プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

日本史の中での1つのターニングポイントは、やはり黒船来航ではないかと思っています。そしてそのことについてまとめてみようかと思っているところなのです。しかし、中学の教科書や参考書等には載っていない話を教えてほしくてここにきました。まとめるうえで必要できごとや細かいエピソードなどを教えてください。あと質問なんですが、なぜ他の国が来ても開国しなかったのにアメリカのペリーがきた時には、開国したのですか?ペリーがこなかったら日本はずっと鎖国状態だったのですか?もし鎖国状態だったとしたら今の日本または以前の日本になんらかの影響はおきているのですか?詳しいかた教えてください。

A 回答 (6件)

#5の補足…というか、送信後に読み直したらメチャ不親切な説明になっていたので追加させてください。



オランダ国王からのお手紙の件についてですが、この件が開国にプラスに働いたのでは、というのはワタクシ個人の意見に過ぎませんので、学校への提出用レポート等に書くとしたら、少々向かないかもしれません。

というのも、手紙をもらった時点では、幕府は開国を前向きに検討するどころか、「要らん手紙を送ってきやがって」という態度だったからです。
開国を促す、という意味ではオランダは失敗しています。

しかし、その後オランダの協力で海軍伝習所を作ったりしているのを見ていると、井の中の蛙なくせにプライドがやたらと高く、沢山のタテマエを通さないとやっていけなかった当時の日本人にとって、向こうからアドバイス手紙をくれるような国は、それなりに有難い存在だと感じていたのでは、と思うのです。ごりごり頭下げなくてもモノが頼めそうじゃないですか(^^;)。

というわけで、オランダからの手紙の一件は、当時の日本が諸外国に港を開こうか、或いは従来通り鎖国を続けるか考えた時に、オランダの協力の存在を再認識させた点で、評価されていいのでは、と思う次第です。

あと、アメリカが日本に使節を送ってきたのはペリーが最初ではなく、7年前の1846年にビッドルという人物が来ています。
ビッドルは平穏にコトを運ぼうとしたのですが上手くいかなかったため、もう少し強気に出よう、ということで、ペリーがやってきたのです。
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日本本土での開港は黒船来航以後ですが、この開港には前フリがあります。


私が知っている限りで挙げますと、

●ペリーが浦賀にやってくる6年前
→お隣の琉球王国がフランスとイギリスに向けて港を開く。

琉球は沖縄人オンリーで経営する国家で清帝国に朝貢したりしてましたが、実質は日本の島津氏の影響下にあり、島津氏の意図に逆らう国政は取りづらい状況にありました。
そういう国が欧米相手に港を開くということは、間接的に日本が港を開くのと同じことです。

●9年前
→日本と唯一交流のあった欧州国・オランダから、鎖国を解くようアドバイスする手紙が届く。

因みに手紙を送るようオランダ国王に進言したのはシーボルトという人物でした。
シーボルトについては有名なので御存知かもしれませんが、

●30年前
→オランダ交易団に混じって、学者兼お医者さんのシーボルトがやってくる。

彼は鎖国完了以降初めて、長崎の町で活動できる許可を得た欧州人で、医療活動する傍ら、塾を開いて多くの日本人の弟子を育てました。

そんなわけですから、外国と何にも交流が無かったトコロから突然開国したのではないのです。
ペリー来航は直接のキッカケでしたが、来なかったとしても、遅かれ少なかれ開国の方向へ向かっただろうと思います。

また、対ロシアについては、田沼意次の老中時代(1772~1786)に、将来の通商を視野に入れた北海道の地勢調査や新型帆船の実験航海が行われていました。
(田沼時代は、とかくワイロが横行した話ばかり強調されますが、もっと評価されていい時代だと思います)
彼の政策は保守層の猛反発を浴びて中途挫折しまいましたが、この時に活躍した人達の功績は、弾圧を受けつつも細い糸のようにペリー来航の頃まで繋がっています。


あ、他の方が書いていらっしゃる「風雲児たち」はホントに面白いですよ~。
オカネが無かったら、先生をそそのかして学校の図書館にでも入れてもらいませう♪
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No.3の追記です。



開国を中心とした内容ですが、以前の回答を参考にして
ください。
「日本はなぜ(半)植民地にならなかったの?」
 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=274013


それから、日本史のサイトですが、開国から明治維新まで
の流れをよくまとめています。ウラ話もそこそこアリ。
(しかも、内容がかなり面白い)
「さかもとりょうこの年表解説」
 http://ww1.tiki.ne.jp/~i-mitu/rekisi.htm


それから「風雲児たち」はマジにオススメですよ。
書店にいってもあまり置いていないので注文になるでしょう
が、本気で幕末史を学びたいのならば是非とも読むべきです。
小遣いが足りなかったら「歴史の勉強だ!」といって親から
カネをふんだくりましょう。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=274013,http://ww1.tiki.ne.jp/~i-mitu/rekisi.htm
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>しかし、中学の教科書や参考書等には載っていない話を


>教えてほしくてここにきました。まとめるうえで必要で
>きごとや細かいエピソードなどを教えてください。

ってことは、kukki-さんは中学生??
ずいぶん立派な文章を書きますね。これはたいへん心強い
話です。

さて、教科書に乗っていないエピソードについてですが、
いい本(マンガ)を紹介しましょう。
これさえ読んでおけば(ウラ話も含めて)、幕末史はばっちりです。

「風雲児たち」
「風雲児たち 幕末編」

とくに、なぜペリー以前はなぜ開国しなかったかという事情
について、手に取るようによくわかります。

参考URLにファンサイトのURLを紹介します。
ちなみに幕末編については、現在連載中です。2巻まで出版
されていますが、ペリーも登場していますよ。まだ雑誌の
方でも開国シーンまで話は進んでいませんが。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/huunji/
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なぜ他の国が来ても開国しなかったのにアメリカのペリーがきた時には、開国したのですか?



に関しては、1840年のアヘン戦争の影響もあると思います。その後の南京条約により、清国の鎖国は解かれ、欧米諸国による半植民地化政策が始まりました。
当時の日本は、鎖国中とはいえ、清とオランダとは交友がありましたので、欧米諸国の次のターゲットが日本に来ることを懸念していたのではないでしょうか。
実際、1825年、幕府は「異国船打払令(外国船を見たら、大砲をぶっ放して追い払えという法令)」を出していましたが、アヘン戦争以後は、外国船には薪や水、食料などを提供するという方針に返還しましたから。(天保の薪水給与令)

ペリーが来なくても、ロシアからはラクスマンが来ていましたし、イギリスの船であるフェートン号による事件もありましたし、いずれは開国していたでしょう。鎖国を解かなければ、戦争を仕掛けて、植民地にすればいいだけの話ですしね。
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もし事実と違うところがあったら他のアドバイサーの方、指摘お願いします。




他の外国船と違ってペリーは開国の強い意思を持っていたからではないかと思われます。権限としては、時の大統領から武力行使を認められていなかったのでたいしてなかったと思いますが、幕府としてはそんな事は知らないし見た目は今まで見てきたのでは一番の軍艦だったので武力衝突の不安はあったのでは。
もし鎖国を続けていたら、合法的な戦争を起こされてかなり不利な条約を結ばれていたでしょう。その後、植民地にまでなるかどうかまでは予測がつきません、歴史ですから。
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