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Yahooの知恵袋・歴史編に対して,このサイトは歴史上の事実に対し”もしも・・・・・”という逆説的な質問が少ない事に好感を持っています。
歴史では”もしも・・・・・・”と言っても架空論であると(反応されている方には空想が楽しいという意見もありますが)思います。
歴史は史実を真剣に追究する分野ですが,現在は私達が教科書で習った事項が次々に改編されている時代でもあります。
事実の認証的な変更があったとしても,例えば本能寺の変は事実です。これを無かった事にして”本能寺の変が無かったら如何になるかでしょうか”との質問はナンセンスと思いますが,如何でしょうか?。

A 回答 (21件中1~10件)

 単なる“お遊び”レベルのお話ではなく、学術レベルでの話では一定の条件さえ満たしていれば必ずしも批判されるものではありません。


 ただし、「もしも」が批判されるとすればその条件を満たさずに、牽強付会、我田引水、ご都合主義、イデオロギー吐露の単なるチラシの裏的内容だからではないでしょうか。

(以下引用)
『軍事板常見問題』から
http://mltr.e-city.tv/index02.html
「本サイトに関するFAQ」より
http://mltr.e-city.tv/faq13.html
【質問】
歴史のIFを考察することは無意味なのか?
また、考察自体を行う際、何を考えればいいのか?
http://mltr.e-city.tv/faq13.html#if
【回答】
歴史のIFは、それなりの条件がそろえば考えてもいいだろう。
ただし「火葬戦記(注)」と違って、その作業は恐ろしく煩雑だから、普通は無理かもしれない。
以下、IFを考える際の三つの条件

1.信憑性
・当時の技術・政治の状況に照らし合わせて、可能なことを取捨選択する

2.時間の近接性
・例えば、古代ローマ帝国の出来事がWW1に影響を与えたかどうかは、あまりのも時間的に遠すぎて検証できない、
要は「因果の連鎖」がどこから始まったのかを決めること。
これが「時間の近接性」

3.理論の関連
・仮想現実にしても「我々が知っている」と思っている理論に準拠して、理論を組み立てること。
これらの三つの条件がそろえば「仮想現実」というIFが成り立たないこともないらしい。

個人的には「無理言うな」というレベルだと思う。
詳しくは、ジョゼフ・S・ナイ教授『国際紛争』(有斐閣.2005.4)第2章を参照されたし。
(引用終了)

 ナイ教授の『国際紛争』では、「信憑性」・「時間の接近性」・「理論との関連」を踏まえた上で

「われわれは日常の中で、しばしば反実仮想を用いる。自然科学のような実験室がな分、こうした反実仮想は国際政治では特に有益である。しかし、反実仮想を構築するには、注意深くなければならない。というのも、うまく構成され実りの多い反実仮想も、そうでないものもあるからである。反実仮想は歴史を理論と関連づけるのに役立ち、統制の効いた実験の行えない世界を理解する上で、よりよい判断を下す助けとなる」

とあります。
 その点でいうと「本能寺の変が無かったら如何になるかでしょうか」という「もしも」は、「時間の接近性」・「理論との関連」が満たされていないので、学術的には意味のない内容でしょうね。

(回答者注…「火葬戦記」とは、過去の歴史にたいして「もしも~だったら」という内容の小説で、読むに耐えないほどの低レベルな「仮想戦記」に対してのスラング。燃やしてやりたくなるから仮想ではなく火葬だと)
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この回答へのお礼

反響の大きさに驚いています。

20時間,ネットにアクセスできませんでしたが,その間に9件(↑を含めて)のご回答を頂きました。ご回答に対して御礼とコメントが出来なかった事をこのWEB上でお詫び申し上げます。
さて本件ですが,No15さんは非常に客観的,科学的なコメントを寄せられています。

私が主張したいことは”歴史上で節目になった明らかな事実”にたいして「もしも」は意味がないでしょうと言いたかったのです。例として出しました”本能寺の変は無かったら”という逆説に対して大方のご意見は秀吉や家康の政権はないだろう,天皇制を廃止して新国王になったろうとなるでしょう。では信長の死後,日本はどうなるのでしょうか,明治維新も不必要かもしれませんし,現代の日本史に如何なる持続性があるかは誰も説明できません。
歴史は偶然の産物かもしれませんが,現象の結果論だと思います。
平たく言えば,信長が桶狭間の戦いで負ける,本能寺の変で倒れると言う事実を否定すると現代の日本に繋がらないという事です。

一方,このサイトは堅い事は言わず,楽しくやりましょうとのご意見もあります事は充分に承知していますが,この「サイトの品格」を維持するために敢えて苦言を申し上げた次第です。

お礼日時:2007/01/16 21:29

【質問ではない】


・[雑談目的]解決すべき問題がなく、同意や感想を求める質問
・[議論目的]明確な回答が存在しないものについて意見を求め、議論を行う事を目的とした、または結果として議論となった質問
・[意見表明目的]回答を得るのではなく、意見を表明する事が目的と判断できるもの

 上はこのコミュニティーの「禁止事項」の「質問ではない」と定められたものの一部です。

>この「サイトの品格」を維持するために敢えて苦言を申し上げた次第です。 ・・・
 と、仰られていますが、サイトの品格についてご苦言を呈される前に、上のこのコミュニティーの規則をよくお読みになって、その趣旨にそって質問や回答なりをされたらいかがかと存じます。

 今年に入っても「if光秀」の質問があり、多くの回答が寄せられています。質問をナンセンスとけなしたりすることは、質問者や回答者に対してアンマリでしょう。
 「if何々」の質問がお嫌であれば、ご自分が回答しなければそれで済むことです。
 このサイトの本旨は「知らない人が教えを請い、知ってる人がそれに答える」ということだと思います。
 ご意見や御自説の開陳をおやりになりたいのであれば、ご自分のホームぺージでおやりになればよろしいかと存じます。
 このサイトはタダですし荒れてもいず、いいコミュニティーだと思います。質問者さんはお若い方と推察しますが、NO.12さんの仰るように仲良くやっていきましょうよ。
 
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#10で回答させていただいた者です。



ずっと回答とお礼を読んでいて感じたんですが、hideMUU様は疑問を解決したくてご質問されているのですか。
どうも違うように思います。

「私が主張したいことは”歴史上で節目になった明らかな事実”にたいして「もしも」は意味がないでしょうと言いたかったのです。」

このような結論が先にあるので、誰がなんと回答しようと意味が無いんじゃないでしょうか。
ご自身の論拠の確かさを、反対の回答にぶつけることによって確認しているようですが。。

「サイトの品格」をおっしゃるのでしたら、「質問→回答」の形にするか、アンケートにすべきだと思います。
#11様が
>質問者側はできる限り自説の開陳を控え、知らない部分のみを質問することに徹すべきだと思います。

とおっしゃっていますが、まさにその通りではないでしょうか。

>信長が桶狭間の戦いで負ける,本能寺の変で倒れると言う事実を否定すると現代の日本に繋がらない

「もしも・・・」と疑問を持って質問する人は、歴史的事実を否定とか、歪曲して無かったことにする、と言うのではありません。ですから「もしも」と言って質問し、楽しんでいるんですよ。

また、どうして歴史の事象はつながっていて、過去の出来事が現在を作っていると言い切れるのでしょうか。
hideMUU様のお言葉を借りるなら、歴史は「現象の結果論」となぜ言い切れてしまうのでしょうか。

過去から現在に流れる時間軸の上に、無数の現象が起こり、それが原因となって現在の現象となる、というのも「一つの考え方」に過ぎません。
例えば、文字を持たず時間を管理することをしない民族は、我々日本人と同じように「歴史」を捉えてるとは思えません。そもそも「歴史」と言う概念すらないのかもしれない。。「歴史観」は人や時や場所で千差万別です。

遠いアフリカの人が「本能寺の変が無かったら」と考えるのは全くナンセンスですが、なじみある我々日本人がそう思うのは、普通の感覚だと思います。
(ただ、ここで質問してもしょうがない、と言う思いは私もしています)。
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No.15です。

先の回答で脱字があったので訂正します。
誤「自然科学のような実験室がな分」
正「自然科学のような実験室がない分」


 さて、前回答において引用したナイ教授の『国際紛争』では次のように章が締めくくられています。

 歴史家の中には潔癖な者もいて、そうなったかもしれないことを論じる反実仮想は真の歴史ではない、と言う。真の歴史とは現に起こったことである。起こったかもしれないことを想定することは重要ではない、というわけである。だがこういった潔癖主義者は、われわれが理解しようとしているのは、何が起こったかではなく、何故起こったかであるという点を、見逃している。そのためには、われわれは、それ以外に何が起こる可能性があったかを知る必要があるし、それゆえに反実仮想が用いられるのである。歴史を単に実際に起こったことの記述と解釈する歴史家もいるが、優れた反実仮想の分析は優れた歴史の分析に不可欠だと信じる歴史家も、たくさんいるのである。潔癖主義者がいることは、ナポレオンとステルス爆撃機のようなお粗末な反実仮想(注1)を戒める上では有益である。しかし、次章で見るように(注2)、ある種の反実仮想の分析が取るに足らないということと、優れた反実仮想の分析が因果関係を明瞭に考察する上で不可欠だということとは、はっきり区別すべきなのである。(「第2章 20世紀における大紛争の起源」2反実仮想 69頁引用)

 歴史において「もしも」を考えるのは、原因の究明、因果関係の解明などを調べる上では重要なことだと述べています。ただし、先の回答の通り恐ろしく煩雑な作業ですから、この「教えて!goo」に限らずインターネットの掲示板程度の、検証もなく書き込める内容に、なんらかの学術的成果を求めることは難しいでしょうね。(火葬戦記のネタぐらいにはなるかな?)

 回答者注1…「ナポレオンがステルス爆撃機を持っていれば、ワーテルローの戦いに勝てた」という反実仮想は時代錯誤であるので、「信憑性」の点でも無意味なことである、という前述を踏まえた一文。

 回答者注2…第3章「バランス・オブ・パワーと第一次大戦」において、さまざまな反実仮想を行い紛争の原因を考察している。

参考
『国際紛争』ジョセフ・S・ナイ・ジュニア著:有斐閣刊
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この回答へのお礼

No5さんの誤字に対すしても潔癖性(私は何時も誤字をやらかしています,反省!)を出されています。また私等が及ばない程の豊富な知識をお持ちだと思われまして,非常にクールな論調を寄せられるところに共感を抱きます。

新しい「質問」を出していますので宜しくお願いします。

お礼日時:2007/01/17 21:38

歴史的出来事をどう考えるかによるとは思いますが、私は歴史的出来事は「偶然以上必然未満」と考えています。


「必然未満」だから「もしも」を考えるのですが、しかし「偶然以上」である以上、限界があると思います。
質問者様の質問もその限界を超えた「もしも」に対するものだと思います。
その辺の線引きは回答者質問者によるところが多いのですが、あまりにも、「偶然以下の質問」は、ナンセンスだと思います。
でも此処での質問回答は自由なので、その辺は微妙かと思います。
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。

18件に至るご回答には変遷があり,興味が益々沸き上がります。

お礼日時:2007/01/16 23:23

心情的には共感いたしますが・・・



学者がある時代の政治家の決断を評価する場合、後の展開や様々な情報から照らし合わせると同時に、「別の決断をしていたら」とう視点も批評材料として利用するのは当然でしょう。
また、一般の人が過去の教えから現在の政治や経済を展望する際にも、同様の「仮定」は有効と思います。
もちろん、学問や教養として、必要にして有効な「仮定」と「本能寺の変がなかったら」というような放恣な「空想」とを混同するわけにはいきません。
その点、質問者さんのお嘆きはもっともです。

しかし、このようなサイト(何処の誰だか分からない人々が入り乱れる)に学術的な性格のみを期待するのはどうでしょうか。
コドモの奔放な質問や、お嘆きの「S F 問答」を排除するわけにはいきません。下の回答を見ても望み薄です。第一、管理人たちに質問を選別する見識や教養があるとも思えません。
残念ではありますが、カンネンするしかありません。        
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この回答へのお礼

有り難うございました。

↓に述べました如く「サイトの品格」を重んじて苦言を申し上げた次第です。

お礼日時:2007/01/16 21:47

「ある歴史的事実が後世にどのような影響を与えたか」を考えるのであれば, 「もしなかったら...」ということを考えなきゃダメですね.

もちろん「なかったら」という仮定のもとでどうなるかというのは想像の域を出ないものではありますが, 合理的な考証があれば OK でしょう.
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「もしも・・・」の質問がナンセンスだとは全く思いません。

ナンセンスどころか、「どんどん増えれば良い」と思っているぐらいです。
質問者さんはどうしてナンセンスだとお考えでしょうか? 「ifをいくら考えても事実は変わらないから」というなら、その考えには賛同出来ません。
「光秀は信長を恨んでいたから(or天下取りのために)本能寺で殺しました」と知るだけではなく、「光秀が殺さなくても自分がその時代生きていたらどうしただろう? そして今の時代、自分なら・・・」と考える事が歴史を学ぶ意義であり、「if」を考えるというのはその格好の題材ではないかと思います。

そして何より、「if」を考えるって楽しいじゃないですか! 自分はシミュレーション小説って大好きですよ。そういう人たちにとって事実を知るだけではなく、「他の人なら、どう考えるか?」を知る場としてこのサイトを利用する事は大変良いと思います。
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歴史に対して真実を求めている時に”もしも”を持ち出すのはナンセンスです。


例えば”武田勝頼は無能な武将か?”という質問に
”もしも長篠で大雨が降れば勝頼の勝ちだった。だから有能だ”
のような意見です。(これは例です。)

ただ、質問者が最初から架空の話を求めてるのなら、それはそれで別にかまわないと思いますよ。

問題はまじめに議論してるときに、真実と架空論をごっちゃまぜにして議論を進めてしまわないようにすることでしょう。
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2ヶ月ほど、前でしょうか、このカテに「イフシリーズ」が、同一人物から、多く寄せられて、けっこう、盛り上がっていました。


私も参加しましたが、おもしろかったです。
意とする、答えではなかったのか、お点は、いただけませんでしたが。
この度初めて、「もしも」系の歴史質問をしたところ、2件ほど、たしなめるご意見をいただいて、こういうのが、嫌いな人もいるんだな。と、認識したところです。
壮大な、もしもを質問する人の心理ですが、ちょっとした、神様になれる心境というのが、ある気がします。
タイムマシンでもない限り、本当の真実というのは、わからないのですから、歴史に学ぶことも重要ですが、歴史で遊ぶことを許す許容量があると、より、楽しいと、私は、考えます。
時代劇、大河、歴史ドラマの脚色も、史実無視も平気ですし、江戸のテーマパークも楽しめます。
いやという心理があることも、今後認識させてもらいます。
このカテも狭いっちゃあ、狭いので、仲良くやっていきたいのも、本当です。
ね。NO.11かめさま、はじめ、ご常連さま。
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