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ミもフタもない質問ですが、大学全入時代と言われる今、
日本人の就学水準は先進国の中でもトップレベルにあります。
(学力水準自体はともかくとして)

そんな中、日本は戦争に敗れ、60年以上も、欧米的な
価値観を最上のものとして受け入れるように教育されてきました。
そのひとつが英語です。

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しかし、どうしたことか、日本人は多くの欧米的カルチャーを
羨望することはあっても、それらを流通させるための土台、
ことばとしての英語能力が極めて低いと言わざるをえない状況です。

例えば、ちょっと英語ができる人がいたりすると
「カッコつけやがって」というような嫉妬が生じるような有様です。
(英語ができる人を見ると「ムカつく」という心情が理解できません)

これは、生まれてからのバイリンガルな国土、
例えばヨーロッパ、南米諸国、アジアでは香港・インドといった
ような国の人々の英語能力とは比較にならないレベルです。

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本屋に言っても、あるのはすさまじい量の英語の参考書。
それとは正反対の、日本人の英語に対するすさまじい苦手意識。

還暦を超えた知り合いの女性(英文科卒)が、趣味のために
英会話スクールに通いだした時、感想として
「日本人の英語の苦手は、今も昔も変わらないねえ」
と言っていたのが印象的でした。

技術力・情緒力といったところで世界に誇るものがあるだけに
非常にもったいない気がします。
なぜ、このようなことが起きているのでしょうか?

教育がまずかったのか、それとも他の理由があったのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

多くの人が中学、高校と六年も英語を学ぶのに話せないのは、単純に


学校では受験英語のみ(筆記)を勉強させてスピーキングはやらせないからです。
スピーキングが出来る出来ないで学校の成績がつくことはありません。

これが何と言っても一番大きな原因だと思います。
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アメリカに住んで40年目になりました。

 私なりに書いてみますね。

6年も英語と呼ばれているmのを学校で教わりながらほとんどの人が英語をつけない、英語文法についてはいろいろいえるけど英文を書かせ列トンでも英語や間違った日本語訳を平然としておおかしいと思わない、文法の説明を聞いて納得ししてまってその先生の日本語訳が間違っていてもそれは気にしない、と言う社会があるからでしょうね。

それは、英語を使えない(しゃべれないと言うのももちろん含まれていますが)教師、教えようとする人が教えているからと言うことになってしまっているからでしょうね。

文法さえ出来れば英語を使えるようになると言い切る自称先生が実は英語を使えないのであれば、どうやって学生は英語を使えるようなるのでしょうか。

つまり、英語を使えるように教えていない、と言う事なのです。 別に難しい現状判断ではないと思いますよ。

他の国の言葉は日本語に似ているから、と過疎の閑居運河に本意はないと言うのは「言い訳」に過ぎません。

日本では読み書きを重要視しているから、と言うのもいいわけに過ぎません。 なぜなら、「読み書きできない」高校卒業生がほとんどだと言う事実が物語っていますね。 読み書きを押していると言うのであれば、読み書きは出来るけど、話す・聞き取るはできないは出来なくても仕方ないでしょう。 でも、その教えていると言う読み書きさえ出来ないんであれば「何を教えているか」と言うことになってしまうのです。

日本語と英語とのギャップがあると言うのであればそのギャップを取り除く教え方はあるはずですね。 

英語をあれほど禁止していた中国でさえこの20年で覆しています。 中国語は英語と似ているのはほんの1%の事でしょう。 後はすべて「学国語同士」です。

能書きだけは立派に出来る人が教えようとし、その教え方を理解すれば英語が出来るようになると洗脳されているのが今の日本の初学者なのです。 方程式的に作られた文法は「勉強がしやすい」のです。 教えやすいのです。 しかし、その文法が使えるための道具としてはあまりに貧弱すぎるわけですから結局使えるようにはならないし、その文法を教える・説明する人がおかしな英文を作ったり、言っている事を把握できないまま日本語に訳してそれでよしとするのであれば、結局今の状況が「現状維持」と言うことになってしまっているのです。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
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こんにちは。



医学的には、脳の言語野の日本語と英語の機能部分が端と端にあるからだいいます。ちょうど、それは、英語とタイ語との関係と同じぐらいだといわれます。しかし、日本人は、これほど違った言語にも関わらず、押しなべて、それほど英語が分からないということはありません。

それは国の教育水準が高いからで、東南アジアで英語を話すという人や、フランス人で英語を話す人が、自信度に反比例するほど英語のひどさに、閉口したことはないでしょうか?それに反して、街で出あった韓国の学生さんが、英語が良く出来るのに、驚いたこともあります。

母国語を英語としないで、英語の出来る国民は、英語が生活面で重要な位置を占めているのであって、私たちのように、外国語教育を除いたほとんどを日本語で学べ、また、直接、英語を使わなくてはならない状況や、原書の専門書を読まなくてはならない自体には、ほとんど至らないからです。

別途、学校の教師の能力の資質という前に、そういうように言わせる社会背景にこそ問題が潜んでいるかもしれません。日本の教育行政が、その管理に全体主義・お役所主義を通そうとしているにも関わらず、子供たちの親の年代が、それを、子供たちに、単に、あらゆる個人的な主張を言わせていることが、そういう問題を産んでいるように思うのです。私には、単に、その一つに、英語教育云々というようなことを言わせているようにしか思えません。

多くの人は、英語の実務運用について学校教育に依存しようとは思っていないにも関わらず、それに批判するというのは、筋が違うように思うのです。それほどに、運用面において、今も昔も期待していないはずです。そしてなお、社会人になっても、多くは、英語自体の運用については、それを求められないからこそ、そうした運用面で充実してこないのです。それはそれで、ある意味で、喜ばしいことだと思うのです。

英語の分野のひとつに、「サバイバル英語」というものがあります。また「亡国の民」は、語学が良く出来るといわれていました。民族や国の不幸な出来事がそうさせるわけで、もしも、日本人が、将来を心配して英語を学ぶなら、学校教育など言ってはいられなくなるし、一億総英会話学習の時代が来るかもしれません。

ただ、あえて、語学教育を改善しようとすれば、語学教育としての、英米の文化に依存しない自国の標準的英語の確立と、短期間において英語教育の密度を上げることで、解決していくのではないかと思うのです。

また、なぜ英語を必要とするのか、という根本的に問題を考えなくてはならないかもしれません。私たち一般というよりも、日本の置かれている状況は、日米間の政治的に、完全な独立をしていない依存した存在です。それは韓国なども同様です。まして、内国で、その実務の運用を抜きにして、一般的な英語能力によって仮想の階層的社会を作って、その頂点をシンボル化したりするのは、ひどくひずんだ考え方のように思います。

それに、米国または、米国民に対する劣等意識が間接的に、英語力を上げようとしている原動力ではないでしょうか?コーカソイド(白人種)に対して、卑屈だったり、ちゃんと意見を言わずに、常にお客様扱いするのに、英会話の先生でも、チャイニーズ、アフリカンやインディアン(インド系)だと価値が下がるような気持ちになる人も多いのではないでしょうか?

本来は、その国が安定して独立状態である限りは、語学というのは、一つの専門技術であって、算数や国語とは別の種類のものだと思うのです。国語の一環で、ローマ字レベルには英語は必要でも、本来の語学の運用に関しては、一部の必要な人たちだけのためで、生活一般の英語がある程度分かればよいのだと思います。それは、日本人が、「亡国の民」とならない限りですが。
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本質的には「英語を日常で使う必要がない」からでは? 日本に住んでいて「英語を使わなければならない」って事情がそうそうあるとは思えない.


移民の話が出てますけど, 移民だと当然「その土地で暮す」わけです. で, なぜかアジア系の移民 (中国など一部を除く) は「その土地になじもうとする」傾向があるらしいです. 例えばフランスでも, 旧フランス領インドシナ (カンボジアなど) からの移民はわりとなじんでるんですが, アフリカからの移民はあまりなじんでないそうです. 「その土地になじもう」とすれば, 「その土地の言葉を使う」のはある意味で当然.
ちなみにこの前イタリアにちょろっと行ってたんですが, イタリアでも英語はほとんど通じないですねぇ (無理矢理なんとかしたけど). 「大学にいくくらいなら, なんとか英語が通じるかも」と言われたし.
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何故日本人が英語が苦手かというのはわからないのですが、


英語をノンネイティブがしゃべるという件で、以前にかなり
驚いたことがありました。
友人の夫はイランからの移民でしたが、(友人はネイティブス
ピーカー)まさに弾丸のように喋りまくるので、アクセントは
強いものの移民としてやってきて3年でこれだけしゃべるのは
すごいなと思っていました。
ある日、ドライブしているとき目的地の看板が見えてきたので
あそこだね、でも工事中だから迂回しないといけないねといい
ましたが、無視します。彼は英語が全く読めないのでした。
読めないの?と聞いたら「読めない」というので読めないと
不便でしょう?と聞いたら「お前は人と筆談でもしたいのか」
といわれました。しかし彼は仕事を持ち、他の人々と冗談を
いって盛り上がり、抗議し、説教を垂れます。たどたどしい
ところはひとつもありませんでした。
学校の試験のために英語ができるようになりたい人、コミュニ
ケーションの道具として英語を使いたい人、仕事で使うためだけ
の人、それぞれの目的にそれぞれの英語があってもいいように
思います。話せます(書くのはあまりできない)英語問題強い
です(話すのは苦手)とか。。。
一般的にTOEICで何点レベルじゃないと「英語ができる」とは
いえないとか、そういう話す・読む・書くの「型」から抜け出せ
ない「体質」的なものが日本人にして英語を苦手とさせているもの
のひとつでは?
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現在の定期考査、受験を何とかしなければどうにもなりません。



上の学校へ進むのに全教科は必要ありませんがどういうわけか英語だけはどの学校に入るのにも必要です。体のいい選別の道具に英語は利用されています。
実用力を重視した試験に変えればいいのですが受験人口がこれほど多いのでは試験に時間がかかりすぎ不可能です。

こんな状態ですから実用的な力のある教師は必要なくむしろ害とさえ言われるのです。志を持って教師になってもいつのまにか受験英語屋になってしまいます。

また便利な道具であるとか興味の対象とか言う以前に、いつまでも「英語はかっこいい」という意識が抜けない点もあります。

かっこいいから苦手な人から見れば「かっこつけてる」と見えてむかつくのです。

かっこうだけでとらえるからあちこちに間違った英語が氾濫し、言語として意識しないからちょっと辞書を調べればわかるくらいの間違いをしても平気です。というより調べるとかネイティブにたずねるという発想さえしません。
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下のthepianomanさんのご意見に大いに賛成しますが、


教え方、教えられ方が間違っているのだと思います。
私は現在30代ですが、中学や高校ではテキストに忠実に沿った、
受験に対応するための英語しか習わなかったように思います。
市街地に近い地域に住んでおられる方に限られるようですが、
私が出会ったドイツの方はほとんどが普通に英語を話されます。
聞くと英語の授業では文法よりも実践英会話を習うそうです。
空港で、レストランで、会社で、といったような状況に応じた
受け答えの仕方を、文法にとらわれることなく
小さい頃から学習することにより修得するそうです。
ドイツ語と英語が似ているというのはもちろんあるでしょうけれど...
いっそ大学受験の英語をリスニングとスピーキングに限定してしまえば
小中学校の英語教育が変わり、日本人の苦手意識もなくなるかもしれませんね。
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はじめまして。



ほかの方も回答していらっしゃいますが、インド・ヨーロッパ語族とは、言語の構成要素である文字と文法がまったく違うことがまずありますね。いずれもとても独特で、日本語が属する語族に含まれるのは日本語と琉球語だけです。着るものを和服から洋服にするのは簡単だけど、あこがれでちょっと取り入れるには英語はあまりに日本語とは違いますね。スペイン語を話す人がフランス語を学ぶのとはわけが違います。

また地理的な理由から日本に住んでいて日常的に英語を含めた日本語以外の言語を使う必要性が低いこともあります。わたしは英語が第2言語で使用には特に困らないけれど、普段の生活で英語を使うことはまずないです。裏を返すと、それだけ日本では日常的に外国語を学ぶ環境がないということです。それから、日本人の「間違ってはいけない、やるなら完璧でなければ」というまじめなところも、外国語の習得には障害になると思います。言語なんて繰り返し使って間違ってなんぼという面がありますよね。日本の子供が日本語を学ぶのと同じだけれど、同じプロセスを大人がするのは恥ずかしいと思うのはある程度しかたがないと思います。

あとは、高校までの基礎教育で英語を教える教員自身の英語力が高くないとか、効果的な英語学習法が確立していないということもあるかもしれません。この辺は最近では変わっているのでしょうか。時間的・人的あるいは経済的な制約のある教育現場を考えると、とりあえず日本語をまともに使えるようになってもらうことのほうが大事なような気もします。
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英語の喋られない英語教師の雇用を、国が保証しているからだと思います。

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そもそも、日本語は文法が他の言語とまるで違いますから。



たとえば中国語だって、文法的には英語とほぼ同じで、
我愛弥(正しくはにんべん)=I love you
となります。

根本的な部分で受け付けられないから、日本語で普通に暮らしているうちに英語力が自然と身につく、というのは無理かと思います。
やはり無理して勉強しなければ。
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