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幼少期に親に愛されない・虐待されるなどの、いわゆるアダルトチルドレンの人は、なぜその傷が一生消えないままなのでしょうか?

たとえ親に愛されなかったとしても、成長して他人と接すれば愛されることを通して癒えると思ったのですが、そうではなさそうですね。何十年とトラウマのように抱えて不幸に生きてる人がたくさんいます。このカテゴリーにもよくいます。

なぜ幼少期の傷って癒えないのでしょうか?
そういうのを治す研究ってされてるのでしょうか?

A 回答 (4件)

治す研究というか、心理学の上では児童、社会の面など色々なアプローチで、何故そうなるのかは研究されていると思います。

その上での臨床心理も地道ながらされているとは思いますよ。

何故傷が大きいか。3歳までの親との関係が、まず基本の信頼関係となるそうです。親との信頼関係を結び、家庭という社会、幼稚園という社会、と段々ステップを踏みながら人間関係が広くなっていくのですが、その根幹とも言うべきものが親との関係。大前提となるそうです。

しかし、まだアダルトチルドレンと言う言葉がなかったような昔の人など、飲んだくれのお父さんに殴られ、お母さんに捨てられ、と言った人でも何故立派に育つ人もいれば、幼少期の傷が言えずに家庭を持っても破綻する人がいるのか。

それは、親との信頼関係が上手く築けなかった人達でも、他にそれを育んでくれる、助けてくれる存在があったかないかで決まるそうです。虐待を受けてきた子でも、親戚の人、近所のおばさんなど、かくまってくれたり、愛情をくれたりして擬似家族のようにしてくれる人によって助けられると聞いたことがあります。そういう人達が回りにいたかどうかが鍵のようです。今は核家族化や、近所の無干渉化、プライバシーなどが強くなった分、捨てたものも、助けられなくなったものもあるのでしょう。

傷付けるのも人間なら、癒してくれるのも人間なんですね。
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傷が一生癒えないのか、また、改善する方法はないのか。

その点については、議論もされておりまた、いろいろな方法も模索されています。
少なくとも、全く手の打ちようがないという状況ではないようです。

さて、多くの場合家族というのは、「一番自分を愛してくれるもの」として認識されます。また、特に幼少期においては、他人(非自己という意味で)とのつきあい形のベースになります。
逆に言えば、家族の状況が、他人との関わりにおいて基準になってしまいます。
また、幼少期に愛されなかった場合、多く見られるのが「他人がおまえを亜してくれるはずはない」という刷り込みです。

この結果、「親からも愛されないような価値のない自分」という、自己否定の感覚がうまれてしまいます。
特に、自己否定は、長い間に形成される傾向があります。思春期(以降)に問題行動が見られる場合、これが、そこまで育ってしまった自己否定感の臨界点だったという場合もあります。

さて、このような状況から、「愛されない」「自己否定」が定着すると、これが、回復を妨げることになります。
わかりやすい例として、誰かにいじめられたとします。ここで、自己肯定がしっかりしていれば、「相手がいじめっ子だからいじめるんだ」と考えます。自己否定感に支配されていれば、「自分はいじめられるような人間なんだ」と考えます。

自己肯定感のないまま無防備に「他人と接する」と、以下のような考え方をしがちになります。
・自分に興味を持ってくれる人はいない。親しそうにしてくる人は、自分を陥れようとしている。避けなければならい。
・自分は彼(彼女)に嫌われている。好かれるようにしなければならない。どうしたら気に入ってもらえるだろう。
この傾向が続けば、端から見れば、不幸な人間関係ばかりが続くことになります。当人は、不幸な人間関係も、自分のせいだと考えてしまいます。

さらに、幼少期に愛されなかったにもかかわらず、故に、親に対して反感を持っているにもかかわらず、「親を愛することのできない自分はだめな人間だ」という思いまで抱くこともあります。

実際の問題は、こんなに類型的に割り切れるものではありません。
ただ、傾向としてはこのようなものだと思います。

これをふまえて、傷をいやすような動きも盛んに行われています。

参考URL:http://trauma.or.tv/index.html
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研究はされていると思いますよ。

但し、日本が「先進的に」と言う訳では無いと思います。はっきり言って”精神医療”については、日本は決して「先進国」では無いと思われますので。

さて、私は専門家では無いので、はっきりした答えを言える訳では無いのですが、あくまでも参考意見として読んで頂くと助かります。

例えばあなたが他の人の家で食事を取った時に”違和感”を感じた事は無いでしょうか?
例えば”味付けの違い””盛り付け方の違い”更には箸の持ち方が違ったり、おかずとごはんのバランスや口への運び方等。

私はそれと同じようなものでは無いかと思っているのです。

つまり、例えば虐待を受けて育った人は、それがその人にとって当たり前の事だった訳です。

味の好みや食事作法を変えるのが難しいように、幼児期からそれを”当然の事”として育って来てしまった人には、その”習慣”を変える事も難しい事になってしまうのだと思うのです。

実のところ、私自身も少なからずそういう悩みを持っていました。
現在でも決して”ごく普通の人”には成れていません。
ただ、私の場合は”治さなければ自分が苦しくなる”と言う事が分かっていましたので、少年期に自らその習慣を変える努力をして来ました。

その結果現在は幾らか楽にはなりましたが、現在でも人間関係等で時折「幼少期の自分」が顔を出してしまう事があり、そういう時には本当に”冷や汗”が出てしまうものです。

私は早くから自分の習慣の”異常さ”に気付いていたので、ある程度は治す事も出来ましたが、気付かずに成人してしまえば、治す為には並々ならぬ努力と苦痛が付きまとう事だろうと思います。

幼児期~思春期前半は人生にとって非常に大切な時期だと思います。
あなた自身も気付かない多数の習慣が幼児期に形成されている筈です。
その時期に不幸に見舞われた人達がいます。それだけの事です。

中には本当に傷が癒えずに苦しんでいる人もいます。
その傷を掻き毟るような事は出来るだけ避けて頂きたい、と願う次第です。
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私が友人の研究科目が幼児教育でしたのでお答えできる範囲ですが、



すり込みというう教育方法、また絶対音感、など、周りの環境に適応して才能を伸ばすといったものは3才以下の乳幼児に用いて効果的だといわれています。

比較対照を覚える3-5歳児にその傾向は顕著に見られ嫉妬、劣等感などの心の葛藤が芽生えるときでもあります。
よく、3才い離れたた兄弟は仲が悪いと言うのは、そのせいで、3歳ぐらいのときに甘えられない、思いが親に上手く伝えれない。新しく生まれた兄弟がうとましくおもう。そういうう感情がある。と言われています。

また、アダルトチルドレンと言うう人の内容には12-15歳の間の環境問題に関係があるらしく、学生になり偏差値などを突きつけられ感情的な考え方の強い人が劣等感を感じ、回りのせいにし、自分の気持ちがなかなか冷静になれず、母親が冷たいとか、父親がしっかりしていないなど、言い訳をします。
それをさかのぼり、3才のときに愛情がどうこう言うのはおかしい事で、現実に目をむけ、社会に順応し、客観的な考え方をしてゆけば問題は出ません。
ただ誰にでも悩みはあり、気の合う友人に理解してもらったり、関係が築ければ親がどんな人間で、誰から生まれ育てられよううと、自分がしっかりすれば、頑張れば、問題ない。
素直になれない事を19-20才になって言ってるのは自覚がないだけで、やろうと思うきっかけがない人だと思います。
大人になってから、人のせいにしたがる人も、冷静にになって考えなくても、子供だってわかることです。

研究とするのは自己啓発を研究しているところに聞くといいと思います。
性格分析をして、感情的か冷静な判断ができるかを測定して、自己責任能力を高めるトレーニングをします。

幼児期の傷。過去の事。OOだったなぁ的な考えで考える必要あるのかな??
そんなの昔の事じゃん。ではないでしょうか?
前向きに頑張れば過去の苦しみは忘れられるときが来ると希望を持つ事からはじめましょう。
答えは、本人が一番わかっていて、誰かにすがるのでもないし、周りはそっとがんばれと言うだけでいいんだと思います。
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