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「秋茄子は嫁に食わすな」という言葉について、教えていただけますか。
この言葉の意味は知っているつもりなんですが、
いったいどんな場面で実際使われたりするんでしょうか。
大体他のことわざなどでは、用例が思いつくんですが、
この言葉では思いつきません。
よかったら、教えてください。

A 回答 (7件)

 


現代では、元々の意味が、はっきり分からなくなっており、これは「諺」の一種ですが、具体的にどういう場面で使うかは、この表現を、どう理解するかで違って来ると思います。

言葉の起源は、実際的な意味と、こういう表現ができた時代の食品学などの知識というか、理論に依拠していると思えます。

茄子は、食品として実際に食べる場合は、実は「秋が旬」です。秋になると、茄子は十分に成熟し、種が小さくなり、果肉が締まり、肉が厚くなり、美味しくなります。従って、秋が「旬」の植物が茄子です。

1)そこで、一つに、たいへん美味なものなので、嫁には食べさせないという姑の「嫁いびり」のような意味で使われるのだという説があります。

2)また、茄子は確かに身体を冷やす作用があり、それ故、旬でない夏に好まれるのですが、しかし、身重な嫁の身体には、冷えるのはよくないので、嫁には食べさせないという実際的な健康上の配慮からの言葉だという説もあります。

3)第三に、象徴的な意味で、秋茄子は、種子が小さくなっているので、子種がなくなる、という呪術的発想で、嫁には食べさせないという説があります。

1)は「嫁いびり」で、姑の意地悪ですが、2)だと、嫁の健康を心配しての親切心だと言え、3)だと、子種を心配した姑の配慮や思いやりの言葉だと言えます。

1)と2)3)では、反対に近い意味になりますが、両立しない訳ではありません。「こういう美味なものは、嫁には食べさせてやらない……また身体が冷えると言うし、子種がなくなるというのもあり、私の意地悪という訳でもないのだ」というなら、矛盾しません。どれがどれの根拠かは、明確でありませんが。

ところで、秋茄子以外にも、秋鯖や五月蕨も「嫁に食わすな」という諺があるようです。秋鯖も、旬の魚でたいへん美味しいものです。五月蕨はよく知りませんが、蕨がこの時期、旬で非常に美味しいのかも知れません。

ところで、この諺には、別の合理的説明もあります。それは、現代の栄養学と、昔の「食養生」の考え方の違いです。参考URL1に、「陰陽説」に基づく秋茄子の位置付けの説明があります。

「食養生」というのは、栄養のあるなしの考えではなく(これは現代の栄養学の考えです)、陰陽二元説に基づき、陽気と陰気、つまり、陽の状況と陰の状況を合わせて、陰陽が調和するのが良い、無論、健康養生も、これが第一という考えです。

すると、夏は暑いので「陽」の季節になり、その夏に身体が求める食品は、生野菜などは、身体を「冷やす」作用を持っていて、「陰の食品」とされていました。

「食べ合わせ」というのが昔はあって、何を基準にしてか、スイカと何の食べ合わせはよくないとか、色々な良くない組み合わせがありました。それらのなかには、経験的に、食べると消化が悪いとかで、一緒に食べない方がよいというのもあったかも知れませんが、陰陽説に基づいていたのかも知れません。

茄子は陰性の強い植物で、その果実は紫色なので一艘陰性が強いとされます。ところが、秋は、夏と違って「陰」の季節になるので、秋に茄子は、陰+陰で、あまり身体によくないということで、身体が冷える、子どもが流産し易いというので、ああいう諺ができたのだという説明があります。

茄子はしかし、参考URL3にあるように、色々な料理に適する野菜で、栄養価は高くないが、色々な意味で健康に良い食品だとされています。しかし、これは現代の栄養学からの見地です。ただ、経験的に、茄子のこのような医薬品的な作用は知られていたとも言えます。

茄子は、インドが原産の野菜で、古くから日本に入り、大いに、日本人はこれを食べて来たと言う歴史があります。

秋茄子は、秋が旬で美味であるということと、秋には、陰陽のバランスから言って、よくない食品だという二つの見地、更に、経験的に茄子は、身体によいという見地からすると、「秋茄子は嫁に食わすな」というのは、どういう真意なのか、難しくなります。

元々一義的でなかった可能性があります。陰陽思想から、秋茄子は身体によくない、だから、妊婦などの嫁は食べない方がよいというのと、美味なので、こういうものは、身体によくないを理由に、嫁には食べさせない、という姑の意地悪かも知れません。

結局、両方の意味があったのだと推測します。秋茄子は身体によくない、という話の前提には、秋茄子は美味しいので食べていたという事実があるからです。普通、食べないものについて、健康によいもよくないも言いません。

用例は、現在では、無理だと思います。どちらかの説を前提に、自分で用例を造ることはできても、江戸時代辺りから、二重の意味があった可能性があります。ただ、陰陽思想的な食品の養生という考えからだと、姑の意地悪の説の方は、後からできた可能性が高いです。

陰と陽のバランスなど食品について考えなくなり、諺だけがあるので、どういう意味かと解釈しても、分からないので、経験的に「秋茄子」はたいへん美味だと分かっているので、美味しいものは、嫁には食わせないという姑の意地悪だという解釈が出てきたのではないでしょうか。

美味しいものは、嫁には食わせない、という姑の意地悪なら、他にも、もっと色々ありえると思うのですが、何故「秋茄子」かという疑問が残ります。

先に挙げた、「秋鯖」や「五月蕨」も、陰陽思想的なバランスである可能性があります。美味しいから食べ過ぎるので、余計に嫁への警告として、こういう言い回しがあると考えた方が自然です。

意地悪なら、嫁に食わせない美味しいものは、他に一杯あるように思えるからです。

なお、文化が廃ったとか死語だとかは、意味が不明です。

現代では分からない諺や言い回しに昔の人の考えや文化が反映していて、そこで、文化の伝統が現在にも継承されていることになり、だから、過去との連続性が分かり、言葉や文化の深さが分かるということがあるからです。

昔から伝わっていて、意味が分からなくなっている表現や言葉や、習慣などは色々ある訳で、しかし、それらは、文化の重層性や歴史性を意味しているので、現代は無意味であるなどとは言えないでしょう。

「秋茄子は嫁に食わすな」は、解釈が分かれますが、元々意味が複数あった可能性があり、また、この表現は、姑の意地悪にしても、嫁の体調への気遣いでも「鮮明」な印象があります。

>参考URL1:寺子屋お産塾-秋茄子は嫁に食わすな-
http://www.ab.wakwak.com/~hisao-t/kotowaza3.html

>参考URL2:秋茄子は嫁に食わすな?
http://www.kitami.jrc.or.jp/eiyou/mame/nasu/nasu …

>参考URL3:Japan Now
http://www.japannow-net.com/close_up/010919_4/co …
 

参考URL:http://www.ab.wakwak.com/~hisao-t/kotowaza3.html,http://www.japannow-net.com/close_up/010919_4/co …
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大変遅くなりましたが、有難うございました!
今後とも、よろしくお願いします。

お礼日時:2002/06/20 11:53

おいしいから嫁にはあげない。

ってのは解釈的に誤った使い方なんです。ただ一般的にはこの解釈で浸透してしまっていますよね。嫁いびりの代表例のように・・。
 秋茄子は確かにおいしい。でも灰汁(アク)が強すぎるので体を冷やしてしまう。だから嫁(妊婦)を心配してあんまり食べさせては・・という配慮なんですね。嫁、特に妊婦を指します。
 ちなみになんで妊婦が体を冷やしてはいけないかというと、様々理由がありますが、この言葉が誕生した当時の医療事情を考えると次のことが言えます。胎児が冷えから自分を守る為にお母さんの体の中で脂肪をまとっていくんです。母体そのものは太って見えなくても胎児のまわりを脂肪で覆うので、出産の際その脂肪が邪魔で赤チャンを圧迫して死産ってことが昔良くあったんです。だからお母さんが体を冷やしてはいけないって秋茄子食べさせなかったんですね
 くどいようですが冷えがいけない理由はこれだけではありません。
 質問者の質問は実際の使用例をってことなんで、上記理由を考慮に入れて 秋にお姑さんと妊婦のお嫁さんが買い物に出かけてお嫁さんがナスを買おうとすると「秋茄子は・・・」とお母さんが注意した!ではどうでしょうか。「体が冷えるから赤チャン産むまでは我慢しなさい」とさとした。ってことなら嫁イジメではなく、守る為の生活の知恵であったのがよくわかると思います。
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お礼日時:2002/06/20 11:53

このような生活習慣(文化)から生まれた表現は文化が廃れると意味が分からなくなります。

大方の解説は現在の時点からの推測になるので(記録がない限り)間違った解釈も多多ありえます。

旬のものを尊ぶ日本人が季節外れの秋茄子をなぜおいしいというのか疑問が残ります。私は数の少ないものは貴重品になりえるからではないかと考えています。珍しいものは他人である(他家からきた人間)嫁にまでは回らないことのたとえではないでしょうか。いずれにしても温室栽培で一年中ナスの食べられる現代ではもはや死語です。以前は『人にあげるのはもったいない』というような場合に『秋茄子は・・・』というではないかという風に自己弁護のために使われていました。
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お礼日時:2002/06/20 11:54

ナスを食べると体が冷えるのだそうです。


これから子供を作る!というヨメに大量に食べさせると、
子供が出来にくくなってしまう__という事実!
   &  
とっても美味なので、
ヨメ(他人)にまで食べさせたくないほどである
__という気持ちの表現もします。
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お礼日時:2002/06/20 11:54

この言葉はことわざというよりも言い伝え(「秋茄子みたいなおいしいものは嫁に食わしてはもったいない」ということ)なので、用例というのは無いのでは?


「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」とか、「霊柩車を見たら親指を隠せ」とかと同じなのではないでしょうか?
なお、「秋茄子を食べると身体が冷えるので、お嫁さんの健康に良くないので食べさせてはいけない」と言う節もあります。
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お礼日時:2002/06/20 11:54

No2の方の回答に付け加えると、


1)姑の嫁いびり(美味しいから嫁には食べさせたくない。
2)種子がないので、子供に恵まれなくなるから
3)食べると体が冷えてよくない

1)がよく使われるそうらしいです。
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お礼日時:2002/06/20 11:55

「秋茄子は嫁に食わすな」



これは「ことわざ」ではありません。
ですから用例などもありません。

語源については
「秋ナスは美味しいから嫁に食べさせるな」という「嫁いびり説」と
「秋ナスはアクが強いから嫁に食わせるな」という「嫁が大事説」の
両方がありますが、ハッキリしないそうです。

「夜中にツメを切るな」とか
「うなぎと梅干を一緒に食べるな」等の言葉と同じようなモノです。
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お礼日時:2002/06/20 11:55

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