プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

アルファベットで名前を書くときはどっちを先に書くんでしょうか?
Wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%93#.E5.A7.93 …を見ましたが結論は書いていませんでした。
結局決まっていないというのが現状なのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

アメリカに38年半住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。 (全くの個人主張と言うことですので、私と違う考えを回答としている方への反論ではありません)

これは日本人の僻みから来る「姓ー名」にしろ、としか考えられません。 中国人がはじめやってから全てが変わったのです。 そして、日本人だってやるべきだ!!と言いだして、その考えに洗脳され始めている事に気がつかないのです。

Taro Yamadaは英語での表現方法なのです。 I am a teacherという語順を「尊重する」と言う英語に対しての考えと同じなのです。

しかし、山田太郎と言う書き方は日本でも中国でも通用するのです。 なぜなら「英語式」表現方法ではないからです。

英語で表現する、と言う事は英語を使っている人が「問題なく理解してくれる」と言う事なのです。 だからこそ文法と言うものを英語の文法として「受け入れている」はずなのです。 日本語の表現方法ないし文法は英語には通用しないのです。

Yamada Taroと言う表現を日本語ではする方そうすると言えると言う事であれば、Yamada Taro am.と言えると言うのでしょうか。 

まさかですよね。

なぜ順序が大切なのか、と言えば、姓と名が分かり、Mr. Johnではおかしい、また、Johnson!ではおかしいからなのです。

ちょっと英語を知っていて、日本語を知っていれば、Taro YamadaでもKiuteriyuiu Kiuireituryでもどちらが姓でどちらが名であるか分かるのです。 そして、男性だとわかれば、Mr. Kiuireituryと初対面でいえるのです。

つまり、中国人がDear Mr. Johnというメールの書き出しでは、I is a teacherといっているくらい「恥ずかしい」事なのです。 

言葉を言葉としないで感情的に日本式にしろなんて言い出しそれに洗脳されてきていると言う事自体おかしいと感じないことすらおかしいのです。

生命の語順は英語の語順なのです。 Taro Yamadaは立派な英語表現なのです。 山田太郎は立派な日本語・中国語表現なのです。 これをYamada Taroにしろなんていわれ洗脳されているから、今度は「日本人は一貫性にかける」と言うレッテルを貼られ、学校で6年も英語を勉強しているのに英語を使う事が出来ないと言うレッテルから「何だよ、しゃべれないだけでなく名前の書き方もわからないのかよ」と言われて仕方ないと言わざるを得ないと思いませんか?

洗脳した人たちや洗脳された人たちにずばり聞くべきこと、として、Japanという「英語の名前」をこれからはNihonにしますか、それともNipponにしますか? それとも、また一貫性にかける原因を作ったままで外国の人に日本では人によって苗字を先に書く人がいるけど同時に英語表現をする人がいる、と英語の社会を混乱の渦に巻き込もうとするのでしょうか。

Taro Yamadaとどこが悪いと言うのでしょうか。 自分のしっかりとした意見を持たずにころころと人やマスコミによって意見を変えていくことの恥ずかしさを感じないのでしょうか。

Taro Yamadaは英語表現だからつかい、この「法則」「文法」があるからこそどちらが苗字なのかが分かり、洗脳されてしまったから、今度はその「間違い」をカバーする為に、大文字にする、カンマを入れる、と言う、更に混乱させる非英語表現を作らざるを得なくなってきているわけです。

>結局決まっていないというのが現状なのでしょうか?

決まっていたのです。 文法の一部として。 しかし、その文法を日本全体で認められない前に壊してしまったのです。 決まっていたものを壊しそれに対するしっかりとした一貫性を持たせる前に「ばらばらに」人それぞれに勝手に表現方法を決めていってしまったのですね。

何かとんでもない勘違いをしているとしかいえないわけです。 言い換えれば、洗脳した人たち、洗脳されてしまった人たち自身がこの矛盾した行為(一方では極度に文法に噛り付き一方では全くの無視をする)をしている事に気がつかない、と言う事なのです。

しかし、この文化に沿った英語表現、と言うものはあるのです。 つまり、この文化による生命の順序を重んずる・尊重すると言う社会もあるのです。 それが、教養を読者に期待するマスコミや論文は「認められている」表現方法なのです。 

しかし、一般庶民との会話やビジネス英語、政府への書類の社会でYamada Taroは認識されていないのです。

と言う事で、名ー姓の形をとるのは別に英語を使う国が日本を支配(をしようと)しているのではないのです。 日本の文化を壊そうとしているのでもないのです。 ただ単に英語の表現方法だからそうしているに過ぎないわけです。

中国が出来るなら日本も、じゃ、中国よりも先進国であるはずの日本として頼りないと思いませんか? 

ですから、英語の表現方法どおりにTaro Yamadaと書いてください。 自信を持って、そして、自分は英語を知っているんだとほこりを持って、書いてください。 100%の確率でどっちがFamily name?なんて聞いてこないでしょうし、もっと「マナー的に」How should I call you?とどっちが苗字なのか分からないと言う事を隠す方法で聞いても来ないでしょう。 Call me Taroと言っても、決してMr. Taroとはいってこないでしょう。 日本語式にYamada Taroと言う書き方を大文字で書いてもカンマを書いてもこの理解が英語圏で100%通用するとは決して思えません。と言う事なのです。 しかし、日本式に山田と呼んでくれよ、(Call me Yamada)とは言わないだろうし、How are you, Yamada?とは言われたくないですね。

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 (私の回答で気を悪くした方がおりましたら切に心から謝ります。 これが私個人の、他の人の考えに影響されないままに自分の考えに対し素直に書いた回答だということを知っていただく事を祈っております)
    • good
    • 0

Gです。

 漢字変換に間違いがありましたので訂正させてください。

生命は勿論姓名です。 ごめんなさい。

>>結局決まっていないというのが現状なのでしょうか?
>決まっていたのです。 文法の一部として。 しかし、その文法を日本全体で認められない前に壊してしまったのです。 決まっていたものを壊しそれに対するしっかりとした一貫性を持たせる前に「ばらばらに」人それぞれに勝手に表現方法を決めていってしまったのですね。

を自己添削します。

決まっていたのです。 英語の表現だから英語式に名ー姓という順序に。 構文と同じように文法の一部として一貫性を持って英語圏で全く問題なく使われていたのです。 しかし、その文法を、日本全体で「意感性を持つように直し」認められない前に壊してしまったのです。 決まっていたものを壊しそれに対するしっかりとした一貫性を持たせる前に「ばらばらに」人それぞれに勝手に表現方法を決めていってしまったのですね。 

そしてその一貫性を持たせるために、今日から(来年一月一日から)日本人の名前は姓ー名と順にする、と政府が声明して、それを学校や社会で教え貫けばいいのです。 ちょうど日本がメートル法を取り入れた方法と同じように。

そうすれば全く問題はなくなります。 ちょうど中国人の名前の書き方が世界中でいとも簡単に認められたように。

日本人と付き合うには日本の表記を知る必要がある教養を持たなくてはならない、と思わせればいい事なのです。

非常に簡単な事なのです。 勿論、名刺や文書もその通りにしなくてはならなく経費も馬鹿にはならないでしょう。 しばらく混乱は免れないでしょう。 しかし、一貫性を持たせる事がどれほど大切な事なのかを知っている人たちはこのアイデアに対して同意する可能性は出てくるでしょう。

今のままでは、つまり、一貫性というものを持たせないままに一人一人が「自分勝手に」名前の表記方法を決めていたのではあと20年も30年もかかってしまうでしょう。

変えるなら変える、やるならやる、中途半端な以下にもこうもりが鳥と動物の間を行ったり来たりした童話と全く同じ事をいかにも正しい事だとしているのは日本人として世界中に悪いイメージを植えつけているだけに過ぎません。 日本人の一人一人が勝手に表記方法をして何のメリットがあると言うのでしょう。

私は、日本にいる外人さんは日本語をしゃべれ!と言っています。 日本の文化、日本語のすばらしさを誰よりも誇りに持っていると自信を持って言います。 そしてほんの一部のまた一部ですが、日本の文化を教え、良きところをアメリカ人に最大限に使わせるようがんばっている人間です。 それも、人間として一番大切な命を守るために日本の文化を押し付けているのです。 なぜなら、日本の文化はそれだけ価値あるものだと信じているからです。

ナイターと言うとことんまで定着した「日本語」を英語ではnight gameと言うからナイトゲームというべしとしてしまった事に誰も文句は言いませんでした。(私はしましたよ) 英語崇拝もいいところです。 日本でのスポーツニュースを理解するには、日本で野球の夜の試合はナイターと言う専門用語を知る必要がある、としてどこが悪いと言うのでしょう。

日本の文化を大切にする為に、と言う名義タイ分の為に「俺は今日からYamada Taroとスペルする」のであればナイターと言う言葉を再現してください。

それだけの勇気と持論を持っているなら、I am a teacher not.と書いてみてください。 違いますね、 I teacher am not.と書いてみてください。 そして、Japanese-Englishを確立させてみてください。 

しかし、Yamada Taroと英語表記としてするのであれば今まで一生懸命「英語だから英語の表現方法を身につけてきた」事に後悔していると言うのでしょうか。 英語だから、英語を使いこなすには、英語をもっと身につけるには、相手によりわかってもらうには、文法と言うものを無視しては、と言い続けてきた人たちは今から英語を習いたい人にどうやってこれから教え指導して行くつもりなのでしょうか。 それも、単に日本人だから、日本の文化だから、日本語の表記方法だから、と言う理由で姓名を表記する英語文法を勝手に乱し、その考えが正しいと断言しながらです。

この回答も私個人の勝手なコメントです。 同意してもらいたい、と言う事ではなく、これを読んでいただいた人で少しでも日本語式に英語表記を英文の中で使うべきだと思っている人がいましたら、「本当にメリットがあることなのか」「本当の理由はなんなのか」「どうやってこれから英語文法を初心者に教えていくのか」「これによって作られた誤解と混乱をどうやって英語圏の一般市民に分かってもらうのか」「そして、信じる事への一貫性を日本人全てに教え、世界中の全ての人に日本式表記を分かってもらうのか」を一分でもいいですから考えてみてください。 上にも書いたように同意してもらいたいと言うわけではありません。 

そして、最後に、日本語の文章の中で、日本語の社会で英語としてではなく日本語としてのローマ字表現として表記する状況では、たとえば日本人の為に書いた小説の最後のページにある著者名など、Yamada Taroと言う表現は全く問題ない表記だと私は信じる事も付け加えさせてください。 日本語にはひらがな、カタカナ、漢字、そしてローマ字という4つの表記方法があるからです。

英語表現にこだわりこのカテで過去6年間書かせてもらってきた一人の一般者として、そしてこの考えに反する人たちを批判する目的では決してないことをもう一度書いて筆をおきます。
    • good
    • 0

ハナ肇 → Hajime Hana


市川團十郎 → Danjuro Ichikawa

かっこいいし、いいやすいですよ。いやまじめに。
わたしも郎が名前につきますし、このほうがいい易い(笑)
ちなみにアメリカは行ったことがありません。
私は英国びいきですから(笑)
    • good
    • 0

#4で回答した者ですが、ひとつ書き忘れました。



姓名をあべこべにして、声に出して読んでみると、
その名前の本来のリズムが損なわれてしまい、なんか、違う人の名前みたいになっちゃう、という問題点があります。

源義経 → Yoshitsune Minamoto-no
ハナ肇 → Hajime Hana
市川團十郎 → Danjuro Ichikawa

・・・やっぱり、絶対イヤだ。(笑)


かつて、在日オーストラリア人の知り合いがいたのですが、私の主張を褒めてくれていました。


蛇足ですが、
「グローバリゼーション」(グローバル化)という言葉がよく使われますが、
アメリカの流儀に何でも合わせてしまうことがグローバリゼーションであると勘違いしている人が非常に多いです。
これは私だけの主張ではなく、有識者がどっかの記事に書いていたのも見たことがあります。
インターネットの普及に伴って、そういう誤った認識を持った人が増えてしまうのではないかと危惧しております。
(別にアメリカを嫌いというわけじゃないですけれど。)
    • good
    • 0

決まっていないし、その言語や文字をつかうなら、それにあわせるという柔軟性も必要でしょう。



日本で日本の文字を使って日本式にあわせるのなら「弱村 真逝蹴」はすばらしく魅力的な名前と感じるかもしれません(例です)。
しかし、「Michael Jackson」なら、そのままでしょう。
わたしたちは、これでも読めます。学んでいるからです。

しかし、山田太郎さんが、アメリカに行って「山田太郎」と書いてなにがおこるえしょうか。コミュニケーションをとりたいなら、仕事をしたいなら、やはり現地の文字、言葉にあわせるでしょう。

そう考えると「Taro Yamada」はなんらおかしくありません。

ちなみに中国人も台湾人もアメリカでは英語名をばりばり使っています。
国内(中国や台湾国内)においても、英語名を名詞に刷って、「Jacky Chen」とやっているのですから。

さて、ルールはあるのでしょうか。
    • good
    • 0

絶対こうだという決まりはありません。

ただ、以前は名-姓の順が普通でしたが、最近、本来の書き順にするべきだという意見が多く出てきて、姓-名を使うことが増えてきました。この場合、姓をすべて大文字にすることで、姓であると示すのが一般的です。

日本人が名-姓の順に書く習慣があったのは、外国にへつらうというよりも、郷に入っては郷に従えという柔軟な精神を持っていたからだと、私は思っています。

また、日本人は名前の順番に、あまりこだわりがないのではないかとも思います。姓は姓で、名は名ですからね。個人を示すのに大切なのは名であって、姓は所属を表す称号みたいなもんです。姓名を続けて名乗るようになったのは比較的最近のことで、ちょっと前まで外部では姓だけを名乗り、親しい間柄では名だけを名乗るのが一般的でした。名は家族などかなり親しい間の人間でなければ明かさないというのが、日本本来の文化だと思います。万葉集には、「あなたの名前を教えて」という歌がありますが、名前を聞くのはプロポーズの意味があるのだそうです。

例えば文化的に姓-名の順で名乗ることを重視している民族は、英語でも姓-名の順で名乗りたがるでしょうし、歴史的に征服されて自分の名前を名乗ることを否定されたような民族は、細かいところにまで名前にこだわるのではないかと思います。そういうことがないので、特にこだわりなく相手の流儀で適当に変えて名乗るのは、別にプライドが低いというわけじゃないと思います。逆に、他の民族がそうしているからという理由で、自分たちも同じようにしなきゃと思いこむほうが、節操がないようにも思います。まあ、最近の傾向としては、SUZUKI Ichiroのように書いた方が、時代に敏感なようで格好いいかなと思いますけど。
    • good
    • 0

 こんにちは。

ご質問の件は、明治維新後に海外に出かけた人たちも悩んだことがあったようで、当時の日本人の署名の記録などは、姓が先のものも名が先のものも、どちらもあるそうです。

 現時点では外務省が名(first name)を先に置くというしきたりを守っていますので、私たちのパスポートの表記とか、大使の名刺など外交上の文書等はみんなそういう表現で統一されています。

 でも、私はおかしいと思います。我々の名前は姓が先で名が後という、アジアではごく一般的な並べ方にしたがって、戸籍にも載っているし日常でもそのように名乗りますもんね。

 先の回答者さんの指摘にもあるように、日本語を話せる欧米人だって母国での姓名どおりに発音するだろうし、中国人も韓国人も英語表記するときには姓が先です。私も20年ほど海外に接点のある仕事をしてきましたが、常に姓を先にしています。それが私の名前ですからね。
    • good
    • 0

ん~, 「ローマ字で書く」というときに何を想定しているかで答えが違うんじゃないかなと個人的には思います.


単に個人認証のためであればど~でもいいと思うんですが, 例えば英語の中で「姓-名」の順になっていると違和感を感じます. なんというか, 「英語の文章中であれば英語のしきたりにあわすべきじゃないのか」という感じ. 逆に, 日本語の文章中であれば日本語のしきたりとして「姓-名」の順に書くべきだと思っています.
    • good
    • 0

ローマ字表記で姓と名をひっくり返すのは悪しき慣習だと私は思っています。


日本人としてのプライドの問題かも。

逆に考えれば、英語圏から来日した人が
「わたしは、じゃくそん・まいける ともうします。」
とは言いませんよね?

http://en.wikipedia.org/wiki/Oda_Nobunaga
http://en.wikipedia.org/wiki/Tokugawa_Iyeyasu
http://en.wikipedia.org/wiki/Kobayashi_Issa
http://en.wikipedia.org/wiki/Natsume_Soseki
http://en.wikipedia.org/wiki/Higuchi_Ichiyo

しかし、このような例もありますね・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Yukawa_Hideki
http://en.wikipedia.org/wiki/Mishima_Yukio
http://en.wikipedia.org/wiki/Akutagawa_Ryunosuke
http://en.wikipedia.org/wiki/Abe_Shinzo
http://en.wikipedia.org/wiki/Koizumi_Junichiro


表記方法ですが、
#3さんがおっしゃるとおりでして、
姓は全部大文字、名は頭だけ大文字にしておけば、誤解をされる心配はほぼありません。
さらに、姓と名の間にカンマを入れれば、まったく間違えられないはずです。

なお、
NHKの「英語でしゃべらナイト」のエンドクレジットでは、出演者・スタッフの名前が、姓→名の順番のままのローマ字になっていますよ。
えらい!(笑)
    • good
    • 0

決まり、というのは特に無いと思いますよ。


勿論出入国カードのように指定が有れば別ですが。

ただ、私の手元にある名刺(海外営業なので、日本人よりも外国人の名刺の方が多いです)には、殆ど名・姓の順になっています。
しかし、私の担当はアジア全域なので、その分は若干割り引いて下さいね。

なお、私のこだわりの話ですが、私の名刺は姓・名の順にしてあります。
特に理由はないですが、あくまでこだわりです。
ただし、どちらが姓か分かるように、姓は大文字、名は頭一文字大文字
つまり、山田太郎さんなら
YAMADA Taro
という形で表記しています。
これも色々以前からあって、
姓は大文字、や、姓の下にはアンダーラインを引く、といった慣習(決まり事?)がありますね。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!