質問

質問者:pepsi16 足立区(綾瀬)の土地の歴史的背景が気になります。
困り度:
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稚拙な文章失礼します。
22歳大学2年生・男です。

ここ最近、引越しを考えていて足立区の「綾瀬付近」を視野にいれているのですが、綾瀬というところは大昔(江戸時代あたり?)、どういうところだったのでしょうか?(綾瀬の近くに東京拘置所(葛飾区)があるので気になりました。)

分かる範囲でいいのでよろしかったら教えてください。お願いします。
質問投稿日時:07/11/18 05:02
質問番号:3527232
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回答

良回答20pt

回答者:buchi-dog 荒川放水路
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E5%B7%9D%E6%94%BE%E6%B0%B4%E...

を見てください。

また、国土地理院のホームページで全国の2万5千分の1地形図が閲覧できますので、これで綾瀬周辺を見てください。標高を明示する三角点の記載がほとんどなく、「2.5」とか「2」とかの数字が辛うじて読み取れるのが分かるでしょう。この辺りには、周囲を見下ろせる三角点に適する場所が明治時代からまったくなかったため、三角点が設置できなかったのです。

この地域は、要するに「東京湾に注ぐ諸河川の氾濫原」でした。明治時代になって西洋の土木技術が導入され、最初に紹介した「荒川放水路」を作るような大規模な治水工事を行った結果、水害が抑制されて人が定住できるようになったわけです。

もう綾瀬付近は行かれましたか?電車の窓から見える荒川という大きな川は、現在では人家や工場などが密集する中を流れる大きな川です。この川が「100年前に人工的に掘られたもの」だと想像できますか?こんな大きな川を「新規に作れる」ほど、明治時代当時は何もないところだったのです。タイムマシンがあったら、荒川放水路が出来る前の様子を観察してみたい地域ですね。

脅かすようですが、もし東京に大雨が降って荒川の堤防が決壊したとします。その場合、標高が1メートルとか2メートルの綾瀬周辺は「泥の海」になるはずです。これは、最近タワーマンションが林立している臨海部も全く同じです。もちろん、国土交通省などは膨大な費用をかけて治水に努力していますが。

国土交通省 荒川の防水
http://www.ara.go.jp/category/09_pd/index.html
種類:回答
どんな人:専門家
自信:自信あり
回答日時:07/11/18 08:59
回答番号:No.2
この回答へのお礼回答ありがとうございます。
回答を読んで驚きました。ほんとに何もなかったところだったんですね。

回答

良回答10pt

回答者:hazu01_01 江戸時代は武蔵国足立郡の一部です。
江戸初期に綾瀬川が整備されるまで通行も困難な土地でありましたが、その後盛んに開墾され、○○新田と名づけられた土地でした。
江戸時代に江戸というと現在の南千住までを指しているようですので、南千住には小塚原刑場などの施設ができたのでしょう。
綾瀬はその外にありますので、江戸時代は江戸に近いただの農村です。
人の嫌がるものはその時代の都市部の外郭に置くことになるようです。ただ、時代とともにどんどん都市部は広がり人の嫌がるものが都市部に取り込まれて、また、その外郭に移動するわけです。
今で言えばごみ焼却場なんかそれですね(^^ゞ
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/11/18 09:43
回答番号:No.3
この回答へのお礼回答ありがとうございます。
綾瀬は「江戸に近いただの農村」で安心しました。
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