プロが教えるわが家の防犯対策術!

そのままでは、意味不明の問いだとおもいますので、曖昧な問題意識を、曖昧なままだらだら書いてみます。

▼Wikipediaによれば、図書館というのもは歴史をさかのぼれば、紀元前七世紀頃のアッシリア王アッシュールバニパルの宮廷図書館までさかのぼれるそうです。ですが、そもそも、この制度は一体、なぜ、なんの必要性があって、つくられたのだろうか、ということが少し疑問に思いました。社会にとって「役に立つ」知識を集積・流通させるための基地なのかしら?しかし、そういう生産競争力のための基地という役割よりも、最近だと、憲法第二十五条の生存権「…最低限の文化的な生活」みたいな意味合いのほうが強い気もするが、そこのバランスとかってどのように考えられているのだろうか、と。
▼わたしは、本読みですが、ここのところ図書館にアクセスが微妙にしにくくて、amazonで本を買いまくっています。わたしにとっては、たぶん、いま、図書館がなくなるより、amazonが潰れる方がつらい。
▼あと、ゲームやマンガや映画、アニメといったコンテンツも人並み以上に見まくっておりますが、こうした図書館には「入ったり、入らなかったり」で、「誰かが入れるべきかどうかを判断」している。その判断の基準は、どこのどいつが何を考えながらやっているのか、と。その判断の妥当性って何を根拠に参照されているのだろうか、と。わたしにとっては、その種の「オタク系」コンテンツと、バルザックやドストエフスキーといったものは大して差がなくて、どれも素晴しい人類の残したエンターテインメントだと思っているので……まぁ、差別されているのは知ってはいますが、差をつけるとしたら何を名目にしてるのだろうか、と。
▼あと、国会図書館は、ISBNとかISSNの付いたものについてはある程度きちんとカバーしてるけど、そうじゃないものだと、どんなに伝説的な価値があると言われている同人誌も保管してないし、保管する気もなさそう。あれ、国会図書館とか、国の予算で超レア本とかある程度アーカイブしてくれればいいのになぁ、とおもうのだけど。なんでやらないんだろう。先進的な一部の取り組みとしてやっている話とかは確かに聞くし、特殊なアーカイブをつくってる機関もあるにはあるが、特殊なアーカイブを作ろうとしたときに、国とか地方自治体の金を使うのに何が問題になるのだろうか?アーカイブの公共性?それともアーカイブを作ることによって期待される日本の国際競争力とか?何考えて作るんだろうか。
▼何よりも、インターネットのことを図書館はどう考えているのだろうか。知の集積も、文化的な生活も、いまや図書館よりもインターネットのほうがパワフルに機能してくれる可能性がある。図書館のデータの全pdf化がおわったときに、図書館はどうするのだろうか。*もちろん、pdfよりもアナログの本のほうが今のところ圧倒的に読みやすいけど。
▼少なくとも、勉強に関して言うと、いま近所のしょぼい市立図書館なんかを利用するよりかは、インターネットで調べた方が専門性も高い情報が手に入る率がたかい。有料のデータベースに接続できればなおさら、インターネットのほうがすごい。大学図書館とかを日常的に利用してた頃は、さすがに図書館のパワーは勉強するのにありがたかったけれど、地方のそんなにすごくない図書館とか、ぜんぜん役に立たない。ちょっとマニアックなものを読もうと思うと、amazonパワーのほうが100倍役に立つ。金がかかるから公共性の面では限界があるが……。近所の図書館が、岩波でアリストテレスとか、論語とか揃えてくれてるのはありがたいのだが、ベストセラーの駄本購入とかにかける予算はどーにかならんのかなぁ。確かに「多くの人がアクセスしたいと思う最大公約数的なコンテンツ」かもしれないけれど、『女の品格』とか複数冊買う予算があるんだったら、もっとまともな古典教養を完璧にそろえてほしいのだが…。みたいな。

▼そういうわけで、ふと思いついた「なぜ、図書館というのものは、存在するのでしょうか」。もしかしたら、デジタルアーカイブ論とか、図書館情報学とかの専門の人とかに聞いたら、いい答えが返ってくる質問なのかもしれませんが、上記のようなぼんやりとした疑問をもちつつ、ふと聞きたくなってみた次第です。

回答の方向も、なんとなーく問題意識を組んでいただければ。
ひまなときにご回答下さい。

A 回答 (8件)

No.4です。

知っていることについてだけ補足します。

>彼らはほとんど、「国会図書館が同人誌を欲しがっている」という情報にアクセスできたことがないのではないか、と。…というか、ほんとに同人誌納入したら保存してくれるのか…。みたいな気分だと思うのですが…。わたしも初耳でした…。

既存の作品(特にアニメ・マンガ作品)を二次使用している同人誌の多くは、著作権法に違反して著作権者の許可なくキャラクター等を無断使用しています。個人的には、彼らは、そもそも、著作権に関する意識が非常に低いのではないかと危惧しています。ただし、それも文化であり、保存すべきであると思います。

>1.行政が図書館にかけている予算を再検討し、民間のオンラインデータベース作成などの助成金にもっと回したり、無料公開のための取り組みを行ってはどうか。

現状では、国や地方公共団体が公共施設にかけられる予算(人件費も設備費も)は減少しています。ご存知のように、公共予算の削減と所得格差の是正が強く叫ばれている中で、公務員および国のお金の使い方に関する国民からの風あたりは大変強くなっています。図書館を社会教育施設・情報センターだと考えず、無料の貸し本屋程度の不必要なものと考えている人は多いのです。
図書館員の採用も、ここ二十年近く、正職員の採用は非常に少なく(現場は強く要望しています)、むしろ、民間への業務委託が進められています。これは、一般国民に図書館員を情報専門職とする認識が不足しているからです。(ドラマなどに登場する図書館員を見れば、単なる貸出しの受付の事務員程度に思っている人が多いことはわかるでしょう。)

また、民間のオンラインデータベースはその企業の大切な売り物です。普段、費用を意識することの少ない新聞記事でさえ、データベースとして使用契約してもらえば1契約あたり年間数万~数百万の儲けがあります。営利企業である民間企業がそれを手放すでしょうか? 売り物だからこそ、費用をかけて、企業はデータベースを整備をするのです。つまり、それが情報はタダじゃない、という意味です。

ちなみに、科学技術分野のデータベースに関しては、文科省が古くから、国立研究所あるいは行政法人に多大なお金をかけて整備しています。国がお金をかけらて許される(国民が許してくれる)のは、公共性があるもの、国(国民)の利益につながるもの、民間がやりたがらないもの、民間の利益を侵害しないもの、です。

>2.著作権法の改正も視野に入れつつ、公的機関による「文化」の保存・アクセスのための必要な法制度をつくりなおすことが考えられてもいいのではないか。

著作権が切れたものであれば、既に整備は始まっています。
ただし、著作者には、自分の創作物でお金を儲ける権利があります。文化遺産だからタダで使わせろ、とは言えません。
以前は、図書館には著作物の貸与が認められていました。しかし、しばらく前から公共貸与権の問題が議論され、その著作者の権利が認められていきつつあります。公共貸与権とは、公共図書館における貸出しに対し著作者が補償を要求できる、ないしは貸出された場合に一定の金額が(国あるいは図書館から)支払われる、という権利です。つまり、将来的には図書館の貸出しも無料ではできなくなる(利用者が直接お金を払うという意味ではなく、税金から負担する=全国民が費用を分担する、という意味です)可能性が高いです。

なぜ、このようになったかは、恒常的な不景気(という印象)だけでなく、インターネットの普及による違法コピーの氾濫の影響も大きいでしょう。有料のデータ(例えば、映画や音楽)を著作者に無断で(例えば、ファイル交換ソフトやファイルアップロードサイトで)公開し、著作者に多大な損害を与える人はあとを絶ちません。著作者が創作物を創るために、どれだけの時間や費用や手間をかけているのかを無視して、自分の利益や利便性ばかりを追求する人が増えた(ように見える)ということでしょう。インターネットが民間に普及する前の、違法コピーとは状況が異なるのです。自分の友人にお気に入りのCDをダビングしてプレゼントする感覚で、何千人もの人に無料でダビングしてあげているわけですから。
著作者・著作権者が、自分の権利に敏感になるのも納得できます。

>3.同時に、図書館員の人事/採用制度の見直しをはかってもよいのではないか。

採用に関しては上に述べた通りです。司書養成課程の改革に関しても、しばらく前から、文部科学省と研究者・図書館員との間で議論されています。

公務員・地方公共団体に対する風当たりは非常に厳しいです。予算も削減されています。少ない予算で多大なサービスを要求する国民の声はとどまるところを知りません。現場の図書館員と研究者は、図書館の状況改善するために、すでに何十年も努力し、声をあげつづけています。しかし、図書館の価値を認めない人によって阻まれているのです。質問者さまも、もっと、図書館を利用し、必要性を社会にアピールしていだければ、と思います。

この回答への補足

ありがとうございます。

>同人の著作権
 同人を単に著作権の意識が「低い」と言ってしまうのはいささか乱暴かと存じます。確かに「低い」としか言いようがないケースも多いですが、作家とファンの共犯関係的な市場でもあります。作家側があらかじめファンの二次創作を見込んでいるケースも多いです。また、許諾をとっている作品も数多くあり、保護されるべきものは少なくない考えます。単に同人作家の無関心というより、一般に保存のガイドラインを再度発表し、あるていど周知をはかることで状況は大きく変わるのか、と思うのですが。

>1に関して

 確かに図書館員にかけられる予算の少なさは厳しさ、という現在の台所事情を持ち出されると、「日本では確かに厳しいですね」ということになるのかもしれませんが、一方で、この質問は特に国内に限った話をしているわけではない、思考実験的な問いだと考えてお付き合いいただければ幸いです。

 民間のオンラインデータベースの値段も存じております。確かに非常に高いです。とてもではないけれど、単なる個人になったら契約しようと思えないデータベースも多いですね。いまの日本じゃ無理!かもしれません。
 でも、いまの日本じゃ無理かもしれませんが、たとえば、アメリカやフランスなどならどうでしょうか。JSTORとかの学術データベースがべらぼうに高い一方で、Stanford Encyclopedia of Philosophyのような素晴しい専門辞書が公開されたりしている。他にもアメリカの大金持ちが大枚はたいて公共的サービスに遺産をなげうったりすることでできた文化施設(Getty Centerとか)もありますし。フランスもルーブルなんかは、大衆のための文化政策ということで巨大な予算がかけられて成り立っている施設ですよね。ああいうことが考えられてもいい。
 また、もちろん、情報はただじゃないので、大学や、民間コンサルなどの研究機関といった機関では有料データベースを導入していますが、そうでない在野の研究者にはとてもとても厳しい状況だと思います。たしかに「情報はただじゃないけど、一個人にはあまりにもただじゃなさすぎる。」ようなアクセス不可能すぎるオンラインデータベースで素晴しいものがごろごろしている。「だからこそ」せめて、限定的にでも使える場所を増やしていく努力があっていい。ぜんぶフリーにせよ!というのは敢えて言ってみたところがありますが、せめて大都市の中央図書館クラスの施設に行けば、そうしたデータを効率的に閲覧できるような環境はあってもいいのかな、と。

 また、行政によるDB作成の取り組みも多少は存じておりますし、NIIなど一部の独立行政法人による仕事はほんとうに素晴しいと思っています。ただ、その素晴しい努力と、民間の有用なデータベースをアクセス可能性を担保する話は別なのではないか、と。民間のオンラインデータベースにアクセスする権利が無い人が「高いかもしれないけど、ものすごく価値があるからアクセスできる公共的な場所がほしい」と言ったとき、それを断っていいのかは疑問です。
*あと、データベース整備が自然科学分野から着手されてしまっているのも、人文・社会科学系のひとからすると、ちょい寂しい気はしますね…。

>公共貸与権の変更

 なんと!それは知らなかったです。
 ちなみに、わたしは「著作権の再設計はぜったいに必要だろう派」ですが、「必ずしも著作権強化じゃない派」ですので、ちょっとacademさんとは立場が違うのですが、おっしゃられる通りビッグイシューですね。最近は、「著作権者が本当に損をしているのかどうか?」という状況の実態調査がすすんでおり、「直感的には損をしているように思うが、ある程度の違法コピーに関しては、完全に取り締まったり著作権強化をすることで利益が出る可能性よりも、多少の違法流通があるぐらいのほうが実は利益が出てるかもしれない」という論者もおります(もちろん、この議論の妥当性も今後、より検証されなければなりません)。
 ですので、著作権強化が本当にいいのかどうか。著作権強化が本当に著作権者と消費者双方の利益につながるのか。ちょっと慎重になりつつ、しかし同時にラディカルに考えていきましょう、というのが現在の著作権論議に対するわたしのスタンスなので、著作者への利益のバックをそこで生じさせるのがどこまでいいのかどうか、これもまた大きな議論ですね。

(つづく)

補足日時:2008/02/03 16:57
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>3.採用
 議論されている…とのことで調べてみたら「これからの図書館の在り方検討協力者」
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/index …
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/backn …
 なんてのが開かれてるんですね。ぱらぱら見た感じ平成18年の会議はあまりにも司書教育の現場的な問題に話が偏りすぎていて、未来像の話がなさすぎる気がしますが、平成16年~17年の会議のほうは面白いですね。地方の図書館がほんとに死にかけている話とか。ただ、いささか委員の先生方が、司書教育とか、図書館の人とかで、現在の関係者に偏りすぎている印象がどうしても強いですね。会議をはじめる以前にメイン・イシューをしぼって、何か大きな決定を目指さないと政治的波及力がよわい印象がありますが。

 あ、そして、
http://www.mext.go.jp/a_menu/shougai/tosho/shiry …
 の議事録をみたら、まさにわたしが言ったような取り組みではアメリカではすでに行われている!という話が書いてありますね…。加えて、日本の図書館行政に割かれる予算が少ない、という話も悲惨ですが。
 ただ、どうも議論の中に出てくるインターネットのイメージが「中途半端な情報源」というだけの認識に終わっている気がしてちょっと残念ですね。

>図書館の価値を認めない人によって阻まれている

 というか、端的に言えば、これは「予算をつけろ!」という側面では、価値があると思っている人の数ではない部分もあるかと思います。つまり、政治課題としてのアジェンダにのぼらせることができるかどうか。

 これは、現状改善路線ではなく、やっぱり行政の人に「日本の知的競争環境を整えるためのビッグイシューです」というような認識を持っていただいて、重要な行政課題として動いてもらわないと、いくら現場の人が声あげていてもなかなか一筋縄にはいかない気がしますね。今のところ、パッと見、そういうパワーをもったプレイヤーに欠けているのかな、と。よくは存じ上げませんが。

お礼日時:2008/02/03 18:43

国会図書館は、予算が足りないのだそうです。

国立なのにあまり予算をまわしてもらえないみたいです。職員の友人から聞きました。法律で納本が義務つけられているとはいっても、実際は特に罰則もないので納本してくれない出版社が多いそうです。督促かけてはいるそうですが。同人誌や自費出版のものは個人的に納本や寄贈をうけつけているそうですよ。
国立に限らず、余計なところにばっかり税金が使われて、図書館などの文化的施設は後回しにされてしまうのは悲しいですね。
    • good
    • 0

#6です。


ちょっと下の方を読んでいて危惧しなければならないことがあったので補足させて頂きます。

compequalさんは現代の流れに沿って様々な情報をデータ化し、利便性を高め、より広く共用出来るようにという趣旨の提案をなされているのでしょうか?
そして一方ではその結果「つまらない物」と「価値のある物」を選別できるようになるとおしゃるのでしょうか?

確かに音楽も配信される時代になり、書籍も携帯で読むことが出来るようになりました。想像すれば本屋もCDショップもいつかは無くなる事になるのでしょう。

ただその事は私にとって「仕方が無い」事であり、世の中の作品にとって、またそれを楽しむ人々にとって決して良い結果を生むものでは無いと考えているんですね。

先に書いたように、少ない需要ながら重要な「草の根研究」のほとんどが書籍のデータ化の際に省かれてしまうものであると思うんです。
つまりその時代でしか収集出来なかった貴重な情報はここで消えてしまうことになると思うんです。
その種類と数はたぶん相当な物でしょう。
何故ならそうした情報、作品の価値を本当に分かる人があまりに少数だからです。社会的にも需要が少ない事で、これらを守る動きも無いでしょう。
compequalさんが問題にしている「ベストセラー」という物しか結果残らないのではないでしょうか?

実際それはもう起こっているのですが、その例を挙げますと、おっしゃられるように音楽の在り様ですね。

compequalさんは音楽をお聴きになるでしょうか?
レコードはもうありませんでしたか?
意見の分かれてしまう所ですが、レコードはCDよりも音の再現が豊かです。しかしご存じのように今では手に入りません。
中古は別として新品のレコードは昔の音とは違い、CDから録音したとても貧弱なものです。
クラブのDJが購入するぐらいのものでしかないでしょう。
そして今やCDまで無くなるかのような話が出てきている。
これを時代の流れと言うのならそうでしょう。
レコードとデータの音の好き嫌いを言うマニアのみのお話かもしれません。
しかし今回一番問題で、危惧しなければならないのは、こうしたメディアの変化、移行によって失われてしまう沢山の「価値のある物」の事です。

私はブルースやジャズが好きですが、それらは先程の「庶民民族研究」と同じように、研究者がマイクを片手にアメリカを旅して周り、家の前で座って歌うブルースマンの歌声を録音して集めた、「二度と手に入らない物」です。
彼らの多くはいわゆる「プロ」では無く、土地の歌い手です。
こうしたとても価値のある本当の物が、需要が無いという理由、一部の名ばかりの識者の選別によってレコードのまま消えていっているのです。
そうした事がCDがデータに移行する際にも沢山起こるでしょう。
これは書籍でも同じ事、絵画でも同じ事です。

つまりそうした貴重な資産「本当に価値のある物」が失われる事が、利便性と無駄を省くシステムの代価には見合わないと私は思います。

システムの改築は、それに携わる有識者と名の付く「価値の分からない者」たちによって、「価値のある物」を失わせる結果となるのは間違いないです。
「有識者」がいつも間違った選択をするのはこれはどうしようも無いですね。

「危惧」があるだけで「ただ時代は流れる」。
図書館の消失は「仕方の無い事」であると同時に、そうした結果を伴うものと思います。

この回答への補足

お礼、を書いたあとに付け加えますが、

インターネット登場以降、「名もないがマニアックなもの」へのアクセスのしやすさはむしろ上昇したという感覚のほうが強いです。Yahoo!Auctionなどの登場で、個々人にとってはゴミでも、マニアからすれば垂涎ものの作品がたくさん出回るようになったという気持ちがあります。そのままであれば、地域の図書館にすら回収されず、ただ単にゴミ箱行きになっていたであろう、マニアックな商品をわたしはだいぶYahoo!Auction経由で入手しております。「本当に価値のあるもの」かどうかはさておき、「あなたにとって価値がないかもしれないが、わたしにとって価値のあるもの」をつないでくれるP2P的なローカル・ネットワークはむしろ強化されたと思うのですが…。

わたしはかなりいろいろとマニアックな趣味を持っていますので、図書館がありがたいと思ったこともたくさんありますが、図書館にすらまかせられない、国会図書館ですらぜんぜんだめだと思うこともよくあります。そのようなときに、インターネットはめちゃくちゃ有用でした。というか、今現在そうです。

補足日時:2008/02/10 15:48
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうも、回答ありがとうございます。

>そして一方ではその結果「つまらない物」と「価値のある物」を選別できるようになるとおしゃるのでしょうか?

この点についてはまったく言及したつもりはありませんし、まったくそのように考えていません。深読みです。

お礼日時:2008/02/10 10:33

あの、ちょっと長かったので他の方のお答え等は見ていられませんでした。

それに私には図書館の歴史や文化的背景のような知識もありませんから、単純な感想で失礼します。

まず単純に考えると、図書館を利用している方々ですが、インターネットを利用している方もしていない方も両方いますよね。

インターネットを利用出来ない方はまだまだ沢山いらっしゃる訳です。
その方達の為にまず必要ですね。

そしてインターネットの情報と書籍の情報の違いですが、私としてはまだまだインターネットは不十分ですし、信頼性も薄いと思います。
それは情報の混雑した状態が一つ大きな原因と思われますし、何より経験、知識豊富な書き手の方の作品は未だに書籍によるからです。

確かに学生の方がレポートを書く際に分からない単語を調べるにはインターネットはとても便利なツールですよね。
ただ、それは特定の範囲を検索している段階での事です。

文学は勿論の事、専門的な研究に関する書籍にも、その中身は「情報」という切り分けられた物だけでは無く、「書き手の存在」があるものです。
「はじめに」から始まって、「おしまいによせて」まで、書籍とは研究書であっても、その作者の想いで綴られた「作品」なのです。

そしてそれは今はまだ書籍としてしか流通されません。
(一部、ネットでの公開のような物があるかもしれませんが、まだ希と言えるでしょう。)
それがまた一つの大きな図書館という書籍箱の存在意義です。

私は絵を描いておりますが、その資料を確かにインターネットで探す事も多いです。しかしそれが複雑で、より情報の少ない物になりますと、やはり図書館の書籍に頼らざるを得ない事になります。

その専門的な貴重な情報は、多くの人が思っているよりもどんどんと失われています。

例えば日本の少し前、江戸時代の庶民の生活の事柄、明治の地域ごとの風習、衣食住の違いなど、現在収集研究されている研究者と、それをまとめられた物で、正確、かつ深い考察に基づく物はとても少ないのです。

「ワラジ」ひとつ取ってみても、その歴史、地域ごとの違いをきちんとまとめた物がいくつあるのでしょうか。
何故ならそうした生活に関する物達はそれらが残っているうちに研究者みずからが足を運び、収集し、そうした経験をもとに考察しなければならないからです。
各地に伝わる昔話や童歌等も口承によるものがほとんどで、実際に研究を命に換えて行ってきた方の「考察」に頼ることになります。

そうした「単なる情報」では無い、研究者の「考察」を基礎として書かれた「研究書」は、全て紙の書籍です。

国宝や重文などの一部はデータ化が進められてもいますが、それは大昔から大事にされてきた「貴族」や「皇族」の品々であって、前述したような庶民の生活の記録は、変わり者の研究者の目にとまったものだけであり、それもどんどん失われつつあります。

これらの「生きた読み物」がそのままネット上にデータ化される可能性はとても少ないのではないでしょうか?

これだけ長文になってお答えが二つというのは私の未熟さ故ですが、もっと単純な理由をもう一つ書いておきたいと思います。

それは書籍という物への愛着であり、同時に図書館への愛着です。
とても単純で時代によってどうとでもなってしまうような理由ですが、そうした時代を経て今日に至っている以上、これは当然の事と言えるのではないでしょうか。
少なくとも今生まれた子供達までは、物として愛情の注ぐことの出来る書籍に愛着を持つと思います。

最後にこの話に関係してとても面白い映画があるので、compequalさんにご紹介させて下さい。
F・トリュフォー監督の「華氏451」という映画です。
「華氏451度」は紙が焼ける温度です。面白いですよ!
    • good
    • 0

>この制度は一体、なぜ、なんの必要性があって、つくられたのだろうか、ということが少し疑問に思いました。

社会にとって「役に立つ」知識を集積・流通させるための基地なのかしら?

16世紀にグーテンベルクによって印刷機が発明(というより開発)される前は、図書というものは手書きで書写されていました。ですので、それ以前の図書というのは、貴族や教会・寺院などの宝物のような要素が強く(つまり、絵画や宝石と同じ)、その収蔵庫として私的な図書館が作られ、宝物のリストとして目録が作られました。
その後、印刷機による大量印刷および一般大衆による図書の利用(近代になるまで、字を読める人というのは一部の貴族や宗教者などの知識層だけでした)が可能になると、図書館の役割は、宝物の倉庫から、図書(人類の叡智)の蓄積および利用のための場所へと変わっていきます。国の政策もあったでしょうが、利用者の側からの需要もあったでしょう。
現在の先進国の国民にとっては、大量に流通する一般書は高価なものではありませんが、出版部数の少ない専門書や地方出版物(出版部数が少ないのは需要が少ないため)や百科事典・白書・統計書・地図等の参考図書は未だに一般利用者には高価であり、継続して購入・所蔵するというのが難しいものですので、図書館は、そのような参考図書類を継続的に収集し、利用に供するという役割があります。(こういう資料は継続して購入して蓄積してこそ価値があります。)

>▼わたしは、本読みですが、ここのところ図書館にアクセスが微妙にしにくくて、amazonで本を買いまくっています。わたしにとっては、たぶん、いま、図書館がなくなるより、amazonが潰れる方がつらい。

上記のように、図書館の役割は、一般図書の収集・貸出しだけでなく、一般利用者が購入しにくい、参考図書類の収集・貸出し・閲覧という役割も大きいです。公共図書館の所蔵図書は、読み物としての一般図書も多いですが、地域資料(地方出版物、地域に関する資料、地方公共団体の発行する資料など)も継続的に収集・蓄積しています。amazonでも多くの出版物は手に入りますが、参考図書類・地域資料・専門資料の中には一般に流通しにくいものもあり、手に入りにくいものもあります。

>▼こうした図書館には「入ったり、入らなかったり」で、「誰かが入れるべきかどうかを判断」している。その判断の基準は、どこのどいつが何を考えながらやっているのか、

図書館で購入する図書・雑誌・AV資料(CD,DVD,VIDEO等)は、その分野の専門知識を持った図書館員(司書)が、利用者からの希望や新聞・雑誌・出版者の販売目録などを考慮に入れて、複数人数で検討会を開き、選択しています。もし、購入してほしい資料があるのあれば、お近くの図書館に希望を出してみるもの手だと思います。ただし、AV資料に関しては、印刷物とは著作権上区別されている場合が多く、図書館の貸出し・閲覧用に作成されたものでないと集めても閲覧・貸出しができない場合もありますので、希望を出しても購入が難しい場合があります。

>差別されているのは知ってはいますが、差をつけるとしたら何を名目にしてるのだろうか、と。

(まともな)図書館員は、基本的には、資料(出版物)の内容に対して偏見を持ったり差別をしたりはしません。ある資料が利用者に求められていると思えば、それを提供したいと考えるのが図書館員です。(もちろん、内容についての個人的な好みはあると思いますが、仕事としては偏見はないということです。)図書館は、利用者の要望が高かったり、資料的価値や教育的価値が高いと思われるものは、図書館員個人の価値基準とは関係なく選択します。資料の収集の目的には、利用だけでなく、保存もあるため、複数の図書館で計画を立て、分担して購入したりすることもあります。ただし、利用者から希望が多かったとしても、一部の娯楽作品(例えば、週刊誌やマンガ)などに関しては、利用者の側から、「なぜ、こんな俗悪なものを子供が利用する図書館に置くのか」という批判が寄せられることは多いようです。だからと言って、図書館に置かないかどうかという問題についても頻繁に議論されているようです。

>▼あと、国会図書館は、ISBNとかISSNの付いたものについてはある程度きちんとカバーしてるけど、そうじゃないものだと、どんなに伝説的な価値があると言われている同人誌も保管してないし、保管する気もなさそう。

国立国会図書館は、国立国会図書館法(主に24条、25条)で、国内で出版された出版物(印刷物だけでなく、AV資料やコンピュータソフト等も含む)を全て収集・保存することになっています。24条では、「当該機関(出版者)は30部以下の部数を直ちに国立国会図書館に納入しなければならない」と規定していますが(無料で納めなさいということではなく、もちろん、国会図書館はその代金を支払います)、同人誌の製作者はこれを守っていないことが多いようです。つまり、国立国会図書館および国の側には収集・保存の意欲はあるが、製作者の側に協力する気持ちがないということでしょう。

>▼何よりも、インターネットのことを図書館はどう考えているのだろうか。知の集積も、文化的な生活も、いまや図書館よりもインターネットのほうがパワフルに機能してくれる可能性がある。図書館のデータの全pdf化がおわったときに、図書館はどうするのだろうか。*もちろん、pdfよりもアナログの本のほうが今のところ圧倒的に読みやすいけど。

全てのデータのデジタル化が終わったとしても、以前に収集した図書が無価値になるわけではありません。手にとって見たいと思う利用者は少なくないはずですし、例えば、草書体で手書きされた古書や絵巻物などは文字としての内容のみが重要ではなく、その書体や配置なども含めての資料です。画像データとしてデジタル化されていますが、恒久的な利用に耐えうるだけの解像度のデジタルデータは存在していません。
図書館は、率先してデジタル化を進めており、決して、インターネット上の情報源を対立するものとしてとらえてはいないようです。むしろ、現在のいろいろなものが混在して必要なものが探しにくい状態から、利用しやすいように整理・分類・索引付けなどをして行こうという動きもあるようです。

>▼少なくとも、勉強に関して言うと、いま近所のしょぼい市立図書館なんかを利用するよりかは、インターネットで調べた方が専門性も高い情報が手に入る率がたかい。有料のデータベースに接続できればなおさら、インターネットのほうがすごい。大学図書館とかを日常的に利用してた頃は、さすがに図書館のパワーは勉強するのにありがたかったけれど、地方のそんなにすごくない図書館とか、ぜんぜん役に立たない。

先に書いたように、全国的に流通しない地方出版物は多く存在しています。公共図書館でしか見つけられない出版物は多いです。質問者さまにとって役に立たなくても、役に立つと考えている利用者は少なくありません。
ご存知のように、インターネット上で検索することができるデータベースは、図書館で蓄積されている資料の全部ではありません。遡及入力は進められていますが、必要性あるいは重要性の低いものは後回しにされたり、入力されない可能性があります。また、新聞記事・統計・専門知識に関するデータベースの利用料金は一般利用者には高く、研究者や専門家でもない限りは、簡単に利用することは難しいです。インターネット上には無料の情報はたくさん転がっていますが、本当に価値のあるデータというのはタダでは手に入らないものです。

どういう資料が「役に立つ」かという価値判断は難しいものです。しかし、(まともな)図書館員は、どういう内容のものであっても人類の文化的な遺産であると考えていますし、検閲には反対の立場をとっています。ただ、図書館の物理的な空間や運営費用(図書の購入費も含む)は有限です。お金があったら、全世界の全ての資料を収集して利用者に提供したい、と考えている図書館員は多いと思います。

>確かに「多くの人がアクセスしたいと思う最大公約数的なコンテンツ」かもしれないけれど、『女の品格』とか複数冊買う予算があるんだったら、もっとまともな古典教養を完璧にそろえてほしいのだが…。みたいな。

これは、公共図書館の図書館員も頭を痛めている問題です。「税金で運営されているのだから、読みたい本を入れてくれ」という利用者の要望は大きいものなのです。(図書館員の多くは、基本的には、読み捨てにされるようなベストセラーを複数購入することの必要性には疑問を持っています。)利用者の要望が多くあれば、古典や教養書を多く揃えることは可能でしょう。

>▼そういうわけで、ふと思いついた「なぜ、図書館というのものは、存在するのでしょうか」。もしかしたら、デジタルアーカイブ論とか、図書館情報学とかの専門の人とかに聞いたら、いい答えが返ってくる質問なのかもしれませんが、上記のようなぼんやりとした疑問をもちつつ、ふと聞きたくなってみた次第です。

どちらも専門ではありませんが、近い分野にいるものとして、知っていることを述べました。ご参考になるとよいのですが・・・。

この回答への補足

おお、だいぶ、ご存じの方から回答をいただけたようで感謝です^^

*識字率が低かった話はそういえばそうだよな…!と膝を打ちました。となると、たぶん17世紀~19世紀ぐらいにかけて役割が変化していく感じでしょうかね。そこらへんの時期って、美術や音楽も大衆化が図られていく時代とセットになっているはずなので、作品の制作技術とかの近代化と全部同時進行みたいなかんじかもしれませんね。ちょっとその同時性はおもしろそうです。
*専門書や白書等の出版物が高価すぎるのはよくよく存じております…。ただ、あの手の高価な本にアクセスしようと思うと、一部は本当に東京の国立国会図書館にまで行く他ないので、それこそ地方在住者にとっては大きな負担になっているようにも感じます。なので、オンラインデータベースにもっと手厚い助成金を付けて行く、というのは一つの手なのではないかな、と。
*地域資料の話は頭からすっぽりと抜けておりました。確かに郷土史の本とか、よく地方の図書館とか行くと置いてありますね。あれは、確かに出版点数すくないから図書館で保護しないとつらそうです。ただ、ああいう流通経路を見つけ出しにくく、出版しても赤字にしかならなさそうな出版物こそ、紙の媒体にこだわるのを止めていってもらえればという感じがしますが。
*「その分野の専門知識を持った図書館員」というのも、なるほど、と思いました。図書館員の個々人の方がどうこうというのではなく、図書館員の資格をどのように儲けるかとか、図書館員の採用制度の問題でもあるのかもしれませんね。そこは行政の判断で対応してもらうべきところのようにも思いました。
*また、AV資料の著作権上の扱いも、勉強になりました。そこは図書館行政で対応すると言うよりも、著作権法の枠組みを変えてもらわないとだめなんですね。
*利用者からの苦情も、なるほどなぁ、と。確かに中小の図書館員の方は、近所の方から苦情を言われると対応に苦慮しそうですよね。それはわかります。それを考えると、中小の図書館で対応できるのはせいぜい、手塚作品ぐらいで、あとは専門図書館とか、大手図書館に任せるという方向で当面やっていくしかない、とみんな思っているというような状況なのでしょうかね。
*草書体などの稀書類の話もわかりますが…ううん、ちょっと突飛かもしれませんが100年後のことを考えてみると、つまりそこは「宝物」として図書館の機能のほうに行ってしまうのかもな、という気がしました。もちろん、価値はあるのでしょうが、公共性という点での価値はやっぱり全電子化された後にはだいぶ下がるのかな、と。もちろん、アナログデータのほうが今のところは圧倒的に読みやすいので、「手にとって読みたい」という要望があと30年から40年はつよいだろうと思うのですが。
*デジタル情報を対立するものだと考えていない、というのもわかります。が正確には「必ずしも対立しない」という程度で、すべての場面で価値に競合性がないわけではないとは思うんですね。やっぱり、利用価値に競合性が存在する部分はかなりの領域であるのかなぁ、とは思うのです。競合する部分と、競合しない部分を分けて論じる、ということをやっていらっしゃる方も今はけっこういらっしゃるのかな、という気がしますが。
*有料のデータベースの入手が一般人に困難というのも確かだと思うのですが、それこそ、図書館行政にかけている予算をそっちに回してもらって、一部の有用な有料コンテンツを一般にアクセスしやすいものにしてもらえばいいのではないか?という議論が成り立つとおもうのです。
*ベストセラーは、やっぱり図書館員も頭を悩ませているのですね(笑)まあ、利用者の要望がベストセラーに集まるのは、あたりまえといえばあたりまえですものね。せめて複数冊購入を止めてくれればな、ぐらいには思うのですが。

補足日時:2008/02/03 00:52
    • good
    • 0
この回答へのお礼

*と、あと、同人誌については、同人誌の制作者が「協力する気がない」という言うのは、やや酷なようにも思います(…といいつつ、わたしのほうこそ問題提起的に書くために酷なことを書きましたが 笑)。彼らはほとんど、「国会図書館が同人誌を欲しがっている」という情報にアクセスできたことがないのではないか、と。…というか、ほんとに同人誌納入したら保存してくれるのか…。みたいな気分だと思うのですが…。わたしも初耳でした…。


 ということでありがとうございました^^
 つまり、わたしの今まで言ったをまとめると…

1.行政が図書館にかけている予算を再検討し、民間のオンラインデータベース作成などの助成金にもっと回したり、無料公開のための取り組みを行ってはどうか。
2.著作権法の改正も視野に入れつつ、公的機関による「文化」の保存・アクセスのための必要な法制度をつくりなおすことが考えられてもいいのではないか。
3.同時に、図書館員の人事/採用制度の見直しをはかってもよいのではないか。

 というあたりでしょうか。
 基本的に
「インターネット時代において、万人が文化へアクセスするための公共性をどう再設計するか」
 という議論ができるのではないか、ということが言いたかったのかもしれません。宝物庫としての機能はもちろんあるのでしょうが、情報アクセスの公共性という機能では、インターネットと競争環境にあるのは間違いないと思います(全て、とは言いませんが)。もし、「有料の情報は公共性がない」というのであれば、それを公共的な状況に変えればいい話で。そもそも図書館は有料の図書を、あれだけお金をかけて揃えているわけですし…。

お礼日時:2008/02/03 01:32

データベースもインターネットもない時代、本が出来てから数十年前まで、調べ物をするには図書館のようなものが必須だったと思います。

他によい方法はないですから。しかし、質問者の方が書かれているように、今はそれ以外の手段もすこしずつ実用になってきました。

私は、将来は今の形の図書館も、新聞配達・書店・CD店もなくなって一体化すると思います。

CD店や新聞配達は近い将来なくなりそうですよね。
もう少し先の将来、今の紙に印刷したのと同じような使い勝手で電子情報が見られるようになるでしょう。出版社・新聞社はあっても書店というのがなくなります。

その先の将来、今のような数万冊くらいの本が置いてある中小の図書館というのは存在価値を失ってなくなります。大きな図書館は情報資産(文書だけでなく音や動画、図面、プログラムetc)のデータベースとそのバックアップ(印刷された本も含めて)を管理する施設となる思います。
個人はそこと通信して、古いものや対価を要求しないものは管理費用のみで、新しくて権利者が対価を要求するものはその対価を払うと利用できる、というようなものになるのではないかと予想します。
きっと、この設備は(このころも日本語圏での英語優位が変わらないとすれば)「らいぶらりぃ」とか「ああかいぶ」と呼ばれると思います。

この回答への補足

おお、ラディカルなご意見がきましたね!

CD店舗と、新聞配達は確かに極めて危機的ですよね。いまのところ、まだまだ、「もの」にバンドルされたメディアのほうが商業的な支配力は強いですけれども、わたしなんか、書籍以外は、新聞もCDもそんなになくても平気だなー、みたいな気分もしますし…。

書店というのがなくなって新聞配達もなくなって、出版社・新聞社がのこるというシナリオはしかし面白いですね。書店がなくなるとなると、トーハンとかの書籍流通業者もつぶれるのかなぁ。新聞社は、配達をしている全国の大量の人間のクビを切らなくならなくなるので、ほとんど社会問題に近いレベルのはなしっぽいですよね。

まあ、それはさておき。中小の図書館の存在価値というのは確かに極めて微妙になってくるだろうという、karashina1さんの意見は同意です。ただ、書籍という形が未だにアクチュアルな意味を持っているとすれば、子供向け絵本とか、紙芝居の貸し出しとかはすごく意味があるのかなぁ、と。あと、美術関係の印刷の精度が問われる系の出版物は、「紙」というメディアであることに、あと数十年ぐらいのあいだはなかなか強みが崩れないような気もします。

 図書館が中央サーバーみたいなものになるかも!という発想はおもしろいというか、充分ありうる話だという気がしました。というか、青空文庫の運営とかが、全部、公的機関によってなされるようになっていても何の不思議もない。

補足日時:2008/02/01 17:44
    • good
    • 0
この回答へのお礼

(つづき)

>個人はそこと通信して、古いものや対価を要求しないものは管理費用のみで、新しくて権利者が対価を要求するものはその対価を払うと利用できる、というようなものになるのではないかと予想します。

 この話は非常に面白いと思いました。ぼくもまったくそーすりゃいいんじゃないか、ぐらいに思います。いずれにせよ、インターネットの到来で、現行の著作権法は大きく再度設計をしなおさなければいけないわけだし。今の図書館って、実は図書館の近くに住んでいる人が、無料でコンテンツを見る機会をすごく沢山得ていて、充実した図書館の近くの住人は「すわっ!?おまえらP2Pユーザー!?」みたいな状況に近い利益をもっている。(というのは、もちろん言い過ぎであり、比喩であり、釣りですが。)
 図書館に行くのだって交通費かかるし。今の「土地」にバンドルされた、図書館の制度は、万人が平等に文化を享受するためにも、実はよろしくない。一時間30円とかのネカフェから、素晴しい人類のコンテンツ(!)にアクセスできたらそっちのほうがよっぽど平等かもしれない。
 で、あと、図書館で閲覧すると、タダになるということの理由は実際にもう少しぐらい検討されてもいいですよね。いま、図書館のシステム上タダということになっているけれども、たとえば、「日本人全員、一ヶ月2000円分の本の閲覧まではタダで、それ以上は著作権者にお金をはらうよーにしなさい。サーバーでポイントシステムで管理するからヨロシク!」みたいなシステムにすることも可能ですよね。だいたい月2000円ぐらいの本を閲覧できたら、それなりに文化的な生活ができると思うので、いいんじゃないか、とか。

お礼日時:2008/02/01 17:46

大学の図書館の方は、結構このあたり(図書館の存在意義)を気にされているようです。



どういう図書館か、にもよるんでしょうが、大学付属図書館あたりだと、(個人的には)
・オリジナルの資料の収集、整理、保管
を期待したいです。(資料の形態は電子媒体でもいいので)
インターネット上を流れている情報って、流す人の解釈、取捨選択がはいっていたり、サーバの運用停止で情報が無くなったりするので、「大本の情報を確実にみつけることができるところ」的な意味合いをもった運用もありかなと。

地区の図書館みたいなところも、書籍の共同利用という形でまだまだ存在価値はあるかと思います。(ただ、この先、さらに情報ネットワークが整備されていくと、どうなるかは、、)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

やっぱり大学図書館の人は気にしてらっしゃるんですね。

で、さて、オリジナルの資料の収集・整理・保管はたしかに期待したいですねぇ。ほんとにベストセラーとかに一円も予算はかけなくてもいいので…。
 「インターネット上を流れている情報」の話はやはり、どうも話のレイヤーを分けないと印象が偏りますね。個人Blogと、Wikipediaと、CiNiiやJSTORと、OxfordEnglishDictionaryと、日経BPの新聞DBもぜんぶおなじインターネットという仕組みの上に乗っていますが、これらはいずれも別のものだろう、と。個人BlogやWikipediaに対して国が補助金つける云々というのはちょっと置いておいて、CiNiiやJSTORとかは、インターネット上の情報とは言っても、ぜんぜん意味が違うと思うので…。インターネット経由で拾える情報には間違いないのですが。

それと、地区の図書館という話をすると、たとえば、青空文庫のようなものが今後どんどん利便性の高いものになってきたときにどうするか、ということですよね。今や、携帯でも青空文庫が読めると思いますが…。パケ代定額だかなんだかにして、大きい画面で読みやすい携帯とかが出てきたら、「古典」を揃えておく場所としての価値も地区の図書館は、どうなっちゃうんだろうという感じになってきますよね…。

お礼日時:2008/02/01 17:11

「読み物」に限定してしまえば、図書館は必要ないかもですね。



でも、調べ物をするときは図書館必須だと思います。
情報ソースがインターネットって・・・まだ世間的な認知が低い分、例え
有料サイトの情報であったとしても、書籍の引用とはソースとしての扱いが
低いのが現状ではないでしょうか。
まぁ、公的な機関から発表された文章なんかはPDFでも配信していて、
そのまま引用していますが。

あと、欲しい本を好きなだけ買える人や、問題なくインターネットに接続できる人
には図書館の存在意義はないかもしれませんが、貧乏学生なんかだと
図書館で本を借りて読んだりするのをよく見かけますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

*なるほど。たしかに、その情報ソースとしての信頼性という話はあんまり言及しませんでしたね。でも、インターネットのほうがいい面もやっぱりあるんじゃないか、とはおもいますね。……それはWikipediaで引用するのがいい、といっているわけではなくNII(国立情報学研究所)とかが頑張ってCiNIIとかをつくったり、Googleが「Googleスカラー」とかを作っていますけれど、CiNIIに掲載されている専門論文のpdfとかは、新書の情報なんかよか、よっぽど信頼性たかいと思っているので。「インターネット」全体はもちろん、いいかげんなもんだと思っていますけれど、おっしゃられているように、官公庁が発表しているレポートとか、学者の書いてる論文のpdfとかは、ぬるい新書よりも、よっぽどましかな、と。

*情報の公共性の問題(憲法25条的な「文化的な最低限の…」)の話は非常によくわかります。
*ただ、ぼくは東京暮らしですが、でかい図書館にすぐアクセスできる生活をしていないと、結局図書館ってなかなか利用しづらいんですよね。土日も日中はけっこう急がしいし…。
*あと、貧乏学生のことを考えた場合、たとえば、行政にとっての選択肢の一つとして、1.インターネット上のコンテンツをより豊かにし、2.インターネットアクセス環境をより充実させる(ネカフェを超安くできるようにネカフェに補助金だすとか。)とかっていう、行政の金の使い方とかも考えられるのかな、と。……あくまで思考実験ですが…。ぼくはなるべく多様な図書館がいろいろ無いと困る人でもあるので、インターネットにぜんぶとってかわられたら、ヤーメーテーという感じもありますのが、上記のような政策が発想として出てきてもいいかも、と。

お礼日時:2008/02/01 16:59

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!