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よく「バブルがはじけてからは、全部だめになった。」なんて話を聞くんですが、バブル景気とはいったいどの程度のものだったのでしょうか?
残念ながら、私は91年当時で3歳?くらいでしたので、まったく覚えておらず・・・。

なにか身近な具体的な例をあげていただくと助かります。(田舎ものなので都会の事はいまだによくわからないもので・・。)

また、何をきっかけにバブルははじけてしまったのでしょうか。

いろいろなお話を聞かせていただけると助かります。

A 回答 (5件)

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」そんな時代もありましたね。

日本語が英語に代わって世界語になるとか、円がドルに代わって世界基軸通貨になるとか今から考えると悪い冗談としか思えませんが、立派な大学を優秀な成績で卒業したような人たちが大真面目にいっていましたよ。
その好景気が1920年代のアメリカに似ていたため、その後の世界恐慌のような恐慌がやってくると警告する人もいましたが、ほぼ無視されていました。
そういえば先輩が「バブルの頃が懐かしいなあ。あの頃は今月給料出たけど先月の給料に手をつけてないよなんてことがあったなあ(給料に手をつけられないほど忙しかったという意味もありました)」といって殺意を覚えました・笑。

ところで、そのきっかけですが直接のきっかけは85年のプラザ合意による急激な円高だったと思います。それまで1ドル=250円くらいでしたが、一気に1ドル=120円くらいにまで進みました。そうすると1000円が4ドルから8ドルになるわけですからドルもしくはアメリカに莫大な投資ができるわけです。
さらにその利益を国内の不動産に投資すると当時の日本は「土地は絶対値下がりしない」が神話だったので「必ず」利益を生んだのです。だから転売してその利益でさらに不動産を買い、それを転売しその利益で・・・という「土地ころがし」が始まり、当然土地をころがせば不動産の値段そのものが急上昇しそれがさらなる投資ブームを呼ぶわけです。それに釣られて企業の不動産価値が高まるので帳簿上の企業の資産は上昇するわけで、それで企業の株価も上昇し、それが株投資ブームを呼ぶ・・・というサイクルだったわけです。
しかしバブルは崩壊しました。不動産の値段が下がり始めましたが誰もが「不動産は値下がりしない(いつか必ず再上昇する)」という神話にすがりついて「とりあえず塩漬けにしてまた値段が上がったら売却しよう」と考えましたが膨大な借金を抱えていてしかもその借金は金利が高かったので持ちこたえられず倒産します。倒産すればその不動産は売却となりますが、あっちこっちで倒産が続出したので市場には売却された不動産が溢れかえることになります。ところが、どこも借金の返済でひーひーいってて不動産を買う余裕がない。だから売れない。だからさらに値段が下がり、さらに倒産が増え市場に物件が出回りさらに値段が下がるというスパイラルに陥りました。

そのバブルの崩壊の原因のひとつは日銀による公定歩合の引き上げでしょう。あまりに引き上げられたため(いわゆる「バブルつぶし」)、みんなが「ぼちぼち売りだな」と判断したためです。
ただし、日銀の政策がどうであれいつかバブルは崩壊していたことは間違いないでしょう。みんなが「売り」と考えればいわゆる暴落が発生します。暴落すれば投資家は動揺しますから「さらに売り」となって下げ止まらなくなってしまいます。最古のバブルといわれるオランダのチューリップ球根から日本のバブル崩壊まで全て「歴史は繰り返す」に他なりません。
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まず、トラック運転手をしていた知人の話です。


彼は10tトラックの運転手でしたが、ある日仕事が終わって営業所(神奈川)に戻ると、急ぎの仕事で九州まで行ってくれと頼まれたそうです。
何かというと、イベントで使うので明日の朝までに「ひよこ」が10羽必要になって、緊急に届けて欲しいという依頼があったそうなのです。彼は、10tトラックの助手席にひよこを乗せて、後ろは全くの空荷で九州まで行ったそうです。その時にもらった臨時収入が、なんと30万。一晩で運転手に30万払ったのですから、会社がいくらもらったかは想像できます。

私自身の話。
バブル前、中古の団地を1750万で購入しました。子供が小学生になり、一戸建てが欲しくなって、売却を考えたのがバブル後期です。元々中古で、しかも7年住んだ団地が、なんと4000万で売れました。ローンを完全に返済して、手元に2200万円残りました。この時は、すごく嬉しかったですね。
頭金がたくさんできたので、それを元に、7000万の家を買い、現在も住んでいます。ところで、その家ですが、今、周辺の価格を見ると4000万程度です。得をしたのか、損をしたのか・・・。
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私は当時中学~高校生でした。


ですから経済的な難しい事はわかりませんが、目にしたり体験した事を挙げます。

・三菱地所(←確か)がニューヨークのタイムズスクエアを買収しました。エンパイアステートビルの経営権も日本企業に買われた記憶があります。安田火災(当時)がゴッホの名画「ひまわり」を史上最高(当時)の金額で落札しました。
あとある年のボジョレーヌーボーを三菱商事が全部箱買いしたというニュースも聞いたことがあります。
日本人が世界を買いつくす勢いでした。

・アメリカのビジネスマンは日本語学校に熱心に通う人も出現。ニュースショーでも「コニチワ!」「オハヨーゴザイマス」など日本語の登場が増えた。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では主人公は日産の車にあこがれ、次回作では未来の世界で富士通の社員(上司の名前はイトウさん)になっています。「日本製品は最高だよ!」という台詞もあります。

・反面日本製品に対するアメリカ人労働者の妬みも強く、デモで日本製のラジオやビデオデッキをカナヅチで叩き壊すパフォーマンスをよくTVで見ました。当時のアメリカは不景気の真っ只中でしたので(ロスで大規模な黒人暴動もあった)、日本経済に対する「敗北意識」も強く感じ取れました。
アメリカ政府の矛先は当然日本政府に向けられ、貿易不均衡の是正を求めて通商部のヒルズとかが頻繁に来日して強硬(しかもえらそうに)に要求していました。
特にアメリカ産の牛肉やオレンジを輸入しろと押し売りしていましたね。

・日本へは、フィリピンや韓国などから大勢の「ジャパゆきさん」が来日。東京・大阪・名古屋はともかく、奥地のちょっとした地方都市程度でも大勢見かけました。
中国は今とは大違いでまだまだ貧しい国で、福建省からボロ船に乗って日本への密航を目指すボートピープルが急増、時々難破したり海保に摘発されたりしていました。
今ではほとんど見かけなくなりましたが、当時はイラン人の来日も多く、特に大きな駅前にはウジャウジャいました。まじめな労働者もいたのかも知れませんが、変造テレホンカードや違法薬物の販売をする者が多かったので、一般市民のイラン人に対する意識はあまりよくなかったです。犯罪といえば韓国人のスリ団も今と比較にならないくらい多かったです。ただのスリではなくナイフなどを所有し、犯行がばれたり逮捕されそうになったら振り回して暴れます。しかも複数でチームを組んでいたので厄介です。最近は減ったようでよかった。

・食ではダイエー・ヨーカドーが中心になり、世界中で日本向けの農産物や海産物の出荷網の整備が進められました。今では当りまえですが
海外の契約農場と提携して野菜を出荷したり養殖エビやマグロを輸入したり。甘味ではナタデココが流行したのもこの頃で、フィリピンでは従来の家業(農家とか)を辞めてナタデココ生産にシフトする人も急増したようです。世界中がまるで日本人の為に食料生産しているような感じでした。

・都心部の地価は狂乱的に上昇していたため、不動産屋と暴力団が組んだ地上げ屋が横行、下町の風情ある地区や中央区・千代田区などの古い住宅地もサラ地になり、さらなる値上がり待ちのためにコインパーキングになってしまいました。

・学生の就職活動や、ちょっとした外でのミーティング程度でもフランス料理店や高級中華の接待があったそうです。学生が会社員の先輩に話を聞きに訪問したら、帰り用のタクシーチケットをもらったというような話は普通にあったようです。

・ジュリアナ東京は有名でした。行ったことなくてもあの音楽だけは印象にのこります。赤坂・六本木界隈は今以上に外人がウジャウジャいたと記憶しています。当時は地下鉄大江戸線がまだ開通していなかったので、もっぱらタクシーが主要な手段です。あの頃の事は今でも運転手さんたちの語り草ですね。

最後にバブル景気が話題になる以前から日本語には「あぶく銭」という言葉があります。要するに日本人はたまたま来た大きな好景気に浮かれすぎて勤労を忘れてしまった事が最大の敗因だと思います。まだまだ発展できる素地はあったと思うのですが、途半ばにしてアグラをかいて遊び呆けてしまった。
それと金を持ち慣れない人間が偶然大金を持ってしまったので、使い道が分からなかった点。もう少し将来への種蒔きとして使えば、今頃の日本は不景気ながらもう少しマシになっていたのではないかと残念です。

今の30代後半から50代って、その頃に「青春」だった人ですからね。
まだバブルの思考回路が直っていない人(金遣いの面とか哲学の欠如とか)もいますよ。相手にするときは少し注意しましょう。
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下記サイトが凄くわかりやすいです。


土地が一気に上がり、銀行金利は7%を超えるなど資産を持っている人は一気に懐が豊かになり、高いものが売れる一大消費ブームを呼び起こしました。
日本中がこのまま好景気がいつまでも続くと信じ浮かれていました。
当然、就職は売り手市場でした。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%96% …

バブル景気とは、1986年12月から1991年2月までの4年3か月間を指すのが通説。
過剰な投機熱による資産価格の高騰によって支えられ、その崩壊(バブル崩壊)とともに急激に後退。同時に1973年より始まった安定成長期も終焉を迎え、その後の平成不況(複合不況、失われた10年)の引き金となった。


・大都市周辺の土地取得のため、地上げ屋(主に暴力団員)の強引な手口による「地上げ」が行なわれるようになり、社会問題となった。

・過度の地価上昇を見て、これ以上値上がりする前に一刻も早く住宅を取得するべきだと考える人も増え、その行動は、また、地価上昇に拍車をかけた。

・フェラーリやロールスロイス、ベントレーなどの高級輸入車、トヨタ・ソアラ、日産・シーマなどの国産高級車への人気集中(「シーマ現象」と称された)、サザビーなどが開催したオークションによるゴッホやルノアールなどの絵画や骨董品、にまで及ぶなど、企業や富裕層のみならず、一般人まで巻き込んだ一大消費ブームが起きた。

・消費の過熱は当然六本木や銀座などの盛り場にも影響し、これらの盛り場では大金を手にしたいわゆる「バブル紳士」から学生までが大金をつぎ込んだ。一大ディスコ・ブームが起こった。

・三菱地所がニューヨークの象徴的な建物であるロックフェラーセンターを買収して日本脅威論が噴出
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とにかく値段が高ければ売れた時代です。



1つ1000円のインスタントラーメン(袋いり)
1丁1000円の豆腐
トヨタのセルシオは800万するのに注文してから2
年待ち。

マンションなんか1ヶ月の間に持ち主が3人もかわり
(買ってすぐに転売するから)そのたびに100万単
位で値段があがっていった、そんな時代でした。
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