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死刑制度ってどう思いますか?
…というのも高校の宿題なんです。ディベートの議題を考えてレポートを提出という。
もしよければ答えてください。
「賛成か、反対か」と「その理由」を出来るだけ詳しく。
お願いします!!

A 回答 (17件中1~10件)

 この手の論争で必ずといっていいほど「目には目を」というハンムラビ法典のフレーズが持ち出されるのですが、この扱いには注意が必要です。


 確かに楔形文字で刻まれた原典の196条には「もしアヴィールムがアヴィールム仲間の目を損ったなら、彼らは彼の目を損わなければならない」とあります(法典の全訳は『原典訳ハンムラビ「法典」』(中田一郎訳 リトン刊)で読むことができます)。
 学校の教科書などでもその部分(だけ)の写真を載せ「復讐法」という用語を使ったりしています。
 しかし実際にこの条文の通りに刑罰が執行されたどうかは、専門家の間でも意見が分かれます。というのも、同じ時代のものと思われる粘土板の法文書には、賠償金や労働によって身体刑を免除するという文言もあるからです。復讐は被告が賠償金を払わない場合に限る、という記述もあります。
 つまりハンムラビ法典は、多くの日本人(ひょっとすると学校の先生も)が思っているように「やられたら同じだけやりかえせ」という意味ではなく、実は「やられた以上のことを返してはいけません」という「法の支配」にきわめて忠実なものだった可能性があるのです。
 これには楔形文字の解読も関わって難しい問題が残っているのですが、少なくとも「目には目を」というセンセーショナルな部分だけを取り上げて古代の法制度をいたずらに野蛮視したり、むやみに近代法と引き比べる論法はいささか乱暴で、避けた方がよいと思います。
 ディヴェートの参考となれば幸いです。
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死刑を廃止するなら法体系全体を見直す必要があるでしょう。


現行の法では「罪を罰すために刑を科す」という考え方です。
ハムラビ法典から何の進歩もしておらず「目には目を、歯には歯を」と同じ論理で「命には命を」ってことですね。

死刑を廃止するためには「罪を犯した人間に反省と社会復帰をさせる」という法体系に変える必要があります。
“懲役○年”などという制度のほうがおかしいのです。
すべての泥棒が確実に反省するために必要かつ十分な期間を規定することは不可能なはずです。
結果的に反省しなかった受刑者は刑務所で生涯を送ることになるでしょう。
再犯と反省を繰り返す受刑者には何年も何十年もカウンセリングを受けてもらうように。
社会復帰のためには元犯罪者を受け入れる社会を作る必要もあります。

「死刑の残虐さ」とか「犯罪の抑止力」なんて枝葉末節に過ぎません。
ある刑が残虐かどうかなんて、受刑者の文化風習思想などに影響されるものです。
イスラム原理主義過激派に「テロしたから死刑」って言っても「神のもとに行ける」と考えるかもしれません。
その意味で、死刑は犯罪(特に凶悪犯罪)の抑止力にはなりません。
人は「罰を受けたくない」から犯罪をしないのではなく、」「罪を犯したくない」から犯罪をしないのです。

「死刑を廃止する」ということは、「どんな凶悪犯罪を犯した人も釈放される可能性が高い」ということです。
法体系、社会体質の大転換なしには死刑廃止は無理だし反対です。
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私は死刑制度に絶対反対です。

何故なら、死刑にしなければならない犯人を作り出したのは社会が悪いからだと思っています。家庭での子供の教育、学校での生徒の教育、職場での社員教育等々社会全般に利己主義的なことが横行しており、それが現代社会の歪みとなって表れ犯罪に結びついていると思われます。ですから、結果的に、悪い社会が、これまた社会が作った法のもとで殺人すること、つまり、死刑はもってのほかと思っています。
それでは、どうすればいいか、勿論、殺人を犯してしまった犯人の更正も大切ですが、その前に、社会人一人一人がお互いに尊敬しながら耳を傾け、その一人一人がその段階での「更正」が最も大切と思っています。
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”抑止力”ってご存知ですか? 核ミサイルの話に良く出てきますよね。

 冷戦時代アメリカは旧ソ連が核ミサイルを持ってたから発射しない。 旧ソ連もアメリカが核ミサイルを持っているから発射しない。
核というのは持っているだけで”抑止力”が生まれるんですよね。

死刑制度もこれに当てはまると思います。 極悪な犯罪を犯したら合法的に自分が殺される。 だからやらない。 やるからには相当の覚悟をもってやる。 という感じじゃないでしょうか?

例えば死刑制度が廃止になったら、「どんな無茶苦茶やっても死ぬ事は無い。 刑務所で真面目にやっておけばいつかは出られる。」と考える輩が出る可能性もあると思います。 こういう考えを完全に否定する意味で死刑制度という存在の意味があるのではないでしょうか?
つまり、死刑制度があるだけで犯罪の抑止力になっているのですね。

犯罪を防止するという論点から、自分の意見を述べてみました。
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答えるつもりはなかったのですが、気分転換に答える質問がないので。



そもそも、この問題は答えはでません。どちらにも正当な理由があるし、どちらが正しく、どちらが間違いということもないでしょう。したがって、こんな事をディベートさせてもしかたないのです。(過激なことかいてごめんなさい。)

この問題は各人が考えて、どちらが自分の考えに合うか、考えて、究極の選択の回答ができるようにしていればそれでいいと思うのです。衆議院議員の静かではない亀井静香先生は死刑反対の陳情をしていますし、法務大臣は死刑制度は人道にかなうものとして温存を支持しています。どちらに傾くかは国民主権からして、どちらが多数派になるかってところで決着が着くだけです。どちらになっても文句言えないし、議論しても水掛け論になるだけです。

ちなみに私はどちらでもありません。刑法の原則に立ち戻って、刑罰理論を構築したのはベーリングですが、その元になっているヘーゲル(1770~1831)の考えに沿えば十分だと考えています。

カントは同害報復で有名ですよね。目には目をという考え方で、殺人犯罪者には死刑って考えです。ヘーゲルは相当報復という考えで、犯した罪に沿うだけの刑罰がなされればいいと考えてます。死刑やめるなら、憲法の拷問禁止(36条)を廃止して、極悪人には身体刑と死に匹敵する苦痛を15年くらい味わってもらって、社会に復帰しても、両足が切断されていて二度と犯罪ができないようになっているなら、死刑が廃止になってもいいかもしれません。

命が重いってよく言われますが、本当に重いなら、スジを通して死刑温存でいいのではないでしょうか。南国の孤島で刑務所内で結婚できてという刑罰を社会が望むなら、命は軽いってことですね。自分の命は自分で守れということで、私はこういう考え方でも別にかまいません。
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死刑制度の可否を考える前提として、刑罰とは何のために行われるのかを明らかにする必要があります。


この考え方として、大別すると目的刑論と応報刑論があります。
1 目的刑論
これは、犯罪者を教育して再犯を防止するために刑罰制度が存在するという考え方です。論拠としては、(1)どんな人間も教育によって変化を期待できる。(2)犯罪者にも人権があり、教育による変化をわずかでも期待できる以上、教育を受ける権利が保障されるべきである。(3)応報刑論の背景にある復讐という考え方は、野蛮にすぎ、現代社会にそぐわない。といったことがあげられます。
1 応報刑論
犯罪被害者の私的復讐を防止するため、国家が代わって報復するという考え方です。(「目には目を、歯には歯を」というやつですね。)
論拠としては、(1)被害者や、それに同情する国民の感情にマッチする。(2)目的刑論によれば、教育効果が現れるまで、永遠に刑罰を与えてよいことになるが、応報刑論によれば、犯罪者が与えた被害以上に相当する刑罰を科されることはない(少なくとも、人を殺さない限り死刑になることはない。)ので、かえって犯罪者の人権保護に資する。(3)目的刑論によれば確信犯に刑罰を科すことは無意味である。
従って、前者の考え方にたてば、死刑制度否定論に、後者によれば肯定論に結論は傾きやすいでしょう。
 以上の考えを前提に死刑制度についての論点を思いつくまま整理してみましょう。
1 憲法との関係
 否定論者は憲法36条の残虐な刑罰の禁止を根拠に、死刑制度が意見であると主張します。これにたいし、肯定論者は釜ゆで、火あぶりなど不必要な苦痛を与える方法によらなければ、死刑は残虐な刑罰に当たらないと反論しています。(ちなみに、最高裁判決もこの考え方に近いです。)
2 受刑者の人権との関係
 生命は、あらゆる人権の中で最も尊重すべきものであり、国家といえどもこれを奪う権限はない、と否定派は主張します。一方、肯定派は半永久的に身柄を拘束する方がかえって大きな人権侵害であるといいます。
3 えん罪との関係
否定派は、死刑執行後、えん罪が判明した場合、修正がきかず、不都合であると主張しています。 これに対し、えん罪の可能性がある限り、永遠に身柄を拘束しておくのはかえって不都合と肯定派は反論します。
4 犯罪抑止効果との関係
肯定派は、死刑執行は、いわゆる見せしめの効果があるため、犯罪抑止に資するところが大きいと主張します。これに対して、否定派は、死刑を科すより、施設に収容して教育を行う方が犯罪抑止効果があると主張します。
以上、ほかにも論点があるでしょうが、ディベートで勝つのが目的であれば、これらを含めて、他の論点についても両派の立場から、根拠と批判を整理され、自分で説得的な説明を用意されるのが、必要不可欠でしょう。
以上まとまりのないアドバイスで申し訳ありません。よろしければご参考となさってください。では、ディベートでのご健闘をお祈りいたします。
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ここまでの回答を読んだ中で初めて「なーるほど!」というに値する死刑反対の論拠を見ましたので、ディベートという事ですので、わざわざ報告に参りました。

m(__)m
「死刑が最高刑だと思わない」という論拠には初めて接しました。
考えてみれば、その場で命を奪ってしまうのと、一生確実に拘禁して出られなくしてしまうのはどっちが最高刑に値するかな?って思いましたね。
おまけに「居心地を悪くして」なんてオチもついてますし。

中世の話ですが、刑罰として「箱づめの刑」ってのがあったらしいですし、また、貴族などでは「城の一つの部屋に一生監禁」ってのもあったようですね。
これらに近いものかもしれませんね。
でも、更正が期待できない凶悪犯罪者にそこまで税金(あるいは社会資本とでもいうのでしょうか)をつぎ込む必要がありますかね?
一生閉じ込めておくとしても生きてる間は食事、身の回りの世話、管理・・・一応ありますし。
死ぬまで強制重労働ってのもあるかな??

まあ私としてはこういう論拠ならなるほどと思いますね。
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よく「死刑は犯罪を萎縮させる効果がある」


「死刑を無くせば犯罪者達はなにをやっても死刑にならないと思うから自由に殺人等を行うようになる」

などといわれますがはたしてそうでしょうか。
#10の方も書かれておられますが、中国等では毎日数百人、数千人単位で死刑が執行されていると思いますが、現在、中国の犯罪が年々減少しているという話はあまり聞いたことがありません。これはどのように解釈すればいいのでしょうか。

死刑制度があれば死刑を恐れて人を殺したくしなくなるだろう、確かに我々普通の感覚をもった一般人レベルであれば死んでしまうかもしれない、死刑になってしまうかもしれないというのは非常に恐ろしいことで、殺人をやってはいけないんだなと認識するでしょうが、そもそも人を殺そうとか強盗殺人をしようなどという人は

「別に死刑になってもかまわない」
と思って犯行に臨んでいるのではないでしょうか。
そうであるならば死を恐れない人に人を殺したら死刑になってしまうよと言ってみても何の犯罪抑止効果もないのではないでしょうか。

やはり死刑自体に刑事政策的なものを求めるのは難しいと思います。
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死刑に賛成か反対かというのは宗教的なものや国民の倫理道徳感に依拠するところが大きいようです。



たとえば前述の通りヨーロッパは死刑反対、アメリカはほぼ半々、そしてイスラムや儒教や仏教の教えの強い地域ではほぼ例外なく死刑が定められています。

キリスト教は悪いことをした人でも「神に罪を告白し悔い改めることを約束」すれば許されるという寛容なものです。ですからキリスト教からすれば、どんな凶悪犯であっても性格矯正の可能性があるので「死刑は反対」ということになるのでしょう。

逆に仏教等では悪いことをすれば「地獄に落とされ」ます。その点では厳格といえると思いますが、そのような宗教のもとでは犯罪者の矯正可能性というものはおおよそ考えられもしなかったのですね。ですから死刑に対しても積極的に認容するという立場なのですね。
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みなさん 熱くなっておられますね。



余談で申し訳ないっす。

モンゴルでは死刑制度は男性のみ なんだって。

あと、
高校の宿題としていい点をとることを目的とするなら、先生の意見に賛成するのが一番です(笑)こーゆーテーマの宿題を出す先生って、自身で確固たる意見を持っています。先生という立場のくせに、反対意見を受け入れることが出来ない人が多いです。
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