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ってなんですか?

A 回答 (8件)

>>戦争は、ソ連側の圧倒的砲撃と戦車戦に対し、日本側は肉弾戦術で戦いました。



厳密に言えば砲弾がなくなったため対戦車肉薄戦闘を行ったのです。
ノモンハン事変の開始当初は対戦車砲や戦車で戦闘を行っています。
砲弾がなくなるまでの間、日本陸軍はかなりの出血をソ連軍に強いています。
ノモンハン事変後期にソ連軍の指揮を執ったのは、対ドイツ戦の英雄ジューコフですが、彼は後年最も辛かった戦場としてハルハ河(ノモンハンのソ連側の呼称)を上げているぐらいです。
しかし、補給上の問題で砲弾が不足し、結果肉弾攻撃に頼ることになります。
しかも運の悪いことにこの戦術がそれなりの戦果を上げてしまいました。
このことが日本陸軍の不幸の始まりだったのかも知れません。

あと、4番の方は38式を単発銃としておりますが、これは間違いです。
38式はボルトアクション式連発銃で5発まで連射が可能です。
恐らく自動小銃や半自動小銃でないことを言いたかったのでしょうが、第二次世界大戦中に自動小銃や半自動小銃の配備を出来たのはドイツ、ソ連、アメリカぐらいのものです。
その中で歩兵の主力装備として半自動小銃を配備できたのはアメリカだけです。
ソ連もドイツも一部の幸運な部隊以外はこれらの自動小銃を配備できていません。
あと、もっと厳密に言えば第二次世界大戦中の日本陸軍の主力歩兵銃は99式短小銃です。
まぁ、装備の交換がスムーズに行かずかなり多くの兵士達が38式を使用していたため、間違いではないのですが。
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ノモンハン事件についてはNo.1の方が概略説明のついたURLを添付しておられます。

 私の父は熱河省豊寧県の参事官でした。 ここは満州国の外で、内モンゴル自治区に属しています。 

父はノモンハン事件の前は飛行機で偵察を繰り返し、内モンゴル自治区一帯を調査する特殊任務を命じられていました。 任地が満州国の外であるというのは考えれば危険極まりない任務です。 

劇団四季のミュージカル『李香蘭』では彼女の生まれ育ったのも豊寧県だったようです。 

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%B1%E6%B2%B3% …
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>>戦争は、ソ連側の圧倒的砲撃と戦車戦に対し、日本側は肉弾戦術で戦いました。



立ち読みだったので、うろおぼえなんですが、「萌えよ!戦車学校II型」イカロス出版によると、初戦には日本側も自慢の「虎の子戦車」を多数投入して互角に渡り合ったとのことです。ただ、双方とも戦車の損耗が大きく、日本側は、「虎の子の戦車を戦いで壊すわけにはいかない」として、戦車を後ろに下げたそうです。

その結果、No.4さんの書かれたように、ソ連戦車対肉弾戦という悲惨な状況となって日本軍が壊滅的ともいえる損害になったようです。
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ノモンハン事件の事ですが、私の父も戦闘に参加していましたので、戦闘の一端をお話します。


ソ連の8月攻勢で、日本軍は壊滅的な打撃を受けました。
日本兵は荒れ狂うソ連の戦車に次から次へと轢き殺され、潰されていく地獄さながらの光景だったそうです。衛生兵の父は損傷の激しい、手の付けられない遺体を無数に診たそうです。
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 第二次世界大戦で現実に起こる日本の戦闘の状況が、はっきり見られる戦争です。

(事件と言うような生易しいものではありません。当時のソ連最強部隊と日本の最強部隊との激突です。)

 ソ連は、ドイツ国境に配備していた戦車部隊のかなりの数を、密かに満州・シベリア国境に移動し、越境挑発を行ないました。
 日本軍は当時、日本最強といわれた関東軍精鋭部隊で、中国との戦いでは圧倒的な力の差を見せ付けていたため、参謀本部からの「ソ連との戦闘行為は避けること」を無視し、越境してきたソ連軍を攻撃、戦闘となりました。

 戦争は、ソ連側の圧倒的砲撃と戦車戦に対し、日本側は肉弾戦術で戦いました。

 この戦いの様相は、日本がアメリカと、圧倒的火力の差・自動小銃に対して単発銃(当時の日本陸軍の正規銃は38式歩兵銃:38式とは明治38年式の略)・戦車に肉弾戦を行なう太平洋戦争と全く同じでした。

 この時、関東軍参謀としてこの作戦を立案した人が、インパール作戦を立案します。(どんな戦いになったか、調べて見てください。絶句しますよ。)

 この結果、日本はソ連と戦うと不利と考え、日ソ不可侵条約を結びます。そこでソ連は、満州・シベリア国境を空っぽにして、主力をドイツ国境に展開することが可能となりました。(ソ連は、ヒトラーが攻めてくるのを予期していたので、何が何でも、日本と不可侵条約を結ぶ必要があったのです。)

 ソ連は、ヒトラーのナチス=ドイツが負けた後、精鋭部隊を再び満州国境に集結し、8月に満州に侵攻。
 日本は8月15日にポツダム宣言を受諾しました。

 対ソ連の戦闘は、日本の運命のターニングポイントとなっています。
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1939年、満州国と外蒙古の国境紛争に端を発し日本とソ連が血で血を洗う戦闘をくりひろげたのがノモンハン事件です。


いまだに全容があきらかにされていない日本軍最大の「事件」みたいですが、なお、戦いの主力となった第23師団の損耗率がなんと76%ということからも物凄い戦闘だったことが伺えます。
「ノモハンの夏」として書籍もありますし、現地取材、体験者の証言、モンコル側の秘蔵フィルム等で再現した歴史ドキコメントとして映像化された「ノモハンの夏」もありますのでご覧になられてはいかがでしょうか。
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そういうのはWikipediaに行って検索するといいですよ。


http://ja.wikipedia.org

まあ、とりあえず、wikipedia以外のurlも貼って起きますが。
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai …

要するに、日本がロシア(当時ソビエト連邦)に負けた戦いです。

参考URL:http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai …
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