プロが教えるわが家の防犯対策術!

特にピカソやマティスの鉛筆描きでは、たんなる鉛筆の線から光と言うか、ぼんやりとしたオーラを感じ取ることができます。しかし、いったいなぜそのようなことが可能なのでしょうか? 単に「絵が上手」なひとからは、そういったものを感じ取ることはできません。(これはたとえば書画にも通じるのでしょうが)。

深い精神性の所作といえばそれまででしょうし、多くの芸術家はそのレベルに達するまでを一生かけて目指しているのだとは思いますが、「本物性」を獲得する精神と技術のプロセスはいかなるものでしょうか。こういうことを真剣に論じている本なども少ないように思われますが、なにかお薦めのものがありましたらご紹介ください。

(はじめ美術のカテに質問したのですが、美学の領域かと思って再度質問しています。)

A 回答 (41件中1~10件)

ほんとうは、とても書ききれるようなものではない事を、ここにてまとめておきます。





その後も いろいろありましたし、 もうすっかり私は九十九里浜の飯岡(出身地)のことなんて、忘れていました。

其の地を、その時、訪れたのも、たんなる旅行気分でした。 

「「「「おっ、 もしかしたらこの近くだったのかな?   

あれ、 そうだ。 知らない間に こんなとこまで歩いてたよ。

そーだよ。 あの角をまがったとこだよ。  そこを曲がれば 家のある細い坂道の上り坂があとすこしだったんだっけ。  

ん? 」」」 (其の時に私の心の中の描写です。)

「「「 ん?   いや違うな。 もうひとつ、こっちだ。 この角だ。」」」と

その角を 曲がったとたんのことです。  一二歩で、私の足は止まり、
まわりを見回していました。

うわああああ。 ここだよ。ここ。  妹といっしょに、はだしで海まで走っていった、 この道だ!   

奥に のぼり道も見えました。

其の細い、竹やぶの中の細道もそのままでした。 人足ごとなつかしさをたしかめながら のぼってゆくと、 ちゃんと あの屋根が あの時と同じに見えてきました。  そこで私は もう感極まって しばらくそれを眺めていたのですが、

ふと、其の家の向こうにさらに小高いところがあり其の裏の そこでよくみんなと転げまわりすべりまわって大自然の創ったままの砂の滑り台があったことを思い出しました。

そうだ、丘の下からも 回る道があったっけ。まだ同じようにあるのだろうか?

私は また人足ごと懐かしさをかみ締めつつその坂を引き返しましたが、ありました。 その道は確かに同じようにまだあったのです。

その大自然の滑り台にたどりつくと、私はどたっと身を投げ出していました。

其のとたんです。 私の背中は 歌を歌いだしました。 あれは歌です。

生きてる!!♪  生きている♪   生きていたんだ♪  生きてる生きてる♪♪

背中の砂が、どんなになつかしかったか。 

文章では、ここまでですね。  これ以上書きようがありません。

やがて、夕焼けが空をおおい、高く高く赤い雲が流れてゆき、荘厳な一番星を見、 静かな夜がおとづれるのですが、  其の静寂をいったい言葉でどうこれ以上表現できるのでしょか?

たった 15年ぐらいの時間の差、その重み、が、私の命にとっては、それはたったの15年なんていえる世界ではなかったのです。

やがて、気がつきました。 気がつく時がやってきました。

わたしは、鉛筆を握っていました。 線は砂を書いていました。

其の光を、其の上の空間を 一本の其の線は其の時たしかに、私の「感じる側の心」も写し取って 確かに引かれていました。

以上です。

あとは、私の方からは 書かないほうがいいのかもしれません。 長くなりすぎます。

でも、オーラについて(そちらのオーラについてです。)書きたかったのは何かについて、すこしだけ やっぱり触れてまとめておきます。

“本物性”の手ごたえは 其の砂の線だけでは訪れませんでした。 其の線によって其の線の上に遠近法からではない光の空間を書く技術がくわわってもなおその手ごたえはありませんでした。  おそらくそれだけでは、まだそちらが見ても其の「淡い光」は見えなかったでしょう。

その安らかな世界は、やがて人類にどうやっておとづれるのかのなにがしかとかかわる まさに人間性の世界についてのはるかなる先の思索の地点にある明るさが訪れるまでは、 そのたしかな手ごたえや自信はやってきませんでした。

そちらの直感(感じる光)の世界は 何か落ち着いた生活と懸命の研鑽と何かの真実の希求により、生じた それは奥の深い深い簡単にはとても書けない そんな貴重な貴重な直感の世界だとおもいます。

いや、そんなことは、もはや自明のことでしょう。

それよりも、其の先の 私の人間性への長い苦悩の闘いの道の方に やっぱり興味があるのだろうと思います。

でも、ここでは、 一応ですが、 そこから導かれた「明るさ」という概念は、いつか 細胞の中の動きとして科学が実験で捕らえる日がくるでしょう。  いや、もしかしたら 今回のノーベル科学賞の方の発見こそ、すでにそれを目で見れるものなのかもしれない。   もしそれが可能ならば、 其の「淡い光」と 其のたんぱく質の奥に見られるなんらかの動きとの照合が可能な日はもう来てるのかもしれない。    というふうにまとめたかったのです。

こちらの方からは一応 ここまでとしますが、

お互いがんばりましょう。 これからこそよりタフにです。
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すみません。

 つづけて ばーーっと書いたものがうまく表示できませんでした。 ネット音痴ですのでよく理由がよく解りません。

手短に書き直してみます。

ともかく その後、心も廃人どうようのような状態にもなり、肺炎も死のぎりぎりをくぐり、 もうおしまいだと子供子ごろにも自覚するような事態にまで陥ってしまったのですが、

カトリックの学校にそんな先生がいるはずがないと信じてくれていなかった両親もやっと、なんとかそこまでいってからですが、気がついてくれました。

転校させてくれ その転校先の学校から 千葉県は岩井海岸の近くの虚弱児施設に私を入れてくれたのです。

実はその施設にいたのは 実際にはたった4ヶ月です。 でも私の記憶の中ではすくなくとも4年はそこにいた記憶となっています。

時間と心の問題の、最初の大きな体験の世界です。

大人になるにしたがって時間が短く感じられる人は多いと思います。

また大人のいわゆる発散的な楽しみの時間も楽しいほど短く過ぎてしまう感覚を知る人も多いかと思います。

でも実際には、ほんとうに充実した新鮮な心が受ける楽しい世界は短くではなく 長い長い豊かな時間として感じられるのだ という体験を私をはじめて体験した世界、それがその虚弱児施設だったのです。

(この時間と心については、そちらも興味のあるところだと思うのですが、この段階では藝術の表現の深みと直接むすびつく段階の 時間とのかかわりではないと 表現しておきます。  楽しさという面では 本質的な時間感覚の深い体験ですので、 これもまったく「時間と藝術」にまったくかかわらないというわけではないですが、 そのへんについてこそ あとで描写してゆきます。)

ともかく 私はその施設についたとたん、つい何日か前に地獄だった世界から天国に来たことを知ります。   始めての日の着替えを入れる自分のグループの大部屋の押入れの桑折の匂いまで覚えています。 まったくちがった空気の中に私はいたのです。   

まるでいままでがあんなに苦しい高熱の息苦しい喘息が一週間のうち三日は寝込むほどひどかった世界が すべて仮病でもあったかのように、またすっかり忘れてしまったかのように、  その4ヶ月の間は、たった一度も喘息の気配すらなかったのですから、驚きです。

しかも 3ヶ月たった頃のことですが、 その頃廊下に張り出されていた太る率の棒線グラフにて、ひとりだけ三角形を飛び出して(二番の人を3分の1は飛び出していました。)いた その下に書いてあった名前は、もちろん私の名前でした。

わたしは、この施設でのことを、人にもとても4ヶ月なんかじゃないと思わせるだけの想い出描写として文章でも書く自信があります。  もちろんここに書ききれるものではありません。

それほど その時間は 地獄を抜けた私にとって楽しい豊かな時間だったのです。  

ここでは、その楽しい時をすごした象徴として、2点だけ簡単に表現しておきます。

なかでも特記すべきことなのでしゅうが、 ほんとうは総合的にしかこの楽しい世界を言葉で描写することは出来ないはずだと思っています。

しかし書いてみます。 

消灯時間がその施設にやってくると 騒いでいた子供達がやっと静かになるのですが、放送室から流れてきたクラッシック音楽、中でもアンダンテ・カンタビレーと、トロイメライと、ユーモレスクという3曲は毎日なぜかかかさず流れてきたのですが、 みんながそれを聞くと「おかーさん」とか言って泣き出すとところ、  私はそれどころではありませんでした(^^)、 音楽のほんの小さな音すら私のその時の耳は、いは全身全霊は聞き逃したりはしていませんでした。   例えれば まるで、私の全魂、全人生をさへ貫くような深さで私の胸の奥をその音楽たちはえぐっていました。

ありとあらゆる新鮮で楽しいことが続きました。 いや、ほんとうは、映画のモンタージュ(場面場面の組み合わせと積み重なりの具合で、心理までより効果的に表現する技術)のように、 重層的にしか その世界を表現できないのですが、

最後にもう一点だけ付け加えて この天国の世界のまとめとしておきます。

健康になった人たちが、施設を卒業してゆく日が私の場合4ヶ月でやってきたわけですが、 50人ぐらいはそういう仲間がいて、三日前にお別れ会をすることになっていました。

その頃の子供達は、後から先生に聞いても一番子供らしくてかわいかったとのことなのですが、 なんと全員がそのお別れ会で大声で泣き出してしまったのです。  私ひとりを除いてです。  私ひとりだけ泣きまねはしていましたが、 心の中で いったいなんでみんな泣いてるのか解りませんでした。

いざ、その日が来て、みんなが、今泣いたカラス状態のいよいよ親元に帰れる喜びで騒いでいた時も、 駅に向かって歩いている時も、 いよいよ電車がやってきたときも、   私はほんの少しも悲しくなんてありませんでした。

心の奥で《なぜだろう?》とは思ってましたが…。

とうとう電車に乗り込み そのドアが閉まった時です。 誰からドンドンと其のドアを叩いているのにきがつきました。

実は其の施設では、二十四の瞳に出てくる女の先生よりも、さらに、おそらくさらに心惹かれる女の先生との交流があったのですが、 其の先生が、     ドンドンと、 叩いていたのですが、

其のとたんなんです。 私が 人生で立った二回しか体験してないほどのたぶんバケツで受け取っていたらバケツいっぱいになってもこぼれ続けていただろう、信じられない涙の現象を知ったのは。

つまり、私には その瞬間まで  其の施設と別れることになるなんて、信じることはまったく出来ていなかったということです。

(つづく)

こうして 心身ともに 危なく命拾いをした私ですが、 後は 大きくはしょります。  次は 一足飛びに大学時代です。

そこで 私は この回答のここで今回書こうと思っている範囲の ある「歌と絵と踊り」の世界の原点の世界の体験をします。
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>私が知りたいのは「本物からどうして光が出るのか」「どうすればその光を出すことが出来るようになるのか」です。



その強い希求に向けての解答や、対話での回答を続けていこうとしていたのですが、  かなりの回数が必要であることが前提の書き方だったわけです。

いっぺんには回答できなかった理由は、ひとつです。

ルオーの作品について「もし文で説明するとしたら何百冊の本を持ってしても書ききれないメッセージをたった一枚の絵で語っている」という説明を読んだことがあります。

鉛筆の一本にタッチについての そちらの言われる「光」の内容について書こうとしても、 回答の幅は何百冊とはいかないまでもそんな簡単な描写で書ける内容ではなくなる時もあるかと思います。

私の場合の回答の場合がそうでした。

それだけ そちらの直感の世界は深く広い認識の世界とかかわるものだと思っているのです。

特にそちらのその希求の裏には 単に個人の願望というよりも、もっと広いこれからの教育への情熱とかかわる何かを連想してしまっていましたので よけいに大きな視野から回答を書いていこうとしてしまっていました。



ここは、まず私自身の、鉛筆画のひとタッチの“美の確信”にいたった、経緯から書き直してみます。

これ自体、手短には書けません。 何回かにわたる回答となると思います。 でもいっきに書いてみます。

その上での ひとまずの結論を書いてみますので、読まれてみてください。



わたしの生まれは 千葉県の九十九里浜の近くのあるこ高い岡の上の家でした。  海までは何キロかありましたが、 歩いてゆける距離でした。

幼い頃の私の記憶には、詳しくはともかく、広大な海の記憶、波の崩れ行く様、海からの半島の稜線、潮風、のどかな農道、 砂の大地の草花等々、太陽の光に包まれた大自然の思い出ばかりです。

それが 小学校は川崎のはずれの田舎の学校(川崎市は細長く、公害のある地域とは逆さまのまだ山や田んぼの多い田舎だった。)に入り、 そこでの健康で暴れん坊だった記憶もあるのですが、

父方の祖父がカトリックだったことで、田舎の学校にいたのは一年半ぐらいで、東京のとあるミッションスクールに転校し、 そこからがやがて、地獄の日々へと入り込んでいったのです。

学校の担任の先生の差別的ないじめが大きな引き金となっていますが、同時に小児喘息も引き起こしてしまったことで、 気管支炎や肺炎を併発し、 まず、体がどんどん弱っていきました。

田舎の学校とは、学力が まったく違っていたのと、受験校の始まりの時期にて、宿題が毎日出るのですが、 これが母も教育ままのはしりの中におかれ、 体の弱って行く中、夜遅くまで家にいるときは、ただなにもわからないまま、なにもせず机の前に座りっぱなしの日々が何年もつづきました。日曜日の外には出られませんでした。

(つづく)

身の上話が聞きたいのではないことはわかっています。 でもこれが 一番手っ取り早くて解りやすい事の説明の道筋と考えて ともかくつづけて書きあげさせていただきます。
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arayata333ですが、 書き直します。



“長くなってしまうところの解答”を書こうとして、あのようになってしまいました。 まずは対話を求め 対話を深めるべきでした。

今回は私のとある回答の紹介に絞ります。

他の人への回答なのですが、「美は社会に強力な作用を起こしえるでしょうか?」という質問への私の回答(先ほど書いたもの)のANO19に、

「美」についての、大きな視野から見たときの私の見方の一つを書いています。

その文は たぶん解りやすく書けているかと思いますし、 その考え方は、ここでも対話を進めるために役立つと思えましたので、紹介させていただきました。

ANO19の前段の部分です。

URL: http://okwave.jp/qa4418314.html
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この回答へのお礼

失礼ですが、私が知りたいのはあなたの美についての考えではありません。最後に言いますが、私が知りたいのは「本物からどうして光が出るのか」「どうすればその光を出すことが出来るようになるのか」です。これ以外の回答であると私が独断的にみなした場合、今後レスポンスを返すつもりはありませんので、何卒ご了承ください。

お礼日時:2008/10/27 22:23

No.36です。



>なまの芸術家の時間性が、芸術として何かに(画家なら画布に)転写される、ということでよろしいでしょうか。

そのような感じです。

ピカソの青の時代の繊細な素描、深い青、…セザンヌの濃厚な時間、…ミレーの光に満ちた静かな祈りの時空、…ゴッホのアルル、…円山応挙のすがすがしさ…。

これらの作品から時間を感じます。立ち止まって息を呑む感じです。静かな感銘の時間、満たされる時間です。

精神性云々は、深く考えていたわけではなかったのでどうも見当違いでした。失礼いたしました。
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この回答へのお礼

どうもご回答ありがとうございます。
時間と精神の相関性については、考えなくてはならないことが山ほどありますね。この場合、ベルグソンあたりになるのでしょうけど、勉強しなくてはならないことがたくさんありすぎて目が回りそうになります。

お礼日時:2008/10/26 23:11

哲学素人ですがお邪魔します。



鉛筆描きの線はその時の画家の感性や技術が如実に画面の残るものだと思います。
鉛筆を握る手の力や指先の繊細さ、筆先が画面上をすべるスピード感や、対象をとらえる洗練された感性と技量、光と影を読み取り写し取る鋭敏で正確なタッチ、対象を見つめる画家の眼差しや息遣いまでもが画面に印画されたかのような(錯覚を伴う)いきいきとした、そしてゆったりとした静かな時間の流れを感じさせる作品が世に残っていることを私も理解します。

オーラという表現が適切かどうかはべつにして、そのような作品に出会った場合、私の経験では目が釘付けになり しばらく立ちすくんでしまい、作品を凝視するがゆえに(きっと瞬きすることも忘れてしまっているのかも、最期には目がしょぼしょぼになり涙で真っ赤になっていることもあリましたが)、対象にあまりに集中しているがゆえに、その周りの景色がぼやけてくるという現象は普通にありました。

視覚神経の機能上、瞬きもせずに一点を見つめ続けた場合にそのような現象が起こることは広く知られていることですから、まさか、そのような現象を捉えてオーラと呼んでいるのではないこととおもいます。

私自身はオーラなるものを明確に理解することが出来ないのですが、ある種の迫力というものは感じますし、それは誰もが感じることが出来る感受能力だと思っています(感じ方の強弱や志向性はるにせよ)。
今日日常的に使われている意味においての「オーラがある」という意味でしたら私にも理解できますが、そのような意味ではないのでしょう。

先ほど少し書きましたが、私の場合、作品から時間というものが感じられるのです。画面をすべる筆先のスピード感や繊細なタッチや息遣いやまなざしの時間、モデル(または風景)と画家との共有する空間と時間のゆるやかな流れ、そして消し去ろうとしても消し去ることの出来ない作家の個性、こういったものが画面に残された鉛筆の線1本1本から感じ取ることが出来ます。そしてこれは、私に限ったことではないと考えているのです。

人は時間性の中に生きてます。
対象物を捉えて認識するのに要する時間、その美しさや心地よさを視覚がとらえて、脳が(そして身体が)快適であると判断し味わうことができるまでの所要時間というものは神経経路と脳の電気信号の所要時間と考えます。
優れた画家は、その時間感覚を画面に写し取っているような気がするのです。

ある対象物が発する甘美な感覚を理解するまでにかかる時間。

その時間と同じスピードでその甘美なる印象を画面に描きとる画家の能力。

鑑賞者が、描かれた作品を(作品のなかの線(その形、タッチ、スピード感…)を)見る中で、作家と同じスピードでその甘美なる印象世界を感受する。

という時間感覚です。
脳が電気信号を伝達し快感を感じる所要時間は、人間さほどの違いはないでしょう。
違いが生じるのは、それを瞬時に筆先に乗せることが出来るかどうかという表現技術のほうです。

そして新鮮な感覚。
画家はモデルを前にして、その時そのときの生(ナマ)のいきいきとした新鮮な感激を画面に焼き付けているのでしょう。
同じ裸婦を描いていても、その時のその作家独自の素直な感覚を筆先にのせて、そのつど感激を画面に写し取る。
その画家の感性に案内されるように、鑑賞者は画家の感じた甘美なる印象世界を画家の足跡(線描写)をたどって追跡・追体験している。

このような印象を持っています。

感激が正直であれば、それがピカソの本物であろうが、贋作であろうがこだわるところではないと思います。

ただ贋作にピカソ本来のスピード感や感性を表現しえるものかどうかは疑問に思います(特に鉛筆画の場合)。

深い精神性というのはパンフレット用の後付の説明だと思います。
そしてオーラの問題、オーラと呼ばなくてもいいのではないでしょうか。
作品に触れて感激した その感激の意味を問うということでいいのではないのか と思いました。

美術鑑定の質問でしたらオーラなどという観点で論じては困ります。学術的なアプローチ(画材、紙質等の分析など)がある程度確立されているはずですので。

見当違いの回答となっていましたらすみませんが無視してください。
哲学素人ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
大変興味深く読みました。なまの芸術家の時間性が、芸術として何かに(画家なら画布に)転写される、ということでよろしいでしょうか。この点に関しては、僕にもなるほど、と思い当たる部分があります。

スピード感というと速さをイメージしてしまいますが、たとえばセザンヌであれば濃厚でゆったりとした時間を感じますので、むしろ「速度」という言葉になるでしょうか。

僕がオーラと呼ぶものと時間とのかかわり、いままでうまくリンクしなかったのですが、じっくり考えてみる価値がありそうです。どうも重要なご示唆をありがとうございます。


さて、しかし、一つ生意気を言うようですが、美術鑑定における学術的なアプローチは、科学的な証拠としてそのオーラの裏づけ、真贋を見極めるための道具に過ぎず、最初に審美眼がかなりものを言うと僕は考えます。そして科学的な証拠が先に出てしまうと、オーラのない贋作が世に出回ってしまうのです。間接的に僕は贋作作家を知っていますが、いまだに本物として扱われていて苦笑しているという話です。もちろん、たんなる噂話なのかもしれませんが、かなりありえる話だとは思えます。

そしてもうひとつ、深い精神性がなければ、この世のさまざまなものは目に映りません。はっきり断言できます。深い精神性の世界においては、その世界にいる人間でしか会話できないこと、理解できないことがあるのです。

お礼日時:2008/10/26 17:04

すみません。

 今ANO34を書き終わったところなのですが、 一点、書き忘れてましたので追加します。

実は私の総合文化哲学の中で「明るさ」とか「希望」とかの概念が、細胞の中のなんらかの動きとかかわっているはずだという仮説があるのですが、

もしかしたら、そちらの言われる「淡い光」は、その細胞内の動きとかかわるものかもしれません。  五感そのものの単独の感覚ではなくて、前頭葉とかの思索の部分も含めた全体とかかわる、意識の世界の 他の意識の世界をその全体から直感するような時の、感覚の世界なのかもしれないということです。 すみません、うまく解りやすいようにまだなかなか書けないですが、 生物科学の世界を後押しする哲学からの大事な観点かと思います。

それに、そのあたりからこそ、回答すべきことの全体がつながるかもしれません。

「明るさ」「希望」→「淡い光」の確信。 追いかけてゆくことで何かつながるかもしれません。  

そのことを付け加えておきました。

また、コメントがいただければ、 そのへんも平行して書いていってみたいと思います。

一応は 総合文化の世界の本質の話からになりますが。
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オーラという言葉に、私自身もかなり惑わされてしまっていましたね。



必然性はあったとはいえ、

徹底して疑ってしまったことを、お許しください。



再度、回答します。


私自身、「本物性」あるいは「深い精神性やその所作」を求めて、また同時に「それを獲得する精神と技術のプロセス」を自分自身のためにも、次の世代の教育の世界のためにも、 一生をかけて求めつづけ、そのレベルにいたること目指し続けてきた藝術家の一人です。(そのレベルは自分だけじゃ解らないですが…。)



結果 「感性教育の進化が必要だ」という考えにもいたっている人間です。

では、たいへんお待たせいたしましたが、私のその考えを、ここに対話を通す形となりますが、書いていってみたいと思います。



「おい、そこハンカチとってくれないか」と言われて「はい、これですね」とペットの子犬を渡すと言うような会話がもしあったとするならば、それは後者がアルツハイマー以外の場合は99%以上ありえないところです。

これを逆に考えると、私たちは、言葉というものを通して確実に通じ合える部分を大きな形と量にて、持ち合わせているということになります。

しかし、これが一端 感性のフィルターの世界をくぐった言葉の世界となると いきなり人それぞれ一分一秒ごとにズレを起こしてゆくことになります。 全世界の人がそれぞれにです。 

このへんのズレを意味して人は絶対的にその人自身が観察した世界しか認識し得ないという意味での「個」の概念を説くのは正解だと思います。 ただ哲学の世界では 観察した世界以外は 存在しないという存在論になってしまうらしいので話がややこしくなりますが、 お互いどこまでも そういう存在同士として お互いのその見解(感性のフィルターをくぐった見解)を分かり合えなくても尊重しあうべきだと言う意味合いは 正解だと思うということです。

が、同時に私たちは、体験やそこかからの思索と観察で、個人のそのフィルターを逆にたどることで、この深い感性の世界をも紐解くことに成功するという考えも私は持っています。

そちらが この質問で求められている世界とかみ合う世界の一つでしょう。

その私なりの答えをこれから書いていきたいと思いますが、 ただ、私の場合はそれを 絵や図(知的デザイン)や、映像モンタージュ(画面と画面の組み合わせで 心理表現効果をも効果的に表現しようという映像技術)や、演劇や 文学や詩や、音楽を聴くことや、歌う世界や、そして踊り(体全体での感性の表出表現)の世界の わたしなりの追及から 最後はその全体の総合から その答えを模索してきたところなのです。

すでに総合性と直感ということでかなりわかりにくい筆でですが触れているのはそのへんの具体的裏があってのことでもあるのです。

今は 生物学からの哲学だそうですが、「総合性とは個々の総和を越えた新しい何かでもありかつ新しい創造性をうみだすエネルギーともなる」というふうな「複雑系の科学」という考えがあるようなのですが、

私自身が、いま59歳あたりから まるで新たに進化し始めたような感じで(醜いアヒルの子が白鳥になっていた感じ)で戸惑いもたくさんあるところ、  この創造性のパワーには私自身驚いてしまってます。

*、

ここで ここまでをまとめなおします。

1、言葉のコミュニケーションによる確実性。 

2、感性の世界の コミュニケーションの不確実性。

3、その自覚による お互いの尊重という概念も必要である点。

4、アカデミックな哲学は その希望をまるで捨ててるかのようなのですが、私の考えでは 感性の世界の不確実性を打ち破るには 経験や観察を通して感性の世界をじっくり逆にたどってゆけば答えが見えてきて、「希望」もさまざまに見えてくるという結論に達している。

5、そして、それらは、言葉でのみ経験の世界や観察の世界をさぐるだけでなく、他のさまざまな表現ジャンルでの総合的な思索も、 その不確実性を打ち破る大きな力となってゆく。

6、その総合性の価値や力は 「複雑系の科学」という名前の 生物学の方面から生まれた新しい哲学でもまた言われ始めているところのようだ。


この6まで おおざっぱですが、 言いたい点とかご理解できましたでしょうか?

このうち、5、のさまざまな藝術の世界の総合的考えからの 全体像をこれから描写していってみたいと思っているのですが、   

やっぱり 簡単ではないですね。


しかし、一方では、この総合的な地点を追いかけつつ、 今自分の中にうまれつつあるクオリアという概念への疑問と 生物の細胞レベルでの活性化(シナプスの電気信号自体は五感の単なる反映だと思うのですが、その全体を一気に把握して細胞自体が 精神とかかわるある総合的な「希望」よべるものに反応するはず、その動きがかならず見つかるはずという仮説を浮かび上がらせていっても見たいとおもいます。 クオリアだと、五感の究極の「謎」は謎か否か?という思考の袋小路に陥るのみのために生み出された概念を意味する言葉に過ぎないという話なってしまうように思えてきたのです。

簡単ではないですが、わたしとしては、ここに、今後の筆を、期待していただけますと大変ありがたいのですが…。

今回は以上です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
率直に申しまして、何度か読んだのですが、かなり難解で理解できませんでした。4歳児にもわかるような表現でお伝えいただければと思うのですが・・・。

確実性だとか、不確実性だとか、どのように「本物から光が放たれている」ということと関係があるのでしょうか? 主観性の問題でしょうか? 認識論とどのような関係があるか、僕にはよくわかりません。芸術の本物性の確信、ということがテーマなのだとしたら、失礼ですが、それは僕が求めている答えではありません。僕はアプリオリにそれを確信しているのです。

お礼日時:2008/10/26 16:41

ANO32からの続きです。

 今回は、書ききれませんでした。

そのへんのそちらのコメントで 私の胸にぐさっときたのが、

>arayata333さんは芸術家になるべきでしょうね。<という文章です。

ゴッホにしても、自分の中での確信はあっても、人が評価しない事からの客観的な審美眼は存在するのかということへの疑問は深かったでしょうね。

だから、気が狂ってしまったとかいうような弱い精神の人ではなく、むしろ通常よりはるかに正常だったと私は思っています。

耳をそいだのも 自殺も 精神の病からだとは私は思っていません。

何にも惑わされない健康さからでた判断によるものと思っています。

自殺についてだけ少し触れますが、

おそらく役に立つ人間ではないと思ったからこその、弟夫婦にこれ以上の迷惑をかけるのならばという気持ちからの自殺ということなのだと思います。

どんなに確信があっても、 ゴミ箱行きとなる絵ともなるのであれば 弟達の生活のほうが大切だ という強い人間だったからこその自殺は最大の罪などという観念を超えた時点での自殺だったと思うのです。

が、ゴッホはぎりぎりまでは、藝術家としての道を貫きました。

わたしは、 まだ未完成だという理由から 現実の方を絵においては特に最初から選んで生きてきてしまいました。

今 声がでにくくなっていますが、まず歌は歌い始めるべきかと もう一度思っています。  公にです。

むしろ声が出なくなった分だけ 精神が問われる形にて、ゴッホのように誰からも相手にされなくても歌うべきところと思えてきました。

絵も鉛筆画を 30年ぶりぐらいにその気で動かし始めています。時間が無いことの言い訳を30年もしていた? のです?

踊りに関しては 問題もありますが、 これも一番大きな問題は、実は身近な人たちへの配慮の問題です。  そういう事情をわたしも抱えてはいるのですが、  今、ある完成の世界に近づいているというふうにも言える地点で、  そちらの筆に 勇気をいつしか失ってもいることに気がつかされました。

まず、このへんを告白させていただきました。

今回、最後に質問しておきたいことは、ピカソについてです。

このへんピカソは ゴッホとは逆とも言える 確信性を持ってビジネス化もしていて、かつ成功もしています。  

私は ピカソの絵は、まだ解っていないわけですが、 でも論じる観点は無いわけではありません。  当然、そちらにお聞きしたいことはたくさんあります。 

この「確信」と 藝術の道のあり方のあたりについての論議としてです。

(これは、こちらがそちらにお聞きする形となる部分ですが、 哲学の質疑では、このOKウェブ上でも、双方向的な教え教わる形の歯車のゆとりが必要となる世界だと思うのです。 つまり質問者の方が教える立場となることも部分的には認める必要があるということです。 そのユトリがあって哲学という車は快適に本来の走りを見せるのであり、自覚された形での規則破りは それなりには認められると思っているわけです。 どうか自由に真剣にコメントしてください。)

詳しくは知りませんが 初期の頃にピエロを描いたかなり表情とかのリアルな 悲しみの中の穏やかさとも言えるようななんともいえない確かに私にも迫力が感じられる絵がありますが、 その「時代」のピカソの鉛筆画とかにも同じ光が見えますか?

それを今回の質問とさせていただきます。



けして、そちらの能力は 消さないでください。 さらにさらに磨いていってください。 すばらしい絵は たくさんあると思います。 写真もすばらしいものはすばらしいのですが、 直接の感性の結果そのものではないわけです。 絵の審美眼と関わる能力は 深い意味での社会的な力(パワー)だと思います。

今回は以上にて。
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この回答へのお礼

(つづき)
さて、おっしゃるように、売れなかったゴッホと売れたピカソは生存中ということであれば雲泥の差ですね。芸術的価値を社会的なものに全て還元することは僕の好むことではないのですが、確かに時代の超越性を有した芸術はありますし、だからこそ偉大と呼べるわけですが、優れた芸術は見る人が見れば一発で本物だとわかるんだと思います。ゴッホがあまりにも例外的なので、それを一般論に当てはめすぎ、ゴッホ神話・・・天才と社会の無理解・・・の形成は、かなりモダニズムだとおもいます。近代芸術の枠がそれまでの美の規範から外れて、芸術が大衆から批評家と学者の手へ移ったことは、まあそれほど間違いはないでしょうけど。

ですから、ゴッホもピカソも確信はあったと思います。確信がなければ途中で止めるでしょうし、途中で止めたその作品が今でも評価されている、なんて話は、文学ではランボー以外、聞いたことがありません。はっきりいいますが、確信がなければ芸術は成立しません。その確信に揺らぎが生じたとき、作品に揺らぎが生じるのです。作品に揺らぎが生じるから、確信が揺らぐのです。

客観的な審美眼は存在するのか? はっきり言いますが、存在します。間違いのない完璧な審美眼は存在しませんが、見る人が見ればそれがわかるのです。わからない場合は単なる勉強不足か、好き嫌いの問題です。僕はゴッホの偉大さはわかりますが、好き嫌いでいえば、晩年の作品は最悪です。あんな絵を直視できる人の気が知れません。ですがそれは好みの問題でしょうね。

というわけで自由に真剣にコメントしました(笑)。ただ、僕が求めているのは質問内容の答えであって、それについての議論でもあり、何か別のことを議論することではありません。規則以前の問題です、ご了承ください。もし質問があれば、どうぞあなたがここのカテゴリーに質問してください。必要であれば、僕がそこに回答を寄せます。

最後に質問の答えですが、初期の作品に同じ光が見えるか? 見えます。だからピカソは天才なのです。ですが中期以降から晩年では適当に描いたとしか思えないものもあり、そこにはなんら芸術的価値を見出せない場合がありますが、これも僕の勉強不足かもしれません。これでよいでしょうか?

お礼日時:2008/10/26 00:55

体調も悪く 回答のペースは遅くなりますが、中途半端にはしたくないです。



会社のパソコンを使わせていただいている都合もあり、OKウェブからのメールが届く形になっていないことも、61歳でも忙しい身であることも、ペースがおそくなる原因ですが、 出来るだけの言葉をできるだけの誠意で精一杯尽くしたいと思っています。

コメントありがとうございます。

>もう少し、わかりやすく書いていただければと思う次第です。恐らく、書きたいことがたくさんありすぎて、溢れかえっているのだと思いますが。<

哲学は解りやすく表現することを忘れてる世界なのかな(^^)。と思っていたことがあり、

“哲学者達って「解りやすく表現する」という点に関しては哲学することを何かよっぽど避けているのだとうか?” とも考えてしまったことがあります。

でも、抽象的な言葉を使ったほうが早く全体を一気にまとめることが出来たりもして、たとえばこの回答欄とかのように紙数の限られた範囲では、哲学の本をよく読まれてる人どおしのそのような専門用語とか あるいは解説付きの説明をした上でのそのような抽象的な言葉も含んだ文章をやりとりする哲学カテの人たちもいて、 それはそれの味のある文体が生まれていたり、  これは簡単に言えることでもないなとも 思うようになりました。

しかして、 私自身が 中途半端な抽象的な言葉の使いかたをしていたことを、 そちらのコメントにより、あらためて知り、ハッとしました。

これじゃあ ミイラ取りがミイラになったい以上に情けないですよね(ーー:)。

ありがとうございました。 気を付けます。



「オーラ」という言葉自体については、実は私は、もともとのヨガでの使い方にも疑問を持っていました。 

ヨガでの説明自体が抽象的なままそれ以上の説明抜きに「信じよ」という形となっている点 チャクラには意味を感じる人間ですので(チャクラとは、体の部位に7つの「人間の精神と関わる形で」の中心点があるという考えです。その中心点を7つあるチャクラと呼んでいるわけです。) よけいにもともとのオーラという言葉に疑問を感じていたのです。

ところが、それが最近、そのもともとの意味から離れて さらにいろいろな使いかたがされてしまっている現象を耳にします。

解らないことをごまかすビジネスの道具にされたり、偽の権威付けの道具にされたり、なんとでも言えてしまう便利なごまかしの言葉としても使われてえるところがあると私は思っています。

このへんのごまかしのまざった権威の世界は、芸術のような世界の発展を阻害する面があり、そのへんからも けして小さな問題などではないのですが、

でも、 そのへんは、そちらのコメントに感じられる誠意(簡単に書いてしまいますが、紙数等の都合です。)からは、 もはや、ここでの論議には、何の問題もないと思いますので、   これにて、この問題は通り過ぎることにさせていただき、次へとお話を展開させていかせていただきます。

(ヨガのチャクラについては、 日本の「肌文化」での美とも関わるところと思っていますので、機会があれば 質疑の中に出てくるかもしれませんが、 一応まだ論議するつもりはありません。)

(また、もちろん、ごまかし、あるいは妄執は、藝術の発展とも関わるマイナス面ですので、それを避けるという意味ではありません。 ただ、それを論議の中心にしなくても、 充分 そのへんにも価値のある論議に必然的になってゆくはずだという考えがあります。 ですのでここでの論議にては もはや、必要ないかなということです。)



そちらのコメントから一番強く感じたのは 美の「確信」の世界の問題です。

ちょっとした不思議なことで、特殊な能力が芽生えかけた体験とかなら、私にもいくつか思い出せます。

子供の頃、ほんの数ヶ月の間だけですが、寝る前に何時何分何秒に起きようと思って眠ると、秒まで正確にその時間に目が醒めるとう体験をしたことがあります。  おもしろくなって、続けてみたというわけですが、別に何かに役立つわけでもなく、そのうちに飽きてしまってやめてしまい その感覚を忘れてしまったのですが、  大人になってからは 惜しいことをしたとか(^^)も思うようにもなってます。

また、30歳の頃、歌舞伎町に暮らしてた時には、若い女性と多く話す機会があり、そのせいでの直感力からでしょうが、なんと24歳以下でしたら始めて会っても何歳か閃いたのです。  なぜだかは さっぱりわかりませんが、 はずれたことはなかったです。  でもなぜだかがわからないまま、やっぱり、歌舞伎町を離れてからは そのままそのひらめきは消えてしまいました。

このような体験は、しかし、実際の確実性はあるわけですが、  絵での個人的な確信のような安定した「確かさ」の手ごたえと較べると意味の深さ以外にも はるかな質とかの違いも大きく、なによりも「確信」自体が よりはっきりとしているという感覚のものです。

が、 そこにいたる精神の過程をそのすべてがはっきりと言葉で語れるものではないところの、はやり直感(その裏には長い過程や因果は実際にはあるのでしょうが、人間にはとてもとてもすぐには解明など出来ない、しかしはっきりしている確信となってしまう直感)としか言いようのないものでもあり、 そこが私たちの この論議の大きな問題の一つとなっているところかと思います。

((紙数の都合で2回に分けます。))
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この回答へのお礼

ずいぶんと長い回答で、お疲れ様でした。前回に比べればずいぶんと読みやすくなりました。確かに趣旨とずれますが、僕が回答するのですね。その前に要約させていただければ、僕がオーラと呼ぶものと芸術の確信の相関性、ということでしょうか。

オーラとは便宜上そう呼んでいるだけで、別になんと呼ぼうと勝手なのです。後光でもいいし、光臨でもいいし、とにかく淡い光です。確かに、僕の定義があいまいなせいで誤解を招いたことは事実ですね。

僕は絵を描きませんし、写真も撮りません。だから、人の描いたものでしか判断できないのが残念なところです。自分がその光を描けたとしたら、それは嬉しいことでしょうね。僕の質問は、どうやったらその光を描くことができるか、という一貫したものです。ですので、あなたの「こうやったら描くことが出来ます」という回答を一番欲しているのです。

そこでですが、あなたの勘と芸術的勘は、議論とはちょっと関係ないように思われます。ただ、全てを否定するわけではなく、偉大な芸術家は、例えばジグソーパズルを真ん中から組み立てるとか、そういう直感に優れた人が多いそうなので、あながち間違いではないでしょうけど、その芸術的光とは、関係ないのではないでしょうか。(つづく)

お礼日時:2008/10/26 00:56
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