No.2ベストアンサー
- 回答日時:
rio-chiさん、はじめまして。
スコンチョといいます。(^_^)ちょっとした仕事で、小野小町について調べた経験があるので、そのときの
イメージを書きますね。
まず、小野小町自体は謎に包まれた生涯で、「ゆかりの地」「お墓」は全国で
20カ所以上(青森~宮崎)あります。平安時代に、それほど全国行脚できたと
は考えにくいので、噂が先行して、各地に逸話ができたものと思われます。その
大半は、その地元の美しい女性を「小町」と称して、墓とかゆかりの地(姿見の
井戸とか多いですね)と謳ったのではないかと思います。
彼女自身はその美貌に加えて、歌人としての評価が高く「六歌仙」「三十六
歌仙」にも選ばれています。晩年に読んだとされる「花の色はうつりにけりな~」
の歌は有名ですが、若い頃から宮中で才色兼備と評されていたようです。
また、有名な深草少将との逸話を始め、彼女は誰とも結婚しませんでした。
そこから推測される様々な説(病気・レズなど)があり、彼女の謎の人生の上に
さらにベールをかけているかのようなイメージがあります。
出身はおそらく秋田ではないかと言われています。ですから、インターネット
で検索すると秋田のHPがたくさんピックアップされますね。(^_^)
参考URL:http://www.yutopia.or.jp/~ogachi/txt/d01.htm
アドバイス、ありがとうございました。
skonchoさんは小野小町について調べた経験があるんですね!
「ゆかりの地」と「お墓」は全国で 20カ所以上(青森~宮崎)あるなんてびっくりしました。
その大半は、その地元の美しい女性を「小町」と称したってことは、やはり小町は「美人」って考えは
古くから根づいていたってことなんですかね?(^-^)
URLも是非、参考にさせてもらいます。丁寧に教えてくださり、ありがとうございました!
No.8
- 回答日時:
本当は歌が上手なことを褒めようとしたのに容貌が美しかったと間違ってとられて、美人という伝説が生まれた
というような話を聞いたことがあります。
↑とありますが、これは両方言いたかったのだと思います。掛詞ってやつです。
歌も上手だし、容貌も美しかった。
どっちか一個、と決めるのはつまらないと思います。
物事には二つの見方があります。
よいほうにとるか、悪いほうにとるかは読者次第です。
もしも厭味もはいっているとしたら、小野小町はブスだし歌もヘタクソともとれます。
どうとってもいいんですよね、たぶん。
わたしは小野小町が好きなので、美人で歌もうまい人だと思いたいです。いや、思います。
信じるのは私の自由です。
誰にも侵害させません。
強烈な言葉を使っていますが、たいした事はいっていません。
喧嘩腰でご迷惑お掛け致しております。
No.7
- 回答日時:
申し訳ありません、私の書き方がいささか不適切だったようで、誤解を招く記述がありました。
補足させて頂きます。1.末摘花の住まいについて
「荒れ果てた」とは書きましたが、京都以外の地とは言っておりません。お間違えなきように。
2.顔の確認についてですが、当時の照明は夜間に人の顔をはっきり確認できるようなものではありませんでした。隠すも隠さないもないですよ。源氏が夜中に彼女の顔を見た、というのは完全に事実誤認です。この時源氏は「なにやら彼女の顔のさわり心地がおかしいな(鼻です)」と思い、明け方の見送りに「是非端近まで出ていらっしゃい」と頼んで確認したわけです。
3.末摘花の侍女について
貧乏な姫君に付いているのだから、できのいい侍女がいるわけがありません。実際源氏物語の中では、他の使用人達は末摘花を見限って出ていってしまい、最後に残った2,3人が側にいただけです。
4.末摘花と源氏の関係のその後
彼女の顔を確認したのち遠ざかった、というのも一部間違いがあります。男女の仲としては遠ざかったものの、末摘花が皇室の直系家系の女性だったため、粗略な扱いはできないということで、後々まで彼女の生活の面倒を見ています。
5.通い婚の解消について
「更級日記」をご存知ですか?是非読まれることをおすすめ致します。
Obunsha様
私は貴方の意見を否定したわけではありません。
ただ「史実に基づいた」研究文献、及び例として源氏物語をふまえた上での意見を述べたまでです。
1000年も前の人間に関することですから、なにもかも現代の尺度で捕らえるのは難しいことと思いますが、いかがでしょうか?
例えば「毒になるような化粧ならするわけない云々」ですが、当時の上流の女性はそれを実際にしていたわけで、鉛の中毒というのも後世の研究者達によって解明されたこと。実際には、化粧をしない女性の母乳を与えると子供に障害が出ない、というのは経験的に得られた知識だったのです。
言い出したらきりがありませんので、この辺でやめておきます。
歴史上の人物に関して何かを研究する場合は、必ず学術的な文献からのアプローチをするべきです。ですが、勿論現代の価値観からの見直しも必要です。その意味では、Obunsha様のご意見を非常に興味深く拝見致しました。
いろいろな考え方もあるものですね。
No.6
- 回答日時:
床の中に入ってもイヤイヤ、と顔を隠してしまうのはブスの証拠。
美人なら、隠さないはずでは?
出し惜しみってのもありますね。
顔を出したときに、とてつもなく美人。
これは男にとっては嬉しいはず。
こんな美人を俺はものにしたのか・・・・
と思うと熱い夜になるはずです。
高名な歌人としてプライドが高かったとすれば、京にとどまっていたはずです。
地方で暮らすのは負けを意味します。
しかし、それを彼女はやってのけた。
コンプレックスは隠し通したいやつは京にとどまり、
つまらない常識に縛られ、
ストレスだらけのぴりぴりした生活を送ります。
小野小町には高名な歌人となどというつまらないプライドははじめから無かったのだと思います。
そういう肩書きをつけたのは周りの人間。
対抗意識を勝手に燃やされ、
喧嘩を売られ、
いわれの無いうわさを立てられ謗られバカにされ、
ほとほと優雅な京にうんざり愛想を尽かしたのでは。
だから京のことなんかどうでもいいやと思うだろうし、
そんな田舎ものの小野小町の消息なんぞ
超エリート集団の人間たちには興味も沸かなかったんでしょう。
いやぁむかつく女がいなくなってせいせいしたねぇくらいの認識でしょう。
さて、やはり首都移転は秋田でしょう。
どこかの大手不動産会社が秋田市に高層マンションを売り出しました。
なんであんな田舎に高層マンションなんか作るんでしょうね。
なんか利益を見込んでのことでしょう。
度々回答してくださり、ありがとうございます!
色々な意見を教えてくだり、とても参考になります。
小町が顔を隠したり男を拒絶してみせたりするのは、もしかしたら男の心理を上手くつかんでいるのかもしれないなって
obunshaさんの意見を聞いて思いました。
是非、参考にさせてもらいます。本当にありがとうございました!
No.5
- 回答日時:
小野小町は絶世の美女だと思います。
#4の回答者様の回答にもありますが、末摘花の顔は何夜目かに光源氏は確認しています。
その上で、疎遠になりました。
彼女の詠む歌も、なにやら中途半端な歌だったと記憶しています。
そういえば、ガリガリで鼻の先も赤いピエロみたいなお姫様なんですよね。
侍女はその末摘花のあまりの人の良さというか、しょうも無さにどうしようもなく同情を感じ、
ビンボであるにもかかわらず侍女でいるんですよね?
彼女の家?もそんなに京から離れたところでは無かったと思います。
距離の近いところならば、ちょこちょこと通えるので
いい遊び相手になります。
しかしです。
ただの遊びであれば、京の都から辺鄙な田舎の秋田までこようとなどは思わないはずです。
本当に自分のことを思ってくれているなら、田舎だろうがどこだろうが追っかけてきてくれるはずです。
小野小町は、その心理を利用したのだと思います。
もしかしたら、どうしようもなくしつこい男に付きまとわれていたのかもしれません。
距離さえあれば、遊び半分のしつこい男も諦めてくれます。
それと、化粧について。
本当にきれいだったら、そのまんまできれいなので化粧しません。
ましてや、そんな毒ある化粧なんかしません。
化粧すればするほど肌荒れして、ブスになっていきます。
京で化粧するのが常識だったとしたら、そんなバカな常識は捨てて
そういうヘンな常識の無い田舎に引っ込んで自由気ままに暮らすものではないでしょうか。
田舎の使用人を連れて行っても、絶世の美女とたたえられたのであれば、やはり美女だったのでは。
そして、通い婚解消の話。
通っていった男のほうが振られたのでは?
解消された女も、せいせいしているのではないでしょうか。
そういえば、通い婚解消されてまってまって三年まったけど
ダンナが帰ってこなくて、他の男と結婚の約束をしたその次の日?
ダンナがひょっこり帰ってきて
「よりを戻そう」
といった話、ありましたよね。
女は婚約の話したら男は出て行った。
女は男を追いかけて、野垂れ死にました。
というわけで、小野小町は色彩兼備で気の強い美女だったと思います。
関係ないんですが今は昔の首都移転計画、あれ秋田だと思います。
大潟湾に首都を設置すれば、秋田港で大陸と交易が可能です。
再度長文失礼致しました。
No.4
- 回答日時:
小野小町は本当に美女だったのか?
これは私はかなり怪しかったと思っています。
というのも、当時の中上流のやんごとない貴婦人達は、明るいところで決して人前に顔を見せない。夫とも、幾晩も過ごした後にやっとちらり、と言う程度です。
では「美女」と誉れ高いという情報はどこから出るかというと、これが全て噂。
たとえば源氏物語で「末摘花」というぶっさいく(象のように鼻が長いらしい)な上に貧乏なお姫様と光源氏が通じてしまう下りがあります。これは末摘花の乳母や侍女が、光君に「頼る人のない高貴の姫君が、荒れ果てたお屋敷で一人寂しく琴を相手に暮らしている」と言って光君をその気にさせてしまったのです。乳母や侍女にしてみれば、自分のお仕えしている姫君の凋落イコール自分たちの失職ですから、必死で彼女のパトロンになってくれる男性を捕まえようとします。
(ちなみに光君は、末摘花の元へ数日間通った後、明け方自分を見送りに表近くまで出てきた彼女を「横目でちらり」としか見ることができません。それくらい顔を隠していたわけですね)
あとは、着物の着方。御簾から十二単の裾をはみ出させて、色合わせ柄合わせのセンスを見せる。それでもって「趣味の良い美しい方」というイメージを作り、噂が広まる。
これも本人の容貌がどうのと言うよりは、趣味の良い侍女などを付けていればどうにでもなることです。
実際当時の貴族は、政略結婚の駒である娘達に、有能な女官を付けることに熱心でした。紫式部も清少納言も、それぞれ天皇の后に仕えています。おそらく和歌の代筆などもしていたのでしょうし、着物のコーディネイト、香の選び方の助言もしていたかもしれません。
今で言えば、大統領補佐官や代議士秘書みたいなものですね。
小野小町に話を戻しますと、彼女の美女伝説は「決して顔を見せなかった、誰とも深い仲にならなかった」というのがポイントだと思います。
真偽のほどを確かめた人がいないため、噂だけ一人歩きしたということです。
その上、歌人としての才能まであったために、ますます「美人に違いない」という期待が高まったのでしょう。
以前面白い仮説を読んだことがあります。
小野小町は、父の赴任地である秋田で生まれ、そこで成長したと言われています。実は、ずうずう弁のおじょうさんだったのではないか?
なにせラジオもテレビもない時代です。いくら貴族とはいえ、使用人も全員京都から連れてゆくわけにも行かず、普段の生活では地元で雇った人も多かったことでしょう。
余談ですが、貴族の女性はほとんどの場合自分で子育てしませんでした。当時のおしろいは鉛(酸化鉛だったかな?)が含まれており、それを胸の辺りまで塗るため、母乳を飲んだ子供が鉛中毒になるためです。母乳を与えるのは、化粧をしない下級役人の妻や庶民の女性です。小町を育てた乳母も、現地で雇われた可能性大です。
そして訛も今より信じられないくらいきつかったでしょう。本などで、京言葉を学習はしていたでしょうが、小町のずうずう弁、あり得る話です。
そしてそう考えるとなおさら、彼女が男性と接触するのを拒んだ理由にもなると思います。御簾ごしのおしゃべりでは、侍女が中継ぎをしてくれるので直に言葉を交わさなくても済みますが、寝所に入れるとそうはいきません。
当時は、貴族達は京都の中心地以外で暮らすことを非常にマイナスなことと考え、地方の文化なども決して認めませんでした。
高名な歌人としてプライドが高かったとすれば、自分のコンプレックスは隠し通したかったのではないでしょうか?
学校でお調べとのことですのでもうご存じのことでしょうが、老婆心からの蛇足。
当時の貴族の結婚は通い婚でした。男性が通ってくる限りは夫婦ですが、一方的に関係を解消することも簡単に出来ました。ですから、現代の解釈での妻・愛人というのを当てはめるのは少し難しいですね。
回答、ありがとうございました。konkon0421さんは、小町が美人だったというのは怪しいという意見なんですね。
なるほど!そういえば、確か小町が「美人」というのも『古今集』の仮名序に「小野小町は、いにしへの衣通姫の流れなり」と
あるのは、本当は歌が上手なことを褒めようとしたのに容貌が美しかったと間違ってとられて、美人という伝説が生まれた
というような話を聞いたことがあります。うーん・・・となると実際は小町は美人だったんでしょうかねぇ?(^^;
源氏物語の末摘花が「顔を隠していた」のと小町が「決して顔を見せなかった」というのもなんだか
共通点があって面白いなって思いました。是非、参考にさせてもらいます!ありがとうございました。
No.3
- 回答日時:
小野小町はやはり絶世の美女というイメージです。
秋田新幹線の名前にもなってるし、米の銘柄にもなってるし、小野小町の影響力は絶大です。
彼女が生きていた時代から千年も経っているというのに、まだその名を残しているのです。すごすぎます。
秋田出身の友人がいるのですが、彼女は秋田出身であるというとお約束のように
「あ~秋田美人だね~」
といわれるそうです。ただ、彼女はいちどこういわれたことがあるそうです。
「え?秋田出身なの?たいしたことないね」
彼女は事あるごとに悔しそうにしています。
秋田出身であるが故に受けてしまったとんでもない屈辱です。
それ以来彼女は秋田出身であっても初対面の人間には山形出身だといっているそうです。
さて、ある岩手県の温泉に「こまち風呂」とかいった温泉があるそうで、(正式名称は憶えてません)
長旅で弱りきった小野小町がその温泉に入ったとたんとんでもない美人に変わったそうで、
「こまち風呂」と命名されたそうです。新聞にのってたので不思議に思ってました。
でもよく考えると、美人て豹変するんですよね。
小学生の頃「ブス」といじめられてたこが、大人になって同窓会にくるとめちゃくちゃ美人になって
当時いじめてたクラスメイトが「あんな美人になるなら優しくしとけばよかった」とくやしがる、という場面をよく漫画で読みます。
それとおなじで、多分小野小町は長旅で衰弱しきって栄養状態もよくなかったのでくまはでき、
肌は荒れ、お風呂に入れないので垢がついてしまい世間一般でいわれる「ブス」だったのだと思います。
そんなとき、疲労回復、皮膚疾患に有効な温泉に入ったことで疲れがとれ、汚れが落ち、肌は回復し、
心身ともに休養できたことで本来の美しさを取り戻したのだと思います。
小野小町はもともと美人だったんだと思います。
小野小町が独身だったのは、常に恋愛していたかったからだと思います。
一度結婚してしまえば、ひとりの人間しか愛せないことになってしまいます。
これは美女にとってはとてももったいないことです。
逆に、彼女に見合っただけの知能明晰な独身男性が当時存在していなかったのでは、とも思います。
当時力のある男性は女を何人も囲うことができました。
彼女はだれかの愛人だったんじゃないかなーともおもいます。
愛人は愛人だけあって気楽です。束縛するものがありません。
小野小町はいいとこどりしたかったんだと思うし、わざわざ進んで本妻であるが故に悩む
愛人に対する嫉妬やその他もろもろの辛い目にあうのはいやだったんだと思います。
愛人のステイタスについては、課長島耕作の著者・弘兼憲史氏の作品で学びました。
島耕作氏はついに初芝の代表取締役に就任しました。
長文失礼致しました。
参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063340 …
回答、ありがとうございました。お米といえば「秋田こまち」は有名ですし、小野小町の影響力は大きいですよね!
それに「秋田美人」のエピソードはなるほど!と思いました。私の友人にも秋田出身の子がいるんですが、
初対面のとき「秋田出身」ということを聞いてやっぱり色白で綺麗だなって思ってしまいました。
小町=秋田=美人ってイメージの連想ってやっぱり無意識にあるんですかね(^-^)
詳しく教えてくださり、とても参考になりました。ありがとうございました!
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