アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

私は最近アポカリプトという映画を見ました。この映画はマヤ文明を舞台に繰り広げられていく映画なのですが、映画のシーンで主人公の部族?が捕虜にされ、生贄にもされてしまうシーンがあると思います。
マヤ文明の時代に、心臓を神にささげて、首を切るという方法wo
本当にやっていたのでしょうか??
ちなみに、Wikipediaにはこの方法はアステカ方式と書いてありました。

また、なぜ捕らえた部族だけがあの方法を取っていたのでしょうか?
この映画を見たかたで、マヤ文明とこの映画を詳細にかつ、わかりやすく説明していただけないでしょうか?特に生贄のシーンの際になぜ青く塗られていたのでしょうか?また、生贄の場に着くまでに、強制的に労働を義務付けられていた人達など・・・。
お願いします。

宜しくお願いします。

A 回答 (4件)

大変うろ覚えで申し訳ないんですが、ユカタン半島などから栄えていったマヤ文明は、多くの部族が長い間(前1000年辺りから)攻防を繰り返していて次々と小都市国家が興亡していました。

そのため相手の部族の戦闘員を生贄にささげ平安を祈ったり、戦争の勝利を表したりしていたようです。さらに中央高原辺りでは、作物の取れ具合や水の確保のために雨乞いの儀式など、多くの子どもや人間を生贄にしていました。私はメキシコシティーに旅行に行ったとき、生贄にされた人々の骨や頭蓋骨が多く残る神殿と祭壇を観光しました。また、臓物を入れた石の箱のようなものや、レリーフを博物館で見ました。不気味でしたがそういった文化だったようです。強制的な労働などはよく分かりませんが彼らは多くの神殿やピラミッドを作っているのでそこに使っていたのかもしれません。彼らの文明は鉄器の道具、武器を製作することなく人力で農耕を行っていたので、そういった労働力は必要だったかもしれません。
ですがまだまだこの文明は解明され続けている段階なので、ウィキじゃなく発掘を協力している大学のHPなどで調べてみると面白いですよ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。まだまだ謎が多い文明のようですね。
大学のHPを使って調べようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/29 15:56

マヤ、アステカの文明における生け贄は実際にあった風習で、その光景が遺跡の壁画に描かれています。



青く塗られている事はなかったと記憶しています。

マヤの絵文字は解読不能とされていましたが、近年遺跡の壁画から一部の解読が進み、王の名前、事績などが判明しつつあり、その全貌が次第に明らかになると思われます。

マヤでは国営の球技があって敗者は全員殺されるという風習もある位殺伐な時代でした。
    • good
    • 0

生贄=スケープゴート


はどの世界でもあります。

学校で1人イジメを決めれば、自分は安全です。
社会で、仕事が出来ない人間が居れば、自分は出来る事になります。

集団で、落伍者が出れば、周囲は優越感でその1人を追い込みます。

日本でも、人柱、姥捨て、間抜きなどの隠れたスケープゴート
はあったようです。
ネーミングから、決定された者であったようです。

また、
ヤギ1頭を神にお礼に捧げる。
から、兵馬俑に見られる主と死を共にする。(代用品で逃げる)
まで、

生贄と言う広義の解釈は「尽きる事が無い。」
人間はあまりに弱く、「自己を守るために人を犠牲にする種族」
とも受け止められます。

生贄は、神聖な物で、喜んで命を神に捧げなければならないとあり、
名誉でもあったようです。

この観点より、
>ヤギ1頭を神にお礼に捧げる。
に近い、
勝利のお礼とも受け止められます。

が、アステカ(マヤ)文字は解読され初めていますので、
正しい文献と明確な学者の意見を参考になされて下さい。
    • good
    • 0

そんなのミンナ憶測なんです。



見てきた人。あるいは経験した人の証言なら信じて宜しいが、それらは憶測に過ぎません。

信じたければ信じなさい。

信じられなければ信じない。

当然でしょう。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!