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なんかいろんな説があったことや、時間の経過と共に、事故原因を忘れてしまいました。どなたか教えてください。

A 回答 (13件中1~10件)

1、圧力隔壁が壊された。


2、無人標的機とぶつかった。
3、ミサイルで撃墜された。
4、3と2の、合体。
等です。
1は、皆さん言っておられるように、運輸省(現・国土交通省。)の、事故調査委員会が、強引的に作ったもので、あまり信憑性はありません。
私は、4番だと思っています。(誤って、自衛隊の標的機が、JAL123便に衝突し、自衛隊批判を避けるため、ミサイルで撃ち落した。専門家が、垂直尾翼に、何かがぶったって壊れたのではないかといっている。)
操縦不能機を、山中に誘導するのも疑問ですし、横田基地に着陸可能だったのに、立ち消えになったり・・・。
こんなことで事故が起こらないと、隠蔽しようとしないのでは?
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もうすでに有効な回答が出ていますが、下記URLの様な質問もあったので、ご覧ください。



参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=291588
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修理ミスによる圧力隔壁の破壊が原因だとするいわゆる「圧力隔壁原因説」を今でも支持しているのは国土交通省や事故調査委員会などの「お役所」サイドと、日本航空上層部だけです。

今日専門家や業界関係者の間で一般的になっているのは次のような説です。

1.圧力隔壁の修理ミスによって与圧空気の流出があり、機体後部の非与圧区画に内側から繰り返し圧力がかかっていた。
2.この圧力により垂直安定板外板のリベット接合部に金属疲労が発生、飛行中に剥離した。
3.上記の剥離部分より高速度の外気が流入、垂直安定板の大部分とAPUの脱落を招いた。
4.垂直安定板等の脱落により機体後部の非与圧区画に急激な減圧が発生し、この急減圧に耐え切れず圧力隔壁が壊れた。
5.垂直安定板とともに方向蛇も脱落したため、4つある油圧系統はすべて使用不能となり、操縦不能の状態に陥った。

 とまあ、大体こんな感じです。
 圧力隔壁説の最大の矛盾は、水平安定板に全く損傷が無いこと、機内の急減圧が起きていないことにあります。前者について、水平安定板は機体内部で左右が1つに繋がっているのですが、圧力隔壁のすぐ後方に内部点検用の開口部があります。もし圧力隔壁の破壊によって流出した与圧空気が垂直安定板を破壊したのだとすれば、圧力隔壁のすぐ後方に開口部のある水平安定板も大きな損傷を受けていたはずです。しかし、実際には水平安定板の破壊は見られませんでした。また、事故調が言うような圧力隔壁の破壊があったとすれば、機内では急速な減圧が起こった筈ですが、生存者である客室乗務員の証言から、大規模な圧力隔壁の破壊はなかったことは明らかになっています。

 ではなぜ、事故調と日本航空は「圧力隔壁原因説」にこだわるのか。それは、垂直安定板に前述したような金属疲労があれば、通常の整備で当然発見していなければならなかったからです。詳しくは書きませんが、圧力隔壁は垂直安定板に比べ検査対象として重視されていなかったのです)ですから、垂直尾翼の不具合で事故が起きたということは、日本航空の整備に問題があったと認めるのと同義なのです。それを認めることが、日本航空と運輸省(当時)にとって共通の不利益であったために、圧力隔壁説が「作られた」訳です。

 まあ、自衛隊説は荒唐無稽でしょう。羽田から西日本への空の大動脈である大島近辺で無人機を使った演習などする筈がありません。
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 明日(2002年8月12日)付けで事故から17年を迎えることになりますが、


事故について調べたいのでしたら、大きな図書館に全国または地方の新聞の縮刷版が
置いてあることがあると思います。

 そこから1985年(昭和60年)8月12日以降の記事を探されてみてはいかがでしょうか?
当時は連日連夜、新聞やニュースで事故に関する報道で持ちきりになっていましたが、
それらの記事をじっくりと読みあさってみれば、あるいは何かしらの事故原因を探るヒントが
少しは出てきそうではないかと思います。
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自衛隊説等、政府系の圧力等いろんな


話をわたしも耳にしましたが、
そもそももし何かしらの事情が裏にあったのだとしたら、
自衛隊員はわざわざ四人を救出しなかったのでは
ないかと思います。生き残りの証言など
ないほうが都合がいいはずですから。
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圧力隔壁が原因であると発表されるまでの時間がとても短く、


またボーイング社も修理ミスを早い段階で認めていました。

なにか強い意志が背後に働いている、という状況は皆感じていたと思います。

現場ですが、あの程度の場所で夜だから捜索できないということはありません。
営林署の職員などが先導すればすぐにでも現場に急行できます。

墜落そのものは事故としても、その後の対応とか報道など
不可解と言えるかと思います。

しかし、政府や米国まで関与する事故となれば何を言っても調べても
それは無駄ですし、係わらない方が良いと私は考えます。

真剣に事実を隠蔽したがっている事故、そういう事です。
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皆さんの言われた圧力隔壁原因説の他に自衛隊関与説もあります。



自衛隊の練習用の無人標的機が尾翼付近に衝突したと「仮定」すると
いろいろな問題点や疑問点が説明できるからです。

当初は墜落地点は海上だとわざとマスコミの目をそらして時間稼ぎをした。
海上自衛隊も出動して海での都合の悪い証拠は回収した。
御巣鷹山へは最初に自衛隊が入って悪い証拠は回収した。
標的機は黄色い塗装。それを回収したが現場写真にも黄色い部品が
少し写っている。ジャンボ機にはそんな部品はない。
マスコミが現場に早く着かないよう自衛隊がけっこう邪魔になった。
圧力隔壁がこわれたら急減圧で乗客も失神するが、そうではなかったので
尾翼部破損とかんがえれば説明がつく。

といった内容の本も出版されてます。
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日航123便の御巣鷹山墜落事故の事ですね。


1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村本谷(御巣鷹の尾根)に墜落して、死亡520名、重傷4名を出した事故です。

この事故の事故原因については、運輸省航空事故調査委員会では、後部圧力隔壁破壊が原因と結論を出しましたが、異論も多く、いろいろに説があるようです。

日航ジャンボ機墜落事故関連リンク集があります、参考urlをご覧ください。

参考URL:http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-link.htm
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こんにちわ。


そうですね。この事故は非常に記憶に残っています。

1.まず、事故が8/12だったこと。この日は我が故郷では夏祭りで、みんなが集まっていた時にテレビでの一報が入ったこと。
 そして、テレビでは、日航機が山に墜落したようだと伝え・・・・・、自衛隊のヘリコプターが現場近くに行ったて、燃えている機体を確認しながら、もうすでに現場は真っ暗闇だったが、緊急時ではないということから、現場に人を降下させるとか、すぐに救援活動をしなかったこと。

2.坂本九ちゃんが乗っていたこと。

3.夕暮れ迫る関東上空をダッチロールしながら、機長の懸命なボイスレコーダーの声を聞きました。
この時ダッチロールという言葉を初めて聞いたこと。

4.それでも、数人が奇跡的に救出され、少女が救出されたときの映像がよみがえりました。

こういう事故は無くしたいですね。

合掌。
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おはようございます。



本件についてはGoogleなどのサーチエンジンで「日航ジャンボ機」AND「墜落」のキーワードでサーチすると多くのヒットがあります。
そのうちの1つを挙げておきます。

http://www.age.ne.jp/x/dij/Hi-King/topics/123ind …

ボイスレコーダの内容をアップしているサイトも有ったと思います。

参考URL:http://www.age.ne.jp/x/dij/Hi-King/topics/123ind …
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