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視点は、

一人称の場合…語り手である「私」が見たもの、感じたことだけを描写出来る。
二人称の場合…語り手の心理描写はなしで、「あなた」に伝えたいことだけが描写出来る。

……だと思うのですが、三人称だとイマイチ明確な分類が出来ません。


三人称の場合…

(1)カメラの視点:登場人物の心理描写はなく、ただ状況などを淡々と書くことしか出来ない。
(2)カメラ+一人の視点:カメラで追い掛けるように状況を説明すると同時に、登場人物一人の心理描写が出来る。
(3)神の視点:状況・登場人物全員の心理描写などあらゆることが書ける。

一般的にこの三つの視点があると説明されていますが、(1)と(3)はわかります。
でも(2)については、自分で書いていても他人の小説を読む時にも、疑問に思うことがあります。

仮に主人公をA(男)とし、彼視点で小説を書くとします。
その場合、

・Aは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。

という表現は正しいのでしょうか?
とあるサイトでこのような表現は、A視点であるのにAの表情を表現出来るはずがないので
間違いであると言われていました。でも、カメラ視点でもあるのなら、この表現は正しいですよね?

それから、Aについて説明したい時に、カメラ視点なら、

・そんな夢を見たのは彼だけではなかった。

A視点なら、

・そんな夢を見たのは自分だけではなかった。

と表現出来ると思うのですが、カメラ+一人の視点の場合は、どちらも有効なのでしょうか?
又、極端な話ですが、一つの段落の中でこの両方の表現を用いた場合、
なんとなくおかしな感じがするのですが、これも文章的に間違ってはないのでしょうか?
つまり、カメラ+一人視点の場合、Aのことまで「彼」と突き放して書くべきなのか、
Aのことは「自分」や「己」のように若干一人称のようなニュアンスで書くべきなのかがわからないのです。
更に三人称の小説中に「自分は~」などという主観的(一人称的)な表現を
用いてはならないと書かれている文献もあり、混乱しています。

単純に情景描写はカメラ、心理描写は一人だけというふうに分けて考えれば楽ですが、
それでもAを「自分」と表現していいのかどうかはわかりません…。

カメラ+一人の視点とは、どのように書くべきものなのでしょうか?
どうか詳しく教えて下さい。

A 回答 (6件)

私は単純に書き手の都合から、一人称でばかり描いていると「自分はそんな経験豊富じゃないよなあ」と感じてしまうので三人称を好みます(笑)


小説を映画・映像的にではなく、メタファーとして(極端に言えば聖書の様な)捉え描く場合は、「僕」を「彼」に置き換えて心理的描写を行っても何ら問題は無いと思います。

極端な文法の間違いは正さなければならないと思いますが、それさえも表現として使用されることがある訳です。だから「この表現方法は間違っている」という他人の定義に収まってしまうと、小説家としての自由が奪われて大変危険だと私は思います。
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NO4ですが、補足します。


Aは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。
これは可能です。こういうのは地の文といって、主人公に寄り添っている作者が事実を書いている状況です。
古い3人称の神の視点だと、作者は何でも知っていて、書くのですが、主人公の視点の3人称だと、寄り添っている作者にわかることだけを書くのです(下で、表情とかは書かないほうが、と書きましたが、訂正します)。

そんな夢を見たのは彼だけではなかった。
そんな夢を見たのは自分だけではなかった。
この2つは、実はそれほど差はないのです。彼だと、寄り添う作者の目、自分だと、主人公に近づきますが、一番主人公の内面の声になるのは次のような場合です。
そんな夢を見たのはぼくだけじゃなかったんだ。

こういうのをうまく使い分けてください。
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3人称だけど、主人公に視点が固定されている小説のことですね。

現在の3人称小説はほとんどこれです。
主人公によりそいながら、3人称で書くのが基本です。主人公の見たものや、主人公の心理を、3人称だけれども、内側から描いていきます。主人公以外の人物の心理は、主人公の想像でしか書けません。
主人公の心の声というのがよく使われます。3人称の中に、1人称がまじるのがこれです。

彼は道を歩いていた。そうか、ぼくはここで生まれたんだ。そう思いながら、辺りを見回した。

こんな感じですね(今、作りました)。
主人公の視点で書いている以上、主人公の表情などを、外部から描写するのはあまりよくありません。主人公がどういう表情をしているかは、むしろ、主人公の心理でわかるようにした方がいいです。
たまに神の視点がちらっと入ってもかまわないのですが、目立たないように自然にやる必要があります。できれば、やらない方が無難。
また、作品によっては、章ごとに視点人物が変わるものもあります。
日本語は主語を省略できるので、1人称か3人称かあいまいな文も書けます。この辺を上手に使って書くのがテクニックですが、とにかく、主人公に寄り添って、主人公の感覚で書いていくのがこつです。
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 主語の条件 ~ 三人称・単数・現在のすすめ ~
 
>小説を書く際の三人称の視点について教えて下さい<
 故意が偶然か、この質問タイトルには、主語が省略されています。
 小説の叙法に“カメラ視点”という概念は、そぐわないようです。
 
 近代文学の傾向として、三人称(または固有名詞)を用いていても、
その実は一人称小説とみられます。松本 清張も、将来の小説について
「警察の供述調書のように書かれるだろう」と述べています。
 
 私見ながら、今後の文学は、Webサイトの普及により、作者が望む
と望まざるにかかわらず、たとえ日本語で書かれたものも、翻訳ソフト
を通じた“英文”として読まれる割合が高くなるはずです。
 
 日本語の特異性として、しばしば“主語の省略”が指摘されますが、
現在の翻訳ソフトにとっては、かくれた主語の推定が苦手なようです。
 したがって「英文のように」書くことをおすすめします。
 
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「・Aは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。


A視点であるのにAの表情を表現出来るはずがない」
それは小説なのに視覚限定で考えてるから間違いですよ。
鏡を見なくたって自分が眉間に皺を寄せてるのは
わかります。

あなたの質問は心理と視覚に限定してる時点で間違いです。

この種の記述で視点とか視座というのは
主観を指すのであって、視覚限定ではありません。
また、もちろん主観が客観と一致する場合も多いですよ。
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(2)は「カメラ+一人の視点」ではなく三人称一視点と表現した方が正確だと思います。


これは視点の人物の目を通して世界を見ます。カメラを一人の人物に固定し、同時に心を
覗き込んでいる、と考えてください。この方法では視点の人物が見えないもの、知らない
ことは表現できません。

「(視点の人物)Aは眉間に皺を寄せて黙り込んだ」という文章は三人称一視点でも成立
します。本人の行動ですから、知らないわけがありません。しかし「Aは顔を赤くした」は
駄目です。鏡も見ていないのに自分の顔の色は分かりません。「Aは顔をほてらせた」なら
大丈夫です。

心理描写であれば三人称一視点の中に一人称を含めても構いません。これは自由間接話法と
いって一般的に使われています。もしそれで文章がおかしくなったとしたら、推敲が足りない
ということです。

「そんな夢を見たのは彼だけではなかった」、「そんな夢を見たのは自分だけではなかった」は
三人称一視点でどちらも使えます。説明であれば前者、心理描写であれば後者になります。
ただしどちらの場合でも、視点の人物がその事実を知っていなければなりません。
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