質問

質問者:true-1 いじめられる人間に問題はあるのか、否かについて
困り度:
  • 困っています
私は、小学校高学年、中学校、社会人10年以上、いじめを受けた経験の持ち主です。社会人では、村八分をされ、会社に行き、やることもなく、倉庫に行き、ぼーっとしていたこともありました。

いじめをする、という行為は悪い行為であり、絶対に許すものではない、との考えを持っています。

しかし、今、振り返ると、自分にも非があった、問題はあった、との認識にあります。自分の問題点を受け止め、その問題点を改め、自分を少しでも変えるように努めています。

ですから、今では、必要以上に恨んだり、憎んだりはしていません。

世間で多く報道されていて、テレビ番組等を見ていますが、いじめられる人間にも問題がある、と、述べると、そんなことはない、と攻撃的に意見を言う方がおられます。

果たして、いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか?

もし、0%であると断言できるのならば、いじめる人間を除外した形で、理由は何なのでしょうか?(例えば、普段から正しい行為のみしている、等)

また、仮に、いじめられる側の人間に原因があるとするならば、何が原因であると想定できるのか、具体的に教えて下さい。
質問投稿日時:07/01/03 14:13
質問番号:2640527
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回答

 

回答者:mof もう読んでいないかも知れないけど、書きますね。

虐めについての話を聞いたとき、被害者と加害者の責任を問う前に、公平にその場を取り仕切る立場の人間がなぜいなかったのかと私は考えてしまいます。
私は何度かいじめをやめさせた事がありますが、その時はまず現場を押さえて加害者を叱ります。次に、被害者と二人きりで話します。
すると、どんな酷い事をされたか、という話が延々と続きます。話を聞いた後、いじめに加わらなかった子供達の客観的な意見を聞きます。すると、虐めた方も悪いけど虐められた方もここが悪い、というような話が必ず出て来ます。
そこで今度は被害者を再び呼んで、説教をします。もちろん私が怒ってるわけじゃなく、なぜこういうことになったかを冷静に理解させるためです。
次に加害者だけを呼び出します。加害者は多くの場合「言葉で言っても通じない」ので、相手が理解するまでエスカレートしてしまう
というきっかけがほとんどです。そこで「彼はもう理解した。よく反省している。だから、これ以上ちょっかい出すな」と言います。
するとだいたい治まります。

手前味噌ですが、虐め問題の根幹にあるのは子供達の意識ではなく、「話の分かる大人」がいないことだと思います。
そういう人がいれば虐めの多くは解消されますし、被害者の子供も立ち直っていけるのです。

私も中学時代に虐めに遭いました。だから今の子供達を見ていると、あの頃の惨劇がまだ繰り返されていることが辛いです。
大人は勇気を持って、もっと子供達と会話をするべきだと思います。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:10/01/21 04:39
回答番号:No.92
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回答

 

回答者:oinieaga こういう議論するする暇があったら、虐められてる人探し出して助けようよ。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:10/01/12 07:15
回答番号:No.91
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回答

 

回答者:osakabesin この問題にお答えする前に言っておかなければならないことは、「いじめ」を受ける側の問題点(仮にあったとしても)は、決して「いじめる側」を正当化したり罪を減じたりするものではないという事です。

「いじめられる方にも問題がある」という事と「いじめられる方が悪い」ということは本質的に違うものであると言うことを理解していないと誤解を生む可能性があります。

その上で、「いじめられる理由」を考えてみると・・・
身体的特徴、家庭や親兄弟の所為、身に覚えの無い中傷など本人に全く責任の無いものから、本人の言動がいじめに繋がるケースまでさまざまな理由があります。

ご質問者はこの「いじめ」に繋がる「きっかけ」においての「本人の責任の有無」を問題にされているのではなさそうです。むしろそういった種々の「きっかけ」がありながら、「いじめられる者」とそうでない者の違い、そこに「いじめられる側の問題」があるのではと仰っておられるように感じます。

そう考えると、たしかに「いじめられやすいタイプ」の子供(或いは大人も)が存在する事は確かです。しかし、これを以って「いじめられる側の問題点」と呼ぶべきなのかは疑問です。「いじめられないための立ち回り方」は確かにありますが、それが出来ないことは本人お責任ではありません。もちろんいじめに屈しないよう(或いはそう言う被害に遭わないように)に育てるのが良いに決まってはいますが・・・

また、耐性を高めるにしても、次第にエスカレートしていくいじめの中では限度があります。

結局のところ、いじめをなくすには「いじめる側を根絶する」これしかないと思います。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/12/21 23:48
回答番号:No.90
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回答

 

回答者:gnikool 私の場合ですが、
「原因」がわかり反省できるものだったなら納得できるし、努力しよう・認めてもらえるようにがんばろうと思います。
まぁ、納得できる原因だったらそもそもいじめではありませんが。。。
私も出来た人間じゃないので原因はありますが、原因を探しすぎることは、いじめ側をつけあがらせることになることもあると思います。
原因はあるかもしれないけど、全くない場合もあるんです。
傍観者に「原因がある」だからいじめられるんだなんて議論して欲しくありません。それ自体がいじめだと思っています。傍観者に迷惑かけていませんから。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/12/19 11:35
回答番号:No.89
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回答

 

回答者:bigorange9 「いじめられる側も悪い」とか「いじめられる要素で直した方がいいものもある」と部外者が言ってしまうと、いろいろな反例・反論があるのは当然です。

1.いじめは実際にどこでも存在し、なくならないという現実がある。
ということと、
2.いじめは絶対によくない。理由の如何にかかわらずいじめをなくすようにしないといけない。
ことについての議論が混じっているように思います。悲しいかな1は否定しようがありません。下は幼稚園から上は会社、老人ホームにいたるまでいじめはあります。無くならないのであれば実際問題として「いじめられる側」は「どうしたらそうならないで済むか」を早急に考えないと身が持ちません(短期的には「いじめは悪いことだ」などといじめる側に言ってもラチが空かないので)。先生や上司や司法機関(警察や労基署)に相談する、自分が強くなって対抗する、みんなに呼びかけていじめないでくれと闘う、いじめられる原因を考えてそれを変えてみる、所属組織を移る(転職や転校、引越し)などなどいろいろです(どれがいいかとか、果たして可能か、といった点は別として)。2は教育や研修を親や上の者がどれだけ厳しく繰り返し全員にたたきこむかにかかっています。いじめはいじめられる側が「これはいじめだ」と感じた時点でいじめなので、「いじめは人間として卑怯で最低の行為だ」という点を小さいときから教え込むことでしか解決しないと思います。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/12/17 22:12
回答番号:No.88
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回答

 

回答者:onigirit いじめられた経験のある学生です。

場合よって違いますから、わからないですね・・
しかし、いじめの「原因」となった
>「いじめを受けてしまう要素」を直した方が好ましい(内容によっては直さなくて良いのもある) 
というのには同意できません。
たとえば、[背がちいさい、太っている]といったような体のことはそもそも直しようがないでしょうし、本人が直したいかどうかにもよるでしょうね。
また、[頭が悪く、宿題が出せない]というのを「いじめを受けてしまう要素」にしてみましょうか。
[頭が悪く、宿題が出せない]ということをいじめる側が「宿題を出さないなんてズルイ、気にいらなかった」としてみましょうか。
※この場合は「出さない」、ではなく「出せない、完了していない」ということです

では「頭が悪く、宿題が出せない」これを本人が「頭をよくしたい」と思っているなら直すべきことです。それは本人が決めることであり、だれにも彼に強要することはできないと思います(保護者は別として

ただ、「頭をよくしたくない」と思っている時。それでも直さないといけないのでしょうか?「いじめる側の人間の気分を害さないために勉強をしろ」ということなのでしょうか?
なぜ、いじめる側の人間にそんな気遣いをしてあげなければならないのでしょう。理解できません。「宿題を出さないなんてズルイ」と思うのなら「じゃぁあなたも出さなければいいじゃん」ということだと思います。自分は、そういったことをいじめた理由として認めませんね。「ムリヤリ、こじつけてでもいじめたかっただけじゃないの」と思います

[太っているのがキモイ]→[見なけりゃいいじゃん][キモイと思うのは勝手だが、それといじめることの何の関係が?]
[頭いいね。うらやましい]→[あなたも勉強すれば][じゃぁ、あなたの気分を害さないためにバカにならないといけない?]

特に、[頭がいいのがうらやましい]といった理由でいじめた場合、いじめられた側の「うらやまれる要素」「いじめを受けてしまう要素」を直さないといけないのでしょうか。
直した方が好ましいかどうかなんて、当の本人が決めることです。
「好きで頭がいいわけじゃないのに!」というなら直せばよし。でも、これにいじめる側の人間は関わることなんてできないと思いますね。

>(内容によっては直さなくて良いのもある)
ともありますが、ほとんどが直す必要のないものばかりだと思います。
(むしろ、直さなくてはいけないものを教えてほしいです)

それに、なんとなくその辺の人を奴隷化して、こきつかって楽がしたいだけという人もいるかもしれませんよ?
>双方ともに、問題や弱点がある
なんて言われたら、たまったもんじゃないですね。

>誰でも、いじめたい、という欲望を持っています。それは、相手をいじめることで、相手を引き下げ、自分が優位に立ちたい、優越感を味わいたい、優越欲を満たしたい、という本能

さて・・本当に「誰でも」なのでしょうか?相手を引き下げるのではなく、自分を高めて優越感を味わいたい人もいるかもしれませんよ?
そもそも、優越したいとも思わない人もいるかもしれませんよ?
これらの可能性を否定できますか?十分に、どれもありうるコトだと思いますが・・
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:09/12/17 16:58
回答番号:No.87
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回答

 

回答者:bigorange9 いじめられる側に「問題があるかないか」という視点とちょっと違うかもしれませんが、「いじめられっ子が『自分のいじめられやすそうな状態を直さないままでいる』ことがある」とはいえるかもしれません。これは自分の体験です。

自分はいじめる方もいじめられる側にもなったことがありました(小中学校時代)。その頃の学校のアルバム写真とかを大学生頃に見直したら、自分の姿を「たしかにこれではいじめられそうだなあ」と思ったことがあります。たとえば
・髪形がモサっとしていてみるからにうざい
・レンズのぶ厚いメタルフレームのメガネをかけていた
・ダサい服
・野球とか流行の音楽・テレビとかに疎い。そういう話についていこうという感覚が全然なかった
・スポーツが苦手
・キビキビしていない
といった点です。こういう点は誰だって多少あるはずなんですが、当人は案外気がつきません。周りに合わせすぎる必要もないんですけど、少しは気を使うとかできたらなあと思うことはありますね。またいじめっ子はそういう「自分たちと違うダサイやつ」をすぐ嗅ぎ付けるのでいじめやすいのです。

いじめられっ子が悪いわけじゃないんですけど、「いじめられたくなかったらどうすればいいか?」という視点を持つことも必要だと思いました(それでいじめが解決できれば世話はないのですが)。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/12/16 02:56
回答番号:No.86
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回答

 

回答者:moniy 自分はいじめたことがないうえ、
他人がいじめられてる現場をみたこともないのでわからないですが、
いじめられる人に原因があるかどうかはケース倍ケースであって、
ある場合もない場合もあるし、その原因もいじめの数だけ
あるんじゃないですかね。

たとえばいつも暴力を振るう人がいて、
それをやめさせようといじめた場合どちらが悪いと思いますか?
被害者面した加害者もいっぱいいると思うし、悪役させられてる
人もいるだろうし。

いじめをするのはいじめをするほうが特になることが多いから
とかじゃないんですか?わかんないですけど。
具体的にいえば、
周りから一目置かれるとか
いじめられっこを奴隷化できるとか、
別の誰かに見せ付けることができるとか。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/12/14 13:09
回答番号:No.85
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回答

 

回答者:xiongqie 苛めは昔からあるもので、いわば間引きの一種で、動物の自然的な条理と言えるでしょう。失礼ですが苛められる人間には魅力がない、また文句ばかり言っている等能力の違いを示しているものに対して、グループを成して圧力を掛ける行為といえるのでなないでしょうか。いじめを受けたものは消えてなくなるか、若しくは反撃し強くなって、生き物の成長を促す、自然的に選別を行う条理と思います。
 現在は法律でこの行為が行われないため、弱い人間が主導権を握ることができるようになり、強いリーダーが現れなくなってきているともいえますね。
 私は、これらの苛めに対しては、殺人が行われない限り、新聞及びメデイアで報道する類なものではないと思っております。私の息子が苛めに遭えば必ず自分で解決せよと、立ち向かわせるでしょう。子供を愛しているのなら世間に立ち向かわせる強さを鍛えなければなりません。参考です。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
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回答日時:09/12/13 06:33
回答番号:No.84
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回答

 

回答者:hamaki1978 いじめをする人は何かかにか現状に不満を持っているんです。
例え外部から見て、満たされていても幸せそうでも何かかにか嫌でそれを自分より弱そうな人に当たる。
若しくは自分より目立ってそうな人を引きずり落とそうとする、それは嫉妬ややっかみから来るものかな。

兎に角いじめは確かにいじめられる人にも原因があるかもしれないね。
しかし卑下することはない。
環境が気に入らないならぶち壊せ。
アンタには自由に動ける足も手もあるんだ。
あまりにひどいなら「上等だコラ!」と机蹴り飛ばしていいよ。
若しくは警察に訴えてもいい、パワハラで裁判起こしてもいい。

いじめられる人は、それが出来ないからいじめられる。

因みに私は中学高校といじめられてきましたが社会に入って、一匹狼で過ごしてますよ。誰が何と言おうと私は私を貫くだけ。
別に気にはしない。私アウトローですから。
外野が何か言ってても「幼稚園児の集まりかなぁボクちゃん達?」と思ってます。そうしたら誰からも相手されない代わりにいじめられなくなりました。いじめられる人は得ですよ。
だって人と群れるより大事なこと教えてもらえるんですから。

乗り越えて強くなる。
それさえ出来れば誰の言葉も気にならない。

幾ら何を言われようと毅然としていればいいんだよ。
そんな人にほかの人は突っ込んだりしないから。
突き進め ゴーツー☆マイウエイ!
種類:アドバイス
どんな人:経験者
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回答日時:09/12/13 03:29
回答番号:No.83
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回答

 

回答者:bgcewhifqo 一つだけ言えることは、いじめる人間がいなくても、何の問題も起きないということですね。
いじめる人間というのは、他人の言動にいちいち左右され、むかついてしまうという、脳に欠陥のある人間なんですよ。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:09/12/12 19:14
回答番号:No.82
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回答

 

回答者:spc52 人間には様々な状況があります、その中にいじめに合いやすい状況があるのだと思います。それは誰にでも当てはまると思います。反対にいじめの心は誰も持っていると思います。それをきちんとコントロールするのが人間であると思います。いじめられ易い状況に陥った人をいじめるのは人間としていかがなものかと思います。

いじめ心が子供に出やすいのは確かです、それをいじめないように教育してこそ、親であり、教師です。どちらもできていないのが今の世の中ですね。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/12/10 20:56
回答番号:No.81
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回答

 

回答者:spaider01 いじめられる人に非があることは絶対にありません。

いじめという行為自体が不当だからです。

いじめられる側が何かの仕返しを受けているということであれば、それはいじめられる側の非なのではなくて、そもそもがいじめなのではなく、自分のまいたたねだということです。

嫌われるということといじめられるということは全然違います。たとえば、ある中学生が教室内のすべての同級生から無視されている状況を考えてみますと、その状態は一応、いじめらしいといえます。

でも、すべての同級生がたがいに言葉を交わし、感じよく接しなければならないわけではありません。当然、無視するという態度も改善することを強要できるわけがありません。それらはそれぞれの人の人格に期待されるべき問題で、しいて言えば長年にわたる子供の教育の一般的な問題です。

ですから、仮にすべての同級生から無視されていても、それだけではいじめと断定することはできません。それどころか、本人が周囲に対して一般に人から嫌われるような態度をとり続けてきた結果だとすれば、それは親の教育と本人が招いた不幸な結果に過ぎません。

ですが、そうした背景もなく、単に本人を不快に思わせるために全員で無視するような場合は、一般に学校生活から得られるだろう本人の利益を不当に奪うことで、それはいじめになると思います。

いじめとそうでないこととの境界は、もっと微妙だと思いますが、基本的にはそのように考えます。

社会人であればもっと考えやすいわけです。たとえば職場のいじめであれば、職場では職業上、組織人として連携すべき義務があるわけで、これに支障を生じさせるような何かを意図していればそれはいじめです。

しかし、単に嫌われているだけで仕事に支障をきたすような積極的ないやがらせを受けるとか、それに等しいような不作為にさらされるなどのことがないのであれば、それは人としての自己責任でしょう。

ですから、あなたの考えているいじめられる側の原因というものは考え方としては成立しないものであり、いじめられる(と考えている)側の原因が考えられるとき、それはいじめなのではなく、因果応報の問題であるということを理解すべきです。

そして、人から好かれないことが別に悪いわけでもありません。でも人に嫌がらせをして迷惑をかけることは悪いことです。人を無視することはそれ自体が絶対に悪いことというわけではありません。なぜかというと、道端で道を訊ねられたり、ちょっとした助けを求められたときにその人を無視したとしても、それは道徳的にどうかは別として、その人に迷惑をかけたわけではない、単なる非協力です。ですから、人を無視することによっても、いじめとなる場合もあればいじめではないという場合もあり得ます。そして、いじめとなる場合にはいじめる側だけが一方的に悪いのであり、いじめられても仕方がない原因などありません。それは、人の好き嫌いという道徳上の問題という一線を越えた不当な行為だからです。
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回答日時:09/12/06 16:47
回答番号:No.80
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回答

 

回答者:heartmind いじめられる人間にも問題があるのは当たり前です。でなきゃあ無差別暴力行為のはずですから、標的になる条件がその原因なのです。

要因はいろいろありますが、不条理な場合が多いと思います。その時点での本人の努力ではどうにもならない。どうにかなればいじめられない訳ですから。なのでどちらかというといじめる方に多く問題があるわけです。しかし、この問題は国家において将来的な経済的損失が大きいと国民が気づいて解決しようとしなければ未来はありません。

日本人に染みついた保守思想の行き過ぎを社会全体で解決するよりほかありません。
種類:アドバイス
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回答日時:09/12/06 11:53
回答番号:No.79
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回答

 

回答者:noname#100463 いじめてる側に否があろうが、
いじめられる側に否があろうが、
いじめ自体無いと、人間界は成立しないんです。
でも自分だけはしっかりしてれば必ず誰かが助けてくれます。

いじめの原因は優越感に浸りたいからです。
誰もが優位な立場になりたいからでしょう。

僕も昔はシカトとかされまくって病気になったことがあります。
でも黙っててやられるくらいなら、やり返して相手に思いしらす事が大事なのかもしれません。知らないままではイジメたそいつは一生知らずじまいで生きていくのです。そしてそのまま間違った最低な人間がどんどん生まれてくるのです。だから戦争があり、平和もあるのです。
それがバランスです。いじめが無くなることも犯罪が無くなることも一生無いのでしょうけど、とにかく自分だけはちゃんとした人間になれば周りもちゃんとした人間だけになっていくと思います。
種類:回答
どんな人:経験者
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回答日時:09/12/05 22:22
回答番号:No.78
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回答

 

回答者:sivbikku いじめに遭われて、辛いでしょう〜。
人間も、未成熟な人が個人の楽しみと、ストレス発散の為に行い、集団の維持、統率に繋げています。
いじめの対象は、人と少しだけ違っていたり、反撃しない人を選択し、用意周到に進めます。
大抵は一個人の意思が発端で、自分一人では弱いので、皆を巻き込みます。
被害者の立場は擁護すべきものであると確信します。
被害者に落ち度があるのかも知れませんが、だからと言って容認される問題ではないのです。
苛められる原因を究明するのは結構だが、それが精神病の原因になったり、ストレス性の疾病に進展します。

生真面目で、責任感が強い被害者ほど、落ち度はないはずです。
しかし、そんな人ほど自分を責めます。

反対に加害者ほど、綻びが目立ち、矛盾だらけなんですよ。

そんな集団に身を晒す必要はないし、そのまま居座るのであれば、可愛そうな輩と諦め、大きな気持ちで接して下さい。
優秀な人間ほど、周りからヤッカミ、中傷の対象になり、能力が低いと、自分達のほうが優秀だとアピールする為、苛めるのです。

お前達は、よっぽどの馬鹿か、幼稚な頭脳だと心の中で叫んでください

心の中で、思い切りあざ笑ってください。

歴代の大阪副知事の中には、極道の妻だった人もいますが、原因は苛めでした。
辛い苦しい苛めに耐え切れず、非行に走ったのです。
人間は周りと関わりがないと、弱いものです。
どうか、理屈や理論だけでなく、より良い相談者がいれば心の蟠りを
はき捨てて、楽になってください。
心のなかの全てをさらけ出して、泣きじゃくってみるのもいいですよ。
貴方の全てを受け止めて、一緒に泣いてくれる人がいると思います。

私は苛める人間は、許されないと、強く訴えます。
若しも原因や理由があるとすれば、そのことに関してコミュニケーションを駆使して善処すべきものを、陰湿な挙動に走る卑劣さを許しては駄目です。
世の中、完璧な人間などいません。
いろんな人がいますので、多様性があり楽しいではありませんか。
能力ばかりで人を判断してませんか?
アインシュタインも幼児並みの国語能力でした。
協調性も大事だが、もっと大事なのは思いやりです。
人を思いやる心掛けで、周りが変わることもあります。
絶対に自分を責めたり、反省したりしないでください。
悪いのは彼らイジメ集団ですから。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/12/01 23:29
回答番号:No.77
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回答

 

回答者:y80  私も小中学校といじめに合いました。いじめられる側に問題があるのかということについて、今でも忘れられないことがあります。小学6年生のときの担任の先生が自分の母親との面談のときに「いじめられる側にも問題がある」と言ったことを母親から大分後になって聞きました。いじめられる側にも問題はあると言った担任が考えた原因は分かりませんが、今になって思うには、結構私は暗い方でいじいじしていたので、いじめ甲斐があるというか、いじめたい衝動にかられたのだろうなと思います。いじめる相手に対して、立ち向かい、きっぱりとした態度をとることができれば、違ったように思うのですが。それかいじめる原因や理由を相手に尋ねるしかないと思います。(そう簡単には聞けないですがね。)理由はないのかもしれないし、もしかしたら自分の気が付かないところで傷つけていたりする可能性もあるし。
 話は変わりますが、以前勤めていた職場で一種のいじめというかみんなから相手にされず孤立している後輩の子がいました。その子に関しては、その子自身に問題がありました。仕事上のミスなど指摘するのですが、そのことを受け入れることができず、返事をしなかったり、嫌なことがあると、すぐに上司に報告するなど小学生並みのことをしていました。自分は悪くないと人のせいにすることもあり、みんなもうお手上げという感じで無視されてましたね。協調性のなさや性格などいじめられる原因がいじめられる側にあるということもあるのかなと私は思うのですが。true-1さんへの回答になっているかどうか不安がありますが、私の意見です。
 私は今もいじめていた同級生のことを思うと、腹ただしく思え、そのときに戻って言い返し、やり直したい思いにかられます。true-1さんは恨んだり憎んだりすることはなく、前向きな思いをうかがうことができ、私も見習わないといけないなと思います。
 理解し難い部分があればすみません。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/12/01 23:16
回答番号:No.76
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回答

 

回答者:bousi-7 いじめられる人間にもなにかしらの理由がある のかもしれないが
いじめてる方にしてみれば とくにこれといった深い理由はない
というのが大半ではないだろうか

世の中は残念ながら不平等で理不尽きわまりない というのが現実です

弱い物はがんばって なんとかするしかないのです

いやなら戦え 戦わないなら文句をいうな でしょうね 
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:09/11/24 14:52
回答番号:No.75
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回答

 

回答者:2piyo2009 いじめられる側の人間に問題はない、0%です。


いじめられる人に問題があることもあります。
しかし、いじめれば、いじめた人が悪いに決まっているでしょう。

誰かに問題があるとして、
だからといってその人をいじめるというのは、
問題の解決にならないし、

要するに

いじめっこがいじめを始めてるだけです。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/11/22 01:40
回答番号:No.74
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回答

 

回答者:hibanatiru いじめられる側の人間に原因がある。
けど、それは、いじめる側の理屈という意味です。
全ての人から見て「いじめられる原因」ではありません。
あくまでも、いじめる側の人から見ての原因はあると思います。

それは、いじめっ子一人ひとりに、「何でいじめるの?」って聞いてみないと分らないことじゃないでしょうか?
聞いてみたら、意外と「動作が鈍い」「自信が無さそう」「顔が嫌い」「ノリが悪い」みたいな、たいした理由があるわけじゃないと思うけど・・・
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/11/18 21:59
回答番号:No.73
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回答

 

回答者:canaryz 私は混雑している場所で、人にぶつかられると、相手が悪いと判断します。
でも、3回それが続くと、自分に原因がないか探します。そうすると大きな荷物を持っているときが多いのです。通常よりはみ出ているわけですね。私自身が、もっと避けなければいけないところを、避けずにいることが原因になっています。
この場合、原因は私にあるということです。(痛い目にあったとしても)

たとえば、中学生の時だけのイジメでしたら、たまたまターゲットになっただけかもしれませんが、社会に出てからもあるのなら、いじめられる側に原因があるということです。

どちらか一方を悪いと決めつけても何の助けにもなりません。原因を探っていくことが、大切だと思います。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/11/18 01:24
回答番号:No.72
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回答

 

回答者:kuupii いじめた事も、いじめられた事もある者です。

いじめた相手には、どうやって償ったらいいか。後悔しかしていません。
いじめる人間がいるから、いじめは起こります。
いじめられる人間の問題ではありません。

しかし、私をいじめた奴らにはこう思います。
私にも原因があったよな、と。
主犯格も一緒に私を笑った周りも、許す気にはなりませんが、
奴らに少しでも良心があるのなら、
私のように一生いじめた事を悔やんで生きるのだろうな。

社会人になってから、私はお局さまに毎日いじめられました。
バカ、いらない、ブスなどと、面と向かって言われました。
倉庫でボーッと過ごせるなら、喜んで行きましたけどね。
そのお局さまもいつの間にかいなくなり、いじめっ子の取りがちな行動も
インプットした私は、お局さまになならないよう、日々心がけています。

でも、世の中はいじめで流れています。
米軍基地問題は政府が悪い、景気悪化も政府が悪い、サービス残業は
会社が悪い・・・
言える相手に言うだけなのは、いつも何にでもそうかも。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/11/17 23:10
回答番号:No.71
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回答

 

回答者:morutiroro いじめ。というか、迫害ですね。
これは、理由はあってないようなものです。
極端な話、顔が気に入らない。というのも理由ですから。
ただ、共通しているのは、反撃してこないだろう。ということ。
要するに、なめられているのではないでしょうか。
会社なら、自分の方が仕事ができるとか。
学校なら、自分の方がテストの成績がいいとか、腕力がある。いったことで、
自分の方が優れているのだから、自分に逆らうことはない。
ストレス発散の槍玉にしてしまえ。といった感じでしょう。
こういった場合、自分に自信が無い人が多いです。
勉強もできない。体力も自信がない。といった、
子供番組のドラえもんでいう、のび太的キャラです。
これは、見てるだけでイライラします。
何も努力しない。もしくはやったつもり。なのに何故苦しむ?。
当たりまえです。
勉強でも、運動でも、死ぬ気でやって、自信をつければ、いつのまにか、舐められなくなります。
私は、勉強はそこそこでしたが、運動はからっきしでした。
そこがコンプレックスでしたが、自転車に遭って、レースに出て、頑張って結果を出せたとき、自信が着きました。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/11/15 11:53
回答番号:No.70
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回答

 

回答者:delta02 私もいじめを受けたことがある人間です。
自分自身、かなりエキセントリックな人間ですから、
いじめられる原因は自分で作っているのだろうと思います。
ですから、個人的に強烈な恨みをもっていたりはしません。

が、一般論としていじめについて考えるとき、やはりいじめる人間が悪いといえます。
いじめられる人間に問題があれば、いじめていいという論理が成り立つのか?という話です。
嫌いならば関わらなければ良いだけの話で、危害を加える必要はないはずです。
ことを複雑化して考えていじめに加担する人間を擁護する必要はどこにもない。
単純に考えて、いじめることが良いことかどうか、それだけを考えれば済む話です。
自分や自分の大切な人間が虐めを受けて嬉しいかどうかを考えれば、理由があれば人に嫌な思いをさせていいのかどうかは、自ずと分かるはずなんです。

動物の世界でもいじめはあります。
集団があると必ず弱者がストレスのはけ口になるものです。
社会性のある動物においてはこの仕組み自体は仕方のないことです。
ですから、
「いじめをなくそう」
という言葉を聞くとゾっとします。
なくなる訳がないから。
いじめがあっても、陰惨な結果にならない仕組みを作ろうというなら分かる話なんですが。

いじめの存在自体は仕方がないにしても、
いじめをしている人間が、
「いじめられるやつにも問題がある」
という理論武装で行為を正当化することは卑怯なことだと思います。
自分の心の弱さや醜さを理由をつけて直視しないようにしているだけです。
自分の大切な人間が酷いいじめを受けているのを目の当たりにした時、「あなたに問題があるから」だと突きつけられるのか、問うてみたいものです。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:09/11/05 18:02
回答番号:No.69
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回答

 

回答者:ni-tarin 小学1年生のときから、町内の上級生たち(当時の中心人物が四年生)が卒業していくまで、ずっといじめられていました。女性です。

毎朝の集団登校、土曜の集団下校、普段から上級生に会うのは辛かったです。

暴力的なことこそありませんでしたが、年上で自分より大きい人たちが集団で、意地悪を言ってきたり、されたり。
幼い私はとても傷つきましたし、町内ということで、普段からの付き合いもあり、また家が商売をしていたことから、親も『相手が悪い』などという態度を外では見せにくいため、つらい思いをしました。


ただ私は、コミュニケーションが苦手というか、極端におとなしく、声も小さく、どんくさく、主体性のない、いつも下を向いて歩く子でした…


これでは確かにいじめられるよ…と思いますし、必要以上に相手を恨んではいません。


でもやはり、小学1年生ってまだまだ人格がしっかりしていないところはありますから仕方のない部分もあると思いますし、上級生複数人からのイジメは辛いものでした。
むしろ町内の上級生ならいろいろとカバーしてくれてもいいのに。


不思議なことに、学校についてしまえば、クラスや学年の皆には、この性格でもいじめられませんでしたし、むしろクラスの友達にイジメを相談したら、親身になって先生に相談しに行ってくれました。


やはりどんな弱点があろうとも、そこをイジメる人物がいない限りはイジメは始まらないと思います。

イジメる人間はどこにいるかわかりませんがら、日頃からイジメられないように、甘く見られないようにするとか、いざイジメられたら早めに威嚇したり、守ってくれる味方をつくることです。

イジメられる世界、イジメられない世界を同時に体験した者からでした。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
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回答日時:09/11/04 21:51
回答番号:No.68
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回答

 

回答者:gadgetdesu  いじめる側が悪いに決まってます。これを前提として、どういう人がいじめられやすいか、僕なりの考えを述べます。ただし、どうやってもいじめられる場合もあります。
 1)言い返せない人、毒を吐けない人
 2)軽くみられる人、自分の意思がない人
 3)誰とでも仲良くしないといけないと思っている人、嫌いな人に自分から近づく人
 4)視線が合った時、目を横にそらす人
 5)テキパキしてない人
 6)人の心をつかむのが下手な人、『こう思ってるでしょ』と人の心を言い当てる発言をしない人
 7)些細な冗談を真に受け相手を悪者にする人、一度しか言われてないひどい言葉を何十回と心の中で思い出す人
 8)共感を口にしない人、相手にいい感じを持った時でもそのことを口に出して伝えない人
 9)相手の感情操作にまんまとはまり、相手を調子ずかせる人
 10)自己開示せず何を考えているのかわからない人
 11)会話してても楽しくなくいじめるしか利用価値の無い人 
 12)自分だけが正しいという気持ちが態度に出てる人、絶対に道化役にならない人
 13)神経を逆なでしてくる人
 それぞれの項目で注釈が必要ですが、長くなるので見出しのみ列挙しました。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/11/04 07:31
回答番号:No.67
参考URL: http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/deai/013kizoku.html
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回答

 

回答者:BIMO2006 いじめだしたきっかけの内容にもよると思いますが、内容によっては被害者も悪いと思います。いじめられて反抗をしないケースが一番いじめが悪化していくんだと思います。

小説で山田悠介の×ゲームって言う名前の本があります。いじめ関係の内容でいじめられていた人間がいじめていた人間、見てみぬふりをした担任を同じいじめの内容で殺害していく話しです。内容的には少しグロテスクな部分もありますが、この本から色々学べるのではないでしょうか??

自分も小学校から中学校までいじめられていました。反抗するって言っても口だけで実際には行動には移しませんでした。中2のとき一人の男子が他のやつともめて頭痛で寝込んでいた自分の頭を殴ってきました。最初はお願いだから放っといてくれないか??と、お願いしたんですが自分には関係ないといってまた殴ってきます。次は警告を出しました。
そろそろ止めないと・・・知らないよ??って。最終的にいつも口ばっかりで何もしないんだろと捨て台詞を言われまた殴られ完全に切れた自分は奇妙な笑みを浮かべながら座っていた椅子で頭を何度か殴りつけ3階から落とそうとしていたそうです。そのときの記憶はまったくありません。でも、それ以来いじめはぴたりとなくなりました。

自分みたいにやりすぎはよくないですが、まったく反抗しないのもどうかなって思います。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
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回答日時:09/11/04 03:19
回答番号:No.66
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回答

 

回答者:akiaki1972 いじめる側、いじめられる側に責任や原因を求めるのは本質的ではないと考えます。

確かにいじめられやすい、狙われやすいキャラというのは残念ながらありますが、原因に対して具体的に答えることはできません。もともと答えなどないからです。

いじめはどこにでもあふれており、人間社会がそのような暗い部分を持っているということは認めたほうが建設的だと考えます。true-1さんはいじめられる側で、ツマラナイ思いを余儀なくされ、何で自分がいじめられなくてはならないのか、という理不尽な思いに駆られていると存じます。

どのような対応が効果的かはわかりません。突き放した言い方になってしまいますが、本人ができる範囲で解決していくものだと考えます。

自分もいじめの渦中におり、暗中模索でもがいてます。
長期戦・消耗戦は避けられないと覚悟してます。
人として生まれた以上、人として向かい合ってればいいと、思えるようになりました。
暗い問題ですから、恨みをもつのは人間らしい当然の反応ですし、自分の問題点を明確にするのも建設的ですよね。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/11/01 21:32
回答番号:No.65
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回答

 

回答者:pen-cil  私の知り合いに小、中、高校といじめられてた知人のA君がおり、彼は環境が変わってもいじめられていました。卒業後、違う大学に進学したのでその後どうなったかは知りませんが・・。
 私はNo59の方同様にいじめる人が100%悪く、いじめられる人に非はないと思います。しかしながら、それは「どっちが悪いんだ?」っといったこと前提の話であり、いじめの原因はいじめられる側にもあると思います。
環境が変わってもいじめられ続けたA君は私から見ても感に触る性格でした。

 いじめらる人は決して悪くないです。いじめる人が100%悪いです。しかし、かならずしもいじめの原因はいじめられる側にないわけではありません。
 いじめられてる人は「いじめる人は悪だ!ゆるさない!!」だけではなく、自己分析してみてはどうでしょう?
 楽しく暮らせるのは誰にとってもいいことですから。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/10/31 13:17
回答番号:No.64
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回答

 

回答者:moniy 非があるないというより、いじめることでのメリットを
重視する場合もあると思います。
ぶっちゃけた話、いじめられる人がいい人であったとしても、
いじめたら1000万円もらえる仕組みがあったらどうします?
ってことですよ。それは金でなくて、
今までの非を相手の責任にしてしまうことで、
自分が悪者にならずにすむってことだったりの場合もあると思います。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:09/10/28 19:52
回答番号:No.63
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回答

 

回答者:illtreated 自分は今までいじめられてきたし、今も嫌がらせを受けています。
いじめられる人の特徴は、
おとなしすぎる、正義感が強い、人の好き嫌いがある。
要するに、なめられまくっている。
やさしいんですよ。

やられたことを分析して、猛烈に抗議することですね。
そんな奴と仲良くすること無い。
あんたには、100%問題ない。
堂々と生きろ。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:09/10/27 00:06
回答番号:No.62
参考URL: http://oshiete.sponichi.co.jp/qa1278785.html
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回答

 

回答者:1215225 いじめられる側に原因がある場合もあると思います。
しかし、原因があるからと言って暴行や中傷、物を隠すなどの行為行うのは悪です。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/10/26 12:26
回答番号:No.61
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回答

 

回答者:sayone1966 問題があるのか?どうなのか?という議論は
論評したい人間やテレビ番組スタッフに任せておきませんか?

少し違う立場で話をしますんで、信じたくない場合は
信じなくて構いません。何かこの中に紐解けるものがあって
気付きにつながれば、と存じまして投稿/書き込みをします。
―――その事を踏まえて以下、お読みください。。。

ワタシが先ずいじめの被害者だった時期があります。
中学の時が一番きつかったし、死のうかと考えたことです。。。
今、辿り付いた意見を述べさせて頂きます。

第一に因果の法則というものから、投げかけたものが還ってくる
投げかけないものは還ってこない、というものです。
例えば(例が悪いかも知れませんが)性的な暴力を受けた娘が居たとします。
・彼女は親に相談するが、兄のことはふせなさい!と言われただ悶々とします

このケースですが、因果という点でいうと、300年ほど前江戸時代の前世、彼女は男で同じことを或る相手にしています。その因果が今世出た(因果が消えた)・・・だからヨカッタ、という話です。だれ彼のせいにして地獄考え/地獄言葉を遣って当たったり、恨んだりをする為に生まれ変り(魂の成長)をして居る訳ではないようですので、ジブンに非がなんらか在ったのかも知れない・・・と指先を自分自身に向けられる様になるのが、本質であるという情報です。。。

分かりづらい例で済みません。この様な内容を前提にすると、ワタシは相当顔の事で誰かを傷つけてきた・・・と振り返られますし、治まっているなら、因果が消えた!と喜んでいいものと考えています。もっと言うと、自分に本質(愛と調和)に気付かせる(経験の)ため、生前“いじめ役”を決めてきて居るので、そのいじめ役に相手様に悪役をしてもらっている・・・と云えるかも知れないのです。

いきなりアナタ様の事例や、一般論に当てはめて“此れが事実だ”等とケンカをするつもりは毛頭無いし、決め付けるものでもありませんヨ。少数意見(ヘンな意見)ですから、分からなければ分かる必要もございません<(_ _)>御安心ください、それが普通です。

第二に申し上げたいのは、いつもジブン発である・・・という事。事故・トラブルに遭う、詐欺に遭う・・・としたら自身が相手と同じ波動を出していた!という事。その波動に引き寄せられる様に相手と接点を作った・・・だから相手を責めたり恨んだりを止めて、ジブンが反省をするだけ。何がそうなった/させたのかを気付く為に事象が見せられている=起こっているとお考えになるのが、本来のようです。

何か社会問題的なものを想定して、それをどうこう話題にするのは、そういう人間を引き寄せますからオススメしません。いつも指先を相手に向けて論評・批判するのでなく、自分に向ける(自分だったらあぁはしないぞ!と腹をくくる)のがベターだという情報ですんで、疑問をもたれるのは大いに結構ですが、突き詰めて理解しよう!と想われない方が良いと存じます。応えはありませんし、極める事も証明し切る事も意味はありません。ただ起こり、ただ受け止める・・・・・・これだけです。※因果の法則もお釈迦様が2500年前に気付かれたものらしいですが、いじめが因果であるかそうでないかも意見としてであって限定しかねます。。。

失礼申し上げました。個人的な事態収拾よりも、“正しい行為?”等の抽象的な質問に対する回答や極論、漠然とした内容に対するアドバイスはやはり難しいものだ、と改めて限界も存じています。長い文をお粗末でした。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/10/21 16:50
回答番号:No.60
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回答

 

回答者:GPXIM 私はいじめる側が全面的に悪いと思います。
一方的に相手の嫌がる事をしておきながら、いじめられる方にも原因はある等と、身勝手にも程があります。
そう言う人達は想像力が欠如しているので、自分も実際に同じ目にあってみなければ、自分の間違いを理解できないのでしょう。
人として根本的な何かが欠けている、情けない人達だと思います。

ただ、いじめられ易い人は、その理由を省みて改善する必要があると思います。
これは、泥棒に入られ易い家に例えるとわかり易いのではないでしょうか。
そそっかしくて鍵をかけ忘れる時が多く、その為度々泥棒に入られてしまうという家があったらどうですか?
勿論悪いのは泥棒であり、鍵がかかっていなかったからと言って勝手に他人の家に入っていい筈はありません。
しかし、いつも鍵をかけ忘れるというそそっかしさを直さない限り、同じ事は繰り返されるでしょう。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:09/10/19 17:40
回答番号:No.59
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回答

 

回答者:cian 人間の感情に、嫉妬とねたみと嫌いという感情が無ければ、いじめはなのでは?
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/10/17 18:18
回答番号:No.58
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回答

 

回答者:uooooosds 私はいじめられるほうにも、いじめるほうにも問題があると思います。
いじめといったって、何もしていないのにいきなりいじめられるケースは約50%くらいだと思います。つまり半分です。
いじめるほうももちろん悪いんですが、いじめられるほうが何かをしたからいじめられる、ということも少なくありません。
私の学校のいじめられている人は、最初はみんな普通に接していたのに、
遊びにさそってきたのにそのいじめられている人が「あそびたくなかったのに」など、さまざまな問題を起こしたから、みんなで文句を言ったら「いじめられている」といいだしました。これはいじめている人だけが悪いとは思えません。だから、どっちも悪いということだと思います。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/10/15 17:40
回答番号:No.57
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回答

 

回答者:miririnn たくさん回答が出てますね。
とても把握できないので、ダブったらごめんなさい。

「いじめられる側の問題と、いじめは関係しない」これが私の意見です。
いじめられる側に問題があろうとなかろうと、そんなことは関係ないんです。

第一、いじめられる側に問題があったらいじめていいなんて聞いたこともない。
「私の親が殺された、じゃあ、犯人を殺していい」なんて法律はありません。
相手にどんなに非があろうと、罰を与える権限を持つ人は別にいるっていうのが法治国家です。
ですから「非がない人間はいない。そして、非があるからといっていじめていい理由にはならない」と思います。
そもそも非がない人なんて、いやしませんからね。

個人的には、「いじめ」と、「いじめる人間・いじめられる人間」の性格や個性を問題にする時代ではないと私は思います。
どんな人間だっていじめられる可能性があり、どんな人間だっていじめる可能性があるんです。
そこに個性や性格なんて関係ない。

暗い子はいつもいじめられて、明るい子は絶対にいじめられない?
頭の悪い子はいじめられて、頭のいい子はいじめられない?
動作がのろい子はいじめられて、てきぱき動く子はいじめられない?
空気の読めない子はいじめられて、空気の読める子はいじめられない?

そんなことありません。
いつも回りの人の気持ちを敏感に読み取り、てきぱき行動して、聡明で、明るい人だって、いじめられるときにはいじめられますよ。

ですから、タイトルの「いじめられる人間に問題はあるのか?」に対する答えとして、「いじめられる人間に限らず人間はみな問題を持っている。」となります。

さらに言えば、「いじめられる人間の問題は、いじめの原因ではない」と私は考えます。
いじめる原因は別にあって、いじめられる人間の問題は単なる名目にすぎないのではと考えています。
参考にしていただけると幸いです。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/08/16 02:25
回答番号:No.56
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回答

 

回答者:DL3 人間の本質は自分より弱いものに対しては強い態度を示してしまうものでしょう。いじめってここが本質ではないかと思いますよ。

例:子供への暴力、DV等

見ればわかるでしょ。

ここを食い止めるのが人間の理性じゃないかと思いますよ。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/08/09 09:04
回答番号:No.55
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回答

 

回答者:partyu1 いじめもいじめられも経験したぼくの意見です。
いじめられる側にも原因があります。

1. いじけたり、いじめて欲しい雰囲気を出す
2. 嫌なことを言われたり、気に障ることを言われたとき、反論する
3. 空気の読めてない発言をする

いじめる側が悪いのは明白ですが、
いじめられる側にも原因はあります。
でもそれを大勢の前で言ってはいけないのです。
ぼくは、大勢の前では「いじめられる側も悪い」とは絶対に言いません。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
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回答日時:09/08/08 19:03
回答番号:No.54
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回答

 

回答者:seven いじめる人間が100%悪い。

いじめられる人はどんな人ですか?
くらいとか動作が鈍いとか・・・それは個性です。

他人の多種の個性を認めることのできない人が
人をいじめます。

寛容の心を持たない偏狭な人間がいじめをする人間です。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/08/03 22:35
回答番号:No.53
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回答

 

回答者:jinnse1 問題のある人がいたら、いじめてもOkなのですか?
その人の欠点をつついて、いじめていいだなんて人間としておかしいと思いませんか?
問題がある人がいても、いじめないで対応することが大切だと思いますよ。あったかい人なら、いじめません。
だから、いじめる方が100%悪いんです。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/08/01 15:40
回答番号:No.52
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回答

 

回答者:xyzonly  私と似たような境遇の持ち主ですね。
私自身気がついたことは以下のような事柄です。

 まずいじめられる人間は、そのような環境におかれやすいということです。
そのような人は、ずばりお金がありません。

 お金があれば会社経営でもして、嫌なことはすべて他人に押し付けることができます。
また、そのような人は往々にして学歴がありません
 学歴がないと良い条件の会社に入社できません。

 ピラミッドの頂点(経営者階層)は、お互いを守り面倒な作業すべて
下層の人間に押し付けます。
 下層の人間がさらに嫌な作業を下層の人間に押し付けます。

 あなたもわたしもそのような環境に閉じ込められ、毎日 つらい日々を味わうことになります。その中には非人道的な行動が常に見られます。
 いったい何が正義なのか? こんなことは学校では教えません。
会社員というロボットを製造しているだけです。

 とにかく株でもなんでも良いのでお金さえ得られれば、そのような環境を脱出することができます。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:09/07/31 21:38
回答番号:No.51
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回答者:ken_tyan たとえば、空気を読めないと反発を食らうことがあります。その反発が一丸となって自分に迫って来るのがいじめになってしまうのかなと思います。
また、権力者がそれをするときも虐めなのかなとおもいます。
**
虐めを受けないためには、周りの空気を読まなければならないのかなと思います。
種類:回答
どんな人:一般人
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回答日時:09/07/31 18:17
回答番号:No.50
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回答者:okwebquiet もし、いじめられる側に問題があるとすれば、それは、いじめる側にもいじめられる側にも責任の無い領域だと思います。人間は、「蝿の王」と言う日本語名の小説に描かれているような、動物的な競争本能を生まれつき持っています。兄弟で幼い頃からケンカをしたことがないと言う人なんてまずい無いでしょう。競争本能を持っていることは、いじめる側の責任でもいじめられる側の責任でもありません。その競争において、あまりにも力の差があった場合には、それを「いじめ」と言ってもいいと思います。競争を必然とするならば、いじめられる側も、ある程度の競争力、怒ったり、言い返したりすること、が本来求められると思います。この流れで言えば、いじめられる側の問題、原因は弱すぎること。
しかし、大勢の人間を集めれば、強い人間も弱い人間もいるのは当たり前。いじめ、があるのは集団社会競争生物の宿命かもしれません。いじめられる側の人間の原因が弱いことであるなら、やはり、何か、得意なもの、人にはこれだけは負けない、というものを身につける必要があると思います。人は、他人が何か自分より優れているものを持っていると感じると一目を置くものです。いじめが、動物的競争本能から来ている部分があるとするなら、本来、いじめを理性で押しとどめるよう教育しなければならないものです。しかし、動物的本能である以上、どうしても抜け道ができてしまい、完全にこの世から、いじめを消し去ることはできないと思います。いじめを受けないようにするには、何でも良いから、何か武器(得意なもの、人に負けないもの)となるものを持つ必要があると思います。
社会人であれば、何かの資格を取得するのも一つの手段だと思います。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
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回答日時:09/07/28 19:24
回答番号:No.49
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回答

 

回答者:noname#101096 問題のない人間などいません。
最近、どこかの調査で「ほとんどの人がいじめた経験もいじめられた経験も持っている」というのが報道されていたように思います。みんなそれぞれ欠点も美点もあるもので、特定の子だけがいじめられるいわれはありません。

特に子供の頃は「素」がそのまま出ることが多く、社会性も十分じゃありませんから、後で思い返せば問題だらけの人生で何の不思議もありませんよね。それを学ぶために学校に行ってるわけですし。
ただ、個々の「問題」を指摘してよい関係を築くことと、相手の人格を否定していじめることとは全然違います。前者は当然のことで指摘された側にも有益ですし、仮にそれでけんかになってもひとつの経験ですが、後者は無条件に許されないことと思います。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/07/28 09:17
回答番号:No.48
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回答

 

回答者:noname#90412 true-1様 人間的理想論から言えば、いじめるほうに 非がありますが どうでしょう 生命体として 人を捉えれば いじめとか 排除はあります。 例えば タツノオトシゴを入れた 水槽に えさのグッピーを何匹か入れると 一番弱い グッピーが 群れから 出されるのです。 タツノオトシゴも 弱いものから 食べる
それにより その環境に生息する 生命系の持続性が保たれる。
自然の摂理です。  自然の説離に反するのは 人間と 鯨だけだそうです
鯨は魚の群れの先頭から 効率的に 食べる そのため 優れたDNAを持つ さかなの 子孫を 壊滅してしまい 魚の激減を 招いている。アーストラリア人には
理解できないみたい 又 人間は 網で待ち伏せ 一網打尽 。

話がそれましたが、 私も 小学5年の時 いじめられたので 1年間 内緒で柔道を稽古して つらかったです もともと からだが弱かったし でも 中学に入って 1年生の後半に 柔道の地区大会に出て 上位とは行かないが 中の中ぐらいまで 生きました 私は喧嘩はしませんでしたが 自分からは なにも言わなかったけど 私を いじめる 同級生・上級生はいなくなりました。  たぶん体が強くなったからではなく  柔道を始めて 6ヶ月暮らしてから いつでも来い いう 精神が 見えない 力になり(言葉には したことは ありませんでした) 小学6年生半ばでは いじめが 周りから 徐々に薄れた観がある。   回りにも 気迫が伝わり いじめを受ける人が すくなくなったと思う 。   ですから 落ち込まず びくびくしない    会社の中 大半の人が いじめをする人です   変えるのは あなたです。  貴女が変われば 相手も変わる。   偉そうに言って ごめんなさい。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/07/25 13:32
回答番号:No.47
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回答

 

回答者:sureyoucan いじめる側には100%の非があります。
私はどんな人に対してもいじめはしませんから。しない人はしないんです。

いじめられる側に原因があるかと聞かれたら、100%何らかの原因があります。

でもいじめられる側に「責任」があるかと聞かれたら、ケースバイケースですね。

全く責任がない場合もあります。
そこをごっちゃにすると議論がおかしくなります。

いじめられる側に改善できる点があるのに、「いじめられる側には責任はない」と言っているだけでは解決しないし、本人に全く非がないのに「強くなれ」というのもどうかと思います。

いじめられる理由を分析して、直せるものは直す。それで改善されることもあります。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/07/25 09:25
回答番号:No.46
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回答

 

回答者:yumisyusa とても古いご質問なので、読んでいただけるかわかりませんが
とても気になったので回答を寄せさせていただきます

いじめられる原因はなかなか本人にはわかりにくいですが、いじめられ易い人間のタイプというのはあると思います。
本人が悪いというのは語弊があります。本人が能力的な問題を抱えている可能性はあると思います。

いわゆるKY(古い?)空気が読めないタイプ
周りに合わせられない、協調性が無いといわれるタイプ
独特の嗜好、いわゆるオタク的なタイプ
などには生きにくい現代、周りに気を配ったり察知する能力が無いと切り捨てられたり そんな状況に疲れたり

これらのタイプの人、集団の中にある一定数存在するんですが
最近やっとわかってきた、学習障害(ADHD・LD・アスペルガー等)に原因があることが多です。

一度これらについて、本やネットで調べる事をお勧めします。

人付き合いが苦手なのは、自分の苦手や特徴を知る事である程度カバーする事ができます。
自分を責めたりする必要はありません。
また、人付き合いは苦手でも、そういう人は意外な能力を持っていたり、豊かな個性を持っていたりします。それを伸ばしていけば良いのです。

true-1さんに問題があるのではなく、問題を抱えているといえると思います。自分自身を変える必要は無いですが、知ることで問題と向き合い上手に自分と付き合えば大丈夫です。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/07/24 10:47
回答番号:No.45
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回答

 

回答者:darumazen >間で多く報道されていて、テレビ番組等を見ていますが、いじめられる人間にも問題がある、と、述べると、そんなことはない、と攻撃的に意見を言う方がおられます。

いじめが悪いこととされている以上「いじめられる人間にも問題がある」という言い方を認めることはできないでしょうね。
人を殺した場合で「殺された人間にも問題がある」と言うことは公的には認められないのと一緒でしょう。
たとえ殺された方にも問題が有ると多くの人が思っていても公的に言うことはタブーになっています。
「悪」とされていることを庇護するような発言をするとたちまち大勢で攻撃してきます。
現在のメディアの特徴ですね。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/07/22 17:49
回答番号:No.44
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回答

 

回答者:noname#89870 全く悪くない人と100パーセント悪い人2つのパターンがあると思います

全く悪くないのにいじめられた例

 その子(いじめられる人)が頭がよく、ライバルの権力のある人が
  いじめた

  その理由 その子がその人(ライバル)にとって邪魔な存在だったから
         権力のある人がいじめることによって、みんな同じことをやる

100パーセント悪い例

  その子にはたくさんと欠点があり、また静かでその子自身が周りを無視をする   ためクラス全体がいじめる

      その理由 欠点がある 無視をする クラス全体がいじめる


よくわからないと思いますが、私は頭がいいなど欠点がないのに、いじめられるのが全く悪くなくかわいそうないじめだと思います
ちなみのその子の欠点とは ブス デブ チビ だったそうです
いじめられる側には失礼かもしれませんが、直せる欠点(デブなど)を変えないのはいじめの対象になっても仕方がないと感じています
      
 
         
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/07/20 11:00
回答番号:No.43
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回答

 

回答者:sirousagi1 そこの背景などにより発生理由などは様々でしょう。
「いじめ」だけでなく、「村八分」なんて聞いたことはありませんか?
集落の中でそこの家庭や人だけ「仲間はずれ」にして孤立させられることですよね。これも「いじめ」でしょう。
私的には、事の発生の要因も同じものとだろうと思っています。
じゃあなんでこんなことになるのかを考えると、
人間も動物の一種であり、強弱、優劣、自分の位置を確かめているんじゃないのかな。
一人で数人を「いじめ」ているなんて聞いたことがない。
数人で事を起こしていることは、仲間意識を確認してターゲットに対し
「自分は優れている、強者である、自分は上位にいる。あいつは自分たちとはちがっている。」
こんな風に考えた時に人間の潜在的意識の中にある本能なんだろうな。と感じられます。
だから、その人たちが一人になった時、「自分のいないところで他の仲間たちはどうしているんだろう。」と
裏切りについて不安になっていたりもするんじゃないのかな。

いじめられる側の人間に問題があるかないかで、私はそれが問題なのかが判断しえないのですが、
「見た目」で相手から「言ったが勝ち」的に思わせない「におい」をだすことが「自分より格下」と勝手に判断されない
要点なんでしょうね。
だれでも、第一印象・見た目が重要だったりもします。
族などがいい例です。
連中も「なめられない」ように必死に着飾っています。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/01/23 14:32
回答番号:No.42
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回答

 

回答者:saruhappy いじめられる側の人間に原因があるとするならば、何が原因であると想定できるのか、具体的に教えて下さい

いじめる側にとっては 明確に答えられる程の理由もなく 漠然とした理由(むかつく いらつく等)でいじめてるのが大半だとおもいます

やられたらやり返せ 出来ないときは耐え忍ぶしかないですしね

まあ30年もしたら そんあこともあったな〜って 思いますよ

いじめられる方も根本的にまちがってて
世の中はもともと不平等で理不尽なものなんだ っていうかなしい現実を見つめることが出来ない人がおおいですけどねぃ

なんで俺が私がいじめられないといけないんだ なにもしてないのに・・
っていうでしょ そうなんです 世の中は理不尽なことだらけなんです

悲しい程 不平等で理不尽な世の中なんです  

できれば いじめはないほうがいいですけどね 
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:09/01/16 15:08
回答番号:No.41
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回答

 

回答者:noname#78908 まず、虐められる人は悪くないです。これだけは始めに言いたいと思います。いじめに限らず、悪い事する連中は、責任転嫁するものだと思って置いてください。話に丸め込まれては駄目です。騙される方が悪いとか正直者は損をするとかは、悪党が作った責任転嫁による言い訳にしか過ぎません。そうやって虐められる原因考えて言えば、相手はチャンスとばかりに、そこばかりを付いてきます。悪は存在してます。虐める側は、ただ、自分が虐めの対象になりたくないからとか、楽しいからとかで虐めてるに過ぎません。自分さえ安全であればいいと思っているのです。対応策としては、何かされたことなどを毎日日記としてつけておくのもいいのではないでしょうか?パワーハラスメントや労働基準法違反など法律に違反する行為がないかどうか?チェックして攻撃に転じないと駄目な気もします。大半は自分がされたくないから右に習えしているに過ぎないと思います。それと、ヤクザなどが現在も存続しているのはそういう悪い事をする連中を育成しているからだと思います。全ての悪事はそれらを裏で操ってる人間がいると私は感じてます。つまり、真面目な人間を育成しようとする国側と悪党を作ろうとしているヤクザなどの人間育成が有るように感じています。悪党は正義が怖いのです。正論が怖いんです。だから、真面目に生きる人間達を攻撃してきてるんです。これでは、善人が居ない社会になりつつあるきがします。一般人の中にもヤクザ予備軍が沢山居て情報を操作しているように感じてます。あなたは強いんです。いじめに耐えうるだけの人間だと言うことです。自分と同じような真面目に生きてる仲間を作ることが一番の突破口になると思います
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/01/12 12:46
回答番号:No.40
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回答

 

回答者:papyu-mu 私も小中高校生の時いじめを受けました。
いじめられる側に少なからず原因はあると思います。

まず原因として、いじめられる側は家庭環境が機能してない為に自身の自信の無さが目立ってきます。
これは、親から守られているという安心感が得られない環境で生まれ、守られている安心が無ければ、恐れて、失敗をしたり傷ついても誰も受け止めてくれる人が居ないので、少なからず心を閉ざしてゆきます。
それが暗いとかでいじめに繋がるかと。

他には八方美人であり、周囲からの仲間はずれを恐れるあまり、だれとでもニコニコ愛想を無理して作ってしまう事。 孤独だからこそ本当の孤独を恐れるあまりに一人でも嫌われないよう無理をしてしまう。
それをしてしまうと、相手はいじめてやろうというちょっかいを掛けやすい環境を本人自身が作ってしまいます。

話し変えて、イジメル側は、ささいな事(親に叱られた、ムカツク)そんな感情だけで、イジメてきます。
こういった状況からいじめる側は少なからず、八つ当たり=甘えて来るのです。
そんなくだらない些細な事でいじめてくるのです。そんな奴らよりずっと辛く耐えているのはいじめられてる側なのに。
クラスの仲間はずれを排除しようとするのです。民主主義だからです。

結論ですが、いじめられる側は、好きな物は好きといえる強さを持って欲しいです。
自分の正直な意見を勇気出して発することで、意見の合わない人は遠ざかり敵になり、意見の合う人が味方になってくれます。
わざと敵をつくるぐらいに思ったほうがいいです。
自分を偽り、八方美人でいる事は、嫌われにくいが、いじめてくる人間まで寄ってくるばかりか、困った時助けてくれる本当の友達が現れません。

今日から正直に生きてください。共感する人は必ずいます。その人はあなたの味方になってくれます。

私の話をしますが、当時は背も低くおかっぱ頭、鬱で髪型を変えたりおしゃれしたりなんてできないくらい無気力で、自分に目を向ける余裕すら全くありませんでした。
周囲は「よお、身障(後で分ったのですが、身体障害者の略)、おまえヘラヘラしててむかつくんだよ、死んだほうがマシなんじゃない、お前は人として腐ってるな」数え切れない程言われてきました。

他に、先生は勉強できない漢字、英語読めない自分を当ててみんなの笑いものにしてました。
スーパーやデパート家族連れ等見てうらやましく嫉妬して生きてきて、デパートの屋上で一人昼のパンを食べながら涙が止まらなかった。
耐えて耐えて、高校卒業後も無気力の為に大学受験失敗して、2年間毎日泣き続けました。 心の奥で大学行けばなんとかなると思っていたから、挫折してどん底でした。

そんな物でも28歳になった現在、恐いものが全くありません。
今思うと当時は本当に弱かったのです。
現在の私はよく「死んだ目をしているぞ」と言われます。
まぁこれは正直言って良くないですね(笑)

でもいい風に解釈するなら、何にも驚かないぐらい本当に心が穏やかになったのです。 恐いものが一切無くなりました。 イジめられていた事を人に話してもそんな人には見えないとみな一様にして言われます。

人は笑うと人が寄ってきますといわれますが、無理して笑顔を作る必要なんてありません。
ありのままが一番、笑いたい時だけ笑って、不愉快なら苦い顔をすればいいのです。

いじめられてる人は、そんな強くなれ無いから困ってるんだろと聞こえてきそうですが、世の中には水、食料さえ満足に得られない人々がいるのです。そういった現実を知り思い、親が何もしてくれないなら自分が主体的に行動するのです。

行動して失敗、また行動して失敗を繰り返してください。
成功しようとしないで、失敗するつもりで行動起こすのです。
自分がやってみたい事、気になる事を顔を真っ赤にして赤面する経験をひたすら繰り返してゆきます。 どうせ時間がたてば人は忘れるんだし。
それがいつか必ず役に立つ日がやって来ます。
もしも自分自身がこの先も好きになれなくたって、自信を持つことで自信があなたを救ってくれます。一人でも生きていける強さが自身をカバーしてくれます。

学校で仲間はずれにされたら、退学してしまい、やめればいいだけの話です。
昼間の高校や夜間高校や大検など逆転をねらうチャンスはいくらでも用意されています。 当時の私はそんな道がある事は知りませんでしたが。
村八分にされても、見返してやればいいのです。
あなたは本当に辛い思いをして我慢して来たんだから、挫折しそうな時、その悔しさを思い出してバネにして死に物狂いで這い上がってください。
強くなった時、弱い人々を助けてあげてください。味方になってあげてください。臨床心理士になれなくたっても、ならなくたっても、人を救う事ができます。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:09/01/10 16:37
回答番号:No.39
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回答

 

回答者:huna-huna >いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか?

言い切れます。
いじめるやつに聞かないと理由はわからん。
まぁ、馬鹿だからでしょう。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/01/09 15:11
回答番号:No.37
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回答

 

回答者:noname#74557 攻撃誘発性というか、原因があることはあると思います。
でもそれは理由じゃあないし、問題だとしてもいじめの理由にはなりません。ですから分けて考えるべきだと思います。

例えば、協調性がないとか、顔が良くないとかは原因にはなりえるでしょうが、
いじめとは別の問題です。いじめる理由にはなりません。

他の犯罪被害でも、原因・改善点を追究するのは良いことです。
しかし、どちらに非が・・という論調にいくのが奇妙に感じます。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:09/01/07 10:18
回答番号:No.36
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回答

 

回答者:noname#101110 「いじめ」には原因があり、それはいじめる側にも、いじめられる側にも求められると思います。
しかし、「いじめ」がそれで許されるかといえば、それは断じてNOです。そういう意味で、「いじめはいじめる側が100%悪い」と断言できるのです。
いじめられる側でいじめる方をコントロールすることは当面逃げる以外にはありません。逆にいじめる方は、いじめないで置こうと考えるだけでいじめ行為が収まるのです。
これは車対人間の交通事故とよく似ています。車は人間に対する圧倒的な優位性をよく認識し、たとえ人間に交通違反があった場合も、じっと我慢して事故を起こさないようにしますね。いじめ側はそういった忍耐心がなく、単なるあそび心で弱者を玩具にします。これがいじめの非常に悪いところです。
いじめられる側は、自分の弱いところ、いじめられる原因になったところをしっかり認識し、可能な限りそれを是正し、出来なければ、努力してその弱点をカバーして余りある別の力と自信を身につけることがいじめから逃れる有力な方法のひとつだと思います。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:09/01/03 18:32
回答番号:No.35
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回答

 

回答者:zaki39375 いつも僕は先生に
「いじめはいじめる側が100%悪い」
と聞かされてきましたが、
僕はただのいいわけだと思っています。
いじめられる側は、比較的弱いと見られています。
逆に、いじめる側は、強いと見られています。
弱い方にいじめの罪をかぶせると、さらに悲観的になるような気がします。
よって、強い側に悪をかぶせてくるのではないでしょうか?
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:08/12/27 23:05
回答番号:No.34
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回答

 

回答者:ryo_ma_7 虐められる方が悪い場合って…
だったら一対一で言えば済む事を大勢でやるから
相手に与えるダメージが大きいのですよ…

相手がどんなにキモくても、臭くても、性格が悪くても、
よってたかって精神まで破壊するのはやりすぎでしょう?

例え1%でも虐めを容認してしまえば(集団対1)
自殺も減らないし、どんな問題もイタチごっこで解決しないです。

相手の欠点を虐めという形で制裁を加えるのがおかしいと言っているのです。質問者様は明らかに勘違いしておられます。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/07/01 23:30
回答番号:No.33
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回答

 

回答者:ta999 天動説を唱えたガリレオ(汗)

地動説が正しい。
迂闊でした
ごめんなさい
もっと正確にはコペルニクスが地動説の提唱者、ガリレオが彼の支持者です。
種類:補足要求
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/06/15 06:49
回答番号:No.32
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回答

 

回答者:ta999 A30回答者です。
すでに過去の回答・お礼で、出てますが、妬みからいじめられる場合もありますね。これを書くのを忘れてました。30だけ読むと、質問者様が妬みから排除されていたとすると不快な内容になりかねないと思いました。(いじめの原因として行動パターンに目をつけられているのでは、等のことのみを言っているので)
妬みの場合も相手が悪いと思います。あいつはモテていやがるなとか、金持ちめ、とか妬みはどこにでもあるので妬むのが悪いのではなくて、そこからいじめに発展させるのが悪いのです。頭のよい子がいじめられるとかいう場合は首謀者には相当なコンプレックスがあると思います。
だから、相手にもし対抗しようとするなら、皮肉を言うときに「君は世界一の男前だよ」、「残業するなんてよっぽどできるやつなんだね」とかコンプレックスをつく内容が一番いいと思います。(これはしゃれですけど)
相当なコンプレックスを持っている相手ですから、自信もそんなにないと思います。(虚勢は張るけれど)
そして、ろくに努力も反省もせずに、他人を馬鹿にして生きているわけで、放っておけば勝手に落ちぶれていきます。(たまに落ちないのがいて悔しいが)
>ですから、今では、必要以上に恨んだり、憎んだりはしていません。
これでいいですが、どこか心の片隅に憎しみはおいておくべきです。それは、言葉では表しづらいけど、プライドとか意地(自分はあれだけやられても耐えた、だからこの先どんな困難も大したものではない、とか)の類のものに変わると、生きる力になるからです。

なんか朝から頑張ってしまいました。読まれた方、ありがとうございます。回答が、true-1さんにとって役に立つ自己満足でないものであればいいんですが。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/06/15 06:34
回答番号:No.31
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回答

 

回答者:ta999 (私のいじめについての基本の考え方)いじめは否定派ですし、することもされることも嫌ですが、それらはなくならないと思っています。

学者とか、専門家ではないですが、自分の雑感を述べてみます。
@どちらが悪いか?
いじめは基本的にいじめる人間に非があると思っています。どちらが悪いかというのはケースバイケースで8−9割がたはいじめる側の問題だと思います。例外としてはたとえば会社の同僚女性の更衣室を覗き込んでいて見つかったとか、他人から金を借りて返さない、怒ってあたりの物を破壊する、とかそんな場合にはいじめられる(避けられる)方にも相当な非があるでしょうが、行動・顔が変わっているとか、外国人だからとか、そういったことでいじめられるのは殆ど相手側が悪いといえるのではないでしょうか。いじめられる側に非があるとして、ありそうなのは、話していて嫌味な感じがするとか、なんとなく振る舞いが気持ち悪い(奇怪)とか、こちらを威圧する感じ、知的ぶる、奇をてらう、優等生ぶる、見下した感じなど、そういった印象を程度にもよりますが、相手に与えている場合でしょうね。(自分の経験則)それでもやはり、個人的に嫌うというのはともかく、そこから発展させて集団で追い詰めるという方法を取るのは、いじめられ側がよほど反社会的であったり、性格が異常でない限りは陰湿で卑怯です。

@いじめる人間からは遠ざかるしかない
私は、小学校高学年、中学校、社会人10年以上、いじめを受けた経験の持ち主です。社会人では、村八分をされ、会社に行き、やることもなく、倉庫に行き、ぼーっとしていたこともありました。
>いじめではないですが、私もクラスメイトと誰一人仲良くなれず、トイレで休み時間(OR空き時間)を過ごしていた高校時代を思い出します。誰の非難も受けず、誰の干渉も受けない所というのは、ある程度誰しもが望むものであるし、まして他人を信用することがちょっと難しくなった時には心地よいものでさえあります。
さて、あなたの長い被害歴(社会人になってからも)を見ていると、何かいじめられる思考・行動パターンが身についてしまっているかのような感じを受けます。いじめなれている人間は簡単に相手のいじめの材料になりやすい自分たちとは変わったところ、それを嗅ぎつけてしまいます。(もちろん圧倒的に悪いのは嗅ぎつけていじめる方です。やんきーっぽい高校生の前で変な歩き方をしてごらんなさい。簡単に指をさして嘲ってきますよ。)その特徴は良い意味であなたの特徴・個性といってもいいのだけれど、その特徴をおもに自分の価値観に合わないということで排除しようとする連中はどこに行ってもいると思います。残念ながらそんな連中が大勢います。(多様な価値観を受け入れようとしない姿勢がいじめの主因だと私は思います。そして、人間は自分の価値観を絶対視し、他人の価値観を否定するところが程度の差はあれ誰にでもあるのでしょう。だから、いじめは永遠になくならないのだと思います。)
あなたの個性を貫くというのもありなのですが、それには変人だ奇人だ、馬鹿だと言われることに耐える力と、確かな能力が必要です。(天才と呼ばれる人々はこういう人が多いのでは。天動説を唱えたガリレオ、ピカソたちのキュビズムなどが思い浮かびます。彼らも最初は馬鹿にされ、ガリレオは神への冒涜として死刑されそうになりました。もちろん天才でなくても、こういったいわゆる進取の気性というのがあるといいですね。私も正直ほしいです。)
だから、いじめの連中(予備軍は大勢いる)に引っかからないためにも、連中との距離をとったり、無視したり、変えられるところは、努力してそのパターンの改善に努めるべきです。(いじめについての本を読んだり、自分の心を見つめなおしたりして、他人を拒否するような態度を自分はとっていないだろうか?自分はこいつらとは違うんだぞ!という態度をとることはないか?あまりにもニタニタして相手と話していないか?不潔な服を着たり、体臭はしていないか?どうして人間はいじめをするんだろう?、こういったことを考えて、少しづつ行動を変えていくようにします。うまくいかない自分を許してあげ、あせらず、投げ出さずという感じで改善をすすめます。)一番困るのは、改善できない場合ですよね。(馬鹿にされやすい顔をしている、どもってしまうとか)こういう場合は無視するか、馬鹿にされても気にならないくらい誇り高く生きるしかないように思います。(あくまで私の意見。他にも解決策がありそう)

@職場いじめについて
職場いじめの話がでてましたが、この手の知識は持ち合わせていません。誰かに相談する(カウンセラー的な人、友人とか)か、本を読んでください。「職場いじめにあった時の対処法」なんてタイトルの本が出てるのでは?
私感を言うと、ワールドカップや戦争のときに過剰に相手を敵視して、味方の結束を強める集団の働きがあります。(集団凝集性という)
そして、これの変形で、味方の中に敵を作り出し、集団の結束を強める場合もあります。(歪んだ形ですが、いじめられる人は集団の「和」のために利用されるのです。)
そして、職場での人間関係とか「和」を保つのってなんか脅迫的なところが、日本ではありますね。それから、家のローン、上司の叱責、不景気、仕事がはかどらない、夫との不仲、そういう「大人のフラストレーション」を格好の標的にぶつけるわけです。そういうことをして、気持ちイイ(私なんかはむしろ虚しい)と思ってしまう人間が一定数(いじめる人間に自分の立場のために同調しているだけの人もいるが、そういう人を除いた残りのいじめ首謀者的な連中)確実にいるんです。だから職場いじめでは、和を保つためにずっとスケープゴートにされる人がいるわけで、脱出(いじめているみんなと分け隔てなく付き合えるようになる)は正直難しいと思います。
(私の限られた知識のなかでは)無視が最善だと思います。職場いじめで、タイムカードを不正に操作されて警察沙汰になっていたニュースをだいぶ前に聞きました。そこまでされたらもちろん無視というわけにいかないですがね。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/06/15 06:01
回答番号:No.30
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回答

 

回答者:kaoluri 自と他の差異を比較し優劣をつける基準は人それぞれです。
人の何処が弱点とか問題点とか判断するも基準は人それぞれです。
苛められ側の問題は苛めを正当化する言い訳と思います。
従って苛められる側に問題はないと思います。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/02/15 18:05
回答番号:No.29
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回答

 

回答者:soulfactory 『いじめられる人間に問題があったとしても
 いじめていい理由には ならない』ということです
解りませんか

弱点である(=問題である、好ましくない)
だからいじめられても仕方ない
自分の物事の捉え方を変えることで、自分を変える努力をする
それでいじめが無くなるならそれでも良いと思いますが

『考え方が間違ってる』と思います
弱点である(=問題である、好ましくない)なら本当は いじめるのでは無く 
人として『いじめてる人間が援けてあげないと駄目』なんですよ 問題を補ってあげないと
いじめられてる人間が努力をするのでは無く いじめてる方が努力するべきなんです
いじめる側だけに問題点を投げかけることだけで解決出来るはずです
いじめられる側に問題はない、非はない、と言い切れるでしょう
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:07/02/05 02:13
回答番号:No.28
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回答

 

回答者:z070101 いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れないと思います。

いじめられる側に問題があるとすれば、
例えば、
AとBはどこかで、学校で、あったとします。AはBに対し、笑みを浮かべたとします。もし、笑う切欠があったなら、それはそれでいいのですが、それが何も無い場合、Bは怖がると思います。「なんで笑ってるのか?」と。得体が知れない感じがします。
そして、BはAに対し、Aは何か理由があって笑ってるんだ、と考え話し掛けます。それでも、Bは何も話そうとしません。やはり、なぜ笑っているのかわかりません。そして、笑ってこちらを見てきます。
すると、BはAを怖がると思うので、攻撃的になる場合はあると思います。
いじめられる側に問題がある例です。
でも、完全に問題があるとは言い切れません。

いじめられる側に問題がない場合もあると思います。
例えば、Cは自分で自分の事をするのが面倒くさがる性格だとします。例えば、学校で、CはDを見つけ、Dが弱そうだと判断して、アレコレと言いつけます。言いつけて、拒否すると脅迫したり暴力的な行動をとったり、そう言う事をするような事を匂わせたりして、言うことを聞かせようとします。
いじめられる側に問題は無い例です。

私は、茶色のジャンパーでポケットに手を突っ込んで、ショッピングセンターを歩いていたら、女の二人組みの一人に「あれ、武器持ってる」といわれました。実際には名刺を持っていました。
これを聞いて、腹はもちろん立ったのですが、あとで、そういう風に誤解されないような振る舞いをしなければいけない、と感じました。
しかし、こういう、相手は複数で歩いていて一人の人をあれこれと、悪者扱いする、と言う行動は凄く腹が立ちます。この人は、自分が敵視されるのを防ぐ目的で、こちらを「武器持ってる」といってきたのかな?と思いました。根拠も無いのに、そう言う事を言われるのは、迷惑でした。
でも、警戒して、そう言ってたのだろうと思いますが。。。
悲しいものです。

いいがかりをつけ、自分の立場を優位にして、自分の存在を保とうとする人もいました。

過剰に怖がって、攻撃するのも考え物だと思います。
自分は相手を攻撃してると思ってないのに、相手は攻撃してきていると警戒する場合もあります。例えば上記の、「いいがかりをつけ・・・人もいました。」を勝手に、これは自分のことを暗に言っていると勝手に解釈されて、攻撃されてしまう場合もあると思います。

いじめはケースバイケースで個別に対処すべきだと思います。


考えがまとまってないので、あくまで、参考程度にしてください。
難しい問題です。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/31 04:04
回答番号:No.27
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回答

 

回答者:soulfactory いじめられる人間に問題はあるのか、否かについて

『いじめられる人間に問題があったとしても
 いじめていい理由には ならない』ということです
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:07/01/30 21:18
回答番号:No.26
この回答への補足参考です。

(No.5でレスした内容を再掲)--------------------------
いじめの構図について考えてみました。

人間は多面的な要素を持っています。
【いじめる人間】
「いじめをしてしまう要素」を持っている
        ↓
 問題である(=悪いことである)
        ↓
 直す必要がある(大人が注意・指摘・教えをすることで善悪を学ぶ)

【いじめられる人間】
「いじめを受けてしまう要素」を持っている
        ↓
 弱点である(=問題である、好ましくない)
        ↓
 直した方が好ましい(内容によっては直さなくて良いのもある)
 (=自分の物事の捉え方を変えることで、自分を変える努力をする)

要素として、種類は違うものの、問題(弱点)を抱えているという認識が大事で、その問題(弱点)を踏まえた中で、それぞれが直していかないと、いじめの構図を破壊することは難しいと考えます。

両方の問題(弱点)点を敢えて挙げるのは、昨今の事情である、いじめの対象がクルクル頻繁に変わる、という「いじめの質の変化」という背景があるため、いじめる側だけに問題点を投げかけることだけでは解決にはならない、と分かるからです。

つまり、被害者も加害者であって、加害者も被害者である、という状況が今のいじめの実態です。そうなると、今の人というのは、心の中に、「いじめる要素」と「いじめられる要素」を共存させながら、生活している、と言えます。どっちが悪いとか、勝ち負けとかではなく、全体的に、心の質の低下が起き、心が腐敗している、というのが現実であろう、と見る方が、より真実であると考えます
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>『いじめられる人間に問題があったとしても
> いじめていい理由には ならない』ということです

その通りですね。たとえ、いじめられる側に問題があり、非があっても、いじめの行為を肯定することは許されません。

いじめられる側が防御していく上で、どういう考えにあったらよいのか、あるいは、どういうスタンスにあればよいのか、を論点にしており、いじめる側の立場を肯定したい訳ではありません。

いじめられる側が、相手が悪い、あいつが悪い、周囲のいじめる人間が全ていなくなればいい、という考えに固執している場合、いじめられるという状況から脱却できますか、というと、かなり難しい、としか言いようがないのではないでしょうか。

人のせいにすることに力点を置き、自分の状況を度外視してばかりいては、状況は好転するどころか、場合によっては悪化していくものと予想できます。

いじめる人間、いじめられる人間がコロコロ変わる風潮にありますが、いじめられていた人間がいじめる人間に立場変えした場合、それは、心の奥でいじめの素質があった、つまり心として問題を抱えていた、ということです。ですから、いじめられた時代においても、心に問題を抱えていた訳で、この問題一つとっても、いじめられる側に問題はない、非はない、と言い切ることはできない、と、言えると思います。

回答

 

回答者:happynao23 言い切れます。いじめられる側の人間に100%問題はないと言い切れると思います。

例えば、いじめる原因が、態度や外見からくる「生意気だから」や「髪を染めて目立っているから」という理由であった場合、それは『いじめる側の人間』に、生意気な態度や目立つ人間を許せない、気に入らないという、それが無意識または無自覚であっても、心理的な原因(問題)があるから、いじめているのだと思います。

相手の生意気な態度によって、不快感を感じたのであれば、それが自分にとって不快であることを伝え、改善を求めればいいものを、いじめる側の人間の都合(自分本位な考え)で『いじめ』という悪質な行為に発展させているのは、他でもない『いじめている側の人間』ですから、いじめの原因は100%『いじめる側の人間』にあるといえると思います。

私は、不潔や生意気、裏切ったなど、仲間がいじめの対象としているからという理由で、いじめに参加したことがあります。後に、謝罪し、その人とは友人となりました。大人になった現在は疎遠となってしまいましたが、20年以上経過した今でも、いじめの被害にあった相手の気持ちを考えると、謝っても謝っても謝り足りません。過去に犯した自分の罪の重さに苦しみ、恥ずかしさと後悔で、かみなりに打たれて死にたくなりますし、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。地べたに頭をこすり付けて謝罪したいと今でも思っています。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:07/01/30 18:55
回答番号:No.25
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回答

 

回答者:ozma 結局 「いじめる」という行為はとても恥ずかしいことというモラルがない国なんです。そのようなこと自体 親やその他の大人から聞いたことがないという人が大半じゃないかな。

まずはその根底の考え方がないのでここまでエスカレートするし いじめられる人にも悪いところはあります」なんていう議論になるのでしょう。

「いじめる」という行為はとても恥ずかしいことという考え方を親や社会が子供にしっかり教えていれば こんな議論もないはず。

その原因はいろいろあるけど とりあえず小学校から仏教の教えなりしっかりしたモラルを教え込む必要はありそうですね。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/15 03:01
回答番号:No.24
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回答

 

回答者:ozma 結局 「いじめる」という行為はとても恥ずかしいことというモラルがない国なんです。そのようなこと自体 親やその他の大人から聞いたことないと人のほうが大半じゃないかな。

まずはその根底の考え方がないのでここまでエスカレートするし いじめられる人にも悪いところはあります」なんていう議論になるのでしょう。

「いじめる」という行為はとても恥ずかしいことという考え方を親や社会が子供にしっかり教えていれば こんな議論もないはず。

その原因はいろいろあるけど とりあえず小学校から仏教の教えなりしっかりしたモラルを教え込む必要はありそうですね。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/15 02:58
回答番号:No.23
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回答

 

回答者:digitalray 私は、少し違った見方考え方をしてみます。
野生の世界では、理由原因がなんであろうとその時点で弱かったら、制圧されます。食べられます。殺されます。 だから、幼少の時期などは、危ない時期だと思います。 しかし、成人すれば逆になります。 自分を守る方法手段を大なり小なり身につけます。 そして、今度は立場が逆になります。 またはなれます。 ところで人間は人間社会は、大人になると、知恵がついて立場が逆になると準備されている法律などで裁かれます。 つまり、幼少のころは、いじめられ、成人になるとしかえし出来ない。やられっぱなしで終わります。 やられたら、やり返す。またやり返すことが出来るが、相手にしない。ぐらいの気持ちで自分自身を納得される以外ありません。 何百年も昔だったら、目には目を歯には歯を だったと思いますが、何年たっても仕返しをする。 それは、当然のことで、さんざん自分をいじめた人間を懲らしめるのは当然です。 皆さんと違って非常に軽卒で単純お粗末な内容ですが、犯罪、殺人は、昔からこの地球上で繰り返されていると思います。人間ってそんなに立派な生き物ではない。 やる方は都合よく忘れてもやられた方は忘れません。 これの繰り返しでしょう。 ところで、いじめとは一緒にしたらいけないけど、話は飛ぶが、イラク中東問題だってやられた方はそう簡単には忘れないでしょう。 さあどうなるか?...
種類:補足要求
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/14 05:10
回答番号:No.22
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回答

 

回答者:de-niro3 ざっと斜め読みさせていただきましたが、一部の回答者の「いじめる側が100%悪い」という意見に反論気味のお礼を書き込んだため、質問者様がWEBいじめにあっているような印象を受けました。(不条理なギャグのつもりかも知れませんが)

true-1様の質問内容には、「義務教育後半から社会人になってもなおイジメを受けてきたが、自分をイジメた奴等を恨んだり、憎んだりといった思考から距離をおき、自己を見つめ直したら、自分にも非があった、問題はあった、と認識した」ってことですよね?つまりtrue-1様のイジメ体験においては、イジメた相手が100%悪いとは言い切れない自己の過失(のようなもの)を感じるってことでしょ?これはあなたの実体験である以上、否定のしようがないと思います。
ただ、あなたは慎重に、実体験の感想を一旦仮説的に留保し、世間で騒がれているイジメ問題に当てはまるのか、または、自分の意見の客観性を確かめる目的があったように感じました。

とするならば、「イジメる側が100%悪いなんて当たり前だ」、「いや、いじめられる側にも問題があるのでは?」「そんな訳ねーだろ論理的に考えろ」なんてやることはナンセンスですよね。(成り行き上、不本意でこうなってしまったんでしょうが)

私の意見は、当然ケースバイケースですが「イジメる側が100%悪いとは言い切れない」と思います。またイジメ問題として語るなら、
>世間で多く報道されていて、テレビ番組等を見ていますが、いじめられる人間にも問題がある、と、述べると、そんなことはない、と攻撃的に意見を言う方
こそが大問題だと思います。

確かに特別理由もなく行われるイジメ(昨日までイジメ側だったのが、翌日立場が逆転するたぐい)や、本人の努力では克服不能な身体的欠陥を理由とするものは100%と言いえるでしょうが、平気で嘘をつくとか、簡単に人を裏切るとか、異常に不潔とかのマイナスの要素が起因するケースはイジメられる側に問題ありだと思います。後者については、どう考えても「それでもイジメられた側は悪くない」とは思えませんし、仮に悪くないとしてもそんな意見に乗っかって「いじめられた僕は悪くない」と思い込み自己正当化したところで、進学、就職等環境が変わればきっとまたイジメに遭うでしょう。
「施錠を怠ったので、泥棒に遭ったけど、俺は100%悪くない」とはいえますが、その事例事件のみに焦点をあわせ善悪の判断をすることに何か意味があるんでしょうか。

泥棒の例でいえば、何十年か前の下町では「泥棒が100%悪く、施錠をしないことに全く過失はない」ってな風潮があったのかもしれませんが、現在はどうか?古き良き時代を懐かしむのはいいけど時代はかわっていくんでね。

あなたはイジメに遭って自分の問題点を受け止め、その問題点を改め、自分を少しでも変えるように努めておられるとのこと。その感覚は決して間違っていないし、そういったものを若い世代に伝えていくことこそが、イジメ問題克服の一助となるのだと思います。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/14 02:37
回答番号:No.21
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回答

 

回答者:NoroVirus #12です。お礼、補足ありがとうございます。

>法的に決めるのは、限りなく不可能ではないか、と思います。それは、例えば、恋愛において、「私はもう既に彼女だと思っていたのに友達だなんて、信じられない!」というように、女の子が悲鳴を上げた場合、法律で、こうなったら恋人、ここまでは友達、と明確に線引きができるのか、というと、これは無理です。なぜなら、恋愛は当事者同士の問題であり、第三者が割り込んでジャッジできる種類のものではないからです。


出来ない、決めれない理由は本来ありません。
(まぁ、実際決めるとなっても、色々ややこしい団体の存在や
他の諸事情によって法的に決めるなんて簡単には無理でしょうが。)
ジャッジ出来ないというのは、何も決めてないからです。
上記の恋愛の話しでも、法的に決めようと思えば決められます。
ただ、ここからが付き合っている、付き合っていないを
決める事を社会的に必要としていない、それだけの事だと思います。

いじめは当事者同士の問題。もっともです。
では痴漢や暴漢はどうでしょう。
当事者同士の問題ではありませんか?
詐欺、窃盗、ひき逃げ、殺人。
全て当事者同士の問題ではありませんか?
違いは法律で犯罪と決められているかどうかです。

>杓子定規な基準で采配するのは、無理であり、危険なことであると言えます。

何故、無理なのでしょうか?貴方が勝手に無理だと決めつけているだけ。
危険?何が危険なのでしょうか?
確かに、法律は完璧ではありません、辛い思いをしても
法律の隙間で救われない子も出てくるでしょう。
それらは日々研究と改正していく他ないでしょう。

先にも書きましたが…
貴方が決めれない、あるいは決める必要がないと思っているだけです。
逆に私は、法整備とシステム作りでイジメの大多数を無くせると思っています。
周りが止められないであるとか、大人社会が悪いだとか
教員がダメだとか、何十年言ってるのだろう。もう聞き飽きました。
言ってるだけじゃ何も変わりません。そろそろ議論から形として行動する時だと思います。
その手段は法整備だけではありませんが、もっとも影響力の強い方法は法整備。

誰が悪いとか何が悪かったといった原因探しは必要ですが、
今、一番必要なのは皆が責任を持つ社会だと思います。
得に今からの子供には、今より、もっと権利を持たせてあげる事
そして同時に責任も持って行動する社会になるべきだと思います。
昔は子供の権利は小さい物でした。子供が何を言っても通らない。
親や社会から虐げられて居ましたが、その分親の責任が問われて居た。
今は親が責任を果たしてない。子供にも責任を持たせてあげてない。
もう一度、子供から権利と責任を取り上げるのか、
それとも、子供に権利と責任を持たせるのか。
どっちも方法だと思いますが、どっちにしてもイジメた本人の責任の比率が
今は小さすぎますね。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/08 14:14
回答番号:No.20
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回答

 

回答者:anachronism > 短期的に、いじめを減らす、とか、現場での具体的ないじめを救うには?、という観点で、述べているのではなく、長期的に見て、我々大人世代は、この世の中をどう捉え、どう変えていかなければならないのか、という視点で、僭越ながら、述べているのです。

まさしく僭越としか言いようがありませんが、それが、「いじめられる側の人間にも問題はあるのではないか」という、あなたの「質問」とどう関係するのでしょうか。

あなたがまとめた「ワンセンテンス」にしろ、闘牛士の比喩などにしろ、要するにあなたの「本心」としては「いじめられる側が悪い」に近い考え方があるのが良くわかります。いろいろと奇麗事は言っていても、あなたは、いじめられっこを、赤いマントを翻して挑発する闘牛士にたとえたりしているわけですから。
(ちなみに、本当の闘牛でマントを持たずに闘牛士が登場しても、牛はそれまでに十分怒らされていますから、猛然と突進するでしょう。)

あなたは今の社会を歪んでいるとかなんとかおっしゃいますが、その「歪んだ社会」と同じコトをあなたは繰り返しおっしゃっているのです。そのゆがんだ社会に対する批判として、「いじめはいじめるほうが100%悪い」という、本来は大前提となるべきごく当たり前の話が出ているわけで、そこら辺を考えて欲しいと、私は繰り返し言っているのです。

もっとも、この点についてはいくら申しても理解してもらえそうに無いので、別の点から同じことを申しましょう。

> いじめる人間を除外した形で、理由は何なのでしょうか?

多少性格が悪くても、反撃ができるものはまずいじめられません。(腕力があったり、教師にうまく訴えることができたり、両親との信頼関係が密で親同士の問題に発展する場合など)
したがって、「性格が悪い」というような類のことは、いじめの本質的な「理由」ではありません。

それに対し、反撃がほとんどおそるるに足らない場合、その子はいじめの対象になりえます。もちろん、そのいじめっ子にとって「好ましい」人物はいじめの対象にはなりません。(好きな女の子を逆にいじめてしまう、などの例外はありますが。)

ごく簡単に言えば、いじめられるものの条件というのは、
○いじめる人にとって好ましくない
○いじめる人よりも弱い
の、二つだけです。この条件に合致するもののうち、言い訳をつけやすいものであったり、反応が面白いもの、というのがターゲットになりやすいということです。

いじめっ子もバカではありませんから、教師が出てくる事態は十分に予測し、出てきた場合に言い訳ができるよう、それなりの口実を用意します。
この点から、こういった口実が用意しやすいもの、いじめることで得られる快感の大きいもの(素直に痛がったり、苦痛を訴えるものなの)が、いじめのターゲットになりやすいことになります。「お前にもいじめられる原因がある」と、先生が言ってくれそうな相手、ということなら、格好のいじめ相手、ということになります。障害児などで教師に訴えることが難しいもの、気が弱くて告げ口する気遣いが無いものなども同様です。

したがって、性格が悪いとかなんとかは、本質的な問題ではなく、「いじめられやすい」二次的な要因でしかありません。

一方、いじめられた側には「お前が悪いんだからな」という形で釘を刺しておくのが常です。これにより、いじめられたものは教師はもちろん、親にも「いじめられるお前も悪い」と言われるのを恐れるがゆえ、告発が困難になります。

このような状況下で、「いじめられた側にも問題がある」などということがまことしやかに通ればどうなるのか、誰でもわかると思います。
それどころか、悲壮な決意を持って教師に訴えたところで、「お前にもいじめられる原因がある」と、言われるのがこれまでの常です。

また、最近深刻な問題として言われているのが、「いじめに加わらないと自分がいじめられる」という理由であり、裏を返せば、「いじめに加わらなかったがゆえにいじめられる」という「原因」です。
このような問題に拍車をかけているのも「いじめられるほうにも原因がある」という、ごく単純な理屈です。そういったもろもろの事象を織り込み、「いじめられる側の人間に問題はない」という意見が、ごく最近盛り上がってきているのであり、「いじめられた側にも問題がある」という意見に、山のような反例が突きつけられているのです。

耳当たりの良い「理屈」も結構ですが、実例に即して考えることが大事であり、理屈に合わせて現状を解釈するようでは、いわゆる「科学的社会主義」や、一部の新興宗教のように、かえって人々を不幸に陥れることになります。もうすこし、論理的に物事を考えてください。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:07/01/07 23:16
回答番号:No.19
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回答

 

回答者:kogepoke No.11です。
質問からは少しずれてしまうのですが、いただいた回答のお礼で少し気になった点があるので、再び投稿させていただきます。
なんだったら、スルーしていただいても構いません。


>>でも、それは正々堂々と戦って勝利を勝ち取りたい、というものです。
>競争原理に乗って、競争原理を肯定している時点で、それは、他者をいじめ、自分らが利益をあげればいいのだ、という思想に取り憑かれている、と言えます。社員個々人はいじめの気持ちがなくても、会社という主体は、他の会社を蹴落とし、優位に立ちたいだけの代物です。この競争原理を否定して、緩めていかない限り、いじめ体質ニッポンはなくならないでしょう。

それだとオリンピックやワールドカップも、自らが優勝という利益をあげればいいのだ、という思想に取りつかれた人によるいじめと考えることが出来てしまうのですが、質問者さんはその様にお考えなのでしょうか。

また、競争原理を否定するということは、資本主義を否定することともとらえられます。
共産主義の国でいじめが起きているのか起きていないのかは知りませんが、共産主義の国でもいじめられっ子の成績の良し悪しや外見に対するいじめが起きている可能性はあると思います。
だって、「誰でも、いじめたい、という欲望を持っています。(No.9さんの回答へのお礼より)」なんですよね?

また、会社がより優位な立場に立とうとするのは、そうしなければ潰れてしまうからです。会社が潰れ無職になる人が出る→その会社員の家族は貧しくなる→貧乏を理由に子供がいじめられる、ということだって起こり得ます。
共産主義社会になって、全ての会社が国営になれば潰れる可能性は少なくなりますが、上記のように共産主義社会でもいじめは起こり得ると思います。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/07 01:28
回答番号:No.18
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回答

 

回答者:aya-hack いじめられる人間の中のいじめられやすい要因についてはいろいろあると思いますが、極端な性質を持っているときに発生しやすくなります。(ここで言ういじめの発生場は、小学校、中学校、高校ということにします)
いじめられる具体的な原因は、その人の振る舞い、成績が顕著に良かったり悪かったりすること、外国やハーフなどの生まれで肌の色が違うこと、背が低い(または高い)などの身体的特徴、家庭が荒れていたり、離婚が多い、親が身体障害者、などの特殊な家庭の事情などです。
多数派である平均的な人が、少数派である特殊な事情がある者をいじめることが、いじめられる者の側にある原因で発生するいじめだと思います。要は変わっている、自分たちと違っているといったことが、いじめられる要素になっています。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/06 16:09
回答番号:No.17
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回答

 

回答者:imp-dsc 私は恥ずかしながら両方の経験があります。

小学校4年生まで身体的特徴でいじめられていました。ですが4年生の半ば位からいじめる側の立場に立ちました。今ではその両方の経験はこれまでの人生での最大の汚点とさえ考えていますが当時は必要な事でした。何故か?命の危険に晒されるまでにいじめられる事が脅威となったからです。

何度と無く死ぬ事を考えた時期さえあります。が・・・ふと思ったんですよ。何故ボクが死ななきゃいけないの?とね。
いじめる側は確実に弱い人間をターゲットとします。いじめとは娯楽であり暇つぶしなのですから自分が傷つく必要は無い。壊れたら(死んだら)別のおもちゃで遊べば良い。ただそれだけです。そこには善も悪もありませんよ。何故そこまで出来るようになるのか?と問われれば後からいじめた事も後悔する日々が来るのが分からないからとしか良い様がないのです。


私はその当時は週に3回はケンカしていた覚えがあります。勝負に関係なく勝っても負けても続けていました。理由は殆ど覚えていません。恐らくは本当に些細な事だったのでしょう。5年生になる頃にはすっかりいじめる側です。それまでいじめられた相手は勿論の事関係無い人間までいじめていました。同じクラスで知らない訳が無い。助けてくれなかったからあいつらもグルだとね。


私はこの頃の事は後悔しています。しかし必要だったとも考えています。そこまでしなければ状況が打破出来ずに潰されて死んでいたと思うからです。

どちらの側に原因があるか?と考えるのは意味が無いと思います。あえて言うならば「弱い」と言う事がこの場合の最大の原因としか言えないのではないのでしょうか?・・・訂正します「弱い」事は状況によっては最大の悪徳とさえなる場合があるとでも言うのでしょうか?

単純に腕力の有無は強弱の判断になりますが得物があったり、多勢に無勢といった場合にはそれさえも誤差にしかなりません。誰もが「弱者」なのだ。或いは簡単に「弱者」になるのだという自覚が無いから感嘆にいじめが起こるのかもしれませんね。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/01/06 15:42
回答番号:No.16
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回答

 

回答者:aya-hack 場合と状況によっていじめられるその人にも問題があると思います。
いじめられる側に問題がないのは、努力によって変えられるいじめられやすい性質(極端に偏向した性格の人物である、etc)がなく、且ついじめの対象として気まぐれなどによって選ばれた場合だと思います。
当然、どんな状況であれ、加害者と被害者を比べれば客観的に、圧倒的に悪いのは加害者なわけですが、多くの局面(学校すべての現状を知らないのですが)では、全く過失や良くなかったところがなかったかというと、否定できます。なぜなら、誤りがない人はあるわけなく、限定的な状況ですら完璧であるのはとても難しいからです。
まとめると、大体のケースでは被害者にもどんなに少なかろうと0,0…(以下略)ぐらいの割合でよくなかった部分があります。0%が多くの場合不自然になるなら、いじめられる側に問題が無いとするのは、単なる強調、絶対に悪いと主張したいがために、そういった発言をしたのではないでしょうか。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/06 15:27
回答番号:No.15
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>なぜなら、誤りがない人はあるわけなく、限定的な状況ですら完璧であるのはとても難しいからです。

不完全な存在、それが人間であると思います。なんでも完璧に、間違いを犯すことなく、迷惑をかけることなく、人生を全うできるか、と問われれば、それは無理、としか回答しようがないはずです。
「間違いがあっても、迷惑をかけても、失敗しても、弱点があっても、人なのだから、いいんじゃない、もっと肩の力を抜いていこうよ」、と、言いたい、という考えがあるだけです。

ちなみに、いじめの原因は、何だと思われますか?

回答

 

回答者:lv4u >>ANo.8の補足に述べた、闘牛士の例えを読まれて、どう感じますか?

この部分は、自分の回答と直接関係ないとして読んでいませんでした。なので、今読んでみました。

>>現場経験がない者が、短期的な施策を立てることは難しく、対症療法的な方法で、個別に対応していかなければならない、という意味では、今の現段階においては、いじめる子供に厳正的に接するのは、必然であると考えます。

いろいろと意見の相違があるとしても、この「いじめる子を厳正的に接する」が「厳正な処分」という意味なら、「別ルートを通ったが同じ結論に着いた」ってことで異論はありません。
(ただ、現実はいじめる側が多数派であり、いじめの「証拠隠滅」がうまくて処罰されることは少ないようです。いかに証拠固めをするかが課題でしょうね)
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/06 01:25
回答番号:No.14
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>「別ルートを通ったが同じ結論に着いた」ってことで異論はありません。

私のいじめに対する方法ですが、大きく分けて2つ考えています。
1.短期的な方法
2.長期的な方法

【1について】
短期的な方法とは、今起きているいじめに対して、いじめられている子供達をいかに救うのか、という対症療法的なアプローチのことです。いじめられている子供にとっては、いじめる子供を無くして欲しい、という一点だけが願いなわけで、理屈を言っても仕方のないことだと考えています。
【2について】
長期的な方法とは、理屈を基本として解決していこう、という考えです。大前提として、いじめがそもそもなぜ起きているのか、の原因を、「大人の腐敗」に求め、この腐敗を無くし、日本人の質を向上させることで、社会全体の歪みを解消していく、その中で、歪みの結果として現れているいじめを減らしていく、というものです。

子供は、大人の矛盾、不条理さ、筋の通らない言動、欲望に走る姿、大人だけが許されるという傲慢さ、を見て、大人に対して、社会に対して、教師に対して、不信感と失望感を感じています。例えば、今テレビで、「命を大切にして下さい」「自殺をしないで下さい」というようなメッセージを出していますが、そもそも大人達が命を大切にした日々を送っているのか、と言えば、大筋、「ノー」と言わざるを得ません。

・お酒を過剰に飲む
・タバコを吸う
・睡眠不足
・外食に依存
・暴飲暴食
等々

とても、大人達が体に気をつけて、命を大切に生きている、とは言えません。こういった明白な矛盾を抱えながら、キレイごとだけ並べる大人達に指導されて、「はい、分かりました」と、耳を傾けるのか、と言われれば、恐らく傾けないのではないかと思います。

話の筋がズレましたが、1と2の方法を同時に行う、というのが私の考えです。

回答

 

回答者:SegawaRui いじめの原因は様々です。
ニキビが多い、太っている、成績が悪いなど短所の場合。
逆に頭がいい、スタイルがいい、人気があるなどの場合も時によってはいじめられる原因にあります。
ですので一概にはコレが苛められる原因だと言い切れないし、原因はないものと思います。

考えなければいけないのは苛められる原因より、人を苛めてしまう原因の方が考えるべきではないでしょうか。
その人その人によっても違いますが何も考えなしに苛める人はいないように思います。

まだ親に甘えたい年頃の子供ですと、親が共働きで寂しい思いをしているのに他の子供は自分と違って親に遊園地に連れて行ってもらった、など羨ましくもありねたみの理由になります。
ただ自分がそれが羨ましいなどと悟られるのがいやでその人の短所で突付いてしまう。

自分の持つ強いコンプレックスがあるため、自信がなく自分がそこを突かれないよう、自分より劣っている人間を苛めることで自分が苛められる側へ回らないための自己防衛策を取る。

私は最近まで苛められていましたが、苛められる中で苛める側の心理としてはそういったことが多いように感じています。

苛めることは確かに絶対にしてはいけない行為です。
ただ、なぜ苛めが発生するのか。
社会でも人を苛める人もそうですが、同じ人間的に発達途上である子供の時代、悩みや精神的な問題を解決する策を知らない。
周りに相談できる人間がいなかったり、子供のことを考えてやるべき大人が相談に乗ってくれない、余裕がないなど苛める側の精神的な問題を充分に解決してやれない社会に原因があるのではないでしょうか。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:自信あり
回答日時:07/01/06 00:18
回答番号:No.13
この回答への補足いじめられる原因は以下のこと、ということですね。
・ニキビ多い
・太っている
・成績が悪い
・頭がいい
・スタイルがいい
・人気がある
・妬まれる生活

いじめる原因のひとつに、自己防衛、保身のために、いじめをする、ということですね。
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>考えなければいけないのは苛められる原因より、人を苛めてしまう原因の方が考えるべきではないでしょうか。

まさにその通りと考えます。
・善悪の判断が、日本人全体で、希薄になっているから
・不条理な社会にイライラしている
・テレビ等のお笑い番組で、いじりやいじめが笑いのネタになり、いじめはおもしろいもの、と刷り込まれているから
等々が挙げられると思います。

回答

 

回答者:NoroVirus んー。何か一杯書いてありますので全てに目は通さないで回答しています。

私の感想ですが。イジメた側が100%悪い。
だけど、悪いと知りながらイジメをするのだから
イジメられて泣きたくなければ防衛策も必要。
泥棒のたとえ話になっていますが
窓も開けっ放しですぐ手の届く所に金品を置いて置いて盗難にあった。
その場合でも、そりゃ取った方が100%悪い。
けれど、取られて泣きたくなかったら、せめて鍵ぐらい閉め
取られて困る様な大事な物は人目の付かない場所に。
そいう事だと思うがね。
それでも泥棒に取られる時は取られるんだけどね。
犯罪者が悪であることは間違いないでしょうが、
防犯意識の欠如は悪とは言い切れないのではないかな。
それらの全く別の問題をイジメた方も悪いが
イジメられた方にも原因があるといった感じに
同列に置いて語られている事自体が、そもそも話しをややこしくしている。
何故、そうなってしまうのか。
それは、どこからがイジメで、どこからがイジメでないのか
明確な線引きをする、ガイドラインもなければジャッジする機関もない。
昨日から友達が口をきいてくれない。それをイジメだと感じる人も居れば
そんなの良くある事だから気にしないと言う人も居る。
これじゃどっちが悪なのか、甘えてるのか解らない。
終いには、見て見ぬフリする人が一番悪い。
とかややこしい事を言い出す人もいる。
だから、出来る限り何がイジメで、何がイジメでないのか
そこを、例えば法的に決めなければ、永遠に水掛け論が永遠に続く。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/06 00:11
回答番号:No.12
この回答への補足>それらの全く別の問題を、
「イジメた方も悪いがイジメられた方にも原因がある」といった感じに
同列に置いて語られている事自体が、そもそも話しをややこしくしている。

ご指摘の通り、このいじめの問題は、そもそもややこしいものです。
いじめられた方といじめた方とは、同列に考えるのは、いけないと思います。同列ではなく、違った列として、別々に対応するのが賢明であろうと思います。
ただ、両方共に、対応しなければならない、という意味では、同等に、いじめの当事者として、それぞれの原因(弱点)を認識する必要はあると考えます。
程度や種類の差こそあれ、それぞれが問題(弱点)を抱えていることには間違いない、わけですから。
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>何故、そうなってしまうのか。
それは、どこからがイジメで、どこからがイジメでないのか
明確な線引きをする、ガイドラインもなければジャッジする機関もない。
>だから、出来る限り何がイジメで、何がイジメでないのか
そこを、例えば法的に決めなければ、永遠に水掛け論が永遠に続く。

法的に決めるのは、限りなく不可能ではないか、と思います。それは、例えば、恋愛において、「私はもう既に彼女だと思っていたのに友達だなんて、信じられない!」というように、女の子が悲鳴を上げた場合、法律で、こうなったら恋人、ここまでは友達、と明確に線引きができるのか、というと、これは無理です。なぜなら、恋愛は当事者同士の問題であり、第三者が割り込んでジャッジできる種類のものではないからです。

同様に、いじめに関しても、あくまで当事者同士の問題なので、法律という杓子定規な基準で采配するのは、無理であり、危険なことであると言えます。

いじめが起きても、周囲の人達によっていじめを止めさせる、という自浄作用が働く社会の構築、あるいは人間育成をしていかなければならないのではないでしょうか。

回答

 

回答者:kogepoke >いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか?

それはケースバイケースであり、また、人によって意見が変わると思います。
例えば、いじめる人間はいじめられる側が悪いと主張する事が多いのではないかと思います。


また、いじめも様々です。
自分が見たこと、経験したことのあるいじめとしては・・・
1.いじめられっ子の成績が悪く、書類などの提出物も出さない、学校全体で悪い子として有名。その上、人の悪口を平気で言う。生徒どころか先生からも嫌われてた雰囲気が原因と思われるいじめ。

2.いじめっ子のお母さん曰く、いじめっ子がいじめられっ子に何をやっても(勉強、運動など)勝てないから嫌いという理由のいじめ。

3.いじめっ子が暇つぶし、楽しむためのいじめ。いじめっ子本人が「いじめって楽しい。暇つぶしはいじめに限るよね」と言っていたとか。
その上、ある日突然いじめの対象となる子が変わり、それまでいじめられていた子は普通に話しかけられ可愛いニックネームで呼ばれるようになったとか。

こんな感じです。

>いじめられる側の人間に原因があるとするならば(以下略)
1と2の場合、いじめられる側の人間に原因があるなら、いじめっ子より劣っている事、優れている事、ですね。


それと、他の回答者さんへの補足やお礼を拝見させていただいたのですが・・・
>いじめられる側の人間が、大人になった時、「恨み」や「復讐」を心に持ち続け、持ち続けることによる弊害で、人生自体を苦しんで欲しくないからです。恨んだり、復讐心を抱きながらの人生は、端的に言えば、幸せではありません。(No.9さんの回答への補足より)

それも人によりけりです。
いじめられっ子だった自分は、いじめっ子や助けを求めても何もしてくれなかった大人に対して憎しみを持っていない、と言えばウソになります。

でも、苦しんでいませんし幸せでなくはありません。
確かに、世間一般に多々いる人々に比べて自分は変わった考えの持ち主ではありますが、自分なりの考えを持ち、自分なりの幸せをちゃんと持っています。
むしろ、いじめられたことで学んだこともあるので、いじめられて良かったと全く思わなくもないです。

>誰でも、いじめたい、という欲望を持っています。それは、相手をいじめることで、相手を引き下げ、自分が優位に立ちたい(中略)という本能があるからです。企業の競争社会を見れば、優越欲を満たしたい、を目標に競争しているようなもので、これは、他の企業をいじめる、という行為なのです。(No.9さんの回答へのお礼より)

それは違うと思います。確かに、他社より優位に立ちたいという思いは自分にもあります。
でも、それは正々堂々と戦って勝利を勝ち取りたい、というものです。
自分は、いじめなんて運動競技でドーピングしたりテストでカンニングしたりするような卑しい行為だと考えています。
そんなズルして勝っても嬉しくないですし、むしろ自己嫌悪におちいる気がします・・・したことがないので、本当に自己嫌悪におちいるかは分かりませんが。

企業の競争だって、幾つかの企業がグルになって1つの企業を倒産に追いこむのならともかく、努力して売り上げを上げたり技術を開発することによって得た優越は正当に評価されるべきであり、いじめだなんて言ったら、努力した人たちがかわいそうだと思います。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/01/06 00:00
回答番号:No.11
この回答への補足いじめられる原因は、以下のことっていうことですね。
1.成績が悪く、提出物を出さないという面で目立っている
2.悪口を平気で言う
3.生徒からも先生からも嫌われている
4.勉強、運動で優れているから

いじめる側の意識
・「いじめって楽しい。暇つぶしはいじめに限るよね。」という意識
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>いじめられっ子だった自分は、いじめっ子や助けを求めても何もしてくれなかった大人に対して憎しみを持っていない、と言えばウソになります。

恨みや憎しみがゼロになるとは考えておりません。人間である以上、憎悪や嫉妬心といった煩悩が消え去ることはありませんから。
ただ、いじめられた程度が悪く、強く恨みを持っている人にとっては、そのいじめの記憶自体を抹消しようとします。なかったことにする、ということですが、これは心の性質から言うと難しい、としか言いようがありません。ですから、事実を事実として受け止め、正面から向き合い、「相手も相当悪い奴ではあったが、私にも生きてきた中で悪いことのひとつやふたつはしてきている。同じ悪いことをしてしまう愚かな人間同士なのだ。私にも、少なからず責任の一端はあったであろう。」との認識を苦しいながら決断すれば、心の傷は癒されていく、と、自分の体験からは言えます。

>でも、それは正々堂々と戦って勝利を勝ち取りたい、というものです。

競争原理に乗って、競争原理を肯定している時点で、それは、他者をいじめ、自分らが利益をあげればいいのだ、という思想に取り憑かれている、と言えます。社員個々人はいじめの気持ちがなくても、会社という主体は、他の会社を蹴落とし、優位に立ちたいだけの代物です。この競争原理を否定して、緩めていかない限り、いじめ体質ニッポンはなくならないでしょう。

回答

 

回答者:lv4u とりあえず回答への反論です。

>>リスクを他の人間に責任転嫁するような店主であれば、それは単に無責任極まりない人間である、としか言いようがないのではないでしょうか。店を構えれば、万引きに遭えば、放火にも遭うわけで、存在することの責任を自覚することが、人としての一歩であると考えます。

たぶん、質問者さんは、渋谷のバラバラ殺人についても、殺された短大生の仏前?で「兄を侮辱するような一言を言わないことが人としての一歩である」と言うのでしょうね。

>>誰でも、いじめたい、という欲望を持っています。それは、相手をいじめることで、相手を引き下げ、自分が優位に立ちたい、優越感を味わいたい、優越欲を満たしたい、という本能があるからです。

それは本能と違うんじゃないですか?ちゃんとした競争の結果、勝利して優越感を味わうっていうのはあると思いますが、イジメで優位に立つというのは、すごく気分の悪い目覚めの悪いことだと思いますけど・・。(私は小学生のころ、今のいじめと比べて、とてもいじめといえない、軽いいじめを集団でやったことありますけど、心の傷になってます)

>>しかし、大抵の人は、子供社会のいじめには注目するものの、企業間のいじめは容認しています。このこと自体が問題であり、社会全体が腐敗している理由でもあるのです。

たしかに、ここでの質問を見ていても、企業内のいじめは多いような感があります。たぶん、ニュースバリューとして子供たちのいじめがマスコミ的には上なんでしょう。

>>「私は、正しいとは限らない。人のせいにしてはいけない。」
という考えにあれば、人の意見も聞け、物事を客観的に洞察することもできるようになると考えます。

それはそのとおりです。そして、客観的に見て、いじめの後遺症で苦しむ人に対して、原因を作ったのは明らかにいじめた人であり、被害者である、いじめられた人のせいではないと洞察する必要があると思います。


ところで、こうした意見のすれ違いは、別次元のことをごっちゃにして述べているからではないでしょうか?例えば万引き犯を例にすれば、

法律としての「窃盗は悪い」という原則論と、犯人の「情状酌量的な弁論」と、「書店店主の心得」を混ぜて議論しているように思えてきます。

たぶん、現在問題にすべきは、あまり語られない「防止方法、いじめた側の処罰内容」ではないかと思います。つまり釈尊の説法にある「毒矢のたとえ」ですね。毒矢で射られた負傷者を前にして「毒の種類は?どこから射られた?犯人は誰か?」などを議論しても負傷者を救うことはできません。そんなことよりも苦しんでいる負傷者の治療が先です。

いじめでいえば、「即日、いじめをやめさせ、被害者を苦しみから救う方法」を実施することです。つまり、いじめの首謀者数人をすみやかに出席停止にし、内申書にそのことを記録することのルール化です。つまり罰則規定の強化・明確化ですね。(実際には証拠固めが難しい面があるのですが、ドラマのCSI:マイアミなみは無理にしても、ちゃんと調査すれば証拠は出てくるでしょう)

私も含めて、あと数十年すれば、この世を全員が去り、今の子供たちが日本を背負っていきます。その子供たちが、いじめを正当化する、あるいは見て見ぬふりをする、いじめられるほうも悪いという考え方で学生時代を過ごして、社会の第一線で活躍するようになったとき、どんな社会になってしまうのか?なんだかとても暗い気持ちになってしまいます。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/05 21:35
回答番号:No.10
この回答への補足ANo.8の補足に述べた、闘牛士の例えを読まれて、どう感じますか?


>渋谷のバラバラ殺人

この場合、殺した方が悪いのは言うまでもありません。ただ、人として生きている以上、天災や災難や殺人等で、いつ死ぬか分からない、というリスクは意識しないといけません。絶対安全な孤島であるなら別ですが。(感情論では述べていません)

>それは本能と違うんじゃないですか?

回答者さんは、集団で行い、自分がリーダーになってしたわけではないと思います。だから、自責の念を感じたのでしょう。
本能、と分かりやすく表現しましたが、正確に言えば、煩悩です。そして、その煩悩の中には、名誉欲というのがあり、名誉欲と優越欲とは、ほぼ同等の意味になります。煩悩をそのまま行動に移してしまうことは、大筋悪い行動になってしまいます。名誉欲を満たしたいために、様々な悪事を働く場合もあります。

ちょっと勉強ができてスポーツマンの男の子をいじめたくなってしまうのは、そのままだと彼の方が位置的に高いと感じてしまうわけで、いじめることで、彼の位置を少しでも下げ、優位を感じたい、ことから、いじめたりするのです。あいつ羨ましいなあ、妬んでしまうなあ、という嫉妬心からいじめる場合もありますが、この嫉妬心も煩悩の一つです。
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>いじめの後遺症

これは非常に難しい問題です。心の傷は容易に癒されないのではないかと思います。この心の傷は、忘れるようにしたら忘れられるのか、時間が解決してくれるのか?と、問われれば、ノーであると思います。人間は、一度起きた事象を一生記憶に残してしまうものであり、消えることはありません。トラウマとか、フラッシュバックとかで、思い出してしまうものです。

では、どうすればいいのか?ケースバイケースなので、個別に対応するかは言い切れませんが、「そのいじめの事象と正面から向き合い、相手のせいである、という捉え方を改める」、これしか方法はない、と考えます。恨めば恨むほど、傷の強化を増すだけであり、弱体化させることにはなりません。自分のせいもある、自分の責任として引き受ける、認める、ことで、相手への恨み、つらみが軽減したところで、心の傷は、少しずつですが、癒されていくと考えます。(私もその考えで、恨み体質から脱却しました)分かりやすく言えば、発想の転換、逆説的なアプローチ、ということです。

心というものは、不思議なもので、道理に反する思いを持つと、混乱をきたし、痛みになるものです。つまり、心とは道理に反する思いを嫌うということです。逆に言えば、心とは道理に沿った思いを好む、ということです。

道理に沿う考え:自分のせいにする
道理に反する考え:人のせいにする

自分のせいにする、責任として引き受ける、というのは、必要以上に自分を責め立てたり、自分を追い込んだり、自分をけなしたり、することではありません。自分の責任として、事実を事実として受け止めるだけです。(ただし、いじめに関しては、いじめる人間が卑怯極まりないので、まずは、いじめる人間がいじめは悪い行為であるとの認識を持てるように、大人達が、世の中を変えないといけません)

道理とは、自業自得、で言うように、自分で蒔いた種は、自分で刈り取らねばならない、ということです。これは、言い換えると、自因自果、とも言えます。自分が行った行為は必ず自分に結果として返ってくる、ということです。つまり、原因は必ず自分の中にある、ということです。

他因自果、とは、他人が行った行為が自分に結果として返ってくる、ということですが、これは道理に反していて、絶対に有り得ない、ということです。

回答

 

回答者:lv4u >>いじめの解決にあたっては、どちらか一方を解決すれば、双方共に解決し、いじめが減る、という考えにはありません。双方ともに、問題や弱点があって、両方共に解決を図ることで、いじめが減る、と考えています。

つまりは、万引きの多い書店で、「盗むやつも悪いが、書店も盗みやすい陳列方法と警備員が不足しているのが悪い。全品に盗難防止タグをつけるとか、監視カメラを増やし、屈強な警備員を置くように」ってことですね。

こういう考え方では、イジメは絶対無くならないでしょう。この世の中、五体満足な人ばかりではないですし、知能的な発達面でも問題がある人は多いです。障害とまではいえないけど成績不良とか気弱な人はそれこそ沢山いることでしょう。
つまり、「問題」を抱えた人は、人間が数十人あつまれば、その中に数人いると考えられます。「イジメられる側に問題があるのが悪い」と言っていたら、たとえうまく「イジメられる問題を克服した人」がいても、明日は、別の問題をかかえた人がターゲットになり永遠にイジメは無くならないでしょう。

「イジメる側が絶対的に悪い」という価値観で対決しないとダメだと思いますし、「出席停止」というイジメる側の経歴に傷がついて、将来の進学に困ることになるような報復を取るべきではないかと思っています。また、手をこまねいている学校や教師、教育委員会は大いにマスコミで実名報道されるべきだと思いますね。
種類:回答
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/05 10:16
回答番号:No.9
この回答への補足ある音楽家が述べてました。

「人間生きていて、罪がない人はいない」

この言葉の通り、我々人間は存在しているだけで、少なからず周囲の人間、あるいは地球環境に対して良い影響や悪い影響を与えながら、生活を営んでいます。存在していなければ、他に影響を与えることはなく、罪を犯すことは有り得ないので、周囲から責めを問われる言われはありません。しかし、地球上に生を受け、人間として生きていくという覚悟を持ったならば、他に何らかの影響を与えているわけで、この罪を真摯に受け止め、自分に降り懸かる災難や問題は、自分にも責任の一端はある、との捉え方は、人間として潔い捉え方であり、人を恨むことなく、感謝できる人生になるとの考えにあることから、いじめられる側にも少なからず、責任がある、と述べているのです。

決して、いじめられる側だけに責任を感じなさい、というデタラメな考えを持っているわけではありません。

なぜ、両方に問題(弱点)があると言いたいかというと、それは、いじめられる側の人間が、大人になった時、「恨み」や「復讐」を心に持ち続け、持ち続けることによる弊害で、人生自体を苦しんで欲しくないからです。恨んだり、復讐心を抱きながらの人生は、端的に言えば、幸せではありません。心の状態から言っても、健全ではありません。はっきり言えば、間違った心の持ち方(捉え方)であり、今後生きていく上で、マイナスにこそなれ、プラスには絶対にならないのです。

人のせいにして、恨みや復讐心を持つ、これは間違いです。恨んでも、復讐心を持っても、己が消耗するだけで、相手はピンピンしているものです。正直、得はしません。自分にも至らない点が、わずかでもあったと捉え、自分にも責任があると認め、受け容れるならば、相手のせいにしていること自体、馬鹿馬鹿しいことになっていきます。相手のせいにしても、相手の行動は、その人本人が心から自分の行動の悪さに気づかない限り、修正されることはありません。自分の思い通りに、他人は行動することはない、ということです。

今、世の中の日本人全体が、自分の責任として心から引き受ける、という勇気や度胸がなくなっていることに、いじめ頻発の原因があると考えています。自分の責任として引き受ける、ということは、恥ずかしいことでも、悪いことを認めたという情けないことでもありません。潔い行為であり、尊敬、尊重されるものであり、胸を張っていい行為なのです。ただ、こういった行為が敬遠されてしまう理由は、今の社会風潮が歪んでいるだけなのです。

日本人全体が心の腐敗を起こしている現状、どちらが良い、とか、悪い、とか、という小さいことにこだわるのではなく、全員で猛省するべき、なのです。みんなで反省し、心を改めれば、いじめが悪い行為である、ということが、徐々に理解できるようになると、考えています。
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>万引きの多い書店で、「盗むやつも悪いが、書店も盗みやすい陳列方法と警備員が不足しているのが悪い。全品に盗難防止タグをつけるとか、監視カメラを増やし、屈強な警備員を置くように」ってことですね。

店を開くということは、様々な人間が出入りすることを承知している、ということです。ですから、盗みや万引きが起きてしまう事も承知しているわけで、たまたまそういう行為が起きたなら、リスク部分が予想通り出てきた、というだけの話です。リスクは店主の責任であり、そのリスクを押しても店を出したのは、店主の責任としか言いようがありません。リスクを他の人間に責任転嫁するような店主であれば、それは単に無責任極まりない人間である、としか言いようがないのではないでしょうか。店を構えれば、万引きに遭えば、放火にも遭うわけで、存在することの責任を自覚することが、人としての一歩であると考えます。

誰でも、いじめたい、という欲望を持っています。それは、相手をいじめることで、相手を引き下げ、自分が優位に立ちたい、優越感を味わいたい、優越欲を満たしたい、という本能があるからです。企業の競争社会を見れば、優越欲を満たしたい、を目標に競争しているようなもので、これは、他の企業をいじめる、という行為なのです。しかし、大抵の人は、子供社会のいじめには注目するものの、企業間のいじめは容認しています。このこと自体が問題であり、社会全体が腐敗している理由でもあるのです。

悲劇のヒロイン、被害者意識を持ち続けることは、非常に怖いことであり、その蟻地獄から脱却しないと、人生は苦しいものなります。

「私は、正しい、相手が悪い、周囲が悪い、親が悪い、社会が悪い」

という妄想的考えが、今の腐敗した世の中には蔓延してしますが、この呪縛にはまると、人の意見が聞けなくなり、悪い意味での暴走が始まります。

「私は、正しいとは限らない。人のせいにしてはいけない。」

という考えにあれば、人の意見も聞け、物事を客観的に洞察することもできるようになると考えます。

回答

 

回答者:anachronism > 双方ともに、問題や弱点があって、両方共に解決を図ることで、いじめが減る、と考えています。

では、言い換えましょう。「両方共に解決を図ることで」いじめが解決した、という事例は、私の知る限りありません。
私の知る数少ないケースですが、いじめる側が100%悪い、ということを明確にしておいて、解決した事例は知っています。ですが、それ以外のほとんどのケースでは、「双方に問題がある」として、両者に指導をしていましたが、卒業まで解決しませんでした。

もう一度申しますが、これまでの教育現場は何十年もそういう考え方でやってきています。「いじめられる人間にも問題がある」というのは、多くの教師のいじめ問題に対する「見解」でした。
戦後の教育は、良くも悪くも「平等」を最優先にしてきました。いじめた側もいじめられた側も双方に問題があり、両方を指導すべし、というのは、その平等主義にかなった考え方で、まぎれもなく「これまでのやり方」です。その結果が「現状」です。

それを承知の上で、その考え方を信じるのは御自由です。私の言うことを信じないというのであれば、それも御自由です。ですが、その考えには、先ほど述べたように本質的な矛盾があると私は思います。

ひとつ申し上げるのでしたら、「いじめられる側の人間に問題はない」「いじめはどんな場合にも正当化されない」というのは、少なくとも矛盾の無い、明快な考え方です。それに対して、あなたの考えを同じようなワンセンテンスにまとめてみてください。まとまらないのでしたら、その理由はやはりその本質的な矛盾にあるのではないですか?まとめる過程で見えてくるものもあると思います。ぜひトライしてみてください。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:07/01/05 00:54
回答番号:No.8
この回答への補足>「いじめられる側の人間に問題はない」「いじめはどんな場合にも正当化されない」というのは、少なくとも矛盾の無い、明快な考え方です。

「いじめられる側の人間にも問題があり、その問題は弱点と表現した方が適当である」
「いじめる側の人間に問題があり、それはいじめを心から悪と認識していないところにある」
「いじめられる側が弱点を修正し、いじめる側がいじめを悪と認識すれば、いじめ自体が減っていく」

双方の問題点を克服できれば、双方に問題が限りなくゼロに近づくので、争い事も減っていく、ということです。

例えは悪いのですが。、ひとつ例を挙げます。
闘牛士という方がいますが、彼は、赤いマントを持っています。実際には、赤いマントを持って煽ったりしてわざと牛の闘争心を引き出しています。もし、闘牛士が赤いマントを持たず、手ぶらで登場してきたら、牛は猛然と闘牛士を襲ったりするのでしょうか?

赤いマントがなくても、襲ってこないという確証はありませんが、持っているより、確率は低減されると思います。つまり、赤いマントとは、いじめられる側の弱点であり、牛が襲うとは、いじめる側がいじめをする、という例えです。いじめられる可能性はゼロにはならないものの、その可能性を少しでも低減するものとして、弱点克服が挙げられるのではないか、と、述べているのです。

短期的に、いじめを減らす、とか、現場での具体的ないじめを救うには?、という観点で、述べているのではなく、長期的に見て、我々大人世代は、この世の中をどう捉え、どう変えていかなければならないのか、という視点で、僭越ながら、述べているのです。

現場経験がない者が、短期的な施策を立てることは難しく、対症療法的な方法で、個別に対応していかなければならない、という意味では、今の現段階においては、いじめる子供に厳正的に接するのは、必然であると考えます。
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>まぎれもなく「これまでのやり方」です。その結果が「現状」です。

いじめは、社会の歪みの結果として、出てきた悪い副産物です。ですから、社会が歪んでいる、社会が腐敗している、大人が腐敗している、という反省するという大前提がなければ、これまでのやり方がいくら良くても、結果は絶対に出てこないでしょう。

当事者である子供が悪い、という一点だけ見つめて、いじめを解決しようと考えても、どだい無理な話です。我々は、日本という土壌の上で生活し、その中で、人間形成をしてきているはずです。そうなれば、今のいじめの原因は、大人の腐敗、ここに全てが集約されることになります。

歴史が正しい、偉人の言った言葉が正しい、慣習が正しい、常識は正しい、日本の民主主義は正しい、道徳は正しい、という視点で、疑いもなく、我々日本人は、戦後生きてきました。しかし、本当に正しいのでしょうか?間違った刷り込みを受け、間違った世の中を作り、その間違った歪んだ社会に適応しようと努力して、精神を病んだり、体を壊したり、自殺者が年間3万人以上になったりしているのではないでしょうか。

物事は、ミクロ的にのみ見るのではなく、大局的に、全体的に、マクロ的に見ないと、見誤る可能性があります。

なんでもありの風潮、おもしろければ許される、多様な考えを容認、欲望を満たすことに不信感を持たない、利益のためだったら法に触れてもいい、等々、疑う余地はいくらでもあるはずです。ぜひ、ここのところを日本国民である人は考えて欲しいです。

回答

 

回答者:anachronism > 「いじめられる人間にも問題がある」に誤解を生むならば、どういった表現ならばいいのでしょうか?

そうですね、どう表現したらいいんでしょうね。あなたはどういう表現がいいと思われるでしょうか。

ただ、一応、私の考えを申します。あなたのおっしゃるところは、
○どんな理由があっても、いじめを正当化することはできない。
○だが、いじめられる側にも、いじめを受けるだけの問題がある。
という、2つのことを、同時に言い表すことができる表現、ということだと思います。
ですが、この2つを同時にあらわすことのできる表現というのは、ちょっと思いつきません。それは、私やあなたの表現力の問題、という解釈もできますが、それより、この2つは相互に矛盾しているからだ、と理解したほうが素直だと思います。

私は、いじめの問題と、後者の問題(「協調性が無い」とか「自分本位」)とは、分けて考える必要があると思います。
なぜかといえば、「協調性が無い」とか、「自分本位」といったことが本当に「問題」なのであれば、これはいじめの有無にかかわらず対処すべき問題です。(私は、こういったことを「矯正」しようという考え方には必ずしも与しませんが。)
つまり、いじめとはまったく別の問題なのに、これを「いじめ問題」に組み入れてしまっていることが、「いじめ」問題を複雑にしている元凶だとも思います。

そして、今一度申しますが、「それぞれが直していかないと」という考え方は、むしろこれまでずーっと、何十年も教育現場で行われてきたやり方です。その結果、いじめ問題は解決するどころかいっそう陰湿化し、複雑化し、収拾が付かなくなってきているのです。
あなたが問題にしている、「いじめた側が全面的に悪い」という考えは、このような「両成敗」的な考えに対する「反省」の上に立っているのです。

あと、私の経験から付け加えるのであれば、「いじめられる側」が「変わった」結果、いじめがなくなった、などという事例は、一種類の例外を除いてほとんどありません。その例外とは、いじめられる側がいじめる側に回った、というケースです。

実際のところ、いじめられる側が「直して」みたところで、本当にいじめ問題が解決するのか、そもそもそんなことができることなのか、それが、いじめる側を徹底的に指導する以上に効果的なことなのか、もう一度考えてみてください。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:07/01/04 20:54
回答番号:No.7
この回答への補足>実際のところ、いじめられる側が「直して」みたところで、本当にいじめ問題が解決するのか、そもそもそんなことができることなのか、それが、いじめる側を徹底的に指導する以上に効果的なことなのか、もう一度考えてみてください。

ここの部分だけ、補足説明します。いじめの解決にあたっては、どちらか一方を解決すれば、双方共に解決し、いじめが減る、という考えにはありません。双方ともに、問題や弱点があって、両方共に解決を図ることで、いじめが減る、と考えています。いじめの対象がクルクル変わるのに、片方だけ対応するのはナンセンスな話だと思いますから。
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

>あなたが問題にしている、「いじめた側が全面的に悪い」という考えは、このような「両成敗」的な考えに対する「反省」の上に立っているのです。

両成敗的な観点で、見ています。ただ、比重からすれば、確実にいじめる方が程度的に、圧倒的に悪いです。

我々人間は、妄想を描くものです。人というのは、そもそもキレイな存在ではありません。キタナイ心を持っている、不浄極まりない存在です。妄想的な見方で、人というものは、キレイだ、というように、美化したり、理想化しますが、これは、全くもってデタラメです。願望であり、妄想にしか過ぎないのです。

あいつ怒られたらいいのに、あいつ成績悪ければいいのに、あいつバカにされればいいのに、あいついじめられればいいのに、あいつ泣けばいいのに、あいつバナナの皮の上にのって転べばいいのに、というように、人は腹底の心でキタナイ考えを持っており、人として、キレイなどとは到底言えない存在なのです。

日本人は、特に、心の教育を疎かにして、表面上でなんとか解決しようと試みますが、それは、目をつぶって運転するぐらい危険なことです。人間の心とは、どういうもので、その心とどう接していったらよいか、を教育や家庭現場で、しっかり学ぶべき、と考えます。

回答

 

回答者:angeldill 僕は高校を通信制高校とそのサポート校で過ごしました!
中学時代に鬱病で受験出来なかったので。

それで僕の行ってたサポート校の半分ぐらいはイジメが原因で
普通の高校に進学出来ない人が通っていたのですが
3年間そこで過ごした経験からすると
「いじめられる側に原因があるケースが多い!」
って事です。中には原因もなく、見た目の問題でいじめられて可愛そうなケースの子もいます。しかし僕の感じでは半数以上は本人が悪い!
っと感じましたよ。
そりゃーイジメにもあうよなぁ^^;
って感じる事が多かったと言う経験則です。
種類:アドバイス
どんな人:経験者
自信:参考意見
回答日時:07/01/04 20:03
回答番号:No.6
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

貴重なご意見ありがとうございます。

回答

 

回答者:anachronism > 果たして、いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか?

逆のことを考えてみてください。あなたは「いじめられる人間に問題がある」場合として、どのような場合を考えているでしょうか。他の補足を見ていると、「協調性が無い」とか「自分本位」とかを想定されているのでしょうか。
もしそれらが「問題」であるとしたら、そういう人たちは「いじめられてもある程度は仕方が無い」と、お考えでしょうか。

多分、質問者様はそうはお考えにはならないでしょう。「いじめをする、という行為は悪い行為であり、絶対に許すものではない」と、仰せのとおりです。

要は、質問者様が疑問に思う論調というのも、「いじめを正当化できる理由は何も無い」という趣旨で、「いじめる側が100%悪い」と言っているだけなのです。質問者様も、その点には同意されるものと思います。

ですが、特に、「いじめられる人間にも問題がある」という場合、「問題」という言い方は、「いじめられるほうも悪い」というニュアンスを含みます。「いじめられる人間にも問題がある」=「いじめても構わない」というような考えがこれまではむしろ一般的で、それがいじめを正当化する論拠になっていたのです。

現実に、これまで教育現場においては「いじめられる側にも問題がある」というのが一般的な認識でした。「いじめは絶対に許されない」というのは表向きでしかなく、「いじめ問題」が発生した場合、教師は真っ先に、いじめた側ではなく、いじめられた側に「お前が人にいじめられないように振舞え」という「指導」することが少なくなかったのです。その理由は簡単で、いじめているがわが「いじめた」ことは証拠がありませんから指導することは難しいのですが、いじめられたがわがいじめられていたことは「本人の供述」から明らかなのですから。
その結果、いじめる側は自分たちを正当化でき、いじめられた側は教師に相談できないのはもちろん、親にも相談したら怒られるのではないか、と考えて、一人で抱え込むことになります。

実のところ、「いじめた側が悪いんだ」というのは、今回の事件からようやく出てきた論調であり、これまでは「いじめた側もまた被害者」という台詞が、お経のように唱えられていました。いじめの原因は「受験戦争のストレス」やら、「教育の画一化」などを「理由」に上げ、いじめる側を、マスコミはこぞって弁護していたのです。
表向きには許さないといっておきながら、実情として弁護されるという二面性ゆえ、結果としていじめは陰湿化の一途をたどり、教師がいじめをやめさせるどころか加担する、という構図が再び繰り返されました。マスコミも、ようやく「いじめは弁護すべきことではない」という、ごく当たり前の認識を持った、ということです。

「いじめられる人間にも問題がある」という言い方は、非常に誤解を生む言い方であり、現実にいじめの正当化に使われてきました。それを良く知っている人は、当然、全面的に否定するでしょう。
どのような理由も、いじめを正当化することはできません。そういう意味で、「いじめられる側の人間に問題はない」ということは正しいし、私もそう思います。
種類:回答
どんな人:経験者
自信:自信あり
回答日時:07/01/04 08:53
回答番号:No.5
この回答への補足>もしそれらが「問題」であるとしたら、そういう人たちは「いじめられてもある程度は仕方が無い」と、お考えでしょうか。

いじめという行為は、悪ですから、いじめられて仕方がないという考えは、全く成立しません。自分にされて嫌なことは、他人にはしてはならない、という道理があるわけで、道理に反するものは、悪です。

>ですが、特に、「いじめられる人間にも問題がある」という場合、「問題」という言い方は、「いじめられるほうも悪い」というニュアンスを含みます。「いじめられる人間にも問題がある」=「いじめても構わない」というような考えがこれまではむしろ一般的で、それがいじめを正当化する論拠になっていたのです。

なるほど、と思います。言葉遣いには注意しないといけないですね。

>「いじめ問題」が発生した場合、教師は真っ先に、いじめた側ではなく、いじめられた側に「お前が人にいじめられないように振舞え」という「指導」することが少なくなかったのです

大筋で考えますと、強者の論理があって、教師もこの強者の論理に従って、強い方、つまりいじめた側につきたい、という思いに支配されている事から、弱者である、いじめられた人間に指導するのではないか、と思います。

>当然、全面的に否定するでしょう。

「いじめられる人間にも問題がある」に誤解を生むならば、どういった表現ならばいいのでしょうか?
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

言葉遣いの注意点や、誤解される理由を解説頂き、感謝致します。

いじめの構図について考えてみました。

人間は多面的な要素を持っています。
【いじめる人間】
「いじめをしてしまう要素」を持っている
        ↓
 問題である(=悪いことである)
        ↓
 直す必要がある(大人が注意・指摘・教えをすることで善悪を学ぶ)

【いじめられる人間】
「いじめを受けてしまう要素」を持っている
        ↓
 弱点である(=問題である、好ましくない)
        ↓
 直した方が好ましい(内容によっては直さなくて良いのもある)
 (=自分の物事の捉え方を変えることで、自分を変える努力をする)

要素として、種類は違うものの、問題(弱点)を抱えているという認識が大事で、その問題(弱点)を踏まえた中で、それぞれが直していかないと、いじめの構図を破壊することは難しいと考えます。

両方の問題(弱点)点を敢えて挙げるのは、昨今の事情である、いじめの対象がクルクル頻繁に変わる、という「いじめの質の変化」という背景があるため、いじめる側だけに問題点を投げかけることだけでは解決にはならない、と分かるからです。

つまり、被害者も加害者であって、加害者も被害者である、という状況が今のいじめの実態です。そうなると、今の人というのは、心の中に、「いじめる要素」と「いじめられる要素」を共存させながら、生活している、と言えます。どっちが悪いとか、勝ち負けとかではなく、全体的に、心の質の低下が起き、心が腐敗している、というのが現実であろう、と見る方が、より真実であると考えます。

回答

 

回答者:lv4u No.2です。
>>・協調性がない
・気が弱く意見を言えない
・頑固者である
・利発すぎる
・勉強ができると自慢する
・自分本位である
等々も、他人と違うこと全ての範疇に入るのでしょうか?

いずれも、はいると思いますね。そして、上記項目は受け取る側の主観が大きく影響する項目もあると思うので、客観的な判定は難しい気がします。
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回答日時:07/01/04 00:30
回答番号:No.4
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

受け取る側の主観、ということは、受け止め方を変えることができれば、いじめられる側の心の変化も期待できるということですね。

回答

 

回答者:cooperation No.1さんと、同意見です。
まさに、ケースバイケースで不可能です。また、テレビや新聞などのメディアで答えを出すのも不可能です。彼らが情報を発信するために、各々の事例について集めた情報など極々わずかのもので、かなりの部分に思いこみと言うか、場合によっては意図的な物があると思います。さらに言うならばマスメディアは、必要以上にセンセーショナルに扱います。その方が注目を集められるからです。明かに責任があるケースもありますが、すぐに学校に責任を求めるのもおかしな話です。現場を知らない思い込みだけで発言をしているだけです。

また、評論家や教育関係者も良く出てきますが、話を聞いていると共感できることもありますが、現場を知らないで何を言っているんだと思うことも少なくありません(私の価値感でですが)政治家もしかり。やってることはメチャメチャです。悲しいことに、特に教育者に関しては、そういったメディアに顔を出すような極一部の人達が教師と言うもののイメージを低俗な物にしていると常々感じています。

まともだと感じることを言う人も沢山いますが、そうでない人が多すぎます。また、そういった人のほうがある意味番組を面白くできると言うのも、製作者側の意図だと感じます。


ちょっと話がずれてしまいましたが、結局のところ、当事者、その周りにいる人間にしか真実は分からないと言うことだと思います。努力次第で、恐らく真実だろうなと思える物に近づくことはできますが。

>果たして、いじめられる側の人間に問題はない、0%である、微塵もない、と言い切れるのでしょうか?

言いきることなど出来るはずがありません。ケースバイケースです。非常に多く要素があります。
そういった性質場、例を挙げるのは望ましいことではありませんが、そういった要素を排除して、単純に例えれば、苛める側と苛められる側が入れ替わる例では、中心となり楽しんでいる者以外は、自分以外に対象を作り、苛める側にいることで自分の身を守っている人も多く要るでしょう。この場合などは、ゲームのような物で、いじめの対象となるのに全く原因がない場合もあると思います。

苛められる友達を庇った為に、自分が苛められるなどは、友達を助けると言う行為はとても素晴らしいことだと思いますが、苛めを受ける「要素」にはなり得ます。彼・彼女の行動に「問題」は無いですよね。
あいつ生意気。とか、良い子ぶってるとか、気に食わないとか、暇だからとか、いじめが起こるきっかけなど幾らでもあるのです。
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回答日時:07/01/03 15:10
回答番号:No.3
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

・理由はなく、ゲーム感覚の対象になっているだけ
・苛められる友達を庇ったため
・生意気
・良い子ぶっている
・気にくわない
・暇だからという理由で対象になっている

上記がいじめられる側の理由、ということですね。

回答

 

回答者:lv4u >>いじめられる側の人間に原因があるとするならば、何が原因であると想定できるのか、

通常は、ハーフで髪の毛や目の色が違ってめだつとか、太っているとか、考え方が違う、成績が悪い、親の職業が変わっている、など単に他の多くの人とちょっと違う人が、「のけもの」にされるなどをスタートにイジメがエスカレートしていくようですね。
ですので、他の人との差があることが「問題」とするなら、それがいじめられる人の問題であるといえるでしょうね。

でも、その人の能力不足で他の人が迷惑を被るというようなことが無く、単に「人と違う」ことを理由に「イジメ」をすることは理不尽です。多くのイジメ同調者は「イジメの被害者」になりたくないので、イジメ加害者に加わるようです。

また学校や教育委員会は、イジメをなくすことは大変な労力が必要になりますし、下手をすると自分たちの出世に響くため、「なかったことにする」「被害者がイジメがあったと誤解して騒動を起こした。被害者のほうが悪い。謝れ!」っていう流れになっているようです。

ちょっと昔のSFマンガに「警察などとつるんだ暴力団が思いのままに支配する街を正義の味方(超能力者など)が解放する」というようなストーリがありましたが、「正義の味方が登場する前の悲惨な街」が現在の学校の教室のようです。
ここで、暴力団=イジメグループ、警察=教師、教育委員会です。

いじめられる側の人間を問題にするのは、万引団が「盗みやすいような陳列をしていたから盗った。私らは悪くない」と弁解するようなもんでしょうね。
いじめられる側の原因は「他人と違うこと全て」っていうことで、ヤクザの因縁づけと同じく具体的事例を並べる意味は無いような気がします。
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回答日時:07/01/03 15:01
回答番号:No.2
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

・ハーフで髪の毛や目の色が違ってめだつ
・太っている
・考え方が違う
・成績が悪い
・親の職業が変わっている
上記の理由、問題点がいじめられる側の原因ということですね。

「他人と違うこと全て」ということは、なるほど、と思います。
・協調性がない
・気が弱く意見を言えない
・頑固者である
・利発すぎる
・勉強ができると自慢する
・自分本位である
等々も、他人と違うこと全ての範疇に入るのでしょうか?

回答

 

回答者:Phoebastria ケースバイケースなのでここで具体的に答えを列挙する事はほぼ不可能に近いです。

「いじめをする、という行為は悪い行為であり、絶対に許すものではない」「自分にも非があった、問題はあった、との認識」「今では、必要以上に恨んだり、憎んだりはしていません」
とありますが、非常に立派だと思います。私なんか死ぬまで忘れませんけどね。

>>世間で多く報道されていて、テレビ番組等を見ていますが
この下りですが、所詮テレビです。とどのつまりテレビです。そう言うものだと思って流した方がいいと思います。だってテレビですから。
種類:アドバイス
どんな人:一般人
自信:参考意見
回答日時:07/01/03 14:19
回答番号:No.1
この回答への補足この回答に補足をつける(質問者のみ)
この回答へのお礼回答ありがとうございます。

ケースバイケースということですね。
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