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「あんたらのかけがえの無いとても大切な奥さん・娘さんが、この事件と全く同じ目に合っても、あんたらはどうする?少なくとも『死刑』は望まないんだよな?」

以上のような事を弁護団に対して言ったら、何と言うと思いますか?

僕の予想
「何言ってるんだ!死刑に決まってるだろ!」
いざ自分の事となると「死刑!死刑!」と声高に叫ぶと思います…

皆さんの意見をお聞かせ下さい。

A 回答 (27件中1~10件)

仕事、金もらってやってるからしょうがないよ


彼等も人間、実際レイプされて殺されたら同じ反応だよ
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私は一部死刑推進論者です。



日本の法律に故人の人権はありません。
被害者の人権もありません。
被害者救済法も(ほぼ)ありません

感情的にも論理的にも唱えるつもりはありませんが、ただ言える事は
”年齢は関係ない”
他人の人生を奪い、まだ幼い子供の命を奪い、自らの延命を懇願する加害者

”事故””冤罪の可能性がある”には情状酌量の余地を
”確定犯”には被害者と同等の報いを

受けさせるのは人間として当然と思います。
加害者に逃げ道や言い訳は必要ありません

法曹界に身を委ねる者は真実の追究と量刑を求めてください
事件の社会性を追風に自らの偏った信念や名声を求めないでください
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私は死刑廃止論者なので、弁護士たちの気持ちも理解できます。


ですが、どうしても言いたい。
忘れてはいないでしょうか、大事なことを。

弁護士の使命は、弁護士法に明記されている

「基本的人権を擁護し、社会正義を実現すること」

これに尽きるということを。
彼ら弁護団の方針は、果たして社会正義の実現と言えるのでしょうか。

弁護団がすべきことは、傷害致死を主張することではなく、
被告人が自己の犯罪と真正面から向き合い、
罪を悔やみ、恥じ、亡き人へ心から詫び、冥福を祈り、
事件の真相はどうであったのか、誠心誠意遺族(検察)に対し、
全てを明らかにすることだと思います。

社会正義とは、死刑を主張することでも、傷害致死を主張することでもない。
事件の真相はどうだったのか。
冤罪の被告人なら、冤罪を主張し、
罪を犯した被告人なら、なぜ事件が起き、それがどのような経緯を辿ったのかを明らかにする。
そして、罪を悔いる。被害者、遺族に心から詫びる誠意を、被告人に抱かせること。
社会正義とはそういうことだと思います。

傷害致死を主張することが、被告人を守ることならば、
それは単に一方的な福祉の擁護です。
検察は被告を相手にしていますが、社会をも相手にしています。
刑法の目的には一般予防もあります。
弁護人が、被告人を心から改悛させることは、その基本的人権を守るこはもちろんのこと、
被告人の認めた罪に相応しい量刑を是認することは、
一般予防をも視野に入れた社会秩序維持にもつながります。

社会正義とは何か。

それは、傷害致死を主張することなのか。
弁護士手帳を見開いて、そして弁護士バッジに胸を当てて、
彼ら弁護団は真剣に考えて欲しいと思います。
それが、被告人の人権を本当に擁護することにつながると思うから・・・
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死刑と言って何か悪いのでしょうか?



人間立場が違えば意見が変わるものでは?
職業ならなおさらでは?外科医で自分の家族の手術はできない人多いみたいですし、営業職で売ってはいるが家族には勧めない人もいると思います。

ここで批判的意見の人も、家族や親族が一時的な気の迷いで人を殺していて死刑が求刑されたら反対に回ると思いますが?

感情的な面では理解もしますが単純な正義感ではいかがなものかと・・
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弁護士は、職務として被告人を全力で弁護する責任があり、その目的のために多少無理のある論理を展開するのもわからなくはないと思います。


弁護人なしの裁判はありえないでしょうし、被告人にも人権があると言う事も認めなければなりません。

しかしそれはあくまで被告に依頼された場合であり、今回のようにボランティアで「押しかけ弁護」とも思えるような弁護人たちは、何か別の目的があると思われても仕方ないでしょう。
死刑廃止運動に、この裁判を利用していると思います。
安田という弁護士の、今までの活動を見ても。

さて、今回の質問の答えですが、ある人は被害者側の心情をはじめて理解し、今までの活動を心底後悔して加害者を死刑にするために活動をはじめるでしょうし、またある人はジレンマに葛藤しながらも死刑廃止を引き続き訴えるのかも知れませんね。
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弁護団主張「死後に遺体を犯した行為は、生をつぎ込み死者を復活させる魔術的な儀式だった。



どこが理路整然なんだよ。
被害者の尊厳を踏みにじる行為は、故人には人権がないから構わないってか?
蛇蝎のごとく嫌われて当然だろう。
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弁護士と言う職務上、被告人をむやみやたらと死刑にすることは出来ないでしょう。


事実をはっきりさせて罪を裁くのが目的ですから、一方的に責めてもしょうがない。
本心では死んでしまえと思うような相手でも、弁護士として死んでしまえなどと言うのは弁護士失格ですよ。

世の中、自分の味方には心を開く人ってのがいます。
だから味方になって相手の心を開かせ、ありのままを語らせ、事実を究明することは求められるべきことです。
そういう立場の人間は、口が避けても死ねと言ってはいけない。裏切りと言う印象を相手に与えれば真相究明を遠ざけます。
がんばったとして何も得られないかもしれませんが、諦めたときに失うものはそれと比べ物にならないほど大きいと思います。

死刑になるような裁判であってもただ死刑にすればいいわけじゃないと思う。
死刑にするな、と言う意味ではありませんし死刑がもっとも相応しいのかも知れませんが、真相を追究することなくただ単純に死刑にしてさっさと終わらせるのは社会が許しません。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82% …
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法律家ではないですが、刑事訴訟法は法律の中でも非常に理路整然と


した体系を持っている法律です。裁判官、検事、弁護士はその中で
おのおのの職務をはたしているだけです。

感情論をするのは多いに結構ですが、弁護団を非難するのは
オカド違いです。坊主憎けりゃ袈裟までもでしかありません。
そういう考え方をしていくと、犯人の親などに非難の矛先が
向かっていく。あるいは犯人の出自(人種など)に向かっていく。
そういうのが日本で繰り返されたパターンです。
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法曹界の人間には


「自分たちは一般人とは違う神(法律)の代理人。法治国家の根幹そのもの」という意識がありますから
一般人が自分たちに危害を及ぼすというのは刑事事件ではなく、法治国家への挑戦なんですよ。
当然、神への反逆を企てた罪人は極刑!と言うでしょうね。

「むしゃくしゃしてやった。誰でも良かった」とかいう事件の犯人には
ぜひ、こいつらの妻に「甘えて抱きついたり」、子供や孫の首に「ちょうちょ結び」をして欲しいなと思っているのですが・・・
(殺人を助長するような文言はありませんよ)
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