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時代劇を見ていると、大広間で床の間の様な上座で徳川将軍が座っている横に槍や刀を持った子供みないな人がいますが、あの人たちは何者なんでしょうか。

A 回答 (4件)

小姓(こしょう)といいます。


槍をもっているのはいないと思いますが、将軍や殿様の刀をもって、
いざ何かあった時に、その刀を渡したり、自分が盾になって防ぎます。
織田信長の森蘭丸みたいなものです。
小姓も普通は、上級武士(旗本)の子供が10~16歳くらいの年齢で
勤めます。森蘭丸のように、江戸時代以前は小姓が殿様の性の対象として見られており、(すべてではないですが)戦場などの女性を連れて行けない場所では、夜のお勤めも大事な仕事でした。ですから、美少年のような小姓が殿様の愛情を受けて、取り立てられたり、権力を持つようなこともありえました。
徳川家康の家臣(彦根藩)の井伊直政、上杉謙信の直江兼続(今度、NHKの大河ドラマの主人公)なども、小姓上がりで、出世した人たちです。
(どちらも戦国武将としては、すばらしい武将ですよ)との様のすぐそばにいつも居ますので、いろいろ勉強にもなったのでしょう。
 今の時代ですと、ホモと簡単にかたずけられそうですが、戦国時代はそれが(衆道)当たり前でした。(自分はいやだけど。。。)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
今の時代だったら、未成年の子供にそんなことしたら重大犯罪ですね。

お礼日時:2008/06/06 17:39

>あの人たちは何者なんでしょうか。



皆さんの回答にあるように、小姓です。
彼らは、殿さんの身の回りを世話するのと同様に、行儀見習及び人質です。
例えば信長の小姓として有名な、森欄丸・前田利家などは幼少の頃から信長に使えました。
本能寺で森欄丸は戦死しましたが、兄弟は一城の主(津山藩主など)となっています。
前田利家は、最後には加賀百万石の太守になっています。

「英雄色を好む」という諺がありますが、これは「男色」も含まれます。
明治以降今の価値観では想像出来ませんが、当時としては一般的な事でした。
この事は、武将だけでなく坊さん・神主にも一般的な事だったようです。

江戸時代になると、将軍家・藩主の小姓になる事は「お家の名誉」でした。
将来に渡って、お家の安泰が保証されるも同然だった様です。
「寄らば大樹のかげ」ならぬ「寄らば殿さんのかげ」ですね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
水戸黄門を見ているとよく江戸城に光圀が入った時にその場面が出てくるもので。いやいや、とんでもない風習?ですね。

お礼日時:2008/06/06 17:42

小姓です


古くは豊臣秀吉が大名の子供を人質にとって小姓として使わしたのがそもそもみたいです。
時代劇の場合は徳川の太平の世ですから、永代家老の子供が小姓として将軍につき見習いをしていたようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そういえば、髪型は町人風な感じでしたが、子供だからなんでしょうかね。

お礼日時:2008/06/06 17:36

小姓ですね:もしもの場合は自分の身を犠牲にして殿様を守ったり・さまざまな身の周りのお世話をする若い男性です。

小姓は殿様のお気に入りがなり~美少年が多かったようです、そして時には夜の御供もしていたとか。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%A7%93
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
昔のトップはそっちの気の人が多いですね。これからこの場面が出ると思い出してしまい笑ってしまいそうです。

お礼日時:2008/06/06 17:35

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