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 ここのところの政官界のスキャンダルやら不祥事やらの連発を見ていて、ノブレス・オブリージュという言葉が頭から離れません。

 ただ、この言葉本来は貴族階級の支配層として果たすべき義務という意味が、時代の変化によって、社会的地位の高い人に求められる職務上あるいは社会的に果たすべき責任というような意味に変わってきたように思いますが、いろんなところで使われている例を見ると、その意味が間違って使われていたり本来持つ言葉の重さに比べてずいぶん軽々しく使われているように感じます。

 元々フランス語であるこの言葉が使われるようになった歴史や、現在欧米ではどのような感じで使われているのか教えて下さい。

 今の政治家や高級官僚の口からは聞きたくない言葉ですね。

A 回答 (3件)

 


No.2 の方の提示されましたURLのページを読んでみましたが、OED(オックスフォード英語辞典)からの言葉の初出典拠に従い、1837年にケンブルなる人物が、手紙のなかで、「高貴な者が慈善(施し)をするなら、王族は、それ以上のことをせねばならない」という文脈で使用されており、単なる「慈善をする」というだけの意味示唆でなかったことになります。

そのことの例として、チェコ共和国の旧高級貴族の子孫であったマーティン・ロブコヴィッツという人の取った行動として、王政崩壊で没収された祖先の財産を彼は、共和国に返還要請した所、莫大な財産が帰って来て、彼は、想像を絶する「文化財」の所有者になったという経緯が出てきます。

ロブコヴィッツは、これらの文化資産を売却して、何百万ドルもの金銭を得ることもできたが、Noblesse Oblige という社会的規範が彼をして、チェコの国民的資産として、これらの文化資産を後世に残すため、売却などの道は取らなかったということが記されています。

ロブコヴィッツには、「社会的圧力」がかかっていたのだとも、筆者は述べています。この例は、「富んだ者・身分高い者は、慈善する」という意味を越えていて、「富んだ者は、社会のために自己の利益を犠牲にせねばならない」つまり「高貴な者の義務」という意味が、この言葉にはなお含まれているということを示していることになります。

フランス革命は、初期の頃は穏やかに進んだのであり、穏健派が粛正されてジャコバン派が主導権を握るようになると、特権階級の無差別虐殺が始まったとも言えます。従って、特権身分の者や富者が、革命に対する自己保身のため、「慈善」を強調したとすれば、それは、フランス革命初期の頃になるはずです。

それはとまれ、noblisse oblige という言葉には、元々は「高貴な者・地位ある者の義務」という意味はないと、先にわたしは述べました。身分ある者・富者が、施し・慈善(チャリティ)をするというのは、西欧では、中世以来からの伝統的な習慣で、キリスト教の七つの美徳(Seven Virtues)にも、「チャリティ」は美徳して入っています。

決して高貴な者や大金持ちだけでなく、貧しくとも、更に貧しい人には、慈善をする、施しをするというのが、この美徳の意味です。1837年のケンブル(フランス人だと、キャンブル)の手紙の趣旨は、「王族は多くの義務を負う」というのが中心で、noblesse oblige は、当然なこととして挙げられているのだと考えられます。

中世西欧では、noblesse oblige とは言わなかった(あるいは、言ったとしても、諺として定着しなかった)としても、「慈善(チャリティ)」の美徳性は、一貫して存在したとも言えます。この意味の「ノブレス・オブリージュ」は、そういう表現がなかっただけで、伝統的に慣習として定着していたことになります。言い換えれば「慈善は(キリスト教徒にとって)美徳である」ということです。

そして、この「慈善の美徳」は、古代社会の王侯や支配者や優越者の庶民に対する、当然求められる行為・徳としてあったということも事実です。

しかし、大英帝国の官僚やエリート、貴族・地位のある者などは、上の「慈善の美徳」とは違う意味で、この言葉を使っており、また行動で示したということがあるのです。帝国や王国のエリートたちは、「公僕」とも呼べる人たちだったともなります。公僕は、国家と国民の為に尽くす「義務がある」というのが、イギリスのエリートのあいだでの「ノブレス・オブリージュ」の意味です。

どうしてこういう意味や用法がイギリスでは出てきたのかということの起源として、ホッブスなどが唱えた「王権神授説」が関係するのではないかと説明しました。この説は、英国のジェイムズ二世が信奉者で、フランスではルイ十四世がその主張者です。ルイは「朕は国家なり」とも言ったとされます。

絶対王権国家は、イギリスでは名誉革命で崩れ、王権を掣肘する議会の権限としての「コモン・ロー」の原則が再度確認されます。フランスでは、フランス革命で、絶対王権は崩れますが、微妙なバランスに立ったナポレオンが「法典」を編纂させます。そしてナポレオンを排斥した後、再度ブルボンの王がフランスに君臨することになります。

ホッブスの思想などでは、社会は一個の人体にも喩えられ、それぞれの部分がそれぞれの役割義務を果たすことが、社会にとって最適であるとされます。神から統治権限を授かった王は、王としての義務が社会に対しあり、貴族や、高い地位の者や、その他、優れた所ある者は、その分に応じて、社会に尽くす義務があるという思想になります。

イギリスでは、このような社会の成員それぞれは、自己の分に応じて社会・国家に尽くさねばならない義務があるという思想が継続し、それがとりわけエリートたちにとってのゾルレンとなって、このような「義務意識」を、Noblesse Oblige で表現したのだとも考えられるのです。

元チェコ貴族ロブコヴィッツの例は、ロブコヴィッツは王族ではありませんが、それに近い者として、通常の慈善以上の「義務」が社会から求められたのだとも言えるのです。

「ノブレス・オブリージュ」は、中世以来、または古代からの「チャリティ(慈善)の美徳」というキリスト教社会の規範を、こういう言葉で表現したということで、近年、企業なども、社会還元としてのチャリティを宣伝し、それを、noblisse oblige と呼んでいるのは、この延長上にあると言えます。

しかし、英語、特にイギリス英語では、「エリート=公僕は、国家・国民のために尽くす義務がある」という意味での諺として使われて来たと事実があるのです。

英語での noblesse oblige の意味を調べると、第一義的には、「地位ある者・高貴な者の義務」が出てきます。そして拡大された意味として、「慈善(チャリティ)を施す美徳」の意味が出てきます。英語においては、「エリートの義務」が明確に含意されており、慈善の美徳も、それと共に意味されていたのだということだと思います。
 
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参考URLによればnoblesse obligeという言葉が始めて使われたのは1837年のようです。

フランス革命によって欧州に生まれた人権意識と絶対視されていた王権の否定、王に忠誠を誓っていた貴族や特権階級の立場が危うくなる中で、従来も一部の貴族が持っていたであろう慈善活動の精神が強く意識され始めたのではないかと思われます。従って、現在理解されているような高貴なものが貧者に施すという高邁な精神に基づく普遍的な習慣かどうかには疑問が残ります。意外と保身から生まれた必要悪だった可能性もあります。これは私の単なる想像ではなく、海外でいわゆる庶民以上の人々の言動を身近に見た結果、偽善を感じることがたびたびあったからです。生来偽善を嫌う日本人はnoblesse obligeの発揮が下手でバカ正直な行動をとるような気がします。その結果日本人も日本政府も西欧社会から批判を受けるような行動をしがちです。欧米では金持ちも特権階級も人間として、或いは一市民として行動する事が実にうまくスマートです。日本人は少し認められる地位に登ったり、金持ちになると、それらしく振舞う事に熱心で庶民と違う行動を取り、世間もそれを容認しがちです。これらの差は貴族と庶民が命をかけて争った歴史があるかどうかによるものかも知れません。体験と単なる知識の差ともいえるでしょう。

今日ではnoblesse obligeは特権階級だけのものではなく、人に勝る才能や技術を持つものが社会に貢献をする事は当然の義務とされます。さらに進んで個人から企業へも同じ考え方が適用され企業もよき市民たれ、と求められ、社会貢献をしない企業は生き残れない時代になってきています。王様や貴族のいた欧州で生まれたnoblesse obligeがアメリカ大陸にわたり、庶民が庶民のために負う義務としてボランティア活動、慈善活動として根づき、それが日本へも導入されたのではないでしょうか。

しかし、明治維新以来、日本では特権階級は出世と結びつけて考えられ、出世したものは高給、特権、役得を求め、世間に対する義務の側面が疎かにされ庶民もそれを強く求めないばかりでなく、そのような身分を容認し憧れる風潮があったような気がします。最近の政治家、警察、官僚等の目にあまる腐敗ぶりはそのような国民のチェックの甘さも遠因として認めざるをえないところがあると思います。

参考URL:http://www.learningtogive.org/papers/concepts/no …
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英文ページを色々調べてみましたが、開かないページがたくさんあり、結局、よく分からないということになりました。

Noblesse Oblige は、「ノブレス(noblesse, f, 高貴な者・貴族・身分の高い者)は恩を施す oblige」というフランス語の文章で、noblesse が主語で、oblige が、obliger という動詞の直説法現在三人称単数形です。元のフランス語では、「高貴な者の義務」というような意味はないです。

何時頃から、こういう表現があったのか分かりません。しかし、中世以前の古フランス語になると、noblesse という形がなかった可能性があり(もっとラテン語に近い形であった)、oblige という動詞活用形も違っていた可能性があります。16世紀頃のフランス語だと、特徴のある変化がありますが(ラテン語の特徴を未だ大きく残しているのです)、大体現在のフランス語とあまり変わりないはずです。

従って、中世にフランスで造られ、これがフランスが西欧の文化国家の範となった17世紀から18世紀にかけて、西欧中に広まったのだと想定されます。

あるサイトでの記述は確かにそうとは記していないのですが、この諺が、「王権神授説」と何かの関係があったことを示しているように見えました。

「王侯」の支配特権が神から授けられたものであれば、王侯はまた、神からの命令として、使命として、庶民に対し「恩恵を施さねばならない」という義務があるという風にも考えられます。

しかし、王侯支配者は、部下や被支配者に対し、寛大で、物品を惜しみなく与えるというのが、「美徳」とされたのは、古代ギリシアも、古代オリエントの帝国もそうで、ゲルマンやケルトの古い習慣から、この諺は元々来ているのかも知れません。

この諺は西欧の大陸全域に広まりますが、もっともこの言葉または格言・モットーを愛好し実践したのは、イギリスの貴族貴顕、また指導者的な人物達であったようです。イギリスのエリートたちは、大英帝国の運営のため、我が身を犠牲として、帝国に対し恩を返して、ノブレス・オブリージュを実践したということが言われます。

「ノブレス・オブリージュ」がなお生きた規範であるのは、イギリスのエリートたちで、その場合、英王国に対し恩義を返し、王国・女王に奉仕するという意味になります。国家に対するこのような忠義の行為が、王国に、しいては国民に恩恵を及ぼす結果になるのです。

現代のアメリカでは、そしてイギリスにも、その可能性があるのですが、この諺は、「金持ち・富んだ者」が、貧しい人々に慈善を施すという程度の意味で使われているようです。「富者の貧者に対する慈善行為」が、富者のノブリス・オブリージュということになります。

日本の政治家たちが、こんな言葉を使うとすると、本来の王侯の権力の神よりの起源の考えからしても、大英帝国のエリートたちの行動規範としての恩義を尽くすという意味からしても、富者がチャリティの美徳を発揮するという意味からしても、どれにも当てはまらないということになります。

Noblesse(ノブレス)という言葉が、「高貴な者・高い地位の者」という意味なので、自分たちを、そういうものに擬したがっているだけなのだとも言えます。まず、実践があって、モットーがあるのが、この言葉です。

自己の利益のために、利権をばらまくというのは、古代の王侯・支配者の「寛大に物品を部下などに与える」という美徳の実践なのかも知れませんが、「寛大の美徳」は、報酬を求めないことです。
 
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