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医者に今すぐにでも行きたいのですが年末年始のため診てもらえないので不安を紛らわせるために質問させてください。
 
 二日前から小学生の頃の危険な目に遭ったことを何回も蒸し返してしまいます。結果的にたまたま無事でしたが「もし少しでも違っていたら惨事になって死んでいたかも」と思うと怖くて耐えられません。今までは結果的に無事だったからそれほど気にならなかったんですが、よく考えてみるとどうしても深刻にならざえるをえません。考えても何も変わらないことはわかってるんですが、どうしても後ろ向きになってしまいます。
 
「あれほどギリギリだった状況でPTSDにならないわけがない」とか「普通あんな体験で前向きになれるわけないダメに決まってる」と自分で決め付けてしまっています。あの状況を考えると自分が今までよく何ともなかったなと思ってしまい、これからストレス障害が起きるんじゃないかと不安です。
おととい以来考えれば考えるほど怖さと執着が増しています。
一蹴して前向きに
なりたいのですが上記の先入観がありなかなか前に進めません。

そこで質問なんですが、きわどい危機一髪的な状況でもあまり引きずらず前向きになれる人(おととい以前の自分のように)はいるんでしょうか。どうしても「もし違ってたら」とか「始めからあんな行動しなけりゃ回避できたのに」とか思ってしまいます。

(ここ半年くらい色々あり、以前より命に対して執着心が強く安全に対し慎重になっています。)

A 回答 (7件)

私なんて軽いもんでしょうが、少しでもお役に立てれば幸いです。


私の危機一髪は・・・一酸化中毒で病院へ行き、玉突き事故で大型トラックに追突され、台風の日に乗っていたバスで横の座席に大きな看板が直撃(バスは走行不可能)。
大したことはないことばかりですが、何の後遺症もPTSDもありません。だって、無事なんです。私ってなんてラッキーなんだろうって考えてしまう。きっとおバカです。
質問者さまはいろいろ考えすぎてしまうんですね。元気に暮らせてることを幸せだと感じてみませんか?結果的に無事だったなんて素晴らしいじゃないですか。
>「始めからあんな行動しなけりゃ回避できたのに」
いえいえ無事なんですから回避できてるんですよ。

ご自分で暗くなっていく理由が分かってらっしゃるようですし、もう少し気楽になってください。趣味など夢中になることや没頭できることはないですか?考える暇があるから思い出してしまうのではないでしょうか?(←安直な考えでもうしわけないです)
命があることに感謝して日々をすごすことが大事だと思います。

慰め程度にはなりましたでしょうか?少しでも元気になってくれると嬉しいです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりましたがありがとうございます。
そうですね、考える暇がいくらでもあるので考えてしまいます。いったん深刻になるととことん粘り強く考え抜いてしまうのでそれが悪く作用しています。今は、自分が肥大させた恐怖心が心にすっかり住みついてしまったような状態です。執着を手放さないとますます肥大化しそうです。
確かに、もう少しいい加減に生きてみることが必要かもしれませんね。かなり人生を深刻に思いすぎていました。まあ、無事だったことにとにかく感謝すべきですね。はじめからそうなる運命で助ける運命だったと仮に思うと少し楽になりますね。ただ切り替えが下手なので何か他の事に没頭していくなかで自然と「まあいいか」となれる時がくるのを気長に待っています。(むしろ自分の身に慎重になるよりも人を助けるようなことに従事すれば何か大切なものが感得できるのかもしれません)

どうもありがとうございました。多少楽観的になれました。

お礼日時:2007/12/30 00:18

私は車に轢かれたことが3回あります。


1度目は両足骨折
2度目は無傷
3度目は足が2箇所手が1箇所骨折して6ヶ月以上入院
という命の危険にさらされました。

ですが、結果的に今では後遺症も残らず普通に生きています。
私も心の病にかかった事があるので前向きになれない気持ちは
とてもよく解ります。

>自分で決め付けてしまっています
だけど、それはとても危険な思い込みである事に早く気付いてください
でないと病気になり自分も自分の周りにいる人たちも不幸にしてしまいます。

質問の内容を読んでいても、何かが悪い訳ではなくて
自分で自分を追い込んで追い詰めてしまっている印象を受けます。

神様でいうと疫病神の影響が強く出てしまっている様です。
でも心配は要りません
厄病神は名前が示しているように神様なのですよ
自分が病気である事を教えてくれて
それに対処することで(病院に行ったり・カウンセリングを受けたり・
ここに質問してみたり)結果的に病状が悪化する事を防ぎ、
解決の糸口を教えてくれる神様なのです。

もう少し結果を大切にしてみては、いかがでしょうか?
今とこれからに目を向ける様にしてください。
あれだけ危ない事をしても何とも無かった
自分は運が強い(自信過剰になってはだめですよ)

あの時はあんな危ない事をしたけど自分は今も生きていられると
思えば、これからの日々をもっと大切に生きてゆく事ができるのではないでしょうか?

物事は考え方一つで良い方向にも悪い方向にも変わります。
その事に気付けば、済んでしまった事は笑って話すことができるようになるのではないでしょうか

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%AB%E7%97%85% …
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この回答へのお礼

loveinさん、ありがとうございました。
過度に心配性というか過去に一心に執着してしまって周りや今のことが見えなくなっていました(今も?)。今は特に何も問題はないのに過ぎたことを払拭しようとしていました。
確かに捉え方しだいで乗り越えられるような気もしますね。そこが立ち直るためには不可欠だと思うんですが、まだ今は「そのことを認めたくない」「なんとか浄化したい」といった気持ちもあって揺れてる感じでしょうかね。生きるためには前を向くしかないとはわかってるんですが
まだ心が完全に受け入れるのには熟し切れていないというか、ブレーキがかかってしまいます。
ただ、これからずっとこれを何十年と引きずる姿も想像しがたいのでそのうち自然と変われるような気がしないでもありません。
まとまりがないですが、loveinさんのアドバイスには感謝しています。ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/30 00:55

やっている病院はあるはずだよ~31日はあるはず



もう正月で休みだよね。ちょっと考えるのをやめてあなたのしたいことあるよね。楽しみましょうよ
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この回答へのお礼

そうですね、心のひっかかりが取れたわけではないですけど
楽しいことをしてみます。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/12/29 23:34

前向きになれない。


どこからが前向きでどこからが前向きでないのだろうか?
そのボーダーラインはどこなのでしょうか。

あなたの苦しみは、あなたにしか分からないけれど、蒸し返しては恐怖する事はあなたにとてもつらいでしょうね。
人は、何かしらの悩みを持ってはいますが、あなたはきっとそれを上手に処理出来ないタイプの人なのでしょうね。

まあ、私も上手に処理出来ないタイプの人間だから、トラウマなんぞ抱えてたり、メンタルヘルス科にもお世話になっているクチの人間ですけれど…

私の身内にはPTSD患者がいます。
彼は、朝の通勤途中で事故に巻き込まれました。
事故が起こってもう5年以上経っていますが、複雑骨折ではないですが、いろんな箇所の骨が折れ、食事や薬で骨になる栄養素を摂取しても骨は元通りにはならず、自分の腰の骨を足に移植までしましたが、それでも体は完治しておりません。
その上、PTSDを発症してしまいました。

彼は、「僕は今、ただ単に生かされているだけだ」と言っていました。
母親に「こんな事を言うのは何だけど、死んだ方がマシだった。」と言っていました。
そんな台詞が出てくる程、彼の肉体や精神はボロボロで、昔の様に肉体が戻るワケでもなく、先が見えない未来や不安を抱えて今を過ごしています。


危機一髪的な状況をうまく回避して、引きずる人もいれば引きずらない人もいるでしょう。
要は、起こった出来事に対する受け止め方の違いだと思います。
ただし、PTSD患者にそれは当てはまりませんが…

また、物事を勝負する時に出てくる言葉で、「運」というものがありますが、あなたは「運」が良かったから今、いろんな事を見たり聞いたり考えたり出来るのだと思います。
危機一髪な状況からあなたはうまく回避出来るだけの能力が、小学生の頃に備わっていたのだとは思えませんか?

そして、あなたのつらい過去があったからこそ、今のあなたは命というものの大事さを痛感していらっしゃるのでしょう?
命の大事さを痛感出来る事は少しは前向きではないのですか?

過去に恐怖する事は誰にでもあると私は思います。
私の場合は、あなたの様な事故に巻き込まれそうになったのとは違いますが、姉の様に慕っていた大切だった友人を病気で亡くしました。
その友人は、死ぬ直前まで自分が死ぬ事を分かっていてもそれでもなお、周りを気遣える程の心の強い人でした。

私は、長い闘病生活をしている彼女に「頑張れ」と声をかけた事があります。
亡くなった後に、彼女が死ぬ事が分かっていて書いていたブログを見たのですが、自分が彼女を「頑張れ」という言葉の凶器で殺した様な気持ちになりました。
それが何年も続いて、苦しかったです。
ネット上のメンタル系のサークルで相談した事もあります。
幸い、カウンセリングの資格を持った方がおられたので、凝り固まっていた考えが「…と思っていてもいいのかな?」と思える様になり、今は、時間が経ったおかげで、自分を許せるようになりました。
それはきっと彼女が許してくれたのだと思っております。

と、話がだんだんそれて行きましたが、あなたのつらい過去の経験を活かして、危険から回避する様に慎重に行動する事も前向きな行動だと思いますよ。

診察を受けるまでは、いろんな人の意見を聞いたりして、不安に陥ったり、気分が少し楽になったりするでしょうけれど、あなたが今過去を振り返って感じている事を箇条書きにしておくと良いと思います。
そうすれば、スムーズに診察を受ける事が出来るし、医師もアドバイスを出しやすいと思います。
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この回答へのお礼

どうもアドバイスありがとうございます。
自分だけが危機的状況を経験しているわけじゃないとはわかってはいるんですが、今はその過ぎたことばかりを思い出してしまって朝目覚めてもそのことが気がかりでとらわれている感じです。
やはり1人で抱え込んでいると寛容さというか心の器が小さくなってしまい、自分にこんな危機的なことがふりかかっていたという事実を受け入れたくない受け入れ難いという気持ちが溢れ心の容器に収まらず溢れてしまうといった状況でしょうか。
この寛容さや受け入れる力をつけないとずっとこの状況は続くかもしれません。今のところはどうしても受け入れられない状態ですが、自分以外の他の人の意見などを聞くと「大丈夫かもしれない」と少し思えたりもしています。
不安な状態だったのでこのようレスポンスをもらえ非常に助かりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/12/29 23:57

>falstさんは小さかったということもありあまりそのことは覚えてないんですか。

そのことを振り返れてるようですが、あまり執着とか不快感みたいなのは現在はもうないんでしょうか。

小さい頃の事ですが、覚えていますよ。3歳のころのはさすがに詳しくは覚えていませんが、飛び出して走行している車の横に顔からつっこんだようです。かなり鼻血が出たのはなんとなく覚えています。
5歳のときは左横腹に追突されて、宙を飛んで右頬から地面に着きました。丁度幼稚園のバックを左側に下げていたらしく追突した衝撃吸収してくれたみたいです。
顔のほうの傷が結構酷くて、大きなガーゼを長期間貼り付けてた記憶があります。
小学生のときは、自転車に乗っていて電柱と家の間を通っているときにその家から車が出てきてぶつかりました。このときは軽い打撲ですんでいるのでたいしたことは無かったですね。

事故にたいして執着や不愉快な気持ちには特になりませんが、歩行者として車道を横切る時は無意識にでしょうが慎重に渡りますね。周囲をかなり見渡してから渡るようにしています。
そのお陰でそれ以降は事故にもあっていませんし、そう考えれば注意をして車道を渡るということを身を持って覚えたということでプラスになっているのかもしれません。
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この回答へのお礼

わざわざご回答ありがとうございました。(詳細に説明してもらいすみません)
そうなんですか、今にプラスにつながってると思えば少し捉え方も変わってきますね。自分の場合は不注意というより進んでの愚行なので、どうして死にに行くようなあんなことをと自分を責めてしまう気持ちがありますね。「なんで」とかいろいろ真面目に考え出すといよいよ深みに
はまってしまうのでいけませんね。執着はキリがないので、とにかく無事だったという結果だけを受けとめて今の人生にカムバックしたいです。
二度も投稿ありがとうございました。感謝しています。

お礼日時:2007/12/30 00:32

はじめましてこんにちわ!


Hackensackさんは、最近ちょっと色々あって心が過敏になってらっしゃるようですね。
多分はやく専門のお医者様に診ていただくのがいいのでようが、書いてらっしゃるように年末年始ですもんねp(´⌒`q)私の文章なんかで少しでも気分がまぎれてくれると嬉しいのですが。

私は単車が好きで若い頃から400CCの単車に乗ってきました(今は100CCの原付ですが…)。3回ほど事故をし、その内一度は救急車で運ばれちゃったんですが、確かにあの時後続車に轢かれてたら(実際後続車はいたのですが避けてくれたのです)今ココにいないですねー。。。゛(ノ><)ノ
考えると怖いです。怖いですけど、なんで引きずらずに前向きなのかというと、多分「私なら大丈夫なんじゃない?」「死なないんじゃない?」という、ある意味「何の根拠があるねん!?」といえるような自信があるのでしょう。なんの保障もないですよ。無意味な自信です。

Hackensackさんもおとといまでは、意識してなくてそんな感じだったのじゃないですか?
心が風邪をひくと疑心暗鬼になりがちなものです。

どうすれば戻れるのか?
専門医にかかるのが一番の近道ですが、体の風邪の時は暖かくしてお布団で寝ますよね。やはり心もお布団で寝た方がいいのです。
Hackensackさん。あなたの心はしんどがっています。思いつめて自分をいじめないようにしましょうよ。楽しいなって思えることをして、自分を助けてあげてくださいね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。事故に遭ってしまう人はそれほど珍しくないのに自分のケースだけが特殊で怖いものだと思い込みがありました。

小学生の頃は本当に危険な自転車の乗り方をしていて自分から死ににいっていたようなものでした。それでも最近までは「はじめから助かる運命だったんだ」くらいに思っていました。しかし一度立ち止まって考え込んでしまうと深みにはまってしまいますね。一昨日もさらっと流せていたらおそらくこの先も何も心配にならずにすんだでしょうね。

lasukuokaroさんのいうように楽しいことをして前向きになるべきですよね。それこそ昔のことに捉われていて考え事をしていたがために実際に事故に・・なんてことにこれからなりかねませんもんね。過去よりも現在の人生に関心を戻さねば。

どうもありがとうございました。多少落ち着きました。

お礼日時:2007/12/28 17:18

危険な目の内容というかレベルが解らないのでなんともいえませんが、



私の危険な目というと生身で3回ほど車にはねられていることでしょうか。3歳5歳小学生の頃でしたが、一歩間違えれば即死でしょうね。もちろん大怪我はしましたが、身体的な後遺症もないです。
もし違った行動を取っていたら事故に会わなかったのになとはたまに思います。

ただ、危険な目にはあったけど、軽くすんで良かったなーとか、ぶつかったのは別として、運が良かったなー(バックを腰につけていたお陰で軽傷ですんだのかもとか)と思ってます。前向きというか助かって良かったという気持ちのほうが強いです。

貴方の内容がもっと重いような内容であれば、なんとも言えませんが、やはり助かったのですから、神様(信じていませんが)が助けてくれたのかもしれませんね。
助かったということだけを考えて、良かったなーと考えてみるのはどうでしょうか。一番いいのはそのこと自体考えないように、映画を見るとか別なほうに思考を向けてみるのも良いのではないでしょうか。

年明けしても、ずーっとその考えが続くようなら病院に行くのをお勧めします。

この回答への補足

falstさん、回答ありがとうございます。
自分の場合も似たような感じなんですが、小学生の頃は自転車を危険な乗り方をして調子に乗って自分から進んで(?)ブレーキかけずに突っ切ろうとし横から接触すれすれくらいに接近されたようなんです。
なんであんなバカなことしたんだろうと思います。
falstさんは小さかったということもありあまりそのことは覚えてないんですか。そのことを振り返れてるようですが、あまり執着とか不快感みたいなのは現在はもうないんでしょうか。(もし気を悪くされたらこの補足は流してくださいね)

補足日時:2007/12/28 16:55
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