戦国大名の武田勝頼は、武田信玄と諏訪頼重女(大河ドラマ風林火山では「由布姫」)との間の子で、信玄の嫡男の義信が廃嫡されるまでは、諏訪氏の後継者として遇されていたとされます。現に、塩尻市の小野神社に寄進した梵鐘に「郡主 『神』勝頼」「大檀那 諏訪四郎『神』勝頼」と名を記しているなど、諏訪姓で署名した文書が多く残っているようです。
諏訪氏は「神氏」とされ、諏訪神社の神官が武士化した家柄です。上記の「諏訪四郎 神勝頼」という署名は、「武田太郎 源義信」「織田上総介 平信長」といった署名と同じく、「諏訪氏の姓は『神』である」と称しているもの、ということではと考えます。他の家では見たことがない署名ですが。
諏訪氏の本家は武田信玄に滅ぼされ、諏訪氏を継ぐ筈だった勝頼は結局武田氏を継いで織田信長に滅ぼされてしまいました。ただ、分家が徳川家康に仕えて諏訪氏を再興し、諏訪高島藩主として明治に至っています。
http://www.asahi-net.or.jp/~ME4K-SKRI/han/hokuri …
質問なのですが、
1. 勝頼以前の諏訪氏当主、例えば諏訪頼重は、「諏訪刑部大輔 神頼重」と署名していたのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%8F%E8%A8%AA% …
2. 江戸時代の高島藩の歴代当主は、例えば「諏訪因幡守 神頼水」と署名していたのでしょうか?
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
ご質問に直接お答えする知識を持ち合わせてはおりませんが、私の手持ちの史料で、以下ご参考まで‥
■神家の由来
諏訪家の出自も嫡流も定かではなく、系譜も混乱し、異伝も多数あるようです。
「神」家を名乗る由来としては、
http://www.harimaya.com/o_kamon1/syake/middle/s_ …
では「大和の大神神社の社家大三輪家と同系だろうか」とされていますが、私は諏訪家(上社家)の
系譜の中に、諏訪を名乗る以前に「神人部(直・宿禰)」を冠するものがあることから、この神人部
を省略して「神」家と称したのではないかと、勝手に考えています。
■高島藩主家の名乗り
署名は見ていないのですが、どうやら「源氏」を称していたようですね。
これも解釈に苦しむところで、
・諏訪家の嫡流を自認する一派の中に、もともと源氏を称するものがいた
・諏訪が武田家に併合された際に、諏訪一族の多くが源氏に改姓した
・徳川政権下で、諏訪一族の多くが源氏に改姓した
というあたりではないかと、私は勝手に考えています。
同時代の史料としては、高野山の高島藩主家の歴代の供養塔の墓碑銘には、
生国信州諏訪城主前諏訪安藝太守源頼忠公
生国信州諏訪郡城主前諏訪因幡守源頼水公
のようにあります。
なお、明治11年に刊行された華族類別録にも
http://wolfpac.press.ne.jp/classification01.html
第16類 皇別 源朝臣 清和天皇皇子常陸大守貞純親王子鎮守府将軍経基支裔 従五位 諏訪忠礼
とあり、源氏として分類されています。忠礼は最後の藩主忠誠の子です。
諏訪氏は、日本有数の古い家柄かと思いきや、意外と古いことが良く分からない点があるようですね。諏訪頼重の系統が戦国時代に「諏訪氏の嫡流」となっていたわけですが、その根拠は必ずしも明確ではないようです。ご紹介のURLは興味深く拝読しました。
高島藩主家が源氏を称していたことは、6dou_rinneさんが紹介された寛政重修諸家譜の記述、及びsuicyoさんが引用された史料や墓碑銘で間違いのない所ですね。suicyoさんのご意見も傾聴に値すると思います。
個人的には
「江戸時代になって、根拠が定かでない『神』を称するのも恐れ多いので武士としてごく普通の清和源氏に変えることにした。そういう言い伝えもあるし」
といった程度のことではないかと想像します。あくまで想像の域を出ませんが。
No.4
- 回答日時:
専門家としていつも的確な回答をされている回答者様に、私みたいな一般人が回答を、しかも直接でない回答をするのも気が引けてしまうのですが、私も以前から諏訪氏の系譜に興味を持っていたので、想像(妄想?)を書かせていただきます。
つっこみどころ満載と思いますがご容赦下さい。#3さんの説は初耳ですが、意外と真相に近いのかもしれません。
というのも国史大辞典によれば、
「上社は神氏、下社は金刺氏であるとされるが、上社系も金刺氏であった可能性が強い。(中略)鎌倉時代、諏訪社の祭祀や造営は公の義務として信濃国に所領を持つ武士に賦課され、そのため祭祀に奉仕する武士たちにおのずから諏訪神の氏人としての同族意識が生じ神を名乗る武士が多くなり諏訪氏はその盟主となった。」(諏訪氏の項)
「中世以降は源満快流の源氏が諏訪氏を襲い全郡を統治した。」(諏訪郡の項)
とあります。また、
「古代において(中略)諏訪氏(神氏)の名は見えない。(中略)神氏の史料上における初見は鎌倉時代の後半になってからなのである。(後略)」
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/suwa_k.html
寛政譜で諏訪氏は清和源氏満快流を称しているのですが、寛政譜に載る満快流の氏族のほとんどは伊那郡を中心とした信濃国内の地名(知久、諏訪部、飯田、松本、夏目、依田等)を名字としています。
以上から「満快流」という一族が確からしい存在であるならば、諏訪氏は寛政譜の通り清和源氏であった可能性が高いのではないかと私は思います。つまり#2さんの「諏訪家の嫡流を自認する一派の中に、もともと源氏を称するものがいた」と近く、土着した満快流の一族が諏訪大社の実権を握るようになり、上記のような経緯で祭神の子孫たる神氏を名乗ったと。
または上記引用のとおり神氏が実際存在し、それを継承したのかもしれません。この過程は熱田大宮司が尾張氏から藤原氏(千秋氏)になったのと似ているのかもしれません。
諏訪大社の祭祀権を主張する必要から神氏を名乗っていたものの、江戸時代に入りその必要もなくなり?、もとの源氏を称したのでしょうか。
最後にご質問の1,2に関連して。諏訪氏に関してはわかりませんが、上記引用先の笠原氏や、諏訪氏と同族とされる上原氏で神を称したり仮名に使ったりしているようです。また諏訪一族という駿河安部氏(岡部藩主家)は寛政譜では満快流ですが華族類別録では滋野氏で訳がわからなくなってます。(滋野氏も神党ですが)
以上長々と失礼しました。
ご回答ありがとうございます。また、私如きに大層なお言葉を頂き誠に痛み入ります。
ここまで、ご四方のご回答を総合しますと、
「諏訪氏は、実態としては清和源氏であったらしい」
「ただ、諏訪大社の祭祀権を主張する必要から『神氏』を名乗っていた。江戸時代になってその必要がなくなった」
と考えるのが、後世に残った高島藩主家の記録からも無理がないように思えます。
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