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こんにちは。
自分を整理するために質問させていただきました。

うつの友人がいるのですが、その人と接していると自分が異様にイライラしてしまいます。
私はうつではないですが、まわりに今までもうつの人は多く、自分自身、通院まではしませんでしたが、たぶん病院へ行ったらうつと診断されたであろうほど辛かった経験があります。(たぶん、うつ手前だった)

なので、できる限りその人のペースに合わせて言うこともなるべく肯定するようにしていますが、もとの性格が合わないのかどうも一緒にいて話を聞くだけで、自分にものすごいストレスなのです。

その人は完璧主義的な部分を他人にも期待したり、自分のペースで考えてもらえないと他人を責める傾向にあるようです。それがうつのせいだと思おうとしても、つい、「でも・・」とか、「もっと見方を変えたら」と思ってしまい、言いたくなってしまいます。

しばらく距離をおこうかとも思いましたが、様々な理由でそれにも限度があります。

今までのうつの友人は「私なんか・・・」というタイプだったのですが、その人は「どうして私がここまでやっているのに・・わかってもらえないの!?」というタイプです。
その矛先が直接自分にくるわけではないのですが、話を聞いていると健康な精神状態ではないにしても、ちょっと肯定したくない気持ちが強く出てしまいます。

そういったタイプの人にはやはり、今の私の気持ちは伝えてはいけないでしょうか。
私が伝えたいのは、「あなたが完璧を目指してがんばってきたからといって、他人もそうとは限らない。人それぞれ悩みも違うから同じ尺度で人を見るとあなた自身行き詰まるし、なによりまわりも窮屈だ」
・・・という趣旨のことです。。。
やはり、うつの人に対してはキツイ内容でしょうか。。。

A 回答 (8件)

私はカウンセラーの勉強をして資格を持ったためか、うつのお友だちへの


接し方よりも、あなた自身のこころのあり方やつらさがどうしても
気になってしまうんですよね。

確かに、うつ病の接し方として、その人の気持ちを黙って受け入れたり
肯定してあげることはとても大事です。しかし、現実を必要以上に
歪めて解釈してたり、自分や他人にダメージや多大なストレスを及ぼす
ようなものごとには、あえて否定しなければならないときもあります。
それもその人のためだからですね。しかし厄介なのは、その判断が非常に
難しいことですよね。うつ病の症状も段階もそれぞれだし、人によって
否定されたことをどう受け止めるかも予測するのは非常に困難です。
なので、接し方について「こうあるべき」というマニュアル的な
決めごとを固めるのは、実際は非常に難しいと思うんですよね。

それと、最も根本的な問題は、そもそもうつ病の患者さんに「促し」や
「気づき」を得させようとする行動自体が非常に危険性が高いことです。
いかなる考えであれ、本人にとってはその考えがループしていること
そのものが苦しみであり、そこから抜け出せないのもまた苦しみ
なんですよね。回復期に入り、現実を現実として受け止める能力が
復活してくると「認知行動療法」のような「気づき」を得る療法も
いいのですが、症状がまだ強いうちは、自分のことを考えることすら
つらいときもあります。そんなときに、自分で自分のことを深く
考えさせる行為は、ますます追い詰めるだけになります。
医師もカウンセラーもこの段階ではカウンセリングを禁じるほどです。
このようなことはご存知でしたか? よかれと思っていても、
「促し」「気づき」を得させるために意見を述べたいという気持ち
そのものが、傲慢な押し付けや病状悪化になりかねないケースもあります。
キツいかどうかの問題ではなくなります。要注意ですね。

問題のお友だちからお話を聴くとき、あなた自身は
「肯定してあげなきゃいけない、受け止めてあげなきゃいけない」という
義務感から入っていたり、聴いている間も義務感をとにかく優先させる
ことでいっぱいいっぱいになっていませんか? お友だちの話にイライラ
すればするほど、かえって義務感でそれを強く打ち消そうとしてしまい、
さらにイライラがまた起こって義務感で打ち消し……のループで
葛藤していると思うんです。それもお友だちの話によけい疲れてしまう
要因にもなっていると思うんですが、いかがでしょうか?

専門家でさえ、実は相手の話を聴きながら自分に起こってくる本当の
気持ちをかえって大切にせよ、という訓練を受けます。なぜなら
相手の話になぜそのような気持ちが起こってしまうのかを冷静に
振り返ることで、相手に自分の価値観を押し付けてないかという
チェックもできますし、相手にあえてそれを形を変えてフィードバック
させることで、相手がこころのあり方や考えの“歪み”に気づく
きっかけにもなりうるからです。ただ、それができるようになるには
専門家について訓練を受けなきゃいけないほど、難しいものです。

だから、あなたが相手の話を聴くことに義務感を持ってしまうことも、
そして相手に気づいてもらいたいと考えてしまうことも、それは
決して責められることではないと思うんです。それと、あなたが
お友だちに最も伝えたいと思っているようなことは、「認知行動療法」に
通じるものがあるかもしれませんね。歪んだ現実の捉え方や意見、
不安感などネガティブなこころのあり方を少しずつ整理したり
ただしていくことで、その人がもともと持っている考え方、価値観や
“枠組み”そのものを変え、前向きにしたり生活しやすくする
というものです。

ただ、誰でも「あなたの考えは違うと思う」といきなり言ったところで、
問題を問題だと自分で認識できない限り、どんな健康な人でも
なかなか受け入れにくいものです。問題は具体的なところから
少しずつとっかかりを見つけ、少しずつ噛み砕いていく必要があります。

お友だちが、ほんの少しでも他人の声に耳を貸せる余裕がありそうなら、
お友だちの気持ちの部分だけ(例:わかってもらえなくてつらい、
自分はいつもがんばっている……)は、とりあえず尊重したり
受け止めることからですね。ただ、視点や見方が変えられない、
もしくは変えたくないからこそ本人は病気になっているのですから、
いきなり「こうすると見方が変わるよ」と言われても、それもなかなか
受け入れにくいと思うんです。そこで、あなたができることがあると
すれば、お友だちが自分で達成可能な範囲の「代替案」や助けを
とりあえず出してみることですね。例えば「誰も私の努力を認めて
くれない」などと言われたら、「でもお医者さんはわかってくれて
いるんじゃない?」と言ってみたり、「○○さんはたまたまわからない
だけで、他の人ならその考えはわかってもらえるかもしれないよ」
「あの人はいい加減そうに見えても、あなたの考え自体は理解は
しているはずだよ」という感じです。ただ、繰り返しになりますが、
話を聴いてあげること自体が良くない場合もありますし、時には事実を
事実としてきっぱり伝えることも必要です。
「促し」「気づき」を得てもらうことについては、本人がそれをどう
受け入れるかを治療的にも診なきゃいけない側面もあるので、
なるべく医師やカウンセラーなどの専門家につなぐことです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
「私自身の心のあり方やつらさ」・・・まさにそれで質問させていただいたのです。。

>「促し」「気づき」を得させるために意見を述べたいという気持ち
そのものが、傲慢な押し付けや病状悪化になりかねないケースもあります。
そうなんです、悪化したらどうしよう、突発的な行動に出られたらどうしよう・・という不安があって正直な気持ちがぶつけられなくて苦しいのです。

専門的な見地で丁寧にご回答くださり、ありがとうございます。
でも正直なところ、「気づきを促す」などという相手を思っての悩みなのではなく、自分のための悩みなのです。勝手ですが。。
なぜなら、その人はちゃんと通院しており、その内容も詳細は私は知らないので私は友人としてしか、できることはないと割り切っているからです。私には事実を伝えていい時か、否定してはいけない時なのかが判断できません。
以前、違う友人が、身近な人がうつになり、引っ張り込まれて一緒にうつになっていたことがあり、その時に、友人や家族がうつになっても、どこかで一線を引かないと相手を救うどころか、自分もうつになってしまう・・と素人として実感しております。一線を引くといっても、友人をやめるとか切り離すとかいうことではなく、同化しないということです。
今回、私は相手の意見を肯定ばかりしていると、同化していくようで自分が少し怖かったのかもしれません。相手を尊重しながら、代替案を出すという方法は参考にさせていただきます。

心の状態は良くも悪くも人に伝染すると感じています。
自分が健康な心で、相手を思いやり、その上で言葉を代えて友人に言えるときがくるといいと思いますが、今はやはり、しばらく様子をみることにしました。ご回答いただいたことで、少し自分も整理できましたので・・。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/06/08 10:50

うつ病の特徴は罪業意識が有るそうです(社会、親兄弟等に対し自分を責める)



他の精神疾患にもうつは有るでしょうが、罪業意識は無そうですね

此のサイトで専門と言う方が言ってらしゃいましたね 

うつ病かそれ以外の精神疾患のうつ状態により接し方は変わってくると思います。 

お友達は「自分のペースで考えてもらえないと他人を責める傾向にあるようです。」とお書きだから、うつ病でないとは私は言えませんが、素人ですから、デリケートな問題でも有り参考程度にして下さい。
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#5です。



「お礼」を拝見して思ったのは、やはり会話のネタとか「お互いの関係性」
の問題ではないんですよね。突き詰めて考えていくと、すべては
あなた自身のこころのあり方そのもののが、大きな悩みになって
いたんですよね。

肝心なところは医師にまかせ、様子を見るという判断でいいと思います。
専門家であれ素人であれ、うつ病の方へどう接しようと、結局は
うつ病患者さん自身が自分で気づかなくては、何の意味もないですからね。
ただ、気づきを促すようかかわる職務を負うのが専門家、
そういうかかわりはできないけど、支えると決めたからにはできる範囲の
ことをするだけというのが一般の人、という違いがあるだけですからね。

ただ、今後お友だちにどう接するかは別として、あなた自身のこころの
あり方にもう少し目を向けると、他人の気持ちにもともとシンクロ
(同化)しやすいようでは、こころの悩みや病気がある人を本当は
支えること自体が、非常に困難だと思うんです。何かをしてあげたい、
するべきという考え自体からして、あなたにとって実はそれも負担に
なっていたのではありませんか? 少しキツいことを言ってしまうと、
自分自身も抑うつ気味だったり周囲にそういう人がいた経験が
あったからこそ、また同じような悩みを抱える人を支えてあげたい、
というお気持ちがあったと思うんです。それも、誰からも否定や
非難されるものではないです。しかし、同じような病気でも、
患者さんにはそれぞれあなたとは違った生育歴や性格、価値観などの
「個別性」があります。そして、症状の出方や現在の生活環境も
人それぞれです。一線をひかなきゃいけないのは、実はまずそこなんです。

自分と他人の問題とをごちゃ混ぜにしてしまい、あるいは区別が
全くつけられないために、必要以上に相手に肩入れし過ぎてしまい、
そのために相手を間違った方向に引っ張ったり、共倒れや
的外れなアドバイスが無駄に繰り返されるだけといった、
結局お互いのためにならず不幸になっている事例を、よく見かけます。
あなたが今後再び、うつ病のお友だちに接する機会が訪れたら、
自覚しなくてはいけないのはまずそこです。割り切っているつもりでも
相手にとって何がベストかを考えられなかったのは、実はそこにも
要因のようなものがあったのではないでしょうか?

それともう一つは、「相手に同化しやすい私」という、自分自身の
傾向そのものを客観的に見られるようになることです。
自分がなぜ健康でいられなくなってしまうのか、なぜ相手の話に
イライラして聴けなくなってしまうのか、といった自分自身のこころの
動き方を、もっと掘り下げて見つめ直すことですね。
まさに「自分が自分自身について“気づく”こと」が必要なんです。
通院とまではいかなくても、自分にとってこころが健康であることは
どんな状態かを探るために、あなた自身がカウンセリングを試しに
してみてもいいと思うんですよね(カウンセリングは病気の人の
ためだけではありません)。これができるようになるだけでも、
あなた自身のこころが良い方向にいくはずです。良い方向にいき、
自分と他人との違いにある程度一線を引けるようになれば、
おのずとお友だちの話を聴けるようになれるかもしれませんね。

余談ですが、自分自身のメンタル的な問題を完全に解決できてない者は
カウンセラーになってはいけない、と教えられます。上記のような、
自分と他人の問題をごちゃ混ぜにして相手を引きずり込んだり、
自分が誰かにかまって優越感を得ることで自分の問題からも救われたい
という“メサイア・コンプレックス”を防ぐためです。
「自分がこう思う理想的なあり方」を相手に押し付けるのではなく
「相手が自分らしくいられるあり方」を客観的に考えてあげなければ
ならないからです。前述の「個別性」の問題がありますからね。

というわけで、もしつらいなと思ったら、その「自分のつらさ」を
優先して考えても今はいいと思います。お互いのために何が良いかとか、
「支える、できる範囲のことをしてあげる」という気持ち自体も
とりあえず今は忘れて、自分が同化しないで健康でいられることを
掘り下げて考えるようにしてみてくださいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
すみません、私の書き方の問題かもしれません、(違っていたらごめんなさい)もしかして、過去にうつに引っ張られてうつになったのは私だと勘違いされておられますでしょうか?
過去にうつに引っ張られたのは友人なんです。

私自身はそういった自分の多少の傾向性をわかっているので、いざというときは相手には冷たいようでも、ちょっと離れます。
どんなに他人が関わっても、心の病は、時間がかかったとしても抱えている本人が自分で解決すべきものであり、少なくとも他人にはどうしようもないと信じています。薄情と思われても、それを自分を守る術としています。

なので大丈夫です(^^ 今回は相手との関係性が問題でした。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/09 15:52

>「苦痛な話を直ぐに転換できる会話術を見に付ける」か


「苦痛な話を、相手の気分がムス!としないように切れるようにする」

これはご自身だけの負担を減らすものではありません。

話の話題一つ一つにも

「相手が楽しくて、自分も楽しい話」
「相手が楽しいだけの話、そして自分が楽しくない話」
「相手が楽しくなくて、そして自分だけが楽しい話」
「相手がだけが苦痛で、そして自分は平気な話」
「相手が平気で、そして自分だけが苦痛な話」
「相手が楽しく、そして自分も楽しい話」
「相手の心が軽くなり、自分の心も軽くなる話」

「お互いが楽しい」という話があるのだとしたら、
それは「お互いのためになっている話、お互いが共感できる話で“ペースが合っている話”」のこと多いです。
(楽しさにも色々ありけりで、全てとはいえません。
 仮に今その人との会話が楽しめないのだとしたら、
 「今日も会話をただ聞いておくだけか」と背負い込むのではなく、
 そこからその人と楽しむ会話の仕方をみつけていく発想も取り入れてみて、 「楽しさを探す旅のようなものにしてみる」というような、一風変わった楽しさ(主観ですけど)をもっておくと、案外楽しめるかもしれません。)

相手の言葉を苦痛と感じるときは
「どちらかが“苦痛”と感じているときは、
 そのどちらかが相手のペースを見れていない証拠です。
 または、相手その話が嫌いだということを知らず、確かめないまま、
 そのまま話を進めてしまっている事が多いのです。」

また別の視点から、
「誰かが話しで苦痛となっているということは、
 その話手は今後、知らず知らずのうちにその話を別の人に繋げてしまうことがある、ということにもなりかねません」(可能性の話ですけれどね)

だから、
その話は「相手を知らずに苦しめてしまっているのだ」ということ。
その話は「お互いのためにはならない」ということを教え合う「何か(発見や考え)」が必要なのです。



現状は
「質問者さんが話を聞きすぎるあまり、
 話をしたい相手は“この人なら私の話をなんだって聞いてもらえる”のが当たり前、と誤認させてしまった。そして質問者さんは“そのお互いの為にならない可能性が高い話”を聞き続けることになってしまっている。 」 のかもしれません。
 
 そうで有るにしろ、無いにしろ
 「それが本当にお互いのためになるのか」という判断は案外できてしまうものだと思います。
 
 後は「そこをどうしたら良いのか」が掴みにくいだけで。

 “お互いの為になる話に変えるネタ”というのは持っておいて損はありませんよ。
 
 「お互いのためネタ」を手に入れるためには、
 少しの事前努力は必要かもしれませんけれどね。
 
 
 殆どの人がうつ疾患の人にすることは
 「相手をまず肯定してあげる。否定しないであげる。無理はさせないようにする。きつい言葉をなるべく言わない。やる気が出るように促してあげる。」 などで
 
 「その場の空気を悪い方向にしないように保つ」 こと。
 
 これをされてはいますが、更にそこから、
 
 「その場の空気を良い方向に促す、変えていくにはどうしたらいいのだろうか」 というまさに“ここ”を考える人は少ないと思います。
 
 “医学的にそうした方が良い”と出ている。
 
 だからそうしておく。
 そしてそうしておくと確かに悪化は少ないでしょう。
 
 しかしながら、そこから更に
 “各個人で相手のため、そして自分のため、お互いのためにどうしたら良いのか”を考えていくことで、案外、“お互いのためになる道”というのは切り開けるものだと思います。
 
 もちろん、お互いのためとはいえ、下手をすれば相手に傷を作ってしまうこともあります。
 
 ですので、ゆっくりと相手を見ていって
 「これはお互いのためになる」という“それ”が見つかったとき、それとなく、そのためになる話にもっていけたら良いのだと思います。
 
 相手のことも大切ですが、まず大切なのはご自分の心です。
 自分の心を大切にしてあげてから、そこから相手の心を大切にしてあげるのです。
 
 自分という心が弱い(または弱っている)のに、
 相手の心を支えることは、
 できないとはいえませんが、難しいものだと思います。
 
 自分が不安定なのに、相手を無理にささえようとすると
 仮に、相手が元気になったとき、自分が今度は疲れ切っている、
 となってしまっては、それは「意味がない」とはいえませんが、
 「最初に意図していたものと違ってしまっていること」に成りかねませんから。
 
 両方を大切にする心をもった上で。
 その中で、まずは質問者さんが苦痛や辛さを軽くすること。
 そしてそれができて、初めて相手に気を使ってあげれたらいいんです。
 
 自分のことばかり大切にしすぎてもいけませんし、
 相手のことばかり大切にしすぎてもいけないのです。
 
 両方が大切なのです。
 
 
 そのためにも。
 まずは 「ご自身の心が元気であれること」 が大切になってきます。
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この回答へのお礼

詳しくアドバイスくださりありがとうございました。

お礼日時:2008/06/09 15:16

「まあ、ひとそれぞれだからね。


 お互いでお互いの良いところを見つけあって進んでいこう」

のような言葉を伝えられたらよいかと思います。
視野が狭まっているのなら、視野を広げて貰えるようになんとか
促せないといけないと思います。

「意見が自己で確立している人」と話すと
「どうしても相手の意見ばかり聞かされてしまうことになる」ので
大変かもしれませんが、
「結局上手くいかない」ということは「本人もどこかで上手く行かない原因がある」のだと無意識にしっている筈です。

「皆は皆、人それぞれに良いところがある」ということと、
後は、一度相手のことを肯定してあげて、それから意見を出してあげたら良いと思います。

うつの人は考えがループして抜け出せないところも多いですからね。
同じことばかり言われて余計に疲れることもあるかもしれません。

また直できついことを言われると落ち込むかもしれないので
「その人に、何が足りていないか気づかせてあげること」が大切になってくると思います。


>「もっと見方を変えたら」と思ってしまい、言いたくなってしまいます。

「こういう視点を入れてみるともっと視野が広がるかもしれない」という風に

少しオブラートな感じで伝えられたほうが良いかもしれません。


またもう一点。
恐らく、質問者さんがおっしゃられているようなタイプの方は
「一度これを話すぞ」と決めたら、話しきるまで終わらない方かもしれません。

「苦痛な話は無理に聞く必要は無い」ので
(苦痛な話というのは、相手への配慮がなされていない証拠でもある(全てがそうともいえませんが))

なので、
「苦痛な話を直ぐに転換できる会話術を見に付ける」か
「苦痛な話を、相手の気分がムス!としないように切れるようにする」かがいまのところ考えられます。

ただうつの人といっても、
それこそ人それぞれです。

今までの医学的な見解では
「相手をまず肯定してあげる。否定しないであげる。無理はさせないようにする。きつい言葉をなるべく言わない。やる気が出るように促してあげる。」的な位置づけに止まっているのかもしれませんけれど

「どの言葉が相手にとってキツクなるのか」なんていうことも、
実のところはわかりません。

更に別の視点からでは、
きつい言葉が切っ掛けで鬱を抜けられた、という方も
いらっしゃると思いますから。

きついことならきついことでも、
「その言葉を言ったとき、相手が落ち込まずに、相手がその足りてない何かに気づける、という確信がもてるきつい言葉」ならば伝えても大丈夫なのではないかなと思います。

同時に、これもまた、結局のところ、
“そんな気がする”というレベルで実際のところは、
「相手を、お互いが、お互いを良く知っていかないと分からない」限りは、掛けることが難しいものだと思います。

解答は無いと思いますが
探せば何か見つかるかもしれません。

キツイ内容かどうかはおいておいて
まずはその言葉が「今度の相手のためになるかどうか」だと思います。
またその言葉が「間違ってしまった」のだとしたら、
その間違いを挽回したり、誤解を解けたら良いものだと思いますよ。


ご友人さんのうつ、良くなるといいですね。
私の身近にも同じような友人が居ますので、お気持ちは分かります。

今お辛いかもしれませんが、
今後、今のこの状況が良くなれるようにお祈りいたします。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。

そうなのです、うつと言っても人それぞれで、いつ、どのような言葉で話せばいいか・・なんて見極められないんです。
だから悩んでいたのですが、そういったことは医者にまかせることにしました。正直、その人のことはまだあまり知らない部分が多いので・・。
自分は友人として、その人の回復を祈りつつ、今はあたりさわりなく接していこうと思います。

>「苦痛な話を直ぐに転換できる会話術を見に付ける」か
「苦痛な話を、相手の気分がムス!としないように切れるようにする」

↑私にとってとてもいいアドバイスになりました。その人に対してだけでなく、そういった術は自分に必要だと思いました。
ありがとうございました!

お礼日時:2008/06/08 10:08

躁うつ病の者です。



検討中の「あなたが完璧を目指してがんばってきたからといって、他人もそうとは限らない。人それぞれ悩みも違うから同じ尺度で人を見るとあなた自身行き詰まるし、なによりまわりも窮屈だ」という言い方は、内容的には正当ですが、やはり、もう少し遠まわしにしたほうが良いと思います。

これについては、躁うつ病患者という、異質の観点から話をさせて下さい。

私の病気は、手足のしびれや不眠といった、いわゆる自立神経失調の状態で始まりました。総合病院で体の病気を調べても何も見つからず、精神科に回されましたが、精神科医(東大の研究科所属でかなりの名医です)は初めての面談の時、「うん!これは極めて難しい症例ですね」といきなり言いました。手足のしびれや震えや不眠といった身体症状ばかりが目立ち、気分障害が全く発生していなかったからです。「夏休みはとられましたか?」「1ヶ月休みました」「土日は休まれてますか?」「休んでますよ」「朝、起きて新聞を読む習慣がなくなったとかの変化はありますか?」「気になるニュースは、全部、ネット検索です」。こんな会話をしていたのでは、うつ病という病名をつけるのは不可能です。

「お仕事には行かれていますか?」「外資系でしかもネットワーク屋なので、自宅からのリモートコンピュータによるアクセスで仕事を続けています。しかし、これが、毎日背広を着て定時出社しなければいけないという環境であれば、もう、働けないでしょう。」主治医はこれだけの会話から迷わず、「自律神経失調症:業務量の軽減を要する」の診断書を出しました。とにかく、仕事の量を減らさなければ直らないが、病気の正体が分からないので、自律神経失調症という、あいまいな言葉でごまかしたのです。これは、西洋医学においては、正式に採用されている病名ではありません。しかし、病気の正体が分からない状況でも、会社を説得させる診断書を作るのに便利だから使われているのです。

その後、長い間、様々な手法を使って病気を治そうと主治医は奮闘してきましたが、正体がわからず、意味不明なまま。「どうしたらいいのかなあ…てんかんの薬にでも変えたほうがいいかなあ…」などと首をひねったり、「これは内科的な病気の見落としを疑ったほうが良いと思います」と甲状腺機能の検査をしたりもしました。

それでも、脳内物質だけではなく、内分泌系の全てを考慮にいれて考察を進めるうちに、1年ほど前から、「どうも躁うつ病の超低空飛行タイプではないかという気がする」と言いはじめました。このころから、私は医師に対し、どんな症状が出ているのかと聞かれた際、「お気に入りの歌手を聞いて感動すると涙もろくなってしまう」などと報告するようになりました。これは後から考えてみれば、確かに躁うつ病的な現象です。

そして、つい最近の1ヶ月ほどのことですが、興奮状態が続いて全くおさえることが出来なくなりました。ジャズのライブに行き、会社の同僚と2人隣で座り、実は2人には共通のお気に入り歌手がいることに気がついて盛り上がり、自分の趣味は合唱とフォークがベースだが、ジャズを嫌っているわけではなく、興味はあるのだとした上で、トロンボーンという楽器がいかに難しいものか分かったということを、仲の良いボーカルの女性と話をして、盛り上がってしまったのです。つまり、トロンボーンはあの長いパイプを使って広い音域をカバーするというもので、高度な絶対音感を必要とするという難しい楽器なのです。その日のバンドはトロンボーン4人組でしたが、実力差があり、一番右の人の低音は見事だったとか、1人、へなちょこがいる、ユニゾンの部分で倍音が聞こえないのは、へなちょこが音を外しているからだと指摘して、さすがバックグラウンドの違う人は、思いもかけないところに気がつくといわれたり、少なくともこの曲とこの曲には、ブルーノートが入っているでしょうという質問をしてあたりだったりと、盛り上がりまくりました。その勢いで、帰りに中古CD屋により、前から気になっていた椎名林檎 x 斉藤ネコのアルバム「平成風俗」や、Coccoのベストアルバムなどを買い込み、帰宅してからは隣に座っていた同僚に対して、団塊世代の大量退職という事態をうけ、フォークの復権が進んでいるとした上で、日本一のフォークマニアと呼ばれるTHE ALFEEの坂崎幸之助が、NHKをはじめ、そこらじゅうから引っ張りだこになっているなどというメールを明け方の5時まで書き続けたのです。

その頃、妻は帰省中でしたが、帰ってきてわたしの興奮状態を見て言いました。「医者のいうことは正しい。おまえは確かにうつ病ではなく、躁うつ病の低空飛行タイプだ」と。

この話を主治医に告げたところ、「次回まで様子を見て、気分安定剤のリチウムを使うべきか判断します」と言われました。これは、躁うつ病であることが確定したという意味です。躁状態の時にリチウムを飲ませ躁を軽くしておくと、うつ状態も軽くなるという作戦なのです。

躁うつ病は昨今では双極性障害と言われることも多いのですが、ふたつのタイプがあります。タイプ1は、大ぼらを吹いたり、出来もしないことに取り組んだり、ギャンブルにはまったり、高級品を買い込んで借金を作ったりという社会通念からの逸脱が目立つので、一発で異常性が見抜けるタイプです。タイプ2は、気分の変動はあるものの、常識が残っているため、病気に気がつきにくいタイプです。

私の場合、つまり、アメリカの精神医学の学会でいうところの、双極性障害のタイプ2と診断されたわけです。

では、なぜ自分は躁うつ病になったのか?という点ですが、心当たりがあります。昔は、一秒たりとも無駄にしないという、仕事も遊びも徹底的に動き回るという生活をしていたのです。「金はためることが出来る。しかし時間は失われる一方だ。だから、1秒たりとも無駄にはしない」という信念を持ち、ドイツ語の早朝クラスや夜のコースを週に3回とか4回とかいれ、時間の合間をぬって加入しているスポーツクラブが早朝や深夜まで開いていることを利用して徹底的に泳ぎまくったり、筋トレをしていたりという生活を何年も続けていたのです。つまり、この生活スタイルは、わざわざ自分を躁状態にするような性格のものだったと言えます。そこに、ストレスが振って来た時、躁うつ病が始まったのだと思っています。

もうお分かりでしょう。cloudy0009様が問題にしているところの「完璧を目指してがんばってきた」人は、躁うつ病のリスクがあるのです。昔の私と煮た生活スタイルがうかがえますから。しかも、1度かかってしまうと、躁うつ病はうつ病よりはるかに厄介で残酷な病気です。一生に渡る投薬を必要とされることなど、ざらにあります。私の場合はタイプ2で済んでいるのでまだ良いのですが、タイプ1を食らうと、まともな社会生活が営めなくなります。おまけに、躁うつ病には、うつ病にはないラピッド・サイクラーという概念があり、躁うつの入れ替わりが頻繁に発生するようになるという事態もあります。女性の場合、これにPMSが加わることで、ますますわけがわからなくなります。また、うつ病は環境要因によって発生する傾向が強いのに対して、躁うつ病は遺伝的要因により発生する傾向が強いので、1度、躁うつ病になってしまった人は、生活スタイルを完全に切り替えないと、再発の可能性が高いのです。

問題の方が、どの程度まで以前の私と同じような、躁状態の長期的持続という生活スタイルをとっているかにもよりますが、私の例と酷似しているようであれば、うつ病より危険な躁うつ病のリスクがあると、なんとか丸い表現で、伝えてあげてください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
その人は通院しているのですが、実際どのように診断されて、どんな治療法をうけているのかまでは私は知りません。
ただ、躁鬱だろうなあとは感じています。躁鬱は根の深いものなのですね。詳しく教えてくださってありがとうございました。
私が接している限りではharepandaさんの言われるところのタイプ2っぽいので日常友人としてのつきあいでこれ以上困ることは出そうにないですが。。。

私は医者でなく、あくまで友人なので、友人としてしばらくはあたりわわりなく接してあげようと決めました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/08 09:46

 とりあえず、ガツンと言わずに、遠まわしに言ってみてはいかがでしょうか。



 ”そんなに頑張らなくてもいいんじゃない。ずっと全力疾走だと身が持たないよ。周りの人だってそこまで頑張れないし、まね出来ないよ"

とか。でも、結局、実感が必要というか、人から言われたぐらいではなかなか気持ちの持ちようは変わらないのですよね・・・。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分自身でも、他人に指摘されたところで、自分の気持ちはそう簡単に変わりません。その人はなおさらだとおもいます。通院しているので、そういったことは医者にまかせて、自分はしばらくあたりさわりなく接していこうと決めました。。ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/08 09:40

耳の痛いお話です。



私自身、その友人と同じだったと思います。そして、質問者さんの伝えたい事が素直に判ってもらえるのがベストです。しかし、私の経験からして理解してくれないと思います。というより、思い込んでしまい人の意見を聞くと自分が否定されている様に全て聞こえてしまう「病気」なんです。私は友人からそう言われて気がつきました。

ですので、時間が経ちある程度落ち着くまでは何を言ってもダメです。ある程度本人が冷静になったとき、初めて効果のあるアドバイスと思います。いつ冷静になるかを判断するのは難しいですが。。。

しかし、質問者さんの伝えたい事は重要な事なのでいつか友人が素直に聞いてくれる日が来るのをお祈りします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
その人は通院しているのですが、実際、今がどういう状態なのかは私は医者でないのでわかりません。
なので、冷静なのかそうでないのか、まったく判断がつかないというのが本当のところです。 そう思うとやはり、伝えるのは控えておきます。 しばらくはあたりさわりなく、接していこうと決めました。ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/08 09:38

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