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今晩熱い風呂に入っていてふと思ったのですが弥次喜多道中では五右衛門風呂に入るときにたしか下駄を履いて入るとか言った話だったように覚えています。
 
逆に考えればその当時江戸では下駄を履かずに他の入り方沸かし方があると判断できます。書いてあったのかもしれませんが忘れています。そこで、それはどんな風呂だったのでしょう。

A 回答 (3件)

喜多さんが失敗したのは小田原の旅籠でですが、彼らは江戸の住人です。

江戸では銭湯が一般的ですから、地方にあるような五右衛門風呂は初めてだったわけですね。
江戸の銭湯は今と同じように湯舟がありました。
詳しくは参考URLをどうぞ。

参考URL:http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya1.html
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この回答へのお礼

 
ご回答ありがとうございました。
 
現在昔風の丸い五右衛門風呂ではなく四角い五右衛門風呂を使用しておりまして、ふと疑問を感じましたので質問致しました。
 
 

 

お礼日時:2007/03/15 07:38

たぶん銭湯だと思います。

火災防止の観点から、基本的に庶民レベルでは内風呂というものがありませんでした。
現代の銭湯と異なるのは、入口が「柘榴口」といって屈んで入らないといけないことなどでしょうか。
こんな感じです。
http://www5.ocn.ne.jp/~ukiyo26/yuya1.html
http://www.1010.or.jp/menu/history/rekishi05.html
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この回答へのお礼

 
ご回答ありがとうございます。
 
いろいろとサイトを紹介頂きお礼申し上げます。
 
 

お礼日時:2007/03/15 07:40

弥次喜多道中のお話、詳しくは忘れてしまいましたが‥。


五右衛門風呂は、そのまま踏み込んで入ればいい板が風呂の中にあったと思います。
確か、お話では蓋だと思ってそれを取って入ってしまったために、火傷してしまうのではなかったでしたっけ?

自分は30代ですが、子供のころ祖母の家が五右衛門風呂だったので、何度か入ったことはあります。
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この回答へのお礼

 
 
ご回答ありがとうございました。
 
 

お礼日時:2007/03/15 07:34

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