代人は死に対して本当に弱く出来てます。実はこれは社会の狙いでもあり、そうゆうふうに教育されてしまっているんですね。死を恐れる事で、成り立つビジネスがたくさんあるから。(これを書くとさらに長くなるので避けますね)

私は現在も猫と暮らしていますよ。あちこちから保護して、少しずつ増え、今は4匹になってしまいました(苦笑)。
不思議です。猫も人と同じ、それぞれの個性があるんですよ。食べ物の好みも違うし、性格も違う。うずらの様な猫がまた欲しかった・・・でも、うずらとは全く違います。違う魅力があります。当たり前の事ですけどね。

『もう猫なんて』と、思う気持ちは分かります。失う時の苦痛を考えたら怖い・・・私もその気持ちがありましたから。でもそれより『猫なしの人生なんて』と思う気持ちに変わりました。この苦痛は、どれだけ愛していたかの裏返しなんです。苦痛によって、人は精神的にもぐっと成長できます。

動物たちは、私たちの精神的な成長のための先生だと、私は考えています。

どうかご自分を責めないで、ご自分を味方につけて下さい。今一番必要なのは、ご自分が、ご自分自身の『親友』になることですよ。そのお手本はそう、ずっといっしょにいてくれた猫ちゃんです。その役割を、今こそご自分でやらなくては。

猫ちゃんをを失った原因の追及は、底なし沼です。それより、猫ちゃんが教えてくれた事・・・それに思いを馳せてみましょうよ。
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この回答へのお礼

hirohachiさん、お返事が遅くなってしまいごめんなさい。
そして再度お答えいただいて、感謝しております。

hirohachiさんの、『もう猫なんて』と思う気持ちを分かってくださって、ありがたかったです。そして、
それが『猫なしの人生なんて』と思う気持ちに変わったとのこと・・・私も、ちょっとずつですがそう思うようになりました。
この心の変化に、多少戸惑いましたが・・・
私達の精神的な成長のための先生、という言葉がとても心に残りました。まさにその通りですね。
私が猫を育てているんだと思っていましたが、違いましたね・・・
精神的に支えてもらっていたのは、人間のほうでした・・・

猫を失った原因の追及は本当に底なし沼だと実感しました。
今、少しずつ前を向いて歩いていけるようになりました。
今回は本当に沢山のアドバイスをいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/26 20:38

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