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 私は日本の歴史の中では戦国時代が好きで、川中島の戦いや関が原の戦いのことを考えるとわくわくします。それらの戦いの跡地に立てば、きっとロマンを感じるだろうと思います。
 しかし当時にしてみれば、その場所では殺し合いが行われ、地獄のような光景が展開していたはずです。何百年かの時を経るだけで、戦争のおぞましさがロマンに変わってしまうのはどういうわけなのでしょうか。よくよく考えると不思議です。
 これから何百年か経てば、第二次世界大戦もベトナム戦争も、目を輝かせてロマンたっぷりに語られるようになるのでしょうか。私が長篠の戦いでの鉄砲隊の戦術に感嘆するように、原爆の威力に感嘆する人が現れるのでしょうか。

A 回答 (9件)

私の考えでは、戦争当事者が生きているか死んでいるかがロマンとおぞましさの分かれ目になると思います。

たとえば、第二次世界大戦は日本人の中ではまだおぞましさの範疇で語られる場合が多いのですが、当事者がほとんど物故してしまっている日露戦争、西南戦争、戊辰戦争はロマンで語られていると思います。ようは、完全に歴史と化したのかまだ現実を引きずっているかの差だと私は考えています。
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私に限って言うなら、


すでに、原爆の破壊力を「すばらしい」と思っています。
もっとも戦争肯定、賛美はする気はありませんが。

ロマンと言うには違うような。
なんと説明すれば良いか困ってしまいます。
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ロマンと感じることの出来る戦いの場合、殺し合い自体が目的ではなかったことを理解しているからだと思います。

歴史上のこととしてその戦いの先に、戦乱の収束と平和を見ることが出来るからだと思います。殺戮自体が目的であるような史実の場合に、ロマンを感じることはないだろうと思います。
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昔の戦争は非常にのどかなもので、職業軍人同士の戦いでは、一般市民には殆ど被害が出ず(戦争の結果の増税などはあったでしょうが)、ヨーロッパの戦争などでも百年戦争時代のとある戦闘では落馬による死者以外に被害が出なかったというようなまるでスポーツのようなものだったらしいです。

火薬兵器の登場により、死者が増加するようにはなりましたが、それでも一般市民を相手にするような戦闘は第一次大戦後のいわゆる総力戦になってからのことです。
総力戦と過去ののどかな戦争ではおそらくイメージもかなり違うものがあるでしょう。

また時間の経過というのは、その事実を他人事にしてしまいますから、今現在も世界のあちこちで戦争は起きていますが、一々心を痛めている人はあまりいませんよね。これも他人事だからでしょう。
これが例えば以前家にホームステイに来た○○さんのいる国の戦争とか直接イメージが湧くものであれば、ニュースを見る目も変わってくるでしょうが。


また武器や戦術単体に対するロマンを感じる人は減ることはないでしょう。例えばアニメ映画監督の宮崎駿氏などは平和主義な人ですが、戦車オタクとしても有名です。また立場の違いというのもあるでしょう。ベトナム人だったらベトナム戦争の話には心ときめくでしょうが、アメリカ人には耳が痛いもの。原爆もそう。アメリカ人にとってみればあれは正義の鉄槌ですから。別に時間が経過しなくても、感嘆している人はいますよ。
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うーん…私の感覚に限って言うと、


時間の経過より、文化や文明によるんじゃないでしょうか?
戦国時代、と聞いて私が思い浮かべるのは、騎馬や鎧、刀など、
現代日本では実用品じゃない代物です。(乗馬クラブや射撃はあるけど…)
だから、リアルに思えないんじゃないでしょうか?

最近の戦争であろうと昔の戦争であろうと、
不謹慎ながらロマンを感じる人は感じるでしょうね。
実際に自分が渦中にあっても、感嘆する人はすると思うし、
個人個人の感覚だと思います。

あと武器や戦術の、使用目的と技術を分けて考えるのなら、
技術に感嘆する、ということはあると思います。
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うーん、根拠もないのですが、ワタシの考えでは。



死んでいった名も無き一兵卒の物語より、生還した英雄達の華麗なる活躍が語られることが多いからではないでしょうか。
「騎士道(武士道)を重んじ、正々堂々と正面から戦いを挑んだ」なんていうと聞えはいいですが、
正面から攻めなければ死ななくてすんだ兵士もいたはず。
しかし「正々堂々と戦った」ということが美化されて語られます。
そうすると奇襲攻撃など「卑怯な」方法で勝っても誉められなくなり、
これが「戦いのロマン」「男の道」に変化していくのは当然ではないでしょうか。
新兵器、戦術に破れても「敵は正面から受けてたたなかったから」と言訳にもなりますしね。
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そういう感覚もわからないでもない……、が、実際に沖縄、広島(原爆ドーム)、サイパン(バンザイタリフ)、もちろん関ヶ原、そして海軍兵学校資料館にも行きましたが、私は、寒気がしました。

真夏や秋に行ってもです。で、やはり、目を輝かせてロマンなんていうのはおかしな感覚です。悲しいし、では、原爆やベトナム・カンボジア……あなたは子供たちにどう説明しますか。戦跡には資料館もあり、貴重な資料があって有益ですが、海軍資料館での血染めのもの、特攻隊(回天)の方々の手記……死ぬ直前のメモ……これらをロマンだなどと子供に説明できますか?戦術に驚きはあっても、感嘆はできませんし、次の世代にも感嘆ではなく、悲痛・人間の恐ろしさ・戦争のおろかさを伝えたいですね!違いますか?御意見ください。
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 戦争を肯定するような記述は好ましくありません。


 当然、被害者がおられ、そういった方を蔑ろにされています。戦没者慰霊碑が何の為にあるのでしょうか?
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こんにちは。


私も戦史ファンでよく同じようなことを考えます。

過去をみれば、新しい戦闘の道具を開発した部隊、国が有利な立場にたったのはよくありますよね。

太古を考えればローマの戦車、武器で言えば銅の武器から鉄へと強さが移り、、、日本でもおっしゃるように鉄砲がでてきて戦術がかわりましたね。

私が好きな第二次世界大戦の例をあげても、アメリカ軍が開発した原爆は言うに及ばず、B-29などの大型爆撃機は日本軍が開発できなかった超高空の大型爆撃機で、おそろしい兵器です。

日本軍の戦闘機がことごとくやられたのは彼らのレーダー技術とVT信管などの最新技術によるところが非常に大きいです。

こんな感じで、歴史と共にその時代の最新兵器に我々は驚いていると思います。
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