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今日、日本の大学の意義が問われていると思うんです。
大学へ何のために行くのか。とか。。。。

しかし、大学というところは、本来、社会に役立つ研究や、開発を行う場であった、あるべき、あるはずなのですが、身近にそういった関連の人間の内実を知らないで過ごして来たため、彼らの本来、本質的な学術や研究を行っているのかどうかなどを知りたいのですが、どうしたらよいですか。また、現在ある日本の大学のすべての研究科などの閲覧できる資料はどこへ行けば手に入れることができますか。

A 回答 (7件)

日本の大学は入りづらく、出やすいが、アメリカは逆



という都市伝説に関して。

東京大学の小宮山総長が、「東大のこと、教えます―総長自ら語る!教育、経営、日本の未来…「課題解決一問一答」 (単行本) 」
で、上記のことに関して以下のように回答されています

東大も、ハーバードなどのアメリカの一流大学は、卒業率は同程度。つまり、出やすさ・出にくさは同程度。
アメリカの大学が入りやすいという都市伝説は、カレッジレベルなら、日本の高校並みに希望者全入になっているというものと、一流大学はちゃんと入ったらちゃんと出ているというものが混じっているようです。
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> 大学へ何のために行くのか。

とか。。。。

 高校生が陥りやすい命題ですね。これに対し、「 やりたいことの
ない人ほど大学に行くべき 」というのが私の持論です。

 社会に出て働くようになると、自分が高校生だったとき、いかに
世の中のことを知らなかったのか、知らなくても生きてこれたかが
わかるようになります。とは言っても、高校生の段階ではわからな
くて当然なんですよ。

 たとえば、世の中の多くの人はサラリーマンであり、さまざまな
企業に勤めています。それらひとつひとつの企業が社会でどんな役
割を果たしていて、それぞれの職種はどんな仕事なのかなんて、想
像が付きませんよね? それは、高校生の生活は社会との接点が少
なく、高校という狭い範囲の中でいかに生きるかが重要だからです。

 それに対し、大学には日本中からさまざまな個性を持った人が
集まってきます。18歳を超えることで半大人として扱われ、その
気になればバイトで自活もできるようになります。また大学という
機関を通して社会の様々な仕組みに触れることにより、将来自分が
就きたい職業について具体的なイメージが掴めるようになります。

 なかには、高校生のころから「弁護士になりたい」「貿易に関わり
たい」といった目標を持つ人もいます。ですが、目標を持っていない
高校生よりも彼らのほうが偉いなんてことはありません。なぜなら、
弁護士や貿易業というのは、外形的にわかりやすい職業だから、
若い人が目標にしやすいというだけのことなんです。

 たとえば高校生のうちから「 メーカーの営業になりたい 」なんて
希望を持つ人はいませんよね。そもそもメーカーって何? 営業って
何なの? という感じでしょう。こういうボンヤリしたものが、大学に
通っているうちにハッキリしてくるのです。

 ですので極論すれば、大学に行くのは社会勉強のためです。もしくは
職業訓練と言えるかもしれません。もちろん研究や勉強も大切ですが、
その勉強が何の仕事に繋がっていくのかを知るのも、大学生活において
身に付けるべき大事なことのひとつです。

 なので迷いがあるなら、むしろ大学に行きましょう。実際に進学して
自分に合わなかったら、やめればいい話です。高卒の就職であれば、
新卒が大学中退より有利なんてこともありません。

> 日本の大学のすべての研究科などの閲覧できる資料はどこへ行けば手に入れることができますか。

 そういうものはありません。そういうものがあると考えていること自体、
大学に対するイメージが誤っている証拠です。日本の全企業がどんな業務を
やっているかの一覧もありません。会社四季報にも書いてませんしね。
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#1さんに賛同します。

『役に立つ立たない』という近視眼的な研究は、ほっといても企業がやります。税金をつぎ込んで大学で態々やる必要は無いと思います。そう言った実際的な研究とは別の次元で、大学の科学者は時には何の役に立つのか分からない研究をやってきました。

それはいけない事でしょうか?例えばノーベル物理学賞を取った小柴教授の研究は何の役に立つのでしょうか?小柴先生はこう答えたそうです「ニュートリノというのは星でも何でも透過するから、X線を使うと私たちの身体のなかが見えるように、これで星のなかも見えるんです」。星の中を見て、社会の役に立ちますか??

『役にたつ・たたない』というのは非常に難しい問題です。その尺度も曖昧な上に、だれがそれを判定するのかという事も非常に問題です。例えば、主婦の目線からだと、星の中が見られても何もうれしくありません。だからといって『役に立たない』と断罪できるのでしょうか?私は、小柴先生の研究を正統に評価できるのは、同じ事を研究している世界中のライバルだけだと思います。実際に研究の世界ではピアレビューという仕組みが非常に浸透しており、問題が無いとは言えませんが、公平なジャッジの仕組みが保たれています。

ただし、大学がこれほどまで大衆化した現在では、社会の役にたつかどうか以前に、研究をまったくやっていない大学も数多く存在します。これは、上記の問題とは別に考えなければいけません。これだけ大衆化したのだから、一部の大学を除いては『単なる教育機関』でも良いのではないか?と私は考えます。高校までの詰め込み型・受身型教育と異なり、自ら学びたい授業を取るという能動的な勉強の経験を積んでおくことは、非常に重要な事だと思います。授業をサボりつつも、試験前はノートの貸し借りで上手くやって単位を取るという行為だって、その要領の良さに磨きをかけるという点では、将来にとって無駄な事ではないとさえ思います。


日本の大学の資料は受験用の大学案内書が詳しいと思います。研究に関しては国立情報学研究所にまとまっていると思います。個別の論文はGoogle Scholarで探すとよいでしょう。
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大学は、学生にとって専門分野の知識を学べる所だと思います。



大学へ行く理由は人それぞれだと思いますが、(1)興味のある分野を学ぶ為(2)その学部を卒業することで得られる資格(受験資格)をとる為、といった理由が、私の周りでは大半でしたよ。

大学は教育と研究を行う場ですが、大学によっては教育メインな所もあります。大半の大学生は専門知識を授業や配属された研究室/ゼミで学ぶだけで、本格的に自分で研究を行うのは大学院に上がってからになります。

医学系しか知りませんが、日本の大学の研究レベルは、アメリカと比較してもそう変わらないとよく言われています。
日本の大学で医学系の学術研究がどれほどされているかを知りたい場合は、下記のリンクで大学名を入れたりして検索してみてください。大量の学術論文がヒットします。このサイトは『PubMed』といって、医学系の研究者が文献検索によく利用しているサイトです。

参考URL:http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?DB …
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彼らの本来、本質的な学術や研究を行っているのかどうかなどを知りたいのですが、どうしたらよいですか



とりあえず何をやってるのかな~?といった程度のことであれば大学のHPを見ればわかります。

興味のある分野、例えば経済学であるなら ○○大学 経済学部
とでも検索して、そこからリンクをたどってみてください。


また、現在ある日本の大学のすべての研究科などの閲覧できる資料はどこへ行けば手に入れることができますか

これも基本的にHPです。一応参考URLを張っておきますが、これはごく一部だと思ってください。

参考URL:http://read.jst.go.jp/
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この回答へのお礼

thank u very much..研究機関の数の多さに驚愕しました。もう少し専門分野にしぼって検索するなりしてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/19 00:21

「何を学ぶのか」は、各大学によって非常に違います。



例えば、少々古いですが、かの有名なクラーク博士が設立した札幌農学校(日本発の「学位」授与機関)は、農学校でありながらリベラル・アーツを根本にすえた教育を施していました。リベラル・アーツとは、簡単に言えば、農に関することだけでなく、あらゆることを学ぶ=教養を身につける、ということです。キリスト教的な「全人教育」(All-Roundな人)を目指すという構図からきています。

対して、専修大学はその名前の由来となった設立の趣旨から伺えるように、「一科専修」を理想としています。つまり、広く浅くでは無く、一つの分野においてのみ深めていくことこそが学問であるという姿勢です。

つまり私が言いたいことは、一口に大学とはいっても、その目標とするところ、施している教育は千差万別ということです。

故に、それぞれの大学にとって個別の「彼らの本来、本質的な学術や研究」はあっても、大学界全体の「本来、本質的な学術や研究」というものは存在しません。

このそれぞれの大学にとって個別の本来、本質的な学術や研究は主に「どういった単位をどのように取れば卒業となるか」に色濃く反映されていることが多いです。例えば、"国際"基督教大学では英語の単位を大体30単位ほど取らなければなりません(細かく言うと違いますが…)。対して、上智大学では(哲学科ですが)たしか4?~8?単位のみでよかったような気がします。ですが、ICUでは第三外国語が必修ではないのに対して、哲学科では必修でした。

他にも広報の仕方や学生に対する態度、教授の理想などにもここの大学の特徴は現れますが、一番大きなものはやはり卒業に必要な単位だと思います。(まともな大学であれば)

この回答への補足

そうですか。
個人的には、卒業の単位取得目的だけで勉強を頑張ることにやや疑問を感じます。なぜなら、卒業単位というものは、どのように取るものなのかが分からないからです。
しかし、推測ですと、講義に出席し、その講義に対する考えや何かをまとめた論文などを提出し、その内容がどのようなものか、教授に或る程度認められた場合のみ、単位を取得できる、という風に思うのですが、
私の世代1978年4月2日以降生まれの人間が丁度大学生だった頃、日本の大学は、入学は難しいけれど、卒業するまでの道のりは簡単で、アメリカの大学とは正反対だ、と聞いたことがあります。

そして、そのことに対し、個人的に、アメリカのようなシステムの方が、好みだな、と感じたのも事実です。

補足日時:2007/05/23 11:27
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「大学というところは、本来、社会に役立つ研究や、開発を行う場であった、あるべき、あるはず」ってのがそもそも違うと思いますが。

この回答への補足

何を学ぶところなのでしょうか

補足日時:2007/05/23 00:25
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